本木雅弘が語る、英雄を演じない理由と「匙を投げるロマン」——『黒牢城』の荒木村重から60歳の現在まで
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY映画『黒牢城』の公開に合わせ、中田敦彦が俳優・本木雅弘を迎えて約2時間話し込んだ対談である。中田は43歳。本木が『おくりびと』を手がけたのとほぼ同じ年齢にあり、仕事から一歩引くことの先に別の人生があるのではないかと期待している。その答えを、主人公・荒木村重と、『おくりびと』以降に生き方を変えたように見える本木に求めた。本木は「何も核はない」と言いながら、役選び、家族との距離、死に方、そして自分の揺れを率直に語った。
「戦略家」と見られた中田、「もがき苦しんでいる」と返す
対談の冒頭、本木はメイク中に中田が自ら現場のセッティングを指示する声を聞き、緊張したと明かした。中田は、今回もPR料を受け取らずに出演依頼を受けたと説明し、『黒牢城』を観たうえで本木と話したかったと述べた。
本木は事前に中田の発信を少し見てきたという。特に、竹下隆一郎のTBS CROSS DIG『FUTURE CARD』に中田が出演し、40代で「老害」について語り、業界から距離を置くような発言をしていた回が心に刺さったと話した。そのうえで本木は、これを「戦略」だと読んだ。テレビの成熟期にテレビに入り、YouTubeの成長期にYouTubeに入り、AIの黎明期に「旬が過ぎた」と先に言っておく。先頭集団にいながら先に限界に気づいていると示し、実際にその時が来れば別の変化球を投げ、「辞めるはずでは」と言われたら「座右の銘は前言撤回」と返す。そういう筋書きではないか、というのである。
中田は「違います。ただもがき苦しんでるんです」と否定した。何かから降りるのは戦略ではなく、降りた先に別の人生があるかもしれないという期待だという。そして、それを体現しているのが第二の人生を送った村重であり、『おくりびと』以降の本木だと考えている、と対談の動機を説明した。
本木はさらに、中田を「村重的であり、かつ官兵衛も持っている」と評した。難題を与えられれば解かずにいられない頭脳派の官兵衛の側面と、読めない野望を胸に淡々とタイミングを狙っているように見える村重の側面。その二重性を持っているという。中田は、地下牢で推理されているようでゾクゾクしたと応じた。
荒木村重の役が来た経緯
なぜ村重を引き受けたのかと問われ、本木は経緯を説明した。もともと松竹に、「このミステリーがすごい!」1位となった米澤穂信の原作を実写化したいという思いがあった。監督として黒沢清に打診したところ、黒沢も村重に興味があり受諾した。黒沢は前作『クラウド』で菅田将暉と組み、その才能に惚れ込んでいたため、官兵衛を菅田にやらせたいという考えがまずあった。そのうえで対抗する村重を誰にするかを探した。
本木によれば、黒沢監督は割と冷めたところがあり、時代劇の立ち居振る舞いができる人、といったチェックポイントで絞っていった結果、「たまたま私に来た」のだという。中田は謙遜が過ぎると返したが、本木は、癖のある奇才の黒沢がなぜ自分のような「つまらない役者」に、と嬉しさと謙遜を抱えながら飛び込んだと語った。
英雄を演じない役選び——「チャレンジと保険」
中田は、本木の役選びは一本の線になって村重につながっていると見る。日本を代表する俳優は、どこかで織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や坂本龍馬のような、誰もがヒーローと思える人物の立志伝を演じるイメージがある。しかし本木は、徳川慶喜、昭和天皇、斎藤道三のように、歴史的評価が難しく賛否が分かれる人物を演じてきた。三英傑や龍馬を意図的に避けているのではないか、と中田は問うた。
本木は「確かにそういうところはある」と認めた。まだ実写で演じられていない役であることは一つの引力になる。昭和天皇は御簾の向こうや後ろ姿だけで映されたことはあっても、動いて話す形で演じるのは初めてだという点にくすぐられ、『日本のいちばん長い日』に出演した。そこにチャレンジを感じるとしたうえで、本木は「チャレンジとあと保険ですね」と付け加えた。初めて世に晒される人物であれば、観る側にも正解がわからない。だから言い訳もできる、というのである。雑誌でも創刊号の表紙と言われるとついやってしまうと話し、自分で発想しているわけではないから真のイノベーターではないが、新しいものに「一丁噛みしたい」のだと述べた。
中田は、その傾向はアイドルグループ解散直後の映画『ファンシイダンス』で、丸坊主になる演技をしたところから始まっていたのではないかと指摘した。本木によれば、事前に刈るのではなく、刈られるシーン自体があり、一発しか撮れない撮影だった。「ゲリラっぽい」挑戦だったという。
学芸会の記憶と「卑屈なやつはプライドが高い」
強い思いで飛び込んだのかと問われると、本木は自分の「厄介なところ」を語った。今でも、芝居が心底好きか、人間に興味があってやっているかと聞かれたら「そうでもない」。自信があるのかないのかも自分でわからない。ただ、自意識が過剰なことは確かだという。
その原点として挙げたのが小学校の学芸会である。役をやってみたいが、自分から立候補はできない。誰かが推薦してくれないかと待っていた。結局、全てを「人のせいにしたい」のであり、人に推されることが行動の原動力になる、と本木は自己分析した。推薦されて出たこともあったが、その記憶は薄く、むしろ推薦されずに本番を客席から見て「自分だったらこうするのに」と思っていた光景を強く覚えているという。
後年、エゴサーチで見つけた批判の一文が刺さった。本木が出演のたびに「俺なんか」と言っているのを見た誰かが、「卑屈なやつって結局プライド高いんだよな」と書いていた。それが小学生時代の自分と重なり、「人間ってこんなに変われないんだ」と愕然としたという。
一方で、事務所には自ら履歴書を送っていた。1970年代末から80年代初頭は学園ドラマが多く、隣のお兄さんのような存在がテレビに出られる時代だった。その中の一人になりたいくらいの気持ちで、子供の劇団にも応募していたが、他所から通知が来て次の段取りを決める前に、ジャニーズ事務所から電話があったという。歌については、小学校低学年の頃にカセットテープに録音した自分の歌声を気持ち悪いと感じ、音感も良くないので無理だとどこかで感じていたと振り返った。
本木が見た村重——実直さと静かな野望
村重をどう見たかという問いに、本木は、諸説あり深くリサーチしたわけではないと断ったうえで人物像を語った。基本的には寡黙で実直。一方で先行きが見えてしまう戦略家の面があり、未来図を描き、物事を処理する能力はあったはずだという。出自ははっきりしないが、父親が池田家に中堅以下の立場で仕えていたらしく、下剋上のある戦国でのし上がった。ただし聞く耳を持たないタイプではなく、信を置く人の意見や俯瞰して正しいと思うものを選べる人物で、能力ゆえに気づけばある地位に来ていた武将だと本木は見る。
信長に仕え重用される中で、信長は確信的なひらめきを持つ一方で感情に流されるムラがある。村重はそれを見るにつけ、愛着を感じながら限界も感じ、戦国のシステムの矛盾を体現する形になっていった。そこに、このシステムを何らかの形で覆せないかという「静かな野望」が徐々に張り付いていった、というのが本木の解釈である。
覆したかったものについて、本木は原作の一節に触れた。武士は死が売り物になっている。一族の誰かの誇らしい死によって家系が存続していると語り継がれる。常に誰かが死ぬことで生きていく構造は虚しく、上に登り詰めても抑圧されるだけで、村重にとっても苦しかったのではないか、と本木は推測した。
「匙を投げる」ことに賭けたロマン
中田は本木のフォトブック『awai』から、『黒牢城』のアフレコ写真に添えられた一文を読み上げた。「パワーゲームがもたらす実りは虚しい。ならば一足先に匙を投げてみるか。切実さ故のロマンに賭ける」。ここでいうロマンとは何か、と中田は尋ねた。
本木は、村重は戦国の矛盾を一人で変えることはできなかったと前置きした。『黒牢城』にはざっくり言えばリーダー論のようなものがあり、強さだけで何かを奪うものは末路が哀れだということに村重は早々に気づいている。しかし戦国を生きた者の性として、どうしても勝ちに行ってしまう。
黒沢監督は、原作にない台詞や原作から強めた言葉を映画に散りばめたと本木は指摘する。戦国の世がつくづく疎ましく思うときもある、という台詞。武士の価値観を受け入れた成れの果てが自分の腹構えだと言う官兵衛に対し、それを少しでも覆そうとは考えないのかと問う台詞。別の家臣に向けた「この期に及んでも国の面目が大事か」という言葉。小説では村重が心の中で観察していることが文章になっているが、映画ではずっと黙っているわけにいかず、言葉として吐き出させている、と本木は説明した。
そのうえで本木が示したのが、ロマンの中身である。どう戦っても歯がゆく、絶対の戦い方も見つからないまま時間的に追い詰められていく。皆がおかしくなってしまったとき、誰かが「一抜けた」と匙を投げる。すると、議論していた皆が一瞬止まり、別の流れが生まれるかもしれない。そこに賭けるロマンだという。中田が「匙を投げる行為自体が問題提起になる」とまとめると、本木は同意した。ただしこれは監督から説明されたものではなく、本木自身の捉え方だと断っている。
史実の村重は逃げたのか——本木の読み
本木は個人的に資料を読んだうえで、「村重は別に逃げたわけじゃない」という見方を語った。映画では、官兵衛に毒であると同時に甘美な言葉で煽られた末、一人去っていくように描かれる。史実でも逃走したのか支援を求めに行ったのか諸説あるが、裏切り者というレッテルが基本イメージになった。
本木が支持する説はこうだ。村重は有岡城から、息子・村次のいる尼崎城へ移った。大将がそちらに移れば、大将首を狙う戦いがそちらに集中する。数人ではなく数百の兵も伴い、尼崎城や花隈城で戦える算段を整えた。その間に有岡城に残った家臣たちが婦女子を守りながら逃がせばよい。その策を、青木崇高が演じた荒木久左衛門を中心とする家臣に言い残して出ていった。危険ではあるが、戦略として出ていったのだ、と本木は考える。
さらに本木が読んだものによれば、信長は村重のことが好きで、本当は仲直りしたかった。村重は本願寺や毛利に言いくるめられて謀反を起こしたのだと信長は思い続け、すぐ攻められる場面でも逃げ道を残して説得の機会を作ろうとした。荒木久左衛門らに村重を説得してこいと猶予を与えたが、村重はすでに幕府再興派に乗り、本願寺や毛利と血判で約束していたため、本願寺の側が許さなかった。その事情を久左衛門らは持ち帰らずに逃げてしまい、信長はそのことに激怒したらしい、と本木は語った。背景には、村重が尻拭いやアイデア出しをしても大事な仕事を秀吉に任されるなど、肩透かしを食らい続けたこともあったと見ている。
結果として数百人が殺される凄惨な事態になり、その元の種を作ったのは村重だと言われるかもしれない。それでも村重は、ギリギリまで最も難しい人間的対話を続けようとしたタイプのはずだ、と本木は述べた。こうした説を踏まえて演じた村重について、本木は、はっきりした野望ではないが、こういう道筋の方が未来が美しいと想定して動いた人間らしさ、狂気の戦国にあって普通さを持っていたからこそ揺れる人物だと表現した。
50代以降のロールモデルとしての村重
中田は自身の見立てを語った。若い頃は革命児の信長に憧れ、30代になると人間的な調略が必要だと秀吉に憧れ、40代で管理職になると組織作りのうまい家康に惹かれる。その先、50代以降のロールモデルとして、匙を投げた先に別の流れを見た村重がありうるのではないか、と。
本木は現代に照らして応じた。戦争も止まず、どの業界でも問題が絡み合って収拾がつかなくなっている。そこでは、AIに超スーパーに考え抜いた答えを求めるのではなく、「やってらんねえよ」というアナログなアクションこそが一番破壊力を持つのかもしれない。その意味で、当時の武士の価値観に対して違うクレバーな考え方を持っていた村重はモダンだったと思う、と本木は述べた。中田は、時代劇の中に一人モダンな人物がいる違和感が最後まで観る引力になっていたと感想を述べた。
映画では、村重は茶人として堺で生涯を閉じたと説明されるだけだ。本木は、これだけの命が失われたことへの贖罪の思いはあったはずだと考える。村重は道薫と名乗り、最初は自らを卑下して「道糞」と名乗ったらしい。戦国は自分らしく生きることができず、与えられた立場を生きるしかなかった時代だが、最後に自分の好きなことに心を注いで終わる人生を一つのモデルとして見せたのではないか、と本木は語り、自分としても救われた気持ちになったという。茶道を3年ほど続けている中田も、千代保の台詞「進まずとも極楽はある」に、退いても極楽はある、匙を投げてみようじゃないかと言われたようで救われた、と話した。
原作との違いと黒沢清の演出
中田は、原作小説は官兵衛の視点が強く、官兵衛が見た村重のどこが間違っていたかを検証するミステリーだったが、映画は「村重はこう考えていた」というアンサーにも見えたと述べた。本木はそれを主に監督の功績だとした。
本木自身は当初、揺れたままの武将でいいのか、裏の野望がもう少し見えて強い方がいいのではと考えていた。しかし監督は「いいんです。もっと揺れる感じで」と言い、あまり決めつけないでくれと求めた。殿様然とせず本木らしく、という指示もあったが、本木は「あれだけ不自然な台詞を自然に」と言われても、と苦笑した。
黒沢監督は、登場人物の名前や位、関係性を説明する気がさらさらないと本木は言う。日本人でもわからないほどの関係を、外国の観客は俯瞰して全体像として感じ取る。軍勢が集うとこうなる、囲われているのは官兵衛だけでなく、この時代の考え方に取り囲まれた人々の話ではないか、自分を囲っているものは何だろう、と自分事にするよう緩やかに誘導しているのではないか、と本木は推測した。ホラーが得意で、血みどろを見せずに背中だけで最も怖い画を撮ろうとする監督であり、あらゆる意味で確信犯だという。初の時代劇で、時代劇が世界に出ていくときにこういう形もあるという新しさを示したかったようだ、と本木は話した。
40代・50代、そしてロンドンへの移住
話は本木自身の人生に移った。フォトブックの最後には「紛れもない60年目の朝、果たして何か変わったのだろうか」という一文がある。中田は40代・50代がどんな20年だったのかを尋ねた。
本木は小学生の頃、ノストラダムスの大予言を信じ、2000年は来ない、自分は30代で死ぬと漠然と思っていたという。低学年のとき卒業していく6年生がすごく大人に見えたが、自分が6年生になると「こんな子供じゃなかったはず」と感じる。その届かない感覚が40代、50代でも続いた。周囲の50代は自分の言葉で語れるように見えたが、実際に50代になってもあまり変わらず、60歳の朝も「ただいつもと変わらない朝が来た」というのが正直な実感だという。
イギリスへの移住のきっかけは、娘の留学に3か月ほど付き添うつもりだったことだ。本木は10代の終わり、人生で初めて10日ほどの休みをもらった際、一人でロンドンとパリを訪れ、ホバークラフトでドーバー海峡を渡った。ロンドンの重く曇った空、台風の前後のような不穏な空気、雲が割れて光が差す光景に惹かれ、ヨーロッパの絵画の光の違いもここから来るのかと感じたという。ただし本木は、場所は「どこでも良かった」とも言う。10代から人の目に晒されることに慣れていたが、軸がない自分が歯がゆかった。海外で一人の人間として扱われ、もてなされないこと、アジア人として微妙な差別を感じることも含めて、自分が塵のように風に飛ばされそうな小さな存在だと感じられることが新鮮で嬉しかったという。中田もシンガポール移住で同様の解放感を感じたと応じた。
