アメリカは何と戦ってきたのか——中田敦彦が9つの「対決」でたどる250年

YouTubeで開く ↗
概要

中田敦彦の「エクストリーム世界史」で、初めてアメリカ史を単独で扱った回である。中田はアメリカの歴史を「アメリカは一体何と戦ってきたのか」という切り口で整理した。宗教的弾圧、イギリス、メキシコ、南部、スペイン、ドイツ・日本、共産主義、中東、中国という9つの対決を順に追い、新興国が最強国へ上り詰める過程を約1時間で語っている。参考文献は関眞興『一冊でわかるアメリカ史』(河出書房新社)で、動画中の多くの逸話はこの本によるものとして紹介されている。

20分で読めます
0:42

なぜアメリカ史は捉えにくいのか

中田によれば、アメリカ史をまとまった形で理解しにくいのは、世界史に登場する時期が遅いからだ。中国は何千年、ギリシャは紀元前から哲学を論じていたのに対し、アメリカには約250年の歴史しかない。世界史の授業でアメリカが出てくる頃にはすでに近現代に入っていて、それまでの国々の話を覚えるだけで精一杯になる。そのため、アメリカだけを取り出して学ぶ機会がほとんどない。中田は、アメリカが最強国へ駆け上がった勢いこそ見る価値があり、テンポよく語る「エクストリーム」な形式に合う題材だと考えた。

導入では、コロンブスとアメリゴ・ヴェスプッチに触れている。スペインの支援を受けたコロンブスは、先住民をインド人だと思い込んだまま帰国した。日本では「発見者」として好意的に語られがちだが、参考書籍によると、近年のアメリカでは現地の人々を虐殺した人物というイメージが強いという。中田は、こうした「知らなかった」話が今回はたくさん出てくると予告した。その後、イタリアの冒険家アメリゴ・ヴェスプッチが南米まで到達し、そこがインドではなく新大陸だと判明した。アメリカという名前はこの人物に由来する。

3:25

vs宗教的弾圧:ピューリタンとボストン

最初の対決相手として中田が挙げるのはカトリック、つまり宗教的な弾圧である。ヨーロッパではキリスト教が大きな力を持ち、なかでもカトリックは厳格な階級制度と豪華な教会を備えるようになった。これに異を唱えたのが宗教改革で、免罪符を買えば天国に行け、金がなければ行けないのはおかしいと抗議した人々がプロテスタント(「抗議する者」)である。中田の説明では、イギリスでもカルヴァン派のプロテスタントが迫害を受けていた。彼らは信仰の自由を求めて新大陸へ渡り、植民地を築いた。これがピューリタン(清教徒)であり、アメリカの始まりだという。

ここから中田は、アメリカが基本的にプロテスタントの国であることを強調する。カトリックの大統領はきわめて珍しく、初めてのカトリック大統領はずっと後のケネディだった。また当時の中心都市はニューヨークやロサンゼルスではなく、のちにボストン茶会事件の舞台となるマサチューセッツ州のボストンだった。ハーバード大学がこの時期にすでに設立されており、当初の目的はピューリタンの指導者を育てることだったという。マサチューセッツにMITなど有力大学が集まっている理由も、中田はボストンがピューリタン時代の主要都市だったことで説明する。ニューヨークはもっと後の都市で、もとはオランダの入植地ニューアムステルダムだった。イギリス以外の国々も入植していたのである。

7:25

vsイギリス:重税、独立戦争、ミニットマン

13の植民地ができ、信仰の自由は手に入れた。しかしイギリスの植民地という立場からは逃れられなかった。中田は当時のイギリスを、全国に一気にチェーン店を広げた会社にたとえる。東京から鹿児島に出店すれば輸送も管理もコストがかさむように、産業革命の力で世界中に植民地を持った大英帝国も無理をしていた。その費用を新大陸に重税として課したため、宗教のために逃げてきたのに重税まで課されるのかという反発が起き、ボストンで輸入茶を海に投げ捨てる事件に至った。中田はこの章に「新しい国家を作れ編」という副題をつけている。信教の自由を守るだけでは足りず、国家を作らなければ独立できないという段階に入ったという意味だ。

