本木雅弘が語る、英雄を演じない理由と「匙を投げるロマン」——『黒牢城』の荒木村重から60歳の現在まで

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概要

映画『黒牢城』の公開に合わせ、中田敦彦が俳優・本木雅弘を迎えて約2時間話し込んだ対談である。中田は43歳。本木が『おくりびと』を手がけたのとほぼ同じ年齢にあり、仕事から一歩引くことの先に別の人生があるのではないかと期待している。その答えを、主人公・荒木村重と、『おくりびと』以降に生き方を変えたように見える本木に求めた。本木は「何も核はない」と言いながら、役選び、家族との距離、死に方、そして自分の揺れを率直に語った。

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3:57

「戦略家」と見られた中田、「もがき苦しんでいる」と返す

対談の冒頭、本木はメイク中に中田が自ら現場のセッティングを指示する声を聞き、緊張したと明かした。中田は、今回もPR料を受け取らずに出演依頼を受けたと説明し、『黒牢城』を観たうえで本木と話したかったと述べた。

本木は事前に中田の発信を少し見てきたという。特に、竹下隆一郎のTBS CROSS DIG『FUTURE CARD』に中田が出演し、40代で「老害」について語り、業界から距離を置くような発言をしていた回が心に刺さったと話した。そのうえで本木は、これを「戦略」だと読んだ。テレビの成熟期にテレビに入り、YouTubeの成長期にYouTubeに入り、AIの黎明期に「旬が過ぎた」と先に言っておく。先頭集団にいながら先に限界に気づいていると示し、実際にその時が来れば別の変化球を投げ、「辞めるはずでは」と言われたら「座右の銘は前言撤回」と返す。そういう筋書きではないか、というのである。

中田は「違います。ただもがき苦しんでるんです」と否定した。何かから降りるのは戦略ではなく、降りた先に別の人生があるかもしれないという期待だという。そして、それを体現しているのが第二の人生を送った村重であり、『おくりびと』以降の本木だと考えている、と対談の動機を説明した。

本木はさらに、中田を「村重的であり、かつ官兵衛も持っている」と評した。難題を与えられれば解かずにいられない頭脳派の官兵衛の側面と、読めない野望を胸に淡々とタイミングを狙っているように見える村重の側面。その二重性を持っているという。中田は、地下牢で推理されているようでゾクゾクしたと応じた。

荒木村重の役が来た経緯

なぜ村重を引き受けたのかと問われ、本木は経緯を説明した。もともと松竹に、「このミステリーがすごい!」1位となった米澤穂信の原作を実写化したいという思いがあった。監督として黒沢清に打診したところ、黒沢も村重に興味があり受諾した。黒沢は前作『クラウド』で菅田将暉と組み、その才能に惚れ込んでいたため、官兵衛を菅田にやらせたいという考えがまずあった。そのうえで対抗する村重を誰にするかを探した。

本木によれば、黒沢監督は割と冷めたところがあり、時代劇の立ち居振る舞いができる人、といったチェックポイントで絞っていった結果、「たまたま私に来た」のだという。中田は謙遜が過ぎると返したが、本木は、癖のある奇才の黒沢がなぜ自分のような「つまらない役者」に、と嬉しさと謙遜を抱えながら飛び込んだと語った。

12:13

英雄を演じない役選び——「チャレンジと保険」

中田は、本木の役選びは一本の線になって村重につながっていると見る。日本を代表する俳優は、どこかで織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や坂本龍馬のような、誰もがヒーローと思える人物の立志伝を演じるイメージがある。しかし本木は、徳川慶喜、昭和天皇、斎藤道三のように、歴史的評価が難しく賛否が分かれる人物を演じてきた。三英傑や龍馬を意図的に避けているのではないか、と中田は問うた。

本木は「確かにそういうところはある」と認めた。まだ実写で演じられていない役であることは一つの引力になる。昭和天皇は御簾の向こうや後ろ姿だけで映されたことはあっても、動いて話す形で演じるのは初めてだという点にくすぐられ、『日本のいちばん長い日』に出演した。そこにチャレンジを感じるとしたうえで、本木は「チャレンジとあと保険ですね」と付け加えた。初めて世に晒される人物であれば、観る側にも正解がわからない。だから言い訳もできる、というのである。雑誌でも創刊号の表紙と言われるとついやってしまうと話し、自分で発想しているわけではないから真のイノベーターではないが、新しいものに「一丁噛みしたい」のだと述べた。

