天才は法を犯してよいのか――中田敦彦が語るドストエフスキー『罪と罰』
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY中田敦彦はこの回で、ドストエフスキーの『罪と罰』をあらすじに沿って語り直している。リクエストが多かった作品だが、重く、長く、名前が難しいために敬遠されがちだ。中田は、読めばサスペンスとしても哲学的な物語としても「めちゃくちゃ面白い」と言い、それを伝えることを目標にしている。参考にしたのは原作の小説ではなく漫画版で、語りの大部分は主人公ラスコリニコフと、彼を追い詰める捜査官ポルフィーリの心理戦の再現にあてられる。以下、動画での語りの順に内容を追う。
読まれない三つの理由と、中田が感じた面白さ
中田は、『罪と罰』が「一番読みたいけれども読みたくない」本になっている理由を三つ挙げる。一つ目はタイトルが重いこと、二つ目は長いことだ。三つ目が最大の障壁で、ロシア文学なので登場人物の名前が難しい。
中田の説明では、ロシア人の名前には苗字と名前のほかに父親から受け継いだ名前のようなものがあり、さらにあだ名で呼ぶ文化もある。そのため一人の人物について、苗字、名前、真ん中の名前、あだ名の4種類が入り乱れる。統一しないのは、呼び方に人物同士の関係性が表れるからで、統一すればロシア文学のニュアンスが伝わらなくなる。ただ日本の読者にとっては、「スヴィドリガイロフ」が人名なのかどうかも分からないところに4種類の呼び名が出てくるので、嫌になって読まなくなってしまう。中田は動画で使う名前をかなり短くしたと断っている。
それでも読んでみると面白い、と中田は言う。読んで『デスノート』に似ていると感じたそうだ。主人公と、主人公を追い詰める人物の関係がLとキラのようで、スリリングだという。サスペンスの要素がある一方で哲学的でもある。舞台は19世紀ロシアの首都サンクトペテルブルクだが、神とは何か、罪とは何かという問いは現代の私たちにも分かる普遍的なもので、「それは苦しむね」と共感できる悩みも描かれている。中田は、遠い話ではなくリアルな話として聞けるはずだと語る。
今回の素材に漫画を選んだ理由について、中田はこう話す。多くの人はタイトルを知っていても原作どころか漫画すら読んでこなかった。だからまず筋を知っておくだけでも大きく違う、と。
貧しい元大学生ラスコリニコフと「天才と凡人」の論文
主人公のラスコリニコフは、頭脳は明晰だが、貧しさのために大学を中退した青年である。そのことが彼に深い影を落としている。物語は彼の狭くボロボロの下宿から始まる。大家が家賃を取り立てに戸を叩いても、彼は居留守を使っている。彼はこの部屋を「棺桶」だと感じている。
故郷には母と妹がいて、どちらも貧しい。妹は小金持ちの婚約者と結婚して家を立て直そうとしており、ラスコリニコフは「これでいいのか」と思っている。
それでも彼は自分の才能を信じている。頭から離れないのは、中退前に書いた「天才と法律の関係」についての論文だ。中田の説明によれば、論文の主張は次のようなものである。人類には天才と凡人の2種類しかいない。凡人は従属を好み、人類を増やすために生きているといっても過言ではない。一方で、一握りの天才が革命を起こし、人類のステージを押し上げてきた。ナポレオンやムハンマドのような人物は、それまでのルールを破壊して乗り越え、新しい秩序をつくった。だとすれば、法律とはそれまでの人間が縛られる規則にすぎない。天才は法を犯してもよく、少しの罪を犯してもそれ以上に人類に貢献すれば罪には問われない。
中田は、これをかなり過激な思想だと評する。ラスコリニコフはこの考えを強く信じているが、自分が天才なのか凡人なのかが分からない。願わくば天才でありたい、と思っている。
金貸しの老婆と、酒場の元役人
金に困ったラスコリニコフは、また金貸しの老婆のもとへ行く。老婆は品物を担保に金を貸し、期日までに利子をつけて返せなければその品を転売する商売をしていて、強欲で嫌われ者だ。彼は父の形見の時計を差し出すが、老婆は大したものではないと言ってわずかな金しか渡さない。文句を言うと、嫌なら帰れとあしらわれる。
腹を立てたラスコリニコフは、その金で安酒場に入る。そこで酔っ払いの男が話しかけてくる。男は元役人で、苦労して役人になったものの、あることでクビになり、それ以来飲んだくれている。家族の物を全部売り払って飲み、娘のソーニャを娼婦にしてまで酒を飲んでいる「クソ親父」だと自分で言う。ソーニャは家族のために体を売って働いている。ここで彼女の名前が出てくる。
妹の結婚の知らせと殺意
下宿に戻ると、妹から手紙が届いていた。小金持ちの成金と結婚するという報告だった。ラスコリニコフは酒場の男の話を思い出す。妹もおそらく好きでもない相手と、家に金を入れるために結婚しようとしている。ソーニャと同じではないか、自分もあの男とほとんど変わらないではないか、と思う。天才のはずの自分がなぜこんな境遇にいるのか。そこで、ずっと頭にあった考えが形になる。天才は法を犯してもいい。悪人を殺してもいい。あの老婆を殺して金を奪っても、その後に人類に貢献するような成功をすれば罪ではない。
街を歩いていると、古着屋を営む老婆の妹が、知人から翌朝7時の手伝いを頼まれて引き受けているのが聞こえてくる。明日の7時、老婆は一人になる。ラスコリニコフは、殺して金を奪い、自分が天才であることを証明しようと決める。上着の裏に細工をして斧を隠して吊るせるようにする。ナイフではなく、一撃で仕留められる斧を選ぶ。
犯行――予定外の二人目
翌朝7時、ラスコリニコフはまた金が要ると言って老婆を訪ねる。老婆が品物を見ようと背を向けたところを、後ろから斧で殺す。冷静だ、天才だからこんなことは何でもない、と自分に言い聞かせる。老婆がいつも鍵をポケットに入れていることも、金庫の場所も知っていたので、すぐに金庫を開けて宝石と金を詰める。
そのとき物音がして振り向くと、いないはずの妹が立っていた。ラスコリニコフはとっさに妹も斧で殺す。予定にはなかったが、見られた以上やるしかなかった。斧を洗い、金目のものを持ったことを確かめて出ようとすると、階下から人の声がする。金を借りに来た別の客で、声から近所のペンキ屋の男だと分かる。死角に隠れてやり過ごし、騒ぎになる前に逃げる。斧を元の納屋に戻して帰宅する。目撃もされず、証拠も消し、第一発見者にも見つからなかった。「完全犯罪だ」と思うが、なぜか胸の動悸が収まらない。金と宝石を部屋の隅に隠して眠る。
警察からの呼び出しと、宝石の放棄
翌朝、同じ建物の住人に、警察が呼んでいると起こされる。早すぎると驚きながら出頭すると、用件は家賃の滞納だった。大家が、払わないなら追い出すと訴えていたのだ。来月までに払うという誓約書に署名すれば大事にはならないと言われ、ラスコリニコフは安堵する。
ところがそのそばで、警官たちが老婆殺しについて話している。犯人はまだ近くにいる、顔見知りの犯行だ、ポルフィーリさんが言っていたから間違いない、と。ここでポルフィーリの名前が出る。顔見知りで、金を借りていて、客の名簿もある。すぐに家宅捜索が来ると考えたラスコリニコフは、金だけをポケットに入れ、宝石は空き地の砂に埋めて捨てる。捕まらないことのほうが大事だと判断したのだ。
しかし帰り道で、彼は自分が何のために殺したのか分からなくなる。手元にあるのはわずかな金だけで、本当に価値のあった宝石は捨ててしまった。自分は英雄で天才のはずなのに、なぜこんなにめまいがするのか。
ラズミヒンが伝える「ペンキ屋の逮捕」とポルフィーリの評判
そこへ大学時代の友人ラズミヒンが声をかけてくる。顔色の悪いラスコリニコフはその場で倒れ、ラズミヒンに部屋まで運ばれる。
ラズミヒンは老婆殺しの話を始め、犯人はもう捕まったと言う。捕まったのはペンキ屋の男だった。ペンキ屋は老婆の宝石を一つだけ転売しようとして捕まり、階段で拾ったと主張している。ラスコリニコフは、慌てていたときに一つ落としたのかもしれないと気づく。ラズミヒンは、この話にだけやけに反応する友人をいぶかしむ。
さらにラズミヒンは、ポルフィーリはペンキ屋が犯人ではないと見ている、と話す。ポルフィーリはラズミヒンの従兄弟で、警察随一の切れ者として知られ、彼にかかれば暴かれない犯罪はないと評判だという。ポルフィーリは、老婆から金を借りていた者が怪しいとして、全員をしらみつぶしに尋問するつもりらしい。ラスコリニコフはまずいと思う。
元役人の死とソーニャとの出会い
外に出ると、馬車にひかれた男がいて騒ぎになっている。酒場で会ったあの元役人だった。酔って飛び出したらしく、血まみれで死にかけている。身元が分からず困っている警察に、ラスコリニコフは男の名前を伝える。男は自宅へ運ばれ、妻と幼い子どもたちが泣き崩れる。
別の場所に住み、娼婦として働いているソーニャが呼ばれてくる。露出の多い仕事着のままだった。父は初めて、娘が娼婦として働く姿を見る。「そんな姿にしてしまってすまない」と言って息を引き取る。
純粋そうなこの娘があの娼婦なのかと胸を打たれたラスコリニコフは、ポケットに残っていた盗んだ金を差し出す。ソーニャは遠慮しながら受け取り、名前と住所を聞いて、いつかお礼に行くと言う。
母と妹の上京、そして自分からポルフィーリに会いに行く
