天野喜孝が語る「絵描き」の仕事 大きな絵、旅で得る発想、シルエットとしてのキャラクター
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔が、東京都心にある天野喜孝のアトリエを訪ねた回である。天野は15歳でアニメーション制作会社タツノコプロに入り、「タイムボカン」シリーズ、「ヤッターマン」、「昆虫物語みなしごハッチ」などのキャラクターデザインを手がけた。独立後は「ファイナルファンタジー」シリーズのロゴやイメージイラストを担当している。成田が「どんなカテゴリーでお呼びすればよいか」と尋ねると、天野は「絵描きですね」と答えた。対談は、制作中の作品、絵の大きさ、海外での受け止められ方、旅から生まれる発想、キャラクターの条件へと進んでいく。
ジャンルは結果として横断しているだけ
成田は、天野がさまざまなタイプの絵を横断していると指摘した。天野自身は「結果的にそう」だという。本人は机や紙に絵を描いているだけで、それが別々の場所へ持っていかれる、という感覚で仕事をしている。
アトリエで制作中だったのは、翌年1月にニューヨークで開く展覧会用の作品である。天野にとってもあまり経験のない板を使った挑戦だという。当初は専門の職人に金箔を貼ってもらい、その上に描くつもりだった。ところが箔を貼る前の板の光沢がきれいだったので、そのまま描くことにした。画面は黒と金で構成されている。
描き方については、1枚ごとに全体像を決めるのではなく、まずテーマを決めて、それに沿って多くの絵を描くという。1枚ずつは独立しているが、全体としてはつながっている。例として挙げたのがギリシャ神話で、テーマを決めれば神々などのキャラクターが次々に出てくる。
天野がギリシャ神話に向かったきっかけは、ゲームのために描いたキャラクターが、本人の知らないうちにギリシャ神話の登場人物に似ていたことが何度もあったからだという。それなら大元を描いてみようと考え、現在そのシリーズを描いている。ただし、既存の素材や原イメージをもとに描くことが多いわけではないとも話している。ギリシャ神話はすでに多くの芸術家が彫刻や絵画にしてきた題材であり、天野がそこに取り組み始めたのは最近のことだという。
色は「絵によって決まっている」
成田は、天野が黒と金のような落ち着いた色で描くこともあれば、非常にカラフルに描くこともある点に触れ、色とファンタジー性の関係を尋ねた。天野は「あまり考えたことはない」と答えたうえで、色は絵ごとに決まっているような気がすると説明した。いつもあまり決めずに描き始め、結果として決まっていく。そのせいか、新しいつもりで描いたものが10年前に描いたものと同じだった、ということもあり、自分の中で繰り返しが起きているという。
空や木、人間の肌、髪、目の色はだいたい決まっている。服はもっと自由だが、その人物がどんな柄や形、色の服を着ているかは、キャラクターによっておのずとある。天野は色を「面」として捉えており、線と線のあいだの面に色をつけている、という言い方をした。成田が、黒地に金の絵を描く天野自身も黒い服に金のネックレスをしていると指摘すると、天野は「たまたま」だと笑った。
15メートルの絵と、天井画への関心
作品は、このアトリエ、その上の階、さらにもう一か所の3か所で制作している。規模の大きい作品は別の場所でしか描けない。いま描いている最大のものは15メートルほどで、もとはここで描いていたが狭すぎたため、別の場所を借りた。以前は紙に描いていたが、だんだんエスカレートして大きなものを描くようになったという。
大きな絵は場所も画材も必要でコストがかかる。それでも描く理由を問われ、天野は世界観を表現するには大きい絵のほうがよいのではないかと答えた。大きさの基準は人間の体であり、自分の体より大きな絵の前に立つと、その中に入っていける。空間があればさまざまな要素を埋め込めるが、小さい作品にはそれほど入らない。その違いがいちばん大きいという。
成田は、映画館のスクリーンやドームのような空間に比べ、絵画でそこまで大きなものは基本的にないと指摘し、最大の絵画体験とはどんなものかと尋ねた。天野は最近ヴェネツィアへ行き、自分の知る限り最大だと思う天井画を見てきたという。その前にはミケランジェロの作品も見ていた。実物を見て、これ以上のものも描いてみたいと思ったそうだ。ただ、描く場所は自分ではどうにもならないので、誰かが提供してくれればいいと話している。
ここから2人は、見上げる経験について話した。成田は、教会ではステンドグラスが高い位置にあり、視線を上に向けさせる仕組みが建物に埋め込まれていると述べた。美術館でも、正面の壁ではなく天井に向けて展示する方法があり得るのではないかと提案した。天野は、天井画は西洋にも、京都や奈良の龍の天井画のように東洋にもあり、どちらも天や神々の世界を感じさせるものではないかと応じた。上を向かせることには崇高さを錯覚させる効果がありそうだとし、下は逆に怖い感じがすると付け加えた。成田が床を使う可能性に触れると、天野は床は踏まれるので石のような頑丈なものでなければならず、さすがに金箔は置けないと答えた。
海外の反応は「意外とみんな同じ」
最近は海外での展示が多く、ミラノでも展覧会を開いたばかりだという。国ごとの反応の違いを聞かれた天野は、「意外とみんな同じ」だと答えた。反応を分けるのは国ではなく世代である。20代から40代はゲームで、その親世代はアニメで天野の絵を知っている。日本だけのことかと思っていたが、海外で実際に展示してみると本当に同じ反応だった。天野はそこに、自分個人というより、今の時代がグローバルなシステムになっていることを感じるという。
