adieu(上白石萌歌)が語った主題歌「ささくれ」と幼少期の手作り詩集 映画『我々は宇宙人』大ヒット舞台挨拶
oricon映画『我々は宇宙人』の大ヒット舞台挨拶には、坂東龍汰、岡山天音、櫻坂46の山﨑天、歌手・adieuとしても活動する上白石萌歌、門脇康平監督が登壇した。この記事では、そのうち主題歌と出演者の子ども時代をめぐるやり取りを扱う。中心になったのは、主題歌を担当したadieuがこの曲に込めた思いと、彼女が小学生の頃に作った「自分の詩集」の話である。
主題歌に込めた「巻き戻せない時間」への思い
司会者は、主題歌を聴くと映画の映像とセットで耳に残ると評し、この日も上映前の入場時に流れていたことに触れた。そのうえで、adieuに曲に込めた思いを尋ねた。
adieuによると、この曲の作曲は映画の劇伴も担当したヤッフル氏が手がけた。ヤッフル氏とは10年来の付き合いで、adieuのプロジェクトをずっと共に進めてきた人物だという。歌う前には、制作途中の映像を見せてもらい、監督にも直接会って制作への思いを聞いた。
彼女はこの作品のテーマを「二度と巻き戻せない時間に思いをはせるような気持ち」と受け止め、それをどうにか歌に込めたいと考えた。また、その時点で作品にかける熱量を強く感じたため、その熱量に見合う歌にできるのかというプレッシャーも大きかったと振り返る。最終的には、映画を見終えた観客の心に広がっているものをさらに増幅できる歌にしたいと考え、心を込めて歌ったと語った。
プロフィール帳とシール帳でつながった監督との接点
レコーディング前に監督と会った際のエピソードとして、adieuは当時プロフィール帳に夢中になっていたことを明かした。この作品には小学生の頃に流行ったものがきっかけで人の心が動かされる要素がある。プロフィール帳も小学生時代のアイテムで、ちょうど彼女がはまっていた時期だったため、監督にもプロフィール帳を書いてもらった。監督はそれを書いたうえで、シール帳とともに返したという。
監督の側は、そのプロフィール帳やシール帳を見て、adieuがこういうものを好きなのだと分かり、この作品もきっと気に入ってもらえると感じた。それが嬉しかったと振り返っている。adieuによると、プロフィール帳のブームは今も彼女の中で続いていて、撮影現場でも配っている。この作品の出演者も実際に書いており、そのことが作中に出てくるとも話した。
司会者はこの話を受けて、作品にぴったりの曲だったと評した。登壇者からは「染みます」「声が素敵」といった感想が出た。
坂東龍汰の「動物大図鑑まるごと模写」
続いて、公式SNSに寄せられた観客の質問が紹介された。作品を見て図画工作の授業を懐かしく感じたという投稿者が、幼少期の自慢の作品を尋ねたもので、坂東とadieuが答えることになった。
まず話題になったのは坂東の絵である。共演者から、坂東は絵を描くのがとても得意だと振られると、坂東は気づいたときにはもう描いていたと答えた。例として挙げたのは、ライオンがシマウマを捕食するリアルな絵で、会場の反応も大きかった。共演者から「見たい」と声が上がると、今家にあるので今度持ってくると応じた。
1日に何枚描いていたのかと聞かれると、坂東はさらにストイックな取り組みを明かした。当時は動物大図鑑にはまっていて、その1冊を丸ごと模写したという。絵だけでなく文字もすべて書き写し、姉と分担して仕上げた結果、かなり分厚い本ができあがった。「動物博士になれたかもしれない」と言われると、坂東もそれに同意した。
adieuが小学3年生で作った詩と写真の本
adieuは、国語の授業で多くの人が触れている谷川俊太郎の詩が小学3年生の頃から大好きだったと話した。谷川に憧れ、夏休みの自由研究として自分で詩集を作ることにしたという。詩を書くだけでなく、写真を撮るのも好きだったため、写真も自分で撮影した。自作の詩と写真を並べて本の形にまとめ、提出したそうだ。今思うとすごく恥ずかしいとしながらも、その本は今も実家にあるという。