下宿に戻ると、母と妹、ラズミヒンが待っていた。母と妹がサンクトペテルブルクに出てきたのだ。3年ぶりの再会だが、ラスコリニコフは不機嫌で、妹ドーニャの結婚に反対だと言い出す。お前は俺が学費がなくて大学をやめたことを哀れんで、金のために結婚するんだろう、弁護士だか何だか知らないが、あの小金持ちは性格が悪そうだ、と。妹はきっと良い人だと言い返し、明日は婚約者の弁護士との食事会だから機嫌よくしていてと頼む。
そこへソーニャがお礼に訪れる。お金をくれたのだから裕福な人かと思っていたソーニャは、部屋の狭さとみすぼらしさに驚き、ラスコリニコフがとても貧しい学生だと知る。ラスコリニコフはソーニャに好意を持ちはじめ、今度彼女の住まいを訪ねたいと言う。
ソーニャが帰ると、ラスコリニコフはラズミヒンに、ポルフィーリに会わせてほしいと頼む。表向きの理由は、老婆に質入れした父の形見の時計を取り戻したいというものだった。中田によれば、本当の狙いは別にある。ポルフィーリは自分のところに来ないが、しらみつぶしに調べているなら自分を疑っているはずだ。だから自分から会いに行って疑いを晴らし、完全犯罪を自分の手で成立させる。攻めに出るのである。
最初の対面――論文をめぐる問答
翌日会ったポルフィーリは、「会いたかったですよ」と迎える。老婆から金を借りていた全員に書面を出したが、来ていないのはあなただけで、最後の一人だという。ラスコリニコフは、すでに疑われていると感じる。
ポルフィーリは時計の件は手配すると約束したうえで、あなたは面白い人だと切り出す。雑誌に載ったラスコリニコフの論文を読んだというのだ。天才は法を犯しても人類の進歩につながる功績を残せば罪に問われない。戦争の英雄や宗教を改革した人物は、規範を破ってでも人類を前に進める権利と義務がある。ポルフィーリはその内容を確かめてから、疑問を投げかける。天才と凡人はどう見分けるのか。顔を見ても分からないなら、自分を天才だと勘違いした凡人が法を犯すという問題が起きる。では天才は誰に裁かれるのか。ラスコリニコフは、天才が新しい法をつくり、その中で自分を裁くのではないかと答える。ポルフィーリはさらに、その理論を発見したあなたも天才なのかと聞き、ラスコリニコフは「そうかもしれませんね」と答える。
するとポルフィーリは、今回の事件は天才の犯罪かもしれないと言う。目撃者もいないし、物的証拠もない。これほどうまくやれるのは頭の切れる天才だけだろう、と。そして、頭の切れるあなたに捜査に協力してほしい、明日もう一度署に来てほしいと持ちかける。ラスコリニコフは疑われていることに憤りながらも、少なくとも今は証拠がなくて警察が困っていることだけは確かだと考えて帰る。中田は、この二人の掛け合いのスリルが『罪と罰』の面白さだと強調する。
スヴィドリガイロフの来訪と、食事会の決裂
帰宅すると、豪華な身なりの紳士が訪ねてくる。スヴィドリガイロフという大資産家で、成功のためには手段を選ばないという悪い噂のある男だ。彼は妹のことで来たと言い、事情を打ち明ける。以前、屋敷で妹を雇っていたときに恋に落ちた。妻がいたが、恋に落ちることも人間にはある。それが妻に知られると、妻はすべてを妹のせいにして、自分の親戚である弁護士と無理やり引き合わせ、妹を屋敷から追い出した。その婚約を潰して、もう一度妹に会わせてくれたら1万ルーブル払う、という。
妻はどうしたのかと聞くと、最近病気で死んだという。ラスコリニコフには、病気で妻を亡くした人の顔には見えない。何をするか分からない危険な男だと感じ、申し出を断る。するとスヴィドリガイロフは、妻が生前、妹に悪いことをしたと詫びの金を渡したがっていたと言って3000ルーブルを置いていく。どんな手段を使ってでも妹さんに会いたい、と言い残して。
その後の食事会には、ラスコリニコフ、ラズミヒン、母、妹、婚約者の弁護士が集まる。ラスコリニコフが弁護士を認めていないため、最初から空気が重い。話題を変えようとしたラズミヒンが、スヴィドリガイロフの妻が死に、本人がこの町に来ているらしいと話すと、ラスコリニコフは「俺は会った」と言って3000ルーブルを差し出す。妹は怖がって会いたくないと言う。
弁護士は不愉快だと言い出す。兄には会いたくないと言っていたはずだ、無理に会わせるような会はもう開くな、スヴィドリガイロフの話も聞きたくない、と。妹が言い方をとがめると、弁護士は「口答えをするな」「3000ルーブルが手に入ったら強気じゃないか」と、皆の前で金目当てだと言わんばかりの態度を取る。妹は激怒し、もう結婚したくない、二度と会いたくないと告げ、弁護士は帰っていく。婚約は破談になる。
ソーニャの部屋――聖書とリザベータ
一方スヴィドリガイロフは、急いで借りた安アパートに戻る。隣の部屋には娼婦の格好をした女性が入っていく。それがソーニャで、二人は偶然隣同士に住んでいた。
食事会の後で傷ついたラスコリニコフは、ソーニャに会いに行く。体を酷使して稼いだ金をすべて家族に渡し、自分は貧しい暮らしをしている。それでいいのかと問うと、ソーニャはそれでいいと答える。部屋に聖書があるのを見て、ラスコリニコフは問いつめる。神を信じているのか、神が君に何をしてくれたのか、父は死に、母も具合が悪い、君が働けなくなれば家族は物乞いになる、それでも信じるのか、と。ソーニャは、人は誰でも苦しい、苦しくない人間なんていない、だから私は祈りたいのだと涙を流す。その顔があまりに透き通って見えて、ラスコリニコフは自然とひざまずいてしまう。理由は自分でも分からないが、神聖なものを感じたと言う。
聖書をどこで手に入れたのかと聞くと、ソーニャは「リザベータさんにもらった」と答える。リザベータは、彼が殺した老婆の妹だった。ソーニャは、生前にもらったその聖書を読んで救われるように祈ってきたが、リザベータは「あんなことになってしまった」と言う。ラスコリニコフは、この娘を苦しめているのも、いちばん神に背いているのも自分だと思い知る。翌日ポルフィーリのもとで捕まるかもしれないという恐怖から、すがるようにソーニャに会いに来ていたのだった。今日が最後かもしれないと言い、もしまた会えたら、リザベータを殺した犯人を君にだけ教えると告げて去る。
二度目の対決――蝋燭の炎と蛾
翌日、ラスコリニコフはポルフィーリのもとへ行く。「何しに来たんですか」ととぼけるポルフィーリに、彼は怒りをぶつける。油断させておいて一気に証拠をつかむのが警察のやり方だろう、尻尾は出さない、と。
ポルフィーリは「それはまるで斧のように、とおっしゃりたいわけだ」と返し、そんなことはしないと言う。頭のいい人間はそうした手ではボロを出さないと、経験から分かっているからだ。理屈で固める頭でっかちを捕まえる秘訣は「何もしないこと」だという。何もしないでいると、頭のいい人間はあれこれ可能性を考え、泳がされていると気づき、さらに考えて疑心暗鬼になり、精神が壊れていく。それは蝋燭の炎に寄っていく蛾と同じだとポルフィーリは言う。火に触れれば焼けるので触れないが、離れることもできない。炎の周りをぐるぐる回り続け、やがて力尽きて落ちる。それを自分が捕らえるのだと。
ラスコリニコフは、結局証拠はないのだろう、天才の俺を捕まえられるものなら捕まえてみろと凡人呼ばわりして挑発する。そこへ部下が飛び込んできて、ペンキ屋が全部自分がやったと自白したと告げる。ポルフィーリは現場へ向かい、「またお会いしましょう」と言い残す。ラスコリニコフは「もう会うことはないでしょう」と返し、ポルフィーリは「それは分かりませんよ」と答える。
告白、ソーニャの母の死、スヴィドリガイロフの誘い
しかしラスコリニコフの頭からは、蛾の話が離れない。殺したときの光景が幻覚のように浮かび、どこかで証拠が出るのではないか、落とした宝石はどうなるのかと、すべてが気になる。気がつくとソーニャの部屋にいた。
彼は打ち明ける。犯人は俺だ。金を借りて返せなくなり、誰からも嫌われる強欲な老婆なら殺しても恨まれないと思った。妹まで殺すつもりはなかったが、見られたから殺してしまった。ソーニャは彼を抱きしめ、あなたは世界でいちばんかわいそうな人だから大丈夫だと言う。そして償うしかない、神に謝罪して、広場で自分が殺したと言い、自分が汚した大地に口づけをして償いを始めるのだと自首を促す。ついてきてくれるかと聞かれ、ソーニャは、捕まってもどこまでもついていくと答える。
そこへソーニャの妹たちが駆け込んでくる。母が路上で倒れていた。困窮のあまり子どもたちと物乞いをしていたのだ。中田は、元は役人の妻で良い家柄だった女性が、蔑まれながら物乞いをした末の「惨めな死」だったと語る。そこへスヴィドリガイロフが現れ、葬式に使えと金を渡し、ラスコリニコフを呼び出す。
ソーニャへの告白を隣の部屋で聞いていたのは、スヴィドリガイロフだった。脅すつもりかと身構えるラスコリニコフに、彼は脅しではなくむしろ自首を止めに来たのだと言う。金はあるから、ラスコリニコフと母と妹と自分の4人で外国へ逃げよう、妹さんをくれればあなたの罪は霧と消える、と。ラスコリニコフは、天才には天才の誇りがある、そこまで落ちぶれてはいないと断る。スヴィドリガイロフは、私には私で考えがあると言って去る。
「ブロンズの英雄」と、ポルフィーリの最後通告
