『機動戦士ガンダム』第28話「大西洋、血に染めて」をカット単位で読む――岡田斗司夫が語る富野演出

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概要

岡田斗司夫は、TV版『機動戦士ガンダム』を1話ずつ解説する講座で、第28話「大西洋、血に染めて」に計10回の配信を充てた。第26話「復活のシャア」、第27話「女スパイ潜入!」に続く三部作の最終話で、カイ・シデンとミハル・ラトキエの出会い、相互理解、一瞬の心の触れ合いと別れが描かれる。岡田によれば、ファンのあいだで「一番好きな話」に挙げられることも多い回である。

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この講座で岡田が一貫して問うのは「アニメの演出とは何か」だ。ミハルは視聴者を泣かせるために死ぬキャラクターではない。死に至る理由が一つずつ積み上げられており、それを支えているのが台詞ではなくカット、構図、色、目線の設計だ、というのが岡田の立場である。

第28話時点の戦況:オデッサの敗北が意味するもの

本編に入る前に、岡田は戦況を整理する。この時点でジオンは地球の衛星軌道より外側の宇宙を押さえている。第3話前後でルナツーの司令がホワイトベースの護衛にサラミス1隻しか付けられないと言うのは、連邦が制宙権を失っている表れだと岡田は説明する。ジオン本国、月のグラナダ、宇宙要塞ソロモン、本来中立であるべきサイド6までがジオンの影響下にある。

地上でも連邦は押されている。岡田の整理では、北米にはジオンの拠点があり、ユーラシア大陸の大半をマ・クベの鉱山基地を中心にジオンが押さえていた。アフリカは紛争地帯で、オーストラリアはコロニー落としで壊滅している。連邦の戦力はヨーロッパと南米に残るだけで、本部ジャブローは「今日も爆撃か」という台詞があるほど連日空爆を受けていた。新しい宇宙戦艦を造っても、制宙権がないため打ち上げた途端に撃ち落とされる状況だったという。

これを変えたのがオデッサ作戦での勝利である。連邦が「オデッサ・デイ」と呼ぶのは、第二次大戦の帰趨を決めたノルマンディー上陸作戦の「Dデイ」と同等の重要度があったからだと岡田は言う。マ・クベの基地を失ったことで、ジオンは資源と兵力をアフリカへ回さざるを得なくなり、ジャブローへの爆撃も手薄になった。その結果、後の回で連邦の宇宙艦が次々と軌道へ上がっていく場面が出てくる。岡田の見立てでは、この時点でジオンの敗北はほぼ決まっていた。

マ・クベの「あと10年は戦える」という台詞についても、岡田は勝つつもりの言葉ではないと読む。ソロモン、ア・バオア・クー、グラナダがあれば10年は持ちこたえられるから、その間に有利な講和を結ぼうという意味だという。堀を埋められた後の大坂城にすがる石田三成のような心境だったのではないか、と岡田はたとえている。

アバンタイトルが伝える三つの情報

本編は前回の回想から始まるアバンタイトルで幕を開ける。岡田によれば、このナレーションはストーリー、ドラマ、設定という三つの展開を説明している。ストーリーは今回の筋、ドラマは「誰の心を追いかけて観るべきか」、設定は今回注目すべき設定のことだ。

一つ目のストーリーとして、ナレーションは「ホワイトベースはシャアの攻撃を退けて北アイルランドを後にした」と語る。太平洋の横断には第12話から第15話まで4話を使ったのに、大西洋はこの1話だけで渡る。話数に余裕がないので、ナレーションでスケール感を補っているのだと岡田は説明する。

二つ目のドラマとして、ナレーションは「ミハル・ラトキエ、決してスパイを職業とする少女ではない」と語る。岡田はミハルの感覚を、今で言えば悪気なくSNSに人の悪口を書く程度のものだとたとえる。弟妹を養うためにジオンへ情報を売り、良くないとは分かっていても「それで食べられているのだから」と開き直れる程度の意識だった。ただ、艦への潜入はその範囲を明らかに超えている。ミハルは見たこともない額の手付金を受け取り、成功すれば戦争のない土地へ家族3人で移れると考えた。とはいえ、無事にジャブローまで行けたとしても、シャアたちが本当に回収してくれたかどうかは分からない、と岡田は付け加える。

