古墳時代に渡来した「第3の集団」:覚張隆史氏が語るゲノム解析と日本人のルーツ

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概要

日本人の起源は、縄文人と渡来系の弥生人という2つの集団の混ざり合いで説明されることが多い。金沢大学古代文明・文化資源学研究所准教授の覚張隆史氏は、古墳時代以降に新たに入ってきた人々、いわば「謎の第3集団」がいたことが古人骨のゲノム解析から見えてきたと語る。PIVOTの番組で、著書『日本人とは何か 私たちのルーツを巡る700万年の物語』の内容をもとに、分析技術の進歩、旧石器時代から弥生時代までの流入ルート、そして古墳時代の新しい知見について話した。

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古人骨から全ゲノムを読めるようになった

覚張氏によれば、人類のルーツをめぐる研究は近年、新しい論文が次々と出て「疲れてしまう」ほどの状況にある。化石人骨の発見が増え、ホモ・サピエンスの誕生からアフリカを出てユーラシアに拡散した過程について情報が増えていることも大きい。しかし覚張氏が最も大きな変化として挙げるのは、古人骨から全DNA、つまりゲノムの情報を読み解けるようになったことだ。これにより、各時代の人々の遺伝的特徴が違うのかどうかを個体レベルで比較できるようになった。

覚張氏の説明では、長いあいだ読めるDNA配列は100程度にとどまっていた。20年から15年ほど前に、大量の配列を読める次世代シーケンサーが登場したが、それでも古い人骨への適用は難しかった。古人骨のDNAは非常に断片化しているからである。その断片をつなぎ合わせ、最終的に約30億の配列を読めるようになるまで基礎研究が長く続き、いまようやく花開いている分野だと覚張氏は位置づける。分析できる人骨の数が増え、1体から得られる情報も増えたことで、両者の掛け合わせで分かることが急速に広がっている、というのが聞き手とのやりとりで確認された状況である。

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旧石器時代:3方向からの流入と、分析できる人骨の少なさ

日本列島に人が入ってきた大きな流れについて、覚張氏はまず旧石器時代から説明した。石器の証拠から、日本列島の旧石器時代は約3万8000年前に始まったとされる。流入ルートには仮説が複数あり、サハリンや北海道を経由する北側のルート、大陸と距離の近い朝鮮半島から九州へ入るルート、そして年代はやや新しくなるが約3万2000年前の人骨が見つかっている琉球列島など南側のルートの3方向が考えられているという。

聞き手が図の矢印から北側が主流だったのかと尋ねると、覚張氏は人口規模の評価は難しいとしたうえで、石器の特徴から北側の影響が強いと考える考古学者もいると答えた。あくまで可能性の段階だという留保つきである。

旧石器時代の人々の遺伝的特徴を知ることは、後の縄文人との関係を考えるうえでも欠かせない。しかし覚張氏によると、本州・北海道・九州・四国では分析に耐える旧石器時代の人骨がほぼ見つかっていない。人骨の残り方は地質に大きく依存し、石灰岩の地質が多い琉球列島では比較的よく残る。国立科学博物館の篠田氏らが3万年ほど前にさかのぼる人骨のDNA分析を進めており、そのデータはこれから出てくる段階だという。

また、琉球列島の港川遺跡で見つかった旧石器時代の人骨については、ミトコンドリアDNAの分析が部分的に成功しており、縄文時代や現代の人々との比較が進められている。覚張氏によれば、似た配列はあり近いグループである可能性はあるものの、縄文人の直系の祖先と言い切れるデータはまだ得られておらず、謎に包まれた状態である。

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縄文人:大陸集団から離れた「古いタイプ」の遺伝的特徴

約1万6500年前から、土器を作る縄文時代の人々が旧石器時代の人々の後に存在するようになる。文化が違うため遺伝的特徴も違う可能性があるが、連続的につながっている可能性もあると覚張氏は言う。だからこそ縄文人の遺伝的特徴を調べることは、現代日本人との関係を考えるうえで重要だとする。

覚張氏は、自身が最初に論文を出したときの解析結果を図で示した。中国や朝鮮半島など大陸の東アジア集団の位置から、縄文人はやや離れている。一方で、北京近郊にある約4万年前の洞窟遺跡・田園洞の人骨の方に、縄文人はやや寄っているように見える。ここから、古いタイプの遺伝的特徴を持っていることが縄文人の特徴ではないかという見方が出てきていると覚張氏は説明した。

