げんじが語るチャンネル10周年:つらかった過去と「好きなことで生きていく」

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概要

ファッション系YouTuberのげんじが、自身のチャンネル開設10周年に合わせて、この10年に考えてきたことを語った動画である。特別な報告はないと前置きしたうえで、酒を飲みながら、懐かしい話やこれからの方針、視聴者への思いを自由に話している。話の中心にあるのは、批判や炎上に傷ついてきたにもかかわらず、なぜ10年続けてこられたのかという問いだ。げんじは話しながら、その答えを「好きなことをやってきたから」だと言葉にしていく。

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撮影を始めるまでに40分かかった理由

冒頭でげんじは、この動画の撮影を始めるまでに40分ほどかかったと明かす。何を話すか、どんな気持ちで撮るかを決めかねていたという。5月5日頃の公開に間に合わせるには今日撮るしかないと分かっていたが、10年分の思いを10分程度で話しきるのは無理だとも感じていた。撮影は夜9時、食事もとらないまま始まっている。

気持ちが揺れていた背景には、直前に撮影した別の動画がある。10年を振り返り「戻ってこいよ」と呼びかける内容の動画で、この収録時点ではまだ公開されていなかった可能性があるという。その編集と修正を3日ほど繰り返し、何度も見返すうちに、忘れていたつらい過去や当時のコメントを思い出してしまった。げんじはこの3日間「多少食らっていた」と話す。あの動画を撮っていなければ楽しいことばかり話していたはずだが、そのぶん10年前、7年前、5年前の出来事を昨日のことのように思い出せる状態で、10周年の撮影には良いタイミングだったとも振り返っている。

100万人達成時とは違う、10周年の実感

げんじは、登録者100万人を達成したときのほうが瞬間的な高揚は大きかったと話す。アドレナリンやドーパミンが出るような喜びだったという。一方で10周年の嬉しさは、それとは別の種類のものとして語られる。

根拠として挙げたのは現在の数字だ。YouTubeを主軸に、他のSNSも含めて、今が最も多くの人に見てもらえている時期だという。チャンネルに欠かせない自身のブランド、LIDNM(リドム)とLlife(ライフ)、WYM(ウィム)、一時期手がけ今後も続けたいというUxeiyo.(ウェイヨー)についても、今が最も多くの人に買われており、1人あたりの購入金額も過去最大だと話す。

感謝の対象は幅広い。10年前から見ている人は相当少ないだろうとしつつ、2〜3年前から、あるいは昨日見始めた人にも、見続けている人にも感謝しているという。さらに「もう見なくなった」という人にも感謝していると続ける。その人たちがいたから今の自分がある、というのが理由だ。

実家の二段ベッドから始まったYouTube

活動の出発点について、げんじは実家の話をする。周囲がまだ大学生だった頃、元は父親の部屋だった部屋の二段ベッドの下の段が自分のスペースで、そこでYouTubeを本格的に始めた。最初は「やってみた」系など何でも試していたが、ファッションが好きだったため、自然とファッション企画が増えていった。

その結果、5か月で登録者10万人を達成し、27日間で7万人増えた時期もあったという。げんじはこのときの変化を、人生が音を立てて動いていくような感覚だったと表現している。

そこから夢ができた。当時はグッズ販売が一般的だったが、げんじは服を作りたい、ブランドを作りたい、服を届けたいと考えた。当時ははじめしゃちょーのような「やってみた」系など何をやってもよかった中で、服を中心に発信するほど服が好きだったのだから、服やブランドを作りたくなるのは当然の流れだったと本人は話す。

炎上と、当時のネット文化

ところが、楽しそうだと思って始めたブランドづくりは大きな炎上を招いた。げんじは「申し訳ないと思う」と述べたうえで、炎上には理由と背景があり、その経緯は概要欄で紹介している別の動画で詳しく説明していると話す。ただし、すべてを肯定するつもりはないとも断っている。

当時の状況について、げんじは今と比べてネット文化や道徳が成熟していなかったという感覚を語る。今はネットリテラシーが高まり、何を言ってよくて何がだめかが共有されてきた。XやThreadsはまだ荒れているが、全体としては落ち着いてきたという見方だ。当時の自分はファッション界で「異質な存在」であることを自覚せざるを得ず、出る杭は打たれる日本で、心はかなりすり減っていたと振り返る。

支えになった人たちとの出会い

続けてこられた支えとして、げんじはまず応援してくれた人やコメントをくれた人を挙げる。初めて表参道で開いたポップアップには多くの人が来た。その日はヘキトラハウスとのコラボ動画を撮り終えてから、移動しながら編集も進めて会場に向かい、アバンティーズなど多くの人にレセプションに来てもらったという。