三つ目の設定はGアーマーの空中合体である。ナレーションは、ガンダムがGファイターとドッキングすると左側(台詞上の表現)ががら空きになり、その装甲の弱さが課題だと説明する。

盾2枚の辻褄合わせと、モビルアーマーという変化球

岡田は玩具を使って問題を説明する。ガンダムは盾を左腕に持つので、Gメカと合体すると反対側の腕がむき出しになる。富野由悠季監督の解決策は盾を2枚にすることだった。ただ、常に2枚持たせると、これまで描いてきた盾1枚のガンダムの作画がバンクとして使えなくなる。そこで、2枚の盾が重なって1枚に見え、合体時に両側へ分かれるという設定にした。今回の発進シーンにも、盾が2枚重なるカットがきちんと描かれている。

前話のアバンでは、アムロが全員の前で「盾がもう1枚、それをつなぐコネクター、補充部品が必要」と嬉しそうにプレゼンし、カイが「やってられないよ」とぼやく場面まである。誰も気づかないような矛盾を放っておけない富野は真面目な人だ、と岡田は評する。スポンサーの意向を最大限取り入れつつ、科学的・技術的な矛盾をなくそうとするところに、この時代のガンダムの面白さがあるという。

一方で、毎回新しいモビルスーツを出すやり方は限界に来ており、今回から変化球としてモビルアーマーが登場する。岡田は小さな模型を見せながら、ガンダムが15〜20mなら、グラブロは40mくらいありそうな巨大な機体だと説明する。モビルスーツより大きく、速く、硬く、武器も多い。ザク、グフ、ドムと順に強くしていく方式ではきりがないので、巨大な敵を出してモビルアーマーと名付ける方向へ進んだのだろう、と岡田は推測する。グラブロにはまだザクと共通するモノアイが付いているが、エルメスあたりになるとそうした共通点も消えていく。

黒い雲とタイトル:予告としての画面

アバンの最後では、夜空を飛ぶホワイトベースの上を、合体訓練中のGアーマーが追い抜いていく。ナレーションが「目的地は」と言った瞬間、ホワイトベースは黒い雲に突っ込み、「大西洋、血に染めて」のタイトルが出る。岡田は、本当の目的地はジャブローではなく大西洋であり、そこで起きるのが「血に染めて」のドラマであることを、黒い雲への突入で暗示していると読む。

1979〜80年当時の大人向けドラマは刑事物、ホームドラマ、2時間サスペンス、時代劇だった。そうした時代に子ども向けロボットアニメへここまでのドラマ性を持ち込んだガンダムは、ロボット世代の子どもにとってNHK大河ドラマのようなものだったと岡田は言う。ただし、なぜ黒い雲に入るのかは、大人になって分析的に観ないと分からない。

タイトルの後、原子力空母と駆逐艦が対潜行動中に水中からのミサイルで撃沈される。海上のスパイカメラから海底へ延びるケーブルの先で、シャアが「連邦軍のクジラは大きかったようだな」と上機嫌になっている。ブーン艦長がスパイを木馬に送り込んだことを褒めつつ、どうやって情報を取るのかと問う。冒頭のこの短い流れで今回の筋が示されると岡田は説明する。

ブライトの部屋に潜むミハル:白目と銃口

続いてミハルが館長室に忍び込み、引き出しを探る。ブーンの声で「第1に行き先を突き止める。第2に木馬の性能に関するあらゆる資料を手に入れる。今夜5時に接触を取る」と指示が流れる。カイが「ブライトさん、そろそろブリッジに」と入ってきたので、ミハルは机の下に隠れる。

岡田がまず注目するのは色指定だ。隠れたミハルの顔は影色で塗られているのに、白目だけは光の色のまま残されている。目にだけピンライトを当てたような効果で、1960年代の映画やモノクロ時代のアメリカの犯罪映画にある手法を、色指定で再現しているという。黒目を中央に小さく置くことで、追い詰められた怯えも表している。

服が破れる音でカイが屈み込み、二人の目が合う。このカットは前のカットと兼用することもできたはずなのに、わざわざ描き直されている。銃口がはっきりカイに向いていることを見せるためだと岡田は説明する。見つけたのが知っているカイでなければ、ミハルは撃っていたかもしれない。その緊張を一枚で示すカットだという。

