孫子の兵法は「勝つ技術」ではなく「負けない技術」である:中田敦彦が読む13篇と、その復権の理由

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概要

中田敦彦は「エクストリーム世界史 孫子編」で、春秋時代の兵法書『孫子』を取り上げた。中田は、これは世界史というより現代社会の話であり、ビジネス書と言ってもいい内容だと位置づける。動画の前半では13篇の要点を順に紹介し、後半では、一度は「古い」と見なされた『孫子』がなぜ再び読まれているのかを説明する。中田の立場は一貫している。『孫子』は戦い方の具体的な戦術書ではなく、いかに戦わずに済ませるか、戦うならどう収めるかを説いた人間関係の本だ、というものである。

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2700年、「スーパースター」に読まれ続けた本

孫子は孔子や孟子と同じく諸子百家に数えられる中国の思想家で、主に戦いに勝つための兵法を説いた人物である。中田は、その古さを中国史の流れの中で示す。殷・周・春秋・戦国と続く中国史の初期、三国志よりもずっと前の春秋時代の人物だという。

中田の説明では、この兵法書は戦国時代にはすでに天下に名を知られていた。その後、三国時代の曹操が「すごすぎる」と評価して注釈を加えて読んだ。中田は曹操を、人徳の劉備と対比される「戦略の天才」と紹介し、スーパースターが読んだスーパースターの本だと表現する。曹操の注釈本は唐の時代に遣唐使などを通じて日本に入り、宋の時代には「武経七書」の筆頭として残り続けた。

日本では、武田信玄の「風林火山」が『孫子』の言葉である。徳川家康は江戸幕府の頃にさまざまな武将へ『孫子』を配ったらしい、と中田は紹介する。現代では孫正義やビル・ゲイツの愛読書とされている。中田はこれを「孫から孫へ」と表現する。ただし、この流れは途中で一度途切れかけており、なぜ途切れ、なぜ復活したのかを動画の最後で説明すると予告している。

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13篇・約6000字の「勝利への攻略本」

『孫子』は全13篇で、漢文にして約6000字しかない。中田は原稿用紙15枚ほどの分量だと説明する。聖書のような物語形式ではなく、「こういう時はこうすべし」「これはするべきではない」という指示が端的に書かれている。中田はこれを、勝利への攻略本がぎっしり詰まった本だと言う。そのうえで、うまく使えるかどうかは読み手の解釈にかかっており、頭が良く、実際に勝負をしている人ほど深く響く内容だとしている。

第1篇の「計篇」は、戦いは開始前が大切だと説く。中田によれば、この篇を読むだけで『孫子』全体の性格がほぼ分かる。中田は計篇の言葉として「兵は詭道なり」を挙げる。「詭」は詭弁の「詭」で、戦いとは欺くことだという意味になる。騎士道的な正義の話ではない。ただし中田は、これを卑怯やズルの勧めとは読まない。頭を使わなければ勝てない、戦う前に頭を使え、という知性の話だと解釈する。戦争に限らず、ビジネスのライバルとの競争や学校の勉強も含め、あらゆる「戦い」に応用できるから読まれている、というのが中田の見方である。

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「百戦殆うからず」は「勝てる」とは言っていない

最も有名な一節「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は、第3篇「謀攻」にある。中田は篇の流れを、第1篇が開始前の大切さ、第2篇「作戦」がお金の使い方、第3篇が戦うよりも策略、と整理している。

中田が強調するのは、この一節が「勝てる」ではなく「殆うからず」、つまり「負けない」と言っている点である。『孫子』は全編を通じて、負けないことの大切さと、勝ちを急ぐことの危うさを説いている、と中田は言う。

この一節に続く部分を、中田は3つの段階で説明する。相手も自分も知っていれば、どちらが強いか、どうすれば勝てるかを考えられるので負けにくい。自分のことしか知らない場合は五分五分になる。自分に自信があるから喧嘩を売るのだが、相手が自分より強いか弱いかは分からないからである。自分の強さも相手のことも分からないまま戦えば、ほぼ負ける。中田はこれを、初めて遊ぶゲームでいきなりネット対戦に挑むようなものだとたとえる。自分は初心者で何も分かっていないのに挑戦者を迎え撃てば、たいてい負ける。

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強い相手とは戦わない、勝てそうでもまだ戦わない

中田が「兵法と言いながら、いかに戦わないかが書いてある」と驚く点もここにある。「小敵の堅は大敵の擒」という言葉は、弱い者が意地になって戦いを挑めば必ず強い敵に負ける、という意味である。中田はこれを、相手が少しでも強ければ引け、相手が非常に強ければ絶対に関わるな、と読む。ハートがあれば勝てる、魂で攻めろといった少年漫画的な精神論は一切なく、非常に冷静な本だと中田は評する。

