「トラウマなんてない」から始まるアドラー心理学:中田敦彦が読み解く『嫌われる勇気』
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY中田敦彦は、ベストセラー『嫌われる勇気』を解説している。タイトルから「炎上しても前向きに頑張れ」という類の本だろうと想像していたが、読んでみると非常に面白く、売れている理由がわかったという。中田によれば、この本が伝えたいことは「人は変われる」「世界はシンプル」「誰もが幸福になれる」の3つだけだ。動画では、この3つの主張がどのような理屈で支えられているのかを、中田自身の体験も交えながら順にたどっていく。
日本人が書き、世界で読まれた本
中田がまず挙げるのは、イメージと違った事実である。この本は日本で200万部、世界で443万部売れていると紹介され、中田は海外の本だと思っていた。また「アドラーの教え」とあるので、アドラー本人の著書だとも思っていた。実際には日本人カウンセラーが書いた本であり、日本人の書いた本がここまで世界で受け入れられていることに中田は驚いている。
アドラーについて中田は、心理学の「3大巨頭」の3人目だと説明する。フロイトとユングは名前を聞いたことがあっても、アドラーは知らない人が多い。本書は、そのアドラーこそがフロイトやユングよりも現代人を幸福にする心理学を持っていたと、カウンセラーならではの語り口で伝えている。中田によれば、著者はもともと哲学、特にギリシャ哲学を専門としていた人で、ギリシャ哲学とアドラー心理学を組み合わせて伝えている。アドラー本人の著書よりも大きく広まったのは、この噛み砕いた書き方が良かったからだと言われている、と中田は紹介する。
哲人と青年の対話形式
中田が「面白い」と強調するのが、本の形式である。専門用語が並ぶ本を想像していたが、実際は「哲人」と悩める「青年」の対話で進む。哲人とは、いわば哲学的な考えを持った先生のことだ。
この形式の利点について、中田は次のように説明する。読者は心理学や哲学の主張を聞くと「そんなにうまくいくわけがない」と言いたくなる。その反論を、青年が全部代わりに言ってくれる。青年はときに「お前は悪魔だ」といった暴言まで吐くが、先生はなだめながら語り続ける。読み始めは青年に共感して「先生、そんなの都合が良すぎる」と思うが、後半になって理解が進むと、だんだん先生側の気持ちになっていく。中田はこの読みやすさの工夫を、本が広く受け入れられた要因として挙げている。
3つの主張への反発が浮き彫りにするもの
「人は変われる」「世界はシンプル」「誰もが幸福になれる」と聞くと、中田自身も最初は「都合が良すぎる」「糖分マシマシの生クリームのような甘さは信じられない」と感じたという。誰もが幸福になれると言う人は、まず疑いたくなる。
しかし中田は、これを逆にしてみたと話す。「人は変われない」「世界は複雑だ」「誰も幸福になれない」。つまり「どうせ私はこんな世界で幸せになれない」という考えだ。中田は、多くの人が心のどこかでこう思っているのではないかと言う。天才でもスーパースターでもなく、恵まれた容姿や富裕層に生まれたわけでもないのに、厳しい競争社会や資本主義の世界で幸せになるのは難しい、と。3つの主張をはっきり言われて反発を感じたとき、自分がそういう考えを持っていることが浮き彫りになる。そこで「本当にそうなのか」と読みたくなる構造になっている、と中田は説明する。
「トラウマなんてない」――原因論への批判
「人は変われる」の根拠として、本はいきなり「トラウマなんてない」と言う。親や担任の先生、クラスメート、職場の先輩に言われたことがショックで、今も苦しんでいる。誰もが持っていそうなこうした経験を、アドラーは否定する。
中田の説明では、「トラウマがあるから人は変われない」という考え方こそがフロイトの理論であり、本書はこれを「原因論」と呼んでいる。過去が原因で今がある、たとえば親との確執があったから心を開けない自分ができあがった、という理屈だ。わかりやすいが、アドラーはこれを否定する。
中田はここで風邪のたとえを使う。熱や咳や鼻水で病院に行ったら、医師が「あなたのせいではない。3日前に風邪のウイルスが入ったからです。ではお帰りください」と言う。原因を説明しているだけで、何の解決にもならない。しかも「ウイルスが入ったのだから仕方ない」という気持ちにさせて帰すだけだ。原因論の心理学は何の意味があるのか、というのがアドラーの問いだと中田は伝える。
「今のままが楽だから過去のせいにしている」
では、アドラーはどう考えるのか。中田によれば、アドラーは「トラウマなんてなくて、あなたがトラウマを利用している」と言う。今のままが楽だから、過去のせいにしているだけだ、と。
