石井裕が語る「触れられるコンピューター」と遠さの問題 ClearBoardからラディカル・アトムズ、テレアブセンスまで
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔がホストを務める番組『夜明け前のPLAYERS』に、MITメディアラボの石井裕が出演した。番組はこれまで睡眠やがんの研究者を「本物の学者」として招いてきた。成田は石井をその系列の「ラスボス」と紹介し、この回のテーマを「僕たちが知っているのとは別の形の、ありえたかもしれないコンピューター」に置いた。
対談の中心にあるのは、画面・音声・言語に偏った今のコンピューターは人間の経験のごく一部しか伝えられないのではないか、という問いである。石井は、物理的な実体を持つ情報メディアを発明する立場からこれに答えた。話はやがて成田自身の家族との距離の問題にまで及んだ。
「学者」というラベルへの異議
冒頭で成田が「ガチ学者」と紹介すると、石井はすぐにそのラベルに異を唱えた。学者という呼び方は狭い。自分たちはアート、デザイン、フィロソフィー、HCIを横断しながら大学で生き延びなければならない立場で、いくつもの顔といくつもの帽子を持っている。だから境界はかなり緩い、と石井は説明する。
石井によれば、日本では商社の部長、デザイナー、アーティスト、数学者といったラベルで人を決めたがる傾向がある。だがこの番組が面白いのは、そうした境界を軽々と行き来する人を招いているところだ。だから「学者」とは違うラベリングがあるのではないか、と石井は述べた。成田は「早速怒られてしまいました」と応じている。
I/O Brush 世界そのものをインクに変える筆
最初に取り上げられたのは I/O Brush である。石井はルネサンス期の画家の話から始めた。当時の画家は、欲しい色を自分で作った。紫が欲しければ海岸で紫の貝殻を集めて砕き、野山で草花を集めた。材料を根源から自分で作るので、そこにさまざまな意味が込められた。
I/O Brush はこの実践を現代に持ち込む試みだと石井は説明する。筆先にカメラとLEDライトがあり、筆を押しつけた圧力でスイッチが入って映像を取り込む。瞬きや動き、身の回りの大切なもの、八百屋で買った果物などを、食べる代わりに新しいパレットとして使う。石井は自分の丸と四角の変わった眼鏡を例に出した。その眼鏡を通すと世界が変に見えるように、この筆を通すとあらゆるものがインクに見えてくる。そこから何を創ろうかとワクワクする気持ちが生まれる、というのが狙いである。
実演映像では、女性の瞬きがそのままアニメーションとしてインクに入っていた。成田は「インクに時間軸が入る」点に驚いた。石井は、デジタルだから解像度が高いということではなく、プロセスを取り込めることが重要だと答えた。インクの出どころも示せる。たとえばトマトなら、それを苦労して育てた農家がいて、食べられた後もどこかへ流れていく。そうした上流から下流までを含めて、色素がどこから来てどこへ行くのかを考えてほしかったという。成田が世界と相互作用するプロセス自体を装置が生み出していると指摘すると、石井は「ちょっとポケモンGO的」だと認めた。今朝咲いた朝顔、家庭菜園のプチトマトの色を取り、それで絵を描く。現実世界のピクセルを自分の創造のインクにできることが大事なポイントだという。
この作品は、石井の研究室で龍海君子(Kimiko Ryokai)が開発した。龍海はもともと心理学の出身で、その後バークレーでフルプロフェッサーになった。石井はここで、新しいアイデアやものを生み出し、それで人をインスパイアしなければアートではない、と述べている。
石井が「一番大事」として紹介したのは、発表時の反応である。学術発表では通常、ユーザーテストをしたか、統計的に有意なデータがあるかを問われる。そういうデータがないと論文は通らない。ところが彼女が発表したとき最初に来た質問は「どこで買えますか。子供のクリスマスプレゼントにしたい」だった。石井はこれを「完璧に勝った瞬間」と呼ぶ。相手の心をつかみ、お金を払ってでも欲しいと言わせることは論文や学問を超えている。自分たちはそのレベルを目指している、と石井は語った。製品化について問われると、I/O Brush は多くの会社がコピーし、デザイナーにも影響を与えたと答えた。砂や粘土をこねてランドスケープをデザインする SandScape も、あちこちで商品化されているという。
inFORM とラディカル・アトムズ 形と性質を変える物質
石井が「一番インパクトがあった」と挙げたのが inFORM である。これは石井のビジョン「ラディカル・アトムズ」を体現する作品だ。木や土や石のように、私たちが普段使う原子は固定した硬いものである。それが計算によってダイナミックに形を変え、硬さなどの性質も変える。そうなれば物質そのものがディスプレイにも入力装置にもなる、という構想だ。
映像では、ロンドンの人とボストンの人がこのシステムでつながる遠隔の「フィジカル・テレプレゼンス」が示された。石井は Zoom は素晴らしいとしつつ、画面越しでは相手の実体が信じられないと言う。恋人や赤ちゃんなら抱きしめたい、祖父母なら肩をたたきたい。だが画面越しではそうした身体的な社会的インタラクションが一切できず、この距離感は悲しい。距離を超えて物理世界に影響を与えられるかどうか、遠隔の力が一つの応用になる。
石井が強調したのは、テーブル下から突き出る白いピンの群れである。これがラディカル・アトムズという新しいマテリアルの具体例だという。物質が形や性質を変え、さらに反重力で空中に浮遊するシステムも作った。そうなればとんでもない新しいデザインの可能性が開ける、と石井は述べる。したがって自分たちの研究は、何かを理解するサイエンスというより、新しい表現とコミュニケーションのメディアを発明する「インベンション」であり、人々の想像力を刺激するものだという。
素材を問われると、プラスチックやモーター、ギアなど、身の回りの電子・機械部品を組み合わせたものだと石井は答えた。ただし大事なのは何でできているかではない。どういう視点から作り上げたか、何のためにやっているか、どういう人をインスパイアできるか。それを明確に言えるかどうかが分かれ目だと石井は述べた。
なぜコンピューターは視覚・聴覚・言語ばかりが得意なのか
成田は、Zoom で伝わるのはピクセル、音声、言語だけで、それ以外は極端に伝わりにくい理由を尋ねた。石井はまず、同じ物理空間にいることの意味を説明した。30センチの距離で座れば、そこにはさまざまな可能性がある。極端に言えば、自分がクレイジーならこのペンで刺すかもしれない。同じ空間を占めることで、とんでもなくロマンチックなことも、いけないことも起こりうる。その緊張感とドキドキが人間の関係の一部になっている。画面越しにはそれが一切なく、ガラスで密閉されている。その安全感が悲しい、と石井は言う。成田はこれを「金魚鉢」「水族館」にたとえた。
