西洋哲学史は「その時代の常識を疑う」営みだった:中田敦彦が語るソクラテスからアレントまで

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概要

哲学と聞くと、多くの人は難解で自分とは無縁なものだと感じる。中田敦彦はこの動画で、そうした距離感を縮めるために、西洋哲学史を「その時代ごとの常識を疑ってきた歴史」として大づかみに語る。個々の用語を正確に覚えることよりも、各時代の人々が何に悩み、哲学者がそれにどう応えたかという流れをつかむことが大事だというのが話者の立場である。古代ギリシャのソクラテスから20世紀のアレントまでをたどり、最後に「現代の常識」にも同じ問いを向けて締めくくっている。

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哲学とは何か:語源と「希哲学」

中田はまず言葉の由来から説明する。英語の「フィロソフィー」はギリシャ語の「フィレイン(愛する)」と「ソフィア(知)」に由来し、「知を愛する」という意味になる。中田自身も「漠然としてるよね」と認めている。この学問はギリシャからヨーロッパ、アメリカを経て、明治時代になってようやく日本に入ってきた。西周が「知ることを愛する学問」という意味で「希哲学」と名付け、のちに「希」が取れて「哲学」になったと中田は説明する。

日本人に哲学がピンとこない理由として、中田は哲学の歴史が長いあいだ日本の外で続いてきたことを挙げる。そのうえで、具体的な哲学者の話に入る前に、自分なりの結論を先に示す。世界はどうできているのか、社会はどうあるべきか、幸福とは何か、なぜ人は死ななければならないのか。人はこうした答えの出にくい問題について、その時代の「なんとなくの常識」に従って生きている。しかし、その常識は昔からずっと同じだったわけではない。「それって本当に合ってる?」と言い出すこと自体が学問であり、各時代・各国でそれを繰り返してきた歴史が哲学だ、というのが中田の見立てである。

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科学・宗教・政治では答えが出ていない

こうした問いは科学や宗教や政治が扱うものだと考える人もいるだろう、と中田は先回りする。確かに私たちはそれらが進歩していると信じている。しかし中田は、答えは本当に出ているのかと問い返す。科学で解明できたことは多いと思われているが、解明できていないことのほうが多い。どの宗教が正しいかはわからない。政治も完璧ではない。そのどれに対しても「もっと良くならないか」と問いかけるのが哲学だという。

中田は、哲学は不況のときに人々が知ろうとするものだという話も紹介している。経済や国がうまくいっていないと国民が感じると、政治はおかしくないか、宗教もピンとこない、科学でも家族の病気は治らないのか、と人々は疑い始める。そうして「これはどうなっているんだ」と知りたくなったときに何度もムーブメントを起こしてきたのが哲学だという。だから哲学は最も古い学問であり、科学・宗教・政治すべての大元であり、いまだに答えの出ていない根源的な学問だ、と中田は位置づける。参考文献には、前半が漫画で哲学者を紹介し、後半が文章中心の解説になっている『使える哲学』(平原卓)が挙げられている。

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ソクラテス:弁論術が流行した時代の「問答法」

古代ギリシャは都市国家の時代で、貴族と奴隷がいて、主に奴隷が働いていた。中田によれば、貴族のあいだではディベートで勝つための弁論術を教える「ソフィスト」という職業が流行していた。知識人は話術を磨いて相手を言い負かし、権力と財産を得ようとした。中田はこれを、出世や稼ぎ方や投資の方法を教える現代のセミナーになぞらえている。

そうした風潮のなかで、出世や金儲けだけが知識人の仕事なのかと言い出したのがソクラテスだった。頭が良いと評判だったソクラテスについて、知人が神殿で「ソクラテスより賢い者はいるか」と尋ねたところ、「いない」という神託が下りたという。しかしソクラテスは、自分はわからないことだらけだと考えた。中田はこの背景として、当時は基本的にギリシャ神話が世界のあり方を説明する物語だったが、貿易を通じてまったく違う世界観を持つ国と交流するようになったことを挙げる。ゼウスが世界を作ったと言っても通じない国がある。そうなると、自分たちは本当に何を知っているのかという問いが生まれる。