独立戦争とはいえ、イギリスの国力は桁違いで、まともに戦える相手ではなかった。中田はアメリカが勝てた裏事情を二つ挙げる。一つはフランスの支援である。イギリスと覇権を争っていたフランスは、イギリスを内輪もめさせる狙いで植民地側についた。もう一つは「ミニットマン」の存在だ。開拓民は普段から猟銃で動物を狩っていたため、召集がかかると1分で駆けつけられた。それがこの呼び名の由来だという。彼らは森の地形を熟知していて、どこに沼や茂みがあるかを知っていた。長い船旅で到着したイギリス軍を森に誘い込んで打ち負かした。中田は、フランスの支援を受けたミニットマンの存在が、最強国イギリスが独立戦争に敗れた理由だったと説明している。

11:10

独立宣言の矛盾と「国家2.0」

独立宣言について、中田は冒頭に矛盾があると指摘する。「人間はすべて平等である」と書くとき、起草者たちは迷ったという。アフリカから黒人を奴隷として連れてきて働かせていたからだ。この矛盾がのちにアメリカを苦しめることになる。

独立戦争に勝利した後の国家建設の順序も紹介している。最初に作ったのは憲法だった。今では当たり前に思えるが、当時は新しい試みだったと中田は言う。最初の憲法的なものとされるイギリスのマグナ・カルタは寄せ集めであり、人権意識に基づいて一から憲法を作り、それに従って運営される国家はまだ存在しなかった。中田はこれを、最強国イギリスからベンチャーとして独立した「国家2.0」と表現している。

次は通貨である。ドルの語源は、ヨーロッパで使われていたターレル銀貨のスペインでの呼び名「ドレラ」の英語形だという。中田はここに、大航海時代以来のスペイン経済圏の影響の大きさを見ている。

首都についての豆知識も語られた。13の州が連邦を組む国なので、首都が特定の州に属すると揉める。そのため特別な場所に首都を置くことにした。中田の説明では、首都用に最初に建設されたのはフィラデルフィアで、2代目大統領はフィラデルフィアで就任の挨拶をし、3代目大統領が初めてワシントンD.C.で挨拶した。D.C.はディストリクト・オブ・コロンビア(コロンビア特別区)の略で、どの州にも属さないことを示している。

憲法の制定過程では内部対立もあった。州が独立しているのに連邦を作るという仕組みは日本人にはわかりにくいが、当時の人々にとってもわかりにくかったと中田は言う。州の権限を守るため連邦政府は小さく弱くてよいとするリパブリカン(共和派)と、強い連邦がしっかり統治すべきだとするフェデラリスト(連邦派)が争い、それでもなんとか憲法でまとめた。

16:03

vsメキシコ(前編):ナポレオンからの買収とホワイトハウスの由来

独立当初の国土は、ミシシッピ川より東の13州だけだった。中田はアメリカの地図を「ハンバーグ」の形に描き、その東側3分の1にすぎなかったと説明する。ここからが「大陸全土を手に入れろ編」で、最終的な対決相手がメキシコになる。

ミシシッピ以西の中央部はフランスが持っていた。転機はナポレオンの登場だ。中田はナポレオンを、勝てる戦いを見極める天才軍略家で「西洋版の孫子」と呼ばれる人物と紹介する。ナポレオンが試算すると、北のカナダはイギリスががっちり押さえていて、イギリスの後押しでカナダから南下されれば中央部は守り切れない。守れない土地を持ち続けるより売却した方がよいという判断は、ライバル会社に潰されそうな事業を早めに売って利益を確定する企業家の発想に近いと中田は言う。売却の話が出た瞬間にアメリカが飛びつき、国土は一気に倍になった。

勢いづいたアメリカはカナダを奪おうとして米英戦争を起こすが、大敗した。イギリス軍は首都ワシントンまで攻め込み、大統領官邸を焼いた。当時は「ホワイトハウス」という名前ではなかったが、焦げ跡を隠すために白く塗り、それ以来ホワイトハウスと呼ばれるようになったという。中田はホワイトハウスを、カナダを手に入れられなかったことの象徴と位置づけている。北をあきらめたアメリカは、次にスペインからフロリダを買収した。