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弥生人:地点ごとに異なる渡来のパターン

縄文時代の後には、弥生時代の渡来人が入ってくる。この時代については覚張氏だけでなく、東京大学や国立科学博物館の研究者らも研究を進めており、九州西部や福岡など各地のデータが徐々に出てきている。覚張氏によると、人骨ごとに遺伝的特徴がかなり違い、一度にまとまって渡来したというより、地点ごとに大陸から異なるパターンで人が入ってきたような「ちょっと不思議な挙動」を示すのが弥生時代の特徴だという。

全体としては、朝鮮半島北部から中国東北部、さらにロシアのバイカル湖方面にかけての集団、研究分野で「北東アジア集団」と呼ばれる人々の影響が強い。ただし、それだけでは説明しきれず、中国北部の内陸部の遺伝的特徴を持つような人々も関わっており、地点ごとに答えが違う。そのため、統一的に「弥生人とは誰か」とは言えないというのが現時点での正確な表現だろう、と覚張氏は述べた。聞き手は、教科書で一括りにされる縄文人・弥生人の中にも多様性があるという点を確認した。

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古墳時代:混血せずに入ってきた集団

ここから本題の古墳時代に入る。覚張氏によれば、古墳時代にも各地で北東アジア集団、あるいは中国内陸の「セントラル・プレイン」(中央平原)の集団が入ってきた形跡がある。そのうえで、中央平原の集団と北東アジア集団が混ざり合わず、それぞれ独自に入ってくるという新たな混血のパターンが見えてきたという。

聞き手は、混血して入ってきたか否かが解析で区別できるのかと問うた。覚張氏の説明はこうである。集団全体の平均的な遺伝的特徴を比較する解析では分からない。大陸内の集団は突然変異の蓄積によって区別できるが、弥生時代にすでに混ざった状態で列島に入った集団と同じ供給元から、古墳時代に再び人が来ても、両者の識別は難しいと考えられる。

ところが実際には、弥生時代にすでに北東アジア集団と中央平原の集団が入って列島で「待ち構えて」いたにもかかわらず、その特徴が反映されず、例えば中央平原の特徴だけを持つ個体がいきなり見つかるケースが出てきている。覚張氏は、在地の集団と交わらずに別の場所から人が入り、入植してから混血したというストーリーが見えてきていると語る。こうしたことが分かるのは、個体ごとの直接的な解析ができるようになったからだという。

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飯田市の前方後円墳と朝鮮半島南部の女性

第3集団の存在を示す具体例として覚張氏が挙げたのが、長野県飯田市の大型の前方後円墳に葬られた男性である。この被葬者は、朝鮮半島南部の大成洞古墳という大きな墓に葬られた女性と遺伝的に非常に近く、直接的な血縁関係があった可能性が分かってきたという。このルートは他の古墳時代の特徴とは異なり、現時点ではそこでしか見えていない。また他の地点でも、それぞれ独自の人の移動ルートが見えてきているという。

これらが分かったのはこの1年ほどのことである。成果はまだ海外でしか発表しておらず、日本でどう受け止められるかは未知数だが、海外の研究者からはそうした可能性は十分ありうると聞いている、と覚張氏は話した。

覚張氏は「第3集団」という曖昧な表現をあえて使っている点が重要だと強調する。まだすべてを分析・把握できておらず、分析した数もそれほど多くない。それでも、数個体を分析しただけで朝鮮半島の人物と血縁関係がある可能性が非常に高い例が見つかった。古墳時代はおよそ300年ほどだが、血縁解析をすれば100年から150年程度の範囲で近縁な人が見つかり、「ここから来た」と直接分かる。ゲノムの平均的な特徴に頼らず、血縁関係を手がかりに研究できるようになったことが大きいという。

今後数年で詳しい情報が見えてくるかという聞き手の問いに、覚張氏は十分ありうると答えた。韓国や中国では同時代の人骨が大量に確認され、血縁関係の研究も進んでおり、現地の研究者と情報交換しながら解析を進めているという。