では、調べた結果、勝てる可能性があると分かったらどうするか。中田によれば、それでも『孫子』はまだ戦わせない。「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とあり、最善は喧嘩をしないことだとされる。相手が持っているものが欲しいなら、奪うのではなく、相手が譲るように仕向ける。中田は、調査から調略へ進む発想だと説明する。

第4篇「形」では、いざ戦う場合でも、守りを固めて待てと説かれる。中田は「勝つべきは敵にあり」という趣旨を、勝てるかどうかは自分次第ではない、と紹介する。自分は攻められても脅かされない状態をつくり、相手が崩れるのを待つ、という考え方である。中田はこれを格闘ゲームにたとえて笑いを交える。対戦の前にランキングを全部調べ、強い相手が来たら抜け、戦いが始まりそうなら「譲っていただけませんか」と交渉し、それでも始まったら守って相手の崩れを待つ。これではいつまでも対戦が始まらない、というわけである。

中田は、子どもの頃に孫子の話を聞いたときはぴんと来なかったと振り返る。勝ち気で行きたかったし、自分が強くなれば勝てると考えていたからだ。しかし大人になり、下手に戦って負けた経験や、目の上のこぶだった相手が勝手に失脚した経験を重ねるにつれて、強い説得力を感じるようになったと語る。

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漫画から原典へ、そして「人間関係の本」という読み

中田は自身の読書の経緯も紹介する。最初は『マンガ 最高の戦略教科書 孫子』を読んだ。全篇を扱うのではなく、トピックを選んで現実に当てはめるとどうなるかを示す構成で、さっと読めて分かりやすかったという。その後、硬い訳本の『孫子』に進んだ。硬い本だったが、非常に面白かったと中田は言う。

面白かった理由について、中田は、人は自分に関係のない話はなかなか頭に入らないが、『孫子』は読むほど自分に関係があると感じられるからだと説明する。仕事、勉強、人間関係に悩む人すべてに役立つのは、これが人間関係の本だからだという。人は木や石とは戦わず、必ず人と戦う。だから人を熟知しているかどうかで勝負が決まる。味方がいて、その味方に裏切られることもあり、似た能力のライバルがいて、挫折もある。そうした人間関係の構図は2700年変わっていないので現代にも通じる、と中田は考えている。

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謀を伐ち、交わりを伐つ

第5篇「勢」について、中田は、個人よりチームの勢いが大事だと説く篇だとし、これも少年漫画とは逆の発想だと述べる。たった一人が強ければいいのではなく、チームで一気に戦う必要がある、という考えである。

さらに中田は、敵をどう操るかの例として謀攻篇の「上兵は謀を伐つ。其の次は交わりを伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」を取り上げる。多くの人は、戦いといえば相手の兵士と戦うことだと考える。しかし『孫子』によれば、まず伐つべきは「謀」、つまり相手が何をしたいかである。

中田は身近な例で説明する。誰かが自分に攻撃的なとき、その人は自分に会社を辞めてほしいのか、それとも金が欲しいのかを考える。それが分かれば、その狙いに対処すればよく、相手を叩きのめすこととはまったく意味が違う。消しゴムのカスを投げてくる相手にいきなり殴りかかるのではなく、まず相手の狙いを見極める、という話である。

次の段階が「交わりを伐つ」、つまり相手の味方を減らすことだ。自分の側の味方は保ちながら、相手の味方が離れていくように仕向ければ、その後は有利に進められる。それでも駄目なら兵と戦う。最悪なのは城を攻めること、つまり相手が有利な陣形を整えた場所で喧嘩をすることだと中田は説明する。端的な書き方なのに具体的だ、というのが中田の感想である。

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兵は水のように、実を避けて虚を撃つ

第6篇「虚実」の「虚実」は、弱いところと強いところを指すという。中田は「兵の形は水に象る」を取り上げ、ここでの水は変化を意味し、ワンパターンで攻めず、さまざまな手を使えという教えだと説明する。

続く「実を避けて虚を撃つ」について、中田は、水が低いところに流れるのはだらしなさの比喩ではないと言う。塞がれた場所に何度もぶつかる水はなく、水は通れるところへ流れていく。つまり、行けるところを攻めよ、弱点を突け、という意味だと読む。

中田の例えはこうだ。恋のライバルがサッカー部のレギュラーなら、帰宅部の自分がサッカーで勝負を挑んでも恥をかくだけである。相手がサッカーで忙しく勉強が手薄なら、勉強の場、たとえば漢文の授業で良いところを見せればいい。中田はここから、この兵法は力が強い人や才能のある人だけのものではなく、戦略でどう勝つかを示すものだと強調する。

