道徳と金儲けは両立するか――中田敦彦が読む渋沢栄一『論語と算盤』
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY中田敦彦は「エクストリーム日本史」の一編として、渋沢栄一の『論語と算盤』を取り上げた。中田はこの本を、これまで紹介した書籍の中で「中田的ナンバーワン」と呼び、今後10年の自分のバイブルになるとまで言う。動画の中心にある問いは、本の大テーマとして中田が示すものと同じで、「人がより良く生きるにはどうすればいいのか」である。同じように国のために働き、同じように大きな実績を残しても、人から慕われる人とそうでない人がいる。その差はどこから生まれるのか。中田は渋沢の経歴と本の各章を順にたどりながら、道徳と経済を一体として捉える渋沢の考え方を紹介し、ところどころに自分の受け止め方を加えていく。
孫子から論語へ、そして渋沢栄一へ
中田がこの本を選んだきっかけは、以前の回で『孫子の兵法』を扱ったことだという。西洋の教えの方が現代的に思えて古代中国の思想は後回しにしていたが、孫子が非常に面白かったため、侮れないと考えて孔子と論語に進もうとした。ただ、孔子そのものに取り組む前に、渋沢栄一が論語を扱っていたことを思い出したという。
参考書籍として中田は2冊を挙げる。1冊目は漫画版の『論語と算盤』である。論語と算盤の一節を渋沢がセリフとして口にしながら生涯をたどる構成で、本の内容をがっつり解説するというより、セリフの中に教えが織り込まれている。渋沢だけがかっこよく描かれ、ほかの人物はかなり悪く描かれているので、感情移入しやすいと中田は評する。2冊目は角川ソフィア文庫版で、見た目は硬いが非常に面白く、過去にないほどメモを取ったという。中田は、漫画版でざっと内容をつかんでから文庫版を読む順番を勧めている。
攘夷志士から財界人へ――渋沢栄一の経歴
中田によれば、渋沢は江戸末期から明治初期に活躍した人物で、経歴そのものが面白い。もともとは外国を打ち払い、幕府も倒そうという攘夷志士だった。ところが、ひょんなことから、まだ将軍になる前の徳川慶喜の下で働くことになる。その慶喜が将軍になったため、倒そうとしていた幕府の中核に入ってしまった。
優秀だった渋沢はパリ万博に送られ、フランスの先進的な文化に衝撃を受ける。ところが帰国すると幕府はすでに倒れていた。それでも能力を買われて明治政府の大蔵官僚として働いたが、思うところがあって民間に移り、経済界を盛り上げる道を選ぶ。
財界人としての渋沢が導入したのが、パリで見てきた株式会社の仕組みである。多くの人が出資して大きな資金を集め、大きな事業を行い、利益を分配する。中田の説明では、当時の日本では商人が自分の資本で自分の商売をするのが普通で、この考え方はまだ根付いていなかった。渋沢はこの仕組みで次々と会社を作り、中田は今のみずほ銀行、アサヒビール、サッポロビール、東京海上、帝国ホテル、東京ガス、王子製紙などを渋沢が手がけた企業として挙げる。維新志士から幕臣、官僚、財界人へと立場を変え、しかも長生きした。中田は、渋沢を人生経験が非常に豊かな人物として描く。
漫画版の冒頭――山縣有朋の亡霊
中田が特に面白いと紹介するのが、漫画版の冒頭場面である。老いた渋沢が教え子や子どもたちとゲームに興じたあと書斎に戻ると、山縣有朋の亡霊が待っている。
中田は山縣を、名前は知られていても非常に人気のない人物として説明する。軍の中枢を握ってトップまで上り詰め、総理大臣も経験したが、頭が良い一方でずる賢く、そのやり方が正しかったのか疑問視されたという。中田が漫画の描写として挙げるエピソードは二つある。一つは、クーデターが起きると知りながら、止めようとする部下に起こさせろと命じた話である。軍の改革を伊藤博文に認めさせるには一人か二人死ぬ必要がある、という理屈だった。もう一つは、公金を特定の商人に無担保で融資し、裏でキックバックを受け取っていた疑惑である。証拠をすべてその商人に押し付けて自殺に追い込み、商人は軍の省庁内で自殺して大事件になった、と中田は語る。
二人の評価の差がはっきり表れたのが葬儀だったという。渋沢の葬儀には関係者だけでなく民間人も大勢集まり、何千人もがその死を悼んだ。一方、山縣の葬儀は日比谷公園での国民葬として1万脚の椅子を用意したものの、来たのは軍関係者約1000人で、9000席が余ったらしい。「民のいない国民葬」と言われ、死んだこと自体が社会貢献だとまで言われた、と中田は紹介する。
漫画の中で山縣の亡霊は、自分も軍の頂点に立って強い日本を作り、国のために尽くしたのに、なぜこれほど差がついたのかと渋沢に詰め寄る。渋沢は山縣の功績も立派かもしれないと認めたうえで、「私には論語があったのです」と答え、若き日の渋沢の物語が始まる。この比較こそが本の大テーマだと中田は位置づける。成功したい、名を知られたい、金持ちになりたいと願う人は多いが、山縣と渋沢の違いを考えることが、人がより良く生きるための鍵になるという。
孔子と論語、そして分断された道徳と経済
続いて中田は論語の背景を説明する。孔子は中国の春秋時代の人物で、乱世の中で国の治め方や人のあり方を説いて回ったが、当時の政治家にはほとんど受け入れられず、生前はあまり成功しなかった。それでも教えは高く評価され、最終的に3000人の弟子を持ち、中国の長い歴史の中で受け継がれて儒学・儒教の体系の元になった。
日本では江戸時代に儒教が広く取り入れられた。年功序列や親子関係、仁義といった、多くの人が持つ儒教のイメージはこの江戸時代のものだと中田は言う。そして、そのイメージ自体が実は違うことをこの本は教えてくれる、というのが中田の強調点である。
タイトルの秀逸さについても中田は説明する。論語は道徳、算盤は商人の道具であり経済を指す。道徳と金儲けという正反対のものを一つのタイトルに入れているのである。中田は自分の受験経験を引き合いに出し、道徳は受験に出ないので役に立たないと思われ、点数配分の高い教科を優先するよう教わってきたと話す。「役に立つが卑しい」とされる実学と、「ありがたいが役に立たない」とされる道徳は、江戸時代からはっきり分かれていたという。
中田によれば、江戸時代には働かないが偉い侍が儒教の教育を受けた。その儒教は、宋の時代に朱子が体系化し、徳川が取り入れて普及させた朱子学だった。一方、農工商はお金を稼ぐが、それは尊いことではないと教えられた。朱子学では金儲けをしてはならないという考え方が強く、中田はそのイメージを「中国のキリスト教」に近いと表現する。迫害されながら弟子を連れ、弟子たちが言行を書き残した点も聖書に似ている、と中田は言う。
この分断のまま明治維新が起き、侍がいなくなる。中田は日本の統治思想の流れを整理する。飛鳥時代に仏教を輸入して国を治めたが、権力との結びつきが行き過ぎ、戦国時代には寺を壊しながら新たな秩序が作られた。徳川幕府は儒教で治めたが、それも明治維新で壊され、そのあとに西洋の科学と技術が入ってきた。渋沢の見方では、西洋では道徳教育をキリスト教やイスラム教などの宗教が補っており、その土台の上に科学がある。ところが日本では道徳が失われた空白に技術だけが入り、金儲けばかりを目指す日本人しかいなくなっていた。そこで渋沢は経済と道徳を合体させ、失われた日本の精神教育を自分が教えると考えた。これがないと、たとえ成功しても山縣のような望ましくない成功になってしまう、というのが本の出発点だと中田は説明する。
国民から慕われ、官と民の両方を知る人物が書いたからこそ説得力がある、と中田は言う。経済だけのビジネス本なら大したことはないが、この人が論語を語るから面白いのだという。
本の構成――重要なことは最初の3章に詰まっている
中田によれば、本はおよそ10章で構成される。最初の3章に重要な考え方が凝縮されており、4章から9章は儒教への誤解の修正や細かなエピソードといった「おかず」の部分にあたる。そして最後に人生とは何かという結論が置かれている。時間のない人は1〜3章だけ読んでも面白いと中田は勧める。
処世と信条――士魂商才と神君遺訓
第1章「処世と信条」の主張は、論語と算盤は遠いようで近い、むしろ一緒でなければ意味がない、というものだ。ここで示されるのが「士魂商才」である。侍の魂を持ちながら商人の能力で戦う、これが新しい日本人のビジョンだという。
中田は、この言葉が菅原道真の「和魂漢才」のパロディだと説明する。大和の魂を持ちつつ、当時先進的だった中国の知識も備えるという意味で、道真は大和魂の大切さを説いた。渋沢は道真を非常に好んでいたという。中田は、本には山縣対渋沢のような「誰対誰」の構図がたびたび登場すると指摘する。道真を左遷した藤原時平は山縣の側、道真は渋沢の側に置かれる。士魂商才で大事なのは、大和魂だけでも商才だけでもなく、両者が合わさっていることだという。
論語が役に立つことを示す例として、中田が「ものすごく響いた」と話すのが「神君遺訓」である。神君とは徳川家康のことで、家康の遺訓とされる短い文章を指す。人生は重い荷物を背負って長い道を行くようなもので急いではならない、という一節から始まり、怒りは敵だ、苦しいときは困窮していた頃を思い出して耐えよ、と忍耐を説き、「及ばざるは過ぎたるに勝れり」で終わる。中田は、日光東照宮にも刻まれるほど有名な教えだと紹介する。家康の作ではなく光圀が書いたのではないかなど諸説あるが、渋沢は家康作という説を採っているという。
中田によれば、この遺訓は論語の寄せ集めで、同じ言葉がすべて論語に出てくる。家康は孫子の教えを武将に配るほどの勉強家で、儒教・仏教・神道もすべて学んでいたという。つまり侍にこそ論語が必要であり、これからは商売にも必要だ、というのが渋沢の主張だと中田はまとめる。
人を見抜く「視・観・察」
中田が特に面白かったと紹介するのが、人間観察法としての「視・観・察」である。
まず「視」は、その人の外側、つまり外部に現れた行動を見ることである。何をしている人で、どのように見えるかを確かめる。次の「観」では、その行動の動機を見る。中田は近所を掃除している人の例を挙げる。掃除しているという事実だけでは評価できない。いつもではなく6月だけ掃除しているのは、偉い人がその地域に来るからかもしれない。偉い人に気に入られたくて掃除するのと、皆のために掃除するのとでは意味が違う。
さらに深いのが「察」で、その人が何に満足し、何に喜びを感じているかを見ることだという。賢い人は動機さえ立派に語れるからである。中田は、町を良くしたいと語る政治家が、実際にはホストクラブでシャンパンを開けてSNSに投稿している、という仮の例を出す。何をしているときに楽しそうかを見れば、口で語る動機との乖離がわかる。