例として紹介されるのが、赤面症の女の子の話である。緊張すると顔が真っ赤になるので治してほしいと言う彼女に、「治ったらどうしたいですか」と尋ねると、好きな人に告白したいと答える。アドラーはここで、赤面症を理由にして「告白できない状態」をキープしているのはあなた自身だと伝える。赤面症でなければ告白できるが、告白すれば振られるかもしれない。その大きなリスクと恐怖から自分を守るためではないか、という見方だ。
中田はもう一つ、身近な例を挙げる。父親に反対されたからお笑い芸人にならず、好きでもない会社で働いている、と言う人がいる。しかし、芸人になっていたとしても売れなかったかもしれない。それが怖くて挑戦せず、父親のせいにしているのではないか。中田はこのくだりに「ドキッとした」と話している。
怒りも劣等感も「道具」である
本書はトラウマだけでなく、怒りや劣等感も人が道具として使っているものだと主張する、と中田は説明する。
例として、母親と娘の喧嘩が挙げられる。言い争って娘が家を出た直後、母親のスマホに電話がかかってくる。忘れ物の件で娘がかけてきたのだと思い、名前も見ずに怒った声で「何?」と出る。ところが相手が学校の担任だとわかった瞬間、「すみません」と態度が変わる。怒りはコントロールできないものだと思われているが、相手が違うとわかればすぐに抑えられる。中田は、車の運転で怒鳴りかけた相手が先輩だったときの例も重ねている。だから怒りは原因ではなく道具だ、というのが本の主張だ。
これに青年は反発する。「それは俺が弱いと言っているのか。夢も希望もない」と。哲人は「そうではない」と答える。だからこそ変われるのであり、変わる勇気を持つことが大切だ。アドラー心理学は「お前はもう変われない」と慰める心理学ではなく、「あなたは変われる」と背中を押す心理学だ、と中田は紹介する。
「みんな」「いつも」という言い訳――中田自身の振り返り
本書は、人が「いつも」「みんな」と言いたくなる傾向にも触れていると中田は言う。中田はここで自分の経験を振り返っている。
オリエンタルラジオの「武勇伝」のころ、「漫才じゃなければ芸じゃない」とみんなに否定された、と中田は思っていた。しかしよく思い出すと、漫才師の先輩の中にも「めっちゃ面白い」と言ってくれた人はたくさんいた。YouTubeを始めたときも、芸人はみんな「何がYouTubeだ、テレビを頑張ろう」と言っていたと思っていた。だが実際には「最近YouTube見てるよ、面白いね」と言ってくれた先輩も大勢いた。
中田は、自分を演出し、言い訳をきれいに磨くために、「みんな」「いつも」や怒り、劣等感、トラウマを自分で用意していたのかもしれない、と気づいたという。この時点で「いい本だ」と思い、続きを聞きたくなったと話している。
「全ての悩みは対人関係」
2つ目の主張「世界はシンプル」の根拠は、「大体があなたの課題ではない」ということだと中田は説明する。ここで本書の核になるフレーズとして紹介されるのが、「全ての悩みは対人関係」である。
悩みにはいろいろなジャンルがあるはずだと思うが、アドラーは全部が対人関係だと言う。だからそこさえ何とかすれば何とかなる。青年が「ではお金は?」と尋ねると、お金があるかないかも人との関係の中の話だという答えが返ってくる。もっと稼ぎたいというのは誰と比べてなのか、もっとスムーズにもらいたいというのは誰からなのか。そもそもお金は紙であり、人が価値を認めなければ通用しない。そして人生の3つのタスクである仕事・交友・愛(ワーク、フレンズ、ラブ)も、全て対人関係だという。
課題の分離
対人関係をクリアにするスタート地点は「課題の分離」だ、と中田は紹介する。自分のことと他人のことを分ける。判断の基準は、その選択がもたらす結末が誰に影響するかである。
例として、子どもに「もっと勉強しなさい」と言う親が挙げられる。本書は、そう言う必要はないとする。勉強しなくて損をするのは子どもだからだ。他人の課題に土足で踏み込まず、自分のことだけをすればいい。青年は「それは寂しくないですか」と返し、親に夢を反対されたから今の仕事をしていると訴える。それに対して哲人は、それも親の課題と自分の課題を分離できておらず、褒められようとしすぎたからだと指摘する。
承認欲求の否定と賞罰教育
ここで「アドラーの禁止事項」が出てくる。一つ目は「褒められようとすること」、つまり承認欲求の否定である。中田は、ここがタイトルから想像した通りの章だと言う。
できたら「すごいね」と褒め、ダメなら罰としてお菓子をあげない。こうした教育は昔から行われており、本書はこれを「賞罰教育」と呼ぶ。中田の説明では、賞罰教育は「褒められないと何もしない」という精神を生む。
例として、近所の掃除や雪かきを2年間続けているのに、誰からも褒められない場合が挙げられる。青年は「それならやめます」と言う。すると哲人は、あなたの行動は他人が決めているのか、と問う。褒められるからやる、褒められないならやらない。親がノーと言ったから夢を諦めた。全部他人が決めていて、それは自由ではない、というのが哲人の指摘だ。