なぜコンピューターがそうした貧しい情報ばかり得意なのか。石井の答えは「作った連中がタコだから」というものだった。テキストや音声を分けて「マルチメディア」と呼んできたが、実際の人間はそう処理していない。フレームの青が素敵だ、目が一瞬光った、足の指が10本ある、といった知覚はピクセル情報ではなく、マルチモーダルに融合して処理されている。個々のメディアを意識して分けて処理しているわけではない。同じ空間で誰かがたばこを吸えば大問題になるように、画面越しに伝わらないものは無数にある。コンピューターが得意なのは、ASCIIコードのような昔ながらの数値データを扱うことにすぎない、と石井は指摘する。これらを融合させるには、入出力のトランスデューサー、センサー、アクチュエーターが革新されなければならない。そのために表現のメディアとしてラディカル・アトムズのようなものを発明したのだという。
成田は視聴者を気遣い、「聞いている方はなんじゃこりゃとなっている可能性がある」と言いつつ、「そういう番組なんですよね」と続けた。
「五感」という区分はすでに死んでいる
成田は、ここで試みられているのは五感や体感の情報化だと捉えてよいかと尋ねた。石井はそれを否定した。五つの独立した感覚があり、その組み合わせで経験ができるというデカルト的でボトムアップな発想は、ある意味もう死んでいるという。人はすべてが融合した状態で体験し、ドキドキしたりワクワクしたりしている。
成田が、五感という区分ですら大半の感覚がこぼれ落ちているのではないかと重ねると、石井は内臓感覚など取りこぼされているものは多いと認めた。そのうえで、デザイナーやアーティストとして表現を考えるときに要素へ分解しても仕方がない、と述べた。例に挙げたのは図書館である。図書館では分類法によって生物学、化学、数学がばらばらに並ぶ。しかし自分たちの仕事はどの本棚にも収まらないクロスオーバーだ。ハイパーリンクのような優れたデータ構造があるのに、人は情報を古いツリー構造に押し込めてしまう。五感という区分も、学者やアーティストというラベルも同じで、ラベルを貼ると人は安心してしまう。だから使わない方がいい、と石井は述べた。
スターゲイザーと孤独、そして本当のオリジナリティ
成田は、ラベルや分類がないと理解した気になれない人が多い世の中で、石井の仕事は「永遠のカウンターカルチャー」のようだと述べた。石井は、科学者か、アーティストか、デザイナーかと聞かれると「スターゲイザー」と答えているという。星を見ながら空想する人のことだ。昔の人は肉眼で星を見ていた。やがて街の光がまぶしくなって天文台を作ったが、それでも空気は汚れている。一番すごいのはハッブル宇宙望遠鏡で、自分の目を頭から外して宇宙に投げ、まったく違う視点からものを見る。石井は「そういう人に僕はなりたい」と語り、宮沢賢治的だと付け加えた。
理解されないことがつらくないかと問われると、石井は「孤独って美しい」と答えた。みんなが理解したらもう終わっている。MITの世界は世界で初めてのことをやる場所だが、本当のオリジナリティには二つの可能性がある。誰も理解できず、論文も通らず、研究資金もつかない状態で、それが本当の天才なのか、単なるゴミなのか分からない。後者の可能性もあるから怖い、と石井は率直に述べた。それでも理解されること、受けることを目的にすると本当のパイオニアとしての研究はできない。生き延びたいだけなら被引用数やh-indexを計算しながら「固定資産税みたいな感じで」論文を書けばいい。だがそういうことではないから、自分は学者だと思わない、というのが石井の立場である。
ダグラス・エンゲルバートという「神」
孤独の理想に最も近づいた仕事はどれかと問われ、石井は「まだまだ」と答えた。そのうえで、自分の「神」としてダグラス・エンゲルバートの名を挙げた。1960年代、メインフレームがミサイルの軌道計算くらいにしか使われていなかった時代に、エンゲルバートは20代で、コンピューターとネットワークが人々の知を集め、地球温暖化のような問題を解くためのメディアになると言った。当時は誰も理解できなかった。しかし今ではウィキペディアのように、荒らしが起きても市民がきれいにしていく仕組みが実際に機能している。石井は、ウィキペディアが始まったとき自分もうまくいくとは思わなかったと振り返り、それを彼が証明したと述べた。自分はその「ブッダの手の上で踊っている子供」のようなものだという。
一方で石井は、エンゲルバートの晩年が孤独だったことにも触れた。彼はヒューマン・オーグメンテーション(人間の能力拡張)のビジョンを打ち出したが、当時SRIではシンボリックAIが盛り上がり、予算も人もAIへ流れ、人材はゼロックスPARCなどへ移っていった。石井は、孤独は本当につらかっただろうとしつつ、早すぎた天才のその境地は学者にとって「エクスタシー」だろうとも語った。
リブートとしての MIT 移籍
成田は、すでに成功したものを持つほど、その成功の再生産で生きていけてしまうのではないかと問うた。石井は全くその通りだと認め、自身の転機を語った。1994年、アラン・ケイに呼ばれてアトランタの会議に出席した。そこでボードメンバーのニコラス・ネグロポンテとアラン・ケイが休み時間にやってきて、MITに来いと言った。石井は10分考えて承諾したという。本人も「とんでもない無謀な判断」と振り返る。
そのとき言われたのは、今までやったことは一切続けるな、まったく新しいことをやれ、人生は短い、自分でリブートするなんてこんな贅沢はない、という言葉だった。石井はこれを「最悪なアドバイス」と呼ぶ。分野を変えれば論文の蓄積もないからだ。それでも感銘を受け、それまでの ClearBoard を置いて新しい研究を始めた。あのときの強烈な一蹴りがなければ今の高さまで来られなかった、と石井は言う。死ぬまでに何回リブートし、次の山を作れるか。一つの山ではなく連なった山、未踏峰の連山を作ることが究極だ、と石井は語った。
ClearBoard 30年前の「Zoom の未来」
話は ClearBoard に戻った。これは石井がMITに移る前、NTTで小林と共同で発明したシステムである。建築家が使う製図台のようなものが透明になっていて、向こう側の相手が見え、一緒に絵を描ける。ポイントは、相手がどこを見ているかという視線(ゲイズ)が正確に分かることだという。
最初のモックアップはただのアクリル板だった。それ越しに見れば視線が分かるのは当然だが、左右が反転してしまう。これはビデオでミラー反転すれば簡単に解決できる。その後、離れた場所にいる二人をつなぐビデオベースのリモート版が作られた。お互いが見え、アイコンタクトも取れる。ただし「I love NY」のようなTシャツを着ていると文字が反転しているのが分かってしまう。石井は、ほとんどの人の顔や眼鏡は左右対称なので気づかないが、自分のような変な眼鏡の人は例外で、問題はあるがマイナーだと笑った。さらにコンピューターを使った版では、巨大なiPadのような画面にドローイングや文書を持ち込み、二人で注釈を書きながら話せる。その場合でも相手がどこを見ているかが分かる。発明は1990年ごろ、発表は1992年で、今も毎年「どこで買えますか」という問い合わせが来るという。