漫画の中で渋沢は、この枠組みを山縣の亡霊に当てはめる。国を強くして守りたいという動機も、軍のシステムを変えたことやトップに上り詰めたという行動も見ていた。しかしあなたは本当は、と察の段階に進む。中田は、山縣が批判された例として椿山荘を挙げる。椿山荘は山縣が別荘として作った土地の跡地らしく、役人でありながら広大な日本庭園を造って浪費していた。本当に国を強くしたかったのか、金儲けや出世、偉ぶることが目的ではなかったのか、と問われたという。
中田は現代のビジネスパーソンにも当てはめる。時価総額や運営サービスを語る「視」、国を良くしたい、人にチャンスを与えたいと語る「観」を固める人は多いが、実際には女優と付き合っているだけ、雑誌でかっこつけているだけという人もいる。察まで見ると面白い、と中田は言う。
蟹穴主義――分をわきまえるということ
では、どうあるべきか。渋沢が説くのが「蟹穴主義」だ。蟹は自分の甲羅の大きさに合った穴を掘って住む。同じように、身の丈に合った夢と生活を志せ、という教えである。
中田は、これが「どうせ夢なんか叶わない」と言う諦めた人の言い訳とは違うと強調する。大きな実績を残した人が自らの分をわきまえている、という点に重みがあるという。渋沢は官僚時代に国の政治に力を尽くそうとしたが、上司の井上馨と内閣の争いなどもあり、政治は自分に向いていないかもしれないと考えて実業の道を選んだ。そこで成果を出すと、日銀総裁や大蔵大臣にならないかと誘われた。気持ちは揺れたが、自分の分ではないとして日銀総裁を断った。中田はこれを蟹穴主義の実践として紹介する。
自分の得意を極めて社会に貢献することが満足であるべきで、分や才能を超えて手を出すのは名誉心や功名心から来るものではないか、それは人に察せられる、というのが渋沢の主張だと中田は説明する。
立志と学問――志は年齢で決まらない
第2章では志の立て方が扱われる。何をやりたいかわからないと悩む人は多い。論語には「十五にして学に志し」「四十にして惑わず」といった年齢の区切りがあるが、渋沢はそんなに単純なものではないと言う。
渋沢自身、若い頃は国を変えてやると血気盛んだったが、自分の能力に気づくまでには時間がかかった。自分に何が向いていて、どこにニーズがあるのかに気づいたのは明治の初め、大蔵省を辞めたときで、そのとき初めて志を立てたと思う、と渋沢は書いているという。中田によれば、そのとき渋沢は33歳だった。十五で学に志すというのは「いっぱい勉強しよう」程度の漠然としたものでよい。自分の向き不向きや長所短所がわかり、何で社会に貢献するかが見えたときが立志のタイミングであり、何歳かは問題ではない。中田はこの部分をビジネス書的だと評する。
常識と習慣――智情意と「完き人」「偉き人」
志を立てたあとに必要なのは何か。第3章「常識と習慣」で渋沢は、必要なのは「常識」だと答える。中田はこの常識を、核となる品格のようなものと捉えればよいと説明する。常識を備えるには「智・情・意」、すなわち知恵・情愛・意思が必要である。中田はこれを頭脳とハートとウィルと言い換え、視観察と智情意の二つを覚えるだけでも渋沢から多くを学べると言う。
順序としては、まず意思がある。意思のない者は何もできない。しかし意思だけでは役に立たないので、知恵が乗らなければならない。だから勉強しろ、と渋沢は言う。意思と知恵があれば実績は出せる。ところが情愛がなければ、必ず何らかのトラブルに巻き込まれる。結果を出せば嫉妬されるかもしれないし、ライバルを蹴落とせば恨まれるかもしれない。利益を分配せず独占すれば糾弾されるかもしれない。意思を持つ者が知恵を身につけ、情愛をもって分け与える。これができて初めて「完き人」になれるのだという。
渋沢はこの「完き人」と「偉き人」を区別する。三つのどれかが欠けたまま結果を出した者は偉き人である。情愛がなくても結果は出せるし、才能がなくても優しさと意思があって周囲に助けられることもある。意思がなくても、優しく才能のある人が引っ張り上げられて結果を出すこともある。しかし、それは完き人ではない。
秀吉と家康の比較
この違いを示す例として、渋沢は秀吉と家康を比べる。渋沢は秀吉を、とてつもない勉強家で才能の人だと評価しているという。中田の説明では、草履を温めるところから始まり、小部隊を任されれば完璧に仕事をし、さらに大きな部隊を任されてもまた完璧にこなし、柴田勝家や丹羽長秀と肩を並べる幹部になった。毛利攻めの最中に光秀の謀反を聞くとすぐに和睦し、数日で引き返して、本能寺の変から約3年で天下人になった。意思と知恵は申し分ない。それでも、自分が手にした領域を治めきれなかったことが秀吉の敗北だという。
一方の家康には、神君遺訓に表れているとおり論語の研究があった。いかに国内を治めるかという適材適所が完璧で、外様・親藩・譜代の配置や五人組制度など、反乱を起こさせない人の統制ができていた。渋沢は家康を日本史上で最大限に絶賛している、と中田は言う。
中田自身、信長・秀吉・家康の評価が「好み」の問題のように扱われることに問題意識を持っていたという。若い頃は信長がかっこいいと思い、大人になると貧しい身分から成り上がった秀吉のすごさに気づく。秀吉は調略や事前の調査を重んじ、なるべく戦わずに勝つ点で孫子的だった。それでも朝鮮出兵で無理をし、力をうまく継承できずに三成は敗れた。何が違ったのかと考えながら、家康のすごさを漠然と感じていたので、渋沢がそれをはっきり書いていて嬉しかったと中田は語る。
習慣がすべてをつくる
智情意はすぐに身につくものではなく、毎日の習慣によって着実に作られる、と渋沢は言う。人は成功者を羨み、失敗者をほくそ笑むが、成功者がどれだけ努力してきたかを理解していないと、良い習慣を始めようとは思えない。一発逆転や運で成功したという考えがどこかにあるから、地道な努力ができない。成功が日々の積み重ねでしかないとわかれば、今日からでも良い習慣を始めよう、というのが渋沢の主張だと中田は紹介する。
中田は1〜3章をこう要約する。才能だけでは駄目で、道徳を学ばなければならない。才能も道徳も勉強によって積み上げていくものである。その中で得意と不得意を見つけ、蟹穴のように自分に求められることをきちんとこなして社会に奉仕する。我欲のために何かを犠牲にすれば必ず見抜かれ、穴に落ちる。だから私とあなたは違うのだ、と渋沢は山縣に告げる、という構図である。
仁義と富貴、理想と迷信――孔子に立ち返れ
第4章「仁義と富貴」で渋沢は、金儲けを汚いものとみなす考え方に憤慨していると中田は言う。儒学もキリスト教も仏教も、金を稼ぐことと善いことを別物と扱いがちである。しかし孔子は、汚いことをして稼ぐくらいなら貧しい方がいいと言っただけで、正しいやり方で儲けるのは構わないという考えだった。正しく儲け、正しく分け与えることが人間の活動にとって非常に大事である。「よく集め、よく散ぜよ」の「散ぜよ」は散財しろという意味ではなく、国を良くすることや設備投資、新しいサービスづくりのような良いことに使え、という意味だと中田は説明する。仁義道徳がなければ富貴利益は長続きしない、という主張もここで繰り返される。
渋沢は、儒学を変質させた朱子学をかなり攻撃しており、元祖である孔子に戻れと言っている、と中田は言う。では古い教えで良いのか。第5章「理想と迷信」で渋沢は、科学技術のように進歩するものもあるが、人がどうあるべきかという道徳は日進月歩で変わるものではないと答える。道徳はすでに完成しており、それを骨身に染み込ませるかどうかが問題だ、というのである。
修養と人物の見方――松平定信、西郷隆盛、乃木希典
第6章「人格と修養」で渋沢は、手本となる3人の人物を挙げる。
一人目は江戸中期の老中、松平定信である。渋沢によれば、定信は10歳ほどで世界で戦いたいと言い出し、12〜13歳で本を書き、14歳ほどで和歌を詠み始めた天才だった。意と智はそろっている。ところが情の面では、10代の頃は非常に短気で、キレていないときがないほどだったという。それでも後の定信は精神の安定した老中として評判になった。修養、つまり自ら学んで身を治めることで人は変われる。中田はこれを「ユー・キャン・チェンジ」と表現し、引っ込み思案もキレやすさも変えられるというメッセージだと読む。
二人目は西郷隆盛である。中田は、このエピソードが何を示しているか考えてほしいと前置きして紹介する。大蔵省が全国一律で村や町の収支の制度を改めようとしたとき、ある町から苦情が出た。その町はかつて二宮尊徳(二宮金次郎)に救われていた。尊徳は過去十数年分の歳入と歳出を分析して平均を出し、支出を切り詰め、平均を上回った年の分は貯蓄と投資に回すといったルールを作っていた。町の人々はそれを失いたくないと西郷に訴えた。西郷はなんとか残したいと思ったが、大久保利通や大隈重信は聞き入れそうになく、井上馨には怒鳴られそうだと考え、まだ大した地位になかった渋沢のもとを訪ねた。
渋沢が「二宮のルールがどういうものかご存じですか」と尋ねると、西郷は全く知らないと答えた。渋沢はルールの中身を説明し、町の経済にとって悪いルールではないと認めたうえで、こう述べたという。大蔵省は国全体のルールを整備し、西欧に恥じない近代的で豊かな国を目指している。一つの町のために改革をやめたり特例を作ったりすれば、その町の利益にはなっても全体の利益にはならない。自分たちが背負っているのは国家ではないのか、と。西郷は黙ってうなずき、文句も言わずに帰った。渋沢はその姿を見て、西郷を信頼できる人だと思ったという。
中田はこれを、西郷の人柄をよく表す話として読む。のちに武士の不満を背負って勝てない戦いに向かったのも、勝てるからではなく、頼まれたから自分にできることをしようとしたのではないか。中田は、意と智の人と対比して、情愛の非常に強い人物をここで示したのだと解釈する。
三人目は乃木希典である。中田は乃木を、天皇の崩御後に自宅で自害し、殉死を選んだ陸軍大将として紹介する。渋沢は、その死がセンセーショナルに扱われているが、殉死だけを論じても乃木を論じたことにはならないと述べているという。渋沢によれば、乃木は清廉の人として知られていた。撃たれて傷が膿んだ身分の低い兵の膿を、最も地位の高い乃木が自ら吸い出した。その兵は後に命がけで乃木を守った、という逸話が有名らしい。それを、恩を売れば命がけで守るだろうと計算した行動だと見る人もいた。しかし、乃木は偉くなる前からそうしたことをしていた、という話も残っているという。そういう人が、自分が尽くすと決めた存在を失ったときに自害した。その文脈まで含めて考えれば、殉死の是非だけでなく乃木がどういう人物だったかが理解できる。行動だけでなく背景や何に満足するかまで見ることが人を見ることだ、と渋沢は言う。中田は、歴史上の人物を視観察と智情意で分析できるかもしれない、と受け止めている。
孔子とキリスト――勝って、優しくする