とくに面白かったのはイタリアの例である。天野が聞いた話では、イタリアには1978年頃に日本のアニメがまとまって入り、永井豪の「グレンダイザー」やタツノコプロの「キャシャーン」「ガッチャマン」「ハクション大魔王」などが放送された。当時子どもや若者だった人たちが今は大人になり、天野のタツノコ時代の仕事を知っている。一方、その子ども世代は「ファイナルファンタジー」を知っている。天野は、自分がタツノコで働いていた頃はそれどころではなかったと振り返った。
なぜ日本のサブカルチャーが世界に広がったのか
成田は、極東の小さな国の、子ども向けの極端なサブカルチャーが世界中に浸透したことを「奇跡的」だと述べ、その理由を尋ねた。成田の見立てでは、コンピューターゲームの源流はアメリカだが、ゲームを通じた物語やキャラクターの震源地は日本かもしれない。
天野はわからないと断りつつ、地理的な見方を示した。日本はアジアの端にあり、シルクロードを通ってきた文化が最後にたまる場所である。ほかの国では文化が覆されることもあったが、日本には奈良のように今も残っている。そしてゲームはアメリカから太平洋を越えてやってきたので、日本はその最も近い入口だったのかもしれない、という。成田は、ヨーロッパには大人の長い伝統や権威の壁があるのに対し、日本には子どもの文化を受け入れやすい土壌があったのかもしれないと付け加えた。
天野はこれにも「あまり考えたことはなかった」と応じ、自分の関心の話をした。本人が興味を持ったのはアニメやゲームであり、日本の伝統的なものは当たり前すぎて興味が湧かなかった。お祭りや正月は身近で不思議ではない。逆に西洋の文化には神話的な雰囲気を感じ、それを絵にしたら面白いのではないかと考えた。ファンタジーといえば海外のものにインスパイアされる、というのが天野の実感である。
現地に行き、帰ってすぐ描いたスケッチは「濃い」
ここ2〜3年、天野は実際に現地へ行って体験することを重視している。昨年はギリシャ、今年はイタリアとシチリアを訪れた。本などで得る情報は結局は誰かの情報であり、自分で行ったわけではない。ものを作ろうとすると、その場所に行かないと出てこない発想があるという。
面白いのは、旅の最中にはそれがわからないことだ。帰国してから、頭のどこかに残っていたものが絵に出てくる。帰ってから1〜2か月のあいだに描いたラフや落書きのようなスケッチは、見返すと「濃い」。それが時間とともにだんだん薄まっていくのだという。
具体例として天野が挙げたのが、シチリアで見たメドゥーサである。ギリシャ神話では怖い題材だが、シチリアでは守り神になっていて驚いたという。シチリアはかつてギリシャの一部で、ゼウスの神殿の遺跡なども残っている。そこにいたメドゥーサには羽がついていた。天野は、ペルセウスがメドゥーサの首を切ったときに生まれたペガサスと関係があるのかと考えたが、調べていないのでわからないと話している。現地ではワッペンやバッジ、Tシャツなどの土産物にもメドゥーサが描かれていた。こうした行かなければわからなかった発見が、絵に出てくるのだという。成田は、シチリアはいくつもの異なる文化が重なり合う場所であり、ギリシャ由来のキャラクターの意味や形が別のものに変わっているのではないかと応じた。
倉庫に眠る原画 『グイン・サーガ』と『D』
続いてカメラは、空気清浄機と温度調整を備えた作品倉庫に入った。大量の作品が収められている。
栗本薫の『グイン・サーガ』については、天野が表紙を引き継いだときに最初に描いた絵が残されていた。前任は加藤直之で、天野によれば黒目の大きさなどにこだわったイメージがあったという。キャラクターのナリスを描いた表紙もあり、背後の三日月のような曲線について尋ねられると、天野はデザインとして三日月のイメージにしたのだろう、満月ではないと思ったと答えた。天野によると、本文中の挿絵は場面を描いて説明しなければならないためモノクロで描いていたが、表紙は比較的自由だった。目立つように、小説のテーマを自分なりに絵にするものだったという。ほかにも『バンパイアハンターD』の表紙原画が並んでいた。
成田は、紙の原画をガラスもプラスチックも通さずに見る機会は、普通の観客にはほとんどないと述べ、透明な素材が光を反射することで失われる質感は大きいと感じたという。管理については、図書館の検索システムのようなものを一応作ってはいるが、出し入れが多いと天野は話した。天野自身も、見返さないと覚えていない絵があるそうだ。
成田は、天野のキャラクターは目つきが強く、不気味さがあると評した。天野によると、海外の人には日本的に見えるらしい。成田は、細い目と小さな黒目がそう感じさせるのかもしれないと推測している。
ニューヨークで描いた32メートルの絵
倉庫には巻かれた巨大な作品もあった。16メートルの作品が2枚、合計32メートルのキャンバスで、来年か再来年にアメリカで発表する予定だという。
この作品は実際にニューヨークへ行って描いた。天野は、そうでなければ意味がないと考えたという。発想はニューヨークで生まれたもので、日本ではたぶん描けなかったし、今行っても描けないだろうと話す。絵には夜空に果物がたくさん飛んでいる。デリの店先に並ぶ果物や野菜が印象に残ったからだ。最初は驚きがあったから題材になったが、今はもう驚かないので題材にならない。最初に見たときの「これは何だ」という感覚が作品に出る、と天野は説明した。シチリアのメドゥーサからニューヨークのデリの野菜まで、旅先での驚きが絵になっているという話である。
人の心をつかむキャラクターの条件は「シルエット」
