新選組はなぜ人気があるのか――中田敦彦が語る「破れる美学」と試衛館の青春群像劇
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY中田敦彦は「エクストリーム日本史」の一回として新選組を取り上げ、なぜこの集団がこれほど人気を集めるのかを問う。中田の答えは、新選組が「負けた側」であり、しかも「仲間たちの集団」だという点にある。敗者の物語と青春群像劇が重なる場所に新選組がある、というのが中田の立場だ。最盛期には数百人いた隊士を、今回はほぼ6人に絞って物語として語っている。
判官贔屓と「負けた側」のスター
中田はまず「判官贔屓」という言葉から話を始める。判官とは源義経の役職名で、義経に肩入れすることから転じて、弱い者や負けた側を応援したくなる日本人の気質を指すと説明する。頼朝より義経、藤原時平より菅原道真、勝った徳川軍より真田幸村というように、日本史上の人気者は負けた側に多い、と中田は指摘する。
新選組もその系譜に連なる「負けた奴ら」であり、そこに仲間たちの青春群像劇が加わる。中田はこれを「破れる美学と青春群像劇の交差点」と表現し、人気の理由をここに見ている。
一方で、新選組のイメージは最初から良かったわけではないとも語る。明治政府に与せず幕府側につき、新政府を苦しめた集団だったため、明治に入ってすぐは「ならず者集団」「人殺し集団」と見られていた。それが時間をかけて人気を取り戻し、「時代と共に散っていった美学の男たち」として語られるようになった。歴史上のイメージは時代によって変わるという点も、中田はこの話の面白さとして挙げている。
なお中田は、新選組のファンには「なぜあの人物がいないのか」と思う人もいるだろうと断ったうえで、今回は新選組の名前は知っているが中身はよく知らない人に向けた入門として、登場人物をかなり絞っていると説明している。参考文献は『マンガ 面白いほどよくわかる!新選組』である。
試衛館と農民の子・近藤勇
物語の舞台は、江戸の市谷あたりにあった試衛館という道場から始まる。黒船が来航し、泰平の世が揺らぎ始めた幕末の話である。
この道場に、宮川勝五郎という農民の子がいた。中田が紹介するのは、勝五郎の家に夜中に窃盗団が入ったときの逸話だ。兄がすぐに取り押さえようとするのを勝五郎は止め、泥棒は入った直後は気が立っているが、出ていく瞬間には気が緩むから、そこを狙うべきだと言う。実際にその瞬間に斬りかかって何人かを叩きのめし、兄が逃げる者を追えと言うと、今度は「窮鼠猫を噛む」と言って深追いを止めた。この押し引きの判断が村中で評判になったという。
この話を聞いた試衛館の3代目師範・近藤周助は、勝五郎を4代目に指名し、養子に迎える。農民の子でありながら武士道を分かっている、という評価だった。この勝五郎こそ、後の新選組局長・近藤勇である。中田は、近藤が農民の子であり、武士道に強い憧れを持っていたことを「ここ大事」と強調する。
近藤の人望のもとには、土方歳三、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一など、さまざまな流派の者が集まっていた。新選組ができてから徐々に人が集まったのではなく、小さな道場に主要な面々が最初から揃っていた。中田はこれをドラマチックだと語る。彼らは身分が低く、侍に憧れながら、いつか名を成したいと稽古に励んでいたというのが中田の描く試衛館の姿である。
浪士組の募集と「壬生浪士組」の成立
そこに訪れたのが浪士組募集という機会だった。将軍・徳川家茂の上洛にあたり、その護衛となる者を身分を問わず募集するという話である。中田は、家慶・家定・家茂・慶喜と並べて家茂が最後から2番目の将軍だと整理している。試衛館の面々は、身分を問わず将軍を守れると沸き立った。
ただし中田は、身分を問わず募集しなければならないほど徳川家が衰えていたことの表れでもあると指摘する。11代将軍・家斉のころから浪費が進み、求心力と財政が崩れていったという見方だ。
京都に集まると、試衛館以外にも腕自慢の若者が大勢いた。ところが、浪士組を募集した張本人が時勢を見て方針を変え、集めた武力を将軍警護ではなく朝廷の警護に使おうとした。話が違うと帰る者もいれば、朝廷警護でもよいという者もいた。近藤たちは、徳川を守ると決めて来た以上、いきなり鞍替えするのは侍のすることではないと考え、その一派とは決別しつつも京都に残った。
このとき近藤に近づいてきたのが芹沢鴨である。中田によれば、芹沢はかつて天狗党に関わって一度捕まり、恩赦で出てきた腕自慢の男だった。そこへ京都守護職の会津藩主・松平容保が登場する。中田は京都守護職を「京都県警の長官」のようなものと例える。当時の京都は尊王攘夷派によるテロが多く、警備がいくらあっても足りなかった。幕府を守りたいと言って離脱した者たちがいると聞いた容保は、彼らを自警団として使うことにする。こうして「壬生浪士組」が生まれ、近藤派と芹沢派のツートップ体制となった。
八月十八日の政変と「新選組」の名
空気を変えたのが八月十八日の政変である。中田は、尊王攘夷・公武合体・佐幕・討幕といった言葉の意味が時期によって入れ替わるため幕末は分かりにくいと前置きし、「立場がぐるぐる変わる」とだけ覚えておけばよいと話す。最初は外国船も幕府も打ち払い天皇中心でいこうという考えだった長州や薩摩が、後に外国を打ち払うのは無理だと悟り、幕府打倒へと方向を変えていく。
政変の当時は、天皇と幕府が提携する公武合体路線が主流で、皇女和宮を将軍に嫁がせるような融和策が進められていた。その中で過激な長州が京都から追放される。壬生浪士組もこれに動員されて働き、評価された結果、朝廷から「新選組」という名を与えられた。ただの道場の若者たちが役割と名を得たことを、彼らは非常に喜んだという。
だんだら羽織と局中法度に込められたもの
この頃に作られたのが、あの有名な羽織と法度である。中田は、羽織の色と柄を読み解けばこの集団がどういう集団か分かると語る。
ギザギザのだんだら柄は赤穂浪士に憧れたものだと中田は説明する。赤穂浪士は主君のために復讐する物語であり、儒教を背景に、命を捨てても忠義を取れという教えの最たる例だ。つまり新選組は最初から「現代版赤穂浪士」の意気込みだったという。浅葱色については「一説によると」と断ったうえで、切腹のときに着る色だとし、死ぬ覚悟の表明だと解釈する。中田はこれを真田幸村の六文銭になぞらえる。三途の川を渡る船賃が六文だという仏教の伝承から、六文銭の旗は死ぬ準備ができているという意味だと説明し、赤穂浪士の忠義と真田の命知らずの両方が羽織に込められていると読む。背中の「誠」の字も、儒教や武士道の忠義から来ていると中田は見る。農家の子供たちにとって侍がどれほどの憧れだったかの集大成のような服だ、というのが中田の評価である。
局中法度については、「士道に背くまじきこと」を含めて五箇条とする説と、含めず四箇条とする説があると紹介する。四箇条は、局を脱することを許さない、勝手に金策をしない、勝手に訴訟を扱わない、私闘をしない、というもので、中田は要するに「トラブル御法度」だとまとめる。隊士たちがざわついたのは、違反者に切腹を命じると定められていたからだ。切腹は武士が誇りを持って死ぬ方法であり、平民はしない。中田は、切腹を罰とすること自体が「俺たちは武士だ」という強い宣言だったと読む。
芹沢鴨の暗殺
新選組となった後、問題になったのが芹沢の素行だった。中田の描く芹沢は、近藤を見下しつつも、リーダーシップとカリスマ性を持つ人物である。しかし酒乱の気質があり、酔うと壬生浪士組の名を語って放火したり金を脅し取ったりしていたという。
公式の組織になった以上このままではまずいと近藤側が容保に訴えると、容保は芹沢の処遇を彼らに任せた。中田は、近藤が殺すことをためらい、土方が「あんたがトップじゃないと困る」と背中を押す場面を演じている。新選組の最初の仕事は、ツートップのもう一人を殺すことだった。
遊女と宴会をして酔って寝ていた芹沢の部屋に近藤派が踏み込み、天才剣士・沖田総司が斬りかかる。中田は沖田を、普段は陽気でやや病弱だが若くして剣の天才という人物として紹介する。最初の一撃で芹沢は死なず反撃したが、土方らが加わり暗殺は成功した。
池田屋事件と沖田の喀血
その後新選組は京都で過激派の取り締まりを進める。捕らえた一人を拷問すると、尊王攘夷派が集まって京都に火を放ち、京都守護職の松平容保を殺し、孝明天皇を誘拐して長州に連れ帰り、長州を官軍にするという計画が明らかになった。中田はこれを「未曾有のテロ」と呼ぶ。
決行前の集会がある旅館を探すため、新選組は近藤・沖田のチームと土方らのチームに分かれて旅籠を一軒ずつ改めた。池田屋を見つけたのは近藤・沖田のチームで、そこから1〜2時間に及ぶ斬り合いになった。近藤の愛刀・虎徹は、この後ノコギリのようにギザギザになっていたという。土方たちも駆けつけ、何人かを討ち取り、残りを捕縛した。
中田がドラマチックな場面として挙げるのが、斬り合いの最中に沖田が血を吐く場面だ。斬られていないのに血が出ている。これが後の悲劇を予感させるシーンとしてよく描かれる、と中田は紹介している。池田屋事件で新選組の名は京都に轟き、入隊希望者が増えて組織は拡大した。
山南敬助の脱走と切腹
しかし組織の拡大とともに、内部のごたごたも増えていく。中田はこれを「光が影を生む」と表現する。
副長は土方と山南敬助の二人いた。山南は法度を定めたときから切腹は厳しすぎないかと言い、土方は烏合の衆をまとめるにはこれくらい必要だと応じていた。近藤が注目されるにつれ、勝気な永倉新八は近藤が天狗になっていないかと揉めがちだった。
