【高市政権vs国連】衝撃告白!裏の権力者は?トランプ政権の正義…日本の役割は?【ReHacQ須賀川拓vsキハラハント愛】
ReHacQ−リハック−【公式】国際社会がいま、かつてない規範の危機に直面している。長年共有されてきたはずの「法の支配」や「他国の領土を力で侵略・占領しない」という国際法の根本規範そのものを大国が公然と無視あるいは解体しようとし、国際刑事裁判所(ICC)の関係者や国連の独立専門家にまで強権的な個人制裁が及んでいる。ガザやイランなどで深刻な人道危機が続く中、既存の多国間システムは有効な抑止力を発揮できず、世界各地で自国第一主義や排外的なポピュリズムが台頭している。
国際人道法や国際人権法を専門とし、国連特別報告者(子どもの性的搾取・虐待分野)に任命された東京大学大学院総合文化研究科のキハラハント愛教授と、紛争地取材を重ねてきたジャーナリストの須賀川拓氏は、現在の国際情勢を「国際社会がシステムとして成り立たなくなっている力の時代」と捉える。本対談では、国際機関の現場で何が起きているのかという実態から、人道介入の限界、排外主義の背景にある個人の不安の因数分解、そして日本が取るべき現実的かつ多層的な外交戦略に至るまで、国際秩序の再建に向けた具体的な論点が交わされた。
国連特別報告者の実態と個人制裁の衝撃
国連人権理事会から任命される「特別報告者(スペシャル・ラポトゥール)」は、特定の国の人権状況や特定の人権テーマについて調査・報告を行う独立した個人専門家である。キハラハント氏は、東ティモール、スリランカ、ネパールなどの国連平和維持活動(PKO)や人権分野の任務を経て、2024年にこの職責に就いた。
一般には広く知られていないが、特別報告者は国連職員ではなく完全な無報酬のボランティアである。活動に対する一定の事務的支援は国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)から提供されるものの、特定の国家や利害関係のある企業からの資金提供を受けていないか厳格な精査と公開が義務付けられている。自らの専門的知見に基づいて独立した発言ができる反面、政治的な後ろ盾を持たない立場でもある。
近年、この独立した専門家や国際機関の要職者に対する大国からの圧力が急激に強まっている。とりわけアメリカなどから国際刑事裁判所(ICC)の検察官や裁判官、さらには国連特別報告者個人を標的とした制裁が科される事態が現実のものとなっている。パレスチナ被占領地域に関する特別報告者を務めるフランチェスカ・アルバネーゼ氏などがその標的となった。
キハラハント氏によれば、個人制裁が科されると、ある日突然クレジットカードが決済不能になり、アメリカをはじめとする関係国の銀行口座が即座に凍結される。現代社会において口座凍結とカード停止は、生活維持に関わる一切の支払い能力を奪われることを意味する。さらに渡航制限が課されて多数の国へ入国できなくなるだけでなく、制裁の影響は同一の姓を持つ親族や家族の海外留学や口座開設にまで波及することがある。対象者とともに働くスタッフも二次的なリスクを恐れて関係を断たざるを得ず、活動自体が孤立へ追い込まれる構造が存在する。国家間の制裁とは異なり、個人の日常生活と活動基盤そのものを直接締め上げる過酷な実態が浮き彫りになっている。
規範から「力」への逆行――形骸化する国際法秩序
大国が国際法を自国に有利なように解釈し、自らの関心に応じて都合よく使い分ける「選択的適用(ダブルスタンダード)」自体は、歴史上珍しいことではない。しかしキハラハント氏は、現在の状況は過去のダブルスタンダードの域を超え、より根底的な段階に突入していると警告する。
かつては合意されていたはずの人権規範、法の支配、あるいは他国を占領してはならないという国際秩序の根幹をなす基本規律そのものに対して、大国が「そもそもそのような合意は存在しない」「守る必要はない」と公然と否定し始めている。ICCの裁判官や検察官が正当な国際法手続きに基づいて逮捕状を請求・発付したことに対し、国家がその機関自体を破壊するような威嚇や制裁を加える動きは、国際法規範が機能する基盤そのものを掘り崩す行為である。