褒めるのではなく感謝する
さらに本書は、他人を褒めることもダメだと言う。中田によれば、褒めるのは能力が上の人間が下の人間に対して行うことだからだ。中田は、自分が大先輩の漫才を見て「面白いね」とは言わないと例を挙げる。言えば「なぜお前に評価されなきゃいけないんだ」となる。上から下へであっても、後輩や部下を褒めてはいけない。褒めることで能力を評価すると、相手に「自分はこの人より下だ」と潜在的にすり込むことになるからだ。
本書はこれを「縦の関係」と呼び、「横の関係」で考えようと提案する。相手のしてくれたことや存在に対しては、褒めるのではなく「ありがとう」と感謝する。そうすれば、褒められるからやる、やってくれたら褒めるという縦の関係による不自由から解き放たれ、嫌われる勇気を持てる、と中田は説明する。
嫌われるのは嫌だが、自分の行動で相手が嫌うかどうかは自分で決められない。中田は食べ放題の例を挙げる。一生懸命食べていると「がっついている」と嫌われることもあれば、「食べっぷりがよくて可愛い」と思われることもある。それはあなたの課題ではない。だから課題を分離し、嫌われる勇気を持って自由に動き、褒めも褒められもせず感謝だけしていればいい。それがスタート地点だ、と中田はまとめる。
ゴールとしての共同体感覚と、競争の禁止
スタートの先にあるゴールについて、本書は「共同体感覚」だと言う。これが最終章の「幸福とは」につながる。幸福とは共同体感覚を持つこと、つまり「仲間に貢献できている」という感覚であり、それだけが幸福だと本書は言う、と中田は紹介する。
ここで新たな禁止事項として「競争すること」が出てくる。競争しすぎると、相手が仲間ではなくなってしまう。競って勝たないと自分には価値がないとどこかで思っていないか、と哲人は問う。勝ち負けで自分の価値を決めなくていい、というのが本書の立場だと中田は伝える。
自己受容:行為レベルと存在レベル
中田によれば、共同体感覚に至るには3段階あり、その一つ目が「自己受容」である。これは最近よく言われる「自己肯定」とは違う。自己肯定は、60点の自分を無理やり100点だと言うことであり、「私は素晴らしく綺麗」「俺はかっこいい」と言わなくていい。自己受容は「俺は60点だ。でもこれから頑張っていこう」と受け入れることだ。
さらに「行為レベル」と「存在レベル」という区別があると中田は説明する。何かをしなければ自分に価値がないと考える、行為レベルでしか自分の価値を持てない人はワーカホリックになる。仕事をしてお金を稼ぐことでしか家族に貢献できていないと思うと、ずっとお金のために働くことになる。一方、家に自分がいるだけで家族は嬉しい、仲間の中に今日自分が来ているだけで嬉しいと思ってくれているだろう、という感覚があれば、自己受容は大きく高まる。だから行為や競争の勝ち負けで自分の価値を規定するのではなく、存在レベルでまず自分を受け入れることが大事だという。
信用ではなく信頼
二つ目の段階が「他者信頼」である。本書は「信用」と「信頼」を区別していると中田は紹介する。信用はクレジットのことで、銀行でお金を借りるときのように、持ち家や給与といった条件を並べて成り立つ。条件付きで信じるのが信用、無条件に信じるのが信頼であり、本書は他者を無条件に信じろと言う。
青年は当然「裏切られたらどうするんですか」と反発する。哲人は、裏切られるかどうかはあなたの課題ではないと答える。そして、相手はあなたが信頼しているかどうかを察知する。裏切られるかどうかがわからないのなら、まず信頼することが大事だ、という説明である。
他者貢献と「大きな夢」
自己受容と他者信頼を経て、ようやく「他者貢献」を考えられるようになる。そして幸せとはそれだけだ、と本書は言う。
ここで青年は再び反発する。ビジネスで社長になってフォーブスの表紙を飾りたい、ロックミュージシャンとしてさいたまスーパーアリーナを埋めたい、海外進出したい。そういう特別な地位を得たいのであって、他者貢献だけなのか、と。哲人は、それらも他者貢献の一つにすぎないと答える。大富豪になった人がそれでもまだ仕事を続けるのはなぜか。中田の説明では、それは貢献したいから、自分の居場所である共同体の中で、みんなに喜んでもらえていると感じたいからだという。
人生を「線」ではなく「点」で考える
最後に中田が紹介するのは、人生を線のように考えるなという話である。人生を線で考えるから、ゴールにたどり着けていない、自分を受け入れられない、幸福ではないと思ってしまう。何歳で終わるかはわからないが、その時々で仲間に貢献できていると思えていれば、それでもうゴールしている。人生は常に完結しており、アドラー心理学を聞いたその日から幸せなのだ、と本書は言う。中田も「都合が良すぎないか」と思ったが、哲人は「そんなものなのだ」と答えるという。