30年後から見て何が足りなかったかと成田が尋ねると、石井は「世の中が理解できなかった」と答えた。最近これを「Zoom の未来」としてツイートしたところ当然だという反応があった。ならば30年間なぜ眠っていたのか、と石井は言う。良いこともあった。特許が切れたので、今は誰でも作れる。
これ以上改良しないことに不満はないかと問われると、石井は「寸止め」という言葉を使った。殴ってはいけない。寸止めでやられたと思わせ、そこで次へ行く。アイデアはいくらでもあるので、いつまでも改良して多機能化することにあまり意味はない。どのビジョンが一番骨太で、長期的にボディブローのように効くかが大事だという。ClearBoard がまだ世の中に伝わっていないのは、みんな Zoom で満足しているからだ。しかし Zoom は、トーキングヘッドと共有スクリーンという80年代の発想と同じパラダイムにとどまっている。ClearBoard は未来に早送りされたものだった。石井はそれを「yesterday's tomorrow」と呼び、その悲しさが美しいと述べた。この系譜は inFORM による遠隔の触覚的なテレプレゼンスにもつながっており、石井はその先の「人生最後の山」として、テレアブセンスに取り組んでいると明かした。
形を変えるテレプレゼンスは誰が最初に使うのか
こうしたテレプレゼンスが生活に浸透する時期を問われると、石井は「僕が死んだ後」と答えた。ただし面白いことができると分かれば、リソースがある者なら誰でも作れる。石井によれば、最も関心を示しているのはコマンド&コントロール、国土安全保障、陸軍や海軍といった分野だという。戦車がここにいて、飛行機が飛んでくる。そうした状況は今はVRなどで扱われているが、触れられる形になれば、どの山頂からなら狙撃できるかを身体的に確かめられる。莫大な費用がかかるが、安全保障の部門にはリソースがあるので、近いうちに実用化するだろうと石井は見ている。それより早いのは『ブラックパンサー』のような映画の表現だろうとも述べた。
成田は、格闘ゲームや戦闘ゲームは物理性がないことが強みでもあり弱みでもあると指摘した。自分は傷つかず痛みもないから24時間殴り合いを続けられ、それが中毒性を生んでいる、と。石井は、自分はバトルが大嫌いで戦争には耐えられないと応じた。もっと平和で創造的なものを作れたら面白い、たとえば建築やアーバンプランニング、ランドスケープデザインでできることがたくさんあるだろう、と語った。
成田の「遠隔家族」と、非対称な距離
成田が、家族やカップルの生活こそ平和な応用先ではないかと言うと、話は成田の私生活に向かった。成田はコロナ以前からアメリカにいて、家族は日本にいる状態がずっと続いている。表面的には望ましくない気がする、一緒にいた方がいい気がする、という問いを自分に投げかけ続けているという。
石井は、同じご飯を食べておいしいと言い、同じ花を見て、同じ空気を吸うことはとても大事だと述べた。そして、愛が終わればビデオ会議でも写真でも構わないが、愛があれば普通は一緒にいたいと思うだろう、と問い返した。成田は、そこが自分の場合は曖昧だと答えた。常に一緒にいる家族や夫婦には無理があるのではないか、近づきすぎて壊れる関係も多い、プレゼンスとアブセンスを適度に混ぜるのが良いのではないか、というのが成田の考えである。ただし科学的根拠はないとも付け加えている。
これに対して石井は、成田の見方の欠落を指摘した。物理空間で並んで座る二人の間の距離は一つしかない。しかし遠隔の場合、成田から見た距離と相手から見た距離はまったく違う。愛が冷めれば無限にもなる。成田の話は自分から見た距離だけを語るエゴセントリックなもので、相手から見て遠のいてほしいのか近づいてほしいのかが「方程式に入っていない」。それはバグではないか、と石井は言う。うざい、寂しい、お腹が空いた、寒いといった状態は、距離があるとインピーダンスのミスマッチだらけになる。それをどう調整するかというメタなアルゴリズムがなければ、適切な距離はデザインできない。
成田がそのアルゴリズムをタンジブルメディアが提供できるのではないかと水を向けると、石井はそれを否定した。タンジブルメディアは単にそれを伝える表現の手段にすぎない。お互いの距離を測りながら少し後ずさったり近づいたりするのは、人間が持つ最も難しい社会的・感情的知性であり、単純なメディアでできるものではない、というのが石井の見解である。
成田はさらに、空間をデータ化・物質化すれば、自分から見た相手までの距離と相手から見た自分までの距離が異なる世界がありうるのではないかと問うた。石井は、VRならいくらでもフェイクで違う距離感を出せるが、物理空間には一つの距離しかない、と答えた。例に挙げたのはパーティーの光景である。背の高いアメリカ人男性と小柄なアジア人女性が話していると、二人はいつも動き続けている。心地よい対人距離が文化的に違い、それを揃えられないからだという。石井はこの溝をどう超えるかが大事な問題だとしたうえで、経済学にはマルチエージェント間で異なる利害を調整するゲーム理論のようなものがあるのではないかと尋ねた。成田はそれがあることを認めつつ、モデル化し数式にすれば論文は書けるが、体感や気遣いのようなものがすべて抜け落ちてしまう、だから家族の問題を根本的に扱うのは難しいと答えた。
テレアブセンス いなくなった人と弾くピアノ
番組の最後に示されたのが、石井が「人生最後の山」と呼ぶテレアブセンスの一例である。映像では、女性がピアノを弾く横で、誰も触れていない鍵盤が動き、指の動きが表現されていた。これは、彼女がかつて弾いた演奏の記録がピアノの中に「住んでいて」、それと共演しているものだと石井は説明する。その人はもういないのかもしれない。それでも今目の前にいて一緒に弾いていると感じられる。そうしたコミュニケーションが、石井たちの目指すテレアブセンスの一つの形だという。
遠くにいる人と触れ合うためのテレプレゼンスから、不在そのものを扱うテレアブセンスへ。石井の関心は、成田が語った家族との距離の問題とも重なる場所に向かっている。ただしその距離の調整は単純なメディアではできないと、石井自身が述べている。石井は対談を振り返り、「見ている方の99.99%には意味不明な会話だったのではないか」と詫びている。
見てらっしゃる方の99.99%には意味不明な会話だったんではないかと思うので、すいませんでした。