ここからソクラテスは「問答法」を始める。中田はこれを「ストリートファイト」にたとえ、街で頭が良いとされる人に次々と質問を投げかける様子として描く。たとえば「勇気とは敵を前にして逃げないことだ」と答えた人に対して、ソクラテスは「大軍に囲まれてたった一人のときでも逃げないのは勇気か」と問い返す。相手が「それは無謀だ」と答えると、「ではあなたの言う勇気とは無謀なことをすることか」と追い込み、相手は言葉に詰まってしまう。

中田は視聴者にも問いを投げる。「欺くことは悪か」と聞かれれば、多くの人は悪だと答えるだろう。では、親友が自殺しようとして自分を傷つけるためのナイフを置いているとき、そのナイフを隠して「知らない」と言うのは悪か。そう問われると、悪ではないかもしれないと誰もが考え直したという。こうした問答を通じて、人々は自分が何かを知っているふりをして暮らしていたことに気づかされる。そこからソクラテスは「無知の知」、つまりまず自分がまだ何も知らないことを知るところから始めようと説いた、と中田は説明する。

ソクラテスの死と、本を残さなかったこと

中田は、知識人を論破していくソクラテスの姿は現代人から見るとかっこよく映るだろうと言う。しかし恥をかかされた知識人たちは恨みを募らせた。ある戦争でギリシャが負けたとき、ソクラテスが若者に良くない教えを広めて堕落させたせいだと責任を押しつけられ、裁判にかけられた。弁明はしたものの恨みは強く、死刑を宣告された。

仲間たちは逃げるよう勧めた。しかしソクラテスは、裁判で言うべきことはすべて言った、そういう国に住み、そういう判決が出たのなら受け入れるのが市民の役目であり、逃げて生き延びるのは自分の正義とは違う、と考えて毒を飲んで死んだという。中田はこのエピソードによって、難しいことを聞いてくる人物という印象だったソクラテスが人間味を帯びて見えてくると語る。

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プラトン:師の言葉を書き残し、「イデア」を説いた弟子

ソクラテスは自分では本を書かず、ひたすら問答をしていた。その老ソクラテスに憧れた若者がプラトンである。プラトンはソクラテスの言行を書き残した。中田はこれを、キリスト自身ではなく弟子たちが言行録を残し、それが新約聖書になった構図に似ていると説明する。プラトンはアカデメイアという、今でいうアカデミアのような学校を作り、ソクラテスの教えを伝えるとともに、それを発展させた自分の考えも教えた。

プラトンのキーワードは「イデア」である。中田はこれをコップで説明する。世の中にはいろいろなコップがあるのに、私たちは「これはコップ」「これはコップではない」と判断できる。それは「コップ」と聞いて頭に浮かぶ抽象的なコップ像があり、それに照らして判断しているからだ。この抽象的な概念がイデアであり、個別のものよりも概念について考えれば皆の考えを統一できるのではないか、とプラトンは考えたという。

そのなかで最も考えるべきなのが「善」や「美」のイデアである。水を入れられる、手で持てる、取っ手がついている場合もある、と皆でコップについて言い合えば「それは自分のコップと同じだ」と確かめられる。同じように善について話し合えば、全員が持っている善のイメージに近づけるのではないか。中田はこれがイデアという考え方だと説明する。「プラトニックラブ」の「プラトニック」はプラトンに由来し、肉体的ではない概念としての愛という意味で捉えられているらしい、とも付け加えている。

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アリストテレス:個別のものへの関心、中庸、そして長すぎた権威

プラトンのアカデメイアに通っていた天才がアリストテレスである。ソクラテス、プラトン、アリストテレスは完全な師弟関係にある、と中田は強調する。アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれ、さまざまな科学や物理学を研究した。一方で師のイデア論には反対し、イデアばかり考えすぎるのは良くない、目の前にある個別のもののほうが大事だとして研究を進めたという。アレクサンドロス大王の家庭教師でもあった。中田は、この時代は科学・宗教・政治のど真ん中に哲学があり、そのため後の時代にも科学者や宗教家、政治家が哲学者として語られることが多いと説明する。