成田は、人間は古くからキャラクターやアイコン的なものを作り出し、想像上の存在を恐れたり、制圧したりしてきたと述べた。キャラクターは存在しないものとコミュニケーションするためのメディアであり、それは現代のゲームや漫画まで一貫しているのではないかという。そのうえで、人の感情をかき立て、やりとりしたいと思わせるキャラクターの条件は何かと尋ねた。
天野は、自分はキャラクターを「演じさせる」側の仕事をしてきたと前置きしたうえで、形として考えるならシルエットだと答えた。キリンは首が長く、ライオンにはたてがみがある。小さくしても見分けがつくかどうかが大事で、ゲームのキャラクターも、ぎゅっとシルエットにしたときにどう見えるかが、ほかとの見分けにつながる。それが魅力かどうかはわからない、とも付け加えている。成田が、シルエットの形は性格も表しているのではないかと尋ねると、天野は考えたことはないが、たぶんあると思うと答えた。
意識して描いていたのかと問われると、天野は、あまり意識していなかったが、結果として考えると関係があると話した。初期の「ファイナルファンタジー」のキャラクターはドット表示だったので、どんなにリアルに描いても、ドットに落としたときにわからなければならなかった。今はリアルな表現なのでそうした制約はないだろう、という。
成田はこれを受けて、初期のアップルのMacでアイコンをデザインした女性デザイナーの例を挙げた。リンゴのマーク、ゴミ箱、回転する7色のアイコンなどを、グラフィカルなコンピューターがまだない時代に方眼紙の上でピクセルだけでデザインしていたと聞いたといい、それはシルエットそのもののデザインだと述べた。さらにミッキーマウスや、最近展示を見たというハローキティにも触れ、子どもでも描ける単純なシルエットで成り立ち、3本のひげのような要素が重要な役割を果たしている点に、シルエットの力を感じたと話した。
キャラクターから世界が広がる
成田は、天野のキャラクターには単純でシルエットとして理解しやすいものと、機械と一体化したような複雑なものが同居していると指摘した。天野は、それは要求される目的に沿った結果であり、リアルなものはリアルに、メルヘン的なものはシンプルになると答えた。
天野は自分の出発点をキャラクター作りにあると考えている。仕事では先に世界観があってキャラクターを作ることが多い。しかし自分でキャラクターを作るときは、そこから「相手は誰にしよう」「友達はどうしよう」「敵はどうしよう」と考え、ひとつのキャラクターから物語が膨らんでいく。あまり広がりすぎると、自分はストーリーテラーではないので、ライターに世界を作ってもらう。小さなものから広がっていく過程が、オリジナル作品では楽しいのだという。
オリジナル作品の比重を増やしてきた理由も、そこにある。依頼される仕事は、これまでの経験から「この人に描かせればいいだろう」というものが多い。それだけでは当たり前の繰り返しになってしまうので、自分で何かやりたいなら自分で作るしかない、と天野は話した。膨大な量を描いていることについて体力や健康を問われると、重要だと認めたうえで、おかげさまで腱鞘炎も腰痛もあまりないと答えている。
絵を描くことは「野菜を作ること」
最後に成田は、「ファイナルファンタジー」の画面の解像度がシリーズ初期から最新作までまったく別世界になったことに触れ、天野のキャラクター描写も変わってきたのかと尋ねた。天野の答えは「全く変わっていない」だった。頭の中にはリアルな世界や空間があり、それを絵にしているだけで、コンピューターになろうが3Dになろうが、描いた時点で絵は解決している。そのあとどう加工されるかは、時代や人によって変わっていく。
天野はこれを野菜作りにたとえた。自分は野菜を作るまでが仕事で、それがどう料理されるかは別の話だという。自分自身は、絵を描くことそのものが目的だと語り、対談は終わった。
めくるめくファンタジーの中にお住まいの皆さん、こんにちは。夜明け前のPLAYERSです。今日は東京のど真ん中にファンタジーを可視化した謎の要塞があると伺いまして、強制捜査に伺った次第です。
これ、メカと怪物と人類ということで、これを見たらどなたかもう分かってしまうかもしれませんが、ファンタジーを可視化させたら日本ではこの方。お会いしてみたいと思います。
15歳でアニメーション制作会社タツノコプロダクション(タツノコプロ)に入社。「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」「昆虫物語みなしごハッチ」など多数の国民的アニメのキャラクターデザインを手掛ける。独立後、「ファイナルファンタジー」シリーズのロゴ・イメージイラストを担当し、一躍その名を世界に轟かせる。現在も国内外で数多くの個展を開催するなど、幅広い分野で活躍を続ける世界的クリエイターです。
ということで、よろしくお願いします。こちらこそよろしくお願いします。よろしくお願いします。今日のゲストは、なんとカテゴリーをお呼びするのがよろしいですか。絵描きですね。絵描きの天野先生、そのアトリエに伺ってます。よろしくお願いします。はい、お願いします。
でも絵描きとおっしゃいましたけど、絵描きの中でもいろんなタイプの絵を横断されてる感じですよね。結果的にそうですね。自分ではね、絵を描いてるだけですから。ジャンルは結構色々あるんですけども、基本的にはもう机で描いたり、ここで描いたりとかあって、それがどこかに持っていかれるだけですから。
今描かれてらっしゃるものは。これはニューヨークで来年の1月にちょっと個展をやるんですけども、それの作品です。へえ。なのでちょっと僕としてもチャレンジというか、あんまりやったことがない、樫っていう板なんですけどね。本当は本来嬉しいなんでしょうけど、今こう樫が丈夫ってことで、そこに金箔を貼って描こうと思ったんですけど、これが綺麗なんで、じゃあこれに描いちゃう。それがた金なんですけどね。
