プーチンは錯乱したのか、計画どおりなのか――2012年を境に「前期・後期」で読み解く

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概要

ウクライナ全土への侵攻を受けて、「プーチンは錯乱した」「体調不良で暴走している」という見方が広がった。中田敦彦はこの講義で、そうした見方に対し、プーチンのこれまでの発言と行動を時系列の線で追えば、何を考え、何を成し遂げようとしているのかを冷静に判断できるのではないかと問いかける。参考文献は『まんがでわかるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン』(トーエ・シンメ漫画、名越健郎監修)である。同書はプーチンが大統領になるまでと、クリミア併合あたりまでの歩みを議論しながら追い、「プーチンは2012年を機に大きく変わった」という見解を示している。中田はこれを軸に、大統領第1期・第2期と首相期を「前期」、2012年からの大統領復帰後を「後期」として、その人生を3つのブロックに分けて振り返る。

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KGBへの道に見える国家意識と実行力

プーチンは1952年に旧ソ連で生まれ、喧嘩に明け暮れた少年時代を経て柔道に打ち込んだ。中田がまず取り上げるのは、KGBへの入り方である。プーチンは少年時代、スパイ映画に憧れてKGBに出向き、入りたいと申し出た。KGB側は「入りたいと言ってくる人間は採らない」と答えたが、プーチンはさらに「どうすればなれるのか」と尋ねた。返ってきた助言は、勉強していい大学に入ること、学部は法学部がよいこと、スポーツもやってフィジカルを鍛えることだった。文武両道で優秀なら、こちらから声をかける、というわけである。

この訪問によって、プーチンはKGBのリクルートリストに載ったのではないかと言われている、と中田は紹介する。その場では採用しないが、入りたいと言ってきた人間を情報機関としてリストに残しておくのは「うまい手立て」だという。プーチンは実際に優秀な成績で法学部に進み、柔道もできる人材としてリクルートされた。

中田はこのエピソードから二つの資質を読み取る。一つは、幼少期から国家の仕事をしたいと考えていたほど国家への意識が強いこと。もう一つは、長期目標に向けて必要なことを一つずつ詰めていく実現力と実行力である。

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東ドイツでNATOを見ていた16年

KGBでの主な任務は東ドイツへの派遣と情報収集だった。中田はここを重要なポイントとして挙げる。当時のドイツはベルリンの壁で東西に分断されており、プーチンは東ドイツでNATOの情報を集めていた。中田の見方では、プーチンとNATOの戦いはこの時点ですでに始まっていた。

NATOの性格を説明するため、中田はある議長が残したとされる言葉を引く。「アメリカを引き込み、ロシアを除け者にし、ドイツを抑え込む」。中田の解説によれば、アメリカを引き込むとはヨーロッパの同盟を欧米の連合にすることであり、ロシアを除け者にするとは国土の大きなロシアがヨーロッパに干渉してくるのを防ぐこと、ドイツを抑え込むとはナチスのような暴走を二度と生まないことを意味する。

プーチンはKGBで16年間働き、NATOと東ドイツに関わる仕事を続けた。その間にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツという国家は消滅する。時代の大きな流れによって国家がなくなる体験を、プーチンはここで一度経験したことになる。

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エリツィンの信頼を勝ち取った「情報戦」

KGBを辞めたプーチンは、エリツィン政権に加わる。ゴルバチョフ時代に情報公開(グラスノスチ)などの改革が進められたが、共産圏としての統制と民主化の矛盾が噴き出し、ソ連は連合を維持できなくなった。その後に生まれたロシアの初代大統領がエリツィンである。プーチンは名称の変わった新しい秘密警察の長官を任される。元KGBなら使えるだろうと見出されたのだと中田は説明する。