ここで旅のたとえが出てくる。エジプトのピラミッドを見に行く旅は、早く着けばいいのか。ヘリコプターで飛んでいき、見てすぐ帰ってきて「意外と1日で帰ってこれた」という旅は楽しいだろうか。1か月かけて砂漠を歩き、トラブルにも遭う、その瞬間瞬間が楽しいのが旅であり、人生もそうだ、と中田は説明する。人生は点の連続であり、今に集中するだけでいい。
青年が「それって普通の人生じゃないですか」と言うと、哲人は「そうだ、これは普通である勇気でもある」と答える。普通の人生でも、みんなに貢献できていれば最高に幸せで、それでいいではないか。中田は、これが『嫌われる勇気』が教えてくれたことだと締めくくっている。
どうも、中田敦彦です。さあ、今日は『嫌われる勇気』、ついに行きますよ。これ、僕も名前知ってたよ。だけど『嫌われる勇気』って、炎上しても頑張れみたいな、そういうこと? ポジティブに頑張れって、もうそんなのくどくど言われたくないよと思ったんだけど、読んだらめちゃくちゃ面白かったんですよ。売れてる理由分かります。でもこれ、イメージしてたよりも「そうなんだ」っていう事実、いっぱいあったんですよ。
まず、これ日本で200万部、世界で443万部売れてるから、海外の本だと思ってたの。でも違うんですよね。アドラーの教えっていうから、アドラーの人が書いたもんでしょうと。違うんですよ。アドラーの著書じゃなくて、日本人カウンセラーの方が書いた本なんですね。だから日本人が書いてて、世界でこんだけ売れてるってことは、どれだけすごい本かってことなんですよ。こんなに受け入れられてんのと。なるほど、日本人が書いて、心理学で、『嫌われる勇気』。なるほど、なるほど。そもそもアドラーって誰? ここなんですよね。
アドラーってのは、実は心理学の三大巨頭って言われてるんです。待って、心理学で聞いたことあるのは、そう、フロイト、ユングですよね。それ聞いたことある、2でしょうって。いやいや、3番目いるんですよと。このアドラーってのがナンバー3なんです。このアドラーこそが、実はフロイト、ユングよりもはるかに現代の人間を幸福にする心理学を持ってたよということを、このカウンセラーの方が、カウンセラーならではの語り口で書いてくれるんですね。しかも、このカウンセラーの人の専門が、元々は哲学をやってた方らしくて、ギリシャ哲学とこのアドラー心理学をうまくブレンドして伝えてくれてる。だからアドラー本人の著書よりもものすごく広がったのは、そういう噛み砕いた、この日本人カウンセラーの著書が良かったからと言われてます。
じゃあ、どういう語り口か。これが面白いんですよ。僕も、専門的なこと書いてあんのかな、心理学用語びっしり書いてあんのかなと思ってたら違う。むちゃくちゃ分かりやすい。それが哲人と青年の対話形式。哲人って言われると怖いですけど、哲人ですね。「あなた」って言ったことないんで、「あいつ哲人だぜ」なんてあんま思わないじゃないですか。いわゆる先生ですよ。哲学的な考え持った先生と青年、悩める青年の対話なんですよ。
そういう風にすると、何がいいかと言うと、読者もやっぱ哲学とか心理学と言われると、「こうですよ」なんて言われても、「嘘でしょう」ってまず思っちゃうわけですよ。「いや、そんなことないですよ。そんなうまくいきませんよ」って言いたくなるのを、全部この青年が言ってくれるんですよ。「違うよ」「先生、それ違うよ」みたいな。時々ものすごい暴言吐いたりします。「お前は悪魔だ」みたいなことを言ったり、「そんなものは違う」とかって言ったりするんですけど、先生がすごく宥めすかして、うまく語ってくれる。
最初は、これ面白いんですけど、読んでてこの青年に共感するんですよ。「なるほどな。そうだよ、おかしいじゃん先生。そんなの都合良すぎるよ。そんなうまくいかねえよ」って言うんだけど、後半になるにつれて、だんだん理解してくると先生側の気持ちになってくるんですよ。「あれ、俺理解してきてんのかも」。そういう風に読みやすさが工夫されてる、非常に珍しい、日本人が書いて世界で受け入れられてる本ということなんですね。
じゃあ、何を言われてるか、内容面なんですけど。これ『嫌われる勇気』ってあるんだけど、根本的には非常に普遍的な、幸福に生きるための考え方ってやつなんですよ。「ちょっと広すぎない? どういうこと?」って思うんですけど、これ、主張はたった3つなの。この3つを伝えたいだけの本。1番、人は変われる。「そんな簡単に?」。2番、世界はシンプル。「え? シンプルなの? 絶対複雑だよね」。3番、誰もが幸福になれる。「はい、信じません。絶対信じない。一握りの人間だけが幸福になれるもんちゃいますのん?」と。やっぱりそう思いますよね。「誰もが幸福になれます」っていう人のこと、まず疑いたい。「インチキですね」と。僕もパッと聞いて、「都合が良すぎるよ。聞き触り良すぎるよ」と。糖分マシマシの生クリーム状態じゃないですか。「こんな甘み、私信じませんよ」。