え、あれは金箔を貼られたんですか。僕が貼ったわけじゃなくてプロの人に。もうプロ中のプロの人に貼ってもらって、そこに何か描こうと思ってたんですけども、これはまだ貼る前のやつで、これ綺麗だからこれでやっちゃうかなと思って。あ、じゃあ最初は貼られてるものの上に描かれる予定だったんですね。そうそうそう、そういうつもりだったんですけどね。この光沢、なんか面白いですね。綺麗じゃないですか、これね。この上に貼るんですよ、実際は。これも貼る予定ではいたんですけど、だったらもうこれで、面白いから。
この作品を描かれる場合って、最初にもう全体のパターンが決まって、イメージがはっきりされてから描き始められるものですか。それとも描きながら。両方ありますけど、大体1枚じゃなくて、なんかテーマみたいなものを決めて、それに対していっぱい描いとく感じですね。それぞれは独立して描いてるんですけども、段々繋がってるような形で。例えばギリシャ神話だったらギリシャ神話っていうテーマで行くと、いろんなキャラクターというか神々が出てきますよね。そういったものを想像して描いてあったりとかして。
今例えばギリシャ神話とおっしゃったじゃないですか。そういう素材とか原イメージがあるものを描かれることの方が多いですか。いや、そうでもないですね。それはもう過去にいろんなアーティストの人が彫刻なり絵画なりでいっぱい描いてますから、ギリシャ神話自体がね。だから僕は最近なんですけどね。元々はそこまで分かんなかったんですけども、たまたまゲームで描いたキャラクターが実はギリシャ神話に出てくるあれとかね、結構そういうことがあったんですよ。
描いたものが結果として、知らなくて何かのキャラクターと似ているみたいな。それがギリシャ神話に出てくるものだったりとかね。そういうことがあったんで、じゃあその大元は何だろうと思って、大元をちょっと描いてみようかなということで、今、これじゃないんですけどね、それはそれで描いてるとこなんですよね。
面白いです。そういう神話的な空間とか幻想的な空間を一貫して描かれていらしたじゃないですか。その時に色ってどういう意味を天野さんにとって持っているんですかね。ここだと黒と金っていう2色ですよね。すごく落ち着いたくすんだ色で描かれることもおありになれば、ものすごくカラフルに描かれることもあるじゃないですか。その色の組み合わせっていうものと、ある種のファンタジー性みたいなものがどう関係してるんだろう。
あんまり考えたことはないけど、各絵によって色が決まってるような気がするんですよ。決まってるというのも変ですけども、でもそうじゃないのもいいのかなとかね。いつもあまり決めないではいるんですよ。決めないでいるんだけど、結果的に決まってたりとかするんですよね。ある程度は決めるんですけど、だからこれ描いたことあるなとかね、そういう風に思うんですよ。またそうじゃないものを描いたつもりが、実はもう10年前に描いたものだったとかっていう、結構繰り返したりとか自分の中でしてるんですよね。
でも例えば今、ゲームのために何か描かれる場合と、ご自身の独立したアート作品みたいな場合と、あるいはアニメの場合とかで、どういう色を使うかとかっていうのも変わってくるものですか。
色は、色をつけないと色はつかないですけどね。色って例えば空とか木とか葉っぱとかって大体決まってるじゃないですか。人間だったら肌の色とか、あと髪の毛とか目の色とか。あと服だったらもっと自由ですけど、でもその人が着ている服はこんな柄でこんな形でこんな色かなみたいな、なんとなくその人物というかキャラクターによって色ってなんかあると思うんですよね。それはなんとなく思いついて決めて。決まってる色もあるんですけどね、こういう色にするかっていう。それがない限りは、なんとなくその各絵に合わせて、人物に合わせて色をつけてるっていうか。色ってのは面ですからね。線と線があって、間が面というか、その面に色をつけるっていう、そんな感じなんですけどね。
でもたまたま黒地に金の絵を描かれてる天野先生自身が、黒い服に金のネックレスをつけて。ああ、これはたまたまです。たまたま、そうそう偶然。いやいやいや。でも作品は全部ここで作られてらっしゃるんですか。ここと、この上と、それからもう1つ場所があるんですけど、ここが大きい作品を描いてて、場所によって使い分けるというか、結果的には違うものを描いて。
じゃあここはまだ規模としては小さいものを描かれることが多い。そうですね。一番大きいのは今15mぐらいのを描いてる。そのスペースはまた別にあって、そこに行かないと描けないんですよ。元々ここで描いてたんですけど、狭すぎちゃって。だから違う別なところをちょっと今借りて、そこで制作はしてるんですけども。サイズも色々なものを描かれてらっしゃる。最近そうですね。昔は紙でこんな感じだったんですけども、だんだんエスカレートしていって、どんどんどんどん。
大きいものを描くのは当然いろんな意味で大変だと思うんですが、そのアトリエにも行かなくちゃいけない、そもそも物も絵の具も消費量が激しくなるじゃないですか。そうなんですよ。その場所も置いとかないとね。そのコストを払ってまで大きいものを描かれ始めたきっかけは何なんですか。
やっぱりその世界観っていうんですかね、それを表現するには大きい絵の方がいいのかなっていう。大きい小さいって、なんとなく人間の体の大きさが基準になると思うんですよね。それよりも大きいともっと大きくなるし、小さいと小さい。あくまでも自分の体が基本になってると思うので、そこに立った時に大きい作品だとその中に入っていけるじゃないですか。あと空間があるからいろんなものを埋めたりとかするじゃないですか。いろんな要素が入るじゃないですか。でも小さい作品だとそんなに入らないじゃないですか。その違いが一番大きいですね。
