連立を離脱した公明党は「宗教の党」というイメージを越えられるか:伊佐進一が語る敗因、創価学会、自公26年

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概要

自公連立は1999年から26年続き、公明党の離脱で終わった。この動画では、公明党中央幹事で前衆議院議員の伊佐進一が、中田敦彦の質問に答えている。中田は、離脱の本当の理由、党勢が落ちた原因、支持母体である創価学会との距離、特に「宗教とカネ」の関係を順に尋ねた。伊佐の立場ははっきりしている。離脱は保守路線への反発ではなく、政治への信頼を取り戻すための選択だったという。そのうえで、公明党は政策の評価は高いのにイメージで支持を失っており、その壁を内側から壊したいと語る。中田は、残った最大の壁は創価学会との関係が外から見えにくいことだという仮説を示し、伊佐はそれにどこまで応じられるかを話した。

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スパンコールの衣装と「政治系YouTuber」という肩書き

最初の話題は、伊佐のスパンコールのジャケットと「ラブ&ピース」のポーズである。公明党のサブチャンネルは2025年1月に始まった。登録者は18万人台だが、再生数は30万〜40万回の動画が多く、100万回に届くものもあると中田は紹介した。衣装を変えたのは6月からだ。

きっかけは堀江貴文との対談だったと伊佐は説明する。堀江からは、公明党は真面目で良いこともしているのだろうが地味で、「公明党といえばこの人」と思い浮かぶ人がいない、誰かが衣装を変えてポーズを決めるべきだ、と言われた。党の職員から「それは伊佐さんしかいない」と言われ、上野のマジックショー用の衣装店で買ってきたという。地元のポスターもこの衣装で撮り直した。肩書きは「政治系YouTuber」で、衆議院を示す言葉は入れていない。

中田は芸人時代の経験から、一画面に収まり、真似しやすいポーズを持つタレントは強いと話す。そして「ラブ&ピース」は「福祉と平和の党」というメッセージにも合っていると評価した。小泉進次郎、玉木雄一郎、吉村洋文のような二枚目のスターとは違う「政界初の三枚目スター」の位置はまだ誰もいない、というのが中田の見立てである。

中道が空いているという見立て

中田は、連立離脱は面白い動きだとも言う。公明党と自民党は安全保障や福祉・平和をめぐる考え方が逆の部分が多い。公明党は連立の中で「ブレーキ役」「調整役」を自任してきたが、与党の内側にいたためにそれが見えにくかった。いま目立っている野党の国民民主党や維新はほぼ保守寄りで、リベラルの存在感は薄い。野党になった公明党はそこに新しい風を吹かせられるのではないか、と中田は指摘した。

伊佐もこれに同意する。玉木も以前は自らを中道政党と言っていたが、最近は保守に寄っていると伊佐は見ている。公明党は結党時から中道を掲げてきた。自公政権の中では公明党らしさを出しにくかったが、これから前面に出せば「公明党はそんなことを言っていたのか」と伝わるはずだ、というのが伊佐の考えである。

7:25

2024年衆院選の敗北と「政治とカネ」の総括

中田は、伊佐が連立離脱を語るのにふさわしい人物だと言う。離脱の大きなきっかけは2024年秋の衆院選での大敗だった。山口那津男代表の後を継いだ石井啓一代表は、就任直後の選挙で落選した。「常勝関西」と呼ばれてきた大阪で、初出馬以来負けたことのなかった伊佐も議席を失った。伊佐はこれを、自公路線のままでいいのかを考え直す大きなきっかけだったと振り返る。

敗因について党と創価学会の中で最も大きいとされたのは、自民党の裏金問題を抱える候補に推薦を出したことだった。それは「クリーンな政治」という党の看板と正反対だった。伊佐によれば、公明党は自民党が不記載問題で非公認にした候補にまで推薦を出していた。衆院選後に総括し、参院選では改めることになっていたが、条件は付けたものの、世間から見れば同じことを繰り返した。だから今回自民党に「政治とカネで変わらなければならない」と求めたのは、自民党だけを責めたのではない。公明党自身も変わらなければならず、自公が一緒に変わろうとする挑戦が今回の連立交渉だった、と伊佐は位置づける。

