【8分でわかる米中関係史】関係は貿易から始まった/不平等条約と門戸開放宣言/第二次世界大戦では同じ連合国/朝鮮戦争で戦果交える/冷戦とニクソンショック/中国民主化への期待が警戒に変わるまで

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概要

現在、米中両国の首脳会談や外交交渉が頻繁に報じられているが、両国の関係は時代ごとに協調と激しい対立を繰り返してきた。アメリカと中国の接触は200年以上前の通商から始まり、第二次世界大戦での共闘、冷戦期の軍事的衝突、1970年代の劇的な和解、そして経済成長に伴う現代の戦略的競争へと至っている。長年にわたる両国の歴史的経緯をたどることで、現在の米中対立の背景と構造を紐解くことができる。

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通商の開始と19世紀の権益獲得

米中関係の原点は、中国が清の時代であった18世紀後半にさかのぼる。アメリカ独立戦争が終結した翌年、ニューヨークを出港した商船「エンプレス・オブ・チャイナ号」が中国の広州へ向かった。この200年以上前に始まった貿易が両国関係の出発点であり、後にアメリカが日本へ開国を迫った背景にも、中国との貿易における補給基地を確保する目的があった。

19世紀に入ると、アメリカは先行するイギリスに倣い、中国へのアヘンの密輸にも関与するようになった。欧米の帝国主義列強と同様に中国国内での権益獲得を目指し、1844年には中国側での治外法権などを定めた不平等条約である「望厦条約」を締結した。さらに19世紀末には、表面上は中国の主権尊重を掲げつつも、欧州列強を牽制して自国の権益を確保する意図を持った「門戸開放宣言」を発表するなど、当時の帝国主義的な競争の枠組みの中で対中政策を展開していた。

中華民国の成立と第二次世界大戦における共闘

20世紀に入ると、アメリカの対中姿勢には期待が混ざるようになる。1911年の辛亥革命を経て、翌年に孫文によって中華民国が成立すると、アメリカはアジアにおける新たな共和制国家の誕生を歓迎し、主要国の中でいち早く1913年に中華民国を承認した。

その後の日中戦争において、アメリカは中華民国を軍事的に支援した。この時期には過去に結ばれた不平等条約も撤廃され、太平洋戦争においては米中は同じ連合国の一員として日本を相手に戦う関係となった。

国共内戦と冷戦初期の軍事的対立

第二次世界大戦の終結後、米中関係は一転して対立と断絶の時代を迎えた。戦前の中国では蒋介石率いる国民党政権と毛沢東率いる共産党が併存し、戦時中は一時的に手を結んでいたものの、大戦終結後に再び国共内戦へと突入した。その結果、敗れた国民党は台湾へ逃れることとなった。

アメリカは中国本土に成立した毛沢東の中華人民共和国を承認せず、台湾の中華民国を正当な中国政府と位置づけて同盟を結び、軍事・経済的な支援を継続した。1950年に勃発した朝鮮戦争では、米中両軍が戦場で直接矛火を交え、双方に多数の犠牲者を出す事態となった。その後も台湾海峡危機において中国軍が台湾の金門島を砲撃し、アメリカ軍が空母を展開するなど、冷戦下で極めて高い緊張が続いた。ただし、こうした対立下にあっても両国の対話が完全に断絶していたわけではなく、1955年から1970年までの間に大使級会談が計136回開催され、正式な国交がない中でも関係正常化への模索は水面下で継続されていた。

1970年代の歴史的和解と「関与政策」の始まり

1970年代に入ると、米中関係は対立から劇的な和解へと舵を切る。当時、アメリカは泥沼化したベトナム戦争からの出口を求め、新たなアジア戦略を必要としていた。一方の中国も、同じ共産主義陣営であったソ連との対立が深まっており、双方がソ連を牽制するための外交カードとして米中接近の利害を一致させた。

1971年、キッシンジャー大統領特別補佐官の極秘訪中を経て、ニクソン大統領が突如として訪中計画を発表した。1972年にはニクソン訪中が実現し、中国からアメリカへ友好の証としてジャイアントパンダが贈られた。そして1979年に両国は正式に国交正常化を果たす。この際、アメリカは台湾との外交関係を公式には断絶したものの、「台湾関係法」を国内法として制定し、非公式な交流や防衛用兵器の供与を継続する方針をとった。

国交正常化後、天安門事件や第三次台湾海峡危機、1999年の在ベオグラード中国大使館誤爆事件など深刻な摩擦が発生したものの、歴代米政権は中国を国際社会に組み込む「関与政策」を維持した。2001年には中国の世界貿易機関(WTO)加盟が実現する。当時のアメリカには、市場経済の枠組みに組み入れられて経済的に豊かになれば、中国もいずれ政治的に民主化していくだろうという強い期待があった。

経済成長と摩擦の顕在化

しかし、アメリカが抱いた民主化への期待は実現しなかった。2000年代後半から両国関係には再び軋みが生じ始める。2007年からの世界金融危機(リーマン・ショック)によってアメリカ経済が動揺する一方、中国は高い経済成長を維持して存在感を高めた。名目GDPは30年間で約27倍に達し、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。

経済力に連動して中国の国防予算も約30年間で28倍に拡大した。2011年、オバマ政権のヒラリー・クリントン国務長官はアジアを重視する戦略「ピボット(リバランス)」を発表し、台頭する中国への対抗姿勢を明確にし始めた。

2012年に習近平指導部が発足すると、摩擦はさらに加速した。中国は東シナ海への防空識別圏の設定や、南シナ海での人工島建設などを推し進めた。これに対し、アメリカ軍は鑑定を派遣して「航行の自由作戦」を展開し、軍事的な牽制を強めた。さらに2015年にはアメリカ政府機関を標的とした大規模なサイバー攻撃が発覚するなど、軍事・安全保障面での亀裂は決定的なものとなっていった。

全面的な戦略的競争の時代へ

米中関係が決定的な転換を迎えたのは、2017年の第1次トランプ政権の発足時である。中国の継続的な軍備拡張、中南米などへの経済的影響力の拡大に加え、企業や個人に対して国家の情報活動への協力を義務づけた「国家情報法」の施行などを理由に、アメリカ側は強い警戒感を抱くに至った。

同年12月に発表された「国家安全保障戦略」において、アメリカ政府は中国を国際秩序に挑戦する「現状変更勢力(リビジョニスト・パワー)」と明記した。これにより、数十年にわたって続いた米国の関与政策は明確に幕を下ろした。アメリカは対中追加関税を発動して米中貿易戦争へ突入し、議会では対中規制を強める国防権限法が成立するなど、対立は貿易、先端技術、軍事の全方位へと拡大した。外交面でも、アメリカ側がヒューストンの中国総領事館を閉鎖させれば、中国側も成都の米国総領事館を閉鎖させるなど、関係は国交正常化以来最悪の水準まで冷え込んだ。

この対中強硬路線は、その後のバイデン政権にもほぼ引き継がれ、第2次トランプ政権における新たな関税措置の検討や、部分的なデタント(緊張緩和)の模索に至るまで、両国は激しい牽制と交渉を繰り返している。現代の米中関係に見られる激しい駆け引きは突発的なものではなく、2世紀以上にわたる通商、戦争、和解、そして期待と失望の歴史的経緯の延長線上に位置づけられている。