国家同士が協力する前提となる共通の規範が瓦解すれば、国際社会は単なる弱肉強食の場へと後退する。キハラハント氏は、現在がまさに「国際社会として成り立たない時期」に入りつつあるという強い危機感を示している。
ガザ情勢と国際刑事司法における中立性のジレンマ
イスラエル・パレスチナ情勢をめぐり、国際機関の判断にはしばしば「偏向している」との批判が浴びせられる。例えば、イスラエル側からは「国連はハマスによる性暴力やテロ行為を十分に非難していない」との主張がなされることがある。
これに対しキハラハント氏は、独立調査委員会などの実務において双方が犯した行為を厳格に調査している事実を指摘する。2023年10月7日以降にハマス側が行ったとされる性暴力についても国連の報告書で明確に取り上げられており、特定の側だけを免責することは法手続き上あり得ないと述べる。同様にICCの逮捕状請求においても、イスラエルのネタニヤフ首相だけでなく、ハマスの指導層に対しても同時に逮捕状が請求されていた。指導層の死亡や排除によって結果的に一方のみが残ったように見える事例はあるものの、司法機関としては公平な手続きを維持しようと細心の注意を払っていると説明する。
しかし、現場でどれほど法に忠実な調査と告発が行われても、現実の国際社会においてどの案件が制裁や政治的圧力の対象となるかは、最終的に大国の関心や力関係に左右されてしまう。証拠が揃い、法的な違法性が明確であっても大国の軍事行動や拒否権行使を止められないという現実は、現場を歩くジャーナリストだけでなく、国際法学者にとっても極めて深刻な無力感を生んでいる。
「力の時代」における複眼的外交と非国家主体の認識
国際秩序が規範ではなく「力」によって動く現実を前に、各国は何を指針とすべきか。キハラハント氏は、まず現在の国際社会が「力の時代」であることを冷徹に直視しなければならないと主張する。かつてのように多国間主義と普遍的価値を掲げるだけで自国の安全や利益が守られる段階は過ぎ去っており、従来の枠組みに安住することは極めて危険であるとする。
日本のように戦後一貫して「法の支配」を掲げ、アメリカとの同盟関係を基軸にしてきた国であっても、もはや「アメリカに追従していれば道が開ける」という時代ではないとキハラハント氏は指摘する。これからの安全保障環境においては、従来とは異なるパートナーシップの構築が必要となる。
さらに注目すべき要素として、国民国家そのものの影響力の相対的低下と、巨大多国籍企業や非政府主体など「国家ではないアクター」の台頭が挙げられる。国際社会の力学は国家間関係だけで完結しておらず、情報技術、金融、サプライチェーンを握る非国家主体の動向を無視して国際秩序の安定を構想することはできない。日本政府や国際機関は、これらの主体と無批判に結託するのではなく、その強大な影響力を計算に入れた上で先手を打つ政策立案を行う必要があると説く。
事後対応を脱する「継続的計画」の重要性と組織構造の課題
情勢が目まぐるしく変化する時代において、キハラハント氏が政策決定プロセスにおいて最も重視するのが「計画班(プランニング)」の機能変革である。同氏は内閣府の専門委員会に携わった経験から、日本の官公庁や国連における計画策定のあり方に強い問題意識を持っている。
通常、プロジェクトにおける計画といえば、事業立ち上げ時にニーズ調査を行い、固定的な計画書を作成した時点で役割を終えることが多い。しかし、今日の国際社会では「昨日の合意やルールが明日も通用するとは限らない」。一度作った精緻な計画書が、翌日には情勢激変によって紙くずになる事態が頻発している。
したがって計画とは、一度作成して終わるものではなく、状況変化に応じてリアルタイムに更新し続けなければならない。そのためには、計画立案を単なる事務手続きとするのではなく、地域情勢、現地言語、文化、宗教、国際政治、外交実務などの専門家を揃えた常設のプロフェッショナル集団として位置づける必要がある。