翌朝、自首するかどうか悩むラスコリニコフは、コーヒーの味もしない。天才や英雄の体はブロンズでできていて、何にも傷つかない。ナポレオンは多くの命を奪っても傷一つ負わず、死後はブロンズ像になって崇められた。それなのに、なぜ自分はこれほど震えているのか。
そこへポルフィーリが現れ、一緒にお茶を飲む。町ではペンキ屋が犯人だという噂で持ちきりだ。ラスコリニコフは、ここに来ても無駄だ、証拠はない、俺の勝ちだと言う。ポルフィーリはそれを否定する。あなたの勝ちなら、なぜあなたはずっと苦しんでいるのか。法律から、つまり人がつくった罰からは逃れられても、罪を犯したという苦しみからは逃れられない。そう言って、1日だけ猶予を与えるから自首してほしい、さもなくば必ず捕まえると告げる。
妹の拳銃と、スヴィドリガイロフの最期
その頃、妹はスヴィドリガイロフのもとを訪れていた。兄が真犯人である証拠をつかんでいるという手紙を受け取ったからだ。スヴィドリガイロフは、隣室のソーニャのところで聞いてしまったと明かし、兄が犯人だとは言いたくないから、自分のところへ戻ってきてほしいと迫る。
妹は懐から拳銃を取り出す。スヴィドリガイロフの妻が生前、あの男はいつかまたあなたの前に現れるから持っておけと渡したものだった。妹は、奥さんを殺したのもあなただろうと責め、一発撃つ。本気だと示す妹に、スヴィドリガイロフは、愛した女に撃たれるなら本望だから撃てと言う。妹はもう関わりたくないと言って銃を捨てて去る。残されたスヴィドリガイロフは、その銃を拾って自殺する。
自首とシベリア
ソーニャの部屋で震えていたラスコリニコフは、ついに「行ってくる」と言って警察署へ向かい、金貸しの老婆とその妹を殺したのは自分だと告げて逮捕される。ポルフィーリが言っていたとおり、自首したことで死刑にはならず、減刑されてシベリアで8年の懲役となる。中田はこれを「さほど長くない年数」と表現しつつ、彼にとっては長く辛い日々の始まりだったと語る。
ソーニャは刑務所の近くに住み、面会に通い続けた。心を開けずにいたラスコリニコフは孤独の中で病に倒れる。目を覚ましたとき、面会に来ていたソーニャの手を握り、「ごめんな」と言う。ソーニャはうなずいてその手を握り返す。膝の上には聖書がある。神など信じないと言っていたラスコリニコフの中で、ソーニャを愛する気持ちと、それとは別の何かが目覚めつつあった。中田の語る物語はここで終わる。
中田の解説――追い詰められた作家と多面的な構成
語り終えた中田は、原作は非常に長く、心理描写や細かな描写、今回省いた場面も多いので、この話を聞いてから漫画を読み、そのうえで小説に進んでほしいと勧める。文章はとてつもなく美しいという。
さらに作者の境遇にも触れる。中田によれば、ドストエフスキーはデビュー作こそ才能を評価されたが、2作目、3作目は鳴かず飛ばずで金に困った。そのうえ政治犯として捕まり、出所後は自暴自棄になってギャンブルや酒にのめり込んだ。資金を得るため、出版社に小説を書くから前貸ししてくれと頼んで何作も引き受け、契約どおりの長編を大量に書かなければならなくなった。そうして追い詰められたドストエフスキーが猛烈なスピードで口述したものが『罪と罰』だ、という話を中田は紹介する。
作品の構成については、キリスト教の神、救済、罪をテーマにしているだけでなく、アダムとイヴが楽園を追放されて原罪を負うという聖書のエピソードにも基づいていると言われ、キャラクターの名前にも多くの仕掛けがあるとされている、と述べる。中田はこれを「言われている」として紹介するにとどめ、ここまで緻密で膨大な小説を、追い詰められた一人の天才が書いたこと自体が興味深いと語る。
最後に中田は、いちばん好きな人物としてポルフィーリを挙げる。なかでも気に入っているのは、「斧でやるみたいに」とラスコリニコフの言葉を受けて、そんなことはしない、頭のいい人間はそれでは引っかからないと退け、代わりに蛾のたとえを語る場面だという。中田はこの場面がいちばん好きだったと述べ、ぜひ読み直してほしいと締めくくった。
どうも中田敦彦です。今日は『罪と罰』、よろしくお願いします。さあ、早速やっていきましょう。この『罪と罰』、ドストエフスキーは、もうとにかくリクエストが多かったんですね。本当、エクストリームに教えてほしいという中で言うと、普段自分が読めないようなものをやっぱりやりたいということで言うと、一番読みたいけれども読みたくないのがこの『罪と罰』。重たいからね、なんせ。
まずタイトルが重いでしょ? その上で長いんですよ。すごい長いの。長くて重い上に、これを読むには最大の障壁があるんです。読み始めた人が「もう絶対に嫌」っていう、一個だけ理由があるの。それは何かと言うと、ロシア文学なので名前がすっごい難しいんです。これね、一応ここに書きましたけど、超短くしてます。
ロシアの人の名前ってのは、苗字と名前だけじゃなくて、間になんかお父さんから譲り受けた名前みたいなのがあって、さらにあだ名で呼ぶ文化もあるので、苗字、名前、真ん中の名前、あだ名という四種類が各登場人物で入り乱れるんです。「なんで入り乱れるの? 統一しないの?」と言うと、それは呼び方によって関係性が現れるから。それを統一しちゃうとロシア文学のニュアンス伝わらないでしょっていうことで、主人公の名前も何種類か出てくるし、ヒロインの名前も何種類か出てくるっていうことになるので、我々からすると、もうスヴィドリガイロフっていうのが人の名前なのか何なのか分からないっていう状態なのに、四種類出てきちゃうから、もう嫌いになっちゃう。だから読まないよってなるわけなんですよね。
重たそう。長い。名前が多くて分からない。これが『罪と罰』の最大の障壁になってるんですが、読んだらどうかと言うと、めちゃくちゃ面白いんです。これは面白いんですよ。嘘だろとお思いかもしれませんが、僕は読んでみて、なんかちょっと『デスノート』っぽいなとも思ったんですね。スリリングなんですよね。主人公のキャラクターと、その主人公を追い詰めるキャラクターが、ちょっとLとキラっぽいんですよ。その感じの面白さとか、「あ、これもしかしたら何かの作品みたい」みたいなね、ちょっとサスペンスっぽくもあれば、すごく哲学的でもあって。
このロシアという、この時代、19世紀のロシア、サンクトペテルブルクという首都で繰り広げられるドラマなんですけれども、それが今にも通じる、「うわあ、なるほどな」というものが分かりますし、その頃のキリスト教、これね、ロシア教ですよね。キリスト教、神とは何か? 罪とは何か? という普遍的な、我々も分かるようなことです。「なるほどな、それは苦しむね」みたいな、そういう悩みもしっかり入っていますので、全く遠い話ではないんですよ。すごくリアルな話として皆さん聞けると思いますので、ぜひお楽しみください。
そんな中で今回私が手に取ったのはこれですよ。漫画です。漫画だと薄いんですよ。ぜひこれ読んでください。「漫画でしょ?」って思うかもしれないですけど、読むと読まないじゃ大違い。筋を知ってると知らないじゃ大違い。今後の人生が大きく変わると思います。なんでかって言うと、『罪と罰』っていうタイトルは知ってるのに、皆さん読もうとしなかったわけじゃないですか。漫画もありますよ。でも漫画すらも読もうとしなかった。なぜなら今日この日、初めて知るっていう人が大半だと思うんですよね。
知っておきましょうよ。私の話を聞くだけ。聞くだけでもうね、『罪と罰』と言われても怖くない。「ああ、あの話だ」と言える。盛り上がれます。これから皆さんは「読んだことないの?」って言えます。「絶対読んだ方がいいよ、あれ」って言えます。でも「原作読んだの?」って言われたら黙りましょう。中田から聞いたとは言えないっていうね。そういう感じでいきたいと思います。さあ、行きましょう。
まずは主人公ラスコリニコフ。これが大学を中退した貧しい青年なんですね。頭脳は明晰なんです。ただ貧しいがゆえに大学を中退しなきゃいけなかった。そのことが彼にものすごく影を落としてるんですね。自宅から始まるんですよ。大家さんが家賃を取りに来てます。ドンドン。「おい、ラスコリニコフ、そろそろいるんだろ。家賃を払え」というふうに来てるわけですね。でもずっとしらばっくれて、狭い部屋にいるんですよ。ボロいボロい部屋です。もう狭い狭い部屋なんですよ。
主人公は「ここは棺桶だ」、そういうふうに思ってるわけですよ。「こんなボロいところに、未来もない、大学も中退してしまった俺が、貧しいまま生きてる。どうすりゃいいんだ」。思い浮かぶのは母と妹の顔ですよ。母と妹は地元にいるんです。サンクトペテルブルクってのは、言ったら首都ですよね。東京みたいなもんですよね。大都市ですよね。そこに来て大学に入ったものの、金がねえからといって中退してしまった。母と妹に合わせる顔もない。母と妹だって貧しいわけですよね。
なんていったって妹は、最近なんだか小金持ちの婚約者と結婚して、なんとかこの貧しい家を立て直そうとしてる。「なんかなあ、これでいいのか? 俺の家は」。そういうふうに思ってるわけですよ。そんな中、自分の才能は信じてるんです。「論文を書いたんだよ。大学を中退する前に書いた論文のことが、俺は頭から離れない」。それは「天才と法律の関係」というやつなんですね。「人類には二種類いる」。そういうこと言うわけですよ。