中田が「すごい」と強調するのは、エリツィンの信頼を勝ち取った方法である。エリツィンには新興財閥との癒着や不透明な資金の流れがあり、検事総長がマネーロンダリング疑惑の捜査を進めていた。プーチンはこの捜査を止めたと言われている。その手段は、検事総長の女性スキャンダルを暴いて失脚させることだった。敵の一番痛いところを情報で突いて落とすやり方を、中田は「KGBならでは」の情報戦と評する。さらに、この動きの裏で糸を引いていたのが当時の首相だったとされ、エリツィンはその首相を退けた。反旗を翻しそうな首相を何度も交代させてきたエリツィンは、空いたポストに「自分を守った」プーチンを指名した。

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チェチェン紛争と大統領就任

首相となったプーチンの前には、エリツィン政権が抱える大きな課題があった。ソ連からロシアになった後の経済は不安定で、新興財閥オリガルヒの意見を取り入れながら立て直そうとするうちに、逆に財閥の介入が強まり、エリツィン自身もロシアを制御しかねる状態になっていた。

そこで起きたのがチェチェン紛争である。ソ連崩壊後、各地で独立の機運が高まっており、チェチェンもその流れの中にあった。プーチンは独立運動を「テロ」へとイメージをすり替えた、と中田は語る。ある場所でテロが起きると、チェチェン独立運動の一味の仕業だとして「テロとの対決」を前面に出し、メディアで「テロリストはどこまでも追い詰める」と激しく糾弾した。中田はここで、そのテロ自体がロシア側の仕掛けで、攻撃の口実づくりだったのではないかという説があることにも触れるが、「あくまで説」と念を押している。

いずれにせよ、無名のKGB出身者だったプーチンは紛争を収めたことで知名度と人気を上げ、ロシア第2代大統領に就任した。中田は、エリツィンの信頼とチェチェンでの指導力に加え、オリガルヒの後ろ盾もあったと説明する。オリガルヒにとっては、言うことを聞かなくなったエリツィンを、より従順そうなプーチンに挿げ替えればよいという計算があった。

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第1期・第2期:中央集権、財閥、メディア、資源

ところが大統領になったプーチンは剛腕を発揮する。中田は、大統領第1期・第2期をプーチンにとって「かなりパーフェクトな目標を達成した時期」と位置づける。

まず中央集権体制を固めた。それまでは地方が中央と矛盾する法律を作るなど統制が取れていなかったため、地方の権力を弱め、大統領の権力を高めた。次に、傀儡として操れると期待していたオリガルヒを逆に抑え込んだ。脱税や違法行為を糾弾して経営者を逮捕・追放し、自分の息のかかった人物を企業トップに据えたり、企業を国有化したりした。中田はこれを財閥の力の「乗っ取り」と表現する。オリガルヒ側は、プーチンがここまでやる人間だとは想定していなかった。

国有化した企業の財力でテレビ局も買収し、政権批判的な放送を抑え込み、プーチン大統領の素晴らしさを伝えるプロパガンダを流せる体制を作った。そこへ追い風が吹く。2000年の大統領就任と時を同じくして中国とインドが急成長し、石油やガスの需要が急増した。中田によれば、価格はそれまでの5倍になり、ロシアは豊富な資源を高値で売って経済成長を遂げた。

地方、財閥、メディアを統制し、経済でも成功したことで、プーチンは圧倒的な国民人気を得た。2002年にはG8にも参加し、「ロシアが国際社会に帰ってきた」と受け止められた。ゴルバチョフ、エリツィンの時代には「ロシアはもう終わった」と言われていたのである。財閥の企業を乗っ取ったという見方がある一方、乗っ取らなければアメリカに売られていたかもしれないという話もある、と中田は付け加える。

中田はここまでを第1ブロック「プーチンの能力と原体験」としてまとめる。能力とは、長期的な展望を見通し、何が邪魔で何が必要かを考え抜き、それを徹底的に実行する力である。原体験とは、東ドイツとソ連という二度の国家崩壊を目にしたこと、そしてその背後にNATOがいたことだ。中田はこれを「ちょっとしたトラウマのようなもの」とも表現している。