でも、よく考えてみたらですよ。「人は変われる。世界はシンプル。誰もが幸福になれる」ってことを否定する気持ちって、全部逆で考えてみた時、僕で言うと、僕、考えてみた、逆をね。そしたら「人は変われる」、いや変われねえ。世界はそんなシンプルじゃねえ、難しいよ。誰も幸福になれねえよ。だから「どうせ私はこんな世界で幸せになれない」っていう、鬱展開のアニメみたいな。「どうせ私はこんな私は」みたいな、そういうタイトルになりそうじゃないですか。
でも、皆どっかしら心の底で、ちょっとこれ思うでしょう。「どうせ今の俺は天才でもねえし、スーパースターじゃないよ。もうカリスマ的な美しい姿とか、富裕層みたいなので生まれてきてないよ。なのにこんなに地獄みたいな競争社会でさ、世知辛い資本主義世界でさ、幸せに中々なれないよな」っていうのを皆思ってない? 実は思ってるのよ。そうなの。こんだけパンパンパンってはっきり3つ言われると、「いや、そんな」って抵抗を受けた自分が、こういう考えを持ってるってことをまず浮き彫りにされるの。「待って、確かに俺そう思ってるかも。でも本当にこれ言ってくれるの?」。そう思った時に、読みたくなるわけですよ。
「あれ、『嫌われる勇気』売れてるんでしょう。でも俺に関係ないかな。嫌われる勇気なんてそこそこ持ってるつもりですわ」なんて、そう思ってたやつも、これをこうなった時に、「あれ、読んでみたい。どうせ私はこんな世界で幸せになれない、ちょっと思ってた。え、どうして? なんで人は変われるの?」。ここから面白いんですよ。いきなり言うわけです。「トラウマなんてない」って言うんですよ。
「え? 待って待って、トラウマあるよ。みんな辛い経験あるでしょう。あの頃のあれが辛くてさ、思い出すよ」って。「小学校の時に親にこんなこと言われたんだよ」とか、「担任の先生にこんなこと言われたんだよ」って。「クラスメートのムカつくやつにあんなこと言われたんだよ。仕事で先輩にあんなこと言われたんだよ。それがショックでさ、俺は今もこういう風に苦しんで」。それ、みんなあるじゃないですか。それを否定するんです。でもこれ、1、2、3全部、理由のためにこの章があるわけですよ。「トラウマなんてない。だから人は変われる」と言うわけですよ。
トラウマがあるから人は変われないっていう理論、それこそがまさにこのフロイトの理論なんですね。このフロイトの理論が、いわゆる原因論っていう風にこの本では言っていて、何が原因かって言うと、過去が原因で今があるっていう、そういう理屈の心理学なんですよね。だから要するに、親との関係に確執があるから、それで心を開けない自分が出来上がった、みたいなのってよく聞くでしょう。でもそういう話っていうのは、トラウマを原因として、過去を原因として今を規定してくっていう、そういう主張なんですよ。分かりやすいですよね。でもそれを、バーンとアドラーは否定するわけ。「それ何になってんの? その心理学って何の意味あんの?」って。
例えるのならば、風邪引いてさ、熱が出て、咳が出て、鼻水止まりません。それで病院行きましたって言ったら、「ご安心ください。あなたのせいじゃない。これは風邪のウイルスが入ったから。3日前に風邪のウイルスが入ったから、鼻水出て、熱出て、咳出てますねん。ではお帰りください」って。どういうことじゃ。原因だけ言ってるけど、これ何の解決にもならんでしょうと。しかも、ウイルスが入ったからもうこれはしょうがないんだっていう気持ちにさせて帰るだけでしょう。何の改善の効果がありますか。アドラーは「根本的に違ってます、これは」って言うんですよ。
どういうことかと言うと、実はトラウマなんてなくて、「実はあなたがトラウマを利用してるんだよ」って、そういうこと言うの。「え、ドキッ!」。どういうことか。「今のままが楽だから、過去のせいにしてるだけ」。「え、どういうこと?」。赤面症の女の子がいたんです。「赤面症なんです。それ、治して欲しいんです。緊張すると顔真っ赤になっちゃうんですよね」。そう言われると、「何ですかと。その赤面症治ったらどうしたいですか」って言った時に、その女の子が「好きな人いまして。もし赤面症じゃなかったら告白したいんですけどね。好きだって思い伝えたいんですけどね」って言うわけですよ。
そこでアドラーは見抜くわけですね。「これはあなた、違うんですよと。赤面症治さない、私は」と。実は赤面症だっていうのを理由にして、告白できないっていう状態をキープしているのが自分だよという風に伝えるんですよ。だって赤面症じゃなかったんだとしたら告白できるけど、告白した上でフラれるかもしれない。これ大きなリスクですよね。恐怖ですよね。それから守るためになんじゃない?