中田が「そこまで言ってくれるのか」と驚いたのが、孔子とキリストの比較である。渋沢は両者が似ていると認める。ただし孔子は紀元前の人物で、宗教として教えを作ったわけではなく、乱世における生き方を説く政治学・哲学・道徳から出発した。キリスト教はユダヤ教の一派として宗教として始まった。出発点は違うが、迫害されながら多くの弟子を持った雰囲気は似ている、という。
それでも渋沢は、自分はキリストより孔子だと言う。右の頬を打たれたら左の頬を出せ、という博愛主義は違う、勝たなければならない戦いはある、というのである。智情意を備えた完き人となって勝つべき勝負には勝ち、その勝利を皆のために使う。それが渋沢の正義であり、競争そのものを否定するのではなく、良き競争か悪しき競争かが大事だという。
中田はここで、自分の意見だと断って語る。道徳はただ優しくしろと説くが、勝たなければならない場面や、優しいだけではつけ込まれる場面がある。守りたい人がいても、弱い人間には守れない。しかし強い人間はしばしばずるく、優しくない。ナポレオン、ヒトラー、毛沢東、スターリン、ルーズベルトといった強い人々は本当に優しかったのか。大量に殺し、大量に破壊した人が偉人と言えるのか。ただ一瞬偉かっただけの悪名高い人ではないのか。中田はそう考えてきたという。その問いへの答えが、視観察、智情意、完き人と偉き人の区別であり、とりわけ「勝って優しくする」という孔子対キリストの議論が自分に深く響いた、と中田は語る。
教育と情誼――知育と徳育を一緒にする
渋沢は、儒学は侍だけのものではなく、「武士は食わねど高楊枝」のように心だけ立派で金を稼がないという教えでもないと繰り返す。これからは欧米と張り合わなければならないのだから金を稼げ、そのうえで優しくあれ、という主張である。知能だけを育てても強いだけの悪い人間が育つ。侍には道徳を、農工商には金儲けを、と別々に教えてきたのが間違いで、知育と徳育を一緒にして初めて皆のために金を稼げる人材が育つ。ここから話は教育に移る。中田は、70歳を超えた渋沢がこれから教育を考えたいと述べていると紹介する。
渋沢は、儒学を親孝行の宗教と見るのも誤解だと言う。親が子に孝行を強いるのは地獄であり、親が言うべきことではない。孝行の形はさまざまで、親の世話をすべてするのも孝行かもしれないが、何もせず親に面倒を見させる子が、親にとって嬉しいならそれも孝行かもしれない。子が親を尊敬するあり方さえあればよい。目上に逆らうなといった考え方は江戸の朱子学が行き過ぎたもので、儒学の基本概念ではない、という。さらに渋沢は、この時代にすでに女性教育の重要性を説き、女性が担う役割の大きさを理解すべきだと述べていたと中田は紹介する。
一方で、中田が「シビアな一面」と呼ぶ指摘もある。かつての教育は、吉田松陰のような優れた師のもとに、実績を慕う者が自らの意思で弟子入りする形だった。少数の天才を生む教育である。明治になって学校ができ、誰もが教育を受けられるようになると、真面目に受けない生徒が増え、落語や講談を見に行くような感覚で「今日の先生は面白くない」と言って帰るようになった。渋沢はそれでいいのかと問う。皆に一定の教育をすれば全体の水準は上がるかもしれないが、誤解してはならない。才能には差があり、できない人はできない。だからこそ蟹穴主義が大事で、できないならできないなりに、できるならできるなりに社会に貢献することが幸福であり、成功することが幸福なのではない。同じ教育を受けたから全員が同じ成功を収めるはずだと考えるのは、間違いと苦しみの始まりだ、と渋沢は述べているという。
成敗と運命――本当の成功とは何か
最終章で渋沢は、成功と失敗とは何かに行き着く。ここで再び菅原道真が登場する。中田の説明では、道真の時代には和魂漢才をめぐる議論があった。中国の知識は大事だが、莫大な費用と人命をかける遣唐使は形骸化しており、今は和魂を大事にすべきではないか。そう訴えて遣唐使の廃止に関わった道真は恨みを買い、右大臣と左大臣として争っていた藤原時平によって大宰府に左遷され、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花」と詠んだ。しかし後世、時平を尊敬する人がいるだろうか。道真は天満宮に学問の神として祀られ、受験生が参拝に訪れる。どちらが成功したのか、と渋沢は問う。
もう一つの例が足利尊氏と楠木正成である。尊氏は南北朝の動乱の中で寝返りを重ね、最終的に室町幕府を開いた。しかし尊氏をかっこいいと言う人がいるだろうか。一方で、ぶれずに忠義を貫いた正成は非常に人気があった。この世での成功は一瞬だが、その人がどう生きたかは案外残る。それこそが本当の成功ではないか。そう考えれば、小さな成功や失敗は残りかすのようなものだ、と渋沢は言う。
大事なのはどう生きるかであり、それが天命だという。自分が何を志し、誰のために生きるのか。それさえぶれなければ、成功しようが失敗しようが関係ない。皆のために自分ができることをやろうではないか。これが論語と算盤を合わせた結論だと中田はまとめる。
中田の結論――「これは聖書なのではないか」
中田は読み終えたとき、この本が自分のバイブルになると思い、さらに「これは聖書なのではないか」と感じたという。日本で失われた道徳を、現実の経済に即して教えることで、現代の聖書を作り出している。渋沢は相当すごい人物だ、というのが中田の評価である。
一方で、中田は欠点がないか探したとも述べ、渋沢は女性関係にだらしないところがあり、娘たちからかなり言われていたそうだ、と付け加える。そして、誰のためにどう生きるのかを各自で考えてほしい、と視聴者に問いを投げかけて動画を締めくくっている。
どうも中田敦彦です。さあ、今日も早速参りましょう。エクストリーム日本史、渋沢栄一『論語と算盤編』。すごい!ありがとうございます。
僕、今回『論語と算盤』を選ばせていただいたのは、『孫子の兵法』をやらせていただいたんですよ。古代中国の教えですよね。どっちかというと西洋とかの教えの方が今っぽいような感じがしてて、古代中国の教えを後回しにしてたんですけど、孫子の教えをやって、むちゃくちゃ面白かったんですよ。その上で、これは侮れないと思って論語に行こうと、孔子に行こうと思ったわけですよ。ただ、孔子の本体に行くより前に、そういえば論語を渋沢栄一が扱っていたなというふうに思い出したんですね。
正直、この『論語と算盤』、今まで紹介した書籍の中で中田的ナンバーワン。中田的ナンバーワン、ついに出ました。これは僕にとっての、おそらくこれからの10年のバイブルになると。それが一体何でなのかっていうのをご説明しつつ、今回参考にした書籍をまずご紹介したいんですが。
まずざっくりと軽く触れたいという方には、こちら『漫画版 論語と算盤』ですね。これ、非常に読みやすいです。『論語と算盤』の中の一節を渋沢栄一がセリフとしてちょこちょこ言いながら、渋沢栄一の生涯を語る感じなので、『論語と算盤』がっつりというよりは、そのセリフの中に含まれてるって感じ。ただ、こんなすごいかっこいいやつなんだってのは分かります。とにかく渋沢栄一一人がイケメンに描かれてて、他はだいぶ悪く描かれてるので、すごい思い入れは入れやすいですね。
その上で、かたい方も行かなきゃなということで、この角川ソフィア文庫の方の『論語と算盤』。かたそうでしょ。ただ、これ、むちゃくちゃ面白かったんですよ。正直、漫画版でさらっとさらった後に、こちらをがっつり読んでいただきたい。私、過去にないぐらいメモりましたもんね。ものすごいメモってるんですよ。文庫版にこんなにメモるかっていうぐらいメモらせていただきまして、面白かったんですよね。
というのも、なぜなのか。それをちょっと前半説明したいと思うんですけども、この『論語と算盤』、中田にドンピシャでした。その渋沢栄一さん、まずすごいかっこいい人だなとは思ったんですよね。時代でいうと、日本の江戸末期から明治時代の初期を彩った日本の偉人なんですけども、結構経緯が面白いんですよね。元々は攘夷志士だったわけですよ。外国を打ち払って、もう幕府もぶっ倒しちゃおうみたいな、革命思想だったわけですよね。
ところが、幕府ぶっ倒すぞって言ってた血気盛んな若者だった渋沢が、ひょんなことから徳川慶喜、その時はまだ将軍じゃなかった慶喜の下で働くことになるわけですよ。こっち側につくんだって言ってたら、慶喜が将軍になっちゃうというね。潰すぞって言ってたその本丸の中核の幹部になってしまうということがありまして。そんな中、徳川を頑張って支えなきゃというふうになった時に、優秀だったのもあって、パリの万博に連れていかれるんですよね。「パリ万博、お前見てこい」と。
行ったら、フランスのあまりにも先進的な文化に触れて、「すごい!すごすぎる!」と。これは日本ももっとこういうふうに進歩しなきゃっていうのを見て、帰ってきた時に倒幕されてるというね。幕府がもうないんですよ。「うわあ、明治政府!」。でも優秀ですから、大蔵官僚として働くんですが、色々と思うところあって、「これは俺、官僚じゃないかもしれない」と。国家側よりもむしろ民間に移って、商売とか経済界を元気にするぞということで、財界人になりました。
そして財界人として、このパリで見てきた株式会社の概念を導入するんですよね。株式会社ってのはすごいよと。いろんな人が出資して大きなお金を集めて、それで大きい事業をやって、みんなに分配するんだ。これが、言ったらまだ日本には根付いてなかったわけですよ。商人が自分の資本で自分の商売をする。それだけだった。それを集めて商売するんだということができれば、もっと先進国のような大きい経済を動かせる会社が作れるぞということで、作りに作りまして。今でいうところのみずほ銀行、アサヒビール、サッポロビール、東京海上、帝国ホテル、東京ガスに王子製紙。名だたる大企業全て、これ渋沢栄一が手掛けた企業であるというところで、面白くないですか?維新志士からの幕臣からの官僚からの財界人ですからね。ものすごい人生経験豊富なんですよ。しかも長生きなんですね。
この漫画の始まりのシーンが面白くて、始まりのシーンは、もうおじいさんになった渋沢栄一が、いろんな教え子とか子供たちと一緒にゲームに興じるんですね。勝って、「ああ、わしの勝ちだ」とか言って、「じいちゃんずるい」とか言った後に、自分の部屋に戻るんですよ、書斎に。そしたら亡霊がいるんですよ。シェイクスピアの話みたいですけどね。亡霊がいて、「誰だ、お前、そこにいるのは!」って言ったら、山縣有朋の霊がいるんですよ。
皆さん、山縣有朋って聞いたことあると思うんですけど、どういう人だっけって感じですよね。というのも、山縣有朋ってむちゃくちゃ人気ないんですよ。何でかっていうと、強い日本を作るぞということを山縣有朋は言って、軍部を押さえて、日本の軍の中枢を担って、そこを牛耳って、軍のトップまで上り詰めて、総理とかも経験するわけなんですけども。この山縣有朋っていうのは、とにかく頭はいいんですけどずる賢くて、とてつもない才覚を発揮するんですが、果たしてあのやり方で正しかったんだろうかと。