「人類には二種類しかいない。天才と凡人なんだ。そして天才というものと凡人というものは決定的に違う。凡人というものは従属するように生まれている。従属を好んでいる。そして人類を増やすため生産する。それだけのために生きてると言っても過言ではない。しかし天才は違う。一握りの天才が、そういった人間たちのステージを押し上げていった。革命を起こして。ある時はナポレオンが、ある時はモハメッドが、そういうものを変えてったじゃないか」と。
「感覚を変えてった。そういった革命的な天才たちは、それまでのルールを破壊し、乗り越え、また新しい秩序を作って、新しい世界に人類を連れて行ったから今がある。そうだろう? だとしたら法律って何だ?」。そういうふうに考えるわけですよ。「それまでのルールというものは、それまでの人間が縛られるべき規則にすぎない。天才というのは、それを破って新しいステージに行くのであるから、一握りの天才は法律を犯してもいい。少しの罪を犯しても、それ以上に人類に貢献することができれば、それは罪には問われない。そう私は信じてる」。そういう論文なんですよ。
かなり過激な思想ですよね。ある意味過激な思想。しかしそれをすごく信じてる。「でも自分が天才なのか凡人なのか、それが問題だ」。そういうふうに考えてるんですね。願わくば天才でありたい。そういうふうに思っている、貧しい、追い詰められた主人公ラスコリニコフ。金がないんですよ。金がないから、金貸しの老婆のところにもう一度金を無心に行くんですね。質草ね。何か、例えば価値のあるものを渡して、それを担保にお金を借りるわけですね。
それが期日までに返せなかったら、それは転売されてしまう。それを返してほしかったら、期日までにお金を利子をつけて返してください。そういう商売をやっている老婆。この老婆は金貸しで強欲なんですね。悪名高い老婆です。嫌われています。そんな老婆のところに金を借りに行かなきゃいけないんですね。アパートに住んでるんですよね。マンションがあって、階段上がって、「あのくそばばあにまた会わなきゃいけねえのか」と言いながら行くわけですね。
ドンドンって。「なんだい?」「ラスコリニコフです」「また来たのかい?」。そうなるんですね。親父の形見の時計を出すんですよ。「すいません。親父の形見の時計です。かなりいいものです。金を融通してください」となるわけですね。「なんだい?」って見て、「大したもんじゃないじゃないか、こんなもの。こんなの、これぐらいの価値しかないよ」と言って、二束三文の金を渡されるわけですね。「少ないですよ、これじゃあ」って。
「少ないなんて文句言うんだったらいいよ。別にやめたっていいんだから。あなたが頼んだから私お金渡してるだけでね。なんだったら帰ってちょうだい」「分かりました。分かりましたから」って言って、「くっそ、あのばばあ」と言いながら、その少ない金を持ってストレス発散しに酒場に行くんですね。居酒屋に行くんですよ。酒場ってやつですね。バーでちょっとした安い酒飲んでるんですね。そしたら向こうに酔っ払いのおっさんがいるんですよね。
「おい、あんちゃん、お前もなんかしけた面してるね。ちょっと一緒に飲んでもいいかい?」「ああ、いいよ」。一緒に飲むんですね。一緒に飲んだそのおっさんっていうのが元役人なんですよ。一生懸命役人になったんですね。でもとあることがあって、クビになっちゃったらしいんですね。クビになってしまってから、もう飲んだくれてるっていうね。そういうおっさんの文句を聞かされてるんですよ。
「俺はもうゴミですよ。クビになってから、もうろくでもない。酒ばっか飲んでんだから」「ろくでもないのは俺も一緒だよ」「いや、お前なんかよりね、あんちゃんなんかより俺はろくでもないんだよ。もう地獄だよ。なんていったってね、もう家族のものを全部売り払って、それで飲んでんだよ。働いてもいねえのに。俺なんかね、娘を娼婦にしちまったんだから」と言うわけですよ。「娘のソーニャをよ、娼婦にしてまで飲んでるクソ親父だよ」って言うわけですね。
「娘を娼婦にしてまで飲んでる? 地獄だな」。ソーニャという名前がここで頭に入るんですね。ソーニャは娼婦をやっています。家族のために働いている。そういう女の子の名前が入る。「ひどい生活のやつもいるもんだ」。そういうふうに思った。そんな上で家に帰ると、手紙が届いてるんですね。それが「妹が小金持ちの成金と結婚しようと思います」という報告の手紙なんですね。「あの縁談が進んでたのか」。でもその時、ふっとおっさんの話が思い浮かぶわけですよ。
「家族のためによ、働いてんだよ、うちの娘は」。自分の妹もですね、家を救うために小金持ちと、好きでもないかもしれないんですよ。おそらく好きでもないであろう小金持ちと結婚しようとして、家に金を渡すために。「一緒じゃねえか」って思うわけですよ。「俺だって一緒じゃねえか。あのおっさんとほとんど一緒だ。なんだ、俺は自分のことを天才だと思ってるのに、どうしてこんな身になってんだ? 俺が」となるわけです。
鬱々とした気持ちです。そんな中、考えがずっとよぎってるんですよ。「天才は法律を犯したっていいんだよ。特に悪人を殺したっていいと、俺はそう思ってる。あのくそばばあを殺して金を盗んだところで、俺がその後、人類に貢献するような成功をすれば、それは罪じゃないんだよ。そうだろう? こんな惨めなところにいる人間じゃないんだ、俺は」。そう思いながら家を出て街を歩く。
すると、その老婆にも妹がいるんですね。少し若い妹なんですよね。その妹が古着屋をやってるんですけども、その妹が町の人と話をしているのを見かけるんですね。「ねえ、何々さん、明日の朝手伝ってよ。もうあなたの人手がないと大変なんだから、うちの商売なんて」と言ってるんですね。「明日の7時ですか? 分かりました」とか言って、その老婆の妹が明日の7時にその用事を仰せつかっているという、引き受けてるってとこを聞くわけです。
「明日の7時に妹はいないのか。明日の7時、くそばばあは一人か」。パンッ、そこで「よし」っていう気持ちになるわけですね。「明日のチャンスはもうあそこしかない」。そう言って、「どうやって殺してやろう?」。もう殺すって気になってるわけですよ。「殺して金を取るんだ。そして俺が、自分自身が天才であるってことを証明するんだよ。よし」って言って、自分のジャケットの裏側に少し細工して、斧を引っかけられるようにしておくんですね。
「斧だ。ナイフもいいが、ナイフ、いや斧だ。一発で仕留められる斧をここに、ハンドアックスだったらかけられる。バレない。よし」と言って、次の日の朝7時、斧を仕込んで老婆のもとに行くんですね。ピンポン。「なんだ? こんな時間に」「またちょっとお金が必要になりまして」「またか? ついこの前じゃないかよ。あんた本当にダメだね。何を持ってきたのか、今日も見せておくれ」と言って、ぱっと後ろ向いたんですね。
「はい、今日持ってきたものを今お見せしますよ」。ドンッと、ここで斧で老婆を後ろから一撃にして殺すんですね。「はあ、はあ、よし。冷静だ。俺は天才だから、こんなことは何でもないんだよ。よし。老婆がいつも開けてる金庫の場所も、鍵をポケットに入れていることも知ってるんだ」。鍵をすぐに取って金庫を開ける。宝石と金が出てくる。「よし、それを全部ここに詰めて」。ガタン。音がするんですよ。ふっと振り向いたら、妹が立ってるんですよ。
いるはずないのに。「あれ? お姉さん? ええ? どうしたんですか?」。とっさに斧を持って、そのまま妹もドンッ。やる予定じゃなかったけど、ここは見られたからにはやるしかない。妹もバタンと倒れる。そのうち斧を洗うんですね。斧を洗って、そして金目のものは全部持ったと確認して、「よし、出なきゃ」っていうところで、下から人の声がするんですよ。
カンカンカンカンカン。「ああ、もう俺も金を借りなきゃいけないってことはよ」。金を借りに来た他のやつが来たんですよ。やばいですね。階段があるわけですよ。急いで、その階段から見えない死角のところに隠れて、そいつをやり過ごすんです。声からして、それは近くに住んでるペンキ屋の男だということは分かっています。「あのペンキ屋の男は行ったな。よし。あいつが騒ぎ出す前に降りよう」。
逃げるわけですね。ぱーっと逃げて、斧を元の場所に戻して、隠してあった納屋のところに入れて、家に戻るんですね。ものすごい心臓がバクバクいってるわけです。「やったぞ。完全犯罪だよ。見られてない。証拠も消した。そして第一発見者にも見つかってない。完璧だ。完璧だよ。よし。なんでこんなに胸がドキドキするのか分からないけど、もう大丈夫なんだ」。金と宝石を全部家の隅っこの方に隠して寝るんですね。そして翌朝が来る。
翌朝が来たら、ドンドンドン、来るわけです。ドンドンドン。「ラスコリニコフさん。ラスコリニコフさん」「なんだ? まさかだけど」。開けたら、マンションの他の住人が「ラスコリニコフさん、なんだ、いるんだろ? もうこんな時間だよ。いつまで寝てんだよ」「もうこんな時間か。何ですか?」「警察があんたを呼んでいるよ」「え!?」。びっくりするんですね。「もう? 早い、早すぎる」「行った方がいいよ」。行くんですね。「なんだろう? 別件かもしれないな。分からないけど。なんでか分からないけど、行くしかない」。