「政治とカネは口実で、本当の理由は別にあるのではないか」という批判について、伊佐は「半分正しく、半分違う」と答えた。正しい半分はこうだ。国民にとって政治とカネは喉に刺さった骨のような問題だが、物価高対策や安全保障のほうがもっと大事だという面はある。それでも、自公がなあなあで政策を進めても、国民は「政治は自分たちを見ていない」と感じたままになる。だからせめて政治とカネの問題は解決しなければ信頼は戻らない、と判断したという。違う半分は、「高市政権が保守だから離れた」という見方である。伊佐はこれを否定し、信頼を取り戻す手順こそが一番大事だったと述べた。

12:48

池田大作の死去と「与党慣れ」

中田は別の見方も紹介した。2023年11月、裏金事件が明らかになる約2週間前に、創価学会第3代会長の池田大作の死去が公表された。自民党側からは、池田は2010年ごろから表に出ておらず、支持者の高齢化などで公明党はもともと下り坂だった、裏金のせいにするな、という声も出ていた。

伊佐は、池田の死去が引き金になったとは考えていない。池田はすでに表舞台から退き、後継者に任せていた。その間もメッセージや激励は届いていたという。伊佐が重く見るのは、26年の連立で公明党が「与党慣れ」したことだ。地域や大衆の声を聞き、官僚や財務省が反対しても大きな声で訴えるのが公明党の良さだったはずなのに、自民党に遠慮しすぎるようになった。結党から60年以上たって当初の思いが薄れ、支援者も「もう少し頑張ってほしい」と感じていた、と伊佐は話す。

16:29

票の動きが示すもの:大阪6区の10万票

伊佐は、公明党と創価学会はイコールではないことを票の数字で説明した。もし公明党の票がすべて学会員の票なら、ある程度一定のはずだ。しかし実際には自公政権の支持率に合わせて上下している。伊佐が大阪6区で勝つときは約10万票を取るが、同じ区の公明党の比例票は3万ちょっとしかない。残りの7万票ほどは、比例で自民党や維新と書きつつ、小選挙区では伊佐と書いた人たちだと伊佐は見る。学会員が知人に頼んだ票もあるとは認めつつ、公明党の政策を評価して入れた人が多くいたという。

そうした人の中には、自民党との関係を見て「もう伊佐さんは応援できない」と離れた人もいた。今回の離脱を見て戻ってきた人もいる、と伊佐は話す。

18:23

ボートマッチング18%と二つのフィルター

中田が注目したのは、選挙ドットコムとの対談で出た話である。支持政党を直接聞くのではなく、争点ごとの考えを答えてもらい、近い政党を示すボートマッチングでは、若年層や無党派層で公明党が上位、直近では1位になっているという。伊佐によると、「あなたの政策に合うのはこの党」という形での支持は18%に達した。普段の公明党の支持率は2〜4%なので、生まれて初めて見る数字だったという。

ところが主催者の話では、「一番合ったのは公明党だが、公明党には入れたくないので2番目にする」という声がかなりあった。伊佐はその理由を、自民党の陰でこそこそしているという印象と、宗教の党、創価学会の党という近寄りがたさだと見ている。このタブーを破りたいからこの格好をしているのだ、と伊佐は言う。

中田はこれを「二枚のフィルター」と整理した。一枚目は与党として自民党の陰にいる印象で、これは連立離脱で外れた。残る一枚は創価学会との関係である。そこで国民が納得できれば、まったく新しい公明党になるのではないか、というのが中田の仮説だ。支持者の多くは学会員ではないという反論があっても中田がこの点にこだわるのは、18%が実際の支持にならない大きな理由がそのイメージにあると考えるからだ。

21:09

統一教会問題と「宗教とカネ」

中田はこの論点を、2022年の安倍晋三銃撃事件で明らかになった自民党と統一教会の関係から説き起こす。岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の三代が勝共連合を通じて統一教会と深く関わってきたことや、旧安倍派を中心とする裏金の還流について、説明が重要だと中田は考えている。伊佐も政治とカネについては厳しい立場だ。自民党は「選挙で国民の審判を受けたから禊は済んだ」と言うが、伊佐はそう思っていないし、国民の多くも決着したとは思っていないと述べた。参院選の後にも、大物政治家の秘書の略式起訴などが続いた。安倍首相が一度止めた還流を誰かが再開させ、その指示を出したのが下村博文だという話が裁判の中で出てきている。それでも全容は解明されていない、と伊佐は指摘した。中田は、統一教会が名称変更したときの文科大臣が下村だった点にも触れた。