中田は、その傾向はアイドルグループ解散直後の映画『ファンシイダンス』で、丸坊主になる演技をしたところから始まっていたのではないかと指摘した。本木によれば、事前に刈るのではなく、刈られるシーン自体があり、一発しか撮れない撮影だった。「ゲリラっぽい」挑戦だったという。

15:41

学芸会の記憶と「卑屈なやつはプライドが高い」

強い思いで飛び込んだのかと問われると、本木は自分の「厄介なところ」を語った。今でも、芝居が心底好きか、人間に興味があってやっているかと聞かれたら「そうでもない」。自信があるのかないのかも自分でわからない。ただ、自意識が過剰なことは確かだという。

その原点として挙げたのが小学校の学芸会である。役をやってみたいが、自分から立候補はできない。誰かが推薦してくれないかと待っていた。結局、全てを「人のせいにしたい」のであり、人に推されることが行動の原動力になる、と本木は自己分析した。推薦されて出たこともあったが、その記憶は薄く、むしろ推薦されずに本番を客席から見て「自分だったらこうするのに」と思っていた光景を強く覚えているという。

後年、エゴサーチで見つけた批判の一文が刺さった。本木が出演のたびに「俺なんか」と言っているのを見た誰かが、「卑屈なやつって結局プライド高いんだよな」と書いていた。それが小学生時代の自分と重なり、「人間ってこんなに変われないんだ」と愕然としたという。

一方で、事務所には自ら履歴書を送っていた。1970年代末から80年代初頭は学園ドラマが多く、隣のお兄さんのような存在がテレビに出られる時代だった。その中の一人になりたいくらいの気持ちで、子供の劇団にも応募していたが、他所から通知が来て次の段取りを決める前に、ジャニーズ事務所から電話があったという。歌については、小学校低学年の頃にカセットテープに録音した自分の歌声を気持ち悪いと感じ、音感も良くないので無理だとどこかで感じていたと振り返った。

22:48

本木が見た村重——実直さと静かな野望

村重をどう見たかという問いに、本木は、諸説あり深くリサーチしたわけではないと断ったうえで人物像を語った。基本的には寡黙で実直。一方で先行きが見えてしまう戦略家の面があり、未来図を描き、物事を処理する能力はあったはずだという。出自ははっきりしないが、父親が池田家に中堅以下の立場で仕えていたらしく、下剋上のある戦国でのし上がった。ただし聞く耳を持たないタイプではなく、信を置く人の意見や俯瞰して正しいと思うものを選べる人物で、能力ゆえに気づけばある地位に来ていた武将だと本木は見る。

信長に仕え重用される中で、信長は確信的なひらめきを持つ一方で感情に流されるムラがある。村重はそれを見るにつけ、愛着を感じながら限界も感じ、戦国のシステムの矛盾を体現する形になっていった。そこに、このシステムを何らかの形で覆せないかという「静かな野望」が徐々に張り付いていった、というのが本木の解釈である。

覆したかったものについて、本木は原作の一節に触れた。武士は死が売り物になっている。一族の誰かの誇らしい死によって家系が存続していると語り継がれる。常に誰かが死ぬことで生きていく構造は虚しく、上に登り詰めても抑圧されるだけで、村重にとっても苦しかったのではないか、と本木は推測した。

26:28

「匙を投げる」ことに賭けたロマン

中田は本木のフォトブック『awai』から、『黒牢城』のアフレコ写真に添えられた一文を読み上げた。「パワーゲームがもたらす実りは虚しい。ならば一足先に匙を投げてみるか。切実さ故のロマンに賭ける」。ここでいうロマンとは何か、と中田は尋ねた。

本木は、村重は戦国の矛盾を一人で変えることはできなかったと前置きした。『黒牢城』にはざっくり言えばリーダー論のようなものがあり、強さだけで何かを奪うものは末路が哀れだということに村重は早々に気づいている。しかし戦国を生きた者の性として、どうしても勝ちに行ってしまう。

黒沢監督は、原作にない台詞や原作から強めた言葉を映画に散りばめたと本木は指摘する。戦国の世がつくづく疎ましく思うときもある、という台詞。武士の価値観を受け入れた成れの果てが自分の腹構えだと言う官兵衛に対し、それを少しでも覆そうとは考えないのかと問う台詞。別の家臣に向けた「この期に及んでも国の面目が大事か」という言葉。小説では村重が心の中で観察していることが文章になっているが、映画ではずっと黙っているわけにいかず、言葉として吐き出させている、と本木は説明した。