行ったら、その警察の人に「ラスコリニコフさん、よく来たね。あんた家賃滞納してるだろ? 大家に。だからその大家が、もうこれ以上家賃払わねえんだったら追い出すぞって訴えてきてるからね」。「別件だった。ああ、よかった。別件だった」「はい、分かりました。大丈夫ですか? それでどうなるんですか?」「だから、来月までに支払いしますと、この誓約書にサインしてくれれば大きな揉め事にならないから、サインしといて」「分かりました」。ラスコリニコフって書くんですね。
すると向こうで騒がしく、警官同士が話してるんですね。「いやあ、どう見ても犯人はまだこの近くにいるだろうな」。そういう話をしてる。老婆の殺人事件についての話を警察が話してるんですね。「いやあ、間違いないよ。顔見知りの犯行だ。ポルフィーリさんが言ってたから間違いない」。ポルフィーリという名前が出てきます。ポルフィーリ。顔見知りの犯行だ。そして犯人はまだ近くにいる。もう動いている。そしてエリアは絞られてきている。ドキドキと胸が高まる。家に戻る。
「よし、いや、このまま家に捜査に入られて、すぐに来るはずだ。顔見知りで、俺は金も借りてた。客の名簿もある。その上で家に来て、『家宅捜索させてもらいますよ』。すぐに出る。いかん、これは金と宝石を、とりあえず金をポケットに入れて、宝石を持ってどっかに隠さなきゃ。いや、もう捨てよう。捨てるしかない。もうこうなったら捕まらないことの方が大事なんだから」と言って、空き地の砂に埋めて捨てるんですね。「よし、これで大丈夫だ」。
そして帰る道すがら、「捨てた。俺は何のために殺したのか、もう分からない。少ない、いくばくかの金しかここにはない。価値の本当にあった宝石はもう捨てた。何だったんだ? 俺は英雄なんだ。俺は天才なんだよ。だから俺は、ああ、もうダメだ。なんでこんなにめまいがするんだ? もうなんだかよく分からない」。言ってる時に「おい、ラスコリニコフ」。ビクーン。「うわ、なんだ今度は?」。友達なんですよ。ラズミヒンです。大学の時の友達なんですね。
「ラスコリニコフ、久しぶりじゃないか。おい、大学やめて以来、元気してたか? おい、顔色悪いけど大丈夫か?」「ああ、ラズミヒンか。いや、ちょっとな、体調が悪くて」「おい、ちょっと? おい」。バターン、倒れちゃうんですね。「おい、大丈夫か? ラスコリニコフ」。そこからぱっと気づいたら、家に連れて帰ってくれてたんですね、ラズミヒンが。「大丈夫かよ、お前、いきなり再会したかと思ったら倒れてよ。大丈夫?」「ああ、大丈夫。大丈夫だけど」。
「でも知ってるか? お前、あの老婆が殺された事件。金貸しのばばあ、あの嫌われ者のさ、あいつとその妹が殺されたんだってよ」「ああ、そうか」「いや、でもさ、犯人捕まったな」「え? 捕まったのか?」「そうなんだよ。なんかあのペンキ屋の男が捕まったらしいんだよ」「捕まったのか? ペンキ屋が、どうして?」「おい、そこだけリアクションむちゃくちゃすごいな」。
「いや、なんかさ、ペンキ屋がばばあの宝石を転売しようと思って、盗品を売ろうとしたんだってよ。でもなんか一個しか持ってなかったんだよ。本人は拾ったんだって。階段のところで拾ったんだって言ってるんだって」。「確かに。あの時慌てていたから、もしかしたら一個落としたかもしれない」。「それを拾ったんだって言うんだけどよ、そこでもうお縄になっちゃって、今そいつが犯人じゃねえかっていうふうに思われてるんだけど。でもポルフィーリがさ、多分そいつじゃねえだろって言ってるんだって」。
「そのポルフィーリってのは誰なんだよ?」「ポルフィーリってのはさ、俺の親戚なんだよ。従兄弟なんだけど警察にいてさ、もう俺は鼻が高いよ。ポルフィーリってのは警察随一の切れ者だって評判なんだよ。もうポルフィーリにかかったら暴かれない犯罪はない。そんなふうな評判なんだよ。きっとポルフィーリが解決するだろうな」。ドクン。ポルフィーリ。気になるわけですね。
ペンキ屋は捕まった。しかしポルフィーリはペンキ屋が犯人じゃないと言っている。「ポルフィーリさんが言うんだから間違いないだろう」。信頼されている警察随一の切れ者は、どうやらペンキ屋を犯人だとは思っていない。「誰が犯人だって言ってるんだよ?」「いや、おそらくばばあから金を借りていたやつだろうなっていうことで、金を借りていたやつ全員をしらみつぶしに尋問してくって、そう言ってたよ」。ドクンドクン。「全員を尋問? まずい」。そういうふうに思うわけですね。
そんな中、一回外に出るんですね。外に出ると事故があって、騒ぎになってるんですね。「なんだ?」「事故だ、事故だ。馬車に轢かれたおっさんがいる」「馬車に轢かれたおっさんが?」。ぱっと見たら、酒場で一緒になった飲んだくれのおっさんだったんですね。「この酔っ払いが飛び出してきたんだよ。ベロベロになってきてよ」。もう血だらけで死にかけてるんですね。
警察も来てて、「身柄が分からない。これ誰か知り合いいないのか?」「知っています。役人のおっさんです。名前も確か聞きました。〇〇っていいます」「ああ、助かるよ、助かるよ。じゃあもう早くおっさんの家に運んで、医者も呼んで」という話になってるんですね。おっさんの家に行くんですよ。ばーって運んで、そしたらもう奥さんとちっちゃい子供たちが泣いているんですね。「あんた、バカ。いつかこうなると思って、このバカ。ううう、もう」って泣いてるんですね。
「ソーニャを呼んできて」って言うわけですね。ソーニャはその家に今は住んでいないんですよ。一人で別のところに住んでいて、娼婦として働いているということだったんですね。「ソーニャを呼んでくる」って言って、ソーニャが来るんですね。ソーニャが来て、「お父さん大丈夫?」って言って、その格好は露出度の高い格好をしてるんですね。娼婦の格好をしてるんですよ。「お父さん大丈夫?」って言ったら、お父さんは初めて、娘が娼婦として働いている時の格好を見るんですね。
「ああ、ソーニャ。そんな姿にしちまってすまない」と言って、死んでいくわけですよ。「お父さん!」。もう泣いちゃって、悲惨な目に遭っているそのソーニャが可哀想で、「あれが言っていた娼婦をやっている娘なのか。あんな純粋そうな子が」。はっと気づいたら、胸のポケットに金があるわけですよ。盗んだ金がね。宝石は埋めたけど、金はまだ少し残ってる。
「これ使ってください」「え? いや、そんな、悪いですよ。急にあなた、そんな、関係のない」「いや、いいですから。使ってください」「お名前だけでも聞かせてください」「ラスコリニコフです。何番町に住んでいるラスコリニコフです」「ありがとうございます。いつかお礼に参りますから」と言って、帰ってくるわけですね。そして家に帰ると、母と妹と、そしてラズミヒンが待ってたんですね。「おい、遅いじゃないか。母ちゃんと妹さんが遊びに来てるぜ」。サンクトペテルブルクまで来てたんですね。
母親が「ラスコリニコフ、どうしたの? もう3年ぶりに会ったのに、青ざめた顔して元気なさそうね」「ああ、分かってるよ」「何? いきなり怒るの? 機嫌悪いわね」と妹も言うわけですね。「反対だからな」。妹はドゥーニャって言うんですけどね。「お前の結婚に俺は反対なんだよ」「いきなり何よ?」「金だろ? 俺の学費がなくて、俺が大学を辞めたのをものすごく哀れんで、その金のためにお前は結婚するんだろ?」。
「あんなわけの分かんない、弁護士やってるかなんか知らないけど、小金持ちの男だろ? あいつの性格悪そうだぞ」「そんなこと言わないでよ。私はもちろん兄さんの助けになればと思ってるけど、きっといい人だと思うから」「きっといい人って、お前、大して知らねえじゃねえか、あいつのことを」「もうそんなこと言わないでよ。明日食事会するんだから、婚約者の弁護士と。食事会するから、その時は機嫌よくしててよ」「もういいんだよ、あいつは」と言うわけですね。
そんな中、トントンと、ソーニャが挨拶に来るんですね。「先ほどはすいません。ありがとうございました」って。全員が「誰だ?」って言うわけですね。「先ほど事故があって、それでどうのこうの」って説明するんですね。ソーニャも、そのラスコリニコフの部屋がすごく狭くてボロボロだってことに驚くわけですよ。お金をくれたわけですから、もしかしたらお金持ちの人なのかなと思ったら、ものすごく貧しい学生だっていうことをそこで知るんですね。
「ご自身も苦労なさってるでしょうに、あんなふうに恵んでいただいて、本当にありがとうございました」「いや、いいんですよ。別のとこに住んでるんですよね?」「はい」「そっちにもいつか遊びに行ってもいいですか?」。ちょっとソーニャに対して好意を持ち始めてるんですね。「はい、ぜひ来てください。本当にありがとうございました。お母さんも妹さんもすいません。そんな大事なお金を受け取って、本当すいませんでした」と言って、ソーニャは去るわけですね。
「でもあんたが信じた、いいことをしたんだからいいんじゃない? お金ないけど」っていう話をしてるんですね。そしたらラスコリニコフは、はっと思い出して、ラズミヒンに言うんですね。「そうだ。ポルフィーリに会わせてくれないか?」「え?」「ポルフィーリに会わせてくれ」「どうして?」「いや、あのばばあに俺は金を借りてたんだけど」「あ、そうなの? そうだったの?」「うん。その時質草に渡した親父の形見の時計。あれ取り戻したいから、ポルフィーリに会わせてくれ」と言うわけです。「ああ、分かった。じゃあ明日会いに行こう」。