日本に戻ったのは、娘がニューヨークの大学、パリの大学院へ進んでロンドンにいなくなったこと、義母の樹木希林がいよいよ危ないかもしれないと感じたためだった。ロンドンには今も小さなフラットを持っているが、妻と半々で購入したもので、自分の逃げ場所ではあっても完全な逃げ場所ではないという。
家族との距離と「森の人」の願い
フォトブックには家族の写真が1枚だけあり、「少し遠くに離れると丁度よく愛おしい」と添えられている。子供3人という家族構成が似ている中田は、この一文に味わいを感じたと話した。本では、妻は海の人で自分は森の人、夫は森に住む企みを持っている、とも書かれている。
本木は以前、妻に勧められて中田の動画を見たことがあるという。限られた時間をどう使うか、人生は喜ばせ合戦で誰と過ごすかが肝だという内容で、最後に中田が「一人で花火を見たら寂しい」と言ったとき、本木は一人で見るのはすごく楽しい、と内心ツッコミを入れていた。ただ、それを感じられるのは、時々息苦しくなるほど密な家族という関係があるからこそだ、と本木は述べる。小さな存在であること、一人でいることを味わうために家族が必要、という順番だという。
森に住む構想はロンドンとは別で、自分のお金で、自分だけの場所を、と考えている。その原体験がニュージーランド北部のワイポウアの森だ。子供たちが小さい頃、自然に触れさせる名目で訪れた。そこにはジュラ紀、1億5000万年から1億9000万年前から続くとされるカウリの巨木がある。宿の奥さんに、バスで来られる一番大きな木ではなく、森の奥にある2番目の「森の父」がいいと勧められた。幹回りは16メートルほど。カウリは生存のために自ら枝を落とし、寸胴に太くなって他の植物や動物が登れない体に進化し、樹皮を脱皮するように剥がしていく木だという。
本木は数十メートル手前から、その木の「気」、オーラを浴びるように感じ、心がひれ伏したという。家族は誰もそう感じなかったらしい。太古からの自然が生きていると感じ、言葉通りの畏怖を覚えた。それはエクスタシーに通じる何かだったと本木は表現する。自分をなくして森の一部、森の使い走りや奴隷でいいから、自然の中でできることをして終わっていくことに憧れる、と語った。
率直に言えば「自然の中で一人で死にたい」。病室でも家族に囲まれるのでもなく、「本当に還るんだ」と感じる形で。春先のロンドンの公園で、大木の間に白や黄色の水仙が咲くのを見て、こういうところで死にたいと思ったこともある。30年前のインド旅行で生と死が隣り合う川の風景を見て、それが『おくりびと』につながったことにも中田は触れた。本木は、生と死は裏表であり、死を意識するのはどう生きるべきかをより実感したいからではないかと述べた。経済的な欲もあるが、最後は納得してすっきり消えたい。中田が紹介した『DIE WITH ZERO』にも少し近い感覚だという。
『坂の上の雲』の3年間と、湧かなかった欲
中田は、お金でも名声でもない何かとして、本木にとって今仕事はどういう位置付けなのかと問うた。本木は、40代はもっと働けたはずだと振り返る。転機は『おくりびと』というより、NHKドラマ『坂の上の雲』だった。撮影は1年半あれば撮れたが、NHKが一つの番組にそこまでの予算を組むとブーイングが起こるため3年に分けられた。本木は不器用で、一つの役の間は他の仕事を絶対に掛け持たない。そのため40代の最初の3年間、他の仕事をしなかった。他人から見れば一番働く時期に急に立ち止まったように見えた。
しかし、子供たちがまだ小さい時期に、当たり前の日常を味わいながら時々役の衣装を着に行くペースが良かった。決められたペースや進化に乗らなくてもいいと気づき始めたのかもしれない、と本木は話した。
一方で「自分で欲があるのかないのかわからない」とも言う。皆がハリウッドを目指した時期にもそこへの欲は湧かなかった。家族は皆インターナショナルスクール出身で英語を話せるが、話せないのは自分だけで、頑張ればできたはずなのに欲が湧かなかった。『おくりびと』の発案者ではあるが、プロデューサー業を始めるほど背負う気もなかった。望みすぎると足をすくわれるというブレーキがどこかでかかっているという。マウントの取り合いに巻き込まれたくなく、誰かがマウントを取ろうとしているのを見ると、自分もそう見られたらこう映るのかと怖くなるとも語った。
中田は、本木の役には「負けてきた人」が多いと指摘した。本木は確かにそうかもしれないとして、ドラマ『八月の声を運ぶ男』で演じた伊藤明彦の例を挙げた。元長崎放送のディレクターで、局を辞めて意地で被爆者の声を1000人以上集めた人物だ。経済成長期に辛い過去を忘れて明るくいこうという時代に逆行し、非核を願って声を集めたが、生前にはあまり認められずに亡くなった。本木は自分から選んでいるわけではないとしつつ、綺麗にまとめるなら、弱さやどうしようもなさに共感し、「そこなら自分もすがれる」ということかもしれないと述べた。
「押すなよ」の自己演出と、妻の指摘
中田は、斎藤道三を演じた際の『プロフェッショナル 仕事の流儀』の密着を、ひっくり返るほど面白かったと振り返った。撮りたいものがあるディレクターに対し、本木が撮らせまいと動き、作為が暴かれる顔まで映っていた。本木は「全然自己演出しちゃってた」と認めた。
本木の基本は「ダメ元精神」だという。自分を低く見積もっておけば、少しでも肯定されたとき、下げておいた分だけ嬉しい。20代のアイドルから俳優への転身期にセンセーショナルな挑戦が続いたことについては、年代的な意図と弱さゆえの面があり、誰かに「突き落としてほしい」のだと語った。崖っぷちで迷っているときに、自分で覚悟を決めるのではなく、ボンと押してもらう演出の方がいい。中田がダチョウ倶楽部の「押すなよ」にたとえると、本木は、あれほど怯えていたのに思いのほかうまく飛べている方が見る側にも夢がある、と自分では思っていると述べた。
だがこれが夫婦喧嘩の種になる。妻からは、50歳、60歳でそれをやってはだめだ、あなたは自分のやることに誰もが構ってくれると思っているからそういう態度ができるのだ、と言われるという。もっと素直に、問われなくても「愛してる」と言えるような生き方を、ということだ。本木は、結局一番自分が可愛く、注目が集まるよう仕向けているのかもしれない、と自問した。
中田は、映画『海の沈黙』の際に小泉今日子が、同世代でアイドルから芝居を続けてきた者として、本木の複雑さを昔からのものとして肯定していたことにも触れた。本木は、多かれ少なかれ皆そうではないかと返す。中田も自己肯定感が高いと公言しつつ、それを疑う素直さを捨てていない。皆、バランスは違っても揺れている、と。
本木は『黒牢城』の原作にある「諧謔味」という言葉を紹介した。村重が語るとき、その声には相手を諭すような響きと、自分を嘲笑うような響きが同時に混ざる。物事のおかしみと共感が入り交じり、滑稽さの中から真実や人間性が見えてくる。チャップリンの、人間の営みは寄りで見るか引きで見るかで見え方が変わるという趣旨の言葉にも触れ、村重も正しいと思う野望を抱きながら自分にツッコミを入れ続け、引いて見れば人間は笑ってしまう存在だと感じている。そこから匙を投げるロマンという考えも出てくる、と本木は語った。では本木自身は匙を投げたのかと問われると、「投げてないかもね」と答えた。
「誇りを持って脇にどけ」と、妻への宿題
本木は再び中田の「老害」の話に戻った。自分はレジェンドではないから取り違えはしないと思うが、引き際や下り坂の降り方が自分らしく生きるために重要だという話を見て、樹木希林が口にしていたエーリッヒ・ケストナーの言葉を思い出したという。「誇りを持って脇にどけ」。名誉や地位に固執せず、潮時が来たら素直に脇にどく。ただ、潮時を自分で察知するのは難しい。本木は、自分はもうその時期に来ているから、働き方や仕事の選び方をもう少し変えていかなければならない、と本当に思っていると述べた。
中田は、自分もまだ答えがないと打ち明けた。お金や褒められることではない何かを仕事に求め、やりたいことしかやらないとのたうち回っている。本木はそれを、仕事ではない人生の価値の軸、「納得」が欲しいのだと言い換えた。
そこで本木が口にしたのが妻のことだった。妻は19歳で結婚し、もっと華やかで楽しい時間があると思っていたら「こんなねじれてる男」だったと気づかされ続け、子育ても大変だった。何かお返ししないと終われないという宿題がずっとある。しかし急に素直な夫にはなれないし、自分の終わりの時間は妻より早く迫っている感じがある。中田は妻にすでに7〜8割は返しているように見えるが、自分は4割も返せていない、と本木は語った。中田がそれを否定し、本木と村重に何かを見出そうとしたと言うと、本木は「でも見出せなかったでしょ」「何も核はないの」と返した。
30代から変わらない「ほどほどに希望して楽しく諦める」
40歳の前後で大きな価値観の転換があったわけではない、と本木は言う。フォトブックにもある通り、30代の頃から「人生をほどほどに希望して楽しく諦めていくこと」、そのバランスに何歳になっても戻ってくるだけだという。中田はこの言葉が最も刺さったと話した。
きっかけを問われ、本木は29歳での結婚と子供の誕生を挙げた。喜びもたくさん知ったが、人間のどうしようもなさ、紛れなさも感じた。望むだけ損だと、もぐら叩きのように自分に言い聞かせている。少しできそうな気がすると理想を高く設定してしまい、撮影が始まると「現実こうだね、どうせできないね」となる。第一子が生まれたのは大河ドラマで徳川慶喜を演じていた30代前半で、バギーで散歩させてから撮影に行く日々だった。妻の方がもっと大変だったと思うが、だからこそできた、と本木は振り返る。個に逃げられる自分がなくなり、しがらみが完全にできた、いい意味での拘束感だったという。
義母・樹木希林と岳父・内田裕也の存在も大きかった。樹木は最大の助言者で救いだったが、より自由で破天荒な内田と並べると、良し悪しではなく生き方の両極が存在しているのを見て「逆に悩ましかった」。どちらにも憧れるが、どちらにもなれない。自分はどこにいるのか。そこからこうした答えを導き出していったのかもしれない、と本木は述べた。
フォトブックの題名『awai』は「間」と書いてあわいと読む。物と物、時と時、人と人の間で、境界ではなく二つが混ざり合い溶け合っている領域を指す。両面性を抱えていることについて、本木は「欲深なんでしょうね。両面を知らないと納得できない」と語った。先に欲がないと言っていたことを中田が指摘すると、本木もそれを認め、そこも両面性だと応じた。
忘れられたいのか、囲まれていたいのか
これからについて、本木は選択が迫っていると認めた。半分近くは、メインストリームではないという気持ちで少し譲っている。しかし一人になりたい、自分を知らない場所に行きたいと言いながら、世間から忘れ去られたら寂しいと思うのか、平気でいられるのか、本当にわからない。妻には、何者でもない自分になりたいと思えるのは今囲まれていて認知されている安心感があるからで、本当に忘れられたとき同じことを思うのか、と言われるという。
それでも「とにかくもう一人で死んで」いいのだ、と本木は言う。相原コージの漫画で、西部劇の撃ち合いで撃たれた男が最後に見たのが尻尾の揺れる馬の尻だった、という話を記憶違いかもしれないと断りつつ挙げた。病院で家族に「お父さん」と呼ばれながら、見たくない角度からの顔が集まっているのが最後の光景になるより、美しかった頃の妻や子供の記憶を思い浮かべ、日差しの中で新しい生命が芽吹く場所で土に還る方が美しいかもしれない。ただ、ややこしい自分は結局人にまみれて最期を迎える可能性もある。そうなったら、後で何かの映画で誰かが死ぬ場面に使えるかもしれないと、自分でその瞬間を撮っているかもしれない、とまで本木は語った。
30年ぶりの写真と、スカイダイビングで感じた生
フォトブック『awai』も、本木から手を挙げたものではない。人付き合いはあまりないという本木だが、30年ぶりに写真家・中村一弘の個展をふらっと訪れ、京都での『黒牢城』撮影中に食事をした際、写真を撮らせてくれないかと言われた。同じ写真家が30年経って同じ被写体を撮ることに客観的な面白さを感じ、写真集にするつもりもなく京都で撮り始めた。どうせなら還暦の朝、起きたときから撮ろうと東京でも撮影し、銀座の中央通りをゲリラ的に歩いた。20年後に見て2025年の銀座の背景が残っているのも面白いと思い、『黒牢城』の宣伝に使えるかもしれないという考えもあったという。誕生日の褒美として一人で過ごすためにロンドンのフラットに行っていた時期にも、中村が弾丸で来て撮影した。中田は「ちゃんと押されてるんだ」と笑った。
崖から飛び降りる思い切りの良さと神経質な自意識の両立について、本木はスカイダイビングのソロのライセンスを持っていたことを明かした。テレビドラマで飛ぶためにタンデムではなく一人で飛ぶ訓練を受けて取得し、その後オーストラリアなどで飛んだこともある。セスナで高度を上げ、静かな状態から一人ずつ空へ飛び出す。落下しているだけだが、仲間などの対象物があると空を飛んでいるように感じる。着地の瞬間も楽しいが、その夜寝るとき、数時間前は空にいて、死なずに生きていて、これから眠る、ということが幸せだった。それを感じるためにそこまでするサイクルを、自分でも異常だと思いながら嬉しいのだという。巨木もそうだが、非日常に触れて生を感じたい。AIに翻弄はされても、自分はシンプルにそこへ帰ってくるタイプだから侵されずに死ねるだろう、機械音痴でそもそも乗り切れないが、と本木は笑った。
中田は最後に、自分の悩みへの一つの回答をもらったと述べた。崖から突き落とされれば生きている実感が湧くかもしれない。それを知っていて、意図的に崖の縁までふらふらと行き、押されるのを待つ。それが長く輝く秘訣かもしれない、と。核はないと言い続けた本木から中田が受け取ったのは、答えというより、揺れたまま生きるための一つのやり方だった。
本木さんの今まで演じてきた役、徳川慶喜、昭和天皇然り、斎藤道三。おそらく意図的に、ものすごく歴史的評価が難しい人物。
弱さやどうしようもなさみたいなところに、自分もすがれるみたいな。
『黒牢城』をやってる本木さん及び主人公である荒木村重。この2人に私はどこか人生の救いを求めてる。「進まずとも極楽はある。退いても極楽はある」。あるって言われた時に、すっと救われた気持ちになったんですよ。
ご家族の写真。1枚だけね。1枚だけあって、少し遠くに離れるとちょうどよく愛おしい。密にいると、時々息苦しくなるけれども、そういう関係性があるからこそ、この1人の時間が味わい深くなっている。
『おくりびと』以降の生き方を体現された本木さんに人生を問いたくて。
というわけで、本日のゲストは本木雅弘さんです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
驚きました。驚きました。ベタベタベタってメイクをしてる間に、バタバタバタと準備をされてる、ここのセッティングを。そして中田さんの指示している声が聞こえて。お恥ずかしい。本当にご自分で準備されて、取り仕切ってるんだっていうのを感じて、ちょっと緊張を煽られました。
そんな最悪じゃないですか、じゃあ。リラックスさせるべき時に、セッティングの神経質な私の声が聞こえて。社長自らみたいなね、そういう感じでした。でも零細で、少なくやってるだけの話なので。
本当、今日楽しみに参りまして、もう初対面というか。そうなんですよね。しっかりお話しさせていただくの、多分初ですよね? ええ、だと思います。今回私……。おめでとうございます。公開されてる映画が『黒牢城』と言って。そうなんです。その話も織り交ぜていただければっていうか、そのためにみたいなことで、中田さんを利用させていただくっていう。もちろんそうです。そういうのですよね?