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2008年、アメリカという壁

第2ブロックは、ロシアを手中に収めたプーチンがぶつかった壁、つまりアメリカの話である。アメリカが「世界の警察」としてあらゆる紛争や政治に介入するパックス・アメリカーナの体制が最も顕著だったのが2008年だと中田は言う。当時のロシア大統領の任期は4年で、連続2期までだった。2008年は、2000年に就任したプーチンがちょうど退任する年にあたる。

ここでプーチンが取ったのがタンデム(二人乗り)政権である。元法律顧問のメドベージェフを後継者として大統領に就け、自らは首相に戻った。連続2期でなければよいので、1期メドベージェフに任せれば再び大統領を2期務められる、という「裏技」である。中田は、自分を後継に選んだエリツィンと同じ構図だが、プーチンは退くのではなく首相として下から動かす道を選んだと対比する。もっとも、再び選挙に勝つ必要があり、この計画がうまくいくかは当時まだ分からなかった。

この2008年に、アメリカはいくつもの動きを見せた。一つはコソボの独立承認である。セルビアの一地域だったコソボの独立を、国連ではなくアメリカやイギリス、フランスなどが主導して承認した。セルビアにはNATOによる爆撃もあった。日本も承認したが、承認していない国も多い「非常にグレーな案件」だと中田は言う。ここでプーチンにとって明らかになったのは、世界を動かしているのはアメリカであり、アメリカが承認すれば国際法上グレーでも国家になってしまう、ということだった。中田によれば、この件は後に何度もプーチンに持ち出されることになる。ロシアがドネツクやルガンスクを国家承認し、クリミアを併合して国際法違反だと批判されるたびに、プーチンは「ではコソボは何だったのか。アメリカがやるのはよくて、なぜロシアはだめなのか」と反論するのである。

さらにアメリカは、ポーランドとチェコに防衛ミサイルを配備しようとした。名目はイラクや北朝鮮への備えだったが、ロシアから見れば「本当はロシア対策ではないのか」と映った。ロシアは政治を立て直し、経済を回復させ、G8に入り、ヨーロッパの一員として受け入れられると思っていた。そこへこうした動きが重なり、プーチンの絶望が色濃くなっていったと中田は語る。

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「ロシアもNATOに入ればいいのでは」への答え

中田のこれまでの動画には、「ロシアはNATOに入れないのか」という意見が多く寄せられていたという。中田はこれに対し、NATOが何のために作られたかを理解していない問いだと答える。NATOは「アメリカを引き込み、ロシアを除け者にし、ドイツを抑え込む」組織であり、対ソ連・対ロシアのグループである。だからプーチンにとっては、冷戦が終わってもNATOがなくならないこと自体が脅威なのだ。

そのNATOには1999年から2004年にかけて東欧の10カ国以上が加盟し、アメリカはポーランドやチェコにミサイルを置こうとしている。そこへ追い打ちをかけるように、ブッシュ政権がウクライナとジョージアについて、将来のNATO加盟もありうると積極的な発言をした。

中田は二つの見方があることも示す。欧米から見れば、東欧諸国はロシアの仲間でいたくない、EUやNATOに入って豊かになりたいから自ら移ってきているだけだ。一方ロシアから見れば、ロシアを目の敵にして作られた組織がどんどん広がり、包囲されているように見える。とりわけウクライナは旧ソ連で人口2番目の国であり、中田の比喩では「社長のロシアに対する副社長クラス」の国で、ロシアとヨーロッパの間にある要衝でもある。旧ソ連そのものだったウクライナやジョージアがNATOに入れば、ポーランドやチェコのように何らかの理由でミサイルを置かれるかもしれない。プーチンはそれを安全保障上受け入れられないと考えた。

ここで中田は、ドイツとフランスがウクライナ・ジョージアの加盟にはロシアを刺激しすぎるとして消極的だった点を挙げる。NATO拡大に最も意欲的だったのはアメリカであり、だからこそプーチンの不信と怒りは、ヨーロッパよりもアメリカに向かっていったという。