アリストテレスの考えとして中田が紹介するのが「中庸」である。強さも強すぎれば乱暴になり、足りなければ軟弱になる。優しさも過ぎればおせっかいになり、なさすぎれば嫌なやつになる。そうしたバランスや調和、自然の中にあるものを見ようというのがアリストテレスの考えだったらしい、と中田は言う。根本的なことを語ったソクラテスやプラトンに比べ、だいぶ今に近い発想だという評価である。

ただし、アリストテレスがすごすぎたために、彼の言うことはすべて正しいとされる時代が何百年か続き、弊害も生んだと中田は指摘する。例として挙げられるのが落下の問題である。同じ形の金属の玉と木の玉を落とすと、重い金属のほうが先に地面に着くとアリストテレスは言っていた。実際には、空気抵抗を受ける形が同じなら重さに関係なく同じ速さで落ちる。この誤解は長く続き、ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔から物を落として覆したらしい、と中田は語っている。

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中世:キリスト教の時代とアウグスティヌスの「悪の問題」

古代ギリシャの哲学者たちが「ギリシャ神話の物語だけではない世界を知りたい」と探求した時代のあと、世界を支配したのはキリスト教だった。中東で始まり、ローマ帝国が国教として認めたことでヨーロッパ全土に広まり、教皇の地位も高まっていった。中田によれば、この時代の哲学はキリスト教を補完するものだった。時代の常識が一気にキリスト教に塗り替わったからである。神が世界を作り、良い行いをすれば救われる。中田は以前の動画の内容に触れ、キリスト教をユダヤ教の「バージョン2.0」、つまりユダヤ人でなくても神を信じる者は救われる教えとして説明している。

中世の代表として取り上げられるのが、キリスト教の司教アウグスティヌスである。キリスト教で最も問題になるのが「悪の問題」だった。全知全能で絶対の神が人間を作ったのなら、なぜこの世には残虐な殺人や非人道的な拷問があるのか。神が悪を止められないなら全知全能ではないし、悪を容認しているなら絶対的な善ではないのではないか、という問題である。

中田によれば、アウグスティヌスは幼い頃はキリスト教徒ではなく、マニ教を信じていた。マニ教は神の軍団と悪魔の軍団がずっと戦争をしているという世界観で、神の軍団が劣勢のときに災いが起き、優勢のときに平和が訪れる。この世界観なら悪の存在は説明がつく。ところがキリスト教の世界観ではそれが矛盾になる。中田は、私たちはこの疑問をあまり口に出して議論したことがないが、キリスト教が絶対的な常識だった時代に疑問を抱くのは死活問題だったと強調する。

アウグスティヌスが出した答えが「自由意志」だったという。神には悪を止める力がある。しかし神が殺人者を止めてしまえば、人間は神の操り人形にすぎず、意志がないことになる。人間は水を飲むことも飲まないことも選べる。神は人間に自由な意志を与えたこと自体を善とし、その自由を与えられた人間が選択を誤っている状態が悪のある状態だ、とアウグスティヌスは説明した。中田はこれを、キリスト教の中にある矛盾をサポートするために考えられたものと位置づける。そして、宗教が世界の成り立ち、社会のあり方、幸福、死のすべてを定義していた時代に、そのほころびを哲学がサポートしていたという事実こそが重要だと述べている。

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デカルト:数学者が疑い抜いた末の「我思う、ゆえに我あり」

近代に入ると、宗教戦争や自然科学の発達によってキリスト教の影響力は次第に弱まった。カトリックとプロテスタントがぶつかり合えば、どちらが正しいのか、どちらも正しくないのではないかという疑問が出てくる。自然科学が発達すれば、本当に神が作った世界なのかという疑問も生まれる。そうした時代に登場したのがデカルトである。

中田は「我思う、ゆえに我あり」を、多くの人が意味不明だと感じる言葉として紹介し、文脈から説明する。善悪は神が決めるというのがキリスト教の世界観だった。それに対して、善悪は神ではなく自分たちの中でも判断しているのではないか、それが理性ではないか、という議論が起こる。さらに、自分たちとは何なのか、すべて夢かもしれないという疑いも生まれた。