そのうえで本木が示したのが、ロマンの中身である。どう戦っても歯がゆく、絶対の戦い方も見つからないまま時間的に追い詰められていく。皆がおかしくなってしまったとき、誰かが「一抜けた」と匙を投げる。すると、議論していた皆が一瞬止まり、別の流れが生まれるかもしれない。そこに賭けるロマンだという。中田が「匙を投げる行為自体が問題提起になる」とまとめると、本木は同意した。ただしこれは監督から説明されたものではなく、本木自身の捉え方だと断っている。

31:29

史実の村重は逃げたのか——本木の読み

本木は個人的に資料を読んだうえで、「村重は別に逃げたわけじゃない」という見方を語った。映画では、官兵衛に毒であると同時に甘美な言葉で煽られた末、一人去っていくように描かれる。史実でも逃走したのか支援を求めに行ったのか諸説あるが、裏切り者というレッテルが基本イメージになった。

本木が支持する説はこうだ。村重は有岡城から、息子・村次のいる尼崎城へ移った。大将がそちらに移れば、大将首を狙う戦いがそちらに集中する。数人ではなく数百の兵も伴い、尼崎城や花隈城で戦える算段を整えた。その間に有岡城に残った家臣たちが婦女子を守りながら逃がせばよい。その策を、青木崇高が演じた荒木久左衛門を中心とする家臣に言い残して出ていった。危険ではあるが、戦略として出ていったのだ、と本木は考える。

さらに本木が読んだものによれば、信長は村重のことが好きで、本当は仲直りしたかった。村重は本願寺や毛利に言いくるめられて謀反を起こしたのだと信長は思い続け、すぐ攻められる場面でも逃げ道を残して説得の機会を作ろうとした。荒木久左衛門らに村重を説得してこいと猶予を与えたが、村重はすでに幕府再興派に乗り、本願寺や毛利と血判で約束していたため、本願寺の側が許さなかった。その事情を久左衛門らは持ち帰らずに逃げてしまい、信長はそのことに激怒したらしい、と本木は語った。背景には、村重が尻拭いやアイデア出しをしても大事な仕事を秀吉に任されるなど、肩透かしを食らい続けたこともあったと見ている。

結果として数百人が殺される凄惨な事態になり、その元の種を作ったのは村重だと言われるかもしれない。それでも村重は、ギリギリまで最も難しい人間的対話を続けようとしたタイプのはずだ、と本木は述べた。こうした説を踏まえて演じた村重について、本木は、はっきりした野望ではないが、こういう道筋の方が未来が美しいと想定して動いた人間らしさ、狂気の戦国にあって普通さを持っていたからこそ揺れる人物だと表現した。

37:35

50代以降のロールモデルとしての村重

中田は自身の見立てを語った。若い頃は革命児の信長に憧れ、30代になると人間的な調略が必要だと秀吉に憧れ、40代で管理職になると組織作りのうまい家康に惹かれる。その先、50代以降のロールモデルとして、匙を投げた先に別の流れを見た村重がありうるのではないか、と。

本木は現代に照らして応じた。戦争も止まず、どの業界でも問題が絡み合って収拾がつかなくなっている。そこでは、AIに超スーパーに考え抜いた答えを求めるのではなく、「やってらんねえよ」というアナログなアクションこそが一番破壊力を持つのかもしれない。その意味で、当時の武士の価値観に対して違うクレバーな考え方を持っていた村重はモダンだったと思う、と本木は述べた。中田は、時代劇の中に一人モダンな人物がいる違和感が最後まで観る引力になっていたと感想を述べた。

映画では、村重は茶人として堺で生涯を閉じたと説明されるだけだ。本木は、これだけの命が失われたことへの贖罪の思いはあったはずだと考える。村重は道薫と名乗り、最初は自らを卑下して「道糞」と名乗ったらしい。戦国は自分らしく生きることができず、与えられた立場を生きるしかなかった時代だが、最後に自分の好きなことに心を注いで終わる人生を一つのモデルとして見せたのではないか、と本木は語り、自分としても救われた気持ちになったという。茶道を3年ほど続けている中田も、千代保の台詞「進まずとも極楽はある」に、退いても極楽はある、匙を投げてみようじゃないかと言われたようで救われた、と話した。