ただ私、ポリシーと言いますか、PRっていう形ではお受けしないっていうことで、生意気にもやらせていただきまして。それ聞きましたけど、本当ですか? だってこうやって番宣の人が少しずつ増えていくと。もちろんそうです。ですが、何をもってしてPRを受けないかっていうと、お金をいただかないってことなんですよ。なるほど。普通PRの時は、PR料をいただくっていうインフルエンサーが大半なんですね。なるほど。私は一切いただかないと。
今回この『黒牢城』を見て、本木さんとお話できるのであれば、この『黒牢城』のお話を聞けるのであればということで。本当ですか? もちろんですよ。なんで疑うんですか? 本当ですかって。本当ですよ。だから私、嘘が下手なので、今日はこの『黒牢城』をやってる本木さん及び、主役であるところの、主人公であるところの荒木村重。この2人に私はどこか人生の救いを求めてる。また嘘ばっかり。本当、本当。
今回の映画、一応サブタイトル的に「心を読め」っていうフレーズがあるんですけど、今、もちろんスクリーンを通してというか、画面を通じてお顔は拝見したことがあるんですけれども、やっぱり心が読めない顔してますよね。本当ですか? すごいずるい感じ。それはもうこちらのセリフですよ。本木さんこそ、そういう役者さんじゃないですか?
それでね、いきなりあれですけど、ついつい中田さんの最近のものを少しだけ覗いたりとか。ちょっとリサーチしてきていただいたんですね? そこまでじゃないんですけど、見た中で『FUTURE CARD』っていう、竹下隆一郎さんがTBS CROSS DIGをやってね。されてる。あそこに中田さんが出てらっしゃるのを見たんですよ。
それがものすごく、ちょっと心に刺さるというか、焦って。まだ40代でらっしゃるのに、もう老害について語ってるとか。要するに、今のこの業界を割と少し、自分はもう少し明け渡していくというか、少し距離を置いていく宣言的なようなことをお話しされてて、すごいなって思ったのと同時に、戦略だろうなって思ったんです。
ちょっと待ってください。だってね、テレビの成熟期にテレビに入り、それでYouTubeの成長期にYouTubeに入り、そしてAIの黎明期に、自分の限界というか、そろそろ退こうと思って、旬が過ぎてると思ってるっていう発言をして。結局イノベーターで、アーリーアダプターっていうふうに先頭集団にいるのに、「俺、先に抜けるかもしれないよ」っていうのを先に予告して、そのこと自体が「俺、先端行ってるだろう」っていうのをアピールしているように見える。
ように見える? 先に限界に気づいてる人間だからっていうことを言ってる。アピールしておいて、それで実際にそういう状況になった時には、何か全然違うアプローチでみんなの様子を見て、違う変化球を投げる。その時に「え? やめるはずじゃなかったの?」って言われた時には、「座右の銘は前言撤回だから」っていう。全部知ってる。そういうオチで。すごいですね。すごい戦略だなっていう。
って思われます? はい。違います。ただもがき苦しんでるんです。本当ですか? 私43歳で、まさに本木さんが『おくりびと』作られた時。43歳ぐらいですね、確かに。その頃の年齢なんですよ。本木さんってその後で移住されたりとか、色々と仕事のやり方も含めて、ちょっとチェンジペースされたのかなって、私見てて思ったんですけども。
私としては、何かから降りるっていうのは戦略ではなくて、何かから降りた先に何かがあるかもしれないっていう、何か別の人生はもう1個、違う何かがあるのかもっていう期待がどこかにあるんですよ。それをまさに体現してるのが今回の村重であり、第2の人生があった村重。それと同じように『おくりびと』以降の生き方。これは『おくりびと』以前とかなり違うかなと私は思ったので、体現された本木さんに人生を問いたくて。
そんな語れるほどじゃないけど。悩める子羊として今、目の前に立ち現れてるので、全く先の展望が読めて、権謀術数で「前にここに布石置いとくか」とか、全くそんなことない。でもそこまで調べていただいて、私本当に感動しています。
すごい言語化能力高いし、本当に解説するっていうことは押さえ直しみたいなことだっておっしゃってたけど、すごく努力家だし、でもやっぱり何か奥底に持ってそうだと。奥底にものすごい自信と、でもそこにちょっとの揺らぎとっていうのがあって。だから私から見ると、それこそ中田さんの方が村重的であり、かつ中田さんは官兵衛も持っている。その二重を持っている。まさに『awai』ですね。そうです。このフォトブック。
でもだから、その官兵衛で言うとね。官兵衛っていうのは、本当にとにかく頭脳派と言われるんですね。そうそう。だから己が誰よりも切れるっていうことを誇らんがために、難題を与えればそれを解かずにはいられないというのが、この男の性。もう私ですか? 官兵衛の話ですよね? だからそういう側面もある。そこもすごい、そういうところが官兵衛的だなって思って。
そんな滅相もない。で、読めないで、密かな野望を、いろんな戦略を撒きながら、それを粛々と淡々とタイミングを狙ってるっていうふうに見えるのが村重的。ここがもうその城の地下であるように。ちょっと今すごく、本木さんにそうやって詰められて推理されてるのが、本当に映画の中みたいで、ちょっと今ゾクゾクしました。
すいませんね、ごめんなさいね。せっかく『awai』っていうので写真集に振っていただいたのに、1回戻しました。話を食べちゃってごめんなさい。でもこれも触れさせていただきたいんですけども。
『黒牢城』のPRのトレーラーって言うんですか? あれを見ると、ミステリーっていうところがすごく前面に押し出されていて、その面白さはもちろんあると思うんですよ。いわゆる名探偵官兵衛的な雰囲気の。ですが私がもう最後まで目を離せなかったのが、とにかく村重っていう、あの時代の異物というか、あの時代の武士道と全く違う哲学を持っていることによって巻き起こる全て、という軸になってる村重という人物を聞きたいと思ってまして。
まず本木さんって、おいそれとお仕事を受けて、いっぱいお芝居するっていうタイプではないと思っていまして、今回受けた理由があると思うんですよ。なぜ村重を今回やろうと思われたのかっていうところから、ちょっとお聞きしたいと思いました。
それはもちろん、元々松竹さんのアイデアの中に、『このミステリーがすごい!』ナンバーワンの米澤さんの原作があって、それを是非とも実写化したいっていう思いが松竹にあって。それを誰に託すかっていう時に、黒沢清さんに当たって、黒沢さんも実は村重に興味があったと。っていうことで打診したら受けてくださって。
黒沢さんは1作前の『Cloud クラウド』っていう作品で菅田将暉さんとタッグを組んでいて、菅田さんの底知れぬ才能に惚れ込んでいるところがあって、官兵衛を菅田さんにやらせたいっていうのは1つあって。それに対抗させる村重っていうのを誰にするかっていうので探して。監督は割と冷めてるところもあって、消去法じゃないけど、それなりに時代劇の立ち振る舞いができる人がいいよねとか、そういうチェックポイントをしていって、たまたま私に。ご謙遜が過ぎますよ。
たまたま来たっていうだけです。そんな癖者、奇才の黒沢さんが、どうして私みたいなつまらない役者に? みたいな。そういう嬉しいけど謙遜みたいな、そういうのをしながらでしたけど、飛び込んでみたっていう。そういう経緯ですね。
私の中で、今回の一件だけじゃなくて、本木さんの役選びというか、今まで演じてきた役が全部線になって村重に繋がってると思ってるんですよ。それももう少し解説していただくと。というのも私のイメージなんですけども、これだけ日本を代表する役者さんの方々というのは、基本的にはどこかのタイミングで三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、もしくは坂本龍馬とか、そういった誰しもが分かりやすくヒーローだなと思える歴史上の人物の立志伝をやるっていうイメージがあるんですけども。
本木さんはおそらく意図的に、ものすごく歴史的評価が難しい人物、賛否両論あったり、物議を醸したり、未だ議論が絶えないような人物をやってきている。むしろ三英傑や龍馬を避けて通っているのではないかと思ってるんですけど、どうですか?
でもね、確かにそういうところはあります。だってそれだって、中田さんだってあらゆる意味でパイオニアになって、それが代名詞みたいになってるところあるじゃないですか。やっぱりパイオニアって言うと、ちょっとそこまでのものじゃないんですけど、役だって遡ればどなたかがやってるっていうのはあるかもしれないんですけど。確かに、まだこの役は実写では演じられてませんとかっていうのは、1つの引力にはなりますよね。モチベーションになるんですね、確かに。モチベーションになるんですね。
そうだし、やっぱりあと徳川慶喜とかもそうですし。それで昭和天皇が姿だけ、御簾の向こうにとか、ちょっと後ろ姿だけとか、そういう映し方は実写でもあったけれども、動いて話してっていうことで演じるっていうのは初めてになりますっていうところにもくすぐられて、『日本のいちばん長い日』をやったこともありますし。やはりそこにチャレンジを感じるわけですよね。
チャレンジと、あと保険ですね。保険ですか? 保険ですよ。やっぱり初めて晒されるものだから、要するに正解が見てる方々にも分からないっていうところがあるわけなので。
この役選びが、徳川慶喜、昭和天皇然り、斎藤道三。みんな曲者であったり、賛否両論であったり、どう演じていいか分からない人であったりっていうものを、あえて引き受けてくる。ここってもっと前からですよね? 『ファンシイダンス』から。だってアイドルを卒業なさって、解体された直後に丸坊主の演技をするっていうところから。ええ。あそこからチャレンジだったんですか?
そうですよね。しかもステージ上で鈴木保奈美さんにバリカンでいきなり刈られる。だから一発しか撮れないっていうのを、実際撮ったんですけど。事前に刈るんじゃなくて、刈るシーンがある。そうそう。もうそれにもやっぱり、ちょっとゲリラっぽいですからね。
どういう気持ちだったんですか? すごくビクビクしながらやってるというよりは、何かすごく強い思いがあって、そういうとこに飛び込んでるんじゃないかって思ったんですけど。
だからこの辺が自分の厄介なところなんですけれども、実際今だって、この演じるっていう仕事を、本当に心底芝居が好きかとか、人間に興味があってやってるかって言われたら、そうでもないんですよね。だからもう自分の中でも、自信があるのかないのか分からないんですよ。でもよく言うのは、結局なんだかんだ言いながら、自意識が過剰なことは確かです。
それは例えば、小さい頃の学芸会のお芝居みたいなものだって、ちょっとやってみたいんですよ。ちょっとやってみたいけど、自分で立候補することはできない。だから誰か推薦してくれないかなと思って。「この役、誰がいいと思いますか?」みたいな感じで、それでまずは「やりたい人」みたいな感じで、はいはいって挙がったりする時に、「やりたいけど、手を挙げるなんて恥ずかしくて」って思うじゃないですか。
それで挙がらなかったり、1人くらいしかいなかったら、あと一応次に「誰か推薦してください」みたいな感じで、「誰か推薦して、誰か推薦して」って思ったりしてるみたいな。すごい。自分から手を挙げるタイプではなかったんですか?