坂東から「本にして出版しているんですか」と聞かれると、adieuは「さすがに」と笑って否定した。当時から言葉や詩が好きで、本自体も好きだったので、憧れから自分で本を作ったりしていたと説明した。共演者に見せてほしいと頼まれると、人に見せられるようなものではないと控えめに答えた。
「変わらなさすぎる」幼少期の写真と、ゼリーになりたかった頃
次のコーナーでは、平成の田舎を舞台に主人公の子ども時代を描く作品にちなみ、登壇者の子どもの頃の写真が紹介された。映し出されたのはadieuの幼少期の写真である。本人が名乗り出る前から誰の写真か分かるほどで、彼女自身も「変わってなさすぎて自分でもびっくり」と話した。4歳頃の写真だといい、共演者からは眉毛が今と同じだという指摘も出た。
その頃の夢を聞かれると、adieuは「多分ゼリーとかになりたかった」と答えた。このくらいの年齢では誰でもゼリーやグミになりたいものではないか、という彼女の言葉に、共演者からも同意の声が上がった。
最後に、歌うことが好きになった時期を尋ねられると、adieuは家庭環境を挙げた。母親が学校の音楽の先生で、生活の中にずっと音楽があった。母がピアノを弾き、自分と姉が一緒に歌う環境が続いていたという。主題歌に込めた思いから、手作りの詩集、そして音楽のある家庭まで、このパートではadieuの言葉と歌へのこだわりがどこから来たのかが語られた。
主題歌の「ささくれ」がね、聞くとずっとあの映像とセットで耳に残ると。皆さん、素晴らしかったですよね、曲ね。今日流れてたと思いますけど、今も入場のところでね。
大丈夫ですか? 坂東さん。これ今、上映前。前、前、前です。入場の時に流れてたねって話をして。そうでございます。そうですよ。
ちなみに、この「ささくれ」に込めた思いというのを、ちょっとadieuさんから聞きたいんですが。
はい。この「ささくれ」というのは、この映画の劇伴も担当されてらっしゃるYaffleさんが作曲を手掛けてくださって。実は私はYaffleさんとはもう10年来のお付き合いでして、このadieuというプロジェクトをずっと共にやってくださっている方なんですけど。
主題歌を歌う前に、まだ制作途中の映像を見させていただいたり、監督と直接お会いして制作の思いを聞かせていただいたりして。やっぱりこの作品のテーマである、二度と巻き戻せない時間に思いを馳せるような気持ちを、どうにかこの歌に込めたいなと思ったのと、もうその時からこの作品にかける熱量をすごく感じたので、そんな熱量に見合うような歌にできるんだろうかっていうプレッシャーもすごくあったんですけど。見た後に皆さんの心の中に広がってるものを、さらに拡張できるような、そんな歌にできたらいいなと思って、心を込めて歌わせていただきました。
じゃあ、レコーディングに入る前に監督とも会うことができた。
そうなんですよ。その時に覚えてるのが、私、その時プロフィール帳にすごくはまっていて。
そうですね。はい。
この作品もね、小学校の頃に流行っていたものとかがトリガーになって、人の心を刺激するようなものがあると思うんですけど。プロフィール帳もね、小学校の時のアイテムとして、私がちょうどはまっている頃で、監督にプロフ帳を書いていただいたりとか。
はい。それを書いて、試写でお返ししました。
そうでした。
っていうのをすごい見て、あ、この作品、これはきっと好きに違いないっていうことを、もうそのプロフィール帳とかシール帳を見せていただいた時、あ、こういうの好きなんだってやっぱ思って。それやっぱ嬉しかったですよね。
未だに。今ブームなのよ。
今ブームなの?