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戦うなら速攻で、そしてすぐ切り上げる

第7篇「軍争」で、ようやく実際に戦う話になる。中田は、13篇のうち6篇ほどは戦わせてくれず、準備しろ、なるべく戦うな、守りを固めろ、仲間を増やせ、相手を操れ、と言い続けると整理する。そして7篇目から、それでも戦うなら、という話が始まる。そこで出てくるのが風林火山である。

中田によれば、風林火山は集中と速攻を説いたものだ。「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」には続きがあり、「知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し」と、陰と雷が加わる。静かなときは林や山のように静かで、知られたくないときは陰に潜み、動くときは風・火・雷のように一気に動く。中田はこれを「蝶のように舞い、蜂のように刺す」になぞらえ、「サイレント&スピード」とまとめる。

速攻の重要性は第2篇「作戦」でも説かれている、と中田は付け加える。戦いが長引けば金がなくなり、兵士は疲れ、長い戦いには何の利点もない。

勝負が決まったらすぐ切り上げることも、繰り返し書かれているという。「窮寇には迫ること勿かれ」は、追い詰められた敵に迫るな、という意味である。追い詰められた者は大きな力を発揮するので、勝利が決まった後にとどめを刺し続けたりいたぶったりすれば、激しい怒りで反撃される。中田は「窮鼠猫を噛む」の裏返し、つまり窮鼠には手を出すな噛まれるから、という話だと説明する。

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力を見せず、とどめを刺さない

自分の強さは誇示すべきか、という問いに対しても、『孫子』は否と答える。中田は「能なるもこれに不能を示し、用いてこれに用いざるを示す」を引き、力があっても決して知られるな、策を思いついても教えるな、という意味だと説明する。相手のことは徹底的に調べるが、自分のことは知らせない。中田はこれを、非常に用心深いと評する。

その背景として中田が挙げるのは時代状況である。春秋時代は多くの国が乱立し、敵だらけで、一度負ければ終わり、捕まれば殺される時代だった。中田は、人類史ではそういう荒れた時代のほうが多いと言う。さらに、現代もSNSで一度炎上すればずっと叩かれ続け、ミスが許されないのに常に見られているストレスの多い時代であり、だからこそ『孫子』が役立つと結びつける。

勝ち方にも作法がある。「敵を殺す者は怒なり、敵の貨を取る者は利なり」について、中田は、敵にとどめを刺す者は怒りで我を忘れており、倒した敵はうまく利用すべきだ、と読む。敵の持っているものを奪うか、使うか、仲間にしてもいい。中田はやりすぎて人心を失った例として、チンギス・ハンにまつわる話を挙げる。ただし記憶はあいまいな様子で、敵を残虐に徹底的に殺したことで周囲が引いてしまい、良い王になれなかった、という話もある、という程度の言い方にとどめている。そのうえで、やりすぎたせいで人心を失った王は多い、とまとめる。

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呉越同舟:敵同士を同じ舟に乗せる

では、敵だった者をどう味方にするか。中田はここで「呉越同舟」を取り上げる。一般には、敵同士が同じ環境にいるという意味で理解されがちだが、『孫子』の文脈では違う。中田によれば、仇敵どうしの呉と越の人でも、同じ舟に乗せれば手を取り合う、という意味である。仲の悪い者どうしを同じプロジェクトや同じチームに入れる、という発想になる。

中田は歴史上の例として二つを挙げる。第二次世界大戦期の中国で、国民党と共産党が対立しながらも日本に対抗するために手を組んだ国共合作と、仲の悪かった薩摩と長州が江戸幕府に対抗するために結んだ薩長同盟である。敵どうしに別の敵を見つけさせ、共通の目標に取り組ませれば仲良くなる。だからライバルを殺す必要はなく、自分のチームに入れて利用すればいい、と中田は説明する。

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用間と火攻、最後に戻ってくる「怒りで戦うな」

中田は情報収集の話に戻り、第13篇「用間」を紹介する。スパイを使えという篇で、スパイには5種類あるなど、苛烈な内容だという。相手のトップから幹部、途中の人物まで名前を調べ上げ、どういう人物かを徹底的に探らせる。戦う前にここまでやる、ということが書かれている。

そして第12篇「火攻」は火で攻めよという篇だが、その最後に「怒りを以て師を興すべからず」と改めて書かれている、と中田は強調する。スパイや火攻めのような苛烈な手を使える者であっても、あいつが憎い、腹が立つという感情で戦いを始めてはならない。どうしても戦わなければならない理由があるときに、冷静に判断して始めよ、という意味である。