さらに、この柔軟な計画運用を妨げているのが、国連や官僚機構に見られる硬直的な縦割り構造である。国連を例に取れば、平和活動局(DPO)と政治・平和構築局(DPPA)などの部署間で予算や人員を機動的に融通することが極めて難しい。情勢が変わっても「別の部局だから予算は動かせない」という官僚主義的な制約が先立ち、機動力を奪っている。キハラハント氏は、まず部署の再編などの組織改革を先行させるのではなく、常設の計画班が情勢を分析し、その柔軟な計画に合わせて予算や人事体制を後から従属的に変化させていく「逆転の発想」が必要であると訴える。
国家安全保障と個人の安全保障の相克――人道介入の蹉跌
国家の主権や安全保障と、そこに暮らす個々の人々の人権・生命を守る「人間の安全保障」との間には、しばしば深刻な緊張が生じる。その典型例がイランやシリアなどの権威主義的体制下における市民弾圧と、それに対する外国の軍事介入をめぐる議論である。
イラン国内において反政府デモに対する激しい弾圧が行われ、政府自身の発表ですら数千人、実態としては万単位の市民が命を落とし、基本的人権が奪われているとされる状況がある。こうした悲惨な現実を目撃したとき、「自国民を虐殺する体制を武力によって排除することは正当化されるのではないか」という議論が生じる。須賀川氏は、国内の苦境を見聞きする立場から、他国の主権を侵す軍事行動は許されないとしつつも、目の前で殺戮される人々の命を前に「主権尊重」という手続き論を優先することが果たして人道的なのかという苦悩を吐露する。
この問いに対しキハラハント氏は、冷戦後の「人道的介入」の歴史的経緯を踏まえて制度的な危険性を説明する。1990年代から2000年代初頭にかけては、国家が自国民を保護できない、あるいは国家自身が人道犯罪を犯している場合、主権の壁を越えて国際社会が介入すべきだとする「保護する責任(R2P)」や人道的介入の規範が発展した。しかし、2011年のリビア軍事介入において、人道保護を名目に介入したNATO諸国が最終的にカダフィ政権の転覆を推し進めた結果、多くの国々が人道的介入の正当性に強い不信を抱くようになった。
もし国際社会による多国間的な合意や手続きを経ず、一国の判断によって「人道危機を救うため」という名目の武力行使が容認されるならば、軍事力を持つ大国が任意の口実を設けて他国へ侵攻できる無法地帯が生じることになる。アメリカが自国の議会承認すら経ずに強硬な武力行使を行うような事例は、主権国家体系そのものを根底から揺るがしかねない。キハラハント氏は、介入の決定は一国に委ねるのではなく、どれほど手続きが難航しようとも多国間主義(マルチラテラリズム)の枠組みを維持しなければ、結果的により広範な破壊をもたらすことになると警鐘を鳴らす。
国境を越える市民社会と情報空間の力学
公式な国際機関や多国間協調のシステムが機能不全に陥ったとき、それに代わる抑止力となり得るのは外交ルートだけではない。キハラハント氏は「国境を越える市民社会」の潜在的な影響力に着目する。
現代の情報通信技術の発展により、かつては国家の壁に阻まれて外部に届かなかった弾圧の実態が、市民の手を通じてリアルタイムで世界に可視化されるようになった。独裁国家側から見れば、かつてのように密室で弾圧を完遂することが極めて困難になっている。
個々の市民が国境を越えて連帯し、自国の世論を動かすことで、各国政府の外交方針や法整備に圧力をかける事例は現実に存在する。日本においても、市民運動の高まりや国際的な人権基準の要請が後押しとなり、ヘイトスピーチ解消法の成立や難民認定制度をめぐる議論が進展してきた。国際政治のシステムが麻痺している局面において、市民社会によるボトムアップの運動と情報発信は、国家を動かすための決定的な手段として機能し続ける。
排外主義とポピュリズムの深層――不満の根源を因数分解する
世界的な治安の不安定化や経済格差の拡大に伴い、多くの先進国で排外主義的なポピュリズムが台頭している。日本国内においても、外国人住民や特定の近隣諸国に対する敵対的な言説、AI技術やSNSを利用した誹謗中傷や差別的言動の拡散が顕著になっている。