20:22

vsメキシコ(後編):ゴールドラッシュ、リーバイス、ジョン万次郎

残る南西部は、独立したメキシコの領土だった。アメリカはメキシコと戦い、テキサスとカリフォルニアを獲得する。中田がこの地域を「大ラッキーゾーン」と呼ぶのは、奪った直後に金鉱が見つかったからだ。各地から移民や労働者が押し寄せ、ゴールドラッシュが起きた。体がボロボロになるまで働く労働者向けに、ドイツ移民のリーバイ・ストラウスが丈夫なジーンズを作って売り、デニム王になった。中田は、金を掘る人々の服を作るという発想を高く評価している。

ここで日本史との接点として、ジョン万次郎の話が挟まれる。コロンブスの頃に日本は関ヶ原の時代で、この間の日本はずっと江戸時代だと中田は時代感覚を整理する。漁師の少年だった万次郎は嵐で遭難し、アメリカ船に救助された。ハワイで仲間の多くは船を降りたが、万次郎だけはアメリカを見てみたいと乗り続け、たどり着いたのが西海岸だった。そこでゴールドラッシュに参加して金を貯めて帰国し、幕府に取り立てられた。中田は「リーバイスを履いていたかもしれない」と冗談を交えつつ、ゴールドラッシュ、リーバイス、ジョン万次郎をセットで覚えるよう勧める。今のカリフォルニアやロサンゼルスはメキシコから奪った土地だ、という点も改めて強調した。こうして東半分はイギリスと戦って、中央はフランスから買って、西半分はメキシコから奪って、「ハンバーグ」全体が手に入った。

24:18

vs南部:綿花と奴隷州・自由州

国土がひとつになったからこそ南北戦争が起きた、と中田は指摘する。当時のアメリカは今のIT大国、工業大国というイメージとは違い、農業大国だった。とりわけ綿花がよく採れ、摘み取りの手間を省く機械も登場した。それでも大規模農家の多い南部では大量の労働力が必要で、奴隷が酷使されていた。

国がひとつにまとまろうとする時期に、独立宣言の理想とこの現実がぶつかる。平等の国として憲法を作りながら目をつぶってきた奴隷制を続けてよいのか、と北部は問題にした。中田によれば、北部は南部ほど農業に恵まれず工業に力を入れ始めていたので、奴隷をあまり必要とせず、そう主張しやすかった。州の権限が強い国なので、奴隷を認める奴隷州と認めない自由州が分かれ、北部に自由州、南部に奴隷州が多くなった。新たに州が加わるたびに、住民投票で決めるのか、連邦政府の立場はどうなのかと揉めた。ミズーリ協定で境界線の北にできる州は自由州、南は奴隷州とする案も作られたが、不満は収まらなかった。北部は工業が栄えているから言えるのだという反論と、人道的には北部が正しいという主張が衝突した。

27:47

リンカーンは解放者か、戦略家か

そこに登場するのがリンカーンである。「人民の人民による人民のための」という言葉と髭のイメージから、奴隷解放と人権の象徴と見られがちだ。しかし中田は、調べてみると実際は勝つために動く非常に優れた戦略家で、雄弁な人物だったと語る。

その例として挙げるのが、イリノイ州でのダグラスとの論戦である。ダグラスは、自由州が増えると奴隷州が追いやられると危機感を持つ奴隷制支持派のベテラン政治家だった。新人のリンカーンは対抗馬として、公衆の面前で奴隷制への立場をはっきりさせるよう迫った。中田の説明はこうだ。イリノイ州には奴隷制に反対する人が多く、反対を表明すれば州内では人気が出る。ところがダグラスは大統領の座を狙っていて、全国的な支持を得るには南部を失うわけにいかないため、立場をぼかしたかった。それを見抜いて公開の場で追い詰めたリンカーンを、中田は「なかなかに狡猾」と評する。奴隷問題を政治戦略の要にしていたのであって、個人としてどちらの主張だったかはあまり関係がないと言われている、とも述べた。人道的には解放した方がいいと言いながら、この州は別にいいのではないかとバランスを取る面もあったという。