そこから中田は、国民が政治とカネと同じくらい気にするのは「宗教とカネ」であり、創価学会とお金の距離は適正だったのかという点に目が向くと切り出した。

伊佐はまず、統一教会問題の本質は宗教と政治の関わりそのものではないと述べた。高額な物品販売などで家庭を壊すといった社会問題を起こしてきた団体と、与党である自民党との距離が問題だったのであり、相手がたまたま宗教団体だっただけだという。憲法20条の政教分離は、公権力が特定の宗教を優遇したり弾圧したりすることを禁じるもので、信仰を持つ人の政治参加を禁じてはいない。その例として伊佐は、ドイツのキリスト教民主同盟を挙げた。

中田は、新興宗教だから悪いとは考えていないと前置きしたうえで、家庭を壊すほどの「重課金」を強いる集団にはメスが入るべきだと言う。浄土真宗や浄土宗に入って家が貧しくなったという話をあまり聞かないのは、重課金がないからだと中田は考えている。山上被告の初公判で、事件が宗教に由来するのか政治テロなのかという議論が始まったことにも触れた。

51:15

献金は強制か:伊佐の体験と「狂乱財務」

伊佐は自分も創価学会員であり、議員になる前は一会員だったと明かした。会員は寄付をするが、完全に自由だという。ノルマはなく、生活が苦しいときにはできない。苦しくても信仰心から出すと決める人がいるのも自由だ。伊佐が問題だと考えるのは、会員の身分を保つために団体が半ば強制する仕組みがあるかどうかで、創価学会には「一切ない」と言い切った。

中田は、制度として強制はしていなくても、信仰心が試されるからこそ自発的に高額を出すという構図は、グレーな領域だと食い下がった。伊佐はこの点を「歴史的に非常に微妙」と認めた。十字軍や、戦死すれば靖国に祀られ家族も幸せになると信じさせた国家神道のように、信仰はそうした危うさと背中合わせだという。だからこそ信仰する側の良心が強く求められる、と伊佐は答えた。

中田はさらに、学会の寄付を指す「財務」について、ネットで見かけた「狂乱財務」という言葉を取り上げた。中田が読んだ記事によると、牧口常三郎や戸田城聖の時代には献金にあまり積極的ではなかった。ところが日蓮正宗の総本山・大石寺の建立に関わる中で巨額のお金が集まり、池田の時代に集める額をさらに増やす方針に変わった。この転換を一部の信者が「狂乱財務」と呼び、家計が苦しくなった人もいたという。中田自身は、内部にいたわけではなく公開情報しか知らないと断っている。

伊佐はその言葉を聞いたことがないと答えた。ただ、大石寺の麓に大きな寺を建てたいという話があり、寺だけでは資金が足りないので学会が協力を頼まれ、皆が貧しい中で貯金をはたいて出したという歴史はあったと認めた。それがきっかけで熱心に集めるようになったのかどうか、経緯はわからないという。伊佐自身の実感としては、強制されたことは一度もなく、出さないと立場がないと感じたこともない。社会人になってから、寄付のつもりで出してきたと話した。中田は、伊佐が経験した時期と1960年代の出来事とのずれ、そして出回っている情報と当事者の実感とのずれを指摘している。

情報開示は誰の役目か

中田の提案はこうだ。公明党が次に情報を開示するなら、学会と信者のお金の関係を広く示してほしい。「その程度なら妥当だ」「統一教会とは違う」と納得できたとき、政治とカネに厳しいという姿勢に共感が集まるのではないか。

