死後の世界はパラレルワールドだった――国学者・平田篤胤と近代日本の出発点

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概要

国学者・平田篤胤は、右翼思想の源流として名前だけ知られていることが多い。東京大学大学院で宗教学・宗教史学を研究する石橋直樹さんは、その平田篤胤を中心に日本の神道と国学を研究している。番組「R29」で、司会のスーツさんとベテランちさん(ともに28歳)を相手に、平田がどんな思想家だったのか、その思想が明治国家の出発点にどう関わったのか、そしていま平田を読む意味はどこにあるのかを語った。石橋さんの立場は、平田が近代右翼に影響を与えたことは否定しないが、だからこそ今あらためて読み直す価値がある、というものだ。

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座敷わらしの研究から国学へ

石橋さんは25歳で、番組の想定する「29歳前後」より若い。高校在学中に書いた論考を卒業時に応募したところ、2020年度の佐々木喜善賞を受賞した。それをきっかけに青土社の雑誌『現代思想』から声がかかり、19歳か20歳で書き手としてデビューしたという。

最初の関心は民俗学だった。岩手県遠野市に伝わる妖怪・座敷わらしの研究から始め、民俗学者・折口信夫の研究に進んだ。石橋さんによれば、民俗学者たちは後期になるとみな国学を語り始める。各地に伝わる多様な昔話や伝承を一つの論理でまとめよう、一つの国のあり方として捉えようとすると、「神道とは何か」「固有の信仰とは何か」という問いに行き当たり、そこで国学にぶつかるのだという。スーツさんはこれを、江戸時代の伝承を包括的に説明しようとしても当時は西洋哲学がなく、日本にあった学問は国学だったから、そこへ向かうしかなかったのだろうと言い換えた。

石橋さんは、平田篤胤が「民俗学の先駆者」と呼ばれていることにも触れた。江戸の町に「自分は生まれ変わりだ」と言う人や、「天狗に山へ連れて行かれ、あの世のことを見てきた」と言う子どもが現れると、平田は熱心に話を聞きに行った。こうした人が現れるとすぐに情報を集めに行く姿勢が、のちの民俗学につながったのではないかと言われているという。民俗学者たちが平田に立ち返って民俗を問い直すのを追ううちに、石橋さん自身も国学に出会った。

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国学とは何か、なぜ教科書は深入りしないのか

国学は中学や高校の教科書に、本居宣長の名前とともに太字で出てくる。しかし、それ以上の説明はほとんどない。石橋さんは国学を「国について学ぶ学問」と説明したうえで、実はかなり重要な思想だと言う。近代日本を設計するとき、どんな思想で国をつくり、近代の国際社会で日本をどう打ち出していくかを考える際の参照元になったからだ。

では、なぜ教科書は深く書かないのか。ベテランちさんの問いに、石橋さんは「書くと変になる」からだろうと答えた。当時の状況が分かっていないと、国学がなぜ重要だったのかは理解しにくい。しかも、天皇中心の国家をつくるといった主張は、今から見ると右翼的に聞こえる。一方でその考え方は現代に浸透しすぎていて、教科書に書くと「これはこの時に発明されたものなのか」となってしまう。そういう気まずさがあると石橋さんは説明した。

ベテランちさんは、別の宗教研究者から聞いた話を紹介した。明治になって近代国家をつくる際、各地に混ざり合っていた寺と神社を分け、神社は宗教ではないという建前で政教分離を成り立たせたうえで、天皇や国の仕組みに神道を結びつけた、という話だ。国学はこの神道の部分と密接につながっているのかと確認すると、石橋さんはそうだと答えた。

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四人の学者によるバトン

石橋さんによれば、国学は江戸時代が始まって50年ほどで動き始めたプロジェクトだった。起点は私塾で、学問が世代から世代へ受け継がれていった。高校で習う「国学の四大人」は、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤の順に学問がバトンタッチされた関係だと思えばよいという。荷田春満は国学の学校をつくろうと提案した人物として紹介された。

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死後の世界は「パラレルワールド」

石橋さんが平田の主張でもっとも重要だと考えるのは、死後の世界がどこにあるかという議論である。日本の思想史上、死後の世界について理論立てた議論を組み立てた、数少ない人物の一人だという。