42:21

原作との違いと黒沢清の演出

中田は、原作小説は官兵衛の視点が強く、官兵衛が見た村重のどこが間違っていたかを検証するミステリーだったが、映画は「村重はこう考えていた」というアンサーにも見えたと述べた。本木はそれを主に監督の功績だとした。

本木自身は当初、揺れたままの武将でいいのか、裏の野望がもう少し見えて強い方がいいのではと考えていた。しかし監督は「いいんです。もっと揺れる感じで」と言い、あまり決めつけないでくれと求めた。殿様然とせず本木らしく、という指示もあったが、本木は「あれだけ不自然な台詞を自然に」と言われても、と苦笑した。

黒沢監督は、登場人物の名前や位、関係性を説明する気がさらさらないと本木は言う。日本人でもわからないほどの関係を、外国の観客は俯瞰して全体像として感じ取る。軍勢が集うとこうなる、囲われているのは官兵衛だけでなく、この時代の考え方に取り囲まれた人々の話ではないか、自分を囲っているものは何だろう、と自分事にするよう緩やかに誘導しているのではないか、と本木は推測した。ホラーが得意で、血みどろを見せずに背中だけで最も怖い画を撮ろうとする監督であり、あらゆる意味で確信犯だという。初の時代劇で、時代劇が世界に出ていくときにこういう形もあるという新しさを示したかったようだ、と本木は話した。

46:18

40代・50代、そしてロンドンへの移住

話は本木自身の人生に移った。フォトブックの最後には「紛れもない60年目の朝、果たして何か変わったのだろうか」という一文がある。中田は40代・50代がどんな20年だったのかを尋ねた。

本木は小学生の頃、ノストラダムスの大予言を信じ、2000年は来ない、自分は30代で死ぬと漠然と思っていたという。低学年のとき卒業していく6年生がすごく大人に見えたが、自分が6年生になると「こんな子供じゃなかったはず」と感じる。その届かない感覚が40代、50代でも続いた。周囲の50代は自分の言葉で語れるように見えたが、実際に50代になってもあまり変わらず、60歳の朝も「ただいつもと変わらない朝が来た」というのが正直な実感だという。

イギリスへの移住のきっかけは、娘の留学に3か月ほど付き添うつもりだったことだ。本木は10代の終わり、人生で初めて10日ほどの休みをもらった際、一人でロンドンとパリを訪れ、ホバークラフトでドーバー海峡を渡った。ロンドンの重く曇った空、台風の前後のような不穏な空気、雲が割れて光が差す光景に惹かれ、ヨーロッパの絵画の光の違いもここから来るのかと感じたという。ただし本木は、場所は「どこでも良かった」とも言う。10代から人の目に晒されることに慣れていたが、軸がない自分が歯がゆかった。海外で一人の人間として扱われ、もてなされないこと、アジア人として微妙な差別を感じることも含めて、自分が塵のように風に飛ばされそうな小さな存在だと感じられることが新鮮で嬉しかったという。中田もシンガポール移住で同様の解放感を感じたと応じた。

日本に戻ったのは、娘がニューヨークの大学、パリの大学院へ進んでロンドンにいなくなったこと、義母の樹木希林がいよいよ危ないかもしれないと感じたためだった。ロンドンには今も小さなフラットを持っているが、妻と半々で購入したもので、自分の逃げ場所ではあっても完全な逃げ場所ではないという。

54:28

家族との距離と「森の人」の願い

フォトブックには家族の写真が1枚だけあり、「少し遠くに離れると丁度よく愛おしい」と添えられている。子供3人という家族構成が似ている中田は、この一文に味わいを感じたと話した。本では、妻は海の人で自分は森の人、夫は森に住む企みを持っている、とも書かれている。

本木は以前、妻に勧められて中田の動画を見たことがあるという。限られた時間をどう使うか、人生は喜ばせ合戦で誰と過ごすかが肝だという内容で、最後に中田が「一人で花火を見たら寂しい」と言ったとき、本木は一人で見るのはすごく楽しい、と内心ツッコミを入れていた。ただ、それを感じられるのは、時々息苦しくなるほど密な家族という関係があるからこそだ、と本木は述べる。小さな存在であること、一人でいることを味わうために家族が必要、という順番だという。

