南国酒家・宮田順次社長が追う「47都道府県の食材でつくる中国料理」

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概要

東京・原宿の老舗中国料理店「南国酒家」は、地方の珍しい食材を中国料理に取り入れてきた。番組『ガイアの夜明け』は19年前、当時営業本部長だった宮田順次さんに密着している。今回は、5代目社長となった宮田さんの現在を追った。宮田さんが新たに掲げるキーワードは「体に優しい」中国料理である。この動画では、現在の取り組みと19年前の密着映像が交互に描かれる。

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東京駅の「南国酒家 47china」と産地を明記したメニュー

東京駅構内の飲食店街に、行列のできる店「南国酒家 47china」がある。番組によれば、人気の理由は食材へのこだわりで、食事時はたいてい満席だという。メニューには「長崎県五島市産の車エビ」のように、食材の産地が細かく記されている。

客の一人は、ほかの中華料理店で産地まで書いている店はあまり見ないと話した。より美味しそうに感じるうえ、日本の農家を応援しているような気持ちにもなるという。

ランチタイムが終わる頃、宮田社長が店を訪れた。料理長は山盛りの野菜を持ってくる。宮田さんは、店で特集中の秋田県の生産者を訪ねた話をしながら、新たに使う食材を一つずつ確認していった。

店名の由来について、宮田さんは次のように説明する。47都道府県の食材を使って、こだわりの中国料理を出したいという意味だ。新しい食材を調理して客に喜んでもらい、その反応を生産者に伝える。宮田さんは、この循環がうまく回れば日本の食文化の価値はどんどん上がっていくと考えている。

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高知の「土佐あかうし」と、体に優しい中国料理への挑戦

今年9月、宮田さんは高知県を訪れた。感染症対策の防護服に着替え、山の上の放牧場まで登る。目当ては、高知県の幻のブランド牛と紹介される「土佐あかうし」だった。番組の説明では、この牛は霜降りの「サシ」が少なく、赤身が多いのが特徴である。

番組は今回の取り組みについて、地方の農家を後押しするだけが目的ではないと伝える。土佐あかうしの良さを料理でどう引き出すかについて、同行した料理人はこう答えた。赤身をうまく生かしたい。ただ、中国料理の調味料には味の強いものが多いので、そこは考えながら進めるという。

宮田さんは、日本の食材を知り尽くさなければこの料理は絶対にできないはずだと語る。体に優しい中国料理については、難しい分野だと分かっているが、それでも挑戦したいと述べた。ただ、この動画の範囲では、どのような料理になるのかはまだ示されていない。

番組は冒頭の予告で、雪国に伝わる「雪室」で食材をおいしくする取り組みにも触れている。しかし、この動画では予告映像だけで、本編は扱われていない。

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19年前の密着:新しい野菜を店の「売り」にする

番組が宮田さんを最初に取材したのは、2007年の放送である。南国酒家は1961年に創業した。素材の持ち味を生かす広東料理店の先駆けとして親しまれ、酢豚にパイナップルを日本で初めて入れたのもこの店だと紹介される。当時、千席あるテーブルは昼夜を問わずにぎわっていた。

当時から店では、10年ほど前から新しい野菜を積極的に取り入れていた。たとえば「甘栗かぼちゃ」を出された客は、オレンジ色のパプリカのような見た目に驚き、栗のように甘いと口々に話していた。

この仕掛けを担っていたのが、営業本部長の宮田さんである。試作の場では、料理人に盛り付けの具体的な指示を出していた。丸い野菜は半分や4分の1に切り、断面の形を見せたほうがいいという。宮田さんの考えはこうだ。新しい野菜や見たことのない野菜を出せる環境があれば、客は必ずついてくる。客はワクワクする気持ちで店を訪れてくれる。だから「もうこれしかない」と思っている、と当時語っていた。

宮田さんは、創業者である祖父から小さい頃に食材選びの大切さを学んだという。当時の番組は、地方の珍しい食材の本格的な導入には、頑張っている農家を応援する狙いもあったと伝えている。

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石垣島で出会った「ハワイ チンヌクイモ」

19年前の映像では、宮田さんは秋のコースの食材を集めるため、東京から約2000km離れた石垣島を訪れた。同行したのは久保寺総料理長である。

ある生産者が、最近作り始めた珍しいものとして芋を見せてくれた。島でも2人ほどしか作っていないという、ずっしりと重い芋だった。生産者は、新しい野菜作りに挑戦したくても売れる見込みがないため、自分たちが食べる分しか作っていないと話した。

宮田さんは来年はたくさん採れるかと尋ね、買ってくれるなら作るという返事を引き出した。生産者は、買ってもらえなければ作っても仕方がないと率直に話す一方、食べたらやめられない味だと太鼓判を押していた。

一行は農家の台所を借りて、集めた野菜をその場で調理した。地元ではこの芋を天ぷらにして食べるという。しかし宮田さんたちは、いつものように直感を頼りに、刻んで炒め物にした。普通はこんな刻み方はしないだろうと言い合いながらの試作で、仕上がりの味は「全然わかりません」「保証なし」と笑い合う場面もあった。

宮田さんは、この視察の意味を次のように語っている。地元の人が普通に食べているものでも、東京ではまったく食べられていないことがある。その食べ方も知られていない。だからこそ、それを東京に持ってくると、ものすごく珍しいものになり、ビジネスにもなる。番組はこの視察を、実り多いものになったようだと締めくくった。

字幕はこのあと「あれから19年」という語りの途中で終わっている。そのため、この動画の範囲では、その後の経緯や土佐あかうしを使った料理の完成形は描かれていない。