そこに入ってきたのが伊東甲子太郎である。別の流派で腕利きとして鳴らし、水戸学を極めた文武両道のエリートだった。伊東には尊王思想があったが、当時は公武合体の最中で、過激派でなければ尊王と佐幕はそれほど乖離していなかったと中田は説明する。ところが入ってみると新選組は完全に幕府側の空気で、伊東は違和感を覚える。しかし脱退すれば殺される。腕の立つ伊東は入ってすぐ、副長とほぼ同格の参謀に就いた。
これに気を病んだのが山南だった。土方とはやり方で衝突しており、しかも病を患い始めて池田屋事件に参加できず、立場を失っていた。そこに伊東が参謀として入り、自分はいなくてもいいのではと思うようになった。ある日、山南が何日も戻らないことが発覚する。脱走である。
近藤は、山南と一番仲の良かった沖田に捜索を命じる。沖田は山南を見つけ、自分が土方に話すからと連れ帰るが、土方は鉄の掟だとして切腹を求め、山南もそれを受け入れる。山南は介錯に沖田を指名した。幹部であっても武士道に違反すれば死ぬことを、友が友の首を斬る形で見せつけたのである。中田は、新選組の群像劇は討幕派との戦いだけでなく、芹沢や山南のような「完全なる仲間内」の争いが多く、そこが悲しく、目が離せないところだと語る。
薩長同盟と孝明天皇の崩御
池田屋事件の後、時代の流れが大きく変わる。中田は、教科書で薩長同盟を見ても「仲良くなったんだ」くらいにしか思わないだろうが、実は画期的なことだったと強調する。
長州は朝廷とも幕府とも対立する「反逆児」だった。長州も薩摩もそれぞれ外国と揉めて、勝てないと悟った。外国を打ち払う路線がないなら、外国の武器を買って力をつけ、日本を内側から変えて外国から守るしかない。当時、清が列強に分割統治されていくのを見て、日本も英仏に分割統治されるという強烈な恐怖を薩長は抱いていた、と中田は説明する。こうして薩長は攘夷から討幕へと意思を統一した。
同時に新選組に逆風が吹く。孝明天皇の崩御である。中田によれば孝明天皇は穏健派で、公武合体で国内を穏便に治めようとしていた。だからこそ新選組は朝廷からも幕府からも公式の団体と認められていた。後ろ盾を失うのと、ライバルが手を結ぶのが同時に起きたのである。
伊東甲子太郎の離脱と油小路事件
この状況で動いたのが伊東だった。中田によれば、伊東は先が読める人物で、このまま幕府側にいれば殺されると考えていた。しかし抜ければ山南のように殺される。そこで伊東は、朝廷を守る御陵衛士という部隊を組織し、その任を命じられるよう調整した。朝廷からの命令なら抜けても御法度ではない。近藤も朝廷の命に反するとは言えず、了承した。すると伊東は、志を同じくする者も連れていきたいと言い出し、15人を引き連れて離脱する。そこには試衛館以来の主力の一人・藤堂平助や、斎藤一も含まれていた。
ところが伊東も楽ではなかった。朝廷側の勢力から、幕府の犬と言われる新選組に数年いた者が本当に朝廷の味方なのかと圧力をかけられる。忠誠を示すため、伊東は近藤暗殺を計画する。近藤さえ殺せば新選組は烏合の衆になり、御陵衛士に流れてくるだろう、という読みだった。
この計画を近藤に知らせたのが斎藤一である。斎藤は実は近藤の指示で御陵衛士に入っていたスパイだった。中田は斎藤を、普段は寡黙な仕事人だが、三番隊隊長を任され、剣の腕は沖田や永倉と並び、誰が一番かは意見が分かれるほどの実力者として紹介している。
近藤は伊東を飯に誘い、新選組は伊東がいなくなってボロボロだとあえて弱く見せて酒を飲ませる。帰り道の油小路で土方や沖田が待ち伏せし、伊東を斬った。新選組は遺体をあえて路上に放置し、駆けつけた御陵衛士を襲撃する。何人かが殺され、何人かは逃げた。これが油小路事件である。中田は、黒船も来て外国が迫っているのに内乱ばかりしていて悲しい、と語る。
大政奉還と王政復古の大号令
次の転換点が大政奉還である。中田は、これを薩長の武力討幕を鎮めるための徳川慶喜の「苦肉の大作戦」と解釈する。徳川家も朝廷の家臣の一つという形にし、幕府をなくしてしまえば、薩長が幕府を潰す理由がなくなる。しかし朝廷は長く政治をしていないので実務はできず、形式上は返しつつ実際には徳川が仕切る、という狙いだったと中田は語る。
これに対して薩長は「返す刀の大技」として王政復古の大号令を出した、と中田は説明する。名目だけでなく、徳川の領地と役職も没収するという内容で、中田はこれを大政奉還封じであり「攻めすぎ」だと表現する。その背景として、関ヶ原で味方しなかった藩を遠くに置き、参勤交代で毎年江戸まで来させた徳川の支配体制への、長州・薩摩の約300年の恨みがあったと中田は語る。
中田によれば慶喜自身はかなり冷静だったが、周囲が収まらず、大坂城にいた慶喜の側と新政府軍の戦いが始まる。これが戊辰戦争の始まりである。
鳥羽・伏見から甲州勝沼、流山へ
鳥羽・伏見の戦いで新政府軍は銃を持ち、戦いにならなかった。しかもこのとき近藤は、油小路事件の後あたりに路上で過激派に肩を銃で撃たれ、戦線を離れていた。沖田は体が弱っていき、当時不治の病とされた肺結核だと分かる。近藤と沖田を欠いた新選組を、土方が率いて戦った。装備の差は桁違いで、決着はあっという間だった。さらに戦いの最中、慶喜は松平容保を連れて船で江戸に逃げていたという。
次に新選組は、山梨の甲府城を先に押さえて盛り返す作戦に向かう。しかし中田によれば、幕府側から甲府行きを命じられた時点で、甲府はおそらくもう駄目だという状況だった。それでも行かせたのは「お前らはどうでもいい」というメッセージでもあったらしい、と中田は語る。慶喜は平身低頭で次の時代を生き延びたいと考えており、江戸城も無血開城する。その慶喜と、幕府に命を懸ける新選組とのあいだにはギャップがあった、というのが中田の見方だ。
甲府城はすでに板垣退助率いる1300人の新政府軍に取られていた。対する新選組の残党は200人。病床の沖田を残して近藤は出陣したが、最新兵器に撃たれて撤退する。士気は崩れ、永倉は会津へ行って立て直そうと提案するが、近藤は指示を受けていないと退ける。新選組は「甲陽鎮撫隊」と改称させられ適当な扱いを受けていると永倉は反発し、近藤が鳥羽・伏見にいなかったことまで持ち出して口論の末に離脱する。一番隊の沖田は病気、二番隊の永倉は離脱という状態になった。
近藤にとって最後の戦いは下総流山だった。すぐに包囲され、近藤は切腹を覚悟するが、土方は近藤だけは生きてくれと頼む。「誠」は近藤についていくという忠義なのだから、その字を消さないでくれ、という趣旨である。土方は、近藤には「大久保大和」という偽名で捕虜になってもらい、自分は新政府軍にも顔が利く幕臣・勝海舟に会って解放を働きかける、という策を立てた。
近藤勇と沖田総司の死
土方は勝海舟のもとへ走り、大久保大和という侍を助けるよう嘆願書を書いてもらう。しかしその間に、牢を見回っていた兵士の一人が近藤の顔に気づく。油小路で逃げ延びた元御陵衛士が新政府軍に加わっていたのである。
近藤は大悪人として処刑される。切腹は許されず、農民の出だろうと言われ、斬首されてさらし首になった。武士になりたいと願い、切腹を武士の証とした近藤が、最後に切腹を許されなかったという結末である。
中田はここで、鳥羽・伏見で多くの者が心を折られた理由として錦の御旗を挙げる。真っ赤な地に金色の日の丸、金色で天照大神と書かれた旗で、朝廷に仇なす者を討つ部隊に朝廷が与えるものだと説明する。日本を守ろうとしていたはずの自分たちに、なぜその伝説の旗が向けられているのか。侍に憧れ、「誠」を掲げていた者たちが逆賊とされたことを、中田は悲しい死と表現する。
さらに悲しいのが沖田だと中田は続ける。沖田は近藤の死を知らされないまま療養を続け、時を同じくして亡くなった。土方は、勝の手紙を握りしめたまま、後に二人の死を知る。
会津、そして箱館五稜郭
永倉もおらず、近藤も沖田もいない。土方と斎藤は松平容保の会津藩へ向かい、会津戦争が始まる。新政府軍の攻勢で会津は落城寸前となり、土方は仙台へ行って東北の連合に援軍を求めようと斎藤を誘う。だが寡黙な斎藤は初めて自分の意見を言い、ここまで育ててくれた松平容保の藩を守って死ぬと告げる。こうして土方と斎藤も別れ、試衛館の仲間は全員ばらばらになった。
仙台に渡った土方は、旧幕臣の榎本武揚と出会う。新政府はやりすぎだ、蝦夷地で不満を持つ者を集めて新しい国家を樹立する、という榎本の計画に乗り、北海道へ渡る。新政府軍は英仏から得た武器で最後まで手を緩めなかった。最後に土方は箱館五稜郭に立てこもり、撃たれて死ぬ。中田はその場面を、土方が近藤に会いに行くと言って死ぬ形で演じている。逆賊・新選組は全滅し、恐ろしい人殺し集団として悪名が流布された。
斎藤一と永倉新八が生き延びた後
しかし話はそこで終わらない、と中田は続ける。斎藤一は生きていた。会津落城後、名前を変えて降伏し、警視庁に入って明治政府の配下となり、西南戦争で西郷軍と戦い、その後は学校の教員や剣術の指南役をして、静かに年を取って亡くなったという。
もう一人の生存者が永倉新八である。明治の世で、新選組がいかにひどい集団だったかという悪評を聞きながら老いていく。寡黙な斎藤と違い、勝気な永倉は黙っていられなかった。小樽でひっそり暮らしていた永倉は、老人になってから新聞で連載を始め、新選組とは何だったのかを語り出す。中田は、その連載のサブタイトルが「昔は近藤の友達、今は小樽で隠居中」という陽気なものだったと紹介している。
この連載をきっかけに、新選組は単なる人殺し集団ではなかったと人々が興味を持ち始めた。中田が皮肉として強調するのは、名誉回復の足がかりを作ったのが、近藤と反りが合わず喧嘩ばかりし、途中で松平容保に近藤の行き過ぎを訴える嘆願書まで出し、最後には離脱した永倉だったという点である。
時代に乗り移れなかった「不器用な男たち」