「半分は嘘じゃない」:言わせないという選択

カイは相手がミハルだと気づいた瞬間、声を落として「ミハルじゃねえか」と言う。岡田は、この小さな声の芝居に「共犯者になってやろう」という感情が出ていると読む。ミハルは銃を下ろし、一歩寄って「あんたについていきたかったんだよ」と媚びる。カイが制服と拳銃のことを問い詰めると、ミハルは目を伏せ、顔を背け、やがて意を決したように「カイさん」と言いかける。

カイはそれを遮り、「あんなに兄弟思いのあんたが、俺を追ってきたなんて嘘だってことは分かってるよ」と言う。岡田によれば、これはミハルに「スパイだ」と言わせないための言葉だ。戦場でスパイと認めれば即決裁判で銃殺になりうるし、聞いてしまえばカイ自身も軍人として動かざるを得ない。前回カイが不用意に情報を漏らしてホワイトベースを危険にさらしたことを踏まえ、同じ過ちを繰り返さない成長として岡田はこの場面を読んでいる。

ミハルは「嘘じゃないさ、半分は嘘じゃない」と返す。追及が止むと、今度は女心で分かってほしくなるのだと岡田は言う。このカットではミハルが中央ではなく左寄りに置かれ、右に不自然な空間がある。そこへカイが大きくフレームインし、「しっ」と立てた指がちょうどミハルの口を隠す。実写でこれをやると、リハーサルも要るうえにわざとらしいアングルになる。平面の絵だけでできているアニメだから自然に見える技法であり、岡田はこの時期の富野をアニメ演出の歴史上で一番の存在だったとまで評価する。廊下を歩く場面を省き、ドアの開閉音から次の場面へつなぐ省略も見事だという。

台詞のない芝居と、女の子が「女」になる瞬間

カイの部屋へ向かう途中でアムロに見られる。カイはアムロの背中に手を回し、「野暮なこと聞くんじゃねえ」「南米で降ろすから内緒だぜ」と男同士の会話をする。岡田は、カイが相手の肩や背中に触れて信頼を得ようとするボディランゲージを繰り返し使う人物だと指摘する。一方、部屋の中で「南米」と聞いたミハルの顔は、スパイのものに戻っている。

部屋に戻ったカイは男の顔で入ってきて、ミハルの名前を呼ぶとすぐデレデレになる。姿が見えずに不安になり、見つけて口角が上がる。それを横目で見たミハルの顔は「女の顔」になっている。ここは台詞がまったくない。この男は自分に惚れ始めていると分かった安心から、ミハルは少し女っぽさを出したのだと岡田は読む。

岡田はここで富野の女性観を紹介する。アニメで女の子を描いても仕方がなく、ある瞬間に「女」になり、また子どもに戻るところを描かなければ意味がない。自分の女をどこで出し、どこで出さないかを交互に描くことが色気なのだ、という考え方である。これに対して宮崎駿のクラリスやシータは、好きな相手の前では一生懸命なところしか見せたくない女の子として描かれる。どちらが正しいということではなく、互いにどんな女性に振られてきたかの世界観の違いだろう、と岡田は笑う。

カイが「南米の宇宙船用ドックに入るんだよ」と小声で漏らし、肩に手を置いて「南米に着くまでにやられたら、お互い生き残れないだろう」と言う場面は、カットを割らずにカイの表情だけで通している。演技の圧力を落とさないためだと岡田は説明する。ミハルは俯いてから笑顔で顔を上げるが、ここで笑う理由は本来ない。カイの信頼を得るための笑顔、つまり再び騙そうとしている合図だと岡田は読む。同時にミハルは、この人を信じてよいのかどうかも迷っている。

カイが去った後のミハル

岡田がこの読みの証拠として挙げるのが次の場面だ。カイが出て行くと、ミハルはまず壁にもたれてため息をつき、そのまま窓へ駆け寄って外をうかがう。メモには「今朝5時頃、腕の無線機で連絡を取る」とあり、ミハルは「時間ないな」とつぶやく。緊張が解けた瞬間にスパイに戻るところまで見せるのが富野の残酷さだと岡田は言う。