森に住む構想はロンドンとは別で、自分のお金で、自分だけの場所を、と考えている。その原体験がニュージーランド北部のワイポウアの森だ。子供たちが小さい頃、自然に触れさせる名目で訪れた。そこにはジュラ紀、1億5000万年から1億9000万年前から続くとされるカウリの巨木がある。宿の奥さんに、バスで来られる一番大きな木ではなく、森の奥にある2番目の「森の父」がいいと勧められた。幹回りは16メートルほど。カウリは生存のために自ら枝を落とし、寸胴に太くなって他の植物や動物が登れない体に進化し、樹皮を脱皮するように剥がしていく木だという。

本木は数十メートル手前から、その木の「気」、オーラを浴びるように感じ、心がひれ伏したという。家族は誰もそう感じなかったらしい。太古からの自然が生きていると感じ、言葉通りの畏怖を覚えた。それはエクスタシーに通じる何かだったと本木は表現する。自分をなくして森の一部、森の使い走りや奴隷でいいから、自然の中でできることをして終わっていくことに憧れる、と語った。

率直に言えば「自然の中で一人で死にたい」。病室でも家族に囲まれるのでもなく、「本当に還るんだ」と感じる形で。春先のロンドンの公園で、大木の間に白や黄色の水仙が咲くのを見て、こういうところで死にたいと思ったこともある。30年前のインド旅行で生と死が隣り合う川の風景を見て、それが『おくりびと』につながったことにも中田は触れた。本木は、生と死は裏表であり、死を意識するのはどう生きるべきかをより実感したいからではないかと述べた。経済的な欲もあるが、最後は納得してすっきり消えたい。中田が紹介した『DIE WITH ZERO』にも少し近い感覚だという。

1:05:38

『坂の上の雲』の3年間と、湧かなかった欲

中田は、お金でも名声でもない何かとして、本木にとって今仕事はどういう位置付けなのかと問うた。本木は、40代はもっと働けたはずだと振り返る。転機は『おくりびと』というより、NHKドラマ『坂の上の雲』だった。撮影は1年半あれば撮れたが、NHKが一つの番組にそこまでの予算を組むとブーイングが起こるため3年に分けられた。本木は不器用で、一つの役の間は他の仕事を絶対に掛け持たない。そのため40代の最初の3年間、他の仕事をしなかった。他人から見れば一番働く時期に急に立ち止まったように見えた。

しかし、子供たちがまだ小さい時期に、当たり前の日常を味わいながら時々役の衣装を着に行くペースが良かった。決められたペースや進化に乗らなくてもいいと気づき始めたのかもしれない、と本木は話した。

一方で「自分で欲があるのかないのかわからない」とも言う。皆がハリウッドを目指した時期にもそこへの欲は湧かなかった。家族は皆インターナショナルスクール出身で英語を話せるが、話せないのは自分だけで、頑張ればできたはずなのに欲が湧かなかった。『おくりびと』の発案者ではあるが、プロデューサー業を始めるほど背負う気もなかった。望みすぎると足をすくわれるというブレーキがどこかでかかっているという。マウントの取り合いに巻き込まれたくなく、誰かがマウントを取ろうとしているのを見ると、自分もそう見られたらこう映るのかと怖くなるとも語った。

中田は、本木の役には「負けてきた人」が多いと指摘した。本木は確かにそうかもしれないとして、ドラマ『八月の声を運ぶ男』で演じた伊藤明彦の例を挙げた。元長崎放送のディレクターで、局を辞めて意地で被爆者の声を1000人以上集めた人物だ。経済成長期に辛い過去を忘れて明るくいこうという時代に逆行し、非核を願って声を集めたが、生前にはあまり認められずに亡くなった。本木は自分から選んでいるわけではないとしつつ、綺麗にまとめるなら、弱さやどうしようもなさに共感し、「そこなら自分もすがれる」ということかもしれないと述べた。

1:14:38

「押すなよ」の自己演出と、妻の指摘

中田は、斎藤道三を演じた際の『プロフェッショナル 仕事の流儀』の密着を、ひっくり返るほど面白かったと振り返った。撮りたいものがあるディレクターに対し、本木が撮らせまいと動き、作為が暴かれる顔まで映っていた。本木は「全然自己演出しちゃってた」と認めた。