最後に中田は、新選組が何者だったのかについて自分の解釈を示す。彼らは天皇に反旗を翻そうとしたわけでも、日本を潰そうとしたわけでもない。中田によれば、江戸時代以前は仏教と神道の習合したものが国民の倫理を形づくっていたが、江戸時代には儒教と侍道が倫理を担った。主君に尽くして死ぬのが侍だと徹底的に教え込まれた子供たちが、その倫理のど真ん中にいた。教えを守りきった結果、いつの間にか逆賊になっていた。あまりにも侍だったために時代の大きな変化に乗り移れなかった不器用な男たち、という見方が、その後の日本人の心を打ったのではないか、と中田は語る。
そして中田は、これは現代にも通じる話だとする。ある時までは正しかったことが、時代が変わると古い、駄目だと言われる。自分が間違っているのか、信じるものを守り通すべきなのか、と揺らぐ人は多い。価値観が揺らいでいる今の日本で、今の価値観を守り通すのか、時代に合わせて乗り移るのかを選ぶための一つの教科書に、新選組の物語はなっているのかもしれない――中田はそう問いかけて話を締めくくっている。
どうも中田敦彦です。今日も早速参りましょう。エクストリーム日本史、新選組編。土方。ありがとうございます。なぜ土方だけ言ったのか分かりませんけどもね。
新選組って言ったら、その名を知らない人はいないぐらい、ものすごい日本史上で人気のあるグループですよね。ここなんですよ。人気のあるグループであるってところがすごい面白くて、人気がある。なぜ人気あるのか? グループである。ここなんですよ。人気があるグループ。なんで人気なのかなんですけど、これね、悲劇なんですよ。負けてる側なんですよ。
判官贔屓って言葉、聞いたことありますかね? 日本人は弱いものが好きだっていうね。この判官贔屓の判官っていうのは、元々は源義経。義経の役職が判官っていう役職だったんですよ。義経贔屓っていうことで判官贔屓。それが弱いものに味方したくなる、負けてる方を応援したくなるっていう日本人の気質と言われてるんですよね。
だから日本史上でやっぱり人気あるスターたちっていうのは、負けてる側なの。頼朝より義経、藤原時平より菅原道真とかね。勝った徳川軍よりも真田幸村。人気でしょ? 全員負けてる人たちなんですよね。そんな中でも、この負けてるやつ、負けてるやつ、負けてるやつに加えて、新選組がなんと負けてる奴らなんですよ。ここなんですよ。この敗者というストーリー、プラスこのグループという仲間たちの、実は青春群像劇が加わるんですね。敗れる美学と青春群像劇の交差点。それが新選組なんです。だからめちゃくちゃ人気があるんですよ。
でも元々新選組って言ったら、明治政府に反旗を翻したというか、明治政府にくみせず幕府方についたわけだから、苦しめたわけだから、明治始まってすぐはむちゃくちゃ悪い奴らだっていうふうに言われてたわけですよ。イメージも悪かったわけ。だけど、その後じわじわと人気を取り戻してって、その後にいろんなストーリーになっていくということなんですね。だからイメージの良い、悪いって、本当に歴史によって変わるんですよ。新選組、ならず者集団って思われてた。人殺し集団って思われた時もあれば、いやいや、時代と共に散ってった美学の男たちって言われる節もあるわけですよね。そこの変わり目がまた面白いんですけど、この新選組、今言ったように青春群像劇として、今回お届けしたいなと思っております。
だから新選組って、マックスの時って数百人いたんですよ。数百人いたんだけど、ギュッと絞って、もうほぼ6人にしました。ギュッとしてほぼ6人。アイドルグループとかでも、6人組ぐらいだったらいいでしょ。ちょうど覚えやすいっていうかね。こういう感じにギュッとしたんで、「あいつがいない」っていう新選組のファンの方は申し訳ない。「あいつがなんでいないのよ、ここに」ってなっちゃう人もいると思うんですけど、今回、エクストリーム日本史ですから、「新選組、聞いたことあるけど何だったかよく分かりません」っていう人のために、まずは知っていただくための授業ということで、かなりかいつまんでおります。その上で興味持った方はぜひ、この他にもいっぱいいろんな魅力的なキャラクターいるよというところを、自分で調べていただければなと思っております。
今回の参考文献はこちら。『マンガ 面白いほどよくわかる!新選組』。これ、漫画も交えてて、非常にポップに読めます。そしてドラマチックです。
舞台、最初はですね、面白いのが江戸、新宿にある試衛館という道場があるんですね。時は幕末ですよ。もう侍なんて必要ないんじゃないかなんて言われた泰平が徐々に、おやおやおや? と、黒船がやってきて、これから日本どうなるの? そんな中で、ある道場が江戸にあったわけですね。その試衛館って、江戸、新宿、市谷の辺りにあった道場があるんですけども、そこに宮川勝五郎という男の子がいたんですよ。この男の子、宮川勝五郎って農家の息子なんですよ。農民の子なんですね。この道場でいろいろ修行してた。その勝五郎は、ある日、有名になるんです、その町で。
何かと言うと、勝五郎、宮川家に強盗が入るんですね。夜中に窃盗団が入ってくるんですよ。そしたら勝五郎、お兄さんもいたんですけど、勝五郎とお兄さん気づいてですね。「これ強盗だぞ。窃盗団入ってきてる。とっちめてやろう。俺たち武術の訓練してんだぞ」って、兄貴が行こうとするのを、この弟の勝五郎、「ちょっと待って、兄さん」って言うわけですよ。「ちょっと待って。泥棒ってのはさ、入った瞬間、気が立ってるからむちゃくちゃ警戒してる。今行ったらやられるよ。逆に出ていく瞬間は気が緩むから、その時だ」。「勝五郎、お前冷静だな。お前だいぶ冷静だな。OK、分かった」って声潜めてるんですね。
泥棒たちが「どうやら寝てるようだ」って、ほっとするわけですよ。それで家のものをガーッと詰めて、「よし、あとはもうとんずらかますだけだ。行くぞ」って言った瞬間、「この野郎!」。バシャーンと斬りかかるわけですね。逃げようと思ったらガーッとやられて、「起きてたのか」。このびっくりで、うわーっと散り散りになるわけですね。そこで何人かをバンバンと叩きのめすんですけど、「まだ逃げるやつがいる、勝五郎」って兄さんが言うわけですよ。「勝五郎、追いかけろ!」。そしたら勝五郎が「兄さん、待って」。また言うわけですよ。「兄さん、待って」。「なんだ、お前は」ってね。「窮鼠猫を噛むと言うから、あいつら、残ったやつらを追いかけると、逆に手痛い目に遭うかもしれない。ここは、ここら辺で置いとくのが武士のたしなみってやつさ」。「お前農民だろ? お前……分かったよ」とか言ってですね。
そこで押し引きをうまくコントロールして、家に入ってきた強盗をうまくとっちめたということで、「勝五郎すごい」ということで村中の評判になるわけですね。「おお、なんだ、あいつか」。「いや、うちの弟すごいんすよ。勝五郎が言うんすよ、兄さん待てとか。びっくりしましたよ」とか言って、わーっと広まったんですね。
そしてそこの道場、試衛館のトップだった、3代目、試衛館の師範だった近藤周助という、試衛館のトップは、「4代目にあの勝五郎を指名したい」と言って、試衛館の4代目にこの勝五郎を指名するんですよ。「あいつは大したもんだ。農民の子ながら武士道っつうものを分かってるよ。あいつを4代目だ」って言ってですね。「そして近藤の養子にしよう。名前をやろう」。その男こそが、後の近藤勇なんですね。新選組局長となる、この話の1人の主人公でありますね。
そういうことなんだと。農民の子なんです。ここ大事なんですよ。農民の子であり、幕末、武士道というものにものすごく憧れを持ち、その才能を見いだされ、4代目のこの道場のトップになった男、近藤勇。その人望と男気のもとに、いろんな奴らが集まってきてたんですね。その中にはもういっぱい、全員いたんですよ。土方歳三、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一。いろんな流派の奴らが、この試衛館で近藤勇と交流を持っていたということなんですよ。
なんと、たった1つの小さな東京の道場から始まるんですよ。全部そこにいたっていう。新選組ってのができて、徐々に集まってくって話じゃないの。ちっちゃい道場に全員いたっていう話なんですよ。それもドラマチックだよね。だからもう本当に、同じ道場で修行してて、身分低いんですよ。「武士ってのはすごいいいよな。かっこいいよな。全部ルール決めてんのは武士だろう、結局はね。侍にもなりたいけど、俺たちは武術を訓練してる、ちょっとした低い身分の子供だ」って。カンカンカンってやってるわけですね。「いつか侍になりてえけどな。なんか名を成さなきゃいけねえけど」っていうことをやってたわけなんですよね。
そんな中、大チャンスが訪れる。それが浪士組の募集ってやつなんですよ。浪士組募集。どういうことかって言いますと、この募集がかかった時に、その将軍家茂、徳川家茂です。家慶、家定、家茂で慶喜だから、最後の1個前の将軍だ。家茂の護衛兵を集めたいっていうお話だったの。家茂が京に上がる時、上洛する。尊王攘夷活動の攘夷活動、黒船とかを打ち払うために、将軍家茂とその部隊が上洛するので、それの足しになる人たちを募集します。身分問いません、っていう話。
試衛館の奴ら湧くわけですよ。「え、身分問わないの? 俺たちもさ、将軍守れんの? やった。チャンス来たじゃん」っていう話なんですよ。だけど、ある意味で言うと、身分を問わず募集しなきゃいけないぐらい徳川家っていうのは、ちょっと衰退してきているっていう話でもあるわけなんですよ。幕末、あの家斉の辺りからですね。第11代将軍の家斉の辺りから浪費が進み、どんどん求心力がなくなり、財政がどんどん崩れていった徳川家。いよいよ家茂の頃になると、浪士組を募集した。でもそれは、ある町の江戸の若者たちにとってはチャンスと映った。