例えば、クーデターが起こるって分かっていながら、止めるって言った部下を、「待て」と。「クーデターを起こさせろ」っていうわけですね。「え、どうしてですか?人命が失われますよ」「俺たちがしたい改革があるだろう。軍のやり方を変えろって今言ってるけど、伊藤博文が聞かねえよな。クーデターをわざと起こさせるんだよ」「いや、でも」「でもじゃないよ。一人か二人死なないと、伊藤博文がうんって言わないから。一人か二人死んだところでクーデターを抑えればいいんだよ。頼んだぞ」。そういうことをやるやつなんですよ。実際にバンバンッと、わーっとクーデターが起きた時に、最初うまくいってるなと思いきや、後から取り押さえられて、「何だったんだ!?」。これ、実は山縣有朋が裏で糸を引いてたみたいな、そういうことがあったりとか。
外国でものすごい浪費してる商人がいて、「それ何なんだ?」って。軍から公用費が不正に渡されてたとかね。「お金渡された!?誰だ?」。山縣有朋がどうもその特定の商人にお金を無担保で融資していた。公金を無担保で融資している。ありえないじゃないか。なぜそんなことをする?どうやら裏でそのお金を少しずつもらうという、裏金をもらうんですよね。キックバックをもらうというやり方をやっていた。私腹を肥やしていたなんていうことが明らかになるんですが、その証拠を全部その商人に押し付けて、その商人が自殺するように仕向け、その商人はあまりの悔しさで、山縣有朋のいる軍の省庁の中で自殺をして、大事件になるとか。とにかく山縣有朋、大丈夫か?みたいなね。私腹を肥やすわ、権謀術数で成り上がるわ、あんなやつでいいのかって、ものすごい叩かれたわけですよ。
その渋沢栄一とこの山縣有朋の亡霊が会うシーンって面白いんですね。山縣有朋が「死んでも死にきれないよ」とか言って来るわけですね。「何でお前だけあんなに人気があるんだよ」とかって言うんですね。実は、この人気の差が明らかになったのが面白くて。
実はこの渋沢栄一ってのは、死んだ時に結構大往生ですよ。もう年齢もかなりいってから死ぬんですね。若くして死んだ人じゃないんですね。いってから死ぬんですけど、死んだ時に国民葬的な感じで、関係者がわーっと来て、民間人たちもわーっと来て、「渋沢さーん」なんて言って、ものすごい大騒ぎ。もう何千人とその死を悼んだという、渋沢栄一の葬儀というのがありまして。
かたや山縣有朋の葬儀っていうのは、これ大変だったんです。日比谷公園で国民葬を行うっていって、テントを張って、1万個椅子を用意したんですね。パイプ椅子をばーっと用意したんですね。軍の関係者1000人が来て、あと9000席余ってたらしいんですよ。国民葬から民がいない、国葬だっていってね。ものすごい人望ないやつだって、もうそこでもわーっとなって、「死んだのも一つの社会貢献ですね」とかってみんなに言われたりして、ものすごい雲泥の差がついてしまったんですよね。
その渋沢栄一に山縣有朋が吠えるわけよ。「許せない。何でなんだ?俺だって国のためにやっただろう。この山縣有朋、この国の軍部の頂点に立ち、強い日本を作り、今の明治の日本があるのは誰のおかげだと。私が強くしたんじゃないのか。私の志が間違ってたのか。何でこんなに差がついた?」って言った時に、「確かに山縣さん、あなたがやったことも立派かもしれない」「じゃあ何が違うんだ!?」「私には論語があったのです」っていうふうに言って、お話が始まるんですね。
若き渋沢栄一がわーっと始まるという、このストーリーの始まり、かっこいいです。「論語!?」とか言って、それで若い渋沢栄一が始まって、「ここがパリか!」とか言って始まるんですね、第1話が。その始まり方、面白いじゃないですか。まさにこの渋沢栄一の『論語と算盤』っていうタイトルからすると、意味分かんないでしょ、今のところね。論語と算盤。どういう意味?これもはっきりと解説させていただくんですが。
人が実績を残すっていうこととか、成功するとか、そういうこと皆さん思いますよね。成功したいって人いっぱいいるんですよね。どうやったら成功できますか?どうやったら世に名を知られますか?お金持ちになるにはどうしたらいいですか?こういう人は多い。でも、山縣有朋と渋沢栄一を比べた時に、一体何が違ったのか。それを考えることっていうのは、この本の大テーマになってるわけなんですよ。人がよりよく生きるにはどうすればいいのか。このテーマが非常に面白くて、それを知るためのキーがこの論語だっていうわけなんですよ。
この論語って何なの?孔子?ああ、ちょっとだいぶ古い人だよね。そうなんですよ。中国の春秋時代。出ましたね。孫子もそうでしたもんね。いわゆる春秋戦国時代ってのは中国古代、殷・周の終わり。殷、周、春秋戦国で漢の時代が来るわけですよね。前漢、秦、後漢で三国時代ということになるわけなんですけども、その春秋時代、乱れてるわけですよ。いろんな戦いが行われてるわけ。そんな中に論語というものが残ってまして、それが儒学とか儒教と言われる教えの体系の元になった。
じゃあどういう教えかというと、古代中国における道徳や哲学、それを宗教と捉える考え方もあるけれども、道徳や哲学のあり方を説いた。この孔子って人は、こういうやり方で国を治めなきゃいけないとか、人はこういうふうにあらなければならないってことを言って回ったんですけれども、なかなか時の政治家たちには取り入れられずに、「この国を変えましょう」って言いながら、孔子は門前払いを食らって、生前はあまり成功しなかったんですよ。「いらんいらん。お前の教えなんか関係ない。今、戦争に夢中だ」となるわけですね。
ところが、この孔子という人の教えは素晴らしいなというところで、ものすごい弟子を携えて、3000人の弟子を最終的には連れて、その教えはずっとそのまま中国何千年の歴史の中で、どんどん受け継がれていったということになるわけですね。その教えが江戸時代にかなり日本にも持ってこられて、儒教っていうとなんとなくイメージがあるというのが、その江戸時代の儒教なんですよね。年功序列とか、親子の関係とか、仁とか、仁義みたいな、そういう江戸時代の侍の親子の強い結びつきみたいなのが、この儒教だよねってイメージしてる方。このイメージも実はちょっと違うんだよってことを教えてくれます。だから儒教のイメージとか孔子のイメージとかが、がらっと変わる。この本、むちゃくちゃ面白いんですよ。「え、そうなんだ」と。
この『論語と算盤』、渋沢栄一が76歳、もうだいぶ年いってから書いてるんですね。「よし、残そう。教えよう」と。だから、もうかなり成熟した渋沢栄一が書いているんですけど、はっきり言います。『論語と算盤』ってタイトル、秀逸なんですよ。非常に秀逸なの。これ何でかといいますと、論語っていうのは道徳。算盤っていうのは商人の持ってるもんだよね。だから経済なんですよね。道徳とお金儲けっていう、全く真逆のものを一つのタイトルに入れ込んであるわけなんですよ。
まさに真逆だと、販売当時も今もきっとそう思ってると思うね。道徳教育っていうものって役に立つ?だって受験に出ないもんって思うじゃないですか。受験教科を頑張るんだよ。勝つための、勝つための勉強だ。英数国理社。しかも選択科目以外はしなくていい。点数の配分の高い英語とか数学とか、そこを多めにやるんだとかね。そういうことを聞いて育ったわけじゃないですか。道徳をとにかくやれなんていう塾はないわけですよ。そういうことですよね。つまり、役に立つけどちょっと卑しいとされてるイメージと、ありがたいけど役に立たないとされてる、その両極端のもの。道徳教育というものと、実学と言われる経済教育。この二つ、実は江戸時代からばちーんと分かれてたんですよ。
つまり侍ってのは働かないわけですよね。でも偉いわけですよね。いい教育を受けるわけですよ。侍の儒教の教育で学問を受けるわけですね。「なるほど、なるほど」。その当時の儒教は、孔子、孟子とか色々と引き継がれた後、朱子ってのが宋の時代に出てくるんですね。もうだいぶ後ですよ、宋ですからね。その宋の時代に朱子ってのが出てきた。朱子学というものを徳川が取り入れて、その上で普及していった。朱子学なんですね、これは儒教の一派なんですけれども。
それをやってる侍。農工商はお金儲けしてるんだけども、お金を作るんだけども、決してそれは尊いことじゃないよというふうに教わってるわけですよ、道徳っていうのは。特にこの朱子学の中で教わってたのが、お金儲けはしてはいけない。そういう感じ。イメージでいうと、中国のキリスト教に近いイメージだったんですよ。それもなんとなくそうでしょ。政治家から迫害されながら弟子を引き連れて、その弟子たちが残した「彼が言ったんだ」っていう文言が残っていく。聖書っぽいじゃないですか。道徳的なことを言う聖書っぽいでしょ。ただ、その違いってのも後々明らかになってくるから面白いんですけど、そういう区分けの仕方なんですよ。
ところが、これが本当は違うよっていうこともこっちで言ってくれるんだけど、この二つの分かれた中で明治維新が起こるわけですよ。侍がいなくなるわけですよね。道徳教育って何だったんだろうっていう、その儒教で治めてた江戸の時代ってのが終わるわけ。これ、エクストリーム日本史、もう一回見直してほしいんですけども、日本ってすっごく複雑だったのが、飛鳥時代に仏教を輸入して、その仏教で国を治めたんだけど、うまくいかなくなっちゃって。行き過ぎちゃってね、仏教の権力との結びつきが。やめなきゃって、戦国時代にお寺とかぶっ壊したりしながら、治めた新しい徳川の幕府が、じゃあ儒教で治めようとやったんだが、それも明治維新でぶっ壊されて、そのぶっ壊された後に入ってきたのが西洋の科学だったわけですよ。
西洋の科学とか技術が入ってくるわけ。儒教という道徳がなくなり、お金儲けのところに科学が入ってきた。そのことによって、道徳教育が全くないまま新しい技術だけが入ってきて、「もっともっとお金儲けなきゃ」っていうふうになってる日本人しかいないぞというふうになってたらしいんですね。というのも、この渋沢栄一曰く、西洋は道徳教育を補ってるのが宗教だと。つまりキリスト教とかイスラム教とか、そういうものがベースにあって、それで補われて科学があったんだけど、日本はこれが奪われた後で、何もないところに来た。どうするんだというところで、経済と道徳を合体させて私が教える。それが失われた日本の精神教育だということで、この本が始まるわけですよ。
そして、これがないと、たとえ成功したとしても山縣有朋のように決して望ましい成功ではなくなってしまう。大事なことは何なのか、私が教えよう。これなんですよ。むちゃくちゃ説得力ある。国民から「渋沢さーん」って言われながら大実績を残して、もう国の中のことも民間のことも分かってると。この渋沢栄一の書いた道徳教育。これが経済だけのビジネス本だったら、大したことないんですよ。この人が論語を語るから面白い。さあ行きましょう。何が書いてあるか。