平田の答えを今の言葉で言えば、死後の世界はこの世界とまったく同時に重なり合う「パラレルワールド」である。だから生きている者から死者は見えないが、死者からは生者が見えている。

石橋さんは、平田がよく使った明かりのたとえを、現代風に「夜の窓ガラス」に置き換えて説明した。夜、明るい部屋から暗い外は見えないが、暗い外から明るい部屋は見える。明るい側が生者の世界、暗い側が死者の世界で、両者の関係はこれと同じだというのである。

これは平田が自分の考えとして言い出したものなのか。司会からこう問われ、石橋さんは方法の違いを説明した。平田は『古事記』や『日本書紀』の記述を大量に引用し、「これはこういうことだろう」と読み解いた。それに加えて、民俗学の先駆者らしく各地の伝承も集め、「全部合わせるとこういうことになる」と論じた。それまでの世代が少ない古典を頑張って読んでいたのに対し、平田はサンプルが少ないから聞きに行こうと言い出した。こうしてまとめた結論を先行世代の本居宣長の著作にぶつけ、「宣長先生はここを勘違いしている」と突っ込む著作を書いたという。

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現代の物語に残る平田的世界観

この前提は今の日本にも生きているのか。石橋さんは、民俗的な世界を映画などで描くと、必ずと言ってよいほどこの考え方が使われると答えた。例に挙げたのは映画『サイレントヒル』である。その世界に入ると、向こうからはこちらが見えて触れられるかもしれないのに、こちらからは見えないという状況になる。ほかに宮崎駿作品、たとえば『千と千尋の神隠し』も挙げ、民俗的なものを使い始めると平田的な世界観に回帰するのだろうと述べた。新海誠作品については、直接参照してはいないだろうが、元になっている考え方だという。

司会の一人は、漫画『青野くんに触りたいから死にたい』を挙げた。死んだ青野くんには触れることができず、主人公の少女にだけ見えている。石橋さんは、まさにそれだと応じた。この作品で青野くんがだんだん悪い霊になっていく状況も、平田篤胤の神学から読み解くことができるという。

欧米にこうした考え方はないのかという質問には、ないわけではないと答えた。死後も霊が存在し、それと交渉できるとする近代のスピリチュアリズムがそれにあたり、平田的な考え方は近代になってスピリチュアリズムと混ざり合いながら理解されていった文脈もある。ただし、カトリック的なものとはまったく違い、やはり日本の民俗社会にあるものではないかというのが石橋さんの見方だった。

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儒教全盛の時代に現れた「やばいやつ」

平田は、儒教や仏教が入る前の日本古来の純粋な信仰や世界観を取り戻そうとした人物と紹介される。石橋さんはその背景として、江戸時代は儒教がとにかく強く、学者はみな儒学者だったことを挙げた。現代にたとえると、アメリカの政治理論を模範にして「日本もこうすべきだ」と言う政治学者ばかりのところへ、海外文献を一切拒否し、古典を引用しまくって「君たちの言うことはこの国に合っていない」と突っ込む学者が現れたような感覚だという。

当時の評価も分かれていて、平田は「山師」とも言われた。本居宣長への入門の仕方がその一例である。平田が宣長を知ったとき、宣長はすでに亡くなっていた。それでも弟子になりたかった平田は、夢の中で宣長に会い、入門を許されたと主張した。品川あたりで会ったという話に、スーツさんは「新幹線止まるから」と冗談を返している。平田はこの話を宣長の家に送り、入門が認められた。スーツさんの言うように、本人が自分の本で言っているだけの話だが、ほかの弟子が眉をひそめるほどの熱量を持った人物だったと石橋さんは語った。

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「考えるべきではない」宣長と「調べれば分かる」平田

宣長は小林秀雄の大著『本居宣長』もあって王道のイメージがある。それに対し、平田は触れると危ない人物と見られがちだ。両者はどこが違うのか。

石橋さんによれば、宣長は語りすぎないようにした人である。死んだらどこへ行くのかといった問いは考えても分からない。だから神のことは考えるべきではなく、神を信頼すればよいという立場をとった。対して平田は、神のことなのだから全部分かるはずだ、調べればどこかに書いてあるはずだと考えた。中国の古典を探り、キリスト教の本も読み、聞き書きもして、すべてを書いていった。一見すると変なことを言っているが、当時の常識と照らし合わせて読むと面白いのだという。スーツさんは、何でもやってみて叩かれもするあたりがYouTuberのようだと評した。