「京都へ集合」って言われるわけですよね。「よし、行こう」って。「おい、俺たちもううかうかしてらんねえよ。将軍守って、なんかあったら武勲立てて、それで侍なんだよ」って言って、京都に行くんですね。ところが、この京都に行くと、この試衛館以外のやつらもいっぱいいるわけですよ。ぞろぞろとね。だからもう本当に、街のヤンキーとかチーマーとか、「ボクシングやってます」みたいな、そういう腕自慢みたいなやつら、わーっと集まってきた中で、正式に採用してくれんのかな、みたいなそういう状態の中で、ところがその期待、裏切られちゃうんです。
これは、この浪士組を募集してた張本人の人間が1人いたんですけど、そいつが時節的に鞍替えをして、この集まった武力を将軍警護に使うっていうふうにせずに、朝廷の警護に使おうとしたんですよ。将軍警護だって思ってた。徳川を守れるって思ってた。でもなんでか朝廷を守らなきゃっていうふうに、急に集まった後に「……という仕事についてもらいます」って言われたわけですよ。「ええ? いや、俺、そういうふうな話聞いて……将軍を守れるって聞いたから俺ら来たんだぜ。いや、それじゃあよ」って言って、ざわざわしだすわけですね。「そんなんだったら帰れ」って言われて、「江戸帰れ」って、ざわざわざわって帰る奴らもいる。別に朝廷守るでもいいよっていう奴らもいる。
そんな中、この近藤勇たち、試衛館のメンバーたちは、「いや、朝廷守るのはやりたくないと。俺たちの武士道は、俺たち徳川を守るって決めてここに来てるわけだから、いきなり鞍替えするとか侍のやることじゃないだろう。俺たちはもう幕府を守るって決めて集まってんだから、じゃあ、あんたとはやらない。でもなんかチャンスあるかもしんないから京都にはいる」って言ってたんですよ。そこにいたのが、芹沢鴨という男もそこにいたんですよね。
「おい、あんたさっきなんか言っとったな」と言って、近藤のとこに来るわけですね。近藤が「そんなことは言ってない。侍とはそんなもんじゃないと。私たちは京都には残るが、君たちとは一緒にしない。帰らせてもらう。試衛館のみんな、行くぞ」とか言ってね。「はい、近藤さん」とか言って、わーって行ってたらですね。「おい、近藤君。近藤君とか言ったよね。お前、結構見るとこあるね。俺もね、あいつらの言うことにもうついてこうと思ってねえんだよ。俺、芹沢って言うんだよ。なあ、一緒になんかやろうぜ」って言ってですね。「なんだ?」とか言ってね。「芹沢さんってのは、かつてなんとか天狗党って言って、攘夷活動で1回捕まったんだけど、それの恩赦で1回出てきて、みたいな、結構腕自慢の男なんですよ」みたいな、いろんなやつから聞いて、「芹沢さんか……」みたいな、そういう状態ですね。
そんな中、松平容保ってキーマンが出てくるんですよ。これは京都守護職って言って、京都を警備する、京都県警みたいなもんですよね。京都県警の長官みたいな役割を得ている会津の藩主ね。福島のお殿様ですね。松平容保が「どうしても幕府守りたいって言って、グループ離脱した奴らもいるらしいですよ」みたいなのを聞いて、「ああ、じゃあうちで使うか」って、こうなったわけですよ。「便利だもんな。最近は本当にテロが多い」。
そうなんですよ。最近は尊王攘夷とかね、要するに「江戸幕府なんぞなんぼのもんじゃい。黒船来とんねん。もうこんなこと言うてる場合ちゃうねん」っていうやつらが、幕府のその管轄とか治安を乱すようなテロ行為をバンバンしてきたところなんですよ。警備がいくらあっても足りない。「最近、街荒れてきてるからな、京都の。よし。ならず者かなんか分かんないけど、壬生浪士組とか言って、自警団として使ってやろう」と、そういうふうになったわけですよ。だから、こっちでは使われなかったけど、こっちで使われるようになった。ここから始まるんですね。
壬生浪士組っていう、ならず者たちが集まって、「松平の容保さんが使ってくれるらしいっすよ」とか言って、「本当? やろうやろう」。壬生浪士組っていうのがあって、そこで近藤と芹沢は子分たちを抱えてるから、ツートップ体制みたいになってたわけですよ。近藤派と芹沢派がいるわけですね。チーマーのボスとボス。その2チームが混在してる壬生浪士組ってのがあった。
そんな中、八月十八日の政変っていうので、すごくがらっと空気が変わってくる。これ何かと言いますと、公武合体派による長州追放。これどういうことだろう。江戸を理解するのにすごく難しいのが、尊王攘夷と公武合体っていう言葉がありながら、佐幕と尊王、攘夷が攘夷じゃないとか、いろいろあるんですよ。実は最初は、外国の黒船をぶっ壊して、江戸幕府もぶっ壊して、天皇中心で行こうぜっていうのが長州の考え方だったでしょ。だけど長州とか薩摩が、後に外国船ぶっ壊すの無理ってなるわけですよ。でも幕府はぶっ壊そうっていうふうに変わってくるから、尊王攘夷っていう言葉が討幕っていうことにつながってた時代から変わったりとか、いろいろ立場が変わってくるので、ぐるぐるなっていくよというふうにだけ覚えといてください。
そんな中、長州は、山口県の奴らは、もうとにかく過激だったわけですよ。「幕府ぶっ潰したら〜」みたいな感じなわけですよ。高杉晋作とかいろいろいたでしょ。ああいう「幕府ぶっ潰したら〜」が、ちょっとやりすぎ君たちと。この時、幕府ぶっ潰すとかじゃなくて、天皇と幕府両方が提携する、もっとちゃんと提携するっていうのが公武合体ね。だから皇女和宮を嫁に将軍が取るみたいな、そういうことをやって仲良くしようぜっていう路線があった。その路線がこっち、メインストリームになった時なんですよ。「長州、ちょっとあんたたち過激ですと。幕府ぶっ潰して云々とか、怖いです」って言って、長州一気に追放するっていうことがあったんですね。町から一掃する。「出てけ、出てけ、長州」っていう。
その時に、この壬生浪士組も動員されて、「浪士組、長州の奴らは見つけて追い出せ」って言って、「出てけ、出てけ」ってやったことで、「なんだ、あいつら?」。「ああ、あれね、今、松平容保さんが預かってる壬生浪士組って言うんですよ」。「若者頑張ってんじゃん。使えそうなやつじゃん。よし、ちゃんとした名前つけてやりましょうよ」っていうふうになって、そこの流れで朝廷から名前をもらう。それが新選組だ。ものすごい嬉しかったらしいですよ。だってさ、ただの道場から、何やってくれんのかなとかやってたの。それがちゃんと役割を得て、「俺ら侍なの? 新選組なの?」。これが嬉しいわけですよ。「新選組だ、俺たちは」。そうなった。
それで法度と羽織を作るんですね。有名なこれ、ここで作るんですよ。羽織。これね、すっごい意味が込められてる。あれ、なんであの色で、なんであの柄で。ここを読み解くことができたら、この集団が一体どういう集団なのかをしっかり理解できるんですよ。あの羽織は、まずここギザギザでしょ。だんだら柄っていうの。あれ実は何かに憧れて作ってる。それが赤穂浪士なんですよ。「え、そうなの」って。赤穂浪士の羽織っていうのも、ここ白のギザギザで、黒い羽織っていうの着てるんですね。
つまりあれって、主君のために俺たちが復讐するっていうストーリーでしょ。その侍魂、儒教を中心とした、主君に仕える、命は惜しまないっていうね。命を捨ててでも忠義を取れっていう教えの最たるストーリーじゃないですか。それを採用してるんですよ。だから、はなから現代版赤穂浪士だっていう意気込みなんですよ。
その上で水色、水色でしょ? あれ浅葱色。日本語で言う、日本の色分類で言うと浅葱色って言うんだけど、なんであの色かって言うと、一説によるとですけどね、浅葱色の服を着てする時、何をするかって言うと、切腹をする時にそういう色を着るんですって。だから、死ぬ覚悟はできてるぜってやつなんですよ。
この死ぬ覚悟ができてるぜって話、真田幸村とそっくりじゃない? そうなんです。真田幸村の旗って六文銭っていう、6個のお金が書いてあるんですね。なんで六文のお金をその旗に振るのって言ったら、三途の川を渡る時に船があるらしいんですよ。これ仏教の伝説ですよね、伝承ですよね。三途の川、この世からあの世に行く。その時に船乗るっていう時に、お金必要らしいんですよ。分かんないですけど。それが六文ってね。今でいくらなのか全く分かりませんよ。1000円ぐらいですかね。分かんないですけど。「ちょっと渡ります」って、スーッとあの世へ行くっていうね。だからその六文を持ってるってことは、六文しかいらない。三途の川を渡る準備はできてるぜ。それが真田家だ。死にに行こうぜ。そういう話なんですよ。
地獄行っちゃおうぜっていう、その真田幸村のノリと、だんだら柄っていう赤穂浪士のノリ。だから命知らずで忠義を尽くすっていうメッセージが、ここに込められてんですよ。もう切腹覚悟で赤穂浪士ですっていう。とんでもないよね、服としては。「死んじゃいますよ〜」みたいなやばい集団だよ、本当に。誠って書いてあるわけですよ。これもだから儒教の考えとか武士道の考えから来てるわけですよね。もう忠義が全てだ。だからもう、どんだけ武士道に憧れてるかってことですよ。どれだけその教育が染み渡ってて、どれだけ農家の子供たちにとって侍が憧れだったか。それの集大成みたいな服を着て、集まるわけですね。
その上で、局中法度ってあるんですよ。御法度ですよね。これ4つ書いてますね。1つ目は「武士道に背くまじきこと」、あるわけです。それを含めて5つ、5箇条っていう人もいれば、それを含めずに4箇条ってのもある。その4箇条を書くと、「局を脱するを許さず」。つまり新選組はやめれないんです。やめちゃいけない。「今日から新選組やめて、ちょっと実家帰ります〜」とか、「もう普通の男の子に戻ります」とかって、そういうことはできない。
あと、勝手に金策すんなよ。だから借金するな。「よそで借金作ってくんじゃねえぞ。トラブルの元だからな」ってありますね。あと、勝手に訴訟するな。「お前訴えてやる」とか裁判沙汰になったりするなよ、めんどくさいからなっていうね。あと私闘、勝手に自分の意気込みで決闘を申し込んで、死んだり殺されたりするな。要するにトラブル御法度なんですよね。トラブルは御法度。