中田が注目するのは、デカルトが数学者だった点である。デカルトはX軸とY軸を考案した人物で、目を覚ましたとき天井に止まっていた虫の位置を人に説明する方法を考え、中心を決めて「右に5、上に4」と言えばわかりやすいと思いついたらしい、と中田は紹介する。数学で公式を見つけられるなら人間にも公式があるはずだと考え、デカルトは数学的・分析的に人間を捉えようとした。見えているものも幻覚かもしれない、悪魔が見せている夢かもしれない、と疑わしいものを省いていく。しかし、悪魔が夢を見せているとしても、それを夢かもしれないと考えている自分がいなければ夢は見せられない。だから考えている自分だけは確かに存在する、という結論に至った。

中田は、この言葉は今聞くと当たり前に思えるが、神がすべてを定義する世界観が長く続いたなかで、数学的・科学的に考えても自分は存在すると言った「叫び声」だったからこそ新しかったのだと説明する。問答から科学へ、宗教へ、そして再び科学へと戻ってきた流れとして中田は捉えている。

34:02

カント:理性と道徳に従うことこそが自由

続くカントも理性の時代の哲学者で、人間の中にある善や法則を捉えようとした。中田によれば、カントは道徳に則り、自分が良いと思った理性で行動を決めることが自由だと考えた。それは神からの自由でもある。眠いから寝る、腹が減ったから食べるという行動は自然法則によるもので、自分の意志とは関係ない。しかし人間はそれと関係ないことをすることも、しないこともできる。それを決めているのが人間の中の理性と道徳であり、道徳に基づいて行動することこそが自由だという。

中田は「定言命法」を、「何々だから何々する」という行動の決め方を否定する考えとして説明する。腹が減ったから食べる、得になりそうだから愛想よくする、というのは自然の摂理に近い。そうではなく、良いことだと信じているから理由なしにやる。だからカントは状況によって行動を変えることを許さず、嘘はどんな状況でも、誰かを守るためでもいけないとした。ソクラテスが「欺くことは悪か」を状況ごとに問い直したのとはまったく違う、と中田は対比している。

カントは朝5時に起きて夜10時に寝ることを守り、決まった時間に散歩していたため、人々はカントの散歩を見て時刻を判断していたらしい。中田はこれを今見ると滑稽にも思えると言いつつ、どの哲学者もその時代にわかっていることの範囲で格闘していたのだと語る。

37:23

ヘーゲル:他者との対話で上へ進む弁証法

カントが自分の理性で考えたのに対し、自分だけで考えるのは良くない、他者との関係が大事だと言い出したのがヘーゲルである。中田は「弁証法」を図形の例で説明する。ある人は丸に見えると言い、別の人は三角に見えると言う。どちらかが間違っているのではなく、話し合ってみると、それは上から見れば丸、横から見れば三角に見える円錐かもしれない。二人でそれに気づけば、より高い次元に進める。互いの矛盾や違いを話し合い、理性と理性を突き合わせることで上に行ける、相互承認していこうという考えだと中田は説明する。

中田は時代背景として、ナポレオン戦争やドイツの統一など政治の仕組みが激しく変わっていたことを挙げる。宗教戦争を経て神は正しいのかと問うているうちに、国家そのものが変わっていく。世界は変わるのだと実感した激動の時代に、神が世界を安定させているのではなく、答えは自分たちの中にあるかもしれないと人間に答えを求め始めた。デカルトの「我思う」、カントの「自分が決める」、ヘーゲルの「みんなで話し合う」は、そうした文脈で理解できるというのが中田の整理である。

39:25

キルケゴール:「私にとっての真理」と絶望

時代が進むと、問いの対象は「人間全体」から「個人」へ移っていく。これは自分の分析だと断ったううえで、中田は、人間とは何かという問いはもう関係ない、自分にとっての答えが欲しい、自分が幸福でありたいと言い出したのがこの世代だと説明する。その代表がキルケゴールで、「実存主義」とは実際に存在している今の私にとっての哲学、つまり「for me」の哲学だと中田は言い換える。キルケゴールは自分にとって真理であるような真理を知りたいと言った。

中田はキルケゴールの生涯を「運命の人」として紹介する。父と家政婦のあいだに意図せぬ形で子どもができ、父はそれを後悔して、自分は罪を犯して子を産ませたから自分の子は34歳までに死ぬだろうと予言した。父からそう言われて育ったキルケゴールは、自己肯定がなかなかできなかった。27歳で婚約したが、数か月後に自ら婚約を破棄した。理由は不明で、嫌いになったわけではない。予言のせいか、自分の考えによるものかはわからない、と中田は言う。その後もキルケゴールはずっとその相手を想い続けた。相手は別の男性と結婚し、だいぶ経ってから想いを伝える手紙を書いたが、新しい夫に破られて読まれなかった。死後、その想い人のおかげで本が出版されていったという。