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ジョージア紛争:NATOは守らないと見せつける

2008年、ロシアはジョージア(ロシア側の呼称はグルジアで、ジョージアの人々はこの呼び方を嫌うことが多いと中田は補足する)の南オセチア自治州をめぐる争いに軍事介入した。中田は、いまウクライナで起きていることは実は2008年に一度ジョージアで行われている、と指摘する。

ウクライナ侵攻について「NATOがウクライナを守らないのは加盟国ではないから当然だ」というコメントが多く寄せられたと中田は言う。ルール上はその通りだが、大事なのはそこではないと中田は語る。NATO加盟を望む国と、加盟してもよいと言うアメリカがいる状況で攻撃が起きたとき、アメリカがどう動くか。プーチンはそれを東欧諸国に見せつけている、というのが中田の解釈である。「NATOに入りたいんでしょう。でもNATOは守ってくれましたか。アメリカは何もしてくれないでしょう。こちらにいたほうがいいのに」という作戦だ。

中田は、2008年のジョージア、2014年のクリミア、2022年のウクライナ全土侵攻はすべて一本の線でつながっていると強調する。2022年のニュースだけを見ていると、プーチンの世界観が分からず「錯乱した」という話になる。だが物語は2008年から続いており、さらに遡れば、NATO対ワルシャワ条約機構の時代にKGBとして働いていた頃から、プーチンの世界観は変わっていないと中田は述べる。

32:21

ユーラシア連合構想

ジョージア紛争でアメリカもNATOも動かないことが明らかになり、プーチンは野心を大きくした。大統領復帰の1年前にあたる2011年、プーチンはユーラシア経済同盟、あるいはユーラシア連合という構想を打ち出す。

「ソ連を再建したいのではないか」という見方について、中田は2000年から2005年までプーチンの側近だった人物のインタビューを調べたという。その人物によれば、プーチンは共産圏としてのソ連を再び作ろうとまでは考えていない。ただし、冷戦後のアメリカ一強の世界に修正を加えたいと考えていることは間違いない。アメリカがすべてのルールを決めていること、NATOがロシアを脅かし除け者にしていることが許せないのだ。そこで旧ソ連の国々と経済的な連携を強め、EUのようなものを作る。中田はこれを「一人でいじめられてたまるか、こっちもグループを作って押し返す」という発想だと説明し、首相期に感じた絶望と恐怖が色濃く反映された次のビジョンだと位置づける。

中田はここで中国の一帯一路と似ている点にも注意を促す。習近平の国家主席就任は2013年なので、ロシアはその2年前にユーラシア連合構想を打ち出していたことになる。

35:21

2012年の反プーチンデモという挫折

しかし大統領復帰を目指すプーチンの前に、2012年、大きなつまずきが現れる。タンデム政権の要である大統領返り咲きの選挙をめぐり、大規模な反プーチンデモが起きたのだ。中田によれば、これはプーチンにとって非常に大きなショックだったと言われている。

それまでプーチンは、チェチェン紛争を抑え、資源価格の追い風のおかげとはいえ経済を豊かにし、GDPも給料も上がったというイメージで支持されてきた。だが大統領を2期8年務め、側近に4年任せて首相を務め、また戻ってくるとなれば、これは延々と続けられてしまう。ロシアがプーチンの国になるかどうかの分かれ目として、国民は恐怖を感じた。

ここでメディア環境の変化が効いてくる。それまでは国有化した企業が買収したテレビ局でプロパガンダを流すことができた。中田が例に挙げるのが、プーチンが国民の悩みを解決する対話特番である。給料未払いの工場労働者の訴えを聞くと、側近が番組中に工場に働きかけてすぐ給料を払わせる。水道が壊れているという農村の老婦人の訴えを聞くと、すぐに水道が通る。こうした番組を「大真面目に」作ってきたのだという。ところが2010年前後からスマートフォンやTwitterなどのSNSが普及し、テレビ離れが進んだ。「それはおかしくないか」という反プーチンの意見に受け皿ができ、人々が連帯してデモにつながった。