この御法度がざわついたのが、新選組だって、これからは規律を作るってなった時に、その御法度を破った者は切腹を命じるって書いてあったからなんですよ。これは恐ろしいこと。そしてすごいこと。なんでかと言うと、切腹って武士が誇りを持って死ぬ時のやり方なんです。だから平民は切腹なんてしないんです。「俺たちは武士だ」っていう強力な宣言なんですよ、これが。だからこの羽織とこの法度が、もう俺たちは武士になるんだという、ものすごいマインドの男たちが今まさに夢叶ったという、組織作りが見えてくるわけなんですよ。
そんな中、「よし、新選組だ。俺たちは武士なんだ」ってなった時に、芹沢の素行がちょっと目に余るっていう話があるんですよ。芹沢はずっと近藤を下に見てるわけですよね。「近藤君さ〜」みたいな感じなんですよ。「江戸から出てきたんでしょう。実績あんの?」みたいな、そういう感じなんですよね。俺は昔ワルやって、1回捕まって出てきたやつ、みたいな感じなわけですよね。「芹沢さん、マジすげえかんね〜」みたいな、そういう部下がいて、「そうなの。うちの近藤さんをあんな扱いしやがったよ」みたいな感じで、みんな言ってるわけですよね。
そんな中、芹沢ってのはリーダーシップもあるんですよ。カリスマ性もあるんですけど、酒に飲まれるっていう、そういう酒乱の気質もあったんですよ。酒乱の気質ね。飲んじゃうと、もうこの壬生浪士組の頃からその名をかたって、「悪い金貸しなんだからよ〜」とか言って、「討ち入りだよ」とか言って、勝手に火つけちゃったりとかですね。「おい、お前金よこせ」とか、もうむちゃくちゃやる。「おい、金出せ、この野郎。壬生浪士組だ、この野郎〜」。「芹沢さん、酔っちゃってますよ」みたいなね。「うるせえ。壬生浪士組、お前なめたらぶっ殺すぞ」とか、そういうことやってた。「容保さんついてんだぞ」とか言って、やってた。
それを、新選組になったからには「あいつ、いよいよちょっとまずいっすよ」って言うわけですよ。こっち側が容保に言うわけですね。「松平さん、容保さん、新選組になって、いよいよ僕たちは公式のグループになったわけですよね。このまま芹沢を残しといていいんですか? あいつ、きっとトラブりますよ。きっと朝廷とかに迷惑かかるんじゃないですかね」ってなって、松平が「そうだなあ。芹沢の処遇はお前たちに任せる」。こうなるわけですよ。
土方が「近藤さん、いよいよ時が来ましたね」。「そうか。でも殺す……うん、殺さないといけないか……」とか言ってね。近藤は悩んでたりするんですよ。「殺すか……」。土方が「悩んでる場合じゃないでしょ。あんたがトップじゃないと、俺たちが困るんですよ」。こうなって、「よし。じゃあ、やるか」。そうなったんですね。新選組最初の仕事は、2トップのもう1人、芹沢を殺すことだったわけなんですね。これが面白いわけですよ。
芹沢、酒乱ですからね。「今日も何してんだ?」。「今日もあれだ、あそこであれしてますよね」。女たちと宴会をしてるんですよね、いつもね。遊郭が近くにあって、馴染みの店があって、その遊女たちと飲んで、「新選組になったよ」とか言って、やってるわけですよ。「見てこれ〜、誠〜」とか言ってやってます。「誠だよ〜、すごいでしょ」みたいな。「ああ、芹沢鴨ちゃん、もう頑張っちゃう」とか言ってやってたわけですね。
そしたら、そのパーッと見て、「いつも通り飲んで、もう酔っ払ってますから。相当芹沢も腕が立つと聞いてますけども、こっちにも天才いますからね」って言って、沖田総司なんですよ。「僕行きますから」っていうことになるわけですね。この天才沖田総司ってのが、またいいキャラなんですよね。普段はご陽気。だけどちょっと病弱。でも剣の腕は若くして天才っていうね。「土方さん、俺やりますから」。かっこいいわけですよね。
それで芹沢が「俺はもうお気に入りの子とあっちで寝とくから」とか言って、部屋で寝に行くんですね。そこに新選組、この近藤派が入ってくるわけですね。バーン。「おい、なんだ、お前ら?」。「近藤派だ」。バンバンバン。「芹沢さん、逃げて!」。沖田がバーン、飛び込んで芹沢をバンとやるわけですね。それで芹沢が、その一撃で死ななかったんですね。この沖田を、「なんだ、お前ら!」。ガッとやって、沖田が「捕らえ損ないました!」。土方がバーン。「お前ら……沖田、土方、この野郎……」とかですね。それで芹沢がそこで死ぬわけですよ。暗殺に成功するんですね。
芹沢を一蹴した。「いよいよ俺たちの新選組が始まるぜ。近藤さん、試衛館の、試衛館の俺たちで京都を、そして幕府を守るんすよ」。こう言ってたわけですよね。そんな中、どんどん取り締まっていくわけですね。浪士たちをね。「おい、暴れてんじゃねえ。攘夷派か? お前ら過激派か? テロか?」。バンバンバン。「新選組だ」。バーンとやってたわけですね。
そしたら1人捕らえたやつが、恐ろしい計画を発表するんです。「おい、お前、何のためにやってたんだ? 計画はなんだ? どっかで集まろうとしてんのか、この野郎」とか言って、拷問してたら、「計画がある」とか言って、恐ろしい計画を口にするわけです。「何の計画だ?」。それが、尊王攘夷派で集まって、何月何日、京都に放火するって言ってですね。「京都に火を放つだと?」ってなるわけですね。「そしてどうするんだ、お前」。「京都に放火して、あの京都守護職の松平容保っているだろう。あいつをぶっ殺すんだよ」と。「松平さんぶっ殺すだと? そして?」。「そしてよ、孝明天皇誘拐するんだよ」。
天皇誘拐作戦だったんですよ。守護職の松平容保を殺し、京都に火を放ち、孝明天皇を誘拐し、長州に連れ帰ることで長州を官軍にするぞという、そういう大テロ作戦がそこで明らかになったんですね。「これはとんでもないですよ、近藤さん」ということですね。「こんなこと聞いちまったからには、やるしかねえ。よし、新選組の大仕事だ」って。「今度は芹沢とか、そういう話じゃないっすもんね」みたいな、そういう感じでやるんですよ。それがあの池田屋事件なんです。有名な池田屋事件っていうのは、もう天皇を誘拐し、京都守護職を暗殺し、京都に火を放つっていう、未曾有のテロ事件を未然に防いだっていう事件なんですよね。
何月何日、どこどこの京都のこの辺りのエリアの旅館で、その過激派の攘夷派が集まって集会をして、そこから始めるっていう情報を得て、何手かに分かれて探すんですよ。「どっかの旅籠屋にいるんだよ、テロリストたちが」って。その近藤と沖田、土方と他のやつだって言ってね、近藤チームとか他のチームで分かれて、探しに行くんですね。「新選組だ! 新選組だ!」って入ってくるんですね。「御用改めである! 新選組だ!」って。「どうしたんですか、新選組さん。うちの旅館には何もないですよ」と。「上見させてもらうぞ」とかって、ガンガンガンガンって行って、何もない。「よし、次の旅館だ」。ガンガンガン、行ってた。
その中で池田屋、ついに発見したのは近藤・沖田チームだったんですね。近藤・沖田チームがバーン。「新選組だ! 御用改めだ。上見させてもらうぜ」。「うちには何もありません」。「うるせえ、いつもそう言うな。どいつもこいつもそう言ってんだ、バカ野郎」とか言って、パーンと行ったら、いたんですね。「おい! 新選組? この野郎、幕府の犬どもめ!」。チャンチャンチャン! そこから、なんと1時間、2時間にわたる大立ち回りなんですよ、斬り合いで。その近藤勇の愛刀、虎徹っていう刀があるんですけど、この池田屋の後は、その刀がノコギリじゃないかっていうぐらいギザギザになるほど刀を振り回しまくったそうなんですね。
そこから土方とか、「ここも外れか〜」とか言って、「近藤さんのところが当たり引いたみたいです」。「そこか! 池田屋だ! うわ〜、行け行け行け〜」。そこでもう大立ち回り。「沖田ー!」。もう困ったら「沖田ー!」って、総司が「近藤さん!」とか言って、すごい、沖田が。でも、このドラマチックなのが、そのバーンって、ほとんどこの沖田がすごい勢いで斬ってくわけですよ。天才だから、シャーってね。だけど沖田がある時、パーッと血を吐くんですね。「沖田、斬られたのか?」。「いや、斬られてはいないはずですが、血が……」みたいなね。これが後の悲劇を予感させるシーンとして、よく描かれるんですね。「斬られてはいません」。「なんであいつは血を流してんだ?」。チャンチャンチャンってね。この後に沖田がだんだん体を蝕まれているという、スタートになる芝居でもあるわけですね。
そこで何人かを討ち殺し、残りを捕縛して、この大捕物が評価されて、「新選組ってすげえ」。京の町に名を轟かしたわけですね。そこから入るやつもどんどん増えるわけですよ。「俺も新選組入らしてくれよ。俺も」みたいな。「かっこいい、かっこいいよ」ってなるわけですね。組織はどんどん拡大する。でもそんな中、内部のゴタゴタは少しずつ増えていくんですね。やっぱり、いい時もあれば、その逆に光が影を生んだりするわけなんですよね。
まずこの厳しい法度を出した時も、この山南敬助、これは土方と同じ副長なんですよ。2副長いるんですね。この山南が「切腹はさすがにちょっと厳しすぎないか?」。そういうこと言ってたんですよ。でも土方は「いや、これぐらいやんねえとよ、烏合の衆の俺たちはまとまんねえんだよ」とか言ってやってた。「そうか。俺たちどうなってくんだろうな」。山南は不安になってたところもあったわけですね。
そんな中、池田屋事件の後、わーっと人数が増えていく。そしたら近藤は、より注目されてますから、「近藤さん。近藤さん、近藤さん」みたいな。「おお、守ろうな、一緒にな」とか言ってね。永倉新八とか、永倉新八、結構勝ち気で、結構近藤と揉めがちっていうのがいるんですね。「近藤さん、最近天狗になってんじゃねえのか? 大丈夫か?」とか、そういうことやってるわけですよね。