代表作『死に至る病』は絶望とは何かを論じた本で、絶望してはいけないと説く。中田が強調するのは、キルケゴールの言う絶望の意味の広さである。「どうせ自分は金持ちになれない」と諦めるのも絶望だが、「自分は億万長者になる」と思うのも絶望だという。自分の能力にまったく見合わない夢を見ることも、能力をすべて諦めて捨てることも、自分をきちんと見られていない点で絶望だ。だから客観的に自分を見て、何ができて何ができないかを考えることが大事だとキルケゴールは言った、と中田は説明する。

中田はこのあたりから哲学が「今っぽく」なると言う。日本人はキリスト教が絶対だという土台を持たないため、神から人間全体へと移る段階の哲学は理解しにくい。しかし個人が社会より自分自身を見つめ、幸福とは何かを考える段階になると、だんだん共感できるようになるという。

44:45

ニーチェ:「神は死んだ」とキリスト教批判、超人

ニーチェの最も有名な言葉「神は死んだ」も、文脈の中で聞くとすごさがわかる、と中田は語る。キリスト教が絶対だった流れのなかで、はっきり「終わりだ」と言い切ったのであり、中田はこれを「グッバイキリスト教」と表現する。

ニーチェはキリスト教を批判した。キリスト教は弱き者を救うと説き、貧しい者や弱い者は幸せだと言う。しかし実際のキリスト教には序列があり、派閥に分かれて争い、結局は強い者が勝っているではないか。清く弱い者が天国に行けるという考え方は、強い者への妬みではないか。キリスト教の考え方は根本的に逆転していて、強い者が幸せになり弱い者は幸せになれないという現実を隠している。それを歪めているから問題が起きるのだ、とニーチェは言った、と中田は説明する。キリストを盲目的に崇めること自体がおかしく、皆が信じていても違うことを言っていい。そこでニーチェが打ち出したのが「超人」、つまりどれだけ批判されても自己肯定を続ける強い人間がこの時代には必要だという考えである。中田はこれを「マッチョ」と評し、絶望しないほうがいいと言ったキルケゴールに対して、個人がもっと強くなるべきだと言ったのがニーチェだと対比している。

47:37

バタイユ、そしてナチスによる曲解

ニーチェは大きな影響を与え、個人をもう一度見つめ直そう、キリスト教の倫理観だけが正しいわけではないかもしれない、という動きが広がった。ニーチェに影響を受けたフランスの哲学者として中田が挙げるのがバタイユである。バタイユはエロティシズムについて考えた。人間が性的なことをするのは繁殖のためだが、子どもを産むことがエロスなのかといえば違う。禁じられたものを破りたいという根源的な悪の欲求こそがエロスだ、とバタイユは言ったという。中田は、今ならなんとなくわかる考え方だが、当時はそれをはっきり言うことがなかったと説明する。キリスト教には堕胎や不倫など禁じられたものが多く、その中で「破るのがいい、それが人間らしさだ」と言い出し、そうした小説も書いた。価値観がだいぶ逆転してきた、と中田は述べる。

ところが、反キリスト教的な考えの中で最もインパクトのあったニーチェの超人思想や「強くあれ」という考え方を曲解し、悪用したのがナチスだと言われている、と中田は続ける。ゲルマン民族こそ最高の民族だと自己肯定し、強い者が正しいとして全体主義に向かっていった。キリスト教という絶対から解放されれば人間らしくなれるのかといえば、そうではなく、別の考え方がまた生まれてしまう。中田はこれを「難しいものですね」と受け止めている。

49:52

アレント:アイヒマン裁判と「凡人の悪」

ナチスとは何だったのかを考えたのがアレントである。中田はアレントを、もともとドイツに住んでいたユダヤ人で、アメリカに亡命した女性哲学者として紹介し、現代哲学者ハイデガーの元恋人でもあったと付け加える。