約10章に分かれてるんですね。10個に分かれてるんですけど、僕がざっと読んだところ、大事なところが最初の3章にぎゅっと詰まってます。この考え方が大事なんだということも、最初の3章にぎゅっと詰まってます。そして残りの4から9章のところは、いわゆる儒教の今までのイメージは誤解も含まれてるよっていうことで、それの修正とか、あと細かいエピソード、こんな話もある、こんな話もあるっていう、おかずの部分があって、最後の最後に人生とは何たるものかという結論があるという感じのバランスになっております。なので、1、2、3章を時間ない方、ぎゅっと読んでいただくだけでも、面白いなと思っていただけると思いますので、おすすめです。
まず、ど頭に一番大事な「処世と信条」という章があるんですね。ここでは、論語と算盤は遠いようで近いものなんだと。つまり道徳と経済は全く遠いと思うでしょ?関係ないと思われてきたんですよ。でも全く違うんです、それは。一緒じゃなきゃ意味がないんですという章なんですよ。そこで言われてるのが、士魂商才。侍の魂を持ちながら商人の能力で戦っていく。これが新しい日本の日本人のビジョンですと。
これって実は、ある言葉をパロディしたものなんですよ。これを分かってる人はものすごいインテリなんですけど、士魂商才とはある有名な言葉のパロディなんですね。これ何かといいますと、和魂漢才っていう言葉があるんですね。この和魂漢才ってのは、大和の魂で漢、中国の知識もあるということなんです。これ、かつて菅原道真が言ってたことなんですね。菅原道真の時代に言われていて、大和魂を持つことと、その当時非常に先進的な中国の情報をちゃんと知ってること、この両方が大事であると。どっちが大事なんだ?なんていう論争がありながら、菅原道真は大和魂、大事だよということを説いた。
そこから色々と揉めていくんですけど、ただ菅原道真ってすごかったって話も出てくるんで、非常に渋沢栄一は菅原道真が好きなんですよ。これ、山縣対渋沢みたいな感じで、結構、誰々対誰々って出てきます。これの渋沢側にいたというふうに渋沢が主張してるのが、菅原道真なんですよ。菅原道真って実は左遷されてるでしょ。左遷したのが藤原時平って人なんですよ。時平対道真の論法でいうと、時平はどっちかっていうと山縣側なんですね。これ、どう違うのかってことが言われるんですけど、道真的な文脈で士魂商才って大事なのは、大和魂だけじゃない、商売人の才能だけじゃない、これが合わさってることが大事なんだよ。つまり論語と算盤と、一緒じゃなきゃ意味がないね。そういうふうに言ってる。
論語って役に立たないと思うかいと。そんなことないんだぜと。すごい大事。これ、神君遺訓って知ってます?これ、ものすごい俺は響いたんだけど。神君、神の君ってね、ゴッドキングですよ。これ誰かっていうと徳川家康なんです。徳川家康が亡くなった時の教えとして残した短い文章があるんです。ぜひ皆さんもしっかりググっていただければ、すぐ出てくる短い文章。「人生は重い荷物を背負って長い道を歩くようなもんだ。焦ってはならない」っていうところから始まるんですね。
「及ばざるは過ぎたるに勝れり」って言ってるんですよ。過剰なものよりも及ばない方がいいよっていうふうに言ってるんですね。聞いたことあるよね?聞いたことあるセリフが結構あるんですよ。あと「怒りは敵だよ」とか。とにかく忍耐のことについて書いてあるね。忍耐とか、人生は長いから焦るなよと。怒りは敵だぞと。つらい時は自分が厳しかった頃のことを思い出して耐えろよと。「焦んな、焦んな」。そういうことが書いてあるわけね。「及ばざるは過ぎたるに勝れり」、ちょっと足りないぐらいでもやり過ぎるよりちょうどいいぜって終わってる。
実はこの徳川家康の教えは、日光東照宮にも刻まれてるぐらい、すごい有名な教えなんですよ。一説によると徳川家康じゃないんじゃないかとか、家康が言いそうなことを光圀が書いたんじゃないかとか、色々言われてるんですけど、この渋沢栄一は徳川家康が書いたものという案を採用してます。この徳川家康の言葉、実は論語の寄せ集めなんですよ。これ、徳川家康がゼロから考えたものじゃなくて、徳川家康が論語の中で気に入ってたものを抜粋したんじゃないかと言われてる。全く同じセリフが論語に全部出てくるんですよ。
徳川家康って、この孫子の時も、孫子の教えはすごいからって部将に配ってたでしょ。めちゃめちゃ勉強家なんですよ。孫子の教えも勉強してるし、論語から自分の遺訓を作ってて、その上で中国の儒教と仏教と神道、全部勉強したの。めっちゃ勉強家だったの。すごいやつ。つまり徳川家康が遺訓で残したのが、この論語なんですよと。実はこの侍にこそ、この論語が必要なんだ。でもその侍だけじゃないんだ。これからは商売にも必要なんだよ。そういうことを言ってくれた。
面白かったのが、人間観察法っていうのがあるんですよ。知りたくない?人間を見る方法って、見抜く方法ってあるんだって。いいやつか悪いやつか、ちゃんとしてるやつかちゃんとしてないやつか、見抜く方法。それが、三つの方法で見ていきましょう。視・観・察ね。ただ見るでもさ、これ三つの漢字が使われてますよね。
まずは視すべしと言われてるんです。視、何?どう見るか。その人の外側を視よと。外部及び行動ですよね。外に現れてるもの。「何をしてるの?」って。何をしてるの、その人?どういう人?どんなビジュアルで?どんな格好で?どんなふうに見える?外側をまず見てくださいというわけですね。
その上で次は、その動機を見てくださいって言うんです。何でそれをしてるのかっていうのを見てください。例えば、分からないですよ。みんなの近所を一生懸命掃除してるね。その掃除をしてるってのを見るわけだよね。でもそれだけじゃまだ分からない。「なるほど、掃除してくれてんじゃん」って思ったけど、実は掃除してる理由が、いつも掃除してるわけじゃないんだと。なぜかこの6月にだけ掃除してるみたいな。何でだろう?それはこの6月に偉い人がこの辺りに来るからみたいなね。偉い人に気に入られたくて掃除してるのと、みんなのために掃除してるの、違うでしょ。動機を見ないと、掃除してるってだけではその人は評価できないっていうわけなんですよ。
ただ、それだけではまだ人を見てることにはならない。もっと深く見よって言うんですよ。これが渋沢栄一のすごく面白いところで、もっと深く見なさいよと。人っていうのは、特に賢い人ってのは、その動機すらもよく聞こえる時があると。特に山縣有朋に対してそれを言ってたんですよね、その亡霊に対して。「あなたは国を強くして日本を守りたいと言っていた。それは動機だ。その上で軍のシステムを変えた。それは行動だ。そしてトップに成り上がった。それも行動だ。軍のトップにまで出世したことと、軍のシステムを変えたこと、これは私は見ていました」と。その上で動機として、国を強くしなきゃ守れないだろうということも言っていましたね。ただ、あなたは本当は、っていうところで、ここの察が来るわけですよ。
この察のところは何が大事かというと、その人が何に満足をしたり、喜びを得たりしているかを見なさいって言うんですって。「皆さんのためにこの町を、本当に素敵な町にしたい」とかいう政治家がいたとしてだよ。でもその人が普段どんな暮らしをして楽しそうにしてるかっていうと、謎のホストクラブに行って、シャンパンわーっとやって、Instagramでそれが上がってたら、楽しそうにしてる時っていうのが、浪費してる時なんだとか、異性に気に入られたいだけなんだとか、そういうのが分かると、口で言ってる動機とか公に発表してる動機との乖離が分かるわけなんですよね。すごくいいことを言ってるけど、この人単純にこれしたいだけなんじゃない?っていう時に。
この山縣有朋がものすごい批判を食らってたのが、今、椿山荘ってあるでしょ?あそこの椿山荘っていうのが、山縣有朋が買ったところらしいんですよ。役人であれだけの広い、いいところですよ。椿山荘ホテルがあってね。あそこは山縣が別荘として作った土地の跡地なんですよ。こんな広い素敵な日本庭園を作って、ものすごいお金を稼いで、それを浪費してるわけですよ。本当に国を強くしたい人なの?それとも、あなた金儲けしたかったんじゃない?出世したかったんじゃない?その上で偉ぶりたかっただけじゃない?そういうふうなことを言われるわけです。
この視・観・察は結構なるほどなと思います。結構ビジネスとかの人って、やっぱりこの視と観に関しては、ものすごい固める人が多いわけですよね。「時価総額何億円の企業をやらせていただいてます」みたいなね。その上で、「こんなアプリとこんなサービス、今回させていただいてます」みたいなね。その上で、「じゃあ何がしたいんですか?」みたいなね。「このサービスを通して、この国をよくしたいんですよ。いろんな人にチャンスを与えたい。僕はこういう日本にマインドセットをチェンジしたいんです!」とか言いながら、ただただ女優と付き合ってるだけとか、やたらと雑誌に出てるけど、かっこつけてるだけみたいな。そういうところまで見て、こいつ本当に日本をよくしたいのかな、それともそうじゃないのかなっていうのは、ここで見ると面白いわけですね。
その上で、じゃあ何でいなさいって言ってるかというと、蟹穴主義って言うんですよ。この言葉面白いね。蟹だよ。蟹になれって言うわけですよ。「どういうことですか?渋沢さーん!」。蟹っていうのは、自分の甲羅の大きさの穴を掘るんだって。その大きさの穴に住むらしいんですよ。つまり自分の身の丈に合った夢を、自分の身の丈に合った生活を志しなさいって言うんですよ。分相応ってやつなんですね。
でも、この分相応でいろっていうのは、実は、夢のない諦めた才能のない人の言い訳でよくあるじゃないですか。「お前、夢見てんじゃねえよ。俺たちなんか、どうせ夢なんか見たって叶わねえんだからよ。金貸してくれよ」みたいなね。そういうやつが言いそうだなっていうこととは違うんですよ。この渋沢さんが言ってる自分の分をわきまえるっていうのは、これだけ実績を残している人がわきまえてることでもあるわけですよ。
この人、要するに実は官僚から財界に行った時に、色々思うところがあったんですって。本当は国の政治を司って頑張ろうとしたんだけど、結構揉めるんですよ、この国で。井上馨っていう人が上司でいたんですけども、そこと内閣が争ったり。この揉め事はちょっと自分にはきついなと。政治向いてないかもしれないって言って、俺は実業で行こうと。日本の商売をしっかり盛り上げることで貢献しようって言って、こっちで結果が出たら、結果が出たでもう一回国に戻ってこいって言われるんですって。日銀の総裁やらないかとか、大蔵の大臣やらないかとかって言われたんですって。その時もいろんな気持ちが揺れ動いたけど、「いや、私の分ではありませんので」ということで日銀総裁を断ったっていうところが、蟹穴主義らしいんですよ。