そんな中、池田屋事件で入ってきた1人の中に、伊東甲子太郎という人が出てくるんですよ。この伊東甲子太郎という人物が、また新選組を大きく揺るがしてしまうんですね。伊東甲子太郎。これはもう、違う流派の道場でものすごい腕の立つ、腕利きとして鳴らした上で、しかもむちゃくちゃ頭も良かったんですよ。水戸学っていう学問を極めてて、文武両道、スーパーエリートみたいな男が新選組に入ってくるわけですよ。「え? 伊東甲子太郎さん?」みたいな。「伊東甲子太郎入ってきたぞ」みたいになって、「一緒にいさせてもらえませんか」。近藤勇も「伊東先生が入ってもらえるんだったら、本当ありがたいですよ」とか言ってですね。
ただ、伊東甲子太郎はどっちかって言うと、尊王思想があったんですね。天皇を大事にしたいっていう思想があった。でもこの時の新選組ってのは、幕府も守るけど、幕府と天皇が要するに公武合体を進めてる最中だから、そこまで矛盾なく、要するに過激派じゃなければ、尊王と佐幕はそんなに乖離してないっていう状態でもあったんですよ。でもこれが悲劇を生んでくるんですね。
伊東甲子太郎、入ったわけですね。入ってみると、尊王の雰囲気が全くないわけですよ。むちゃむちゃ佐幕なんですね。幕府方なんですよ。「あれ? ちょっと雰囲気違うな」って伊東甲子太郎は思うんですよね。「どうしよっかな」。でもやめれないんですよ。脱退したら殺すって言われてるんですよ。「あれ、どうしよう。これちょっとノリ違うかも」って、スーパーエリート思うわけですね。「伊東先生、ちょっと手合わせを」とかやると、やっぱ伊東強いんですね。パーンと。「これ大したもんだな」って。「じゃあ伊東さんには、もう参謀になってもらおう」って言って、この副長とほぼ同格ぐらいの参謀って位置に、入ってすぐなっちゃうんですよ。
それが気に病んだのは、この山南敬助だったんですね。実はこの山南は、土方とそのやり方でちょっとずつ反発をしてたじゃないですか。「ちょっと土方、そんなに厳しくしなくていいんじゃないのか」みたいな。「山南さん甘いからな」とか、そうなってたわけですね。そんな中で、しかも山南が立場が弱くなったのが、池田屋事件の時に病を患い始めていて、襲撃に参加できてないんですよ。「あの池田屋事件に山南さん来なかったじゃないですか」ってなっちゃうんですよ。立場ないんですよね。そんな中で伊東甲子太郎が参謀になっちゃうんですよ。「あれ、俺いなくてもさ、良くない?」。こうなってくるんですね。
「山南さん、最近元気ないっすね」とか、沖田総司に話しかけられる。沖田総司は山南さん好きなんですよね。「山南さん、最近元気ないっすね」ってね。沖田総司、明るいんですよね。若くて明るい。「いやあ、俺がいてもいなくても」みたいな感じになってきたある日、事件が起きるんですね。タンタンタン、パーン。「山南さんが帰ってきてないです。山南さんいないです。どこにも山南がいない」。「どっか飲んでんじゃねえのか?」。「いや、違うんです。もう何日も帰ってきてないんです」。
局中法度。脱退した者は殺す。「山南逃げたのか」。「まさか山南さんが逃げるわけないじゃないですか。副長っすよ? 幹部っすよ。逃げるわけない……いや、でも最近元気なかったし、浮かない顔してたし」。それで近藤が言うわけですね。「山南……沖田、お前が探せ」っていうわけですね。1番仲の良かった沖田が「僕がですか、近藤さん」って、探しに行かなきゃいけないんですよ。「見つかって、もし本当に逃げてたら、山南さん切腹だぞ」ってですね。探しに行くんですね。関係者のとこ探してね。山南がお気に入りだった女のところとか行って、いろいろ行って、ついに見つけるわけですよ。
「こんなとこいたんすか、山南さん」。「沖田か。見つかっちゃったね」って。「何してんすか、山南さん。帰りますよ。なんとか言うから。俺、土方さんにちゃんと言うから。そしたらなんとかなりますから。副長なんだから」とか言って、帰るわけなんですよ。そしたら土方が「ダメですよ。掟は鉄の掟ですから、切腹です」。山南が「分かってる」。こうなるわけですよ。「俺は新選組には向いてねえよ」と言って、山南は切腹を命じられるんですね。
介錯がね、切腹の介錯は誰がやるか。首をドンと落とす。誰がやるんだってなった時に、「沖田に頼む」って言って、山南が沖田を指名してですね。「なんでこんなことやんなきゃいけないんですか?」。「侍だ。俺たち侍なんだぞ。もう友達集団じゃねえんだよ。試衛館の友達集団じゃねえんだよ」。なんと友が友の首を最初に斬るということで、新選組は幹部であろうと武士道に違反したら殺すっていうのを見せつけるんですよ。うわあ、ズバーン、ゴロゴロ……「山南さん……」。すごい。池田屋事件で多くなったけれども、盟友1人を失うことになる。山南死す。芹沢は死んでいる。面白いですね。ドラマチックです。
新選組は、ですからこの群像劇と言ったのは、敵と戦って、討幕派と戦ってるばっかりじゃないんですよ。実は内部でのすったもんだがむちゃくちゃ多いんですよ。だってそうでしょ。今、芹沢と山南やってるけど、ほぼ仲間内ですよ。完全なる仲間内ですからね。そこがものすごく悲しいのよ。悲しいし、その上で目離せないんだよね。ここです。
この池田屋事件の後で、大きく時代の流れが変わっちゃうんですよ。薩長同盟なんだよね。日本の教科書で薩長同盟って見た時、へえって思ったでしょ、みんな。「あ、そう。仲良くなったんだ」みたいな。それぐらいのことじゃないですかね。「ごわす、ごわす〜」って西郷どんが来て、長州の奴らと、「ぜよ、ぜよ〜」って坂本龍馬が「握手するぜよ」とか言って、「薩長同盟〜」とか言ってる感じに思うんですが、これは画期的なことだったんですよ。
何が画期的かと言うと、薩摩、長州っていうのは仲悪かったわけですよね。長州っていうのは単独で今、朝廷から睨まれてたわけですよ。朝廷とも幕府とも仲悪い。要するに反逆児、長州って言われてたわけですよね。過激派って言われてたわけですよね。尊王であるけども攘夷だっていうね。「外国はもうぶっ殺すぞ」ってやってたけど、長州は先じて外国と揉めて、「これ勝てない」ってなったわけです。薩摩も先じて外国と揉めて、「これ勝てない」ってなった。外国の攘夷の線は、もうまずない。
だとしたら、外国の武器を買って力を整えて、今のぐずぐずの日本の体制を中から変えることで、外国から守らなきゃいけない。今の江戸幕府のやり方では任せられない。このままだと日本全部、その時、清、中国はどんどん列強によって分割統治されてたんですよね。それが怖いんですよ。あの中国が、あの強大な中国が、もう列強によってぐちゃぐちゃにされてんのを見て、「日本も絶対占領される。絶対にイギリスとかフランスに分割統治される」っていう恐怖を強烈に持ったこの薩摩と長州が、「俺たちで組んで外国の武器を得て、イギリス、フランスと逆に仲良くなって、幕府を倒すんだ」ということでまとまった。攘夷から討幕に意思が統一したっていう大きな転換点なんですよ。
それと同時に、新選組にはものすごいアゲインストが吹く。それが孝明天皇が崩御したことなんですよ。孝明天皇というのは穏健派で、どちらかと言うと幕府との間でなんとか公武合体をすることで、穏便に国内を済まそうと思ってた。だからこそ、ここがあったわけですよね。だからこそ新選組っていうのは、朝廷からも幕府からも公式の団体として認められたわけですよ。ところが後ろ盾を失って、ライバルが手を結んだんです。これが同時に起きちゃった。今まではこっちがオフィシャルだったのに、なんだか向こうすごく強くなって、こっちのオフィシャルが消えかかっちゃうっていう大ピンチが訪れるんですよ。
そんな中、動いたのが伊東甲子太郎だったんですね。伊東甲子太郎、ずっと思ってたんですよ。「こいつらはずっと幕府の味方でいる気だなあ。でも多分そうはならんだろう」。伊東甲子太郎、頭がいいわけですよ。だから先が読めるんですね。「このまま幕府についてたら、俺たち殺されるぞ」。
討幕じゃない。尊王の方で朝廷と手を組んで、とか色々考えてるわけ。でもこれ、抜けたら殺される。それはもう、だって山南でも殺されてんだから、絶対に俺は殺される。それはそう思ってるわけですね。甲子太郎、絶対無理。山南死んでんだもん。そうなるわけですね。
そんな中、御陵衛士っていう、朝廷を守るっていう部隊を組織するっていうことをうまく調整して、命じられるんですね、伊東甲子太郎は。朝廷の護衛だから尊王の仕事ができるぞっていう中で調整して、朝廷から命じられたので抜けざるを得ないんだけど、いいかなっていうことを近藤に言うわけですよ。勝手に抜けたら御法度でしょ。でもお上の命には背けないですよね。朝廷にも幕府にも所属してる団体ですから。上ですよ。本庁が言ってんすよ、みたいな。本社からの命なんで、みたいな感じで抜けるわけなんですよ。
伊東甲子太郎、抜けさせていただきます。近藤もそこにはやっぱり文句言えないですからね。そしたらだって、朝廷の命に反してるっていうこと言わなきゃいけないわけですから。「分かった、伊東先生、今までお世話になりました」って言ったら、伊東もしたたかでうまいんですね。「ありがとうございます。つきましては、私と志を共にする者と一緒に抜けてもいいですか?」ってなるわけですよ。え? 15人引き連れて脱退するんですよ。15人。その中には藤堂平助っていう、この試衛館の中にいた主力メンバーの1人もいれば、斎藤一もいたんですね。
「おい、ちょっと待てよ。お前だけじゃないのか?」「いや、朝廷の命なんで」。ここが伊東甲子太郎のギリギリの攻防だったんですね。「御法度じゃないですよね、近藤さん」「分かりました」。15人をですね。「おい、お前らなんで行くんだ?」。土方とか沖田が、「どうしたんすか? 斎藤さんまで?」とかって。「そういうことだ」って言って15人がバーっと行く。これからどうなんの? 新選組どうなんの?