そうなんですよ。だから結局、人のせいにしたいんですよ、全て。人のせいにしてっていうことが、ある種、その人のために代わって原動力になればいいという。そこら辺の入り組んだ感じが、また魅力ですよね。私、てっきり自分で手を挙げるタイプだと思ってたのは、ご自身で履歴書持って事務所に飛び込んでませんか?
一応そうです。それは70年代の終わりというか、80年代初頭は学園ドラマとかがたくさんありましたから、隣のお兄さんがすぐテレビに出られるっていうのが始まった時代なんですね、なんとなく。距離が近くなった時代。そうそう。だからあの中の1人になりたいなぐらいな感じで。
お姉ちゃんが勝手に履歴書を送ってたとか、そういうのが多い中で、ご自身の意思で飛び込んできたんだって思うと、それと『ファンシイダンス』とか、いろんなものが繋がって。
一応結果、Jに入りましたけど、その前に、いわゆるよくある子供の劇団にも応募してたんですね。したことがあるんですよ。それで他のところから通知は来たんだけど、次いつ会えるかっていうことを決めるより前に、Jからの電話が。なるほど。Jって言っても使えないの、これ? 本木さんがOKであれば全然使えます。何かまずいことではないと思います。そのJからの電話があって、それに乗ったっていうのが始まりなんですけど。
その最初の学芸会とかで、「誰か挙げてくれないかな」。あれ結果的には出たんですか、その学芸会には? 出たこともあるし、出られなかった、推薦されなかったこともあります。じゃあ推薦されて出たっていう最初の経験がある。分かんない。それあんまり覚えてないけど、むしろ推薦されなくて出ていなかった時に、それの本番を見てる時には、「ちょっと違う。自分だったらこうするな」とか思ってるわけですよ。面白い。だから嫌でしょ? だからそういうのがもう自分で、自信があるのかないのか分からない。
学芸会で人のを見てて、「自分だったらああするのに、推薦されたかった」って思いながら見てたっていう景色を強く覚えていて、推薦されて出た記憶をあんまり覚えてないんですね。
そうなんですよね。だからそれが、もうごめんなさいね、グワンって時が経って、こういう仕事するようになって、エゴサもするようになって。するらしいですね。よく言ってますけれども、その中にふと言い得て妙みたいな、いいのがあるんですね、自分のことを批判してる文章の中にも。「卑屈なやつって、結局プライド高いんだよな」。
私がいつも自分のこと、「俺なんか、俺なんか」っていうことを、こういうの出るたびに言ってると、それを見て「卑屈なやつって卑屈に振る舞っているけれども、そういうやつって結局プライド高いんだよな」って。刺さるんですね。そうそう。すごい。それ刺さったってことをここで言うわけですもんね。
そうそう。だからそれがやっぱり、小学校時代に自分が推薦されなくて出られなかったステージを見ながら、そういうふうに思ってる自分と、もう重なっちゃうわけね。面白すぎますね。だから人間ってこんなに変われないんだっていうことに愕然とするわけ。
その時から、お芝居っていうものに執着があったんですか? でも確かに、どちらかといえばそうかもしれないですね。原体験で歌ってる人を見てどうとか、踊ってる人を見てどうっていう話も聞いたことあるんですけど、やっぱりお芝居を見てこうだったんですね。そうかもしれないですね。
歌うっていう方は、昔カセットテープとかっていうのがあった時代って知ってます? 知ってます、はい。なのでそこに、小学校の低学年時代か、自分の声を録音した時に、そのテープから流れてくる自分の声がすごく変な。歌声ですか? ラジオっぽい声ですか? 歌もちょっと歌ったりしてっていうのだけど、そうした時に、ものすごい気持ち悪い声だな。ありますよね。自分で初めて録音した声を聞いて、こんなの? っていう。
そう。だからそれが、ごめんなさい、考えてみればお芝居も同じかもしれないけど、歌の方が早めに、早めにっていうか、やっぱりちょっと一本調子で、音感も良くないので、それは無理だなってどこかで感じてたところはあるかも。
ご自身では、これは歌はちょっと、自分が1番自信のあるものではないかもって思いながら、お芝居への執着をすごく覚えてて。そこから事務所入っての、この役選びの中で、私はチャレンジングだから選んでるっていう、難しい、誰も演じてないっていう、そういうものが1個プラスに働いてるんだっていうのは。ええ、同時に言い訳もできるっていうね。その言い訳っていう構造がすごい面白い。
でも結果パイオニアだから。なるほど。大体、最初に演じたの、あの人とか、それも。惹かれてったんですね。雑誌のカバーとかでもそうですよ。「こういう新しい雑誌が、創刊号の表紙を」って言われると、創刊号だとついやっちゃうみたいな。なるほど。じゃあやっぱり、本当、未知のものに。だからイノベーターですね。そのアーリーアダプターだなんだとか、私が言ってたのをご覧いただいた中で言うと。
自分で発想してるわけじゃないから、真のイノベーターじゃないですけれども。でも呼ばれて。そこに一丁噛みしたいっていうだけですね。
その感じで荒木村重をやるにあたって、やってみていかがでした? 村重っていう男をどう見ました? 難しいと思いますよ。そうですね。諸説あって、そんなに深く私もリサーチしてないんですけれども。でもやっぱり基本的には、実は寡黙で実直なっていう部分があった。
でもやっぱり、中田さんじゃないけど、ある種の先行きが見えてしまうとか、戦略家なところがあって、色々と未来図を描くとか、事を処理していくっていう能力はきっとあったんだと思いますよね。出自が今ひとつはっきりしてないらしいんですけれども、父親が中堅以下ぐらいのところで池田家に仕えてたっていうところがあるらしいので、自ずと武士のっていうところから入ってっていうので、とりあえず戦国だから、いわゆる下剋上ありのところでのし上がっていったっていう。
でも全然、聞く耳を持たないタイプじゃなくて、割と自分の信の置いている人とか、あるいは俯瞰して見た時に正しいって思うものをちゃんと選択できるタイプではあったので、むやみにのし上がっていったっていうよりは、能力が故に、自ずと気づくとあるポジションに来ていたっていうタイプの武将だとは思うんですけど。なるほど。
でもその過程の中で、いつがきっかけだったかは分からないけれど、それはきっと信長に付くことになって、重く用いられている中で。信長は結局ムーディーなタイプだから、ものすごい革新的なひらめきがあったりするタイプではあるけれども、やっぱりちょっと感情に流されてっていうようなところがあるから、そういうムラがあるのを見るにつけ、ある種どこかで信長に愛着も感じながら限界も感じている。
それが戦国時代のシステムの限界、矛盾みたいなものをどんどん体現する形になっていってしまった。そこに密かにやっぱり、このシステムっていうのを何らかの形で覆していくっていうことはできないのかっていう静かな野望が、徐々に張り付いていったっていう人。ちょっと長かったですね。とても分かります。
村重が覆したかったシステムっていうのは、戦国の信長的な下剋上の仕組みというか、命への対応とか、そういうものですか? そうじゃないですかね。多分、分からないけど。原作の中にも、その部分だったか分からないですけど、武士っていうのはもう死が売り物になっている。なるほど。
要するに子が死んでも、一族の誰かっていうので、誰かの誇らしい死によって自分たち家系が存続しているっていうふうに語り継がれる。死イコール誇りと言ってね。そう。だからそういうふうになっているっていうんだと、常に誰かが死ぬことっていうので生きていく。それってどこかでやっぱり虚しいし。そうですよね。結局上に登り詰めても、どんどん抑圧されるだけ。だからそれもやっぱり苦しかったんじゃないでしょうかね。
ここで『awai』出させていただいていいですか? はい。いろんなところで、これは「男のつぶやきをちょっと載せてもらったんです」っていうふうにおっしゃってましたけど、つぶやきというには、ものすごく凝縮された哲学が含まれてると私思いまして。特にこの武将のところですよね。はい。
そのままちょっと読ませていただくんですけども。「パワーゲームがもたらす実りは虚しい。ならば一足先に匙を投げてみるか。切実さ故のロマンに賭ける」。ここって、もちろん添えられてる写真も、この『黒牢城』のアフレコをしてるところですね。ですから村重のことだろうなと思いながら読んだんですけれども、どこかやっぱりご自身の哲学も、本木さんを通して見たものだと思うんですね。ええ。
ここで聞きたいのが、匙を投げるっていうところと、このロマンに賭けるってとこの、ロマンって何だったのか? って、これ聞きたいんですよ。
まずやっぱり、戦国時代の矛盾を感じている村重っていうのがいて、極端に言えば、極論として、それを1人でやっぱり変えることはできなかった、できないであろうっていうことですよね。1つの、多分きっと、ざくっと言うと、リーダー論みたいなものが『黒牢城』の中にはあると思うんですけれども、強さだけで何かを取っていくものっていうのは、末期哀れみたいなところがあるので、そこには早々に気づいているわけで。
それをそうじゃなく、信を得ていくっていうのはどういうことかっていうのを、原作の中でもそれを身近な存在に気づかされるっていうシーンもあるわけですけれども。でもやっぱり戦国時代を生きた性として、どうしても勝ちに行ってしまうっていうところがあるけど、とにかくその矛盾を感じたと。
監督がこの映画の中にも、原作にはなかった、あるいは原作からの少しアレンジで言葉を強めたものを散りばめてるものがあって、「つくづく戦国の世が疎ましく思う時もあるのだ」とか。あとは、今ある武士の理を受け入れて。価値観ですね? そうそう、価値観を受け入れて、それの成れの果てっていうのが自分の腹構えだっていうふうに官兵衛が言ったものに対してっていうセリフを加えていたり。「それを少しでも覆してみようとは考えるのか」っていう。
今の武士の価値観に対して、官兵衛に。そうそう、既存のものに、それを疑うっていう考えはないのかっていうこと。そしてまた別の家臣には、「この期に及んでも国の面目が大事か」っていうのも、原作にないけど言っている。だからそれは監督がやっぱり強調して散りばめていったところなんですね。
この原作と映画で、スタンスの主軸みたいなのがちょっと違いますよね? そうですね。やっぱり小説の中では、心の中で色々と観察してることを文章にしてるわけですけれども、実写の中ではずっと黙ってるわけにはいかないので、逆に吐き出させてる感じというか、その言葉を負わせるっていう。映画の方がより村重の視点で見た戦国っていうものを伝えようとしてる気がしたんですよ。そうですね。
結局だからどうやっても歯痒いわけですよ。どうするべきかっていう絶対の戦い方みたいなものも見つけられずに、どんどん時間的にも追い詰められるみたいなのがあって。極論ですけれども、やっぱりもうこれだけみんながおかしくなっちゃった時には、誰かが「いち抜けた」っていうふうに匙を投げる。なるほど、そこだ。
ことで、そこに賭ける。そうすると「あ、あいついなくなった」っていうことで、議論してたみんなが一瞬ちょっと止まってしまうみたいなことで、別の対流が生まれてくるみたいな。だからそこに賭けるロマンみたいな。なるほど。そういうことをした人。
つまり匙を投げるっていう行為自体が問題提起となって、そこに1個の違う価値観への議論が始まるっていうところへのロマンってことね。そういうことです。すごく分かりました、今。だから監督はそう説明されなかったですけども、私はそういう捉え方っていう。
でも個人的に、本当は色々資料を読んでたりすると、結局村重って本当、別に逃げたわけじゃないですよね? もちろん官兵衛に色々毒を盛られるような感じで、毒であると同時に甘美な、「勝って、こう戦えよ、あっち行ってこっち行って、この人にこうしたらこんなふうに」。煽られるわけですね? そうそう。
映画の中でも、それを受け入れたのか、そうじゃないのか分からないけど、結局逃げたかのように、1人去っていくみたいなふうになっているけど。でも史実でもたくさん説はあるわけじゃないですか。どっちか分からないわけですよね。逃走したのか、それとも支援を求めていったのか。そう。でも結局、裏切り者としてのレッテルを貼られて、それが基本のイメージになっちゃったっていうところはあるけれども。
実際には、有岡城って大きな籠城をしたところから、息子の村次っていうのがいる尼崎城に行くわけですよね。逃げたわけじゃなくて、一応村重的には、そこに大将が移ることによって戦いがそっちに集中するように仕向けるつもりだった。だから数人だけじゃなくて、その後か一緒にか分からないですけど、何百という兵も行って、その尼崎城を含め花隈城っていうところで戦いができるような算段を。有岡城を守るために。
そうそう。それで大将首をみんな取りたいわけだから、戦いがそっちに集中する。その間に有岡城を、残っている家臣たちで婦女子を守りながら逃がせばいいっていう策を、荒木久左衛門って、青木崇高さんがやった家臣を中心に、それを言い残して出てったっていう史実が、私は合ってるんじゃないかと思うんですよ。だから全然きちんと戦略として出ていったんですよ。もちろん危険な行為ではあるけれども。
でもそれで、私が読んだものの中では、そうはしたけれども、結局攻めなかったんですね、信長が。逃げた先をですよね。逃げた先を。でもそれも、ごめんなさい、ごちゃごちゃしてるんだけど、信長が本当は簡単に言うと、村重のことが好きだったんですよ。だからどうしても仲直りしたかったの、本当は。なるほど。
だから「あいつは絶対に自分から謀反を起こしたんじゃない。他にいる本願寺だ、毛利だ、どこだっていうところから、要するに言いくるめられて、あいつは致し方なく謀反を起こしてるんだ」って、ずっと思っているらしいんですよ。なるほど。だからすぐにでも攻めることができるような場面でも、なんとか逃げ道を残して説得させるっていう、そういう場面を作ろうとしてたんです。
その尼崎城に逃げた時も、結局有岡城はすぐにはぐちゃぐちゃにならずに、荒木久左衛門を中心に「お前ら村重を説得してこい」と。その猶予を与えるっていうことで、説得しに行くんですよ、実際。そうすると今度は……話が長いからいいや。こんなの絶対使われないから。全然使いますよ。いい、いい。
だから尼崎城に行ったっていうのも、そもそも村重は信長の家臣になってっていうことがあるけれども、彼にどこかでそういう限界を感じていったことは、きっと確かであったと思うんですよ。自分の待遇も、尻拭いをたくさんして、いろんな策を言ってアイデア出すけど、秀吉の方に大事な仕事を任せちゃったりとかっていうので、肩透かしをいっぱい食らったっていうのもベースとしてあると思うんですけども。
幕府の方を再興させたいっていう、そっち派に元々乗ったっていうのはあると思うんですよ。だからそれをもう血判をもって、本願寺とか毛利とかと約束してるから、そこで一応決着してるらしいんですよ。だから荒木久左衛門が信長の命で説得に来た時も、本願寺の方が許さなかったから戦いを終わらせることができなかったっていう。
その辺のいろんな事情を、結局荒木久左衛門は持ち帰らずに、そこから逃げちゃったんですよ。その説得に来た家臣たちが。そのことに信長はキレたらしいんです。じゃあそれは村重に対する怒りじゃなかった? ええ。そういう色々なピースの、ちょっとうまくはまらなさでああなった? そうそう。結果ね、あんな……。凄惨なね。何百という人が殺されたっていうんだから、結果から見たら元の種を作ったのは村重って言われるかもしれないけれども。
なるほど。だからギリギリまで一応、1番難しい人間的対話は続けようと思ったタイプであるはずなんですよ。そういういろんな説がある中で、その説をインストールした本木さんが演じたのが、今回の村重ってことですよね?