奴隷解放宣言についても同じ見方をとる。中田によれば、リンカーンは中盤まで、南部の奴隷は解放するが北部の奴隷は解放しなくてよいという戦略をとった。南部の奴隷が反乱を起こせば北部の味方になる一方、北部の資本家を敵に回したくなかったからだ。北部の勝利が見えてきた段階で、これは国内の政治抗争ではなく世界の自由をかけた人権問題だと国際的に宣言し、自分をヒーローとして印象づけて国際世論を味方につけた。それでも結果的に奴隷解放は前に進んだので、後世の評価は高い。

南北戦争の決着から数日後、リンカーンは劇場で暗殺される。南部出身とされる犯人は「暴君はいつもこうやって死ぬ」と言ったという。中田は、リンカーンが自由と奴隷解放の象徴だったのか、権力に取りつかれた暴君だったのかという問いを視聴者に投げかけている。黒人や奴隷をめぐる問題はその後も続くが、ここで一つの決着を見た。

32:39

大陸横断鉄道、金ぴか時代、フロンティアの消滅

中田によれば、米英戦争の傷跡がここでプラスに働いた。イギリスとの貿易が疎遠になったことで、国内産業を育てなければという危機意識が高まり、大陸横断鉄道の建設に乗り出したのだ。リンカーンが10年かけて作ると言ったとされるが、本人は完成前に亡くなった。同じ頃にベルが電話を発明するなど発明が相次ぎ、貨物は蒸気機関車、人は電車という時代へ移っていく。1800年代後半は「金ぴか時代」と呼ばれた。

ただし中田は、その繁栄は永遠ではなかったと続ける。国土が広がり続けた時代と違い、鉄道は広がった国土の中で輸送を速くしただけで、作れば売れる状態はやがて止まる。西へ西へと進んだ開拓の時代は終わり、アメリカの土地にもうフロンティアはないという「フロンティア消滅宣言」が出された。鉄道建設では中国からの移民に大きく頼ったが、完成して経済の伸びが鈍ると、今度は中国人排斥法を作って受け入れを止めた。中田は、ゴールドラッシュ、南北統一、鉄道、電話と興奮が続いた国民が、ここで止まることに強い寂しさを覚えたと表現する。そして国民は「海外に取りに行こう」という方向へ向かった。

35:58

vsスペイン:モンロー宣言から米西戦争へ

アメリカは、植民地を拡大するイギリスに反発し、平等を掲げて建国した国だった。その前段として中田はモンロー宣言を紹介する。アメリカが国土全体を押さえた頃、イギリスは南米について共同でやらないかと持ちかけてきた。アメリカは、イギリスほどの力があれば南米は自力で進められるはずなのに、なぜ声をかけてくるのかと考えた。そして、自分たちが南米に手を出すのを恐れて、まだコントロールしようとしているのだと受け取った。そこでモンロー大統領は、アメリカ大陸とヨーロッパは互いに干渉しないという宣言を出した。

ところが国内の成長が停滞すると、アメリカは国外へ出ていく。それが米西戦争である。フィリピンやグアムがアメリカのものになったのはスペインから奪ったからで、ハワイも併合した。なぜあそこがアメリカなのかという疑問の答えは「vsスペイン戦」だと中田は言う。産業革命の力を得た「イギリス2.0」が、大航海時代のかつての覇者スペインから宝石を奪っていった構図だという。

中田はこれが正しかったのかと問う。初代ワシントンは、アメリカを戦争に巻き込まれない国にしよう、拡大主義はよくないと言っていたとされる。しかし負けを知らない上り調子の熱狂のなかで、取れるものは取ろうとなった。時代は帝国主義で、イギリスもフランスも植民地を取っているのに自分たちがやって何が悪い、という先進国のおごりが世界大戦につながった、と中田は語る。