中田は、ここでプーチンの心がくじけたと言われていると語る。国家のために危険なスパイの仕事を選び、激動の時代を生き、ソ連崩壊後のロシアを救ったという自負があった。執務室にはピョートル大帝、つまり皇帝の絵を飾っている。強いロシアを取り戻そうとアメリカに対抗している自分を、なぜ国民は受け入れないのか。この衝撃以降、アメリカへの攻撃的な発言と言論統制が厳しくなっていったと言われる。揺らいだ国民人気を取り戻すことが、プーチンの大きな命題になった。こうしてプーチンには、アメリカに対してロシアの影響圏を押し戻すことと、自分の人気を再び不動のものにすることという、二つの目標ができた。

41:01

クリミア併合:二つの目標を一本の線でつなぐ

この二つの目標をつないだのが、2014年のクリミア併合だと中田は言う。ウクライナとジョージアのNATO加盟は、ジョージアで紛争が起きたことで立ち消えになった。中田によれば、NATOには紛争中の地域の加盟は見送るという原則的な考え方がある。そのため、加盟しそうな国で紛争を起こせば事実上加盟させずに済み、同時にNATOは守らないと示すこともできる。中田はこれをロシアにとって「ウィンウィン」だと表現する。

ウクライナはNATOには入らなかったものの、EU加盟を望むようになった。先にEUに入ったポーランドなどの東欧諸国が、もとは同程度の経済水準だったのに数年で大きく豊かになったのを見ていたからだ。ところが親ロシア派の大統領が、ロシアの圧力に屈して最後の最後でEU加盟を撤回した。これに反発する大規模なデモが起き、多くの死傷者を出し、鎮圧しきれなくなった大統領は国外へ逃亡して親ロシア政権が倒れた。

そこでロシアは電撃的にクリミアへ介入した。正規軍ではないと装うため覆面で所属を隠した、明らかにロシア軍の精鋭とみられる部隊が入り込み、一気にクリミアを奪取した。中田はこれをハイブリッド戦争と呼ぶ。

ひどいと思うかもしれないが、これはプーチンにとってうまくいった、と中田は言う。クリミアにはロシア系住民が多く、文化的にもロシアと地続きだった。ウクライナ国内でも、ロシアに共感する人が多い地域と、ウクライナはウクライナのものだと考える地域は「まだら」になっており、クリミアは特にロシアに近い意識を持っていた。ロシア国民にもクリミアは自分たちのものだという意識があり、「取り戻した」と受け止めて人気が上がった。中田は、領土問題は繊細だと断ったうえで、北方領土を例に挙げる。日本人が自分たちの土地だと思っている場所を取り戻したリーダーがいれば人気は上がるだろう。それを侵略と見るか奪還と見るかは、文化的・歴史的な文脈によって変わる。もちろんウクライナの大多数にとってはとんでもない行為だが、ロシア国内で人気が上がったのは事実だ、と中田は述べる。

こうしてプーチンは、NATOの好きにはさせないという対米目標と、国民人気の回復を同時に達成できることを示した。ネット社会で揺らぐ人気を取り戻すには、ロシアがもともと持っていたものを取り戻すと言って有言実行すればよい。それが一本の線になったのである。ただし、これによってロシアはG8から外された。

中国との接近とネット検閲

2010年代に入ると、中国は習近平政権のもとでIT大国として大きく伸びた。中田は、日本がスマートフォンを世界に売れなかった時期に、ファーウェイなどが安価なスマートフォンを作る技術を手に入れたと述べる。2017年、ロシアと中国は手を組み、ロシアは中国の協力を得てネット検閲の仕組みを作り始めた。中田は、ここでもプーチンの考えはぶれておらず、長期計画のもとで動いていると見る。