そうですね。だからもちろん、はっきりした野望じゃないけれども、世の中的にこういう道筋の方が未来が美しいだろうっていうふうには一応想定して、そのもとに動いたっていう人間らしさが、あの狂気の戦国時代にあって、その普通さを持っていた。だからこそ揺れるんだっていうところですかね。
私の中で、三英傑に憧れる精神的年齢の成熟度みたいなのが、まず若い頃って革命児信長に憧れて、そこから30代ぐらいになると、人間的調略が必要だなとか言って秀吉に憧れて。そこからだんだん管理職になってきたりすると、40代ぐらいから、やっぱり家康が組織作りうまいよねってなってくる中で、私感じたのが、この50代以降のロールモデルとして、村重っていう存在が1つ、まさに匙を投げた先の対流じゃないですけども、自分にとって「こんな生き方あるんだ」っていう、家康の先のロールモデルになり得る人だなって思ったんですよ。
だから逆にやっぱり現代に照らし合わせると、もう戦争も止まないし、色々な問題っていうのがあからさまになって、もう絡み合って、収拾がつかなくなっているじゃないですか、どの業界だってっていう部分があるけれども。だからそこで、それもすごいアナログな行為かもしれないんだけど、AIに何かを求めるとかっていう、要するに超スーパー考え抜いた先の答えじゃなくて、「やってらんねえよ」っていうアクションが、もしかしたら1番破壊力があるのかもしれないっていう。
今の価値観もある中で、その当時の武士の価値観に対して、違うクレバーな考え方を持ってたと思うんですよね。その意味でモダンだったとは思います。そうですよね。すごくモダンでクレバーな村重を本木さんならやってくれるって、黒沢監督もおっしゃってたみたいで。だからモダンだなってすごい感じて、時代劇でありながらにして1人モダンな人がいるっていう違和感が、最後まで見る引力になっていたことに、見終わった後の読後感で気づくというか。
結局映画の中でも、茶人として堺で命を閉じたっていう説明だけにはなってますけど、それでもやっぱり、こういう結果になるっていうことは村重だってもちろん思っていなかったわけで。やっぱり贖罪的なっていうか、命をこれだけ失ってしまったっていうことへの思いはあったと思うんですね。
だからきっと、お茶の世界も分からないけど、やられてるんでしょ? はい。お茶は3年ぐらいなんですけど、すごいのめり込んでやってるんですよ。そう。だからその武士の点前っていうのがどういうものか分からないけど、きっとものすごい、そういったものを背負って、残りわずかな人生だったけれども、そこに込めた。一応道薫と名乗ってるじゃないですか。最初のうちは自分のことを卑下して、「道糞」ということから入ったらしいんですけれども。
でもそういうふうに自分の人生を顧みながら、そういう後悔でも、後悔じゃなくて、どこかギリギリ最後に自分にできることとして。戦国時代っていうのは、やっぱり自分らしく生きることができなかった時代なわけじゃないですか。与えられた立場を生きるしかなかった。だけど自分の好きなことに心を注いで終わっていく人生っていうのも、1つモデルとして見せたんじゃないですかね。
私としては、すごく救われた気持ちになりましたし。千代保も言っている、今回の映画のキーワードになるかなと思ってるのが、「進まずとも極楽はある」っていう。あれは千代保の言葉でありながら、荒木村重の人生の結末も含めて。そうですね。逃げたわけじゃないですか。予見してるというか、認めてあげてるような言葉ですよね。
そう。でも「引けば地獄、進めば極楽」という。でも「引いても極楽はある」。そう、あるっていう。「匙投げてみようじゃないか」って言われた時に、すっと救われた気持ちになったんですよ。だから今回の作品のメッセージと村重の佇まいっていうのは、私の中にすっごい響いて。
原作を読んでみた上で、「原作のメッセージ性って、そこからもうちょっと違うところにあったりして、これは黒沢監督と本木さんの佇まいが作っていった、この視点」。だから官兵衛視点がちょっと強いように感じたんですよ、小説の方は。そうですね。ミステリーであり、実際そういう思い入れで書かれてます。そうですよね。だから官兵衛が見た村重の、ここが間違ってたんじゃないかっていう、検証みたいなところがあったと思うんですけど、それが黒沢監督と本木さんによって、「いや、村重はこう考えていた」っていうアンサーにも見えて。
なるほどね。主にやっぱり監督のだと思いますけど。そうなんですか。私も、この揺れてるままの武将ってどうなんだろうっていう、もう少し裏の野望が見えて、もう少し強い方がいいんじゃないかって思ってましたけれども、「いや、いいんです。いいんです。もっと揺れる感じで」って。あんまり決めつけないでくれっていう。
それと共に、殿様然としないで本木さんっぽくっていう指示も受けた? そうなんですよね。でもあれだけ不自然なセリフを自然にって言われてもね。でもそれが、本木さんらしさが合わさることにより、すごく魅力的に見えてたように私は感じたんですよね。
だからそれが、もちろん十二分に様式美とか型はあるんですよ。外国人の人が見たら、よりそうかもしれないけれども。それでもだってこんな話さ、なんとかなんべえとかなんだとかって、名前も位も関係性も、日本人が見ても分からないぐらいの話じゃないですか。時代が違いますもんね。それでも監督は、別にそういうのを説明する気が実はさらさらないと。なるほど。
そう。外国のお客さんも見てるし、「なんだよ、分かんねえよ」って思いながらも、なんとか最後まで付き合おうっていう気が少しでもある方は、もっともっと俯瞰して全体像を感じていくわけじゃないですか。「およそこういう関係性かな。群衆が集うとこういうことになっていくよな。これ囲われてるって、官兵衛だけのことじゃなくて、この時代の考え方に取り囲まれてしまった人たちの話かな」とか。なるほど。
「もし自分が囲まれてるものって何だろう?」とか、そういうふうに自分事にしていくように、実はゆるく誘導してるんじゃないかなっていう。それがいつも常に黒沢さんの映画のあり方で、俯瞰して、じっくりじっとりと人間を見せていくっていう。それでそれも見せきらないというか。説明しきらないっていう。そうそう。
基本ホラーが上手な監督さんじゃないですか。血みどろのシーンを見せないで、背中だけで1番怖い画を撮ろうとするとか、そういうのを作ってらっしゃるっていうから。確かに。黒沢さんはそういう意味で、あらゆる意味で確信犯なんだと思います。
監督は初の時代劇でありながら、ミステリーでもありながら、でも時代劇でもミステリーでもない読後感。人間ドラマと、戦国時代の価値観に対して違うモダンな考え方を持った人の生き様を見たような感じがして。だからこそ普遍的だから、カンヌとかでもやっぱり受け入れられたっていう実感があったんじゃないですか?
時代劇が世界に出ていく時に、こういう形もあるんだっていう新しさを知らしめたかったみたいですね。
すごく楽しませていただきまして。その上で、この村重然り、今まで選んできた役が、さっき私、ちょっと一癖ある役のチョイスされますねっていう中で、チャレンジングだからっておっしゃってましたけども、お仕事について『おくりびと』以降、移住もされて、ちょっと日本との距離感とか仕事との距離感が変わられたのかなって私思ったんですけれども。
私、今43歳で、以降の人生の一つの大きな指標というか参考というか、本木さん面白い方だなって思ってる一ファンとして、それはどういう40代、50代だったのか。今60に至って、この最後の一言の「紛れもない60年目の朝、果たして何か変わったのだろうか」っていう、これがポーンって置かれて終わる話。40代、50代どうだったのか聞きたいんですよ。どんな20年だったのか。
いやいや、ごめんなさい。私は本当にザ・昭和の感覚の人間だから、全然あれですね。でもそれこそ昔は、小学校時代にノストラダムスの大予言とかっていうのが流行って。
ありましたよね、世界が滅亡するっていう話。そうね。だからもう2000年はないって思っていたから、自分は30何歳で亡くなるって漠然と思って、随分先だから。
これでも書いてましたけど、あれ本当ですか? 本当にそう思ってたんですか? 本当にそう思ってましたね。30ぐらいで亡くなるなって信じていた後の人生ですよね、今。ええ。
それ、よくある、自分が小学校の低学年時代に6年生が卒業していくのを見て、すっごい大人に見えたじゃないですか。それが実際、いざ自分が6年生になって卒業していく時に、こんな子供じゃなかったはず、みたいなっていう、いつまでも届かない感覚。ありますね。
自分が見上げていた、でも現実そのステージに行っても全然しっくりこないみたいな。それがやっぱり40代、50代でも同じように続いてましたね。やっぱり50代の人を見てた時に、50代も一つの段階だと思うんですよ。50代を過ぎると少し、その人なりの言葉を持って、自分が語れるようになっていて見えたんですよ、自分の周りの50代には。
でも現実50代になってもあれですね、あんまり変わらなかったし、それこそ本当に60になっても、ただただいつもと変わらない朝が来たっていうだけで、内容的には変わっていないっていうのが、正直実感ですけど。
移住したりっていうのは、単純にそれは娘の留学に。きっかけが? そう、きっかけが娘の留学にちょっと3か月引率するつもりでっていうのだったけど、ついつい結局自分が味を占めちゃって。
イギリスですよね? 強く好きだなって気持ちを感じられたわけじゃないですか。遡れば、一応自分で初めて10日ぐらいの休みを人生で初めてもらえた時に、どうしても海外旅行がしたくてっていうので、ロンドンとパリっていうのを。最初に行った海外でもあるんですね。そう、そう。一人で行ったんですけど。
なるほど。まだユーロスターっていうのでドーバー海峡の下が繋がっていなかったので、ホバークラフトっていう、跳ねながら行くっていう。水上をですか? そうそう。すごい。それでイギリスからフランスに入るみたいなこともやった時代なんですけど。
その頃、それは10代の終わりぐらいだったんですけども、行った時のロンドンは、みんな天気が悪くて嫌いって言うけれど、基本的に曇りの時間が多いですけど、台風の前とか後の少し不穏な感じの空気感ある。ありますね。あれがむしろ少し興奮するっていうか。お好きなんですね。そう、そう。
だから、重い空っていうイギリスでも、そこから時々雲が割れて、ふわーって光が差すんですよ。日本ではあまり見ない感じ。だから、あそこに神を見ちゃうとか、そういう感覚ってこっから来てるんだろうなとか。いろんな絵画も、ヨーロッパって光線が違う、光の見え方が。それに惹かれちゃったみたいなところも感覚的にはありますけども。
なんだかんだそういうのがありつつ、でもどこでも良かったんですよ、多分。やっぱりそれは10代からずっと、その目にさらされるっていうことが当たり前で、慣れてはいたけれども、どこかでやっぱり軸がないっていうかね、っていう自分が歯がゆいっていうところがあったから。
海外の地で一人間として振る舞ったり扱われたりするっていうところに、一個どっか救いがあった? そうですね。やっぱりもてなされないっていうことがすごく贅沢に感じるっていうか。
店員さんにポンって雑に扱われたり、町の人、誰も知らないよっていう。若干アジア人だから、微妙な差別を感じるとかっていうのも含めて、そんなもんなんだなって。マイノリティである自分に気づくわけですよね。そうそう。
それこそ本当にバス乗って地下鉄乗って、ふわふわっと歩いてっていうので、自分が塵が吹き溜まっていくように、風で飛ばされちゃいそうなっていう、そのちっぽけな自分を感じるのがすごく新鮮で嬉しくて。
それって私もシンガポールに移住してすごく感じて、これは解放感があるなって思いながら、新たな新鮮な感じだったりもしたんですけども、そこからまた戻ってこられるじゃないですか。その上で今でもイギリスにもお家を持ってらっしゃる? はい、小さいフラットですけどね。それってどういう理由なんですか?
それは、まず戻ってきたのは娘がその後ニューヨークの大学行って、パリで大学院行ってとかっていうので、もうロンドンにはいなくなったっていうことがあるのと、樹木さん、私の義母の樹木希林が、いよいよ危ないかもしれないっていう感じもあったりしたので、もう引き上げて戻ってこようっていうタイミングがあったんですけど。それはその環境的な理由があったからっていうところがあって、自分はまだ、やっぱり一つ逃げ場所として。
その逃げ場所の作り方がすごい面白いなと思ってまして。それってお一人のための家ですよね? そうですね。でもぎゅぎゅっと家族でも一応泊まれる体制にはなってます。そういう部屋数はないけど。そうなんですね。
私、実は家族構成的にもちょっと似ていて。そうですよね。子供が3人いて、特に3人目がちょっと離れてるんですよ。娘、息子、離れて息子って感じなんですけど。そうね。上の2人、男女逆だったら。逆だったら同じ構成なんですよ。
ご家族の写真。ここ1枚だけね。1枚だけあって、ここの文字が味わい深くて、「少し遠くに離れると丁度よく愛おしい」。本当に。分かるでしょ?