39:19

vsドイツ・日本:二つの世界大戦と世界恐慌

第一次世界大戦はヨーロッパで始まった。中田によれば、アメリカは巻き込まれたくなかったが、イギリスとの関係を断ち切れなかった。喧嘩や決別を繰り返しても、イギリスの流れをくむ国なので貿易はすぐ回復し、結局は主要な取引先だった。拡大した経済を回すには貿易を止められず、傍観は良くないと求められて後半から参戦した。アメリカの参戦が後半だったのは、嫌がっていたからだと中田は説明する。

戦後、ドイツへの巨額の賠償について、アメリカは取りすぎはよくないと言っていたという。それでもイギリスとフランスが譲らなかったのは、戦費をアメリカから借りていて、返すためにドイツから取り立てる必要があったからだ。英仏がアメリカに返済し、アメリカがドイツの復興を支えるという、いびつだがぎりぎりの関係が成り立っていた。

それを壊したのが世界恐慌である。中田は、金持ちの娯楽だった自動車をベルトコンベアで大量生産し民衆に届けたフォードの時代を例に挙げる。作って売る拡大が行き渡ると停滞が来て、ある日「暗黒の木曜日」で株価が暴落した。アメリカはニューディール政策で国家が経済をしっかりコントロールする道を選んだ。中田はこれを、自由主義の連邦国家としては屈辱的な転換だったと見る。イギリスやフランスは植民地とだけ取引するブロック経済に向かった。子分もおらず、立て直し策もとれず、大借金を抱えて孤立したのがドイツとイタリアで、民衆の不安と怒りのなかでヒトラーとムッソリーニが現れた。中田は、ヒトラーが逮捕後の裁判で「祖国を愛しているのはどっちだ」と演説して喝采を浴び、裁判官まで心を動かされ、拘留中には大量のファンレターが届いたという逸話を紹介する。それほどドイツは追い込まれ、独裁者を求めるようになったという。

日本については、欧米列強に並ぶことを悲願として明治維新を経て近代化し、日清・日露戦争に勝ったと振り返る。日露戦争まではアメリカとの関係は良好だった。その後、列強が奪い合った中国にはもう手を出さないでおこうという時期に日本が満州へ進出した。ここは諸説あると断ったうえで、参考書籍によれば日本が植民地を欲しがっていたことは間違いないとし、その意図に危機感を抱いたのがアメリカだったと説明する。満州を「生命線」とする日本は日中戦争に進み、ABCD包囲網(アメリカ、ブリテン、チャイナ、ダッチ)の経済制裁で石油を断たれた。東南アジアの石油を求めて南進すればハワイからアメリカが来ると考え、先に真珠湾を攻撃した。最終的に広島・長崎に原爆が落とされ、ドイツではノルマンディー上陸作戦でパリが解放されヒトラーが自殺し、大戦は終わった。

中田はこの大戦で、アメリカが名実ともに世界一になったとまとめる。第一次大戦でイギリスは疲弊し、第二次大戦で決定的に弱った。その表れが通貨で、ポンドに代わってドルが基軸通貨になった。国際連合もアメリカ主導で始まった。

49:26

vs共産主義:核の恐怖と代理戦争、そしてベトナム

戦争が終わったと思った矢先に現れたのが、それまで注目されていなかったソ連と共産主義というイデオロギーだった。中田はマルクスの思想を「金持ちへの恨み節」と表現し、資本主義の終わりは説いても共産主義をどう作るかは書いていない、と独自の言い方で紹介する。マンハッタン計画で生まれた核をソ連も持ったことで、撃ち合えば世界が終わるという状況になり、代理戦争の時代に入った。

朝鮮半島では、アメリカが韓国を、中国とソ連が北朝鮮を支援した。中田は、ソ連軍の大尉だった朝鮮人を金日成として神格化し北朝鮮が作られたと語る。日本は朝鮮戦争の特需で経済的に上向く一方、GHQに解体された軍隊の代わりとして警察予備隊を作った。