考えがあったんですね。ラスコリニコフは「ポルフィーリの野郎、全然俺のところに来ないけど、きっとしらみつぶしにしてるはずだから、俺のことを睨んでるに違いないんだよ。俺の方から会いに行く。そして疑いを晴らしてやる。攻めてやるんだよ。天才が法律を乗り越える。俺が俺の手で完全犯罪をちゃんと成立させるんだ」と言って、翌日会いに行くんですね。「ポルフィーリはここの部屋にいるから」。ガチャンとドアを開けると、ポルフィーリが待っているんですね。
「会いたかったですよ」って言うんですね。すげえ雰囲気のやつがいるんですよ。「会いたかったですよ、ラスコリニコフさん」「どうも、ラスコリニコフです」「いやあ、会いたかったっていうのはね、みんなに声はかけたんですよ。お金を借りてる、あの金貸しの老婆に金を借りている全員に、ちゃんと書面を出してるんですよ。あなただけなんですよ。こっちに出てきてないの。最後の一人だから。さあ、どうぞ。こちらへ」って言って。ドクンドクン。「もうすでに疑ってる雰囲気が満々だ、この野郎」ということですね。
座るわけですね。「いや、ラスコリニコフさん、あなたすごく面白い人ですね」と言うわけですよ。「なんだ? 何がですか?」「あ、そうだ。今日は何をしに来たんですか?」「質草に入れてた親父の形見の時計をね、返してほしくて」「ああ、分かりました。親父さんの形見、それは大事なものを預けている。なんとか手配しますんでね。確認しておきます。あ、そうだ。あなたのことを面白い人って言ったのにはね、訳がありましてね」「何なんですか?」「論文を読んだんですよ」って言うわけですね。
「あなたが学生時代に出した論文。あれ面白いですね。雑誌に載ってたんですよ。ラスコリニコフの論文って言ってね。なんか面白い記事だなと思って。あの理論面白いですね。天才は法律を犯しても、人類の進歩につながるような功績を残せば罪に問われない。例えば戦争の英雄であるとか、宗教を改革したような人であるとか、そういうような人たちは、それまでの規範を破ってでも人類を進める権利と義務がある。そういうお話でしたよね?」「そうです」。
「面白いな。でもちょっと疑問があるんですよ」「何ですか?」「天才と凡人って、どうやって見分けるんですか?」「それは難しいですね。確かに顔を見ても分からないですし」「ですよね。見分け方が難しいとなると、問題が一つあるんだ。それは天才だと勘違いしている凡人が法を犯すってことですよ。そう思いませんか?」って言って。「確かに。凡人が罪を犯したら、それは問題ですね」。
「天才が法を犯す。なるほど。その天才って誰に裁かれるんですかね?」「それは天才が新たな法を作り、その法の中で自分を裁いていくんじゃないですか?」「なるほどなあ。面白いですね。ってことは、その天才と凡人の理論を発見したあなたも、天才ってことでいいんですか?」「僕がそうかどうかは分かりませんけど、そうかもしれませんね」「なるほど」。
「この犯罪は、もしかしたら天才の犯罪かもしれない」「どうしてですか?」「証拠がないんですよ。今のところ目撃者もいないし、証拠がない。物的証拠がね。こんだけうまくやるってのは、なかなか頭の切れる天才じゃないとできないと思いましてね。だから天才が犯したんじゃないかな、なんていうふうに僕は思ってるわけなんですよ」「そうですか」。
「ラスコリニコフさん、あなたもなかなか頭が切れるようですから、どうですか? 捜査に協力してくれませんか? 明日、署にもう一回来てくださいよ。あなたのアドバイスが聞きたいな。天才ラスコリニコフさん」って言うわけですね。「この野郎。俺をずっと疑いやがってね。ふざけやがって。でも証拠はないんだな。今のところ証拠はなくて困っている。それだけは確かだ」。そう思って家に帰るんですね。スリリングな、このラスコリニコフとポルフィーリの掛け合いが、この『罪と罰』、とても面白いです。
そして家に戻ると、「くそ、あのポルフィーリ」って思ってた時に、ドンドンドン、見知らぬ客が来るんです。ガチャン。「誰だ?」。ものすごい立派な格好をした豪華な紳士が立ってるんですね。「あなた誰ですか?」「私はスヴィドリガイロフです」。スヴィドリガイロフというのは、とてつもない資産家なんです。ところがあまり評判がよろしくない。自分の成功のためには手段は問わないというタイプだと、そういう噂を聞いたことがある。
「スヴィドリガイロフさん、何ですか? 何か用ですか?」「ええ、あなたの妹さんのことでね」。妹ですね。あの婚約者と結婚しようとする妹ですよ。「妹と何か?」「ええ。包み隠さずお話ししてよろしいですか? 私と妹さんの関係を」「何か?」「私はある時期、妹さんを私の屋敷で雇っていたんです。そして恋に落ちました」「恋? あなた、奥さんは?」「います。いたのです。ですが恋に落ちたのです。そういうことも人間はある」。
「ですが、それが妻にある時バレてしまいましてね。妻は全てをあなたの妹さんのせいにして、妻の親戚である弁護士と無理やり引き合わせて、私の屋敷から追い出したのです。私はどうしてもそれが気がかりでね。その婚約を潰してもらえませんか?」「え? 婚約を潰す?」「そして私をもう一度、妹さんに会わせてほしいんです。もし婚約を潰してくれたら、1万ルーブル差し上げます」「1万ルーブル。そんな大金を? 婚約を潰したら?」。
「いやいや、ちょっと待ってください。あなた、まだ奥さんいるんでしょう?」「いや、妻はついこの前死んだんですよ」「死んだ?」「病気でね」「病気で?」。病気で妻が死んだような顔には見えない。この男は何をするか分からない男だ。危険すぎる。「いや、その話は飲めません。金で妹の結婚を潰す。引き受けられません」「ああ、そうですか。でもこの額だけは受け取ってください。3000ルーブルあります」「3000ルーブル?」。
「うちの妻が生前、あなたの妹さんには悪いことをしたと言って、詫びのお金を渡したいと言っていたんですよ。なので、その3000ルーブルだけでも受け取っていてください。また来ます。私はどんな手段を使ってでも、妹さんに会いたいと思っていますよ」。バタン。恐ろしい男が現れたと思ってたんですね。そうしてたら、ラズミヒンがドンドンと、「おい、ラスコリニコフ、どうしたんだ? そんな怖い顔して。もう食事会の時間だぞ」。言われて、行くんですね。ラズミヒンも同席するということになりました。
ラズミヒン、そして母、妹、そしてその弁護士と自分。でも険悪な雰囲気なんですよ。最初からね。嫌いですから。この弁護士のこと認めてないですからね。「どうせ金で妹を買うような感覚なんだろう」と思って、嫌いな顔してるんですね。「もうちょっと空気重すぎない?」とか言って。「そうね、なんか違う話ないかしらね」みたいな時に、「あ、そうだ」ってラズミヒンが、「スヴィドリガイロフさんの奥さん、死んだらしいですね」って。また重い話なんですね。重い話に重い話。
「でもなんかスヴィドリガイロフさん、最近こっちの町にも来てるっていう、そういう話です。何の企みがあるんでしょうね?」って。妻が死んだ。そのスヴィドリガイロフが、すぐにこのサンクトペテルブルクに来ているという話をしてる。何かの用があるという話をした。それでラスコリニコフが言うんですね。「俺、会ったぜ」。ザワッ。「え? 会った?」「ああ。お前に会いたかったよ」。妹に言うわけですね。「それでこれを渡された」。ドサッ、3000ルーブル。
「3000ルーブル? こんな大金を?」「会ってやれば?」「いや、嫌よ。会いたくないわ。もう今さら怖い。お金も怖いし」。そうしたら、この弁護士が「私はもう帰っていいですかね? 不愉快だ。なんだかよく分からない」「え?」「私はね、正直、お兄さんと会いたくないって言ってただろう?」と言うんですよね、妹に。「お兄さんと会いたくないって言ってるのに、無理やり会わせるのはおかしいだろう。もうこんな会は二度と開かないでくれ。そして何? スヴィドリガイロフさん? そんな話ももう聞きたくないんだよ」。
「待ってよ。そんな言い方ないじゃない」って言うんですね。「そんな言い方ないじゃない、じゃないんだよ。俺に口答えをするな」。かなり強めに言うわけですよ。「口答えをするなってどういうことですか?」「ふん、3000ルーブルが手に入ったら、どうも強気じゃねえか」って言うわけですね。「何、あなた」「どうせ金目当てなんだろう?」。みんなの前でそんなことを言われるんですね。
そして「ふざけるんじゃないわよ。このクズ野郎。あんたとは別に、もう結婚したくない。そんな人だと思わなかった。帰ってちょうだい。二度と会いたくない」。そして「ふん、3000ルーブルで人って変わるもんだね」。帰るんですね。もう悲惨な空気ですよ。悲惨な空気の中で、「くそ、こんな状態だ。3000ルーブル。スヴィドリガイロフさん、きっと会いに来るぞ」「怖いわ」と言って終わるんですね。
そんな中、食事会が終わってから、一方スヴィドリガイロフは、ドスンドスン、サンクトペテルブルクを歩いて、「家に帰ろう。この町はやはり栄えている。繁華街もある。娼婦がそこら中にいる。罪の多い町だ。罪と欲にまみれた派手な町じゃないか」と言いながら、急場で借りた安いアパートに戻るんですね。「俺みたいな人間が住むところじゃないが、急場で借りられるのはこういうところしかなかった。まあ少しの間しかいないし、ここに帰るとするか」。