ここまでを整理すると、人気の揺らぎにショックを受けたプーチンは、NATOが手を出さない地域があることを東欧に示し、さらに奪還すれば国民人気が上がる場所を見つけた。そこへ中国という大きな味方が現れ、一方のアメリカは中国の伸長に焦り、TikTokの規制が議論されるなど、テクノロジー面で迫られていると感じ始めた。

48:45

動き出す皇帝たち:任期撤廃と独裁への追い風

最終ブロックに中田がつけたタイトルは「動き出す皇帝たち」である。2020年代は、独裁体制と民主体制のどちらが有利なのか、どちらが良いのかを人類に「ナイフのように」突きつけている、というのが中田の問題提起だ。

ロシアではメドベージェフ政権下で法改正が行われ、大統領任期が4年連続2期から6年連続2期に延びていた。2012年に復帰したプーチンは2024年まで務められることになる。中田は、多くの民主主義国が10年以内で指導者を交代させるよう任期に上限を設けてきたことを対比する。アメリカでは初代大統領がそうした慣例を作り、日本やアメリカはこれを基本的に守ってきた。中国も、習近平が就任した当時は最長10年だった。だが2018年、党内の権力を握り、経済的な躍進を背景にした習近平は任期を撤廃した。

2019年、任期が大幅に延びたプーチンと任期の上限がなくなった習近平は、一帯一路とユーラシア連合を互いに認め合う形で手を組んだ。ともにユーラシア大陸で経済圏と影響力を広げたいと考え、ライバルはアメリカだという一点で一致したのである。中田は、これでプーチンは東欧を取り戻し、国民人気を取り戻し、中国とともにアメリカを押し戻せるという確信を深めたと見る。

そこへ新型コロナウイルスが来た。中田によれば、これは独裁政権にとって追い風になった。独裁国家はルールをすぐに決め、守らない者がどうなるか分からないという形で従わせることができる。一方、民主主義国家は民主的であるがゆえにルール作りに苦労した。日本でも、まん延防止なのかロックダウンなのか、外出してよいのかがあやふやで、実名や企業名を公表するなどの工夫で対応した。独裁国家はロックダウンで感染を抑え込んだことを見せつけた。民主主義国家で教育を受けた私たちは、選挙のある国が素晴らしく、独裁は暴走するものであり、選挙のない国に選挙を教えるのがよいと教わってきた。しかし2020年に人類が直面したのは、経済成長でも感染症対策でも独裁国家のほうがスピーディでパワフルに見える、という状況だったと中田は語る。

54:55

パックス・アメリカーナの終わりと千載一遇の機会

同じ時期、アメリカは民主主義こそ最善だとして世界に介入する姿勢を改めていった。中田は、オバマのリバランス政策、トランプのアメリカファーストと名前は変わっても、アメリカ型の民主主義を世界に広める活動の予算がなくなり縮小する流れだったと説明する。それを実行したのがバイデン政権のアフガニスタン撤退であり、アメリカはタリバン政権について特に口を出さなくなった。中田はこれを、アメリカがすべてのルールを決めてきたパックス・アメリカーナの終わりと、独裁国家の躍進として描く。

プーチンにとっては千載一遇のチャンスだった。アメリカがアフガニスタンから撤退したのだから、ウクライナをフルコントロールしてユーラシア連合に入れられるだろうと駒を進めた、と中田は解釈する。中国もこれをじっくり見ている。台湾や香港と中国の関係は、東欧とロシアの関係にかなり似ているからだ。中国とロシアはアメリカの動きを注視し、アメリカとヨーロッパには当面対抗する術がないと見ている、と中田は述べる。

57:43

なぜウクライナはクリミアのようにいかなかったのか

しかし、数日で陥落すると言われたウクライナはなかなか落ちていない。中田は、調べた結果として、クリミアのようにはいかなかったことが大きいと見る。

クリミアではロシア寄りの住民が多数派で、ロシア国民も共感でき、クリミアの人々にも喜ばれたと見せることができた。正規軍を大量投入するのではなく、裏で根回しして瞬間的に制圧するハイブリッド戦争で取った。もちろん波風は立ち、G8からは外されたが、国民の支持を取り付けつつアメリカを押し返すという二つの目標は、クリミアでは達成できた。