なるほどなと。自分の得意なもの、これを極める。それで社会に貢献する。それがその人の満足であるべきであって、自分の分を超えて、才能を超えて、時流が来たからといって、何かやりたいものだからといって、手を出してはいけないよ。それはあなたの名誉心とか功名心のものなんじゃないですか。それを察されますよ。そういうことを言うんですね。なるほどなと思います。
じゃあその上で立志する。志を適切に立てるのはどうしたらいいか?こういうことも書いてあるんですよ、第2章ね。皆さん結構、「私、何やりたいか分かりません」とか、「何を目指せばいいですか」と、そういう人いっぱいいるんですよ。でも面白いことを言ってるんですよ。この立志、中国で不惑とかあるじゃないですか。年齢の区切りがあるじゃないですか。何歳にして学を志しみたいなね。大体15で学を志しみたいなね。それで40にして惑わずみたいな、そういうことを言われるんですけども、実はそんな単純なもんじゃないと、渋沢さんも言ってます。
私がこの頃、もう血気盛んで、国を変えてやるぞと私は思ってたんだと。ところが自分の能力に気づくまでにも、なかなかに時間がかかりましたと。自分に何が向いてて、自分が何にニーズがあるのか、それに気づいたのがようやく明治の始まりの頃、大蔵省を辞めた時です。その時、初めて僕は立志したんだと思います。その時、彼は33歳なんですけども。だから、15にして学を志すというのは、何か頑張ろう、いっぱい勉強しよう、それぐらいの漠然としたものでいいんですよと。その時はまだ分かりません。その上で自分の向き不向きと自分の長所短所、これが分かった上で、何で社会貢献するかが分かった時、それが立志のタイミングです。それが何歳っていうことは別に問題じゃない。こういうことを言ってるんですよ。めちゃくちゃいいこと言うよね。ビジネス書だよね、ここはね。なるほどなって言って。
じゃあその上で志を立てて、あそこに行きたいんだって思った時に、何が必要なのか?才能ですか?それとも、とかいろいろ言うじゃないですか。夢を叶えるのに何が必要ですか?これをばちっと言ってくるのが「常識と習慣」。必要なのは常識であると。この常識っていうのは、コアになる品格のようなものだと思っていただければいいかなと思いますね。それ何かといいますと、兼ね備えるには智と情と意、智情意が必要なんだというふうに言ってるわけですね。三つ出ました。
この視・観・察と智情意、覚えるだけでも、この渋沢栄一からものすごい学べます。視・観・察、覚えましたよね?「なるほど、何してる人?なるほど、そんな実績があるんだ。そんな実績があるんだ。でもそれで騙されないぞ。それは視だね。観するんだよ。動機は何だ?お前がそんなにその地方に寄付してる動機は何なんだ?何で子供たちにそんなふうにあれをするんだ?なるほど、そういう動機があるのか。聞こえはいいけど、どうかな。どんな暮らしぶりをしてるんだ?何をしてる時に喜んでるんだ?なるほど」とか、そういうふうにね。
智情意に関しては、知恵・情愛・意志って言うんですね。だから頭脳とハートとウィルですね。意志ですよね。この知恵・情愛・意志なんですけども、これどういうふうになってるかというと、まず意志があると。意志がないやつは、もう何もできないぞと。これ、志ですよね。どこかに行きたい。僕にはこれができて、これができないということが分かってきた。だからあっちの方向に行って、社会に役立ちたいっていう意志がある。
でも、意志があるだけのやつなんて役立ちませんと言うわけですね。役立たないんですよ、能力がなけりゃね。意志だけあってもしょうがないんですね。立派ですよ。誰かのために何かしたいとか、役立ちたいとか立派ですけど、意志だけあってもしょうがない。そこに知恵が乗らなきゃいけないって言うんですよ。だから勉強してくださいっていうわけですね。勉強が大事です。とにかく勉強です。学習して勉強して、徳川家康が勉強しまくってたわけですよ。とにかく勉強してください。
知恵があって、スキルがあって、意志がある。これはすごいことですよと。「俺はこうしたいんだ」。その上で頭がいい。勉強してスキルもある。「こうやって、こうやって、こうやるんです。こうやって、こうやって、こうやるんです」。そうやったら実績は出ます。ところが、そこで大事になってくるのが情愛なんですよと。それによって結果を出してるだけでは、情愛がなければ、そこで何かのトラブルに必ず巻き込まれます。
結果を出していくうちに、もしかしたら嫉妬されるかもしれない。その結果を出す上でライバルを蹴落とした。恨まれるかもしれない。得た利益を分配せずに自分で独占してしまった。それによって糾弾されるかもしれない。そういうことがあるわけですよ。なので意志があるものが知恵を身につけ、その上で情愛を持ってそれを分けていくという作業。これができて初めて「完き人」になれるのだと。
この三つを兼ね備えたものが常識と呼ばれ、その常識を持つものが完き人ね。この「完き人」と「偉き人」は違うって言うんですよ。この三つのどこかが欠けていて、結果だけ出すものは偉き人。そこに情愛も含めて全てが兼ね備わったものが完き人であると。偉き人は、例えば情愛がない場合でも可能かもしれないし、そのどれかがない場合でも可能かもしれない。ただただ優しくて、ただただ意志があって、才能はないけど周りに助けられたっていうこともあるかもしれない。それで結果が出るってのもあるかもしれないよね。しかも特に意志はなかったね、優しくて才能のあるやつが引っ張られて、そういう結果を出しちゃったっていうこともあるかもしれない。いろんなパターンがありますけど、どれか一つ二つ欠けていて、何か大きな実績を出した。それで偉き人と呼ばれてるかもしれないが、それは完き人ではない。完き人、完全なる人ってのが出てくるんですよ。完き人であるというね。
そこで出てくるのが、秀吉と家康の比較なんですよ。この渋沢栄一が秀吉をどう思ってたか。とんでもない勉強家であるって言ってるんですよね。すごい才能ですと。だって、わらじを温めるところから始まり、小部隊を任されたらその小部隊で完璧な仕事をして、中隊を任されたらその中隊で完璧な仕事をして、またたく間に幹部であるところの柴田勝家とか丹羽長秀とか、そこら辺と肩を並べる幹部になり、その後、中国攻めって、毛利を攻めてる時に「光秀が謀反を起こしましたぞ」ってなったら、和睦をすぐにして、もう数日で帰り、本能寺の変から約たった3年で太閤秀吉として天下人になるという。とんでもない才能ですと。これは勉強がなかったらできませんと。本当に意志と知恵、もうとんでもないですと。ところが、やはり自分が手にしたエリアを治めきることができなかった。それが秀吉の敗北ですと。
ここで家康のすごいところが明らかになるんですと。だって家康にはこれがあるんだと。なぜなら、それが神君遺訓に現れてる。論語をとにかく研究し、いかにして国内を治めるかということの適材適所が完璧だったんですと。どういうふうにしたら反乱は起こらないか。どういうふうにしたらという、外様とか親藩、譜代の配置とか、五人組制度とか、人間のコントロールが完璧にできてる。ここで完き人と偉き人の違いが出てくるのであると。この徳川家康を、日本史上の中で最大限に絶賛してます、この渋沢栄一は。
僕自身もすごい問題意識があったんですよ。信長・秀吉・家康って、みんなあとは好み、みたいな感じで日本史で出てくるじゃないですか。「誰が好き?」なんて言ってね。若い頃はみんな「信長かっこいい」とか言って、「天下布武!」とか言って、「これは鉄砲で撃つんだ」とか言って、かっこいいじゃないですか。でも秀吉って猿って言われてるし、みたいなね。だんだん大人になってくると、秀吉がどうやら貧しいところから成り上がった、これはすごいことだね。しかも秀吉の戦い方を見てたら孫子っぽいんですよ。孫子の兵法みたいな感じで、なるべく戦わない。柴田勝家とかがものすごいこんな感じなのに対して、秀吉は調略が上手なんですね。事前に調査して色々リサーチして、なるべく裏切るようにしたり、こうしたりああしたりしながら、戦争をせずに勝つというのが非常にうまい人だった。戦略はある。知恵はある。すごいんですよ。とてつもない才能ですよ。
その上で、しかし負けてしまったというか、早めに死んでしまった。朝鮮出兵して無理をしてしまったことや、その後うまく力を継承できずに、三成は負けていくわけですよね。その後に、これ何が違ったんだろうと思いながら、家康ってすごいなってぼんやり僕は思ったんですね。秀吉と家康について渋沢さんは何て思ってるんだろうなって思いながら読んだので、ばっちり書いてあった時にすごい嬉しかったです。「渋沢さーん、それも言ってくれるんですか!」。これ嬉しかったですね。
そういう知識と情愛と意志を持つって、すぐに持てるものじゃありませんと。
毎日の習慣なんです。本当に着実です。毎日の習慣ですとね。悪い習慣、いい習慣。これが人を作るんだ。
才能とか成功とか失敗をみんな論じる。みんな成功者を羨むでしょ。失敗した人をほくそ笑むでしょ。でも違うのよ。成功者はその成功に至るまでにどれだけの努力をしているのか。それをきちんと分かっていないと、この良い習慣というものをやろうと思えない。
何か一発逆転で運が良かったから成功したんだ。そういう考えがどこかにあるから、コツコツとした毎日のいい習慣、努力をすることができない。成功者が骨身に沁みて努力してると、毎日の積み重ねでしかないと分かっているのであれば、あなた方はこの智情意を完璧にすべく、完き人になるべく、今日からでも良い習慣を始めましょうということを言ってるんです。
この1、2、3番、身に沁みますね。要するに言ってることは、才能だけじゃダメです。道徳をちゃんと勉強してください。そして才能と道徳というのは、勉強によって積み重ねていくものなんです。その中で自分の得意と不得意を見つけ、蟹穴のように自分に求められることをきっちりやって社会に奉仕する。決して我欲のために何かを犠牲にしてはならない。それは必ず誰かに見抜かれてしまいますぞ。そうすれば穴に落ちることは必至でございます。だからあなたと私は違うんだと、渋沢栄一は山縣有朋に言うということなんですね。
これで大元は分かっていただけたと思います。その上で細部まで分かると、こういう人なんだというのがだんだん分かってきますので、それもちょっとご説明したいと思います。次の4章、仁義と富貴なんですね。これ仁義ってのは道徳ですよね。富貴ってのはお金ですよね。
だからここでもう一度言うわけですよ。誤解されてんのは儒学。儒学はお金儲けなんか良くない。キリスト教とかでもお金を稼ぐのは良くないことだみたいなことがあったり、仏教とかも結構そうじゃないですか。お金といいことって、まず違うとされてる。そういう宗教とか哲学多いって憤慨してるんですよ、渋沢さんは。