本木の基本は「ダメ元精神」だという。自分を低く見積もっておけば、少しでも肯定されたとき、下げておいた分だけ嬉しい。20代のアイドルから俳優への転身期にセンセーショナルな挑戦が続いたことについては、年代的な意図と弱さゆえの面があり、誰かに「突き落としてほしい」のだと語った。崖っぷちで迷っているときに、自分で覚悟を決めるのではなく、ボンと押してもらう演出の方がいい。中田がダチョウ倶楽部の「押すなよ」にたとえると、本木は、あれほど怯えていたのに思いのほかうまく飛べている方が見る側にも夢がある、と自分では思っていると述べた。

だがこれが夫婦喧嘩の種になる。妻からは、50歳、60歳でそれをやってはだめだ、あなたは自分のやることに誰もが構ってくれると思っているからそういう態度ができるのだ、と言われるという。もっと素直に、問われなくても「愛してる」と言えるような生き方を、ということだ。本木は、結局一番自分が可愛く、注目が集まるよう仕向けているのかもしれない、と自問した。

中田は、映画『海の沈黙』の際に小泉今日子が、同世代でアイドルから芝居を続けてきた者として、本木の複雑さを昔からのものとして肯定していたことにも触れた。本木は、多かれ少なかれ皆そうではないかと返す。中田も自己肯定感が高いと公言しつつ、それを疑う素直さを捨てていない。皆、バランスは違っても揺れている、と。

本木は『黒牢城』の原作にある「諧謔味」という言葉を紹介した。村重が語るとき、その声には相手を諭すような響きと、自分を嘲笑うような響きが同時に混ざる。物事のおかしみと共感が入り交じり、滑稽さの中から真実や人間性が見えてくる。チャップリンの、人間の営みは寄りで見るか引きで見るかで見え方が変わるという趣旨の言葉にも触れ、村重も正しいと思う野望を抱きながら自分にツッコミを入れ続け、引いて見れば人間は笑ってしまう存在だと感じている。そこから匙を投げるロマンという考えも出てくる、と本木は語った。では本木自身は匙を投げたのかと問われると、「投げてないかもね」と答えた。

1:23:43

「誇りを持って脇にどけ」と、妻への宿題

本木は再び中田の「老害」の話に戻った。自分はレジェンドではないから取り違えはしないと思うが、引き際や下り坂の降り方が自分らしく生きるために重要だという話を見て、樹木希林が口にしていたエーリッヒ・ケストナーの言葉を思い出したという。「誇りを持って脇にどけ」。名誉や地位に固執せず、潮時が来たら素直に脇にどく。ただ、潮時を自分で察知するのは難しい。本木は、自分はもうその時期に来ているから、働き方や仕事の選び方をもう少し変えていかなければならない、と本当に思っていると述べた。

中田は、自分もまだ答えがないと打ち明けた。お金や褒められることではない何かを仕事に求め、やりたいことしかやらないとのたうち回っている。本木はそれを、仕事ではない人生の価値の軸、「納得」が欲しいのだと言い換えた。

そこで本木が口にしたのが妻のことだった。妻は19歳で結婚し、もっと華やかで楽しい時間があると思っていたら「こんなねじれてる男」だったと気づかされ続け、子育ても大変だった。何かお返ししないと終われないという宿題がずっとある。しかし急に素直な夫にはなれないし、自分の終わりの時間は妻より早く迫っている感じがある。中田は妻にすでに7〜8割は返しているように見えるが、自分は4割も返せていない、と本木は語った。中田がそれを否定し、本木と村重に何かを見出そうとしたと言うと、本木は「でも見出せなかったでしょ」「何も核はないの」と返した。

1:32:02

30代から変わらない「ほどほどに希望して楽しく諦める」

40歳の前後で大きな価値観の転換があったわけではない、と本木は言う。フォトブックにもある通り、30代の頃から「人生をほどほどに希望して楽しく諦めていくこと」、そのバランスに何歳になっても戻ってくるだけだという。中田はこの言葉が最も刺さったと話した。

きっかけを問われ、本木は29歳での結婚と子供の誕生を挙げた。喜びもたくさん知ったが、人間のどうしようもなさ、紛れなさも感じた。望むだけ損だと、もぐら叩きのように自分に言い聞かせている。少しできそうな気がすると理想を高く設定してしまい、撮影が始まると「現実こうだね、どうせできないね」となる。第一子が生まれたのは大河ドラマで徳川慶喜を演じていた30代前半で、バギーで散歩させてから撮影に行く日々だった。妻の方がもっと大変だったと思うが、だからこそできた、と本木は振り返る。個に逃げられる自分がなくなり、しがらみが完全にできた、いい意味での拘束感だったという。