岡田はこれを「リアルな人間」として評価する。人は誰かに「そうだよね」と相槌を打つとき、そうしておけば場が収まるという計算をしているものだ。アニメの純真なキャラクターに慣れると、人間の複雑さを忘れてしまう。逆に、暗黒面を過剰に描く作品を岡田は「カラムーチョ」と呼び、高級だとは思わないと言う。例として『ひぐらしのなく頃に』の名を挙げ、好きな人が多いのは分かるがと前置きしている。

制作現場ではスタッフが泣きながらミハルを描いたという逸話があることにも岡田は触れる。そのうえで、この作品はかわいそうな少女をかわいそうなだけには描かず、本人の罪も描いていると強調する。なぜカイが生き残り、ミハルが死んだのか。ミハルは要所要所で信じるべきものを信じず、立て直そうとしたときにはもう遅かった。宮崎駿ならミハルを「泣かせるために死ぬキャラクター」と批判するだろうが、ちゃんと観ればそうではないと岡田は反論する。

ブーンの潜入と「後部デッキ」という舞台

ブーンはゴッグとズゴックで4機のモビルスーツと4人のパイロットを失っており、一度は約束された本国帰還も危うくなっている。手柄を取り戻すため、自ら漁業組合の飛行機を装い、故障を口実にホワイトベースへ着艦する。部下にはジオン訛りがあるから喋るなと命じ、トイレで腕時計型の無線機を使ってミハルと交信する。分割画面で「南米の宇宙船ドック」という情報を受け取る。

戻ったカイは、ミノフスキー粒子で無線が使えないのに連絡がつくのはおかしいと気づき、着艦した民間機が怪しいと後部デッキへ走る。しかし機体はすでに飛び去っていた。岡田がここで強調するのは場所の選び方だ。緑の壁の後部デッキは、ブーン機の接近、ブライトとの面会、カイの「撃ち落とせ」という叫び、そしてラストでカイが崩れ落ちる場面まで、繰り返し映される。最後にカイのガンペリーがブーン機とまったく同じ構図で帰還することも含め、回全体の映像的な伏線になっている。

マッドアングラー隊に戻ったブーンは、シャアにモビルアーマーの出撃を願い出る。潜水艦で飛行する艦を追う不自然さを、富野は「モビルアーマーならここから発進しても木馬をキャッチできる」という台詞で解決し、ついでに新兵器を紹介したのだと岡田は言う。岡田自身は、ズゴック2機をワイヤーで引くグラブロを「ドッキリメカ」のようでロボットアニメの先祖返りだと楽しんでいる。

ホワイトベースのブリッジは「壁を描かない」発明

迎撃の場面で、岡田はブリッジのデザインを詳しく解説する。後方、側面、天井、床が巨大なディスプレイになっている。艦内の壁を機械で埋めると作画が膨大になる。『宇宙戦艦ヤマト』では後半になるほど壁の機械が省略され、メーターだけが残り、照明が暗くなっていった。『宇宙海賊キャプテンハーロック』のTV版もそうだったという。ホワイトベースのブリッジは、未来的に見えるうえに壁をまったく描かずに済む画期的な発明だと岡田は評価する。ディスプレイに攻撃を映せば見せ場にもなる。

ブライトは階段の中ほどに座り、その上に正オペレーターのマーカーと1年後輩のオスカがいる。天井のディスプレイを映すカットはカメラが後方にあり、レーダーのカットではカメラが前方に回るため、二人の左右が入れ替わる。そのぶん手すりの位置まで正確に描いて位置関係を保っている。コクピットならキャラクターのアップで盛り上げられるが、ブリッジで緊迫感を出すには、こうして次々にアングルを変える必要がある。岡田はこれを、横に並べがちなキャラクターを立体的に配置する工夫として見ている。

攻撃の中でミハルが知ったこと

被弾で揺れる艦内で、ミハルは弟妹と同じ年頃の子どもたちが消火器を持って働いているのを見る。このとき視線が上手から下手へ流れているのは、富野の映像文法で「行動を起こす原因を見ている」ことを示すと岡田は言う。