伊佐は、党として開示できることは何でも開示すると答えた。たとえば、創価学会から党に入っているお金は「ゼロ」だという。しかし、会員が学会にいくら寄付し、どれだけ集まっているかは宗教団体の話で、党の話ではない。公権力の側にいる政治家が特定の宗教団体に開示を求めることはできない、というのが伊佐の立場だ。制度として議論するなら、宗教法人の非課税の扱いはNPO法人など他の公益法人と同じ枠組みにある。大きな税制改正の中で必要なら、非営利団体のあり方全体から議論すればよい、と伊佐は述べた。学会のことを詰めたいなら創価学会の青年部長などを番組に呼べばいいとも提案し、中田は呼ぶかもしれないと応じた。中田は、自分の意見が正しいと言いたいのではなく、一般の国民には党と学会がかなり一体に見えており、そこが明らかになれば応援しやすいと感じる人が多い、という点をわかってほしいと付け加えた。

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信仰は捨てない:政治家の「判断軸」として

伊佐の経歴にも話は及んだ。東京大学工学部で宇宙工学を学び、科学技術庁に入り、中国の大使館にも勤めた。学会員の家庭に育った、いわゆる二世である。ただ伊佐によれば、親が信仰しているから子もそのまま続ける人は多くない。自分自身が信仰を通じて悩みを乗り越えたという確信がなければ、本当の意味では信仰しないという。伊佐の理解では、この信仰は外にいる神仏に祈って奇跡を起こしてもらうものではない。一人ひとりが仏の命を持っており、それを引き出して困難に挑み、乗り越えるという能動的なものだ。具体的には語らなかったが、そうした体験が自分にはあると話した。

池田大作が教祖のように見られている点について、伊佐は、池田は祈る対象ではなく、料理人や大工の世界にもあるような「師匠」だと説明した。伊佐は池田を「稀代の戦略家」と見ている。仲の悪かった共産党と状況次第で「創共協定」を結んだ例を挙げ、自公連立もその流れにあると考える。ただし池田が政治に直接指示を出すことはなく、公明党は池田の戦略論を受け継いだつもりで悩みながら判断してきた、という。

伊佐は念を押した。宗教色を消したいわけではない。政策はほとんどが100点対0点ではなく、55点対45点で悩むものだ。判断の軸がない政治家は、次に票を取りやすいほうや、儲かるほうを選んでしまう。どんな社会を目指すかという理念や哲学が自分にとっての信仰であり、利他の精神、平和、分断より対話と協調、といった軸で政策を決めている。だから信仰は政治にとって重要だ、と伊佐は話した。アメリカ大統領が聖書に手を置いて宣誓することなどを挙げ、政治家の背景に宗教があるのは海外では普通だとも述べた。

なぜ日本人は宗教にアレルギーを持つのか。伊佐は、これは自分の意見だと断ったうえで、日本では宗教が常に権力と結びついてきたからではないかと語った。江戸時代の檀家制度で全員をどこかの寺に属させて管理したこと、明治の国家神道で心の中まで統制されたことを挙げる。創価学会初代会長の牧口常三郎も、治安維持法で捕まり獄死した。欧米にもカルトや集団自殺はあったが、宗教アレルギーにはなっていない、と伊佐は対比した。

キャッチコピー「やると言ったらやりきる」も話題になった。中田は、財源の裏付けがないまま甘い政策を並べるポピュリズムへの反論と受け止めた。伊佐はその意図だったと認めつつ、「何を?」という反応が大量に返ってきたことから、選挙は一つの争点とキャッチコピーで戦うものであり、訴える力がなく選挙戦略としては失敗だったと振り返った。

33:20

2010年代:山口代表からの電話と、長井秀和の見方

2012年、自公の政権奪還とともに伊佐は初当選した。山口那津男代表から電話でスカウトされたのがきっかけである。中田は、同じ2012年に学会を脱会し、いまは公明党や学会に批判的な立場で市議会議員をしている長井秀和の本を紹介した。長井は創価学会の小学校から大学まで学んだ人物だ。長井は、山口が代表になったことに驚いたという。池田が前面にいた時代は創価大学出身者の存在感が強かったが、山口は東大卒の弁護士として政治家向きだという理由で起用された、と長井は見ている。中田は、東大出身の山口が東大出身の伊佐を引き入れたことや、公明党議員は実務能力が高いという評価と、この話がつながると考えた。