いや、でもふと思ったのは、例えば大きい映画館とかの巨大なスクリーン、あるいはもっと極端なことを言えば1個のドームみたいな空間ってあるじゃないですか。いわゆる絵画でその大きさのものって基本的にないですよね。ですね。なので一番大きい絵画作品と絵画体験ってどんなものなんだろうと、今ちょっと素朴に気になりました。
僕はこないだヴェネチアに行ったんですね。その時に天井画で、僕が知ってる限りそれが一番大きいのかなと思って、それを見たんですよ、それが見たくて。その前に、えっとバチカンかな、行って、ミケランジェロのを見て、もっと大きいのがあるっていうんで、この前行ったんですね。見に行って、これがそうなんだと思って。いや、これ以上のものも描いてみたいなとか思うと、場所がね、描く場所がどこにあるかってあるじゃないですか。それは自分ではどうしようもないんで、なんか提供してくれたらいいかなとかね。確かに中世とかルネサンス前期の礼拝堂の天井画とか壁画空間みたいなのは、一番大きくてしかも没入体験として深いものがありますよね。だからそれは本当に自分で見て、あ、そうかと。色々学ぶ点がありましたね、実際に見るとね。
じゃあいつか天野礼拝堂画。いや、礼拝堂画かわかんないけど、ちょっと描いてみたいですね、壁画とか天井画とか。確かにそうですね。壁画とか天井画みたいな、見上げるような体験も、見る側の経験が変わりますよね、多分ね。なんか教会とかってステンドグラスが上の方についてるじゃないですか。なので首を上に向けて、視線を上に向ける仕組みが建物の中に埋め込まれてるなと思うんですよね。ああ、結果的にそうですよね、大きいとね。なのでもしかしたら美術館とかも、正面の壁に貼るというよりはむしろ天井側に向かって上を見るような展示の仕方とかも、もっとあり得るのかもしれないですよ。
壁画と天井画ですよね。天井画は普通に西洋の、あの年代とか見るとありますよね。そうです。日本でも竜とかあるじゃないですか、京都に行くと。奈良とかでね。あれはあれでまた、要するに天の世界っていうんですかね、神々の世界っていうか、そういう感じがするんで、それはそれでまた東洋もそうだし西洋もそうだし、みんなそうなのかなっていう感じがしますけど、どうなんですかね。
でも上を見させるっていう効果は。あんまり考えたことはないですけど、なんかある種の崇高さを感じさせる、その大きなものが降りてくるような感覚を勝手に錯覚させるためには、上を向かせるっていうのは。天国と地獄じゃないですけどね。下はなんか怖いような感じがしますね。でもそれを考えると下っていう手もあるわけですね。つまり床、そうですね、床や地面を使っていくっていう方向です。床はモザイクとか結構ありますよね。床ってどうしても踏むじゃないですか。頑丈じゃないとダメじゃないですか。そうですね、石とかね。さすがに金箔は置けないですからね。そうそうそう、上になんか敷いてもなんか変だしね。
でもさっき、これはニューヨークの個展のために準備されてるとおっしゃってたじゃないですか。やっぱり主に海外で展示される場合が多いんですか。結構多いですね、僕の場合最近特に。今もミラノでやったんですけど。
各地でやられて、その天野さんの作品に対するいろんな場所での反応、いろんな国の人の反応ってあると思うんですが、どう違いますか。どの国とかどういう人たちの反応が一番面白かったり意外だったりするか。意外とみんな同じですね。意外とみんな同じです。同じ世代っていうんですかね、20代、30代、40代だったりとかすると、ゲームだったり、その親世代だとアニメだったりするじゃないですか。だから日本だけかなと思ったら、実際に向こうで色々やってみると本当に同じ反応ですね。むしろそれは本当に改めて、なんだろう、僕というよりは今の時代のいろんな世界が広がっていくんだなっていう、グローバルな感じ、システムになってるのかなと思うんですよね。
確かに僕は今30代後半なんですが、ゲームとかアニメ的な空間っていうのは、今の30代ぐらいより下は完全にグローバルなものになってますよね、っていうイメージはすごくあります。そうかもしれないね。だから面白かったのが、僕がタツノコの時、キャラクター、色々アニメをやってましたよね。それを知ってるんですよ。例えばイタリアでもやってたんですけど、結構年配の人とかが、見てたとかっていう。へえ。だからそれは逆に、こっちがやってる時はそれどころじゃなかったんですけども、その作品とかフィルムというか、それが海外、特にヨーロッパの方に行ってて。
イタリアでなんか1978年かな、なんかにアニメが入ったんですって。その時に永井豪さんのグレンダイザーとかなんですけども、タツノコの作品が渡って行ったんですよ。それで結構みんな知ってて、キャシャーンとかガッチャマンとか、ハクション大魔王もしてました。ハクション大魔王も輸出されてるんですか。そうそうそう、そうだったらしい。だからそれは結構、イタリアしかわからないですけどね、イタリアの人たちは1978年にそういったアニメがまとまって入ってきたんですって。その頃子供だったりとか若者だったりしたのがアニメを見てた。それが今大人になってね、っていう、そういう親世代ですよね。で、子供世代はゲームなんですよ。そうですね。ファイナルファンタジーとかを知ってるわけですよね。だからその辺はなんか面白いなと。