岡田はさらに、作中で語られていない感情を読み取る。ジオンは自分が乗っている艦をミサイルで攻撃してきた。落とすつもりなら、なぜさっきの飛行機に自分を乗せてくれなかったのか。自分もろとも殺すつもりなのだ。うまく立ち回っているつもりで、結局は使い捨てにされていたと分かった怒りが、後半の「戦わせて」の土台にあるという。尺に収まらず泣く泣く削ったのだろうが、仕込みは見える、と岡田は語る。

視聴者から「兵は使い捨て」というコメントが入ると、岡田は、それは兵隊が自嘲的に言う言葉で、上層部が本気でそう考える軍隊はすぐ滅びると返した。例として、後のソロモン陥落時に脱出兵の救出をめぐって部下が上官を諫める場面を挙げている。

第1・第2デッキの破壊が作る必然

Bパートの冒頭、Gアーマーが発進した直後に第2デッキが直撃を受け、人が吹き飛ぶ。悲鳴まで入っている。視聴者の新井さんから、ベルファストの市街が壊れたときでさえ人が死ぬ描写はほとんどなかったのに、この回は二度も人の死が描かれる、これはミハルの罪を描くためではないか、という質問が寄せられた。岡田は「その通り」と答える。ホワイトベースが攻撃されているのは、ミハルが目的地を教えたからにほかならない。死ぬ人物は報いの結果として死ぬ。それが子ども向けアニメの倫理だと富野は考えたのだろう、と岡田は言う。

続いてハヤトのコアファイターが発進した直後に第1デッキも被弾し、モビルスーツもコアファイターも出せなくなる。演出上の理由はもう一つある。合理性を重んじるカイが、攻撃力のないガンペリーに民間人を乗せて出撃する状況を作るには、他の選択肢をすべて潰しておかなければならない。デッキが生きていれば、カイにはガンキャノンかコアファイターで出ろという命令が出たはずだと岡田は説明する。

「被弾はいつものこと」と感じる視聴者も多いが、援護のない単艦で大量のミサイルを浴びる今回は、シリーズ最大級のピンチだと岡田は言う。ブライトが対潜ミサイルを積んだガンペリーの発進を命じ、フラウが館内放送でカイを第3デッキへ呼ぶ。エンジンの蒸気に直結した強力なカタパルトを持つ第3デッキは、大型機の発進に使われる。

走るカイを、遅れていたミハルが少しずつ追い詰めていく様子が3カットで描かれる。軍人のカイは頭がぶれず、顔も左右対称で平常心を示している。ミハルの顔は左右非対称で切羽詰まっている。第3デッキで再び子どもたちが吹き飛ばされ、ミハルは「弟たちが助かってあの子たちが死ぬなんて許されない」「このままじゃまたジオンに利用されるだけ」と迫る。ミサイルが目の前を飛ぶ中、カイは「射撃要員は要るんだ」と同行を許す。岡田はここを運命の分かれ道と呼ぶ。

水中ではアムロのガンダムがグラブロに足を掴まれ、ビームライフルも水中では敵の腕を少し溶かすだけだ。一方のブーンは「こいつ、水中用にどんな武器を持っているんだ」と疑う。ガンダムが勝つ理由を根性や偶然にせず、敵の不安という隙として積み上げていると岡田は見る。

ハイジのモンタージュと、エヴァの構図

途中で岡田は脱線し、ガンダムの分かりやすさの源を『アルプスの少女ハイジ』に求める。漫画家の発想で構図に頼りがちだった虫プロに対し、東映動画は引いた絵の中で演技で解決する。富野はハイジに参加し、おじいさんがチーズを炙る場面のように、意味のない笑顔を一つ挟むだけで観客に優しさを想像させるモンタージュを学んだ、というのが岡田の見方である。

対して『シン・エヴァンゲリオン』(講座内の呼称は「シン・エヴァ」)は構図が美しいが、ガンダムなら何カットにも割る場面をワンカットで見せるため分かりにくい、と岡田は言う。TV版エヴァ当時のガイナックスにはレイアウトの描ける人が数人しかいなかった。それを補ったのが、手前に大きな物を置く、隙間から覗く、極端な魚眼で捉えるといった実相寺昭雄のアングルだったと岡田は説明する。実相寺アングルは、予算や時間の制約を構図で乗り切るための方法だったという。