これはでも本当に、すごく、逆に1枚で2行っていうところにすごく味わいがあるなと思いましたし、他のページにも奥様は実は海の人で、自分は森の人だと。森に住む企みを今、夫は持っているっていうくだりがあって。
家族との距離感とか自分の時間とかっていうものに対して、ちょうどいい折り合いがつくのも、この60という年齢もあって、みんな程よくいけるねっていう感じになってんのかななんていうふうに。
そうですね。その中田さんの、それこそ結構前に妻から、これ面白いよとか、こういうの見ればいいのにっていうので勧められたので、中田さんのとか。ありがとうございます。ReHacQとかあるんですけど。それで中田さんの限られた時間の使い方とか、結構前だけど、まだホワイトボードに書いてた時代のやつとかで。
限られた時間の中で、人生はこの喜ばせ合戦みたいな。結局だからどう使うかっていうか、誰と会うか、誰とどう過ごすかっていうのが結局肝なんだみたいなオチでっていうので。その時の最後の方で「一人で花火見たら寂しいじゃないですか」って言った時にツッコミを入れてたんです。「いやいや、一人で花火見るの、すっごい楽しいんだけど」。そういう人もいるよって思いながら。
だけど、でもそれを感じられるっていうのは、やっぱり密にいる、時々息苦しくなるけれども、その家族という形態があり、そういう関係性があるからこそ、この一人の時間が味わい深くなっているっていう構図じゃないですか。確かにそうですね。そのことに改めて気づかされっていうのもありつつ。
やっぱり私の中では、ちっぽけな存在とか、一人でいるっていうことを味わい、実感するために家族が必要っていう順番なんですけど。逆的にね。そうそう。なるほど。
なんですけど、でも中田さんは本当に家族というか、奥様のこともちゃんとあんなに大事にして。いやいや、もうただのたうち回ってます。のたうち回り、何かにまみれてます。
だからこそ、私自身も自分の事務所を作って、家のインテリアも好きなんですけど、全然違うテイストのインテリアを事務所で揃えたりとかして。ふっと自分で作業したりとか、集中して情報を入れたい、まとめたいっていう時はそっち行ったりする時に、ここがあって、ここがあるんだろうなとかっていうふうに思ってたりしたんですよ。
イギリスの物件とかインテリアとか見るの好きだというお話を聞いて、森に住もうかなって思ってるみたいな。そう、その森に住もうかなっていうのは、このイギリスのとは別です。イギリスはやっぱり、ある種もちろん自分の逃げ場所ではあるけれども、完全な逃げ場所ではないじゃないですか。なるほど。
現実には妻にもお金出してもらってるんで、夫婦で半々で買ったものなんですよ。なるほど。ご自身のポケットマネーで森の中に作りたい。自分だけの。候補地どこなんですか?
よだれ垂らしてでも全裸でも、何でもいいっていう。別に家族いてもよだれ垂らしていいですけど。そうだけど、そういう。確かに分かります。
それこそ本当に、それにも書いてますけど、本当にニュージーランドに、かつて子供たちが小さかった頃に行った、原始林の巨木たちが残っている、そういう森があるんですよね。ニュージーランドの原始林? そうそう。
ニュージーランドの北部にワイポウアっていう地区があって、そこにカウリという名前の、もうジュラ紀。ジュラ紀? だから1億5000とか1億9000年前。恐竜の頃ですか? そうそう。そういう頃から生きている木が、巨木が残ってるんですよ。
そこに昔、子供たちを自然に触れさせたいという名義で行ったんですけれども、その時に泊まった宿の奥さんが。そこには50何メートルとかっていう、ナンバーワンの大きいとされる木が、みんなバスで来る場所にあるんですけれども、「それじゃなくてナンバー2がいいわよ」と言われて。そのナンバー2が「森の父」っていう別名があって、それは少し森の深くを辿らないと会えない木なんですよね。
ナンバー2の大きさで、観光客が来ない森の父に会いに。そうそう。もちろん観光客の人も行くんですけど、バスでちょちょっとは行けない。っていうのに行った時に、本当にそれは幹の周りが16メートルだったかな。16メートル? うん。みたいな木なんですけど。
そのカウリっていう木は、自分が生存するために枝を自分で落としていくっていうふうに進化していった木で、ただただ寸胴みたいに太くなっていくんですよ。そうすると他の植物とか動物が登ってこれないっていうふうな体になって生きている木なんですよ。だからそうやって太くなっていくらしいんですけど。
進化と生存のために枝をなくして太くしたっていう。そうそう。それで自分自ら樹皮を脱皮するみたいに剥がしていくっていう木で。
とにかくそのナンバー2を見に行って、そしたら後から家族に聞いたら誰もそう感じなかったらしいんですけど、私はもうその数十メートル前から、「うわ、何この気」。「気」ですよ。気ですね。オーラですね。そうそう。それをものすごい浴びるように感じて、ちょっと心の中では、もう出会えた時に気持ちがひれ伏しちゃってたみたいなところがあって。
ああ、生きてるって思って。それは何か、生きてるっていうのは何が生きてるんですか? 自分がですか? いや、自分がじゃなくて、その太古からの自然がっていうので、本当に言葉として畏れっていう方の、畏怖っていうのを本当に感じたの。その深遠さと畏怖みたいなもの。神々しいというか、何か神的な畏れを感じたわけですね。うん。
だから多分きっと、別に勃起してないけど、そのぐらいの多分エクスタシーというか、そういうのに通ずる何かを自分は今感じてるって思ってしまったから、そのくらい一人が好きなのかな? 分かんないけど、そういう感じがどこかに残っていて。
だからもうただただ、自分っていうのをなくして、ただ森の一部、あるいは森の使い走りというか。森の奴隷でいいから、その自然の中でできることをこちょこちょっとやって、終わっていくみたいなの、すごい憧れなんですよ。
じゃあ一個、その「終わっていく」って今セリフがありましたけど、どこか自分の一人の終の住処じゃないですけど、ニュージーランドの原始林の近くに住みたいなってことですか?
ニュージーランドじゃなくてもいいんですよ。全然そういう自然の中で、単刀直入に言うと、自然の中で一人で死にたい。それだけ。だからもう病室でもなく、家族に囲まれるわけでもなく、ああ、本当に還るんだ、これでっていう感じで。ああ、そういうことなんですね。そうそう。
それにも書きましたけど、ロンドンで春先、まだ冷たいですけど、空気が。そこで公園歩いてたりすると、それもまた公園の大木の間で小さな水仙が咲いてるんですよ、白とか黄色とか。復活のシンボルらしいんですけど、そういうふうに最初に芽吹くもの。それが本当に綺麗で、本当に歩いてた時に、ああ、こういうところで死にたいなみたいな。
こういうところで転がって、生命の合唱が始まっててみたいな。ちょっとナルシストですかね? いやいや。だからそういうところで本当に、事実上、あーって太陽の日差しを浴びながらっていう。
その死に関して、このきっかけにもなった若き日の30年前のインド旅行があって、そこで生と死が隣り合ってる川の風景を見て、そしてそれがいよいよ『おくりびと』に繋がっていくみたいなところっていうのもあるわけじゃないですか。その辺りからずっと死についてというか、どうやって死のうかなっていうのはずっとあったんですか?
そうでしょうね。だからそれは結局、生死って裏表だし繋がってるしっていうところで、その死を意識するっていうことは、どう生きるべきかっていうのを結局より実感したいっていうことなんじゃないですか。
なるほど。だから、より生きていたいっていう気持ちとか、そういうのも裏返しであるからということですか? 裏返しにあるからなんじゃないですかね。だからそこを実感したいっていう。
だからどこか、やっぱり、お金も欲しいとか、そういう経済的にっていうのとかでの思いはあるけど、もっと漠然としたイメージなんだよな。最後そんな。なるほど。
中田さんが最近読んであれしてる、ちゃんとお金を貯めずに使い切って終わるっていう。ああ、『DIE WITH ZERO』ですか。そうそう。そこまで知っていただいている。それにちょっと近くはないけれど、そういうふうに自分で納得して、すっきり消えたいみたいな。納得してすっきり消えたい。うん、そういうところがあるかな。
私の中で、本木さんにとって仕事って今どういう位置づけなんだろうって思ってまして。言ってみれば本当に、パッと見る限りですよ、文句のつけようのないキャリアの華々しさで。それでご自身で大河も主演された上で、ご自身で企画も関わって熱心に説得をされて、それで立ち上げたもので、もう日本から世界中から絶賛される43歳になって。それ以降も精力的に仕事を続けながら、もうお金でも名声でもない何かだと思うんですよ。この本を見る限り、演技っていうのは逃げ場であり、救いを求めてるっていう。
そうですね。だからやっぱり40代のところでもっと働けたはずなんですよ、本当はね。正確に言うと多分『おくりびと』っていうより、『坂の上の雲』っていうNHKのドラマをやってた時。はい、ドラマですね。3年間ぐらい。
そう、3年間って言うけど、あれは結局1年半あれば撮れたものなんだけれども、NHKがそこに、一個の番組にそこまでの予算を組むとブーイングが起こるから。なるほど。そう、3年に分けられただけなんですけどね。
でもだから結局、私、不器用なので、一つの役をいただいたら他のものはその間、絶対に掛け持たないようにしてる。一切掛け持たない? 山田孝之方式。前後で言うと分かんないですよ。それは本木雅弘形式なんじゃないですか?
なんですけど、それで3年間他の仕事しなかったわけですね。40代のその最初の時に。なるほど。一個役やってるから、入っちゃってるから。そうそう。だから他の人から見ると、急に立ち止まっちゃった。一番働きの時に。なるほど。でもこれでいけると思ったんですよ。
それで、その時まだ子育ても、子供たちいくつくらいだったか忘れちゃったけど。まだちっちゃいですよね。だって長女さんが中学。小学校ですね、多分。小学校の時に、っていうぐらいですからね。そうそう。イギリス行ったのは中学に上がるぐらいの時です。
っていうのだったから、そういうふうに当たり前の日常を味わいながら、時々役の衣装を着に行くっていう感じのペースでできた日々が、割とやっぱり良かったんですね。だから多分そこで、別に決められたペースとこの進化に乗っていかなくてもいいんだっていうことには、気づき始めたのかもしれない。
それはある意味偶発的というか、NHKの事情と、ご自身の一時期一役っていう原理と、そしてご家族が増えて子育て真っ盛りっていう、この三つの三角形が『おくりびと』以降の、うわーっていう仕事ラッシュとは違う時間軸を生んだっていう。そうですね。それ、意外と良かったということですか?
良かったとも思うし、やっぱり本当に分からないんですよ。自分で欲があるのかないのか。どういうことですか? 結局だって、みんな外国に、一時期だって、みんなハリウッド行ったらすごいみたいなことで、みんなそこ目指してみたいなところがあるけど、それもあんまり湧かなかった。
そういうふうになった時も、だから本当はそこで頑張って、英語だってもっと頑張れば良かったのに。私以外、家族みんなインター出身だから、みんな話せるわけですよ。分かります? 子供めちゃくちゃ英語喋りますね。そうそう。家の中で話せないの私だけなんですけど、その時だって頑張れば何かできたはずなのに、あんまり欲が湧かなかったんだよね。
その欲っていうのは、今の文脈で言うと、私ちょっと役者さんの、いわゆる王道のステップアップで言うと、そこまで来たらハリウッドに行くでしょっていう感覚なんです。
とか、あるいは要するに作り手の方に回って。なるほど。もちろん『おくりびと』は発案者ではありますけれども、そこからプロデューサー業を始めるとか、なんだとかっていうほどには背負う気はなかったし、結局あんまり広がらないで、ぼやんと引き延ばしていったけど、持ったなっていう感じで。
ぼやんと引き延ばしていったけど持ったなっていうところに、何かがすごい、何かがある気がしたんですけど。いや、だからそこで要するに、望みすぎると足がすくわれるっていう、どこかでそういうブレーキがかかっている。
それって、いわゆる先ほどの戦国の歌に戻るんですけど、パワーゲームの実りは虚しいっていうところが、どこかそこ通じてませんか? そうそう。だからね。いや、自分だってなくはないですよ。
なくはないけど、男同士でも女子同士でもあるかもしれないけど、マウントみたいな。こっちが偉い、あっちが偉い。そうそう、とかっていうのを。ちょっとそういうのに巻き込まれたくないし、疲れるし。
この人マウント取ろうとしてんだとかって思うと、もし自分もそういうふうに見られる場面があったら、こういうふうに映るんだなって思うと、怖くて。そこ俯瞰して見ちゃうんですね。勝とうとしてたり、押さえつけようとしてる人を見ると嫌だなって思うから、自分がそうだったとしたらどうしようっていうふうに。
私の中で、選んできた役が難しい役ってだけじゃなくて、実は負けてきた人が多いと思ったんですよ。ある種そうかもしれないですね。敗戦を受け入れたりとか、村重もそうですし、慶喜もそうですし。そうですよね? そうなんです。
それで『八月の声を運ぶ男』っていう、被爆者の声を1000人以上集めたっていう、元長崎放送のディレクターだった人。後にその局を辞めて、意地でその先は自分で集めたっていう。70年代の経済成長の時に、みんなそういう辛い過去はできるだけやめて、経済を明るくしていきたいっていう時代に逆行して、そういう人たちの上に自分たちのこの経済生活が成り立ってる。だからもう自分はこれをやるしかないっていうので、非核を願って声を集めるっていうのをやった役なんですけど。
その方も、もちろん被爆者の声を集めて、それをいろんな形に今残って、長崎でもどこでも聞けるんですけど。そういうことをやったけれども、志半ばで、生きてるうちにはそんなにそれは認められずに亡くなったっていう、伊藤明彦さんっていう方いるんですよね。その方の役もそういう役でしたし、確かに多いかもしれないです。
何か力で勝った、ただ賢い、ただ強い、ただ成功したっていう役を、一度もおやりになってないように見えて。もちろん自分から選んでるわけじゃないんですけどね。
でもオファーが来るわけですよね。その上で引き受けるっていうこのマッチングは、もちろん本木さんの意思がないと引き受けられないわけですから。本木さんが最終決定を下した、その役の並びを見ると、私、三英傑や龍馬や勝者っていうもの、みんながやりたがるカリスマヒーローを、もう本当に避けて避けて、こんなに難しくて、そして負けてきた人たちをやってるんだっていうところに、得体の知れない、私からするとね、さっきの巨木じゃないですけど、何かすごいもの見てる感じがしたんですよ。
でももしかしたら、確かに綺麗にまとめようとするならば、やっぱりそういう弱さ、どうしようもなさみたいなところに共感するっていうか、そこなら自分もすがれるみたいな。すがる、救われる。
私、斎藤道三をやられた時の『プロフェッショナル』、密着あったじゃないですか。あれ、たまたま私テレビ見てて、ひっくり返るぐらい面白いって思ったんですよ。本木さんの立ち居振る舞いというか。先ほど自意識が強いっておっしゃってましたけど、密着であるがゆえに、撮りたいものがあるディレクターと、それをなかなか撮らせないように動くような。
いや、でも全然自己演出しちゃってたでしょ? 演出をかけて、「これぐらいでいいでしょ」って言って、「じゃあ帰ってください」。「いや、密着なんで」みたいな、「え?」みたいな。作為をしようとして、それを暴かれてっていう顔も見えちゃってるみたいな。見たことない密着を見た気がしたんですよ。
すごく、そういう見せたくない自分を笑っちゃえるというか。先ほどから話長いかとかっておっしゃるのも含めて。いや、今本当に焦ってる。まとまってないし。
いや、私は全然まとまらなくていいと思ってますし、まとまったものの方がつまらないと思いますし。「まとまってないんだよね」って自分で言っちゃう本木さんのスタンスがすごい好きなんです。
いや、でもやっぱりこれが図々しいのかな? 結局、さっきほら、別にハリウッドも目指しません、監督にも憧れませんっていうふうにやって、自分じゃ何もできませんって言いながら、こういう結局自分がぐちゃぐちゃしても、付き合ってくれる人がいるって思っちゃってる自分がいるのかな。そういうこと責めちゃったりするけど。
面白いですよね。本当、門外漢からすると、ハリウッドに行くこととか監督になることが正しいっていう感覚が1ミリもなかったので、そういうあり方の一つというか。でもご自身の中で、そうじゃなきゃいけなかったのかな、こうじゃなきゃいけなかったのかな、自分はこうであっていいのかなって自問自答をされてる。そうですね。それがすごく魅力に感じてしまう。
だからやっぱり基本はダメ元精神なんですよね。自分を低く見積もっておく方が、誰かにちょっとでも肯定された時に、自分で下げといた分だけ跳ね返って嬉しいみたいな。
でもご自身でおっしゃる卑屈とか、自信のなさみたいなものを、不思議と客観視すると感じないんですよね。すごい挑戦心。特に20代の頃の、特にアイドルから俳優へっていう流れの時に、チャレンジングな、センセーショナルなことも立て続けにやってませんか?