「親父に反対されたから、お笑い芸人にならなかった。だから今こうして俺はこの好きでもない会社で働いてんだよ。あの親父は昔からそうだった。俺にこうしろ、ああしろ言ってきた。その上で俺の夢を全否定されたから、今俺はこの会社で働いてる」。「ちょっと待ってよ」と。「そうじゃないんじゃない? 君がお笑い芸人になってたとしたら、もしかしたら売れてないかもしれないんだよね。それが怖いから挑戦せずに、親父のせいにしてるんじゃない?」。そういうことを言うわけですよ。ドキッとしますよね。僕、結構ここ、うおっと思ったんですよ。
これ、トラウマだけじゃなくて、怒りや劣等感もあなたたちは道具にして使ってるんだっていう主張なんですよ。例えばこういう時ってありません? お母さんと娘で喧嘩してる。「何よあんた!」「ふざけんじゃないわよ」と言いながら、家を出た娘がいるわけですよ。そしたら家に電話がかかってきたんですね。スマホに電話がかかってきた。今出たところだから、娘からだと思って、お母さんは怒りながら出るわけですね。その名前を見ずにポンって出て、「何?」って言うわけですね。「何?」。絶対娘だと思うからね。「忘れ物してるし、これのことでしょう。何?」って言った時に、「学校の担任です」ってなったら、「すいませーん」ってなるわけですよ。
怒りってアンコントロールだと思ってたけど、対象が違うと思ったら、ふっと抑えられるでしょう。そうなんですよ。「うわ、すいません。先輩でしたかー」みたいな。「この野郎……先輩の車でしたかー」みたいな。そういう時があるわけだから、結局道具なんです。全部、トラウマも怒りも劣等感も、あなたたちが道具にしてる。だからそれは原因じゃない。
そう言われた時に、青年は「なんすか、それ?」って言うんですよ。「いや、確かにそうかもしんないですけど、それ言われた時の俺の気持ち。お前のせいだ、お前のせいだ、お前が弱いからだって言われてる感じですよ。何も夢も希望もないですよ。なんすか? 俺が弱いって言ってるんですか」。「いや、違うよ」と。「だから変われる。変わる勇気を持つことが大切なんだよ」。アドラーっていうのは、「お前はもう変われない」っていうことを慰める心理学じゃなくて、勇気を与えて、「あなた変われるよ」って背中押してくれる心理学だと。そういうこと言ってくれるんですね。なるほどね。ちょっと変われそうな気がしてきましたよね。
こういう時に、人は陥りがちなのが、「いつも」とか「みんな」って言いたくなるんだって。そうなんですよ。確かにと思って。「いやさ、武勇伝の時もさ、漫才じゃなきゃ芸じゃないって言って、みんな俺のこと否定すんだよ」って言ったけど、そうじゃないの。よくよく思い出したら、漫才師の芸人さんの先輩でも「いや、めっちゃおもろいやん」とか言ってくれた人、いっぱいいるのよ。なのに、武勇伝が否定されてたからああいう状況だったっていう風に、言いたいだけだったかも。「ええ?」みたいな。そう思ったんですよ。
「お笑い芸人さんはさ、YouTube俺がやり始めた時さ、みんなさ、いっつも言うんだよな。何がYouTubeだよ、テレビ頑張ろうぜ、お前もって言って」。待てよ。「あっちゃん、最近YouTube俺見てるよ。めちゃくちゃおもろいね」って言ってくれた先輩、めっちゃいた。俺は自分のことを演出しようとして、自分の中で言い訳を綺麗に磨くために、「みんな」とか「いつも」とか、怒りとか劣等感とかトラウマを、自分で用意してたのかも。パーン、思ったんですね。「あ、そうなんだ」。もうこの時点で僕は「いい本」って思ってました。「これいい本。トラウマとか劣等感とか怒りって何? 俺ら都合よく使ってたのかもしんない。続き聞かしてくれ、哲人」。そう思ったんですよ。
そしたら次、また面白いですね。「世界はシンプル」。なんで? なんでかって言うと、「大体があなたの課題じゃない」。これなんですね。あなたの課題じゃない。どういうことかって言うと、だから大体があなたの課題じゃない、だから世界はシンプルと言ってくれるんですけど、ここで大名言が出てくるんですね。この本の一番核になるフレーズ。それが「全ての悩みは対人関係」。こう言ってくるんですよ。
全ての悩みがだよ。「嘘? ちょっと待って待って、悩み色々あったはずじゃん? 対人関係の悩みもあるけど、今日は対人関係の悩み相談、今日は〇〇の悩み相談、今日は〇〇の悩み相談って、何個かジャンルあったはずだよ。世界はだって複雑だもん」。そう思ってるでしょう。違うんです。全部、全部が対人関係。だからそこさえ何とかすれば何とかなる。こういうのがアドラーなんですよ。
「対人関係ですか。じゃあお金は? お金は?」って言うんですよね。「じゃあお金は?」って言うけど、あなた、お金があるとかないとかっていうのも、全部人との関係の中じゃないですか? そうですよね。「もっと稼ぎたい」、誰と比べて? とか。「もっとお金がスムーズにもらえるようになりたい」、誰から? とかね。それ全部対人でしょう。大体、お金自体が人がいないと通用しないものでしょう、価値が。紙なんだから。人がそれ、価値を認めなければ。関係なんですよ、全部。そうなの。そして3つのタスクがあるでしょう。仕事、交友関係、愛情。ワーク、フレンズ、ラブですよ。それ全部対人関係。