お金を儲けることが汚いことだっていうこと自体がまず違うんですと。それは孔子もそんなこと言ってないです。汚いことをしてお金を稼ぐぐらいであれば、貧しい方がいいとは言ってるんですよ。ですが正しいやり方でお金を儲けるのならば、それは構わない。そういう考え方なんですよっていうことを言ってたんですね。
正しく儲けて正しく分散する。正しく分け与える。これこそが人間活動に非常に大事なことです。そういうふうに言ってます。よく集め、よく散ぜよ。散ぜよっていうのは、散財しろってことじゃないですよ。これはいいことのために使おうと。この国を良くするとか、設備投資するとか、サービスを新しく作るとか、そういうことですよね。仁義道徳なければ富貴利益は長続きしないということは、ここでもう一回言われます。
儒学って誤解されてたんだ。これ朱子学自体が後で変えたことだから、結構この朱子学に関しては攻撃してます。江戸時代、朱子学、陽明学みたいな感じで、儒学はだいぶ古い教えですから、ここから色々変化したんですが、それが違うんだよと。元祖の孔子に戻れということを言ってるということなんですね。
そしてもう一つ。じゃあ古いだろってなるでしょ。朱子学、これでずれたんだよと。でも孔子の教えね、元祖に戻れ。いや、古いじゃん。新しい方がいいんじゃない? 違うよって、ここで言います。理想と迷信ね。本当に大切なことは変わりません。科学技術のように進歩していくものもあります。ところが道徳、人とはどうあるべきだっていうのは、日進月歩でどんどん変わるもんじゃないんですよと。人の本当に大事なものっていうのは、道徳ってのはこれ進化しない。もう完成してます。それをちゃんと骨身に沁みさせるかどうかですからっていうことを言うわけですね。
なるほどねと。その上で、自分がそれを理解して積み上げるに対して、サンプルとなる3人の人物を出してるんですよ。面白いですよね。松平定信ね、有名な人ですよね。江戸時代の中期に老中として活躍しましたよね。将軍がちょっと頼りないなっていう時期に、松平定信が、なんとかの治みたいな、そういう老中が治める時、いっぱいあったじゃないですか。松平ってのは立派なんですよ。
この頃、明治の初期、江戸の末期から明治の初期にかけても、松平定信のエピソードっていっぱい残ってますよねって、この人は言うわけですよ。渋沢さんがね。松平定信、幼少の頃からすごかったんだよっていうのが記録に残ってんだって。10歳ぐらいの頃から世界に行きたいって言い出してたらしいの、松平定信。「僕、世界で戦ってみたい」って松平定信は言ってて、12歳とか13歳ぐらいで本を書き始めて、14歳ぐらいで和歌を詠み始めて、とてつもない天才だったことが分かるんだって。やっぱりすごいんだって。
その後に将軍に代わり国を救わんとする、この老中、松平定信がいかに幼少の頃から天才だったかっていうことは書かれてるんだよと、渋沢は言うんだけど、その上で10何歳、思春期の頃に精神的にはどうだったかっていうと、実は要するに、この意と、意思ね。世界で戦いたい、ひとかどの人物になりたい、意思でしょ。智があるよね。和歌が詠めて著作もできるわけだから。ただ情で言うとどうだったかっていうと、むちゃくちゃ短気だったんだって。
松平定信、その10代の頃、むちゃくちゃキレてて、もうキレてない時がないっていうぐらいぶちキレてたんだって。「お前ら!」ってなってたらしいんですよ。だが、その後の松平定信ってのは精神が安定してる老中として評判ですよねと。だから昔からそういう性格だったっていうのじゃないんですよと。素晴らしい松平定信でさえ、若き日はぶちキレにぶちキレておりましたと。
つまり修養。自らの身を治めるという、自分で学んで、こういう人間になろうということを得ることで、人は変われる。ユー・キャン・チェンジっていうことを松平定信で言うわけですよ。あなた変われるよ。性格変えれるよ。引っ込み思案? ノーノー。うるさい? うざがられる? ノーノー。キレやすい? ノーノー。変えれるから、定信さん見てくれれば分かるから。そういうことを言ってますね。
その上で面白いのが、西郷隆盛さんとのエピソードがまた面白いんですよ。これが何を示してるかっていうのを皆さんで考えていただきたいんだけど、二宮尊徳と西郷隆盛っていうエピソードが書いてあって、実は官僚として色々な法整備を改革しようって言った時に、あるところから苦情が出たと。
それ何かっていうと、二宮金次郎いるじゃないですか。二宮尊徳がかつてその町を救ったことがあるんですって。貧しい町に二宮尊徳がやってきて、「この村がなんで貧しいか、私が変えますから」って言って、過去10何年分の歳出と歳入を分析して、平均化して、これぐらいがこの村で大体財源として入ってくる歳入で、これぐらいが歳出として出てるから、これぐらい切り詰めましょうと。その上で、歳入のこの平均を上回った年は、それは貯蓄と投資に回しましょうとか、そういうことをやって、それを二宮の作ってくれたルールっていう法典的な感じで、その町で採用してたんですって。
ところが全国均一で、大蔵省が新しい制度で村の収支、町の収支を出しましょうってやったことで、「二宮先生が作ってたあのルールがなしってことですか?」って言って、二宮さんすごい人気があるから、「なしはやめたいです」って言って。「うちの町だけちょっと昔ながらのやり方で、二宮さんのやり方が好きなんでやらせてください」っていうことを西郷さんに言ったんだって、その町の人たちが。「二宮さんのやり方失いたくないんですよ」。
「この話聞いてどう思います? 西郷さん」って言ったら、「そうでごわすなあ」って。「それは確かに」とか言って、西郷隆盛はなんとか二宮金次郎の残してくれたものを残したいって思って、大蔵省に掛け合おうとするんだけど、「いや、しかしなあ」って顔を想像した時に、あいつもこいつも、大久保利通も大隈重信も言うこと聞かなさそうだなあみたいな。井上馨に言ったらめちゃくちゃ怒鳴られそうだってなって、「よし!」って。その時まだ井上馨の下で、そんなに偉いポストではなかった渋沢のところに来るんですって。
あの西郷さんが、こんなまだ出世もしてない渋沢のところにわざわざやってきてくれたと。それで「お願いがあるでごわす。実はこうこういう理由で、二宮のルールを守りたいというふうに言ってるやつらがいるでごわす」って言ってきたんですって。
なるほどって言って、渋沢さんが「いや、西郷さん、わざわざすいませんね。ありがとうございます。その上で、二宮のルールって言ってますけど、二宮のルールがどういうものか、西郷さんはご存じですか?」って聞いたらしいんですよ。そしたら西郷さんが「いや、それは全く」って言ったらしいんですよ。
「知らないのに守ることを前提にお願いしに来たんですか。それがいいものかどうかも分かっていないのに、それを守ってやってくれないかっていう理由は、ちょっと私には分かりませんけど、とりあえず説明させていただきますね。私、詳しいので」って。二宮金次郎の作ったルールってのはこうこういうルールなんですよと。確かにそれは別に悪いルールじゃないんですよ。その町の経済を作る上で悪いルールじゃないんですって言った上で、
「ただ、我々大蔵省がやってるのは、この日本全体のルールをきっちり整備することで、西欧諸国に対して恥ずかしくない国にしよう、近代的な国にしよう、より豊かに全体をしようということでの大改革なわけですよ。それをやめよう、一件のためだけにやめよう。もしくは一件だけ特例を作ることによって統一をすることをなしにしようというのは、一件の利益になるかもしれませんが、全体の利益としてはどうですか? 我々はどこどこの町のためだけに肩入れしていいんですか? 我々が背負っているものは国家じゃないんですか?」っていうことを言ったら、西郷さんは黙って、「うん」って帰ってったらしいんですよ。特に文句も言わず。
それを見て、この渋沢栄一は西郷さんのことを「信頼できる人だ」って思ったらしいんですね。何か分からないんですけど、これってすごく西郷隆盛がどういう人かっていうのを結構表してますよね。っていうのも、その後に武士の不満を背負って、どうしても勝てない戦いに行くでしょ。それも西郷さんっぽいわけですよ。
要するに勝てるから来たわけじゃないんですよね。だけど言われたから、一応この西郷にできることはやろうということであって、つまりこの情愛が非常に強い人物をここで持ってくるんですよ。ここで示したのは意と智の人ですよね。ここで情の人っていうのを見せるわけですよ。この2人とも非常に歴史に名を残し、日本史になってますけども、この2人の違いっていうのはどこにあるんだろうと。その上で、どこが突出してるのかっていうのを見せたわけですね。
乃木希典。乃木坂の名称にもなったと言われる、天皇陛下の後を追って、崩御した後に自宅で自害するという衝撃的な、殉死というやつを選んだ陸軍大将のお話なんですけども、この乃木希典の死についても渋沢さんは言ってるわけですよ。あの死が非常にセンセーショナルに扱われているけれども、殉死したことについてのみ論じている場合は、乃木さんについて論じてることにならないだろうというふうに言ってるらしいんですよ。乃木希典がどういう人物だったのかをちゃんと分かっていますかと。乃木希典というのは非常に清廉の人だったと言われているというふうに、渋沢さんは言うわけですよね。
例えば、軍に行った時に、その兵隊が、身分の低い兵隊が撃たれて、そこが膿んでしまってると。その膿を自分で吸って、ぺっと出す。すごい、一番偉い人がそういうこともやるっていうことを言って。その吸い出してもらった身分の低い兵隊は、その後乃木大将を守るために、自ら命がけで体を張ったことがあるんですよっていうエピソードが有名らしいんですよ。
それを読んだ他の人が、「いやいや、それは分かってたのよ。頭がいいだけよ。乃木希典ってのは、吸い出して、身分の低い人に身分の高い人がそこまでしてあげたら命がけで守るだろうって、そういうふうにやってるんでしょう」っていう人もいたけれども、実はそうじゃない。軍にいない時から、まだ偉くなる前からそういうことをやってたっていうお話が残ってる人なんだということがあるんですよと。
そういう人が、自分はここのために生きるんだと思ったものが崩御してしまった時に自害したと。そこまでの文脈で考えると、殉死っていいのか悪いのかだけじゃなくて、乃木さんってどういう人だったんだろうの話が理解できるんですよと。やった行動だけじゃなくて、その背景や何に満足するかまで見てくださいと。それが人を見るということです。こういう偉い、名の残ってる人たちがどういう人なのか、視観察を持ち、そして智情意のどれがある人なのかを分析することができるかもしれませんねと。いいですよね。この感じで、なるほどなというふうに分かります。