キハラハント氏は、排外主義の広がりを単に道徳的に非難するだけでは解決に至らないと分析する。自らの生活に余裕と幸福感があれば、人は他者に対して寛容になりやすい。しかし、経済的困窮や将来不安に直面したとき、人間は自らの所属集団(イングループ)を守るため、外見や文化が異なる外部の存在(アウトグループ)をスケープゴートにして敵視する本能的な心理メカニズムを持っている。ポピュリズムを掲げる政治家や論客は、この不安感情を巧みに煽り立てるため、寛容を説く言説よりも排外的な言説の方が圧倒的に速く社会へ浸透してしまう。
こうした排外主義に対処するため、キハラハント氏が提唱するのが「不満の因数分解」である。国際紛争の現場や大学教育の場で人々と対話してきた経験から、同氏は「大義名分として語られる大きな不満の根源は、ほぼ例外なく個人の身の回りの切実な困りごとに帰着する」と指摘する。
例えば、「移民や難民の受け入れに絶対に反対だ」と強く主張する学生や市民の声を丁寧に聞き取っていくと、その理由は抽象的な国体論やイデオロギーではなく、「自分の就職先が奪われるのではないか」「自宅の前で騒音を出されたり、ゴミ出しのルールが守られなかったりして生活が脅かされるのではないか」といった、身近な生活防衛の不安であることが多い。
生活環境の悪化や経済的不安という具体的な要因が解消されれば、外国人に対する漠然とした敵意は劇的に緩和されうる。相手を「レイシスト」と断罪して対話を拒絶するのではなく、相手が何に恐怖し、何に困っているのかという個別具体的な不安を拾い上げ、行政や地域コミュニティの施策に落とし込んでいくことこそが、分断を修復する現実的な道であると説く。
外交の深層と対話の本質――合意はいかにして作られるか
国家間の対立や政策決定のプロセスも、突き詰めれば「人間同士のコミュニケーション」に還元される。国連総会などの華々しい大舞台で行われる演説だけで情勢が動くことは極めて稀である。
実際の外交交渉において極めて重要な合意形成は、会議場の外で外交官たちがコーヒーを片手に交わす「1対1の対話」の場で進行している。公式な立場を離れ、相手国が何を真に求めており、何を受け入れられないのか、国内向けにどのようなメンツを保つ必要があるのかを腹を割って探り合う中で、初めて落としどころが見出される。
キハラハント氏はこの現実を踏まえ、政策決定を担う者ほど「相手が何を不満に思い、なぜそれを拒否するのか」を徹底して傾聴する姿勢を持たなければならないと論じる。どのような過激な主張であっても、その背後には必ず理由が存在する。その理由を丹念に拾い上げる作業を怠らないプロフェッショナルな体制を整えることこそが、外交や政策立案において最も確実な基盤となる。
須賀川氏も自身の取材経験から、SNS上で極めて辛辣な攻撃を浴びせてきたユーザーであっても、粘り強く対話を重ねる中で、後に対立的な態度が軟化した事例を挙げ、人間的な接触と対話の重要性に同意を示す。分断を煽る言説に安易に乗らず、相手の文脈を理解しようとする姿勢が双方に求められている。
妥協なき理想主義の陥穽――難民法改正と国際司法裁判所(ICJ)の教訓
現実の社会変革や制度改善を進める上で、キハラハント氏は「妥協を許容するリアリズム」の必要性を強く主張する。理想を掲げるあまり、少しでも不完全な案を拒絶してしまえば、結果として現状の劣悪な状態を固定化させてしまうというジレンマが存在する。
その具体例として挙げられたのが、出入国管理及び難民認定法の改正をめぐる議論である。法改正の過程において、人権擁護を重視するリベラル派は「新法案では強制送還の例外規定や保護の度合いが不十分であり、人権を完全には守れない」として反対した。一方で、不法滞在の厳格な取り締まりや外国人の権利拡大阻止を求める保守・排外的な立場からも「外国人への配慮が過剰である」として法案に対する強い反発が生じた。