でもこのアニメ・漫画からゲームに至る流れを日本が作り出せたのって、なんでだと思われますか。こんな端っこの変わった国の、しかも子供やオタクの極端な文化、極端なサブカルチャーじゃないですか。それがなんかここまで世界中に浸透するっていうのは結構奇跡的で驚くべきことだなと思うんです。でも元々コンピューターはアメリカなのかなと思うんですけど。歴史的に考えると、コンピューターゲームの始まりはそうですよね。ただそのゲーム空間を通じた物語とか、キャラクターみたいなもので言うと、やっぱり本当の震源地は日本なのかなっていう気もしますよね。そこから広げたというか。
でも日本ってなんだろう、わかんないですけど、アジアの本当の端、極東というかじゃないですか。シルクロードなんかをみんな通って、結局日本に来て、そこで溜まってるじゃないですか。中国とかって、韓国はまだ色々あるんでしょうけど、なんかそういう文化が覆されたりとかして。でも日本って残ってるじゃないですか、奈良とか今にね。だからあとゲームとか、アメリカから来てるから、こっち側じゃなくて太平洋から来たんですよね。そうすると日本が一番近いかもしれない、入口かもしれない。なるほどね。そういうのがあるのかもしれない。
どうなんですかね。しかもヨーロッパ側に大人たちの歴史の長い伝統とか権威の壁があるとすると、むしろ日本の側は子供の文化みたいなものを簡単に受け入れやすい土壌があったのかもしれないですよね。どうなんでしょうね、あんまり考えたことはなかったけど、自分が興味を持ってやり始めたっていうのは、やっぱりアニメだったり、あとゲームだったり。伝統的な日本のものってありますよね、そういったものはあんまり、なんだろうな、当たり前なんであんまり興味が出てこなかったんですね。ファンタジーって言うと、なんか海外のものにインスパイアされちゃうんですね。日本のものってお祭りとかお正月とかって、もう当たり前だからそんなに不思議じゃないんですよね。だから逆に西洋の方の文化ってなんかね、ファンタジーというか神話的な感じが僕はしたんですよ。だからちょっとそれを絵にしたら面白いのかなみたいな。
そういうちょっと新しくてまだ確立されてない、捉えどころがないものとか、外海の向こうに存在するかもしれない幻想の空間みたいな、ちょっとエキゾチックなものにずっと惹かれてらっしゃったっていうことなんですかね。ですね。あとやっぱりここ本当に2、3年ちょっとやってるというか、その現地に行って体験する。ギリシャも去年ちょっと行って、今年はイタリアに行って、シチリアに行ったりとかして。そうしてやっぱり、分かったつもりになってたんですけど、やっぱりその情報って実は誰かの情報だったり、実際そこに行ったわけじゃないので、なんか実際に行くと面白いですよ。
だから物を作ろうとすると、その場所に行かないと出てこない発想ってあるんです。それは行ってる時はわかんない。帰ってくると、意外とそれが自分の頭のどっかに残ってて、それが絵に出てくるというか、それを絵にしたりとかっていうことを結構楽しんで。それがね、帰ってきて本当に1ヶ月2ヶ月ぐらいで描いたものが、描いたといってもラフみたいな感じなんですけど、濃いんですよ。だんだんだんだんそれが薄まってくんですね。本当に。あ、現地に行って帰ってきた直後が一番重要。そう、結構色々描いたりとかして、このぐらいのスケッチというか、落書きなんですけどね、それを結構見返すと濃いんですよ。
でもギリシャ、イタリアに行かれて、なんか特にこの場所とかこの何かに引っ張られたみたいなものは。メデューサっているじゃないですか。メデューサって怖い題材ですよね。シチリアにこないだ行ったんですけど、そしたら守り神なんですよね、メデューサが。それはびっくりしましたね。シチリアってなんかギリシャだったらしいんですよ。だからいろんな遺跡があるんですね。だからそういった、行くまで分かんなかったんですけども、実際にあるんですよ、本当に。ゼウスの神殿とかね、もう崩れちゃったんですけどもね、そういうとこに行ったら本当にギリシャみたいな感じなんですよ。
そこにはメデューサの顔がいて、メデューサに羽が入ってるってなんだろうと思ったら、分かんないんですけど、多分そのメデューサがペルセウスに首を切られた時に落ちた血から、あれができたじゃないですか。馬ともいいますか、ペガサスが。ペガサスから羽かなとかね。それは調べてないからわかんないんですけど、なんかそういういろんな謎が、なんだろう、発見というかね。それが絵に出てるんですよね。お土産とかみんなあるんですよ。描いてあるんですよ、ワッペンとか、もう本当にバッジとかね、Tシャツとかもあったりとか。だからそういう違う文化の、行かないとわかんなかったみたいな。
シチリアはあれですもんね、いくつかの全然違う文化がちょうどぶつかってるところですもんね。それによってメデューサみたいなギリシャ発のキャラクターの意味とか形自体が、別のものに変化しつつあるってことなんですかね。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。ぜひ皆さんカンパをよろしくお願いします。
すごい、これがもうね。うわあ、色々いっぱい、作品だらけ。強盗は入らないでくださいよ。一応空気清浄機で温度も調整されて。ちょっとこれ全部で何作品ぐらいここに所蔵されてますか。万ですよね、多分。
これはね、昔の。おお、あゆちゃん。すごい。あゆちゃん、これはいいですね。あれは栗本さんのグイン・サーガ。この辺が、ジャケット用に描いて。筋肉が。グイン・サーガって一体何冊ぐらいになったんですか。あれはなんか世界最長のなんとか小説みたいな感じですよね。ですよね。