義母・樹木希林と岳父・内田裕也の存在も大きかった。樹木は最大の助言者で救いだったが、より自由で破天荒な内田と並べると、良し悪しではなく生き方の両極が存在しているのを見て「逆に悩ましかった」。どちらにも憧れるが、どちらにもなれない。自分はどこにいるのか。そこからこうした答えを導き出していったのかもしれない、と本木は述べた。

フォトブックの題名『awai』は「間」と書いてあわいと読む。物と物、時と時、人と人の間で、境界ではなく二つが混ざり合い溶け合っている領域を指す。両面性を抱えていることについて、本木は「欲深なんでしょうね。両面を知らないと納得できない」と語った。先に欲がないと言っていたことを中田が指摘すると、本木もそれを認め、そこも両面性だと応じた。

忘れられたいのか、囲まれていたいのか

これからについて、本木は選択が迫っていると認めた。半分近くは、メインストリームではないという気持ちで少し譲っている。しかし一人になりたい、自分を知らない場所に行きたいと言いながら、世間から忘れ去られたら寂しいと思うのか、平気でいられるのか、本当にわからない。妻には、何者でもない自分になりたいと思えるのは今囲まれていて認知されている安心感があるからで、本当に忘れられたとき同じことを思うのか、と言われるという。

それでも「とにかくもう一人で死んで」いいのだ、と本木は言う。相原コージの漫画で、西部劇の撃ち合いで撃たれた男が最後に見たのが尻尾の揺れる馬の尻だった、という話を記憶違いかもしれないと断りつつ挙げた。病院で家族に「お父さん」と呼ばれながら、見たくない角度からの顔が集まっているのが最後の光景になるより、美しかった頃の妻や子供の記憶を思い浮かべ、日差しの中で新しい生命が芽吹く場所で土に還る方が美しいかもしれない。ただ、ややこしい自分は結局人にまみれて最期を迎える可能性もある。そうなったら、後で何かの映画で誰かが死ぬ場面に使えるかもしれないと、自分でその瞬間を撮っているかもしれない、とまで本木は語った。

1:44:56

30年ぶりの写真と、スカイダイビングで感じた生

フォトブック『awai』も、本木から手を挙げたものではない。人付き合いはあまりないという本木だが、30年ぶりに写真家・中村一弘の個展をふらっと訪れ、京都での『黒牢城』撮影中に食事をした際、写真を撮らせてくれないかと言われた。同じ写真家が30年経って同じ被写体を撮ることに客観的な面白さを感じ、写真集にするつもりもなく京都で撮り始めた。どうせなら還暦の朝、起きたときから撮ろうと東京でも撮影し、銀座の中央通りをゲリラ的に歩いた。20年後に見て2025年の銀座の背景が残っているのも面白いと思い、『黒牢城』の宣伝に使えるかもしれないという考えもあったという。誕生日の褒美として一人で過ごすためにロンドンのフラットに行っていた時期にも、中村が弾丸で来て撮影した。中田は「ちゃんと押されてるんだ」と笑った。

崖から飛び降りる思い切りの良さと神経質な自意識の両立について、本木はスカイダイビングのソロのライセンスを持っていたことを明かした。テレビドラマで飛ぶためにタンデムではなく一人で飛ぶ訓練を受けて取得し、その後オーストラリアなどで飛んだこともある。セスナで高度を上げ、静かな状態から一人ずつ空へ飛び出す。落下しているだけだが、仲間などの対象物があると空を飛んでいるように感じる。着地の瞬間も楽しいが、その夜寝るとき、数時間前は空にいて、死なずに生きていて、これから眠る、ということが幸せだった。それを感じるためにそこまでするサイクルを、自分でも異常だと思いながら嬉しいのだという。巨木もそうだが、非日常に触れて生を感じたい。AIに翻弄はされても、自分はシンプルにそこへ帰ってくるタイプだから侵されずに死ねるだろう、機械音痴でそもそも乗り切れないが、と本木は笑った。

中田は最後に、自分の悩みへの一つの回答をもらったと述べた。崖から突き落とされれば生きている実感が湧くかもしれない。それを知っていて、意図的に崖の縁までふらふらと行き、押されるのを待つ。それが長く輝く秘訣かもしれない、と。核はないと言い続けた本木から中田が受け取ったのは、答えというより、揺れたまま生きるための一つのやり方だった。