Zoomはつまらないというか、タンジビリティがなくてつまらないというか、ある種悲しい距離がある。常にディスタンス。もし僕がクレイジーであれば、ペンで突き刺すかもしれないわけです。この緊張感ですね。同じフィジカルな空間を占めてることによるこの距離が可能にしてしまう。それが全くないガラスで仕切られてるから、この安全感が悲しいですね。そういうことです。多分聞いてる方は「なんじゃこりゃ」ってなってる可能性がありますね。でもそういう番組なんですよね、基本的には。
はい、テレビをご覧の皆さん、こんばんは。テレビをつけると、今日も何々学者と称する人々が色々なところで現れてまいります。しかしこの番組をご覧の皆さんはもうお気づきかもしれません。テレビに出ている学者、研究者と称する人はやばい人が多いということです。特に気をつけなくちゃいけないのは、社会学者、脳科学者、国際政治学者と称する皆さんです。基本ダメです。空っぽ、何もない。
そんな跋扈する偽学者たちと対抗すべくですね、この番組では本物のガチ学者の皆さんもお招きしようという趣旨で、これまで何人かの研究者の方をお招きしてまいりました。睡眠に関する研究者とか、癌に関する研究者をお招きしてまいりました。今日はいよいよその系列のラスボス的な方にお越しいただきました。
今日のテーマはコンピューター。それも僕たちが知ってるコンピューターではない、あり得たかもしれない別の形のコンピューター。コンピューターの未来の形を探求してこられた研究者の方です。マサチューセッツ工科大学MITの石井先生です。石井先生、よろしくお願いします。よろしくお願いします。どうもありがとうございます。よろしくお願いします。いや、緊張をしております。
今日は早速、石井先生がこれまでやられてきた研究について話すところから始めたいんですが。
そうですね。でも多分、学者でしたよね。学者ってすごく、なんて言いますか、狭いラベルですよね。僕とか、例えば昨日一緒に美術館にもいた落合陽一君とか、いくつも顔を持って、いくつも帽子を持ってて、どちらかっていうと僕らやっぱりそのアート、デザイン、フィロソフィー、そしてHCIという分野もやる。大学で生き延びなきゃいけないので。だからあんまり学者って感じじゃないのでですね。そういう意味でかなり緩いバウンダリーなんで。学者兼アーティスト兼フィロソファー。多分日本の方はラベリングがお好きですね。なんだか商事会社の部長とか、あるいはデザイナー、アーティスト、数学者っていうふうに決めたがる。でも多分この番組で面白いのは、そういうバウンダリーが全くなくて、楽々と越境する、行ったり来たりする人なので。多分学者って誤解してましたね、さっきね。だから多分学者じゃない、違ったラベリングがあるのかなって気がしました。
はい、早速怒られてしまいました。いや、とんでもない、尊敬してます。いやでも、そんなバウンダリーを引きようがないお仕事をいくつかこれまで拝見してきて、特にこれまで衝撃を受けたのが、例えばI/O Brush。ああ、そうですね。ちょっとあれを見るところからスタートしてみてもよろしいでしょうか。いいですね。
多分I/O Brushはとても分かりやすいです。ルネサンス時代のアーティストは、自分たちで好きな色、欲しい色を自分たちで作りました。ピグメント。例えば紫が欲しいとなれば、海岸に行って紫の貝殻を集め、砕き、あるいは山や畑に行ってそういう草を集める、花を集める。そういうところから根源的に自分の材料を自分で作る。そこにいろんな意味が込められる。
今ここで集めてるのは、作ってるのは新しいインクなわけです。そのインクを、今ある世界、我々が見てる世界から、その瞬きであるとか、あるいは自分たちが大事にしているものたち、あるいは果物、八百屋さんで買いますよね。それを単に食べるんじゃなくて、それを新しいパレット、World is Paletteという新しい見方。今、変なメガネしてますね、四角と丸の。そのメガネを通して見ると世界が変に見えますね。同じようにI/O Brushという経験を通して、眼鏡を通るとあらゆるものがインクに見えてくる。それを使ってどんな創造をしようかっていう気持ちがワクワクしてくる。そういう意図です。
世界をそのままインクに変換できる装置ということですか。というか、見た世界の中の美しい色とか動き、それを自分のインクとして新しい創造活動をする。ですから、ルネサンス期にピグメント、インクを自分たちで作ったプラクティスを現代に持ってこようってのがこのI/O Brushです。今彼女がピクピク、瞬きしましたけども、それも全部アニメーションとして入る。しかもインクに時間軸が入るのがすごい。もちろんそうです。ですから、それがどこから来たかっていうそのオリジンも示すことができる。
ということで、従来のペインティングとは違って、ただデジタルを使ったから解像度が高いとかそんなんじゃなくて、プロセスをキャプチャーできる。例えばトマトだとか、そのトマトを作った農家の方がいて、一生懸命苦労して作ってる。あれは食べたらまたどっか行くわけですよね。そういったアップストリーム、ダウンストリームまで含めて、そのピグメントがどっからどこに流れてくか、そういうことを考えてもらいたいということでやりました。そういう新しい変なメガネを作ってます。
これ、この筆の先にカメラがついてるんですよね。そうです。技術的にはカメラがあって、LEDのライトがあって、プッシュすると圧力でターンオンして、そのビデオを撮りまくる。まさにコンピューターを使った価値がある。
これはインベント、リョウカイ・キミコ、プロフェッサーのリョウカイ・キミコは、あっという間にIDにリクルートされ、その後バークレーで今フルプロフェッサーをやってます。元々彼女はサイコロジーをやってる人だったんですけども。新しいものを生み出す、アイデアでもものでも、それを使って人をインスパイアする。そこがないと基本的にアートじゃないわけです。そういう意味で僕らはアーティストです。なるほど、学者ではありません。ありがとうございます。
しかもなんか、この装置の中に、このインクを取りに行くプロセス自体、世界とこう相互作用するプロセス自体がこの装置によって作り出されるみたいな部分があるじゃないですか。そうですね、ちょっとポケモンGO的ですね。実際に街に出て色んなものを見ながらハントするのと同じように、自分の周りの、例えば庭に今日朝顔が咲いた、その花を取ってみる。あるいは家庭菜園で育ってたトマト、プチトマトの色を取る。それを食べるのと同じように、それを使って絵を描く。だからトマトの思い出とか、海の思い出とか、そういう意味で現実世界のピクセルを実際の自分の創造のインクにできる。そこが大事なポイントです。