伊佐はこれを否定した。初期の公明党は学会幹部が選挙に出ていた。山口の前の太田昭宏も学会の青年部長を務めた人物だった。その後、大衆政党を目指す中で、「党と学会はイコールではない」ことを形で示すために、社会で活躍する人を一本釣りするようになった。それが自分への電話だったという。しかし、東大閥と創価大学閥といったものは感じたことがない。そもそもこれほど小さな党に派閥はできようがないし、池田は派閥ができたら解散せよと厳しく言っていた、と伊佐は説明する。現政調会長の岡本三成は創価大学出身でゴールドマン・サックスにいた人物だとも中田が触れた。伊佐はむしろ、公明党は一枚岩すぎて、どこを切っても同じ金太郎飴のように見え、外から気味悪く思われているのではないかと心配している。医師、公認会計士、元官僚、弁護士と経歴はさまざまで、党内では激しく議論している。それを見せるためにサブチャンネルを始めたのだという。

池田が2010年以降表に出なくなった影響について、伊佐は、学会員にとって最初は大きなショックだったと認めた。ただ、会合へのメッセージや手紙の返事は続いていた。突然ゼロになるより、一歩ずつ身を引いていったのだろうと受け止めているという。

56:15

安保法制と自公連立の意義

自公政権で党の看板が問われた象徴的な出来事として、中田は2015年の安保法制を挙げた。伊佐は当時、平和安全法制を審議した特別委員会の委員だった。伊佐は、価値観の違う党が連立を組んでぶつかり、それでも最後には必ず一つの答えを出してきたことが誇りだと語る。その答えは保守だけが喜ぶものでもリベラルだけが喜ぶものでもなく、どちらから見ても「これならしかたない」と思える、100点ではない答えだった。政権が代わるたびに前政権を全否定するアメリカのような揺れや分断を避けられたのは自公連立があったからだ、と伊佐は見る。安保法制では保守からは不十分と言われ、リベラルからは「平和の党はどうした」と言われ、両方から攻撃された。伊佐はそれを現実主義の政治の姿だと受け止めている。

一方で、新たな自民・維新連立について伊佐は、合意文書が9条改正にまで触れている点を挙げる。保守層は公明党に邪魔されなくなったと喜ぶだろう。しかし、武器輸出、国営の防衛産業、緊急事態条項などに不安を感じる人は離れていく。政権が不安定になり、短命に終わるリスクがあると伊佐は見ている。連立にいた間は閣内協力で「閣内不一致」と言われるため、公明党がどこまで止めたかを発信できなかった。奪われていたのは発信力だったのかもしれない、という中田の言葉に伊佐は同意し、「今なら言える」と話した。

1:02:07

官僚として見た自自公連立、民主党政権、3.11

1999年の自自公連立のとき、伊佐は科学技術庁に入って2年目の一学会員だった。大衆の中で権力と向き合ってきた「最も野党らしい党」が権力の側に入ったことは衝撃だったという。権力に取り込まれるのではという恐れと、理念を政治に反映できるという期待が入り混じっていた。中田は、いまの維新支持者も同じ気持ちではないかと指摘した。伊佐は、公明党は閣内に入って責任を共有する覚悟を決めたが、閣外協力の維新は半分しか足を入れておらず、いつでも逃げられると批判した。国会初日に維新が特別委員会の設置に反対したことにも驚いたという。

2009年の自公下野は、北京の大使館で聞いた。伊佐によれば、大使館の経済部は各省庁からの出向者が集まる「ミニ霞が関」で、伊佐は文科省から外務省に籍を移し、中国の科学技術や宇宙、原子力の担当部門とやり取りしていた。2010年に帰国して最初の仕事は、民主党政権の文科副大臣の秘書官だった。政治家との仕事でいえば、科学技術庁時代の原子力事故の際、科学技術政務次官だった公明党の斉藤鉄夫と法改正の答弁で組んだのが最初だという。

民主党政権では、政務三役だけで決め、官僚を議論に入れなくなった。専門外の政務三役もいる中で、3.11が起きた。文科省は放射線を測定し、どちらに流れているかを把握していたのに、その方向に住民を避難させることが起きた、と伊佐は語る。政治主導そのものは悪くないが、専門家である官僚とうまく連携できなければちぐはぐになる。どれだけ仕事を頑張っても政治がだめなら国は不幸になる。そう痛感していたときに山口代表から電話があり、ほとんど迷わずに決めたという。