今日持ってきたらよかったね。皆さんに書いていただける。
小学校の頃とかは、確かにめちゃくちゃ書かされてた。
ブームで、私の中で。皆さんにお配りしたりとか、現場でもしてるんですけど。
我々もね。
やめて。
なんかこの作品でも出ました。出ました。多分出た。出ましたよ。出てる、出てる。
俺はもう怖いから、何も言わなくなっちゃった。踏み入らない、そこには。
あれ出た。プロフを書きましたね、私たち。
書きました。書けました。はい。
それがもう出たということでね、ぜひね。もう見てる人もいるかもしれませんよね。はい。
ということは、本当にもうぴったりの曲だったってことで、素晴らしかったですよね、曲ね。
最高ですよね。染みます。声が素敵。
はい。ですから今日は、見終わって皆さん、じっくりとまた曲に浸っていただきたいと思います。ありがとうございます。
さて、本日は色々、一般のお客様から質問が届いておりまして、公式SNSの質問にここで答えていただきたいと思います。
「作品を鑑賞している中で、図工の授業が懐かしいなと感じたのですが、幼少期の頃の自慢の作品はありますか?」これを坂東さんとadieuさんに答えてもらいましょう。ありますか?
でも、ばんちゃんはさ、絵を描いたりするのもすごい得意だよね。
確かに。それはちっちゃい頃からですか?
そうですね。気づいた時にはもう描いてましたね。ライオンがシマウマを捕食する絵とか。
リアリティな、なんか狩りの。
めちゃめちゃ受けてますよ。
見たい、見たい。めっちゃ見たいな。
持ってくる、今度。今、家にあるんで。はい。
1日何枚描くとかあったんですか?
当時、僕は動物大図鑑にはまっていまして、その動物大図鑑を1冊全部模写するっていう。字とかも全部書いて、ストイックなことやってました。結構分厚い、こんぐらいの本ができました。姉と分担して。
仲いい。
はい。
やだ。なんか動物博士みたいになれたかもしれないってことですね。
はい。別に描いたってこと。そうですね。
でございます。動物博士になってたかも。はい。
でも私は、国語の授業で皆さん触れていらっしゃると思うんですけど、谷川俊太郎さんが小学3年生の頃にすっごい好きで。谷川さんに憧れて、夏休みの自由研究を、自分で詩集を作ってみようと思って、詩を書いて、写真も自分で撮って、出したのを覚えてます。小学校、そう大したものじゃないんですけど。今思うとすっごい恥ずかしいですけど。
未だに持ってますか?
未だに持って、実家にあって。写真を撮るのも好きだったから、自分の詩と写真を並べて、本にして出しましたね。その記憶は。
本にして出版してるんですか?
してない、してない。言ってない。してない、してない。さすがにね。でも言葉とか詩が当時からすごい好きでした。
それ見れないんですか、私たち。
見れないです。お見せできるようなものじゃないんですけど。すごい本とかも好きだったので、憧れて、自分で作ったりしてましたね。
いつか見れるといいですね。みんな、すごいざわついてますよ。
そうですか。はい。ありがとうございました。
さて、本日は色々とコーナーがございますよ。続いてのコーナーでございます。平成の田舎を舞台にしたこの作品、つ太郎の子供時代が描かれております。そこで今日は、なんと皆さんの子供の頃の写真をお借りしましたので、ここで見てみたいと思います。こちらの方です。
変わってない? これ監督じゃない?
いや、違う違う。それだけめっちゃキューティー。そのまま。
もうね、手を挙げなくてもなんとなく分かりますね。
ちょっと変わってなさすぎて、自分でもびっくり。
そのままですね。これ何歳くらいですか?
これ何歳だろう? 4歳とかだと思います。
年長、大人。
そう、変わんないですよね。やっぱ眉毛が変わんないんで。
眉毛が同じですね。もう幅とかも変わんないしね、確かに。
さすが美術をやられてた監督ですから、前の天のことが、歯並びも変わらない。
変わってないですね。すごい。かわいい。
この頃、夢とかあったんですか?
夢、多分ゼリーとかになりたかった。
ゼリーになりたい。
なんかこれぐらいの時って、みんなゼリーとかになりたくない?
グミとか。グミになりたい。確かに、でもグミになりたいとか言ってそう。
そう。多分ゼリーとかになりたかった頃だと思います。
ちなみに、歌を歌うことが好きになったっていうのは、どれぐらいの時ですか?
確かに。
私の母親が音楽の先生をしていまして、学校の。それでもう生活の中にずっと音楽があり、母がピアノを弾いてくれて、私も姉も一緒に歌うみたいな環境がずっとありましたね。
音楽に触れてる。
そうなんです。
素敵ですよ。はい。ありがとうございます。
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