でも1番大事なのはですね、学問としてこういうのを発表しますね。そうするとどういう質問が来るかっていうと、「ちゃんとユーザーテストしたんですか」「スタティスティカリーにシグニフィカントなデータはありますか」って聞くわけです。よくご存じですよね。で、論文が通らないです、それがないとね。税金ですから。でも彼女が発表した時、最初に来た質問は「ユーザースタディーしましたか」じゃなくて、「どこで買えますか。私の子供にクリスマスにあげたい」。だから完璧に勝ったその瞬間で。相手の心を掴んで、それ欲しいと言わせる、金払ってもというのは、論文とかを超えてるわけです。そのレベルを我々は目指してます。
これに近いものって製品として世の中には出回ってるんですか。はい、これはいろんな会社がコピーしたりとか、デザイナーにもいっぱいインフルエンスを与えてますけども、他にもSandScapeっていう、砂あるいは粘土をこねてランドスケープデザインするようなシステムも結構あちこちで商品化されております。
これウーロン茶ですか。ウーロン茶です。ウイスキーの方がよろしかったですか。白州だったら。白州か余市だったら。いや、この前に余市と白州がないかここら辺の酒屋を走り回ったら全部売り切れてて、本当にマジで大変なことになってますね。それ僕のために? はい。偉いじゃん。愛を感じます。それで今日遅刻したという言い訳。むちゃくちゃですね。
いやでも多分1番インパクトがあったって意味では、inFORMっていう作品がありますんで、もしinFORMをプレイできれば。これがinFORM。そうですね、これがinFORMで、基本的に我々がやってるRadical Atomsっていうビジョンです。Radical Atomsってのは、不安定でダイナミックに変動するアトム、原子です。原子っていうのは、木とか土とか石とか、我々が普段使っている固定した硬いもんです。それがダイナミックにコンピュテーショナルに形を変え、なおかつ性質を変えられる。スティフネスとか…
コンピュテーショナルなディスプレイになり、入力になる。今、実際に遠くにいる人とのテレプレゼンスで、フィジカルテレプレゼンスと呼んでますけども、成田さんがロンドンにいて僕がボストンにいる。お互いに基本的にスクリーンがあるわけです。だからZoomって素晴らしいんですけども、I see you. I can see you. You are…あんたどこにいるの。実体が信じられない。なぜかというと実体がないから。僕ら触れる理由ないですけども、恋人とか赤ちゃんだったら抱きしめたいですよね。あるいは励ましたい。おじいさん、おばあさんだったら肩を叩きたいですね。そのフィジカルなソーシャルインタラクションは全くできない。この距離感ってのはなかなか悲しいですよね。
ということで、いかにその距離を超えてフィジカルな世界に影響を与えられるか、遠隔力という1つのアプリケーションです。大事なのは、この下にあるこの白いピンですね。これがまさにRadical Atomsっていう新しいマテリアルで、もしマテリアルがダイナミックに形や性質を変えられる、さらにアンチグラビティ、空中に浮遊する、そういうシステムを作りましたけど、そうするととんでもない新しいデザインの可能性が広がる。だから学問というよりは、何かを理解するサイエンスというよりはインベンションですね。全く新しい表現、コミュニケーションのメディアをインベントして、人々のイマジネーションを力いっぱい刺激する。そういう研究をやってます。
これ何でできてるんですか。プラスチック。プラスチックと、モーターと。基本的にそこら辺にあるギアーズです。いろんなエレクトロニクス、メカニカルなものを組み合わせてます。でも大事なのはビジョンです。すなわち何を使ってできてるかじゃなくて、どういう視点からこれを作り上げたか、何のためにやってるか、それによってどういう人をインスパイアできるか、そこを明確に言えるかどうか。それが分かれ目ですね。
それにもう少しつまらない質問をしますと、さっきZoomはつまらないというか、タンジビリティがなくてつまらないというか、ある種悲しい距離がある、常にディスタンスを常に置いてる。すなわち違う空間なわけです。はい。で、あれを通じて伝えられるものって、そのピクセル情報と音声と、それから言語。そうですね。それは伝えやすいのに、それ以外のものはものすごく伝えにくい世界になってるじゃないですか。その通りです。それはなんでだと思われますか。
例えばですね、成田さんがもし誰かと一緒にいたとしますよね。例えば30cmの距離で座ったとしますね、フィジカル空間。そうすると、いろんな可能性がありますよね。その可能性ですね、危険も含めて。すなわち、もし僕がクレイジーであれば、このペンですごいことをするかもしんないし、これで突き刺すかもしれないわけです。この緊張感ですね。同じフィジカルな空間を占めてることによるこの距離が可能にしてしまう、とんでもないロマンチックなこととか、いけないこととか、そういうのがある種人間の緊張感とドキドキになってるわけですよね。それが全くないガラスでシールされてるから、この安全感が悲しいですね。金魚鉢の中にいるみたいな。水族館的で。はい、そういうことです。
でも、その悲しいぐらいに貧しいいくつかの情報だけを伝えることがコンピューターやインターネットが得意なのは何でなんだろうってのがちょっと気になったんですよね。つまり視覚情報、聴覚情報、言語情報、こういうものばっかりが得意じゃないですか。それは作った人間がタコだからと思います。
基本的にテキストとか音声とか色々分けて、マルチメディアって言葉がありましたけど、我々今成田さんと話してて、あ、このフレームの青が素敵だな、目が光ったな、一瞬うつむいたなとか、あと足の指が10本あるなとか、そういう話っていうのは単なるピクセル情報じゃなくて、言語やいろんなものが入ってる。マルチモーダルに処理してる。だから個々のメディアを意識してセパレートして処理してるわけでは全くないわけです。
その中で多分、この中である緊張感があります。同じ空間ですから、例えば誰かタバコ吸えばとんでもない話になるわけですよね。同じようにそういったもので伝わらないものも五万とある。コンピューターがやってるのは、ASCIIコードとかEUCコードとかがとても処理しやすい、昔の数値データ、ASCIIデータ的なものはやってる。ただそれをいかにフュージョンするか。そのためにはI/O、トランスデューサー、センサー、それからアクチュエーター、それが革新されなきゃいけない。そのために表現のメディアとして、こういうRadical Atomsもインベントしたわけです。ですからテキスト、音、なんだか直感とはるかに超えたところにある表現可能なコンピュテーショナルなメディアとして、これが存在してる。
大丈夫ですか。ギリギリ大丈夫です。よかったよかった。でも多分聞いてる方は「なんじゃこりゃ」ってなってる可能性がありますね。でもそういう番組なんですよね、基本的には。はいはい。だから今日は追い掘りでいいんじゃないか。白州とか山崎とか。落合君の話を聞いても思うの。落合もすげえわけのわからん専門用語いっぱい言ってて、周りの人も「うん」って全然分かってないのに、この悲しみってすごいですよね。今日は落合さんの話よりは少し分かると思います。当たり前ですよ、年食ってますから。