中田によれば、長井秀和が脱会した理由も3.11だった。創価学会や池田にもっと被災地に関わってほしかったという期待が裏切られたのだという。伊佐の受け止めは逆である。被災地を一番走り回ったのは、自宅が被災しても動いた公明党の地方議員だった。震災で延期された福島の選挙で公明党が大勝したのも、それが伝わったからだと伊佐は考えている。中田が、長井が言うのは学会のことで、伊佐の話は党のことではないかと指摘すると、伊佐は学会のことはわからないと答えた。

中田は、芸能界では学会員のタレントが誰かは知られていても口にしてはいけないタブーだと感じていたと振り返った。2019年に公明党と創価学会を扱う授業動画を作ったときは、緊張しながらだったという。それがいまでは、学会員であることを公言する麻生泰と長井の対談や、原田稔会長まで出る「創価学会の日常チャンネル」が現れ、伊佐はキラキラのジャケットを着ている。中田はこれを大きなうねりと見る。伊佐も、公明党も学会も時代に合わせて変わっていると応じた。ただし挑戦は始まったばかりだと述べた。

1:17:38

1990年代:新進党合流で参議院を残した判断

中田は、1994年に公明党が小沢一郎の新進党に合流し、一度党がなくなったことを取り上げた。伊佐によれば、実は公明党は消えていない。合流したのは衆議院だけで、参議院と地方議員は公明党として残したのだという。小選挙区比例代表制は、小沢一郎と公明党の市川雄一による「一・一ライン」で進められた。94年に法律が通り、96年の選挙から実施された。しかし、小沢を100%信じて、どの党より多い3000人近い地方議員まで全部賭けていいのかという議論があったという。伊佐は、時効だろうと前置きして、小沢が一番欲しかったのは日刊紙の公明新聞だったと明かした。公明新聞は党の新聞で、学会の聖教新聞とは別物である。参議院は任期が6年あるので、様子を見る時間も取れた。新進党はその後解体したので、残しておいてよかったことになる。伊佐はこの判断を「秀逸」と評価した。

反自民でまとまった新進党からわずか5年で自自公連立に移ったことは、会員にとっても大きな転換だったと伊佐は認めた。中田が、99年の期待と不安は26年後のいま両方当たったのではないかと問うと、伊佐は、26年間の歩みは間違っていなかったと答えた。ただ結果論として、自公政権の歴史的な役割には一区切りがついたとも述べた。

1:22:33

多党化時代の調整力と議員定数削減

伊佐は、今後は一党で過半数を取る時代はなかなか来ず、多党化が進むと見ている。そうなると、公明党が政策を実現するために常に最大政党と組む必要は薄れる。自民党が先走り、野党がついてこないときに間に立ってきた26年間の調整の経験や、政策に落とし込むための官僚の使いこなし方が、多党化時代にこそ生きると伊佐は考える。

その流れに逆らう動きとして、比例定数を50削減する案が議論されている。価値観の多様化が背景にある以上、多党化は進むだろうが、削減されれば多党化しにくい環境になるのは間違いない、と伊佐は言う。小選挙区では52%を取った候補しか当選せず、48%の民意は生かされない。それを和らげるのが比例だからだ。伊佐は大阪の例を挙げた。維新は「身を切る改革」で府議会の定数2の選挙区を1にした。以前は1位維新・2位自民や公明で2人が通っていたが、定数1の36選挙区のうち35を維新が取るようになったという。中田はこれを、改革のブランドづくりとライバル減らしを同時に実現する維新の「必殺技」と呼んだ。伊佐は、定数削減を掲げて解散総選挙に打って出る可能性もあると警戒している。