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明治政府のスタートを考えたのは平田の弟子たち

単なる変わり者にも見える平田だが、大日本帝国の設計には重要な役割を果たした。石橋さんは、「大日本帝国」と言うと第二次世界大戦を連想させるので注意が必要だと断ったうえで、明治政府の最初のスタートを考えたのは平田の弟子たちだと述べた。

王政復古の大号令にある「神武創業の始に原き」という文言を考えたのは、国学者の玉松操で、平田系の人物だった。神武天皇が国を始めた時点に立ち返り、新しく国家を形成しようという理念から、近代国家日本は始まったというのである。

ただ、平田系の神道家たちはその後不遇になる。近代国家は政教分離が前提なので、神道を前面に出すと話がおかしくなる。各方面からストップがかかり、平田系は中央から外れていった。スーツさんはこれを、ジョブズが自分のつくったAppleをクビになるようなものだとたとえた。

なぜ最初はそんな思想が国家の骨格に組み込まれたのか。石橋さんの説明はこうだ。当時の思想家たちは西洋の知識を取り入れ、西洋的な国家にしたかった。一方で、国の連続性を失うわけにはいかなかった。制度が一変するのは明らかだったが、歴史の一貫性は保ちたい。そこで「神武創業に帰る」と掲げた。神武創業の政治がどんなものかは誰にも分からない。だからこそ、西洋のシステムを全部入れながら、連続性を保って新しい国家を始めることができた。石橋さんはこれをイデオロギーと呼んだ。

スーツさんは、江戸幕府を外し、近代西洋をそのまま入れるのは気まずいので、天皇を担ぎ出して上に置き、その下に近代や西洋がつく形にすれば皆が納得しやすかった、ということだろうとまとめた。石橋さんもこれに同意した。さらに、「神武創業に帰る」という考えは失効していないとも述べた。天皇は今も存在し、それは我々の常識になっている。スーツさんが、愛子さまが天皇になれるかどうかの議論もこの流れの先にあると言うと、石橋さんはその通りだと応じた。

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あの世を誰が治めるのか――弟子たちの内紛

ベテランちさんは、死者が見えない世界に行くという考えと明治国家の設計がどうつながるのかを尋ねた。石橋さんは、まさにそこで平田の弟子たちが大いに揉めたと答えた。

天皇が中心だというなら、死者のことも天皇が司るべきではないか。「あの世」という別の領域をつくれば、天皇の権力から逃れる場所ができてしまう。こう突っ込む者がいた。これに対し、平田先生はあの世を大国主神という神が治める国と定めたのだから、そこの権力は大国主が持ち、天皇とは別だと反論する者もいた。こうして激しい神学論争が起こり、内輪で揉めたために平田系は強い指導力を失っていった。他の宗教からも、教義でこれほど揉めている者がなぜ上にいるのかと突っ込まれたという。スーツさんは、天皇が偉いという部分は明治維新で組み込まれて皆で信じることになったが、幽霊をどうするかという分かりにくい部分の扱いで揉めた、とまとめた。

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右翼思想か、革新思想か

平田は右翼思想なのか。石橋さんは、何が右翼で何が左翼かは時代とともに変わると指摘した。江戸時代の右翼といえば、幕府と将軍を絶対視する人たちである。その時代に天皇万歳と言っていれば、とんでもない左翼だった。マルクス主義はまだ入ってきていない。だから平田の思想は、当時の文脈では左派的な革新思想、あるいは右派的な革新思想とでも言うべきものだった。明治政府の思想になったために右翼思想に見えるが、元をたどれば革新思想であり、扱い方次第だというのが石橋さんの整理である。

スーツさんは、石橋さんの研究を保守思想の擁護とも全否定とも違うものと受け止めた。平田思想が生まれたときのわくわく感や、オルタナティブとしてのポテンシャルを引き出そうとしているのではないか、と。石橋さんはこれを認めた。

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勉強したうえでのスピリチュアル

石橋さんは、現代は思想がなくなった時代だと見ている。大きな理由はSNSの普及で、人々がとりあえず感情でものを言うようになり、良くない方向にも進んでいる。そこに平田の思想を持ち込めば、人々が良い方向に進めるのではないかと考えている。ただし、「正しい思想」と言っていた人はみなやばかったので、自分の立場からそうは言わない、とも付け加えた。