ファッションに関わる原点として語られたのは、WEAR時代に出会った安立さんという人物だ。当時のげんじはSNSを自分のために使うのがほとんどで、誰かに向けて発信する発想はあまりなかった。そうした中で、誰かのために発信する安立さんの姿に感銘を受けたという。だからこそ、そのイベントに安立さんを呼べたことが本当に嬉しかったと話す。また、動画を見返したところ、よく知られた「運牌」という人物もイベントに来てくれていたと触れている。

その後、発信の背景やブランドの拠点も変わり、「順風満帆」とは決して言えない出来事がたくさんあったという。その一方で、ファッションYouTuberとしては珍しく、ほかのジャンルのYouTuberとも交流を深めてきた。カリスマブラザーズやアバンティーズの面々と仲良くなり、表にはあまり出ていない人たちとも付き合いができた。

げんじが特に強調するのは、YouTubeやSNSから離れた場所での友人の存在だ。同年代の経営者、YouTuber、社内の人たちが支えになったという。10年続けられたのは自分が頑張ったからではなく、要因が多すぎるからだとし、ありきたりな「ありがとう」では済まないと語る。

地元の人間関係についても、率直に触れている。埼玉から東京に出てくる頃、尖りすぎて人を傷つけてしまったことがあったという。今では地元や高校の友人とも仲が良いが、決してきれいな道のりではなかったと認めている。

WYMとLlifeが生まれた経緯

ブランドの話では、WYMを始めてからまた景色が変わったとげんじは話す。LIDNMでは素材を追求したいという思いがあり、価格帯も含めてやりたいことが膨らんでいった。一方で、それでは若い視聴者には買えないという問題もあった。

LIDNMについてげんじは、市場全体のクオリティと価格から見ればリーズナブルだとしつつ、ファストファッション系のブランドなどと比べると値段はどうしても高くなると認めている。そこで、クリエーションの質を保ちながら、より手に取りやすい価格帯のブランドとしてWYMを作った。二つのブランドをそれぞれのチームと進めてきたことには多くの思い出があり、どの商品にも思い入れがあると話す。

その後に生まれたのがLlifeである。げんじ自身、シルバー系のジュエリーが本当に好きで、レザー小物、バッグ、ベルト、キーホルダー、靴も大好きだという。この日身につけていたピアスやリング、ジャケット、ヘンリーネックのTシャツも自身のブランドのもので、多くの人に買ってもらえていると語る。

「幸せすぎる中の悩み」

げんじは自分を、話すことが好きで、お酒が好きで、ファッションが好きな人間だと言い、それがうまく噛み合ったのだから本当に幸せだと語る。

ただし悩みもある。理想や求められているものに対し、あらゆる角度から指摘を受ける。げんじは「ロバの話」になぞらえ、全方向から意見が来ると説明する。自分は色々考えてしまうタイプで、実際に声も届いている。それは顧客からではなく、顧客とは違う場所からの言葉だという。げんじはこれを「幸せすぎる中の悩みポイント」と表現している。

20代後半〜30代向けに発信を絞った理由

最近の変化として、げんじは今年32歳になることに触れ、経験を重ねるにつれて話したいことや表現したいことが増えたと話す。それに伴い、表現したくないものや気分が変わったものも出てきた。これまでのサムネイルの色合いや編集のテイストから「卒業」したのも、その流れの一つだという。

特に大きいのが発信対象の変更だ。最近は20代後半から30代に向けて発信していると話す。もちろん40代、50代にも届けているが、中心はそこに置いている。

理由についてげんじは「ぶっちゃけ」と前置きして説明する。10代の高校生や大学生に向けた発信なら、どんな言葉や企画が響くかは想像がつき、頑張ることもできる。しかしその層には、すでに多くの若い男性ファッションインフルエンサーがいる。同じ土俵に立つのは正直疲れるという。仮に自分に熱狂的な若いファンができた場合、その層をターゲットにしている他のインフルエンサーから厳しい視線を向けられるかもしれない、という懸念も口にしている。だったら、彼らが発信していない29〜30代あたりの大人の層に向けたほうが精神的な疲れを避けられる。そう考えることで、「全年齢に発信しなくていいんだ」と肩の力が抜けたという。

ただし、数か月後に学生向けの動画を出す可能性もあるとも述べており、方針を固定しているわけではない。

対象を切り替えた後にも、意外な出来事があった。先日表参道で開いたイベントの最後に店頭に立ったところ、高校生が来てくれたという。なぜ見てくれているのかと聞くと、げんじのようなファッションが好きだと言われて驚いたと振り返る。