1:26:22

物価高対策と争点化の難しさ

伊佐が訴えたいのは、優先すべきは物価対策だという点である。総裁選や連立をめぐる混乱で政治の空白が続いた。公明党もその原因の一端を作ったと伊佐は認めている。その間、物価高への対策は何も進んでいない。食料品の軽減税率を8%から0%にする案も重要だが、消費税の変更は施行まで2年ほどかかることもある。だからまず今すぐできることが要る、と伊佐は言う。批判はあったが、給付金は筋の悪い政策ではなかったと伊佐は考えている。住民税非課税世帯や子育て世帯に限ると、少しだけ上の層は毎回取り残される。だから今回は線を引かず一律にしたかったという。しかし高市首相は所信表明で給付をしないと明言した。自民・維新の合意文書にも、ガソリン、電気・ガス代、地方への重点交付金といったこれまで通りの対策しかない。給付付き税額控除は制度設計から始めるので時間がかかる。これまでの対策から大きく後退している、と伊佐は批判した。

中田は、最近の選挙は争点の設定と発信力で決まってきたと見る。国民民主党の玉木雄一郎と「手取りを増やす」、参政党の神谷宗幣と「日本人ファースト」がその例だ。公明党が物価高対策を同じように争点化できれば、定数削減どころではないという空気をつくれる、と中田は言う。伊佐は物価対策を訴えることは約束した。しかし、選挙は熱狂で動くとも言う。小泉純一郎の郵政解散のように、国民にとってそれほど切実でない争点でも盛り上がれば勝てる。「身を切る改革」は維新の得意分野で、真面目に訴えても埋もれるかもしれないと強く警戒している。

伊佐が玉木をすごいと思うのは、課題を設定する力だという。本来は、地方議員を多く抱えて地元の声を一番聞いている公明党がやるべきことだった。しかし与党慣れすると、財務省の壁の厚さが見えてしまう。「103万円の壁」では、税務当局が最初に示したのは123万円だった。公明党が引き取って160万円まで引き上げたが、国民民主の支持者からは「178万円を公明党が止めた」と怒られ、自民党からは「いい顔をしやがって」と言われたという。伊佐は、政策論とキャッチーな発信はもう切り離して考えるべきで、政策は公約集に任せ、発信は別に打ち出したほうがいいと述べた。ReHacQの高橋弘樹から真面目な話はつまらないと言われたことにも触れた。中田は、伊佐が「公明党は消滅する」といった厳しい指摘を公開の場で笑顔で受け止め、すぐに吸収している点に惹かれると話した。

1:35:57

池田大作の「予言」と、これからの公明党

最後に中田は、公明党と創価学会、公明党と池田を別物だと言っても、国民はそう見ていないと改めて問いかけた。伊佐は、池田のスピーチや著作はほとんど読んでいると言い、池田は結党当初から、公明党は創価学会のためではなく日本のための党だと語っていたと紹介した。池田は戸田城聖との会話の中で、二つのことを不安視していたという。宗教団体が政党を支えれば権力側から攻撃されること、そして本来は信仰の団体である学会が選挙に引きずられていくことだ。そのうえで池田は、しばらくは学会員の応援なしでは当選できないだろうが、いずれ多くの人の期待を担う政治家が党から出て、学会員以外の党員も増え、大衆政党として広がる時代が来ると見通していた。小説『人間革命』でも、主人公の晩年にそうなると書かれているという。伊佐は、自分たちはそういう人間にならなければならないと語った。公明党と創価学会だけで閉じた世界ではなく、「公明党は真面目でしっかりしている」と広く思われる大衆政党になること。その節目がいまだというのが伊佐の受け止めである。

中田は、学会の地区分けが小選挙区に合わせられていること、選挙前の「F票(フレンド票)」の依頼、「折伏」という言葉が一般の人には「折られる」ように聞こえることなどを挙げた。こうした点をもっと説明し開いていけば入り口は広がるのではないか、と問うた。伊佐は過渡期であることを認めた。トライアンドエラーで新しいことをしていて、党内から「やりすぎだ」と怒られることもあり、サブチャンネルにはお蔵入りした動画もあるという。中田は、特定の党を応援しているわけではなく、政治が一方に大きく偏るのが怖いと述べた。そして、自民・維新連立と袂を分かってでも党の理念を守ろうとする公明党に注目していると締めくくった。創価学会との関係を国民が納得する形でどこまで示せるか、そして苦手としてきた発信や争点づくりで次の総選挙を戦えるかは、伊佐自身が「始まったばかり」と言うように、まだ答えの出ていない問いとして残った。