でもそうすると、ここでやろうとされてることは、その五感とか体感の情報化だと捉えていいんですか。いや、五感だけでも死んでる。だから5つのあやつがあってディスクリートにあって、聴覚とかそういうんじゃなくて、全てがフュージョンして体験して、ドキドキしたりとかワクワクするわけです。ですから五感とかいうのは非常にデカルト的な、ディスクリートなもので数えて、その組み合わせっていうボトムアップの発想が、ある意味でもう死んでる。そういう時代だと思います。
でも、その五感っていう死んでる区分をしたとしても、ほとんどのものがこぼれ落ちちゃってるのが現状じゃないですか。つまり五感さえ捉えられてないとも言えるんじゃないかと思うんですよ。そういう意味では、身体の中での内臓の意思といろんなものがいっぱいあります、取られてないのも。ただ一方大事なのは、我々はデザイナーでありアーティストなので、その表現の中身を考える時に、コンポーネントにディコンポーズしても仕方ない。
例えばある知識を得たりしますね、図書館に行きますよね。図書館に行くと、分類法でもってバイオロジー、ケミストリー、マスマティクス、バラバラでしょ。でも実際新しい、我々がやってる仕事っていうのは、どの本棚にも収まらないクロスオーバーなわけです。でもハイパーリンクっていう素晴らしいコンピュテーショナルなデータストラクチャーは図書館にはできない。だからツリーに押し込められる。だから五感も結局ツリー、昔の古い森に無理やり押し込めてる。「あなた学者でしょ」「あなたアーティストでしょ」で安心してしまう。だから使わない方がいい、そういうラベルは。
でも僕のような愚かな人間はそういうラベルを使いたがるじゃないですか。いや、だってそうじゃないとやってけないじゃない、こんな。いやいやいや、僕はただのメディア芸人ですんで。いやいや。でもいや、思ったのは、そうやってラベルをつけたり分類をしたりしないと理解した気になれないという人が多い世の中だと思うんですよ。その中で石井先生がやられてることは、その永遠のカウンターカルチャーというか。
だからみんなが「あなた何ですか」って聞くんです。サイエンティストなのか、アーティストなのか、デザイナーなのか。いや僕はスターゲイザーですって言います。スターゲイザーっていうのは、星を見ながら空想する人。そのために、星を見るために昔人々は裸眼で見てた。やがて街の光が眩しくなったんで天文台を作った。でもそれでも空気がポリュートする。だから1番すごいのはハッブル宇宙望遠鏡によって、自分の目を自分の頭から外して宇宙に投げて、全く違う視点からものを見る。そういう人に僕はなりたい。ちょっと宮沢賢治的ですけども。
その理解されなさに対して限界を感じたり、辛くなったりすることはないですか。孤独って美しいと思いませんか。みんなが理解したらもう終わってる。僕らの世界、MITの世界ってのは、本当にオリジナリティがあることを世界で初めてやる。本当の真のオリジナリティってのは2つの可能性がある。1つは誰も理解できない、何言ってるかわかんない。あの落合君みたいな。まあ落合君は分かりますけどね。いや、そうだけど、誰も分からない。そこまで行ったら最高ですね。
ただ大事なのは、誰もわかんない、誰も論文を通してくれない、誰もファンディングしてくれないって時に2つあって、本当の天才ですごい人間なのか、ゴミなのか、バカなのか。その後者の可能性もある。それは怖いですね。ということなので、理解されようとする、受けようとすることを目的にやった時に、本当のパイオニアとしての研究はできない。一方、テニュアを取って生き延びたいというんだったら、もちろん引用数とかh-index計算しながら、固定資産税みたいな感じでやれば取れますよね、論文書けば。でもそういうのじゃない。だから僕は自分を学者と思わない。
じゃあご自身がやられてきたこれまでの仕事の中で、その孤独の理想みたいなものに1番近づいたなと思われるのはどれですか。どれというか、まだまだだ。ダグラス・エンゲルバートっていうのが僕の神です。彼は何をやったんですかね。コレクティブインテリジェンス。1960年代、まだコンピューターがメインフレームコンピューターで、ミサイル、敵を攻撃するミサイルの軌道の計算にしか使ってなかった時代に、コンピューターとネットワークは人々の知を集め、ソーシャルな、グローバルウォーミングみたいなそういうものを解決するために人々の知を結集するメディアになるっていうことを、20代で1960年代に言った。すげえビジョンなわけです。誰も理解できない。
でも今見てみれば、本当にまあWikipediaもそうですけど、それが起きてきてる。ヴァンダリズムが起きても市民がみんなそれをクリーンにしてく、このパワーですよね。ですから、そういう誰も考えられなくて、言われても信じられなかった。多分Wikipediaの時みんなこんなのうまくいくと思わなかった、僕もバカだったから。でもちゃんと彼が証明した。だからそういうビジョナリーがいて、亡くなりましたけども、彼のその手の上で踊ってる、ブッダの手で踊ってる子供みたいなもんです、私はまだ。でも非常にありがたいですね、そういう先人がいたからこそ、そういう高みがあるんだと。
彼はヒューマンオーグメンテーションというビジョンを出しました。でも結局その頃SRIではAIが、シンボリックのAIが盛り上がってきて、みんなAIに予算が向いてしまって、人もどんどん流れてって、ゼロックスPARCとか行ってしまってですね、非常に孤独な晩年を送りました。孤独って本当辛かったと思いますけども、やっぱり早すぎた天才だ。その境地に行ったらエクスタシーですよね、学者だったら。
でもそれに近づかれてると思われますか、その境地に。多分ね、地位を得ながらも近づくって難しいんだろうなと思うんですよね。というのは、すでに作り出したものがあればあるほど、その成功の再生産で生きていけてしまうわけじゃないですか。全くそうです。
そういう意味でですね、私がラッキーだったのは、1994年にアトランタであった会議に呼ばれました。アラン・ケイが呼んでくれたんですけど、アラン・ケイって知ってますよね、パーソナルコンピューターの父で。そん時にその会議のボードメンバーにニコラス・ネグロポンテがいて、あれとアラン・ケイが休み時間に来て、「お前MITに来い」って言ったんです。だから博士課程を持ったら教えろって言われてですね。私は10分考えて「うん」って言ったんです。とんでもない無謀な判断なんですけども。