スーツさんは、今はスピリチュアルなことを言うときも、常識的なことを言うときも、勉強せずに言いたがる人が多いと指摘した。平田は研究したうえでスピリチュアルなことを言っていた点が大事だという。石橋さんによれば、平田は中国の文献、当時ぎりぎり入ってきていたキリスト教文献、科学の文献まで、当時の日本でこれ以上理解していた人はいないのではと言われるほど理解していた。そのうえで面白いことを言っている人なので、入るならそこからだと述べた。

では、勉強したスピリチュアルと勉強しないスピリチュアルは何が違うのか。石橋さんは、両者は質的に違うと答えた。ふわっとしたスピリチュアルは土台がないので、感情的になったり、そのときどきの問題に合わせて変なことを言い始めたりする。それを利用して大儲けする怪しいビジネスも出てくる。勉強していれば根が変わらず、軸がしっかりしているので、変な方向には行かないという。

石橋さんは、スピリチュアルそのものは悪いことではないとも述べた。この国で普通の人がスピリチュアルでなかった時代はおそらくなく、仏壇もそうだ。一揆のように、仏や神が歴史の中で強い政治的な力を持ったこともあった。今はそのエネルギーが分散し、怪しいビジネスのような方向に流れている。だからしっかりした柱をつくり、そこから考えるべきだという。スーツさんはこれを受けて、時代によって陰謀論の対象がマイクロチップや5Gに変わっても、ベースがあれば迷わずに済むと応じた。

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三日三晩書き続けた男と、江戸城の堀に響いた音読

勉強は難しそうだと感じる人のために、平田の何が面白かったのかを尋ねられ、石橋さんは「エピソードが強すぎる」と答えた。

一つ目は執筆の逸話だ。銀座あたりで講義を続けて疲れ切った平田を、弟子が静岡旅行に連れ出した。現地で読者たちから次々と質問され、答えているうちに何かを掴んだらしい。平田は親しかった現地の出版関係の有力者の家に転がり込み、特定の本だけを持ってこさせて、30日間こもって執筆した。三日三晩寝ずに書き続け、一説では肘が擦り切れて血が出たという。石橋さんはこの一説を「ちょっと怪しい説」と断っている。家の主人が無理に寝かせると、平田は2日ほど大いびきで起きてこない。起こすと「なぜ起こしてくれなかった」と激怒し、また書き続けた。分からなくなると神に祈って書き進め、何十巻にも及ぶ『古史伝』をその場で書き上げたと石橋さんは紹介した。

二つ目は若い頃の話である。当時の平田はいわばフリーターで、歌舞伎役者の家庭教師や火消しなどをしていた。商人の家で住み込みのバイトをしたのは、大きな商家は夜も明かりがついていて本が読めたからだという。平田は黙読ではなく、しかも爆音で音読した。その声が江戸城の堀の向こうまで届き、ある藩士が不審に思って調べさせると、勉強熱心な若者がいるとのことだった。参勤交代で国元に戻り、1年後に同じ場所へ来ると、まだ大声が聞こえる。そこで「お前は何者だ」と呼び出した、というところまでが語られている。この先の経緯は字幕では途切れている。

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死者の平等と、「生き延びる」だけの現代

字幕の終盤は断片的だが、石橋さんは平田について、近代日本思想の土台をつくった人物だと述べている。死者がみなあの世という平行世界に行くという考えは、死んだら皆平等だという平等思想であり、近代の基礎となる部分をすべて用意したと言ってよいという。

これと対比して、石橋さんは現代日本を支配しているのは「生き延びる思想」だと見る。とにかく長生きしたいと皆が言うが、それは無思想だという。悪いことではないが、実は危うい。健康や健康食品にヒステリックに反応するのもその表れだと指摘した。司会の一人は、どう生きるかを先延ばししているだけのように感じると応じている。

これに関連してスーツさんは、自分にもあまり生きがいがないと話した。趣味はイギリスの運河を撮影してYouTubeで紹介することで、その理由は天皇陛下の趣味がどうやら運河らしいからだという。陛下は公務があって見に行けない。だから陛下が楽しめる動画をYouTubeに出すことが、自分にできる最高のことだ、という話である。字幕はこの話の途中で途切れており、石橋さんがこれにどう応じたかは分からない。