そんな中、伊東甲子太郎は甲子太郎で結構大変な目に遭うんです。なんでかと言うと、御陵衛士の方に入ったんですが、朝廷側のそういうグループからは、「新選組ってどうやら相当佐幕、幕府の犬だって悪口聞いてるぞ。そこに数年いた伊東甲子太郎よ。本当に朝廷の味方になるんだろうな?」っていうことを圧かけられるんですよね。「いや、もちろんですよ。元々入った時からあいつらとノリが合わなかったんですから」「信じられないね。伊東君、新選組はもう何とも思ってないってことを見せてほしいな」とかって言われるわけですね。
そしたら伊東が、「分かりました。なるほど、そういうことか。近藤を殺します」。こうなるわけですよ。伊東甲子太郎が朝廷側に完全につきますよということを見せつけるがために、近藤暗殺計画を考えるわけですよ。「近藤さえ殺せば、あのグループはただの烏合の衆ですから、きっと御陵衛士のチームに入ってきます」。こう言うんですね。「あそこは烏合の衆です。近藤の人望だけです」。そうなっていくんですよ。
しかし、それを陰で見ていた男がいた。そして新選組に走るんですよ。「近藤さん、伊東甲子太郎のやつ、ついに尻尾を出しましたよ」。斎藤一です。斎藤一は実は、近藤に言われて御陵衛士の方に行っていたスパイだったんですよ。うわあ、ドラマですね。ドラマですね。
斎藤、寡黙な男なんですよ。寡黙な仕事人。普段は何にも言わないです。でも剣の腕はすごいんですよ。パンパンパン。この新選組、10番隊まである中、3番隊隊長を任されたこの斎藤一というのは、普段は無口なんだけれども、剣の腕はあの天才沖田総司、そしてそれと並び称される永倉新八と、全く引けを取らない。誰が1番っていうのは、この3人でいろんな人の意見が交差するぐらい、誰が1位とも決めつけがたいという、この斎藤一、実力者ですね。黙ってる。「近藤さん、伊東甲子太郎が殺しに来ます」。こうなるわけですよ。
「分かった。伊東先生も色々あんだろうけど、うちも守んなきゃな」って言って、油小路事件ってのが起きるんですね。まず近藤が伊東甲子太郎を飯に誘うんですよね。「伊東先生、久しぶりに飯でも食いませんか?」って言って。伊東としては、その暗殺作戦が漏れてるなんて全く思ってないですからね。近藤が今どういう感じなのか掴んでおこうといって、飯に行くわけですよ。
「伊東先生、御陵衛士でご活躍なさって」とか言って、「さあさあ、飲んで飲んで」とかって飲ませるんですね。「いやいや」とか言って。「いや、新選組大変ですよ。もうボロボロです。伊東先生がいなくなってからね、本当にならず者の集団でしょ。全然ダメですよ」とか言って、あえて弱く見せるんですね。そうか、それなら近藤を殺すまでもないか、とか色々考えて。それで、「だいぶ酔っちゃいましたけども、近藤さん。お互い頑張りましょうよ」。こうやって油小路、外に出るんですね。
するとそこに土方や沖田が待ってるんですよ。「伊東さん、近藤さん殺させませんよ」。ブシッ。「お前ら……ああ」と、路上で倒れるんですね。その伊東甲子太郎を、あえて新選組は放置しとくんですよ。なんでかって言うと、これを御陵衛士たちも殺すためなんですね。おびき寄せて、さらに兵力を殺してやろう。もう2度と新選組を潰そうなんて思わないようにしてやろうって言って、待ってるんですね。
そしたら御陵衛士たちが、「ああ! 伊東さんが路上で死んでる! なんだこれ? おい、集めろ」とかって、御陵衛士たちがわーって集まってくるんですよ。「どうなってんのこれ? 誰に殺されてんだ? 伊東さんが。おい、周りは?」とか言って。そしたらザッて出てくるんですよ、新選組が。「新選組だ!」。それで大乱闘で、御陵衛士の何人かは逃げるんですよ。「ああ、新選組、恐ろしい奴らだ」とか言って逃げる。何人か殺されて、「近藤さんの命狙ったらどうなるか分かってんだろうな」とか言って終わるわけですよ、油小路事件。
もうずっと内乱してんの。ずっと外国が攻めて来てるのに、黒船とかあるのに、大変なことやってるわけですよね。悲しいですよ。そんなことやってる間、また大きな転換点が来るわけです。それが大政奉還。いよいよ徳川慶喜が、アカンってなってるわけですね。これはもう長州、薩摩が手組んで討幕ってなってるから、ぶっ潰されるぞ、このままだと。ボコボコにされて、あいつら斬ってくるから。あいつらが言うのは、朝廷の敵が幕府だぞと言ってるわけだから。幕府許すまじって言ってんのは、徳川が力持ちすぎてるからやと、そういうこと言ってるから。「分かった分かった。これは武力討幕を鎮火するためにはしょうがないです」。
大政奉還っていうのは、徳川慶喜、苦肉の大作戦だったんですよ。「そや! そうだよ。徳川家も朝廷の1個の家臣であるっていうふうにしたら、幕府っていうものなくしたら、別に長州、薩摩がいきり立ってる理由がないだろうと。潰す必要がないんだよ。潰したとしたら、それもうやりすぎになっちゃうから。組しますよ。朝廷ワントップ体制で行きますよって俺が言うのよね。だけどね、朝廷に政治ができるか? できないよ。もう何年もやってないよ。300年うちの家でやってんだよ。300年うちの家でやってんの。徳川家のもんだよ。もう無理無理。それ俺たちが譲りますって形式上譲って、俺たちで仕切る。そういう作戦だ」ってやってるんですよね。
大政奉還、全員がびっくりしたわけですよ。「幕府潰す理由なくなっちゃいますよ」とかって、長州と薩摩が大騒ぎするわけですね。「くそ、慶喜、考えやがったな。いやでも、それで許さねえぞ」。長州、薩摩の恨みは強いんですよ。徳川め。徳川のコントロール体制ってすごかったですよね。家康が作って、近いところには味方置くけど、関ヶ原とかで味方しなかったやつは遠くに置いて、しかも参勤交代って言って、江戸まで来いって言うんですよ。江戸まで、もうボロボロですよ。「山口ですよ」とか「鹿児島ですよ。なんで江戸に毎年毎年行かなきゃいけないんですか? お金なくなりますよ」とね。そんな仕打ちをずっと受けてた遠くの藩が、恨みずっと持ってたわけですね。「長州、薩摩の恨みを晴らすべし。300年の恨み晴らすべし」。こうなるわけですよ。許してたまるかい、ですね。
この大政奉還に対して、返す刀の大技が王政復古の大号令なんですね。これ日本史でパッて見た時は、「へえ、へえ」ってなるんですけど、なんかよく分かんないけど、「ふーん」ってなるんですけど、これは大政奉還の慶喜の考え封じなんですよね、王政復古の大号令。これは王政をもっともっとちゃんと。王政ですから、政治の権利も完全に徳川から奪うぞっていうね。名目だけじゃないぞ。「領地と役職、なくしてもらおうか」ってことなんですよ。「徳川の領地、はい、没収です。あなたの役職、全部没収です」。っていう、やりすぎな、攻めすぎなところに行くわけですよ。
徳川が、「アカン、もう堪忍袋の緒が切れてまいました」ってなるわけですね。「こんなこと言う? 徳川ですよ? 将軍が奉還ってやってんの。そこを踏む?」と。踏んでくる。これでカチンとなったわけですね。でも慶喜自体はだいぶ冷静だったみたいですよ。だけど周りが、「こんなバカにされて、もうたまりませんわ」ってなってて、大坂城にいる慶喜と新政府軍の戦いに突っ込んでってしまうんですね。
大坂城に慶喜は江戸城から行って、移行してたんですけども、そこで新政府軍に攻められるんですね。これがいわゆる戊辰戦争の始まりというやつなんですけども、この薩摩と長州の新政府軍がすごいんですよ。もう銃持ってんですよ。パンパンパンパンパンパン。「あかんあかんあかん」っていうね、全然戦いにならない。
しかもこの戦い、新選組何してたかって言うと、実はこの直前、油小路事件の後あたりに、近藤が浪士に、過激派に1回肩撃たれてるんですよ。銃で路上でパーン! テロに遭ってて、「1回ちょっと休むわ」って戦線離脱してた時だったんですよ。近藤不在。さらに沖田がじわじわと蝕まれてた。沖田が「あれ? 何だろう?」ってやってたんですよ。徐々に弱くなってって、これが肺結核だってことが分かるんですね。その時もう治らないので、不治の病と言われてた。結核にかかってるということが分かって、近藤、沖田不在っていう状態で、鳥羽・伏見の戦いを土方が率いるんですね。
ところが、その装備があまりにも桁違いに強い。あっという間だった、決着は。気づいたら、戦ってる最中に慶喜は松平容保連れて、江戸に船で逃げてたって言うんですよ。もうガッチガチャだったんですね。「おい、どういうことだ? 大将が途中で逃げてるってどういうことだよ」。大騒ぎになった。そんな中で、「近藤さん、もう復帰できますでしょう。もう次の作戦考えてくださいよ」。甲州勝沼、これは山梨県。山梨県の甲州の甲府の城を先に取って、その上で盛り返しましょう、なんとか、となるわけです。
でも甲府に行ってこいというふうに幕府側から言われた時には、もう甲府、多分ダメだろうなって頃だったわけですよ。にもかかわらず新選組に行ってこいっていうのは、もうお前らどうでもいい、そういうふうなメッセージでもあったらしいんですね。慶喜的には、これからなんとかうまくコントロールして、揉めたくないわけですよ。だから部下が1回ドンパチやっちゃったけど、戦おうと思ってないわけ。江戸城もその後、無血開城するわけでしょ。平身低頭、すいませんすいませんってやって、なんとか次の世も生きたいって思ってる徳川慶喜と、その下にいて「幕府に命かけますから」って言ってやってる新選組とのギャップがここにあるんですよ。
「あいつらやばいですよ。新選組、誠って入っちゃってますからね。絶対に、絶対に死ぬまで新政府軍と戦う気ですよ」「しょうがねえな。次の時代には生きられない人種だ。甲府に行かせろ」って、甲府に行くんですよね。甲府に行った時には、向こう、もうすでに甲府城は取られたんですよ。1300人。それを率いてるのは板垣退助だったんですね。「板垣死すとも自由は死せず」で後に有名になる板垣退助が率いる1300人。対する新選組残党、200人。
沖田はもう病床にいて、「ごめんなさい、近藤さん。俺、全然力になれなくて。甲府行くんすか?」みたいな。「行ってくる。治ったからな。なんとかやってくるよ」って行くんですね。たった200人で近藤は陣を敷くんですよ。1300人の新政府軍が最新兵器で待ってるわけですよ。城をもうすでに取ってて。「遅いっすよ、近藤さん、これ」って言いながら、「死ぬしかねえだろう」とかやってるわけですね。それでバーって攻めて行くんですけど、バンバン撃たれるんですね。「あかん、これ絶対無理や」ってなって、「撤退だ。1回撤退だ」。もうぐっちゃぐちゃなんですよ、新選組が。「これどうすんだよ。近藤さん、どうすんの、これ」。もうむちゃくちゃ。
その頃には士気がぐちゃぐちゃになっていて、永倉が喧嘩しちゃうんですね。「近藤さん、俺もう会津行きますわ。松平容保さんの会津藩行って、それでしっかり立て直しましょう」って言うんですね、永倉が独自な案で。その近藤が、「そんな指示は受けてないからダメだ。そんな指示受けてない。勝手に動くな」「いや、勝手に動くなって。もうだって、勝手も勝手でしょ。負け続けてんすよ? 新選組も名前変えられちゃって」。その時に甲陽鎮撫隊っていう、甲府を治める隊みたいな名前に改称されて、「適当な扱いされてんだよ、俺たちは。もう新選組の誇りも何もねえじゃねえかよ。掟も鉄の掟も何もねえよ。あんただってよ、肩撃たれて鳥羽・伏見いなかっただろ」。わーってなるわけですね。「そんなこと言うんだったら出てけ!」「ああ、出てくよ!」。