15:53

第3集団はエリートだったのか

第3集団がどんな集団だったと考えられるかについて、覚張氏は前方後円墳との関係を挙げた。古墳時代の前半には巨大な前方後円墳が出現するが、弥生時代にはそこまで大きな墓は見つかっていない。これを弥生時代に渡来して在地化した人々がすべて造ったのか、新たな大陸の集団が関与したのかは、まだ分からない。

もしこの時期に人が入ってきていたなら、前方後円墳に葬られた人々が大陸の集団と遺伝的に近い可能性がある。飯田市の事例も前方後円墳であり、覚張氏は、もしかすると前方後円墳の被葬者の多くが大陸集団と遺伝的に近い可能性もあるとする。ただし、数多い前方後円墳のうちゲノム解析が進んだのはほんの一握りにすぎない。それでも見つかってしまったことが非常に興味深い、というのが覚張氏の評価である。聞き手が、可能性段階とはいえ第3集団はエリート集団だった可能性があるのかと尋ねると、覚張氏はその可能性はあると答えた。

比較対象として、前方後円墳クラスではない、崖に穴を開けて埋葬する横穴墓に葬られた人々、覚張氏が「適切かは分からないが」と断ったうえで「庶民層」と呼ぶ人々が、遺伝的に異なるかどうかも検討中だという。違う部分もあるが、前方後円墳の人骨がほとんど分析されていないため、そのデータを増やせば検証はすぐにできると覚張氏は感じている。

18:08

技術者集団と、人の移動か文化の伝播かという問い

著書に登場する「技術者集団」という表現について、覚張氏はエリート層だけでなく、新しい文化を持ち込んだ人々も確実にいたと考えていると述べた。例として挙げたのが、高温で焼成した灰色の硬い土器である須恵器で、弥生時代にはなかった技術である。さらに、馬を飼育する集団が入ってきたことが考古遺物から分かっており、馬を制御するための馬具についても、大陸に非常によく似た特徴を持つものがあることが近年分かってきた。

こうした技術や道具について、物だけが送られてきたのか、人も一緒に来たのかを、ゲノムデータを基準に調べることで区別できる。文化が伝播したのか、人が実際に来たのかを実証できる時代になってきた、と覚張氏は語る。

第3集団の人口規模については、データはまだ少ないものの、ゲノムデータから遺伝的多様性をもとに計算することが可能で、現在計算中だという。

19:33

図に表れた現代日本人の位置

番組の終盤で覚張氏は、現代日本人、現代の大陸集団、アイヌの人々、縄文人の遺伝的特徴を点で示した図を解説した。点が近いほど遺伝的に近いことを意味する。左下に縦長に広がるのがアイヌの人々で、その近くに1点だけ離れて位置するのが、覚張氏らの研究チームが最初に全ゲノムを読んだ縄文人である。縄文人はアイヌの人々と比較的近く、現代日本人や大陸の人々とはかなり離れている。

一方、現代日本人は最上部の大陸集団より、わずかに縄文寄りに位置している。ここから、大陸の人々とは少し違う縄文的な要素が現代日本人に残っていると読み取れるという。覚張氏は、縦長につながって見える部分が日本人の構造を表しており、歴史の存在がゲノムデータに可視化されていると説明した。

今後について覚張氏は、現代日本人と現代の大陸集団の間にあるわずかな違いの部分で、弥生時代や古墳時代の人々が行き来していた可能性があると見ている。そこにデータを多く集めれば、いつ、どのように人が移動したのかが「まるで動画のように」見えてくる時代が来るだろうとし、まずはデータを増やす必要があると述べた。

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世界の研究動向と感染症の歴史

最後に世界の研究動向にも触れた。覚張氏によれば、ヨーロッパでは約5万年前にさかのぼる人骨が見つかり、ホモ・サピエンスの特徴を明確に持ちながら、現代の人々にはつながらない途絶えた系統があったことが分かってきている。アフリカからの拡散についても、かつて言われていた時期より古い、7万年に近い年代の洞窟遺跡が東南アジアで見つかっており、その頃に人が実在していただろうと分かってきているという。

今後注目すべき分野として覚張氏が挙げたのは、感染症がどのように日本列島に入ってきたかという研究である。人骨の分析から細菌やウイルスのゲノム配列も読めるようになっており、人の移動と病原体の移動を重ね合わせることで、人類が病原菌やウイルスとどう戦ってきたかという歴史が見えてくると覚張氏は語った。話はこの先、アプリ限定の続編へと続く。