言われたことは、今までやったことは一切続けんな、全く新しいことをやれ。人生は短い、自分でリブートする、こんな贅沢はないって言われて。最悪なアドバイスです。テニュアを持ってるプロフェッサーには分かりますよね。今までと違った分野に行けって言われたって、論文の積み重ねもないし。でもそれを言われて、僕は真に受けましてですね。じゃあそれまでやったClearBoardというのを置いといて、新しいタンジブルをやろうってことを始めたわけです。ですから、あん時の強烈な蹴りがなかったら、今の高みまで行けなかった。
そういう意味でリブート。何回リブートできるか、死ぬ前までに。次の山を作れるか。そういう意味で山を作る、連山を作る。未踏峰連山を作る。マウンテンビルディング。最後に増山力で出てきますけど、まさにそこが究極です。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。是非皆さんカンパをよろしくお願いします。
ここまで、そのRadical Atomsを代表するようなinFORMって作品と、さらにTRANSFORMもありますけども。はい、ClearBoardに行きましょう。ClearBoardは、これはMITに行かれる前の。NTTで私が小林君と一緒に共同で発明したシステムで。元々NTTの社員でらしたんですか。もちろんですよね。本当NTTにはご恩になりまして、おかげでですね、こういう研究をしました。
具体的に言うと、建築家が使うドラフティングテーブルみたいで、それが透明で、相手が向こうに見えて、一緒に絵が描ける。でも相手がどこを見てるかってのが正確に分かる。ゲイズです、それがポイントです。これが最初のモックアップ、ただのアクリルグラスですね。それを通して見れば目線が分かるに決まってますよね。ただ左右が反転するわけです。でもそれはビデオを使ってミラーリバースすれば簡単に解決できる。なるほど。しかも2人が別々の離れた場所にいる。そう、離れた場所です。これはコンセプトのプルーフ・オブ・コンセプト、POCのモックアップです。その後それをリモートで作ったバージョンに移ります。
これが2人が同じ物理空間にいる場合の。そうです、これはリモートですね。これはビデオベースですけども、実際に書くとお互いが見えて、なおかつアイコンタクトが取れる。ただここで「I love New York」とか「I love 何とか」、失礼、そういうふうにTシャツを着てると、ひっくり返ってるのが分かります。ただほとんどの人は顔は左右対称なんです。私は例外です、変なメガネだから。だからひっくり返って分かってしまう。それは問題ですけども、多分マイナーです、この変なメガネしてる人は。普通の健全な人は対称的なメガネしてるから問題に気づかないってことです。鼻が曲がってなければ。
さらにこれがコンピュテーショナルなバージョンですね。コンピューターを使った、まあ巨大なiPadみたいなとこで、ドローイングとかいろんなドキュメントを持ってくる。それに2人がアノテーションしながら話ができる。でもどこを見てるか分かる。これも30年前の仕事ですけど、今でも毎年「どこで買えますか」っていう問い合わせがあります。90年代前半ってことですか。そうです、90年ぐらいです、発明したのは。92年に発表して。
でもここから、さっきのタンジブルなものとか。これはやめろって言われたんですね。やめろって言われてRadical Atomsも作ったんですけども、実はこのテレプレゼンスって脈々と流れてて、先ほどinFORMってありましたよね。あれはある種、単純にテレプレゼンス、1対1をつなぐ、ただRadical Atomsを使ってる。でもこの先に来るのがですね、私の人生最後の山を今作ってるんですよ。それがテレアブセンス。
成田さん、ちょっとそこに行く前に1個だけ伺いたかったのは、今30年後からこれを見られてて、ここに1番足りなかったものは何だと思われますか。世の中が理解できなかった。だから最近だってツイートしましたけども、「これがフューチャー・オブ・Zoom」というふうに言って、当たり前だって。30年間なんで眠ってたんだ。いいことがあったですね、パテントが切れた。だから誰でも作れる、ある意味でいいですよね。
でも逆にこれに関して不満はおありになりますか。不満というか、いろんなことはできる。でも大事なのは、寸止めって分かります? 殴っちゃだめ。寸止めでやられたと思わせる。そこで次に行く。なぜかというと、僕はいっぱいアイデアがあるので、いろんなことをやりたい。いつまでもこれをリファインして多機能化することにあまり意味はない。でも逆にこの仕事がきっかけでMITにハント、ヘッドハントされた。
そうやって最初の一歩を作ってはすぐ次に行くっていうスタイル。すぐ次に行くっていうよりは、次々新しいビジョンが湧いてきて、どのビジョンが一番骨太でロングタームでインパクト、ボディブローみたいなのを作れるか。だからこれはまだ世の中に伝わってないわけです。なぜかというと、みんなZoomでハッピーなわけですよね。でも同じなわけで、パラダイムは。結局マイクがあって、トーキングヘッズのウィンドウとシェアドスクリーンがあるって、もう80年代の発想なわけです。ですからこれは未来にファストフォワードしたんだけども、だから「Yesterday's Tomorrow」というこの悲しみですね。その悲しさが美しい。
よろしいですか。さっきのTRANSFORMのようなテレプレゼンスが人々の生活に浸透するのはいつ頃だと思われますか。死んだ後ですね、僕が。いつか分かりませんね。でも大事なのは、ああいうことができる、面白いことが分かれば、誰でもリソースがあれば作れる。だから1番興味を持ってるのはコマンド&コントロール、ホームランドセキュリティ、アーミー、ネイビー、あの分野です。
戦争が起きた、我々の軍隊がここに来る、ここにタンクがある、飛行機が飛んでくる、そういう状況って今VRとかで視覚的にやってますね。それがタンジブルになった時のパワーって強烈ですよね。例えばここに我が兵隊がいる、屈めるとここだったら見えない、あの山頂からスナイパーができる。身体を使ってコンピュテーションができる。タンジビリティ、フィジカリティ…
お金かかるし技術もあるし、我々はそんなお金ないけども、でもそういう人々の安全を守るというセクションはすごいリソースを持ってるから、そういうとこが当然、多分近いうちにそういうものを実用化すると思います。でももっと早いのは『ブラックパンサー』、映画ですね。映画の連中は。だからシェープ、ディピューラメディカルソリューションズ…
格闘ゲームでも戦闘ゲームでも、ある意味そのフィジカリティがない、タンジビリティがないっていうのが、これまでのゲームの強さであり弱さ。そうですね。強さって、今はジェネラルパーパスで色々できて、でもデカップリングしてる。結局自分は傷つかないし、痛くもないし、回復もないしっていう感じですよね。この感じもだから24時間殴り合いをし続けられるっていう、中毒性も作り出せてるんだと思います。もうちょっとピースフルな何かがあった方がいいですね。