これがね、グイン・サーガをやった最初の表紙の絵です。おお。これも僕が最初にやった時の。こういう風に、本だとこのぐらいですけど、これがその表紙なんですね。そう、その前は加藤さんだったんです。僕がやった時の最初に描いた絵ですね、表紙の絵として描いた。黒目の大きさが絶妙に。なんかこういうイメージがあったんですよ。モノクロはもういくらでも毎回描いてましたからね。
紙って保存してて、この状態で大丈夫なもんですか。大丈夫、この中に入れとけば大丈夫だと思います。これもグイン・サーガの表紙の。これはナリスを描いた。これも実際はこんなもんですけど、僕はちょっと大きく。ああ、これも。この後ろ側がここでなんかちょっと細くなったりしてる、この後ろ側にあるのは三日月的なイメージなんですか。そうですね、デザイン的に三日月のイメージでやったのかなと思うんですけど。満月じゃないなって。でもその曲線がここでギュっと細くなったり、この髪が直線になっていたり、不思議ですよ。どうなんですか。
なんかこのナリスのイメージで。表紙は比較的自由に描けるんだけど、中の絵は場面を描かなきゃいけない、説明しないといけないですね。だからそれはモノクロであるんです。表紙はもうその作品が与えられて、それに対して比較的自由に描かれた。そうですね、表紙として目立つようにって言うんですかね、小説のテーマをちょっと自分なりに描くっていうんですかね。それは自由ですよね。これはモノクロですか。これも表紙です。こんな感じで。
これがDですね。ああ、パヤ反対。これもDのイメージです。この帽子欲しいですね。これもいいですね。これはなんか謎の。大体Dは、あの方はDを表紙としては描いてるんですね。これもそうですね。
思ったのは、紙の原画をガラスもプラスチックもなしで直接見ることってあんまりないじゃないですか。そうですね。普通の観客はないですよ。確かにそれはそうですよね。これを見るたびにやっぱり全然違うなと思って。透明の何かが光を反射することで失われてる質感ってすごいあるなって、いつも。どうなんだろう。自分でも結構忘れて、見ないと覚えてない絵があって。
これはどうやって管理されてるんですか。図書館の検索システムみたいに一応作られてらっしゃる。一応作ってはあるんですけど、でも結構出したり入れたりがあるんで。ああ、これそうですね。これも画集には入ってない。入ってる。この時に描いた豪華本の表紙の絵なんです。それもその入ってるやつが、その時に描いてる。これはもう本当に小説の中身に関係なく、表紙として描いたシリーズなんですね。
天野さんの描かれるキャラクターは、目つきの強さと不気味さがすごいです。日本的かもしれないね。海外の人から見ると日本的に見えるみたいです。確かに何がこれを日本的と感じさせるんだろうって。なんだろうね、目とかきっと。髪の毛とか、目の細さと黒目の小ささっていう分かりやすい。そうかもしんないね。西洋人も東洋人っぽいっちゃ東洋人っぽいですね。でもこの不気味さ。指名手配の似顔絵よりも不気味です、これ。人間じゃないですから。人間じゃないからね、これね。
そのニューヨークナイトとかで描いてある巨大な、これはなんか巨大な作品を巻いてあるらしい。そうですね。これは16mです。これを今度、来年、再来年かな、ちょっとアメリカで発表するんですけど。あ、そうなんですね。3m×16mが2枚ですね。だから全部で32m。紙ですか。いや、キャンバス。これはね、ニューヨークに行って描いたんです。あちらで描かれたの。そう、じゃないと意味がないと思って、無謀にも。どこで描くかによって変わってくるんですか。いや、変わってきますよ。これはニューヨークに行ってて思いついた発想なんで、やっぱり日本だと多分描けなかったと思うんですよね。だからそれはそれで、また今行っても描けないと思うしね。
その時のなんか、絵を見れば分かるんですけど、フルーツがいっぱい飛んでるんですよ、夜空というか夜にね。それはデリが手前にいっぱいフルーツを置いてあったんで、野菜とか。それが印象的だったんですよ。確かにアメリカのデリ、ありますよね。あれが最初は驚きで描いたりとかして。今はもう驚きじゃないから題材にならないんですけども、やっぱり最初に見た時にこれは何だと思って。そういうのが作品に出るんですよね。じゃあシチリアのメデューサから、ニューヨークのデリに並ぶ野菜たちまで。そうです、野菜の妖精もそうですから。
人間ってキャラ的なもの、アイコン的なものをずっと作り出してきて、想像しただけの勝手なキャラクターに恐れおののいたり、勝手に制圧したり、存在しないものとひたすらコミュニケーションするための1つのメディアというか足がかりがキャラクターじゃないですか。確かにそうですね。それは現代のゲームや漫画に至るまで一貫してそうなんだと思うんですよね。確かにそうですね。天野さん自身もいわば絵を通じてキャラクターを創造されてきたわけじゃないですか。人の心を掴むキャラクターって一体何者だと思いますか。何が人の感情を掻き立てて、やり取りしたいと思うキャラになるための条件なんだろうっていう無茶ぶりを、ちょっと今日は伺いたいな。
いやいやいや、僕の場合はキャラクターがあってそれを演示するっていう、そういうことをやってますから。まあ、勝手に自分でキャラクターを作って名前をつけたりすることもあるんですけど。だからどうなんだろうな。形として考えると、シルエットかなと思うんですね。シルエットっていうのはもう分かるじゃないですか、分かりやすいじゃないですか。例えばキリンは首が長いし、ライオンはたてがみがあったりして、カバはこうなったりとか、サイはこうとか。その小さくした時に分かるかどうかとかって、キャラ的に考えるとね、役割は別にしてもね。そうするとゲームのキャラクターも、ぎゅってシルエットになった時にどうかみたいな。それはなんとなく、考えたことはないけど、結果的にそれが特徴になったり、魅力かどうか分からないんですけども、それが一番他のものとの見分けがつくというか。