三つのレバーと、最後の笑顔

ガンペリーの対潜ミサイルは片翼に3発。カイは「レバーは一つずつ押せ」と指示し、ミハルは水面から目を離さず、人差し指で1発目、中指で2発目を撃つ。どちらも外れる。3つ目のカットは、ミサイルが外れたこと、機体が水面すれすれまで急降下していること、ミサイルがまだ1発残っていることを同時に伝えるために必要だったと岡田は説明する。直後、ズゴックのビームが左翼をかすめ、電気系統がやられて3発目が撃てなくなる。

カイが「カタパルトの脇のレバーが動かせりゃいいんだが」と言いながら横を見ると、席は空いている。さらに目線を動かすと、ミハルが「カタパルトの脇にレバーがあるんだろう」と笑っている。ミハルが席を立つカットは入れず、カイの視線の動きだけで不在を見せる。岡田はこれこそが演出だと言う。この笑顔は戦闘中のカイにとっては余計なものだが、すべてが終わった後に思い出すのはこの笑顔になる。岡田は、運命は変えられないのでせめて最後に笑わせてやろうというスタッフの心遣いだと読み、『もののけ姫』でアシタカが村を去る場面に宮崎駿が「いい曲を書いてやってくれ」と頼んだ話を重ねる。キャラクターが本当に生きていると思わなければ出てこない発想だという。

ここで岡田は、富野自身が「演出は展示できない」と語っていたことを紹介する。各地を巡回した富野由悠季の展覧会で、富野は作品の展示には感謝しつつ、演出は見せられていないと話していたという。岡田も3回ほど会場に足を運んだ。設定書や絵コンテやインタビューをいくら集めても、当時の予算と表現の制約の中で何をしようとしたかを読み取らなければ演出は見えない。学芸員の中にそれを読み取れている人はいなかった、と岡田は言う。だから自分は、再生数が3000〜4000の動画を毎週無料で出し続けているのだと語った。

ミハルの死:瞳孔が語るもの

はしごを降りたミハルは、巨大なミサイルの横の制御盤に取り付く。風切り音でカイの声はほとんど届かない。迫る波を主観移動で動かし、集中線を使う作画を、岡田は出崎統の演出に通じるものとして挙げる。浮上してくるズゴックを見つけたミハルは「向こうから来てくれたよ」と喜び、右手で3本のレバーを一度に握ってしまう。

岡田は、ミハルが爆風で吹き飛ばされて海に落ちて死んだと昔は思っていたという。ところがコマ単位で見ると、心音のような音とともにスローモーションになるカットで、1コマ目は驚いて見開いた目なのに、髪留めが切れて髪が乱れた後の4コマ目では瞳が明らかに小さくなっている。岡田はこれを瞳孔が開いた描写と読み、3発同時点火の衝撃波による内臓破裂で即死したのではないかと推測する。ロケット技術者を志したほどの富野ならその威力を知っていたはずだという。サターンV型の発射台や『王立宇宙軍 オネアミスの翼』でも、噴射口の下に水を張るのは熱対策ではなく衝撃波対策だった、と岡田は付け加える。力の抜けた体が空中を落ちていく作画には、かなりの枚数が使われている。

誰も知らないミハルの手柄

誘導もしないミサイルを機首の向きだけで撃っても、本来は当たらない。3発同時の爆発による衝撃波があったからこそズゴックを撃破できた、と岡田は見る。カイは「やったぞミハル」と喜ぶ。手柄を立てた少女としてならミハルを皆に紹介できる、という思いもそこにあったのではないかと岡田は推測し、その喜びが切ないと言う。爆炎の前をガンペリーが通過するカットは、状況を分かりやすく示すと同時に、ミハルの死に場所とカイの居場所がすれ違ったままであることを見せている。

さらにこのズゴック撃破が、ガンダムの勝利にもつながる。グラブロはガンダムの足を引きちぎって「もうひと息」と余裕を見せるが、ズゴック撃破を知らせる赤いランプがブーンのヘルメットに映って点滅し、ブーンは目線を落としてしまう。3機でホワイトベースを落とす計画が崩れ、帰国の望みも消えたからだ。その隙にガンダムがビームサーベルをモノアイに突き立てる。アムロは「足をちぎったのが間違いだった、動きやすくしてくれた」と言う。岡田によれば、ホワイトベースとガンダムが助かったのはミハルのおかげだが、それを知っているのは視聴者だけで、カイすら知らない。