その上で、対人関係の、それクリアにするスタート地点は、課題を分離することなんだよ。自分の事と人の事を分けようって言うわけですね。「そうなの?」。じゃあ、自分の事、人の事、それは、その選択によってもたらされる結末が誰に影響を与えるかって考えたら、それ、自分の事、人の事ありますと。例えば「あんた、もっと勉強しなさい」っていう親がいるよね。「あんた、もっと勉強しなさい」言うけど、「あんた、もっと勉強しなさい」なんて言う必要はないって言うんですよ。なんでか。勉強しないで損するのは誰? 子供でしょう。だったら言わなくていいんですよ。「介入するな。土足で入るな」。そうやって自分のことだけにすればいいじゃないって言うわけですね。
「先生、それ寂しくないですか? それでいいんですか? 親との関係。親が俺になんか言ってきたから、俺この仕事やってんすけど。夢反対したから」。「だからそれも、親の事とあなたの事の分離ができてないから、褒められようとしすぎちゃったわけでしょう」って言われるわけですよ。「禁止事項あります」って言うんですよ。アドラーの禁止事項。これ何か。褒められようとすること。出ました。イメージ通りの『嫌われる勇気』の、イメージ通りの章来た。承認欲求否定ですね。「褒められようとすんなよ」って言うんですね。
なんでかって言うと、それは「褒められよう、褒められよう」っていうこの教育、昔からやってるよね。「すごいね、すごいね」。なんかあったら「すごいね」。ダメだったら罰。「お菓子あげません。食べさせません」とか、「〇〇させません」。これは賞罰教育って言われていて、それが要するに、褒められないと何かしないっていう精神も生むわけだよね。
あなた、外を掃除してますよね。パーッと近所の掃除してます。「ありがとうございます。近所掃除してくれてありがとうございます」って言われたら嬉しいよね。だけど誰からも言われなかったら。近所の人がみんな見てる。なのに、もう2年間掃除してるのに誰からも褒められなかったらどうする? 「やめます」って青年が言うわけですよ。「そんなのはやめます。近所の掃除をしてる、雪かきもしてる。なのに素通りして、全員が褒めてくれないんならやめますよ」って。やめるんでしょう。ってことは、あなたのその行動ってのは他人が決めるんですか? 他人が褒めてくれるからやる、褒めてくれないならやらない。あなたの行動、他人が決めてるじゃない。あなた、親がNOって言うから仕事やめた、夢を諦めた。全部他人が決めてる。それ自由じゃないね。自由じゃないよって言うわけですね。
だから褒められようなんてしなくていいし、逆にここ、バーンって来た。「褒めるっていうのもダメよ」って。「褒めるなよ」って言うんですよ。なんで? 褒めるってのは、実は能力が上の人間が下の人間に行うことなんですって。「すごいねー」みたいな。俺が大先輩の漫才見て、「面白いねー」なんて言わないわけですよ。「お前何なんだよ」と。「なんでお前に面白いって評価されなきゃいけないんだよ」。そういう風になるわけですね。実は褒めることってのは、上から下であってもやっちゃいけないんですって。後輩だろうが部下だろうが褒めてはいけない。なんでか? 褒めるっていうことで能力を評価するっていうことが、実は「自分はその人より下なんだ」っていうことを潜在的にすり込む行為になるんですって。
褒めちゃいけない、褒められてもいけない。じゃあどういうことなの? それ、縦の関係だからです。横の関係で考えよう。それはどういう風に、相手に対して、やってくれたこととか存在を賞賛すればいいの? それは賞賛とか褒めるんじゃなくて、感謝するんだ。「ありがとう」と。「やってくれてありがとう。ありがとう、ありがとう」の世界に持ってくるといいよと。そうすれば、この自由を奪われた、誰かに褒められるからやる、誰かがやってくれたら褒めるという、縦の関係による自由じゃない世界から解き放たれ、嫌われる勇気を持つことができるというお話なんですよ。
嫌われるって嫌でしょう。だけどねって、哲人は言うわけですよ。「嫌だけど、自分の行動で相手が嫌うかどうかって、それあなた決められるの?」って言うわけですよ。確かにと。一生懸命、食べ放題食べました。「うわ、あいつがっついてるよな」って嫌われる時もあるけど、「うわ、食いっぷりいい。可愛い」っていう時もあるわけじゃないですか。じゃあそれ、あなたの課題じゃないでしょう。だとしたら、あなたは自由に動いて、課題を分離して、嫌われる勇気を持って、褒めもせず褒められず感謝だけしてたらいいんだよと。それがスタート地点だ。そう言うわけですね。分かりやすい。
その上で、じゃあスタートからどこに向かうの? ここゴール地点ですよね。ゴールは実は共同体感覚ですって言うんですね。その瞬間、「どういう意味?」ってなるわけですね。共同体感覚、分かりませんね。でも実はこれが、最後の章に繋がってくるんですよ。最後、これは幸福とはっていうことなんですね。幸福とは、共同体感覚を持つことですって言うんです。じゃあそれは何ですかって言うと、仲間に貢献できてるっていう感覚。それだったら分かりやすいね。確かに仲間に貢献できてるっていう時って嬉しいよね。これこそが幸福。それだけが幸福って言うんですよ。「本当に? そうなの?」。
まずやっちゃいけないこと、禁止事項来ました。褒めることもダメだよね。ここで新たな禁止事項。それは競争すること。それ、まず仲間っていうとこがポイントなんだけど、仲間にならなくなっちゃうって、競争しすぎるとね。仲間にするには、競って勝たなきゃいけないっていう風に思ってること自体が違うよ。なんで? 「競って勝たないと自分には価値がないって、どっか思ってない?」って言うわけですよ。確かに、勝利しなかったら、敗北したら、俺には価値がない、そう思ってる。そうじゃないのよ。勝つとか負けるとかで、あなたの価値を自分が思い込まなくていい。