あれはやっぱり、あの年代の意図的な部分と、あとやっぱりその弱さゆえの、ちょっときっかけは何でもいいんですよ。誰かに突き落としてほしいっていう。突き落としてほしい? 突き落としてほしい。
できない、できないって言いながら崖っぷちまで行って、どうしよう、どうしようって思ってる時に、自分で「さあ行きます」って覚悟を決めて行くんじゃなくて、どうしようかなって言われてる時に、ボンって押してもらう演出の方がいいんですよ。
ダチョウ倶楽部さんですね。押すなよ、押すなよって言いながら、自分で崖っぷちまで行って、最後はジモンさんとリーダーに押してもらうという。
そしたら、あんなビビってたくせに思いのほかうまく飛べてるっていう方が、見てる方が夢があるかなみたいな、自分で。それはだから演出なんですね? 演出ですね。すごい。もしかしたら。それが自分の中で黄金パターンとして確立されてる演出なんですね。
いや、でもそれをやっぱり50歳、60歳でやっちゃダメでしょっていうので、夫婦喧嘩にはなる。ちょっと待ってください。どういうことですか? それは50歳、60歳でやっちゃダメでしょって奥様に言われるんですか?
うん。やっぱりあなたは基本的に、あなたがやることに誰もが構ってくれるって思っているから、そういう態度ができるっていう。辛辣すぎます。そういう態度ができる。そういう理屈。辛辣すぎますよ。そう、そう。そうなんですか。
もっとやっぱり素直に生きて。本当に、だからそれこそ全然奥さんに、しょっちゅう、問われなくたって愛してるって言うようなことを言えるっていうこと一つとってもそうですし。
それはご自身は、奥さんの今の批判からすると、最後押してくれる人を待つ傾向を今批判されてるってことですよね? そうですね、ある種ね。ある種、あなたに構ってくれる人がいて、最後何かしてくれるって思ってない? っていう、そういう一矢なわけですよね?
そうそう。やっぱりそういう意味では結局、一番自分のことが可愛いというか、結果、主役になるようなことを仕向けてるみたいなふうなことなのかな? 分かんないけど。いやあ、複雑ですよね。
複雑ですよね。本木さんを評する人がみんな、その複雑性を言っていくというか。あれ、『沈黙の海』。『海の沈黙』? あ、『海の沈黙』の時に、小泉今日子さんと一緒にインタビューを受けられてるシーンとかでも、同世代で同じくアイドルからお芝居やって長くやってる人としてっていう話の流れで。
小泉今日子さんがすごく本木さんの、本木さんらしさを、昔からこういう人だから、このままでいてほしいと思ってるみたいな。その複雑性を支える一人として私は生きてますよっていう表明をされてたのを見て。
本当に複雑でややこしい、だから目が離せない、だから何かしたくなっちゃうっていう論なんですかっていうことを、ご自身で説明しながら。
でも大体そうじゃないですか? 本当に。多かれ少なかれそうでしょ? 中田さんだって本当はきっと自己肯定感高いって自分で公言してるし、実際そうであろうし、自信も私よりきっといろんな意味であると思うし。だけどそれを疑うっていうような素直さも捨ててないみたいなことだけど、みんなそうやって、バランスはそれぞれかもしれないけど揺れてるわけじゃないですか。
今回の『黒牢城』の中で、原作にもあったけど、村重が何かを語った時には、その声に相手を諭すような、と同時に自分をあざけ笑ってるようなっていう、その同時のものが入り交じってるっていう。それを『諧謔味』っていうらしいんですけども。諧謔味。だから物事のおかしみと共感が入り交じっている。
だから滑稽さの中に見えてくる真実とか、人間性とか違和感とか、そういうもの。だから分かんないけど、チャップリンの、人間の行いっていうのは寄りで見ると悲劇だけど、引いてみると喜劇だみたいな。っていう、やっぱりその両方を抱えてるっていうか。
だから村重も、そういう正しいと思うような野望を抱きながらも、自分にツッコミを常に入れているみたいな。またそれを引いて、人間って笑っちゃうなみたいなっていうところで。そうすると、その匙を投げるロマンっていう考え方も出てくるみたいなね。
本木さんが匙投げたものって何なんですかね? 本木さん自身は投げてないですか? どこかで投げました? 投げてないかもね。投げてないかもね。
だから中田さんの、また戻っちゃうけど、そのフューチャーカードで竹下さんとお話された時の老害の話を。44歳? 43歳? 今年44歳になります。44歳で老害の話してるわけじゃなくて、もう60歳じゃない。別に自分はレジェンドじゃないから、そこまでとち狂わないと思うんですけど、引き際とか。
要するに、中田さんの言う人生の下り坂とか終わり方っていうのが、一番自分らしく生きるために重要な地点というか、みたいなことで、老人になるか老害になるかで随分変わってくるっていう。それを見ながら、やっぱり自分でもちょっと思い出したんですよね。義母の樹木希林が言ってた言葉で。
ドイツの児童文学とか詩人であるエーリヒ・ケストナーとかっていう人が言った、「誇りを持って脇にどけ」っていう言葉があって。だからそういう名誉とか地位とか、そういうことに固執しないで、潮時が来たら素直に脇にどくっていう。
なるほど。それを自分で、その潮時を察知するっていうの、すごい難しいじゃないですか。難しいです。だからそれができなくてっていうので、まだ自分が機能してると思って同じような形で振る舞うから、周りの人が害されるっていう話だったじゃないですか。しました。
だからもう絶対自分はそういう期間に来ているから、本当にその働き方とか仕事の選び方とか、なんだとかっていうのをもう少し変えていかなきゃ。要するに、いつまでもやっぱりかまってちゃんじゃいけないって思ってるんですよ、本当に。
私が見た本木さんのキャリアの作り方で言うと、先ほどの時間軸の問題も含めて、多分大きく20代、30代の時と走り方を変えた方なんだろうなと思ったんですね。そこでこの60歳になって村重をやり、フォトブックを出し、今も輝いてらっしゃるのは、おそらく仕事の仕方であったりとか、家族との距離感であったりとか、自分との距離感が、何かが適切じゃないとこんなに輝けないと思ったんですよ。
小泉今日子さんとのお話の中でも、同年代でももう二人だけだもんねっていうお話をされてて、確かにそうだと。あの時代、たくさんの綺羅星のごとくアイドルがいて、皆さんがいろんなやり方で芸能活動を続けてたけども、今横を見ると同じ時代を生きた二人になっているという中で、どのようにしてそう辿り着いたんだろうなっていうのを思いたかったんですよ。
いやいや。小泉さんは全然別の意味で突出してるし。本当に同世代の人たち、それぞれのやり方があるから、全然各自の納得の仕方でいいとは思ってるんですけど。
じゃあ本当に中田さんはどうするの? それ分からないですよ。どう生きるべきか、私はって思っていて。いや、だけどイノベーターないし。はい、アーリーアダプター。アーリーアダプターのところにはいたいわけでしょ?
いたいんですかね? 私の中で、自分自身の中での仕事ってどこにあるんだろうっていう距離感を今探ってると言いますか。だから本当にお金が欲しい、褒められたいとかっていうことじゃない何かを仕事に求めたくて、わがまま言って、わがまま言って、やりたいことしかやらないんだぞ、私はってのたうち回って。それで、ああ、本木さんと会いたい。本当です。
ただ、色々やってるYouTubeの中で、これだけちょっと別ラインだもんね。別ラインですか? 別ラインでしょ? たけしさんに会いたかっただけなの? 最初は。たけしさんにもお会いしたいっていうので。
だからどこからか、仕事とかっていうものではなく、何か違う何かを求めて今やってる感じがするんです。そうですよね。何ていう言葉で言ってたか分からないけど、終末に向けてじゃないけど、仕事ではない人生の何かしらの価値。そうですね。価値観というか、価値の軸というか。納得が欲しいんですよね。納得が欲しい。
だからそれが趣味なのか生きがいなのか分からないんですけども。でもおそらくハリウッドでもなく、監督でもないっていうところの中に、本木さんは多分、最後は突き落とされて飛びたい。推薦されたい。舞台に上がりたい。
原点と今が実はずっと繋がってて、そこに人生の何かを感じてるから、もう仕事じゃなくなってる。何か違う何かになってるのかなって思ったんですね。だから続いてるんじゃないか。
そうですよね。でも分かんないな。家族っていうより、もしかしたら妻なのかな? 分かんないけど。奥様が何か重要な、そこ何かあるんですか?
やっぱりそれは、彼女だって私を選んだんだから、そういったところを背負わなきゃいけないところあるけど。19歳で結婚して、もっともっと華やかな時間があるのかな、楽しい時間があるのかなと思ってたら、こんなねじれてる男だったっていうことに。ねじれてる男だった。どんどんどんどん気づかされる日々で。
子育ても大変でってしちゃってるから、何かお返ししないと終われないのかなっていう、ずっと宿題がある感じだけど、急に素直な夫になれないし、自分だって終わりの時間は彼女より早く迫ってきてる感じがあるから。どういうふうに……ごめんなさい、つまんない話になっちゃった。いやいや、一番面白いですよ。どうしたらいいか。
多分きっと中田さんはもう萌さんに、変な言い方だけど、表側から見てると、もう7〜8割方返してるっていうか。いやいや、そんなことないです。そういう感じにも見えているんです。全く、全くです、それは。そう見えますか? うん。自分は多分きっと、もう4割も返せてないみたいな感じがあるので。
いや、でもそれを素直に自分はねじれてる男だと言って、そのねじれ感をも愛され始めてるというか、愛され続けてるわけじゃないですか。私なんか今だって誤解されたままですもん。ちょっと戦略家みたいな感じで思われてる時点で、私は未熟でね、本当に。
いや、そんなことないでしょ。ねじれですから。ややこしい。だからこそ村重と本木さんに何かを見いだして……。でも見いだせなかったでしょ? だから結局。見いだせなかったでしょって面白いですね。何も核はないの。見いだされるものはないの、やっぱり。
でも、ずっと葛藤されてるんだなっていうことは思いました。そんなに40歳以降と前で、ご自身としてはすごく大きな何か価値観の転換があったわけじゃないってことですよね?
そうなんです。それで、それにも書いてるけど、本当に30代の頃から結局それなんですけど、「人生をほどほどに希望して楽しく諦めていくこと」。そこ。これ、すごく刺さりました。そこのバランスに戻ってくるだけなんですよね、いくつになっても。最後はそこに戻ってくるんですか? そう、そう。
これっていつ思ったんですか? ほどほどに希望して人生を楽しく諦めていくって。いや、本当に30代の頃。何かきっかけがあったんですか?
やっぱり結婚して、子供できてっていうことで知った喜びっていうのもたくさんあるけど、孤独は孤独。孤独は基本的に人一倍好きなんですけど、そのことについては寂しくないんですけど。人間のどうしようもなさ、どうにもならないんだろうなっていう感じ。
なるほど。だから望むだけ損だっていうことを、やっぱりずっともぐら叩きのように言い聞かせてる。結局やっぱり一瞬、なんかできるような気がするって思うと、理想をポンって高めにしちゃうから。大体撮影が始まると、ほら、現実こうだね、現実こうだね、どうせできないね、自分ダメだねみたいな感じがあるんだけど。そういうふうに、だから分からないな。
それは大河より後ですか? 慶喜より後ですか? やっぱりご結婚、出産っていうところが。あれ? ご結婚、出産は慶喜より後ですか? 慶喜の時なんですよ、ちょうど。慶喜の時なんだ。30代前半ですよね。生まれて撮影が始まったみたいな感じで。
すごいことですね。とんでもないことが起きてましたね、その時。でもだからこそできたって感じですね。全然、バギーで散歩させたり何したりっていうので、撮影に行ってとか。じゃあ、もうとんでもない嵐の中にいたんですね。彼女の方がもっと大変だったとは思いますけど。
じゃあ、片や慶喜やって、片や家庭に帰ったら初めての子供が生まれて、もうすごいむちゃくちゃなことになってたわけですよね。でもそれが良かったみたい。良かったんですね。そこでふと楽しく諦めるっていう境地に至ったわけですよね?