げんじは自分たちの好きなスタイルを、無地のウールのヘンリーにさらりとしたジャケットを合わせるような装いだと説明する。TikTokをよく見る学生からすれば、装飾で足し算したくなる「つまらない合わせ方」に映るかもしれない。それでも自分たちは「こういうのがいい」のだという。第3チャンネルで撮影したサンダルの話、WYMで作っている革靴、Llifeで出したオペラシューズにも触れ、好きなものを好きと発信することを強調している。

「好きなことで生きていく」と120万人

げんじはここで、YouTuberとは「好きなことで生きていく」ものだと話す。それは全員に当てはまることではないが、自分は奇跡的に幸運なことに、それができる人生だったという。この話の途中で、横で撮影していたスタッフが深く頷き始め、げんじが笑いながら突っ込む場面もあった。

その生き方に共感してくれたのが、登録者120万人だとげんじは言う。一方で、この動画はファッションを絡めていないため、再生数は1万か2万に届くかどうかだろうと予想している。それでいいのだ、と続ける。自分が好きなのは服であり、服を絡めた動画をやっている。だから普段の再生数は、数あるファッションジャンルの中で、げんじの好きなジャンルに共感した人たちが集まった数だと考えている。120万人という数字も、一瞬でも自分を好きでいてくれた人の数だと捉えているという。

10年後、20周年を迎えるときには42歳になる。そのときも好きなファッションや好きなことをやっているはずで、それに共感してくれる視聴者とずっと遊んでいきたい、楽しく生きていきたいと語る。

話しながら見えてきた「つらさ」の理由

動画の後半で、げんじは話しているうちに、なぜつらかったのかが分かってきたと言う。自分はずっと好きなことをやってきた。好きに服を買い、好きに服を作り、好きな視聴者に向けて発信してきた。好きな従業員が集まり、好きなYouTuberたちと横並びで発信できている。好きなことだからこそこだわり、考え、悩む。

そうして築いてきた、好きなものに共感するコミュニティに対して、悲しい批判がたくさん向けられた。その言葉を見たとき、げんじを好きだと両手を広げて言える人がどれだけいただろうかと考えると、正直悲しいと話す。撮影の始めが少し暗かったのはそのためだという。

それでもげんじは、悩んだり悲しんだりしていること自体も、好きでなければとっくにやめているはずだと考え直す。10年続けてこられたのは、好きなことに共感する人が集まり、WYMを好きだと言ってくれるからだという。WYMの商品、デニム、アウター、Tシャツを自分もみんなも好きでいる。LIDNMはWYMより高いが、クオリティが圧倒的に高いから好きだと言ってくれる人がいる。Llifeも大好きで、この日の手元のアクセサリーもすべてLlifeだと話す。

げんじは、「好きに生きる」ことと「自由奔放に生きる」ことは違うと認識しているという。ほどよいプレッシャーと緊張感があり、それも含めて好きだから挑戦を続ける。年齢とともに好みが変わるのは当然で、肩肘張らずに、自分が話したい人たちに向けて好きに発信していくつもりだと語った。

収録中にはスタジオの照明が自動で消えるハプニングもあった。げんじは、冒頭が暗かったのも含めてこれがリアルだと受け止め、二段ベッドの下で撮っていた頃と同じだと話している。

今後の方針と視聴者へのお願い

今後の具体的な方針として、げんじは3点を挙げる。一つは、最近やっていなかったドメスティックブランドの紹介を再開すること。もう一つは、好きなショート動画を引き続き増やしていくことだ。三つ目として、ショートを増やしたぶん長尺動画が手薄になっていたため、編集者の体制が整いそうな今後は長尺の企画も増やしていくという。自分の撮影時間は有限で変わらないが、体制の強化によって本数を増やす考えだ。

チャンネルについては、げんじが好きなことを発信し、その「好き」に共感した人が集まって最強のコミュニティを築いていく場所だと位置づける。動画を見てくれる人、ブランドのアイテムを買ってくれる人に感謝を述べ、今後はチャンネルだけでなく各ブランドも成長させていくと語った。

最後にげんじは、冒頭で見せたように自分も心が悲しむこともあれば喜ぶこともある、普通の人間だと話す。コメントやリアクションをもらえると素直に嬉しく、それがモチベーションになり、YouTubeがもっと楽しくなる。だから「10周年のわがまま」として、視聴者からのコメントを心待ちにしていると呼びかけた。動画はこの後、第3チャンネルで短いアフタートークを撮る予定だと告げて終わる。