ここで永倉が離脱するんですよ。「俺は俺のやりたいようにやらせてもらう。あんたについてっても、もう勝てないと思うからよ」ってバーって出てくんですね。永倉、あの時から一緒だった。2番隊隊長ですよね。1番隊の沖田は病気、2番隊の永倉は離脱、もうボロボロ。
そんな中、最後の戦いです。近藤にとってはね。千葉の下総、流山に陣を敷くんですけども、すぐに囲まれるんですよ。バーン、囲まれた。「近藤さん、もう無理かもしれない」「ああ、そうだな。切腹するしかねえか」ってなった時に、土方が、「近藤さん、あんただけは死なないでくれ。あんただけは生き残ってくれよ。そうだ、何をやってもいいんだよ。あんたが生きてればまだ望みがあるんだよ。俺たちの誠ってのは、あんたにとっての忠義なんだよ。あんたについてくって忠義なんだから、俺たちの誠の字を消さないでくれよ。近藤さん、情けねえと思うかもしんないけど、俺の言うこと聞いてくれ」。
「名前変えて捕虜になって、なんとかギリギリ生きててくれ。近藤だってバレるなよ。近藤だってバレたら殺されるから。別の偽名使ってでも、向こうで捕虜になっててくれ。その間、俺は勝海舟に会いに行く」。勝海舟は新政府軍とも顔が利く幕臣なんですよね。「勝海舟ならうまく調整してくれるから。あんた、名前、そうだな、大久保。大久保でいい。大久保大和って名前でいいよ。大久保大和っていう名前の人間だとして捕まっといてくれ。そしたら俺が勝海舟に会って、大久保っていう捕虜を解放するように言ってもらう。それが実は近藤だってことは極秘にしてな。行ってくるから。俺、先行くわ」。バーって土方、そこを離脱するんですね。
それで捕まるんですよ。武士として情けないけれども、大久保大和として捕虜になるんですね。あの近藤勇が「大久保大和です」ってなるわけですよ。ところが土方が、「勝さん」って行くんですよ。ダンダン!「勝先生いますか? 土方です。事情がありまして」「どうしたんだ?」「うちの局長が今、大久保大和として捕まってます。でもなんとか命を助けたいんで、このままだと処刑されちゃうから、なんとか嘆願書を作ってくれませんか」「分かった。近藤君の命だけは助けるようにと。大久保大和という侍を助ける。分かった、これでいいんだな」「分かりました」。タタタって向かってるんですね。「近藤さん、死なないでくれ」。
そしたら近藤が捕まってるでしょ、牢屋に。1人の人間が牢を回ってるわけですね。「なんか怪しいやついねえか。新選組の残党とかいたら見つけろよ」って言ったら、「おい、近藤勇だ!」ってなるわけですよ。「近藤勇がここにいるぞ!」。1人の兵士が騒ぐんです。「忘れねえよ、近藤勇。お前の顔忘れねえよ」「お前、誰だ?」「俺は元御陵衛士だ」。あの時、伊東甲子太郎ぶっ殺して逃げた、ほうほうの体で逃げたあの御陵衛士が、新政府軍に入ってたんですよ。「あの時よくもやってくれたな、伊東先生。お前の顔忘れねえぞ。近藤勇!」。
地獄の。「近藤さん、死なないでくれ」。土方が言ってる間に、大久保大和、近藤勇の疑いありということで引っ立てられるんですね。そしてこいつは大悪人だっていうことで処刑されるんですよ。「近藤勇、処刑に処す」って。「なんだ、切腹は?」って言って、「切腹なんかさせねえぞ、この大悪党が。農民の出だろ、お前は」って言って、切腹させてもらえないんですよ。「斬首の刑だ」。バーン。近藤勇はそこでさらし首になるんです。「大悪党、近藤勇」。
強敵。ここなんですよ。鳥羽・伏見の戦いで多くの人間が心折れたのは、実は錦の御旗っていうのが掲げられてたんですね。真っ赤な旗なんですよ。そこに金色の日の丸が書かれてて、金色で天照大神って書いてあるんですよ。これが朝廷を守る者が戦う時、与えられる旗なんですって。かつて歴史上、今までも出されたことがある、錦の御旗って言われるものがあるんですよ。それが真っ赤な旗に金の日の丸が入ってる、朝廷に仇なす者を討つ部隊に朝廷が与える旗なんですよ。その伝説の旗がここで長州、薩摩が掲げてくるんですよ。
「俺たちは何を守ろうとしてたんだ? 日本を守ろうとしてたのに。なんで俺たちは今、あの伝説の旗を掲げられてんだよ?」って、散り散りになって、心破れて、「侍だったのに、侍に憧れてたのに」って、誠っていうものを持ってたのに。バーン。逆賊。首をさらされるんですね。近藤勇、悲しい死なんですよ。
そしてもっと悲しいのが沖田総司なんですね。近藤の死を知らされてないんです、まだ。知らされずに療養してるんですよ。「近藤さん大丈夫かな?」って言って、時を同じくして沖田も死んでしまうんですよ。ここで沖田、近藤が死す。うわあ、土方がね。それを勝の手紙を握りしめて、後に聞くんですね。「近藤さん処刑された? どうなってんだよ。なんで? 沖田は?」「沖田も……」。もうむちゃくちゃです。永倉はいない。近藤も沖田もいない。
そんな中、「逃げよう。会津に行く」って言って、松平容保の会津藩に行くんです。斎藤一とこの土方だけですね。会津に行くんです。会津戦争っていうのが始まるんですね。まだ許さないですよ。こうなって、新政府軍がどんどん攻めてくる。バンバンバン。もう会津もすぐ落とされるんですよ。
落城寸前だってなった時に、この土方が、「もうダメだ。斎藤、俺たちはもっと北に行くんだ。仙台に行くんだよ。仙台に行って援軍を要請するんだ。この東北の連合は、新政府やりすぎだって言って、俺たちの味方についてくれるって話があるから、行くんだよ、斎藤」って言ったら、斎藤が、「土方さん、もういいんですよ。俺たちは松平さんにここまで育ててもらったんすから、松平さんの藩を守って死にましょう」。こう言って、斎藤が初めて自分の意見を言うんですよ。「斎藤、あの寡黙なお前が俺に意見をするなんて初めてじゃねえか。本気なんだな、ここで死ぬって」「はい、俺の武士道はここで終わりです。土方さん、行ってください」。
「ここでお別れか。試衛館の人間、全員バラバラってことだな」って、バーって、そこで仙台に行く土方。会津で自分は死ぬって言った斎藤で別れて、いよいよ試衛館の全員がバラバラになるということになるんですね。そして仙台に行った土方は、そこで榎本武揚という旧幕臣と出会って、「蝦夷に行くんだ。北海道だ。新政府はやりすぎだ。北海道で新政府に不満を持ってる奴らを集めて、新しい国家を樹立するんだよ」。榎本武揚ってやつがすごい計画をぶち上げる。「よし、分かった。それに乗った」って言って北海道まで行くんですね。
そして会津が落とされる。会津の城が落ちて、まだ北に進んでいく。どんどん新政府軍は絶対に手を緩めない。最後の最後まで、日本を統一するまで、この最後の武器で、イギリス、フランスからの武器でとどめを刺すんだ。そして最後、箱館五稜郭。あの五芒星の要塞にこもった最後の最後の新選組。それが土方歳三。鬼の副長はたった1人でそこを守ろうとして死ぬんですね。パーン、撃たれて、「近藤、お前に会いに行くよ」って死ぬわけなんですよ。
そして逆賊新選組全滅ということで、「恐ろしい人殺し集団、新選組というならず者はもういなくなったぞ」ということで悪名を流布されて、あれだけ仁義の男たちと持て囃された奴らは全員いなくなったのでした、というお話なんです。
ところが、その後に名誉を少しずつ回復していくんですね。実は斎藤一、生きてたんですよ。会津の城、落とされたんですけど、そこで一仙台藩士として名前を変えて降伏し、そこから警視庁に入って、明治政府の配下に入って、それで西南戦争で西郷軍と戦ったり。後には、それでも生き残って、学校で教員をやったり、剣術の指南役をやったりして、ゆっくり年を取って死んでいった斎藤一。静かに名前を変えながら生きてったという男がいる。
そしてもう1人、永倉新八なんですよ。永倉新八も別部隊に行ったでしょ。そこで生きてたんですよ。明治の世に行くんですね。新選組ってのはどんだけひどい奴らだったかっていう悪評をずっと聞いて、老人になっていくんですよ。斎藤一って名前を隠して、ずっと地味に生きていくわけですよね。無口な寡黙な男ですから、文句言わない。でも永倉新八、勝ち気でしょ。「新選組のこと、みんなあんなふうにしてむちゃくちゃ言ってやがって」って思ってるわけよ。ちくしょう。
老人になってから、「そろそろ言ってもいいかもな。俺、新選組だったんだよ」って言って、新聞に連載を始めるんですよね。「永倉新八」っていう連載タイトルなんですよね。小樽でひっそりと暮らしてた永倉新八が、そこから連載始めて、新選組は何だったのかっていう話を始めるんです。そこからじわじわ、「新選組ってそんなドラマがあったんだ。単なる人殺しのむちゃくちゃな集団じゃなかったんだ」っていうことを、みんなが興味を持ち出す。
なんと新選組の名誉を回復する、その足がかりになったのは、あの近藤に対して「お前とは話合わねえわ」って離脱した永倉だったんですね。1番気が合わない。反りが合わなくて喧嘩ばっかしてた。途中1回、「近藤はやりすぎだ」とか言って、松平容保に嘆願書出したりとか、色々トラブルになってる。そんな永倉が、名誉を回復するために語り出すんですね。
そのサブタイトルも面白いですよ。「昔は近藤の友達、今は小樽で隠居中」っていうサブタイトルなんですよ。なんかご陽気なサブタイトルですね。「昔は近藤の友達、今は隠居中」みたいな、そういうタイトルですね。書いてって、そうだったのかと、なるほどなと。
つまり彼らは、何か悪いことをしようとか、天皇に反旗を翻そうとか、日本を潰そうとか、そういうことをしてたわけじゃないんですよね。ある江戸という時代の中で、侍っていうのは主君に尽くして死ぬんだよ。そういう侍道っていうものを徹底的に教え込まれた子供たちだったんですよ。その儒教の教え、それが侍道として利用された話っていうのは、徳川の時代の話で何度もしてますよね。それまでは仏教とか、いろんなもので、仏教と神道の習合したもので国民の倫理観を作ってたけども、それがあやふやになって、この江戸時代は儒教と侍道で倫理を作ってた。その倫理のど真ん中にいたのが彼らなわけですよ。
彼らは教えてもらった、学校とか親に教わった「主君に尽くして死ぬのが侍道だぜ」っていうことを守りきって、いつの間にか逆賊になってたんです。彼らはあまりにも侍だったがために、大きな時代の変化に乗り移ることができなかった。そんな不器用な男たちだったんじゃないかっていうことが、その後の日本人の心を打ってったんですね。
うわあ、不器用な奴らだな、あいつら。でもなんかすごいいろんなもの信じて、でも時代が変わっちゃったんだもんな。でもそういうことってあるじゃないですか。この時までは正しかったことが、いつの間にか時代が変わって、「そんなやり方古いよ」って言われたり、「そんなのもうダメだよ」って言われて、「俺が間違ってるのか? それとも俺の信じてるものを守り通す方がいいのか?」。そういうふうに揺らぐ。そういう人たち、いっぱいいると思います。そういった人たちの生きる支えになっているストーリーに今なってるのが、新選組というお話なんじゃないでしょうか。
今、日本もかなり色々揺らいでますね。価値観が揺らいでる中で、今の価値観を守り通すのか、それとも時代に合わせて乗り移るのか、それを選ぶ1つの教科書になってるかもしれません。新選組、眩しい青春群像劇。ではまた。
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