後部デッキで、カイは泣かない

カイが帰還するのは、ブーン機と同じ構図の後部デッキだ。かつて「スパイを撃ち落とせ」と叫んだその場所で、カイは同じスパイだった少女の死を知る。ブライトに問われたハヤトの「いえ、知りませんね」という突き放した言い方や、アムロが「密航者です」と言った後に叱られることを気にして目を逸らす様子が、カイの孤独を強めている。

岡田がすごいと言うのは、うずくまって嗚咽するカイに涙が描かれていないことだ。「ミハルが亡くなっちまって」とブライトに説明しようとしたときに、ようやく目元にかすかな涙がにじむ。真相を話せば、仲間を死なせたスパイとしてミハルが憎まれる。話さなければ、ミハルが命をかけた理由も伝えられない。言いたいのに言えないという辛さの中で、カイは初めてミハルの気持ちが分かったのだと岡田は読む。

背後の巨大な幻と、後ろ向きの叫び

回想では、ホワイトベースとカイとミハルの姿がダブラシで重ねられる。岡田は、2枚目は人物とホワイトベースの濃さが逆であるべきで、露出の失敗だろうと指摘する。それでも、撮影に無理を求めてでも使える演出を尽くしているのがこの回だと言う。

うずくまるカイの背後に、写実寄りの絵柄の巨大なミハルが覆いかぶさり、「あんたに会えてよかった」「ジルとミリーなら大丈夫さ」「いつまでもこんな世の中じゃないんだろうね、カイ」と語りかける。岡田はこれを、傷ついたカイが必要とする「嘘の記憶」だと読む。初代ガンダムでは死者は本音を語らない。死後に語りかけるのはララァだけで、それも生き残った者の願望として描かれる。ガルマの最期にイセリナが何を言ったのかを観客に聞かせないのも同じリアリズムだという。カイは幻だと分かっているので振り返らない。カメラが寄るにつれてミハルはフレームから消え、声も途切れる。そこでようやく、カイはストロボ効果のスローモーションで立ち上がる。幻を振り切るのにそれだけの意志の力が要ったことを示すためだと岡田は説明する。

立ち上がったカイは泣いていない。人は自分を哀れむときや自分を許そうとするときに泣くので、「泣きながら謝る相手は許すな」と岡田は言う。だからここで泣いていないカイは信頼できるのだという。カイが「なんで死んじまったんだ」と叫ぶ瞬間、画面はやや後方からのホワイトベースのロングに引く。後部デッキにいるカイは、艦が遠ざかっていく後方、つまりミハルが死んだ海へ向かって叫んでいる。それを示すための構図だと岡田は説明する。

劇場版との比較、そして打ち切りの影

講座の最後に、岡田はTV版と劇場版『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の同じ場面を比べた。劇場版では幻のミハルが生前と同じか、それ以上に可愛く描かれ、カイは振り返って「お前はそれでいいのかよ」と問いかける。ミハルは「間が悪かったんだよ」とカイを許す。尺がない分、分かりやすさに振り切った作りだと岡田は言う。

TV版では、カイは慰めの言葉に甘えず、背を向けたまま一人で立ち上がる。岡田はこれを、カイが軟弱者を卒業する瞬間と見る。以後のカイが戦争を一刻も早く終わらせるために主体的に戦うのは、幻のミハルが最後に言った「いつまでもこんな世の中じゃないんだろうね」への答えになっているという。こうした細部があるから、ガンダムを観るならTV版を観てほしい、と岡田は語った。

次回は第29話「ジャブローに散る」である。「血に染めて」の次が「散る」になるのは、ちょうどこの頃に打ち切りが決まったことと関係しているのではないか、と岡田は推測する。視聴率が振るわないので誰かを死なせて盛り上げようという考えが作り手の頭をよぎり、同時に話を巻かなければならなくなった。その結果、悲劇が重なってしまったという不幸もあっただろう、というのが岡田の見立てである。