ってなったら、自分の隣の部屋にぱっと入る女がいたんですね。一緒に入る。ぱっと見たら娼婦の格好してるわけですよね。「娼婦の隣の部屋か。ふん」。ソーニャなんですよ。実はソーニャとスヴィドリガイロフは、たまたま隣の部屋にいるという中で、「ソーニャの家に行くよ」と言っていたんですよね。いつか遊びに行くと言っていたラスコリニコフが、食事会の後、傷ついて、「そうだ、ソーニャに会いたい」と言って、会いに行くんですね。
ドンドンドン。「遊びに来たよ」と言って、来たら、やはりそんなにいい家ではないわけですよ。「こういう家に住んでるのか」「そうなの」「君、自分の体を酷使してまで作ったお金を全部家族に預けて、自分はこんな生活をしてる。そんなんでいいのかい?」「しょうがないじゃない。それでいいの、私は」「あまりにもじゃないか、それは」って、ぱっと見たら、聖書が置いてあるんですよね。「君は神を信じてるのか?」と言うわけですね。
「そうよ。信じてるわ」「神を信じてるのか? こんな生活をしていて、神を信じてる君に、神は何をしてくれたんだよ? もうとっくに救ってくれてていいはずじゃないか。こんなのおかしいだろ」「それでも私は祈ることしかできないから」「君の家はもっとこれから大変な目に遭うんだよ。お父さんも死んじゃって。お母さんだって今具合が悪いらしいじゃないか。この後どうなるか分かってるのかい?」。
「君がずっとこの仕事を続けていけるとでも思ってるのかい? この後、君が仕事を続けていけなくなろうものなら。いや、このままだってきっと君たちの家族は、もう道に出て物乞いのような生活をしなきゃいけない。そういうふうになっていくはずなんだよ。それでも神を信じてるっていうの?」「私は祈るの。人間って誰しも苦しいじゃない。苦しくない人間なんていないわよ。だから私は祈りたいの」と言って、涙を流した時の顔があまりにも透き通って、ものすごい胸を打たれて、自然とすっと跪いている自分がいたんですね。
「どうしたの、あなた?」「いや、分からない。でもなんだか分からないけれど、君の顔を見ていた、今」と言うんですね。なんだかとても神聖な感じがしたんです。娼婦のその一言に、なんだか分からない。人を殺した自分。そして全ての苦しみがあるけれども「祈るの」と言ったその人の顔が、なんだか光って見えて、跪いちゃったんですね。「ねえ、立って」。
「この聖書はどこで買ったんだい?」。ちょっと興味を持ったんですね。そしたら、それを言うんですね。「リザベータさんにもらったの」。ボーンッ。「リザベータ?」。リザベータというのは、この老婆の妹なんですよ。「君はリザベータの友達だったのかい?」「そうなの。生前に私にくれて、それから私は救われるようにして、これ読んで祈ってたの。でもあんなことになっちゃって」。ドクンドクンドクン。この子を苦しめてるのが自分。そして一番神に背いてる自分がいるわけですよね。
「リザベータが死んだ」「そうだね」「ねえ、どうしたの? 顔色悪いわよ」「もしかしたら、君に会うのは今日が最後かもしれない」。そう、「明日来てくれよ」ってポルフィーリに言われてるからね。もしかしたらそこでバレて捕まるかもしれないっていう恐怖がずっとあるわけなんですよ。だからこそ、もう最後に誰かにでもすがりたくて会いに来たのがソーニャだったんですね。なんだかソーニャに会いたかったのは、救われたかったからなんですよ。だから何かしら救いを求めるようにして跪いちゃった。
「もう会うの最後かもしれないんだ」「どうしたの? 様子おかしいわよ」「でももし、また次に会えるような時があったら、君にだけは言いたいことがあるんだ。リザベータを殺した犯人を、君にだけ教えるよ」。ばっと去るんですね。「え? 犯人、なんで? あなたが知ってるの?」。バタン。帰ってくるんですね。「明日教えるから」。そしてついに対決の日が来るわけです。
警察に来るわけですよ。ポルフィーリが待ってるんですね。ギー、ガチャン。待ってるんですね。「ラスコリニコフさん、今日はどうしたんですか? 何しに来たんですか?」「何しに来たじゃねえだろう。あんたが協力してくれと言うから来たんだよ。なめやがって。なんか食えねえ顔してんな。そうやってあんたはな、俺を疑ってんだろ? それは分かってんだよ」。
「そうやって油断させといて、一気に急に俺から証拠を掴もう。そういうやり方をするのが警察のやり方だってのは、俺分かってるんだよ。尻尾出さねえからな」「そうですか。油断させといて一気に。なるほど。面白い。それはまるで斧のように。そうおっしゃりたいわけだ。ははは。でもそんなことしません。そんなことしてもね、頭のいいやつっていうのはボロを出さない。経験上分かってるんですよ」。
「頭のいい、理論で固める、そういう頭でっかちな理屈野郎を捕まえる秘訣。知りたいですか?」「なんだよ」。
何もしないんです。何もしないんですよ。すると頭のいいやつは考える。考えて考えて、どんどん追い詰められていくんですね。あほじゃないですから、あんなこともあるかもしれない。こんなこともあるかもしれない。そして気づくんです。泳がされてるんだって。泳がされてるんだと考えた瞬間にも、頭のいいやつはたくさんの可能性が浮かびますから。もう疑心暗鬼になって、とにかく精神がむちゃくちゃになる。頭が良いからね。
蛾と同じですよ。蝋燭の炎があり、そこに近づいていってしまう蛾がいる。もちろん火に触れたら焼け焦げてしまうから、触れはしないけれども、離れることもできない。ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、蝋燭の炎の周りを回って、そしてついには力尽きてぽとり。それを私が捉えるのです。
証拠はねえんだろう? なんだかんだ言ってるけど、証拠はないんだろ? 結局のところ、俺を侮るなよ。このクソ凡人が。俺は天才なんだよ。俺を捕まえれるもんなら捕まえてみろ、この野郎。
ガタンガタン。ポルフィーリさん。何ですか? 犯人が自白しました。え? ペンキ屋が自白したんですよ。全部俺がやりましたって。そんなバカな。おい、話が変わってきたぞ。ポルフィーリ。なるほど。随分どうしたんですか? こんな風に。分かりました。今から向かいます。またお会いしましょう。ラスコーリニコフさん。もう会うことはないでしょう。それは分かりませんよ。パタンとなるわけですね。緊張感がすごいです。
ところが、あの話がずっと巡ってるんですよ。蛾と同じですよね。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、パタパタパタパタ、そしてポトリ。そういえばずっと幻覚が見えてるんですよね。殺した時のこととかも、もしかしたらどこかで証拠が出るんじゃないかとかね。宝石を一つ落としてったこと、全部が気になって。そして気がついたらソーニャの家に行ってたんですね。
どうしたの? あなた。苦しいんだよ、ソーニャ。教えたいことがあるって言ったよな。犯人のことを教えたいって言ったよな。俺なんだよ。俺がやったんだよ。金を借りて、もう返せなくて、もうどうしようもなくて。でもあいつは誰からも嫌われる強欲なばばあだろ? だから殺しても誰にも恨まれないと思って。でも妹まで殺そうと思ってなかったんだよ。でも見られたから殺しちまったんだ。どうしたらいいんだ、俺は。
そうしたらソーニャがぎゅっと抱きしめるんですね。俺、人殺しだぞ? 大丈夫、あなたは世界で一番かわいそうな人だから大丈夫。大丈夫よ。俺、どうしたら……。償うのよ。償うしかないじゃない。俺に自首しろっていうのか? そうよ。神に、神に謝罪するの。そして今すぐ広場に行って、私が殺したと言って、あなたが汚した大地に口づけをして償うの。償いを始めるの。ついてきてくれるか? ついていくから、私どこまでもついてくから。あなたが捕まろうと、どこまでもついていくから、あなた。
そう言ってたら、ドドンドンドン。ソーニャの妹たちが来るんですね。お姉ちゃん、ちょっと大変なの。来て。外に行くんですね。外へ行ったら、路上でソーニャのお母さんが倒れてるんですね。そこではお金がなさすぎて、子供たちと一緒に物乞いをしてたんですよ。お金を恵んでください。お金を恵んでください。元々は役人の奥さん。いい家柄だったんですね。没落した貴族がみんなに蔑まれながら物乞いをしていた。でももうどうしようもなくなって、バタッと倒れた。お母さん倒れた。お姉ちゃん呼んできて。そういうことで、ソーニャを呼んできたんですね。もう惨めな惨めな母の死ですよ。お母さんが完全にもう死んでる。もう嫌、こんなの。
となった時に、スヴィドリガイロフが来るんですね。ドスンドスン。金をどさっと渡して、これで葬式でもしてあげなさいと言うわけですね。スヴィドリガイロフ、ラスコーリニコフさん、お話があります。ちょっといいですか? こんな時に……。路上に行くんですね。何ですか? お話というのはね、あなたについてです。告白した時に隣の部屋にいたのがスヴィドリガイロフだったのです。
面白いことを聞きましてね。聞かせてもらいましたよ。脅す気かよ。おい、お前脅す気か? 何が望みだ? 脅しはしません。むしろ自首を止めに来たんです。私はお金がありますから。どうです? 外国に逃げませんか? 外国にあなたとあなたのお母様とあなたの妹さんと、この私で。妹が望みなのか? お金はありますよ。一緒に外国に行きましょう。あなたの妹さんをください。そうすればあなたの罪は霧と消えるわけですから。どうですか?