そこでじゃなかったかもしれないけど。その後に? だからどこっていう地点は分からないんだよな。じゃあ、その辺りでってことなんですね。そうそう。でも30代ってはっきりおっしゃってましたもんね。
30代ですね。やっぱり29歳で結婚して、30代はそういうふうに、分からないけど、人と関わって生きるっていうことを、ことごとくそこに向き合っていたわけですからね。もう個人っていうか、個に逃げられる自分がなくなっちゃったみたいな。全部が公になったんですね。それと、しがらみがもう完全にできちゃったっていう。その感じの、いい意味での拘束感というか。
いや、強烈ですね。大河の主演をやりながら第一子が生まれるの掛け算は、想像を絶する何かですね。誰も相談できない何かですよね。そうですね。似た人がいないんじゃないですか。それで義母も岳父もはちゃめちゃですからね。
そうか。しかも養子に入ってるんですもんね。ええ。その上で内田裕也さんと樹木希林さんっていう、その枠組みも含めて引き受けていくことで、もう私も公も日本中から注目される状態にあったんだ。
そこまでじゃないけど。樹木さんはもう最大の助言者であるんですけど、救いであり、かつ、でも裕也に見る、逆に言うともっと紳士で自由人というか、破天荒さも含めてですけど、生き方の両極が、良し悪しって言うんじゃなくて存在してるのを見てると、逆に悩ましかったみたいな。
逆に悩ましかったってどういうことですか? どっちもすごい憧れるけど、どっちにもなれない自分。ああいう生き方もあるのか。全く逆の生き方があるのか。どっちでもないな。自分はどこにいるんだ。そういうことですね。だからそれでこういう答えを導き出してったのかな。それで、自信があるかないかも分からない。
このタイトルになってる『awai』って、私、初めて知った言葉だったんですよ。そうでした? はい。淡いって、濃淡の淡いだけじゃなくて、間って書いて「あわい」って。
そう。間って書いて「あわい」なの。物と物、時間と時間、季節の移ろい、人と人の間。でもそれ、境界っていう意味じゃなくて、その2つが混ざり合ったり溶け合ったりしているエリアのこと。あるいは移ろい合ってる。よく解説する時に言ってるグラデーションっていう、そのグラデーションの間のことを言うんですね。その移行の。
「あわい」ってよくお使いになってました? 日常とかで。時々、人と人のあわいとか。使われたんですね。そうそう。物と何とかのあわいとかっていうふうに文章で見たり。
このタイトルがすごい秀逸だっていうのを、最初は分かんなかったんですよ。どういう意味合いでつけてらっしゃったのか。でも、すごく本木さんって、そのあわい、要するに何かこっちとあっちがあるからあわいがある。こっちとあっちの両面性を抱えてらっしゃるんだろうなって。
やっぱり欲深なんでしょうね。欲が深い? だからその両面を知らないと納得できないみたいな。先ほどご自身で欲がないのかもしれないって。欲深って言いましたね、今ね。そう。だからそこも両面性ですよね。ある意味、欲がないのかもしれない。でも、こういう自分は欲深いんだと思うっていう。その矛盾するような何かを持っている。
その揺らぎをここにすごい感じましたし、私自身それを感じるんですよ。すごく二面性があって、もうしょっちゅう揺れてる。こっちの自分とあっちの自分ですごく揺れてて、でも全然理解してもらえないんですよ、私。
その顔が、ある種の菩薩みたいにもうまとまってますもんね。まとまって見えるんですかね。まとまって見えるように思われるんですけども、本当に揺らいでるんですね。いや、そう見えないけどね。見えないですよね。なんでなんでしょう。だから私、すごい共感してしまって、勝手に。
家族構成、移住、それからデビューからずっと忙しくされてて、この辺りでこうだったのかな、ああだったのかな。そして今60歳になり、こうだなって思ってる。この先もあれですか? これからと同じようにやっていきたいのか、また全然違う何かにチャレンジしてみたいのか。
長くやってると、同じことやるのに飽きたりとか、違うやり方してみたくなったり、全然今まで否定してたことにちょっと急に挑戦してみたくなったり、いろいろあると思うんですけど。同じことずっと続けるタイプですか?
どうなんだろうね。でも確かに迫ってきてますよね、その選択。もちろん半分近くは、要するにメインストリームじゃないっていう気持ちで、少し譲ってる気持ちはあるんですけど。なるほど。でもどこかでやっぱり、1人になりたいとか、自分の存在を知らない場所に行きたいって言いながらも、どうなんだろう? 世間から忘れ去られたら寂しいって思うのかな? それとも割と平気って言えたりするのかな? 本当にそれが分からない。本当にそれをどれだけ手放そうと思ってるのかが分からないです。
分かります。どっちなんだろうって。1人になりたい、自由になりたい、何者でもない自分になりたい時と、知られていたい、囲まれていたいっていう自分と。
だからやっぱり妻に言われるのは、何者でもない自分になりたいっていうのが、今、基本的に囲まれてるから。囲まれてるという、認知されてるっていう安心感があるから、そういう欲望が出てきてるだけ。これが本当に忘れ去られるというか、覚えられない存在になった時に、同じことを思うのかって。
奥様に言われるんですか? 言われると本当に分からない。いや、分からないですよね。だからもしかしたらもっと人と交流しなきゃいけないのかなとか、よく分かんないけど。でもとにかくもういいんです。私はとにかくもう1人で死んで。もういいんですって、何かを吹っ切りましたね。
だからこれも何回も言ってるけど、昔、相原コージさんっていうの、短い4コマ漫画みたいなのがあって。記憶は正しくないかもしれないけど、ある人の最後に見た絵みたいなので、バンバンって西部のカウボーイみたいなのが撃ち合って、バーンって撃たれた方が、うううとかって言って倒れて死ぬっていう時に見たのは、尻尾が揺れてる馬のケツっていう。全然ロマンチックなもんじゃない。そうそう。
だからそれは自分の中では、病院で亡くなる時に「お父さん」とか「あなた」とかって言われて、気持ちは込められてるけど、私が見てるのはみんなの見たくない角度からの顔が集まっている。それが自分が最後に見る光景って嫌じゃないですか?
それだったら、あの時の美しい妻とか、あの時の美しい子供たちとか、そういう自分の記憶をああと思いながら、日差しを浴びながら新しい生命がその辺から出てるっていう中で、土に帰ってくるみたいな。そういう方が美しいかもしれない。ただ、ややこしいから結局は人にまみれてるところで最期を迎えるっていう可能性もあります。
可能性もね。選べませんからね。それはそういう、結局こう言ってみても、それだけ1人になりたいとか、ややこしいとか言いながらも、これだけ喋ってくれるわけじゃないですか。
いや、だからもしかしたら分からないけど、何かのドキュメンタリーで使うか、使われるかもしれないって言って、自分でそういう瞬間を撮ってるかもしれない。自分自身が? そうそう。これが後に何かの映画の別の役で誰々が亡くなるっていうところで、使ってもらえたらいいなみたいな。さらに俯瞰して見てるんですか? そうそう。それで晒して、一応自分で撮っておくみたいな。
すごい。周りにご自身みたいな人いないですよね? 人付き合いないから分かんないけど。ないんですか? でも、ご友人なわけですよね?
そう、30年ぶりに会ったね。30年ぶりにその個展をふらっと見に行って、また会おうって言って、京都の『黒牢城』の撮影の時に、また久しぶりにご飯食べようって言って食べて。30年ぶりに写真撮らせてくれないかって言って、撮るって。
ええ。その、友達ですよね? 友達っていうか、そう、やっぱり予測していなかった出会い。言葉が投げかけられたから、懐かしいねで終わるだけの話だと思ってたら、写真を撮りたいって言われたし。同じ人が30年経って同じ被写体を撮るっていうこと自体が、客観的に見ても面白いなと。
ちょっとそれが1個、自分の中でチャレンジングだったんですね。そうそう。だからそこが1個刺激なんですね。そうそう、刺激なんでしょうね、やっぱりね。だから写真集っていう形にするつもりも本当になかったんですよ。ちょっとそういうポートレートが撮れれば、自分も記念になるし、彼もカメラマンとして、そうやって30年ぶりに同じ人物を撮ると、何か見えてくるものがあるかなみたいな。
それで京都の撮影の合間にちょいちょい撮ってっていうので、じゃあやっぱり東京でも撮るかって言って。じゃあどうせ撮るんだったら、本当に還暦の朝の起きた時から撮って。すごいこだわって撮ってらっしゃいますもんね。その後、じゃあ銀座とかゲリラ的に行って、中央通りで歩いて。すごい時間かけてる。
それもやっぱりその日のドキュメンタリーだから、後にこれが20年後に見た時に、え、これ何? あの2025年の銀座なの? この背景みたいなのが残ることも面白いなと思ったし。へえ。1個の仕事にめちゃくちゃ、やっぱり集中されますよね?
あと、これを『黒牢城』の番宣に使えるかもしれない。それも含めて? 思ったんですね、ちょっと。面白い。それで人の理由だから、自分から還暦写真集出しますって、撮ってってお願いする。ちゃんと押されてるんだ。そうそう。だってこれは撮らせてもらえないかから始まって。自分で撮りたいって手挙げてないんだ。そうそう。だからできるんです。
ずるいですね。ずっとあの時のまま。誰か僕を押してくれないかな。そうそう。面白い崖から落としてくれないかなって。そうそう。待ち受けて。そう、突き落とされて。
それで本当は誕生日プレゼントで、1人旅っていう感じで1人の時間を過ごすためにロンドンにふらっと行ってた時間だけど、もう残り数日とかあって、もうちょっとしかないっていう時に、この中村君が、ちょっとこれあるんだったら京都、東京だけじゃなくてロンドンも撮らせてくれないかって言うから、ええって思いながら、じゃあ来る? みたいなことで。1人になりたいご褒美なのに、撮影のために? そう。でも弾丸でバーッて来て。
すごい、そういう崖から飛び降りる思い切りの良さと、ずっと考え込む、ある意味神経質さとか自意識とかっていうのが両立してるんですね。
そうです。もう今は無理だと思うけど、スカイダイビングのソロの免許を持ってたんですよ。ええ、免許持ってるんですか? 最初はただテレビドラマで。飛ぶから? 飛ぶからっていう、タンデムじゃないですよ。本当に1人で。1人ですごいですね。
1人で飛ぶためのっていうのを訓練してやったんですよね。免許取らないとできないから、それでやったんですよね。それで時々オーストラリアとか旅した時には、そこでも飛ぶ、やってみたりとかしてっていうので、飛んでた時期あるんですよ、一応。
その時も何が楽しいかって、だって死ぬかもしれないんですよ、本当に。怖いです。静かにとにかくセスナに乗って、うわーってある高さの地点まで行くわけですよね。それでパラシュートしてるわけですけど。それであるところの高さまで行ったら、エンジン半分止めるわけじゃないけど落として、スーッて静かな、フラットな状態に持っていって、そこから1人ずつぴょんと空に飛び出していくわけですよね。
結局落ちているだけ、落下してるだけなんだけど、インストラクターとか相手とか、仲間で飛んでる人がいると、自分が空飛んでるみたいな感覚で飛べてるわけですよね。バーッていう。そうそう、落ちてるだけなんだけど、対象物があると一緒に飛んでるみたいに感じるわけですよ。それで何とかにゃんぱらりと着地して。
その瞬間も楽しいけど、それでその日に寝る時に、はあ、数時間前、空にいた。死んでない。生きてる。これから寝るっていうことが幸せみたいな。そこで、今生きているっていうことを感じるために、そこまでしたのかみたいな。そのサイクルが自分で異常だなって思いながら嬉しい。
いや、めちゃくちゃ面白い。分かります、でも何となく。生きてて良かったが、生きてる実感としてぐわってあるわけですよね。そういう木もそうだけど、超常なるものとか非日常に触れてっていうところで、生を感じたいっていうのがどこかある。
そう。だからそういう、やっぱりプリミティブなものっていうか、もう超アナログな。だから多分、AIに翻弄はされるけど、きっと多分シンプルにそこに帰ってくるタイプだから、侵されずには死ねるだろうなとは思ってる。てか、機械音痴だから乗り切れないから、そもそもそこに立てないんですけど。
でも今日、ちょっと1個回答いただきました。私の悩みに対して。崖から突き落とされたら、生きてる実感が湧くかもしれないっていう。だからそれをご自身は知っていて、意図的に崖までふらふら行くっていう。押され待ちするっていうのが、長く輝く秘訣かもしれないって、私、今日ちょっとそこいただきました。
ありがとうございます。本当に2時間たっぷりお話聞かせていただきまして。もうプツプツプツってやって。いや、本当に本当に、まんま活かしていただきますから。うまーくやって。どっかうまく言っていただければ。うまーくやって、きゅっきゅって。こっちから切ることないです。お願いします。もうそこうまく編集して。分かりました。編集して。
またぜひ、タイミング見て、もし思い出していただければ、どこかのタイミングで。1年後か2年後か分かりませんけど、またお話聞かせてください。今日、本当に素敵な回でした。ありがとうございました。ありがとうございました。ごめんなさい。ごめんなさいの意味が分かんない。というわけで、本日のゲストは本木雅弘さんでした。ありがとうございました。失礼いたしました。
村重様はどうして度々この地下牢に参られるのでありましょうか? 何? お供もつけず、ただお一人で。その理由を申し上げまする。
つまらんこと言うたな、官兵衛。
この戦に先がなきことは、村重様も重々ご存知でござろう。戦国の世の常であろう。ならば信長様と同じと見てよろしいか? よろしいのですな? 若造。
信長に向けるべき憎しみを、わしに向けるな。
それがし、いよいよ村重様にお尋ね申す。何をそれほど恐れておられるのか。答えられませぬか?
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