その上で面白かったのが、孔子とキリスト比較っていうのがあるんですよ。へえ、みたいな。そこ言ってくれるの、みたいなね。孔子とキリスト、似てますよと。確かに似てますよと。ところが元々ちょっと違うなと思うのが、孔子って紀元前ですよね。キリストは紀元の0年の時ですから、キリストより孔子の方が古いんですけども、その孔子はおそらく宗教として作ったわけじゃない。儒教って後から言われるようになったけど、元々は乱世においてどういうふうに人は生きるべきかとかを説いていって、政治学とか哲学とか道徳とか、そういう流れから入ってきた人でしょうと。
キリスト教っていうのは元々ユダヤ教の一派として作られてるから、宗教として始まったものと、哲学、政治学として始まったものだからちょっと違うよねという話があった上で、でも雰囲気は似てるよと。迫害されて、でも弟子多くてみたいなね。その上で、でもどうしてもキリストより僕は孔子なんですって、渋沢さんは言うわけですよ。
なんでかっていうと、キリストが言う博愛主義もちょっと違うんですよって言うんですよ。右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいみたいなね。汝、隣人を愛せと。弱きもの、強きものなりと。そういう精神、違うんですよと言ってて、勝たなきゃいけない戦いはあるんですって言うんですよ。だから結局、商売なんですよ。
現実においてやはり智情意を備えて完き人になりて、勝たなきゃいけない勝負には勝たなきゃダメなんですと。勝った上で、その勝ちをみんなのために使うということが私の正義であって、右の頬打たれて左の頬打たれてる場合じゃないっていうことを言ってるんですよ。良き争いをせよと。それが良き競争なのか、悪しき競争なのか、それが大事であって、競争を否定してるわけではないんですと。戦います。勝ちなさい。そう言うんですよ。
それも俺、すごいしっくりきて、確かになと。争うなって言われると、いや、争わなきゃいけない局面あるでしょう。優しさを道徳は説くじゃないですか。僕はそれが嫌だったんですよ。ここ僕の意見なんですけど、ただ優しくしなさいって言うけど、だって勝たなきゃいけない時とか、優しいだけだとつけ込まれる時ってあるわけじゃないですか。だから僕、常々考えてました。強くなきゃいけないって。まず強くないと。
だって、あの子を守りたい、あの人を守りたいって言ったって、弱い人間には守れないんですよ。強いから守れるんです。でも強い人間は往々にしてずるかったり、賢すぎたりするわけですよ。だからそういう時に優しくない人が多いですよね。お金をすごい稼げるとか、ものすごい力を持ってて、その上で優しくあるって難しいなと思った。
それ、偉人見てても思ったわけですよ。ナポレオンだって、それこそヒトラーだって、毛沢東だって、みんな。スターリンだって、ルーズベルトだって、みんな。強い人って本当に優しかったんだろうかっていうと、世界の偉人って、どれだけの人が本当の偉人なんだろうって僕は思ってた。ただただ一瞬偉かっただけなんじゃない? それ、決して心から全地球のために尽くした人じゃないじゃない。だって大量に何かを殺してるじゃない。大量に何かを破壊してるじゃない。そんな人は偉人なの? 違うでしょ。悪名高き人じゃない、ただの。そう思ってたの。
それの答えになるのが、僕はこの視観察であるとか、智情意であったり、完き人と偉き人の差だったりしたわけですよ。その中でこの孔子対キリストの話で、勝たなきゃダメだと。勝って優しくするんだっていうのが、すごい僕に沁みたんですね。なるほどなと。
その上でもう一度、儒学は誤解されてるんだと。侍のためだけのものだ。そしてそれは、武士は食わねど高楊枝。単純に心が良くて、別にお金は稼がない。そういうことじゃないんだ。お金稼がなきゃ負けるぜ。これからの時代、欧米と張り合わなきゃいけないんだ。お金稼いでくれよ。その上で優しくあってくれ。それは今までの誤解なんだ。
だから知育だけじゃダメで、これから徳育もしなきゃいけないね。知能だけ育てても、ただただ強い悪い人間が育つだけ。道徳の教育をちゃんと一緒にするから大事なんだ。別だったのが悪かったんだよ。別だったじゃないか。侍にだけ道徳教えて、農工商にだけお金儲け教えてた。それだけじゃダメなんだ。一緒になって初めてみんなのためにお金を稼げる。そういう人材を育てるんだよ。
育てるって言ったら教育だよね。ここで教育の話が出てくるんですよ。もう俺70超えてんだぜ。教育、今から考えていきたいんだよ。その時に、俺が儒学のことを言うと、親孝行の宗教でしょって言われちゃう。でもそうじゃない。正直、親孝行なんて子供に強いたら地獄ですっていうことも書いてあるわけですよ。
孝行強いるなよと。親孝行しなさいよなんていうことを親が言うもんじゃないし、孝行の仕方って色々あると。例えば親のことを全部やってあげるのも孝行かもしれないけど、親の前で何もしないで親に面倒を見させてる子供が孝行っていう見方もあるね。親がそれで嬉しいんだったら孝行かもしれない。だから孝行の形ってそれぞれだから、子供がその親をリスペクトするっていう在り方さえあれば良くて、それは親が強いるもんじゃないと。
時々その儒教の、朱子学の江戸儒教が行きすぎて、目上の者に逆らうなとか、目上にはこうしろとかっていう言い方、それ全く違うんですと。儒学の基本的な概念じゃないんですということを言いながら、プラスこれからは女性教育も大事ですということを、この時代に言ってるわけですね。女性っていうものがいかに素晴らしい役割を担ってるか、こういうの分かってなきゃいけない。
ただ、ここでもやっぱりシビアな一面が出てくるんですけど、昔は天才を少し見つける教育だったんですって。それこそ吉田松陰先生とか言って、すごい偉い先生がどっかの町に1人だけいたりして、そこに弟子入りに行くわけですよ。「先生、弟子入りさせてください」とかって。「お前はダメだ」とか言って。「お願いします」、3日いたりして。「3日いた。分かった、来い」とかってね。
そういうふうにして、新井白石は誰々、誰々はどこどこの師匠についたのである、みたいな、そういうことが言われてるわけですよ。「師匠、教えてください」。偉い先生のところに、その実績を崇拝する門下生たちが行く。自らの意思で。こういう学問だった。だから少数の天才を生む教育だった。
ところが今、明治になってから学校ができて、あまねく教育するようになってからどうだ? 真面目に受けない生徒が多くなった、逆に。もう教育を受けられるもんだから、落語か講談でも見に行くような感じで、「今日の先生はあんまり面白くないね」なんて言って帰ると。それでいいのかっていうことも言ってるんですね。
その上で、みんなに教育をしてるけれども、みんなにある程度の教育をするという方針に今なってるけども、それで全体のレベルが上がることもあるけれども、誤解してはならないって言うんですよ。できないやつはできないって言うんですよ。才能は差があるって言うんですね。大事なのはここなんだと。蟹穴主義だと。
できないならできないなりに、できるならできるなりに社会に貢献することが幸福なのであって、成功することが幸福ではないんですと。その人にできることをみんなのためにやるんです。それにもかかわらず、同じ教育を受けたからといって、同じように全員が同じ成功を収めるということを考えたら、それは間違いと苦しみの始まりです。そういうことも言うわけですよ。なるほどな。
じゃあ最後、成功と失敗って何だろう? ここに行き着くわけ。かなりまとまってる本じゃない? 読みやすいでしょ。「ここまで言ってきて分かったね。俺の考え分かったね。じゃあ最後、成功と失敗っていうぜ」って言うわけですよ。
最初に言ってましたよね、菅原道真。士魂商才、ここに戻ってくるわけですよ。菅原道真って藤原時平に左遷されたんですよね。遣唐使廃止するみたいな流れですね。中国のことは大事です。だから和魂漢才っていう言葉があったわけですね。中国の知識がないとダメだ。和魂漢才について議論がなされるわけですよ。
中国の知識がないとダメでしょ。だからといって遣唐使で行くということは形骸化してませんか? ものすごいお金と人命を賭してでも行く価値はありますけれども、それが形骸化してる今がある。今もう平安時代で、大和魂の方、和魂の方を大事にすることが大事なんじゃないですかと訴えかけた菅原道真が立場をなくして、その遣唐使の廃止で恨みを買って、藤原時平に左遷されるわけですね。
藤原時平ってのは、その右大臣、左大臣の右と左だったんですよ。道真か時平かで争ってる時に左遷させられちゃう。太宰府で「東風吹かば」、こうなるわけですよね。「匂ひおこせよ梅の花」と、こうなるわけなんですけど、ところがどうだと。後世、藤原時平を尊敬してるやつは誰がいるんだね。いないわけなんですね。みんな道真は天満宮があって、学問の神とか言って、受験生がみんな行くわけじゃないですか。「道真さん」とか言って。それはどっちが成功してんの? こう言うわけですね。
足利尊氏と楠木正成の例も出してまして、足利尊氏は最終的にはその南北朝で、寝返りに寝返って、最終的に室町幕府を作るんですよ。だけど「尊氏かっこいい」って誰が言ってると。この時、特に楠木正成、非常に人気があった。楠木正成、こっちの方が忠君じゃないか。ずっとブレずにいたじゃないか。人気があるわけですよ。
つまりその世界での成功とかって一瞬だよ。でもその人がどういうふうに生きたかってのは案外残るもんだと。そしてそれこそが本当に成功なんじゃないかと。そう考えたら、小さい成功とか失敗なんてのは残りかすみたいなもんだよと。どう生きるか。これが大事なんだ。
そのどう生きるかってのは天命ってやつだよと。自分が何を志し、誰のために生きるのか。それさえブレなければ、成功しようが失敗しようが関係ない。みんなのために自分ができることをやろうじゃないか。それが論語と算盤を合わせた結論だ。こういうふうになってくるわけですね。
僕はこれ、ものすごいいいと思ったんですよ。なるほどなと。俺、読み終わった時、こっからの俺のバイブルだなと思ったんですけど、こっからの俺のバイブルっていうか、これ聖書なんじゃない? と思ったんですよ。それ、日本にとって失われた道徳学なんですよ。きっちり現実の経済に即して教えることで、今の聖書を作り出してる。これ相当すごい人だぞというふうに私、思いました。
皆さんどうですか? 渋沢栄一、かっこよすぎるでしょう? 面白いよね。ただ、欠点ないかなって探したんですけど、ちょっと女関係だらしなかったそうです。娘たちにめっちゃ言われてたそうです。誰のためにどう生きるのか、皆さんでお考えください。ではまた。
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