断る、断るよ。天才には天才の誇りがあるんだ。そこまで落ちぶれてはいない。そうですか。私は私でまだ考えがありますから。ご自由に。お別れするんですね。
そして、自首をしようかどうかって言って悩んでるラスコーリニコフがいるんですね。翌朝コーヒーを飲んでるんですけど、全然味がしないわけですよ。自首するのか? 天才や英雄というのは、体がブロンズでできてるんだ。何にも傷つきはしない。たとえ多くの人間の命を奪おうが、ナポレオンはそれで一個も傷つかなかった。そして死んだ後、そういった天才や英雄はブロンズ像になって崇められるんだ。そう、天才はブロンズでできてる。なのに俺はなんでこんなにも震えてるんだよ? くそ。
と言った時に、ラスコーリニコフさん。ポルフィーリが来るんですね。こんなところで。ちょっとお茶よろしいですか? お茶を一緒にするんですね。町ではもうあの事件の噂がひっきりなしでね、あの噂が飛び交っているんですよ。こう飲みながらね、あの事件のさ、犯人結局ペンキ屋だったらしいな。あのばばあを殺したのペンキ屋だったってよ。ちょっとした宝石だよ。殺すなんてあいつもバカだよなあ、みたいな話をしてる。もうペンキ屋だってことになってるんですよね。
それで、ラスコーリニコフが、こんなとこ来たって無駄ですよ。証拠はないんですから。俺の勝ちなんですよ。俺の勝ち。ラスコーリニコフさん、あなたの勝ちじゃないでしょう。あなたの勝ちだとしたら、なんであなたずっとこんな目に遭ってるんですか? あなたがずっと苦しんでるのはなんでですか? 法律からは逃れられても、人の作った罰からは逃れられても、罪を犯したという苦しみから逃れることはできないんです。一日だけ猶予をあげます。自首してください。さもなくば必ず捕まえる。ガチガチガチガチガチ。
一方その頃、スヴィドリガイロフの家に来客があるんですね。妹なんですよ。手紙を持ってきてるんです。スヴィドリガイロフから送られた手紙なんですね。中には、お前の兄が真犯人だという証拠を掴んでるっていう手紙なんですよ。スヴィドリガイロフさん、何ですか? この手紙。聞いたんですよ。この隣が、とある娼婦の部屋でしてね。たまたま聞こえたんです。ソーニャという娼婦。あなたもご存じじゃないですか? 知ってるよね? 聞いてしまったんだよ。でも君のお兄さんが犯人だということを私は言いたくない。だからもう一度私のところに戻ってきてくれ。
そうしたら妹が、懐から拳銃を出すんですね。戻りません。戻りません。あなたはおかしい。あなたはおかしい。どうしてそんなものを持ってるんだ? あなたの奥さんが生前に渡してきたんですよ。あいつはやばいやつだから、いつかまたあなたの前に現れるから持っておきなさいって。奥さん殺したのもあんたでしょう? あんた、あんた。あんたそういう人間だから。やめなさい。撃つ覚悟があるのか? パーン、撃つんですね。パーン。本気ですから。分かりました。じゃあ撃ちなさい。愛した女に撃たれるなら私も本望だ。撃ちなさい。もう関わりたくない。バーン。銃を捨てて、帰りますって帰るんですね。
そしてそのスヴィドリガイロフは、あああ、言った後に、銃を拾ってバーン、自殺する。自殺をしたスヴィドリガイロフ。一方ソーニャ宅では、ラスコーリニコフが震えてるんですね。俺行ってくる。俺行ってくるよって。分かった。大丈夫だから。そして警察署に入るんですね。ラスコーリニコフさん、どうしたんですか? 金貸しのばあさんをやったのは、そしてその妹をやったのは俺です。そしてラスコーリニコフは逮捕されることになりました。
そして、自首したら刑は軽くするからなとポルフィーリの言った通り、死刑にはならず減刑され、シベリアで懲役を食らうことになったんですね。それも八年というさほど長くない年数でした。しかしこのラスコーリニコフには長い長い辛い日々が始まりました。そこでも孤独な日々が待ってるんですね。ところがここにソーニャはついてきてたんですね。ソーニャはシベリアのその刑務所の近くに住んで、ずっと面会に来てたんです。心を開けないラスコーリニコフでしたが、ずっとその孤独の中で病に伏せるんですね。
そして病から目が覚めた時に、面会に来ていたソーニャの手を握るんです。ソーニャ。ソーニャ、ごめんな。ソーニャがちょっと頷いて、その手を握るんですね。そしてその足元に聖書があるわけですよ。膝には聖書が置いてあるんですね。神なんて信じない。そう言っていたラスコーリニコフの心の中に、何か違う感情がまた芽生えてきている。自分がソーニャを愛しているという気持ちと、そしてまた違う気持ちが自分の中に目覚めつつあることを、ラスコーリニコフは知った。これが『罪と罰』でした。以上でございます。ありがとうございました。
さあ、いかがでしたでしょうか。本編は非常に長くて、心理描写ですとか物の描写とか、あと細かく省いたカットとかもたくさんあるので、ぜひこれを聞いてから、漫画も読んで、その上でいよいよ本当の、実際の小説を読んでいただければと思います。文章はとてつもなく美しいんですよ。
ドストエフスキーはデビュー作こそ才能があると評判になったものの、二作目、三作目が鳴かず飛ばずで金がなくなり、その上で政治犯として捕まり、出てきてやぶれかぶれになり、ギャンブルにはまったり酒にはまったりして、そこから無理な資金集めのために、出版社にもうとにかく小説書くから金を前貸してくれって言って、何作も引き受けてたんです。だから大量の本を作らなきゃいけない。契約通りの長編を大量に作らなきゃいけないということで追い詰められていたドストエフスキーが、とてつもないスピードで喋った言葉が、この『罪と罰』になっているというお話なんですね。
さあ、このドストエフスキーの『罪と罰』、この話はまるまるテーマの中に聖書が出てくるのですが、聖書の一つのエピソード。楽園を追放されるというアダムとイヴ。そして原罪を得るという、そういうストーリーにも基づいているとも言われていて、かなり複雑な構成というか、多面的な構成になってると言われています。この話自体もキリスト教をテーマにしている。神と救済、罪というものをテーマにしているし、この話自体も聖書のストーリーに合致している。そしてキャラクターの名前にもたくさんの仕掛けが込められていて。なるほど、ここまで考えている。ものすごい緻密な、ものすごい緻密な膨大な小説が、たった一人の追い詰められた天才によって作られたという。そこも含めてものすごく興味深いので、ぜひご一読と思います。
いかがでしたでしょうか? 僕はこのポルフィーリが大好きですね。蛾と同じなんですよ。最高ですね。斧でやるみたいに? そんなことはしません。頭のいいやつはそんなことでは引っかかりませんからね。その代わり、面白いですね。あの瞬間一番好きでしたね。ぜひ読み直してみてください。ではまた。
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