僕はあんまりバトルは大嫌いなんで、特に戦争とか耐えられないのですね。何か本当にピースフルでクリエイティブなものが作れたら面白いですよね。ですから多分、建築とかアーバンプランニングとかランドスケープデザインでいっぱいできることがあると思います。でもやっぱり家族とかカップルの生活みたいなものがピースフルな方向なんじゃないんでしょうか。家族はピースフルですか。
なかなか。僕の場合、私事ですが、妻と永久に遠隔状態でして。それは近寄りたくない。ごめんなさい、どういう。COVIDのこれ、分かります。でも今コロナ終わったのに近づけない。いや、それ以前から僕はアメリカにいて家族は日本にいるっていう状態がずっと続いてたんですよ。分かります。で、今もそうなんです。でもそれデザイアラブルじゃないですよね、望ましくないですよね、健全じゃないですよねという問いをずっと自分に投げかけてるんですよ。分かりました。つまり表面的にはデザイアラブルじゃない感じがする。一緒にいた方がいい気がする。
その問題にタンジブルとかフィジカリティは当然関わってますよね。それもありますよね、もちろんね。でも同じご飯を食べて美味しい、同じ花を見る、同じ空気を吸うってのはとても大事ですね。でも愛はまだあるんですか。なんか愛がないってことを逆に言ってるような。愛が終わったらもうビデオカンファレンスでも構わない、写真でもね。でも普通に一緒にいたいと思いますよね、愛があれば。多分そこが自分の場合ティフィなんですよ。人間ですか、あなた、ちょっと。
いやいや、だから僕はそのタンジブルなことで50って言い切るとか、未来を先取りしてるんじゃないかっていう。でも根拠は全くなくて、科学的根拠がなくてですね。それで思わず言ってしまって、奥さんが見たら大変じゃないですか。離婚し…怒るかもしれないですね。怒るところじゃなくて。まあそうですね。
いやでも、その近づかず離れずみたいなのが1番いいんだと思うんですよ。つまり、常に一緒にいる家族、常に一緒にいるカップルとか夫婦っていうのはちょっと無理があるんじゃないかって気もするんですね。1つ質問していいですか。成田さんと僕の間の相対的な物理距離は1個だけですね。僕が近づけば、あるいは後ずさってもいいですけども、基本1個なわけです。
今の遠隔の場合、あなたから見た距離と向こうから見た距離は全然違うわけです。特に愛が冷めたら全然無限になるわけです。ですからご自身から見た距離って話でおっしゃってて、ちょっと割とエゴセントリックな見方をしてるんだけども、相手がいて、相手から見てより遠のく、近づいてほしいっていう話が方程式に入っていないかもしれないです。これってバグじゃないですか。だからちょっと自分は壊れてるんじゃないかと思うこと、分かります。テレビ見て時々そう思いました。面白いなと思って、今日は会うのを。
いや、だから同時に思うのは、近づきすぎる、一緒にいすぎることで壊れるカップル、壊れる家族もたくさんいるわけじゃないですか。当たり前ですよ。ですから、いい距離を取りながら、フィジカリティがある状態とない状態を適度に混ぜるってことが大事なんじゃないかっていう気がしてるんです。つまりアブセンスとプレゼンスの。
私が言ったのは違ったディメンションで、相手から見た時のデザイアラブルな距離。うざいとか寂しいとか、あなたがお腹空いた、あるいは寒いとかいうのは、インピーダンスミスマッチングだらけなわけです。特に距離があった、その中でどうそれをコーディネートして調整するかっていうメタなアルゴリズムがないと、適切な距離なんて決められないわけです。そのロジックがないように見えたので、ちょっと心配になりました。
なので、その適切なアルゴリズムを提供できるんじゃないかという気がしてるんです。成田さんが? それは傲慢です。タンジブルメディアの未来が。いや、そんなことない。それは単純に、メディアは単純にそれを伝える表現の手段だって。実際にお互いの距離を測りながらちょっと後ずさったり近づいたりとかやるっていうのは、まさに人間の持ってる最も難しいソーシャルインテリジェンス、エモーショナルインテリジェンス、そこなわけです。それは単純な便利ツールでできっこないです。
いやでも、その物理空間で一緒にいる限りは、僕から見た石井先生までの距離も、石井先生から見た僕までの距離も同じじゃないですか。物理的な距離って意味では。そうですね。一方でただ、どれぐらい近づきたいか、どれぐらい近づいていると快適かとか安心するかは人によって違うじゃないですか。そうです。そこで、この空間をいわばタンジブルに情報化、データ化したり、あるいは物質化したりすると、僕から見た石井先生までの距離とそちらから見たこちらまでの距離っていうのが違うような世界っていうのがありえそうじゃないですか。
そうすると、VRだったらいくらでもフェイクで違った距離感を出せますよね。物理空間では1つの距離しかないからどうしようもないですよね。だからよくパーティーで、アメリカ人の身長の高い男性とアジアの女性、小柄な女性がいると、いつも動き続けてる。なぜかっていうと、コンフォータブルなインターパーソナルディスタンスがカルチャー的に違う。それがアンコントローラブルである。分かりますよね。ですからカルチュラルなコンフォータブルなディスタンスがアラインできない時にずれまくるわけです。
なのでそれを、さっきからどうやってアウフヘーベンというか、超えてくかっていう話が、結構大事な問題だなと思ったので。でも何学者でしたっけ、すいません。何学者でしたっけ。経済、一応経済学者。経済にそういう論理はないの? 違ったマルチエージェントがあって、双方にとって違った利害があって、そこをどう調整するかとか、ゲーム理論とかありそうな感じがしますよね。
というのはありますね。ただそこではモデル化してしまい、数式化してしまうので。美しいですね、論文書けますよね。論文は書けます。でも先ほどお話ししたような体感とか気遣いみたいなものが全部抜けてしまうので、それは入ってこないですよね。家族の問題とかを根本的に扱うのが難しいなと思っているっていうことです。やっぱりご苦労はあるんですね。やっぱりなんとなく業界に滲み出てくる。頑張ってください。しっかりメンテしてください。プライベートにもパブリックにもいろんな気苦労をしながら生きている次第です。そうですか。
今彼女がゴーストと弾いてます。ここ、鍵が動いてますね。指が表現されてますよね。彼女はかつて弾いた…だから我々が作ったのは、過去にあったその記録というものがピアノの中に住んでいて、そして技術的なコミュニケーションができる。もういなくなったのか、でも今目の前にいて一緒に弾いたと思う、そのイリュージョナリーなコミュニケーション。これが我々の目指すテレアブセンスの1つのインスタンスです。
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