米ソの緊張が最高潮に達したのがケネディの時代である。ケネディ家は金ぴか時代に成り上がった財閥の一つで、若いジョン・F・ケネディは見た目の良さを生かしてテレビ時代の選挙を勝ち抜いた。キューバにソ連が核ミサイル基地を作るのではないかというキューバ危機で、本当に世界が滅ぶかもしれないところまで行き、ソ連が妥協した。中田はこれを冷戦の熱が頂点に達して下がり始めた転換点と位置づける。その後ソ連はチェルノブイリや体制崩壊で自滅していき、マルタ会談で冷戦終結が宣言された。

ベトナム戦争について、中田は皮肉な構図を強調する。ホー・チ・ミンは共産主義勢力の後ろ盾を得てベトナム独立を目指し、まずフランスと戦った。フランスが撤退した後、共産主義を恐れたアメリカが自ら乗り込み北爆を行った。ところが、これが最強国となったアメリカが初めて負けた戦争になった。かつてアメリカは、遠くから来た最強国イギリスを、地の利を生かしたミニットマンのゲリラ戦で退けた。ベトナムでは遠くへ攻め込んだアメリカがその逆の立場に立たされた。中田は「人間ってのは面白い」と語る。ベトナム戦争はテレビで初めて放映された戦争でもあった。日本の中国侵略やドイツの虐殺を止めた正義の味方だと信じていた国民が、映像を見て「俺たちは正義の国だよね?」と疑い始めたという。

53:54

vs中東:世界の警察とテロリズム

ソ連が崩れて一強になったものの、くたびれたアメリカに降りかかったのが中東との対決だった。中田はこれを「世界の警察とテロリズム」と表現する。中東は第二次大戦までは産油国と見なされていなかったが、その後石油が出て「オイルラッシュ」になり、それがトラブルの種になった。ゴールドラッシュのときと同じく、いいことがあると必ずトラブルが来ることの繰り返しだと中田は言う。

イラクのクウェート侵攻に始まる湾岸戦争を父ブッシュがなんとか収めたが、その後9.11テロが起きた。息子のブッシュはイラクに大量破壊兵器があるとして攻め込んだが、見つからなかった。アメリカは世界の警察ぶっているだけではないかという批判を浴びた。

そこにリーマン・ショックが重なる。中田の説明では、あまり裕福でない人にも分割払いで家を買わせるサブプライムローンが流行し、それを株券のように売ったが、誰もがマイホームを買えるというのは幻想だった。景気が悪くなるとその仕組みが壊れ、大手証券会社リーマン・ブラザーズが破綻し、取引先にも影響が広がって不況が世界に波及した。その回復を大きな課題として登場したのが、初の黒人大統領オバマだった。人気は高かったが、経済を大回復させたとは言えず、中東の争いも続いた。

世界の警察はもう無理ではないか、という空気のなかで現れたのがドナルド・トランプである。中田はトランプを「逆オバマ」と呼ぶ。期待されたほど経済が好転しなかった失望に入り込み、メキシコからの移民が仕事を奪っている、世界の警察はもうやらない、アメリカをもう一度強くすると訴えたという見立てだ。

57:15

vs中国:縮小するアメリカと拡大する中国

最後の対決相手が中国である。中田は、かつて共産主義で経済が傾いていた中国が、鄧小平のもとで資本主義を導入したと語る。共産党一党独裁でありながら「ゴリゴリの資本主義国家」となり、国策で企業を強化してハイテク分野で急成長した。そこに習近平が登場する。世界の警察をやらないというトランプに対し、中国は一帯一路構想を掲げてヨーロッパまで経済圏を広げる拡大路線をとっている。縮小路線のアメリカと拡大路線の中国がどうなるのか、アメリカの戦いは終わらない、と中田は本編を締めくくった。

動画の末尾には収録後の追記がある。パンデミックとインフレによる世界経済の混乱、生成AIの登場でアメリカのハイテク産業が再び大きな存在感を示していること、そして中国経済の減速と不動産不況に触れている。歴史はいつも予想を裏切りながら進み、アメリカの戦いは形を変えながら今も続いている、という言葉で動画は終わる。