でも確かにシルエットって、それがあるから他のものと分類できる、パターン認識できるっていう部分もあるじゃないですか。さらに言うと、そのシルエットの形に性格とかが出ると思います。キャラを表してますよね。絶対あると思う。考えたことはないけど、多分あると思います。形と存在というんですかね。じゃあゲームのキャラクターを例えば描かれる時も、シルエットっていうのは意識されてらっしゃるんですか。あんまり意識してなかったんですけども、結果として考えると、例えば最初にやったファイナルファンタジーのキャラクターってのはドットじゃないですか。そうです。そうするとどんなにリアルに描いてもこうなるから、ドットに落とした時に分からないといけない。ああ、なるほど。それは今はもうリアルですから、ないと思うんですけど、それはなんとなくあるのかな。
デジタルの初期は全てが荒いピクセルだったので。そうそうそう、そうです。いわば荒いシルエットでも伝わるような情報を自然に開発してたんでしょうね。だから初期の例えば顔文字とか。そうそう。あとAppleのアイコンとかもそうですよね。分かりやすいですけどね。そう、あれは最初にAppleのMacを作った時のデザイン担当のスーザンなんちゃらっていう方がいて、彼女が例えばリンゴマークもそうですし、ゴミ箱マークもそうですし、それからAppleのコンピューターのくるくる回る7色のやつがあるじゃないですか、あれとかも全部最初にデザインしてるんですよ。そうなんですね。そのデザインっていうのが、当時まだグラフィカルなコンピューターがなかったので、方眼紙にピクセルだけでデザインしてたらしいですよね。だからそれはなんかまさにシルエットを使った、シルエットそのもののデザインだなと。へえ。分かりやすいですもんね。
でも確かに、キャラクターで誰もが知ってるものってシルエットで描けますよね。一番分かりやすいのはミッキーマウス。ミッキーマウスもそうですよね。あとこないだたまたま僕、キティちゃんの展示に行ったんです。そうそうそう。キティちゃんほど単純な、子供でも描けるシルエットで成立してるキャラってあんまりいないなと思って。そうですね、そっかそっか。しかも意外にくっきり単純な3本の髭とかが生えてて、それが大事だったりするのは、シルエットの力そのものだなっていう感じはちょっとしましたね。
天野さんが描かれてきたキャラクターは、要はその見るからに単純でシルエット的に理解しやすいものと、そうでない、キャラクターと機械みたいなのが一体になっているものと、どちらもいらっしゃるような印象が。それは要求されること、される目的があるんでね、それに沿って結果的にやってるんですけど。だからリアルなものはリアルになるし、より単純なメルヘン的なものはなんかシンプルなあれで。それは相手によってかな。僕の場合、キャラクターを作る方から来てたんで、そうすると、まずキャラクターありで、なんていうんだろう、そっちの方がまず来て、そこから世界観が広がるっていうんですかね。
仕事としては世界観があるだけで作るんですけども、自分でなんか絵を描いたりとかしてキャラクターを作った時は、そこから広がって、じゃあこの相手は誰にしようとか、友達はどうしようかとか、じゃあ敵はどうしようかって考えると、1つのキャラクターから物語が出てくる、膨らんでくるっていうんですかね。で、あんまり広がっちゃうと、それはもうストーリーテラーじゃないんで、そういうライターの人にそういった世界から作ってもらったりとかするんですけども。なんか小さいものから広がっていくみたいな、その過程がオリジナルの場合は楽しいんです。
それもあって、いわばオリジナルな作品の比重を増やしていらっしゃったっていうことなんですか。ということですね。来る仕事ってやっぱり、これはこの人に描かせりゃいいだろう、やってくれるだろうっていうものが多いじゃないですか。もう今までの経験値でそういったものを依頼するじゃないですか。そうですね。でもそれだけだとなんか当たり前になっちゃうっていうか、繰り返しになっちゃうんで、自分で何かやりたいなと思うと、やっぱり自分で作るしかないんですよね。
でも本当にすごい量の作品を作られてらっしゃるじゃないですか。体力とか健康は重要ですか。重要ですね。重要ですよね。なんか漫画家の方とか小説家の方とかはもう常に腰痛と腱鞘炎との戦いみたいなのがあるじゃないですか。絵描きの方もそうだろうと。人によっていろんな人がいますけど、僕はおかげ様で腱鞘炎も腰痛もないですね、あんまり。でもいくら健康とはいえ、なんか立ち話をお願いしてしまって申し訳ない。ちょっと歩きながら移動する感じで。あ、そうしましょうか。
ファイナルファンタジーも、最初から16までで考えると、そのゲーム作品としての絵の解像度みたいなものが全く別世界になってますね。ですね。それによって天野さんが描かれるキャラの描写も変わってきたものですか。僕は全く変わってないです。僕自体は、頭の中ではなんかリアルな世界があって空間があって、それを絵にしてるだけですから。それがコンピューターになろうが3Dになろうが、描いた時点で絵が解決してて、それをどう加工するか。野菜を作るようなもんですね。野菜を作って、じゃあそれがどうなるかっていう、そっちの方はあとは時代というか人によってどんどん変わっていくから、僕自身はもうその野菜を作るっていうか、絵を描くことが目的です。
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