アレントの考えのきっかけとして中田が挙げるのが、アイヒマン裁判である。ナチスはユダヤ人を弱く悪しき民族だとし、ドイツ人がひどい目に遭っているのはすべて彼らのせいだとすることで人気を取り、ユダヤ人をガス室に送って大量に殺戮した。人々はどんな恐ろしい人間がそれをやったのかと注目した。しかしアイヒマンがしていたのは、収容所からガス室へユダヤ人を送るための列車のダイヤを作ることだった。作れと言われたから作った、という普通の人が出てきたことに、アレントは大きなショックを受けたという。悪は極悪人だけが行うものではなく、何も考えない凡人が何も疑わなかったときに、とんでもない悪を生む可能性がある。人間はとんでもない悪人ととんでもない善人だけでできているのではなく、時代によってこういうものも生んでしまう、とアレントは考えた、と中田は説明する。中田はさらに、宗教とは関係のない社会主義や全体主義の仕組みの中でスターリンのような暴君が現れたことにも触れ、人間はどうなったら人間らしいのかを問うたのがアレントだと位置づけている。

52:37

アレント:「労働・仕事・活動」と人間らしさ

戦後の哲学者であるアレントの考えは「だいぶ身近」だと中田は言う。アレントは人間の営みを「労働」「仕事」「活動」に分けた。中田の説明では、労働は食べるための生業、仕事は創作やクリエイティブな自己表現、活動は公共に奉仕することである。今の人間は労働ばかりしている。お金を稼ぐために働き、空き時間に消費し、稼いだ分を全部使う。そのあいだ何も考えていない。しかし人間らしさは仕事や活動のほうにあり、それを考えることで人間らしさを取り戻せる。考えなくなったら人間ではないのではないか、とアレントは言っているそうだ、と中田は伝える。

中田は、「お金のためだけに働いていませんか」という問いかけは最近の書店に並んでいそうなほど今っぽいと言う。そして、私たちがこの問いを聞いて「そうだそうだ」と納得するように、それぞれの時代の人々も哲学者の言葉に「そうだそうだ」と共感していたのだと語る。議論ばかりさせられていた時代には「自分たちはまだ何も知らない」という言葉が、科学に目覚めた時代には「アリストテレスの話を聞きに行こう」が、それぞれ響いた。その時代の悩みに答えてきたのが哲学者だというのである。

哲学者はなぜ同時代に評価されなかったのか

中田によれば、哲学者は基本的にマイノリティで、迫害されることも多かった。その時代の窮屈で混乱した古い常識に悩む民衆に対して、こう考えれば楽になれる、自分らしく生きられると新しい考え方を示してきたからだ。そのため、後の時代になって認められる人が多い。ニーチェやキルケゴールも、生きていた時代にはあまり評価されなかったと言われている、と中田は紹介している。

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現代の常識を疑う

最後に中田は、現代の哲学はどうなっているのかという問いを視聴者に向ける。後の時代から見れば、今はこう言われるかもしれないと中田は語る。IT革命のあとで、5Gや自動運転、ブロックチェーン、仮想通貨とテクノロジーが発達し、宇宙を目指そうとしていた時代。その時代に最も信じられていた宗教は、一説によれば資本主義だった。神の話は物語だと思っていても、お金の価値は皆が信じ、稼げば稼ぐほど幸せになれると信じていた。政治では民主主義が最も優れたシステムとされ、選挙さえすれば正しい政治家を選べると思われていた。

中田は、今この時代に生きているからそれがすべてだと思うかもしれないが、それは今の時代の正義でしかないと言う。SNSで誰とでもつながり、どんな映像も見られ、キャッシュレスで支払える今は幸せか。資本主義でお金を稼ぐほど幸せだと言われる今は幸せか。民主主義で政治家を選んだ今は幸せか。古代ギリシャを古い時代だと鼻で笑っていたかもしれないが、私たちはそれから何千年分幸せになり、世界がなぜ存在するのか、社会はどうあるべきか、幸福とは何か、なぜ死ななければならないのかについて、何倍も知ることができたのか。その答えは出たのか。中田は、もし答えが出ておらず、自分は幸福ではないかもしれないと思うのなら、そのときは哲学の出番かもしれない、という問いかけで動画を締めくくっている。