まず大事なのはこれ。3段階ある中で1つ、自己受容すること。自分を受け入れる。それは自己肯定とは違うんだって。自己肯定感って最近よく言うでしょう。だけど違う。自己肯定ってのはダメな自分だけど、例えば60点の自分を100点ですって無理やり言うこと。それはしなくていいよと。「私、素晴らしく綺麗」とか、「俺はかっこいい」とか、そう言わなくていいんだよと。自己肯定じゃなくて、自己受容ってのは「俺は60点。俺は60点なんだよな。でもこれから頑張っていこうぜ」。そういう、受け入れるっていうことが大事だって言うんですね。
それも実は、これ行為レベルと存在レベルってのがあるらしくて、「何々をしなければいけない」。行為レベルでしか自分に価値を持てない人が、ワーカホリックになっちゃうんですって。要するに、仕事をしてお金稼いでっていうことでしか家族に貢献できてないって思うと、もうずっと仕事して、お金、お金、お金ってなるわけですよ。だけど、家に俺がいるっていうだけで家族は嬉しいっていう、そういう価値観。この仲間たちの中に俺が今日来てるってだけで嬉しいって、そういう風に思ってくれてるだろうって感覚さえあれば、自己受容とかの感覚はすごく高まりますよ。だから行為レベルではなく、存在レベルで自己受容、まずしてくださいと。行為で、競争で勝って、自分の価値を規定するんじゃない。それは自信がないんだよと。自信を持つっていうことは、まず受け入れる。
その上で、自分だけじゃない、他者を信頼するってことらしいんですよ。「信頼と信用、違いますよ」って、こう言うんですね。信用ってのはクレジットね。信用はありますか? 銀行でお金借りる時とかに信用大事だよね。あの時に大事なのは条件があるわけですよね。家を持っているとか、持ち家ですとか、これぐらいの給与ですと。ああいう条件を並べてお金借りるわけでしょう。無条件に信じることを信頼と、条件付きのことを信用と言う。「他者を無条件に信じろ」って言うんですよ。
「え、そんなことできませんよ。裏切られたらどうするんですか?」って言いたくなるでしょう。その青年が言ってくるんですよ。「裏切られますよ!」。「じゃあ、あなたが信用して、裏切られるか裏切られないかって、それあなたの仕事?」と言うわけですよ。「あなたの課題? でもね、相手はあなたが信頼してるかどうかを察知しますよ。だったら裏切られるか裏切られないか分かんないんだったら、これ、信頼まずするんですよ。それが大事なんですよ」と。裏切られるかどうか、あなたの課題じゃない。「へえ、そうなんだ」。そこまで来たら、他者に貢献するということを考えられますと。なるほどね、他者に貢献するということ。もうこれだけ、幸せってそれだけって言うんですよ。
「ええ?」。若者言います。「ふざけんな! 俺はものすごい社会的貢献、特別な地位を得たいんだよ。なんかのビジネスで社長になって、フォーブスの表紙飾るとか、そういうことやりたいんだよ。ロックミュージシャンで、さいたまスーパーアリーナ埋めるとか、海外進出するとか、そういうことがやりたいんであって。他者に貢献することだけ?」って言うんだけど、まあ落ち着けと。それも全部、他者への貢献の1つでしかないし、そこまで行った人たちの気持ち、1回考えたことある? すごく大富豪になった人たちが、それでもまだ仕事してんのなんで? 実は貢献したいからなの。その居場所の共同体の中で「ああ、みんなに喜んでもらえてるな」って思われたい。それだけなんだよ。「そうなの?」。
そう。人生を線のように考えてない? だからゴールまでたどり着けてない自分のことを受け入れられない、幸福じゃないと思ってない? そうじゃないよ。人生って何歳で終わるか分かんないけど、その時その時で仲間に貢献できてるなって自分で思えてたら、それはもうゴールしてんの。常に人生ってのは完結してるの。もう幸せなの。このアドラーの心理学聞いたら、その日からあなた幸せなの。聞いたその日から俺幸せなの。「ちょっと待ってよ。都合良すぎない? そんなもん、幸せって? そんなもんなの?」。そんなもんなのよって言うんですね。
線で考えないで。線で考えると辛いよ。旅ってさ、どういう風に、エジプトのピラミッド見に行く旅って、早ければいいんですか? 何ですか? 旅がなんで楽しいんですか? エジプトのピラミッド見た瞬間が楽しいの? そうじゃないよね。だとしたらエジプトのピラミッド見に行くって言って、ヘリでビュンって行って、見て最速で帰ってきて、ふーっとか言って、「意外と1日で帰ってこれるんすね」とかっていうエジプト旅、楽しい? ってことなんですよ。「エジプト行くぞ」なんて、1ヶ月かけて、砂漠を歩いたり、トラブルにあったり、そういう瞬間瞬間が楽しいのが、これ人生なんですよ。
線で考えないで、あなたはすでにもう幸福だってことが分かってる。点の連続。今に集中するだけ。「それって普通な人生じゃないすか」。そうよ。これ、普通である勇気でもあるんだよと。普通の人生だけど、みんなに貢献できてる。だから最高にハッピー。それでいいじゃない。そういうことを教えてくれましたね。
私の『嫌われる勇気』。この動画が、あなたが喜んでくれたら、僕はすごく幸せです。ではまた。
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