結果として、全く正反対のイデオロギーを持つ双方が「法案を成立させない」という一点で実質的に歩調を合わせる形となり、法改正が停滞する事態が生じた。キハラハント氏自身は「100点満点を求めて0点に留まるより、90点、あるいは70点であっても法改正によって以前より一歩でも人権状況が前進するなら、妥協してその案を通すべきだ」という立場を取る。不満を残しつつも前進を勝ち取り、そこから次の改善を目指すプラグマティズムこそが、結果として個人の安全と尊厳を守る道であるとする。
さらに、法的な問いの立て方がもたらす意図せぬ結果の例として、国際司法裁判所(ICJ)が1996年に下した「核兵器の威嚇または使用の合法性」に関する勧告的意見が紹介された。
当時、核兵器廃絶を求める運動側は、核兵器の違法性を国際司法の場で確定させようとICJに判断を求めた。しかし、裁判所に対して「核兵器の威嚇または使用は、国際法上いかなる場合でも違法と言えるか」という極端な二者択一の問いを突きつけた結果、裁判所は法の支配の厳格な適用に基づき、「国家の存亡に関わる極端な自衛の状況においては、核兵器による威嚇や使用が合法か違法か確定的な結論を下すことはできない」と判断せざるを得なくなった。現実の国際関係において各国が核抑止力による威嚇を安全保障政策に組み込んでいる実態がある以上、裁判所は一律に違法と言い切ることができなかったのである。
裁判官たちの本心としては「核兵器は非人道的であり廃絶されるべきだ」というメッセージを伝えたかったにもかかわらず、問いの形式が純粋な合法・違法の判断を迫るものであったがゆえに、かえって核抑止の余地を国際司法が追認したかのような結論を導いてしまった。この事例は、理念先行で極端な要求を突きつけることが、現実の制度的枠組みの中で逆効果を生み出しかねないという教訓を示している。
多国間主義の残された道と日本の役割
大国が国際規範を公然と踏みにじる時代において、力を持たない中堅国(ミドルパワー)や市民はどのように自らを防衛し、国際社会を維持していくべきなのか。
対話の終盤、キハラハント氏は「イシューベース(個別課題ごと)の柔軟な連携」に活路を見出すべきだと提起した。かつてのような強固で包括的な同盟関係だけに依存するのではなく、気候変動、特定の軍縮、人道支援、子どもの保護など、共通の利害や価値観を見出せる個別のテーマごとに志を同じくする国々や非国家主体が柔軟に手を結んでいく手法である。
このアプローチに対して須賀川氏は、「個別の課題で連携することは、その連携相手国が国内で犯している人道侵害や抑圧を黙認・免責することにつながるのではないか」という鋭い懸念をぶつけた。しかしキハラハント氏は、そうした批判や矛盾をはらみつつも、大国の横暴によって国際秩序全体が崩壊していくのを食い止めるためには、多層的かつ実利的な連携を積み重ねて対抗軸を築くほかに選択肢はないとの見解を示す。
その中で日本が果たすべき役割は極めて大きい。現在、国際司法裁判所(ICJ)の所長(岩澤雄司氏)や国際刑事裁判所(ICC)の所長(赤根智子氏)など、国際司法の最高峰に日本人法学者が就任している。日本は戦後一貫して「法の支配」や「人間の安全保障」、さらには「人間の尊厳」を中心とした外交方針を掲げてきた。
しかしキハラハント氏は、日本が単に「資金だけを拠出して実質的な議論には口を出さない」という過去の姿勢に留まるならば、国際社会における存在感を失うと警告する。掲げた理念を国際社会における確固たる「日本の強み」として確立するためには、単なるスローガンに終わらせず、外交・人道分野の高度な専門家を計画的かつ重点的に育成・登用し、自らの言葉で国際規範の形成をリードしていかなければならない。
不寛容と排外主義が国境の内外で広がり、大国の軍事力が法秩序を脅かす時代において、普遍的な正義を声高に叫ぶだけでは現実は動かない。互いの切実な不安に耳を傾ける「因数分解の対話」を重ね、理念と妥協の狭間で粘り強く前進を勝ち取ること。そして、硬直した既存の枠組みを超えた柔軟な連携を模索し続けること――これら地道な実践の積み重ねこそが、漂流する国際秩序の中で人間の安全保障をつなぎとめる唯一の防壁となる。