中田はここから、『孫子』は最初から最後まで、どうすれば戦わずに済むか、どうすれば戦いをうまく収められるかを書いた本だと結論づける。陣の取り方や攻め方を記した具体的な戦術書だと思っていた人には意外だろうと言い、人間関係のトラブルを収める本だと表現する。書店に並ぶ「仲良くしよう」という人間関係の本とは違い、やるときは徹底的にやれ、それでも逃げ道は残しておけ、と説く。嘘がなく、シビアだが響く、と中田は評価する。

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なぜ一度は読まれなくなったのか

後半で中田は、『孫子』が一時期読まれなくなった理由を説明する。中田の見立てでは、『孫子』はあまりにも優れていたために、ずっとアップデートされなかった。

中田はこれをアリストテレスにたとえる。万学の祖と呼ばれたアリストテレスは天才視されすぎたため、一つ間違ったことを言っていても「アリストテレスが言うのだから正しい」とされ、科学が何百年も進歩しなかった。同じ大きさの金の玉と木の玉を落とせば重いほうが先に着く、という説を覆したのは、何百年も後にピサの斜塔で実証したガリレオ・ガリレイだった、と中田は語る。中国も日本も、『孫子』について同じ状態が続いた。

そこに西洋でガリレオ的な天才として現れたのがナポレオンだ、と中田は言う。中田によれば、西洋には戦いを体系化した戦術書がなく、戦の歴史は細切れに残されていただけだった。その理由について中田は、中国は広大な地域で一つにまとまっては分裂する争いを繰り返してきたのに対し、西洋は分裂して戦い続けながら一つにまとまったことがほとんどなく、それが体系化を遅らせたのではないか、と推測を述べている。

ナポレオンの戦術は天才的だったが、それをまとめたのはナポレオン本人ではない。中田の説明では、ナポレオンに敗れて捕虜になったプロイセンの軍人が、悔しさからいつか倒してやろうとナポレオンを研究し続け、ナポレオンの死後に『戦争論』を書いた。それが西洋の一大戦術書になった。

この流れを取り入れたのが明治政府だ、と中田は続ける。徳川家康の時代までは日本も『孫子』でやってきたが、日清戦争で日本が中国に勝った。中田はさまざまな背景があったと断ったうえで、日本が西洋式の武器と、ナポレオン由来の西洋式戦術を輸入して近代化していたのは事実だとする。そこで「孫子は古い。こちらのほうが新しいし、産業革命を経て武器も違う」という空気になった、と中田は説明する。

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世界大戦の後、なぜ復権したのか

中田によれば、ナポレオンは勝つためにあらゆる相手を潰し、戦争をし続けた人物だった。貧しい境遇から10年で皇帝にのし上がり、ナポレオン法典を作り、学者を連れてエジプトに遠征して学術も発展させた。しかし皇帝になってから慢心し、権力をさらに追い求め、イギリスとの通商を断つためにイギリスへ物を売り続けるロシアを攻めて失脚した。中田は、それが「潰しまくる」戦術の行き着く先だったと語る。

世界大戦では、勝った国も負けた国も大きく疲弊した。戦後の冷戦期にアメリカとソ連の時代が来たのは、アメリカが戦地にならなかったからだ、と中田は言う。攻めに攻めたイギリスはぼろぼろになり、アメリカはイギリスを倒すことなく追い抜いた。中田はこれを『孫子』の記述と重ねる。勝つべきは敵にあり。戦を長引かせれば金がなくなる。敵は勝手に潰れることがあるので、必ずしも潰す必要はない。追い詰めすぎると大変なことになる。それらは「全部書いてあった」と中田は言う。

日本についても中田は、『孫子』ではなく『戦争論』式の、全員で一丸となって攻めるやり方で無理な戦いをしたのではないか、と問いかける。相手の力の調査を怠らず、少しでも強ければ引け、という『孫子』の教えを守らなかった国々が世界大戦でぼろぼろになった。だから『孫子』は再び価値を持ったのだ、というのが中田の解釈である。

中田は、第二次世界大戦後の冷戦や現代の外交にも「戦わずして勝つ」「自らの手を汚さずに勝つ」という発想を見る。アメリカにとってのベトナム戦争は、長引き、速攻で決められず、追い詰められた敵に迫り、怒りで攻めた戦いであり、そうするとしっぺ返しを食らうと分かった、と中田は語る。こうして『孫子』は現代でも有効だと見直され、孫正義やビル・ゲイツが愛読する本になった、と中田は説明する。

締めくくりに中田は、孫正義やビル・ゲイツがいなくなった後もこれからの時代を生きていく自分たちこそ読むべきだと勧める。そして、この動画は本当はアップロードしたくない、できれば隠して「用いてこれに用いざるを示し」たいくらいだ、と冗談を言い、それほど面白い本だと述べて話を終えている。