ウクライナ全土ではそうはならなかった。とくに首都キエフ(キーウ)はキエフ・ルーシに始まる古い都で、モスクワより古いとも言われる。そこには親ロシア派とはまったく違う、ウクライナこそ自分たちの国だと考える人が多い。その抵抗があるため戦争は長引く。アメリカもNATOも直接は手を出さないが、武器は大量に送り込む。長期化するなかでロシアは世界から経済制裁を受け、国民は生活への不安を覚え始める。

中田が強調するのは、自分たちの領土だと思える場所を「取り戻す」ことと、領土を「侵略して拡大する」ことは、国民の受け止め方がまったく違うという点だ。もともと日本の領土だと皆が思っている場所を取り戻せば国民は納得するかもしれないが、そこまでが自国だと思っていない人が多ければ話は変わる。プーチンが「ウクライナとロシアはもともと一つの国だった」としきりに喧伝するのはそのためで、これは奪還作戦なのだと国民に納得してもらう必要があるからだ、と中田は言う。しかしそれはあくまでプーチンの願望であり物語である。国民がこの野心に共感できなければ、二つの目標のうち「国民の支持を取り戻す」ことにはつながらない。世界の目が冷たくなり、孤立し、制裁が加わるなかで、ロシア国民が「これは正しい戦いではないのでは、取り戻す戦いではないのでは」と気づき始めている、と中田は見る。

1:01:40

二つの物語と、どちらが共感を得るか

中田は、プーチンの生命線は「ロシアを取り戻す」物語と「NATOが攻めてくる」物語だと言う。「NATOの東方拡大」という言葉自体がプーチンの言い方であり、NATO側から見れば、ロシアの仲間でいては貧しいままだからEUやNATOに入りたいと逃げてきた人々を受け入れ、豊かにしているだけだ。プーチンはこの世界観を許せない。NATOが東へ拡大してミサイルを置く、だから国民を守る、というプーチンの物語が共感されるのか。それとも、貧しい人々を豊かにし、独裁を民主政治に変えようとしてきたという欧米の物語が正しいのか。

中田はこれをフラットに考えるべきだと言う。アフガニスタン、イラク、コソボなどをめぐって、アメリカとヨーロッパが常に正しいことをしてきたのかは改めて考えるべきであり、「欧米こそ世界をぐちゃぐちゃにしてきたのではないか」というロシアの言い分にも一理はある。しかし、東方拡大から国を守る、もとはロシアだったものを取り戻すというのも、ロシアとプーチンが語る物語にすぎない。どちらに共感するかは人それぞれだが、両方のプレイヤーが自国民に自分たちの物語を信じさせ、こちらが正義だと示そうとし続けていることは間違いない、と中田は述べる。

だから焦点は、キエフが陥落するか、ウクライナ全土が取られるかだけではない。仮にロシアが全土を取っても、国民と世界の納得が得られなければ、その後ロシアは苦しくなる。逆に、アメリカとヨーロッパ中心の世界を押し戻すという一帯一路とユーラシア連合の主張が理解され、支持する人が増えれば、どのような条件であれプーチンが一歩前に進んだことになるのかもしれない。中田はこの戦いを、ロシア国民と世界の共感をどちらが得るかの戦いではないかと捉える。

締めくくりに中田は、それぞれに物語と傷があり、それぞれに落ち度とミスがあることが、プーチンの人生を紐解くだけでも見えてきたと語る。そして視聴者に、補足や訂正、自分の考えをコメント欄に寄せてほしいと呼びかける。理由は「これは僕の物語だから」だという。誰もが自分の物語の中で情報を伝えており、それが戦争がなくならない一番の理由であり、そのことを知るのが一番大事なのではないか――中田はそう述べて講義を終えている。