死後の世界はパラレルワールドだった――国学者・平田篤胤と近代日本の出発点
ReHacQ−リハック−【公式】国学者・平田篤胤は、右翼思想の源流として名前だけ知られていることが多い。東京大学大学院で宗教学・宗教史学を研究する石橋直樹さんは、その平田篤胤を中心に日本の神道と国学を研究している。番組「R29」で、司会のスーツさんとベテランちさん(ともに28歳)を相手に、平田がどんな思想家だったのか、その思想が明治国家の出発点にどう関わったのか、そしていま平田を読む意味はどこにあるのかを語った。石橋さんの立場は、平田が近代右翼に影響を与えたことは否定しないが、だからこそ今あらためて読み直す価値がある、というものだ。
座敷わらしの研究から国学へ
石橋さんは25歳で、番組の想定する「29歳前後」より若い。高校在学中に書いた論考を卒業時に応募したところ、2020年度の佐々木喜善賞を受賞した。それをきっかけに青土社の雑誌『現代思想』から声がかかり、19歳か20歳で書き手としてデビューしたという。
最初の関心は民俗学だった。岩手県遠野市に伝わる妖怪・座敷わらしの研究から始め、民俗学者・折口信夫の研究に進んだ。石橋さんによれば、民俗学者たちは後期になるとみな国学を語り始める。各地に伝わる多様な昔話や伝承を一つの論理でまとめよう、一つの国のあり方として捉えようとすると、「神道とは何か」「固有の信仰とは何か」という問いに行き当たり、そこで国学にぶつかるのだという。スーツさんはこれを、江戸時代の伝承を包括的に説明しようとしても当時は西洋哲学がなく、日本にあった学問は国学だったから、そこへ向かうしかなかったのだろうと言い換えた。
石橋さんは、平田篤胤が「民俗学の先駆者」と呼ばれていることにも触れた。江戸の町に「自分は生まれ変わりだ」と言う人や、「天狗に山へ連れて行かれ、あの世のことを見てきた」と言う子どもが現れると、平田は熱心に話を聞きに行った。こうした人が現れるとすぐに情報を集めに行く姿勢が、のちの民俗学につながったのではないかと言われているという。民俗学者たちが平田に立ち返って民俗を問い直すのを追ううちに、石橋さん自身も国学に出会った。
国学とは何か、なぜ教科書は深入りしないのか
国学は中学や高校の教科書に、本居宣長の名前とともに太字で出てくる。しかし、それ以上の説明はほとんどない。石橋さんは国学を「国について学ぶ学問」と説明したうえで、実はかなり重要な思想だと言う。近代日本を設計するとき、どんな思想で国をつくり、近代の国際社会で日本をどう打ち出していくかを考える際の参照元になったからだ。
では、なぜ教科書は深く書かないのか。ベテランちさんの問いに、石橋さんは「書くと変になる」からだろうと答えた。当時の状況が分かっていないと、国学がなぜ重要だったのかは理解しにくい。しかも、天皇中心の国家をつくるといった主張は、今から見ると右翼的に聞こえる。一方でその考え方は現代に浸透しすぎていて、教科書に書くと「これはこの時に発明されたものなのか」となってしまう。そういう気まずさがあると石橋さんは説明した。
ベテランちさんは、別の宗教研究者から聞いた話を紹介した。明治になって近代国家をつくる際、各地に混ざり合っていた寺と神社を分け、神社は宗教ではないという建前で政教分離を成り立たせたうえで、天皇や国の仕組みに神道を結びつけた、という話だ。国学はこの神道の部分と密接につながっているのかと確認すると、石橋さんはそうだと答えた。
四人の学者によるバトン
石橋さんによれば、国学は江戸時代が始まって50年ほどで動き始めたプロジェクトだった。起点は私塾で、学問が世代から世代へ受け継がれていった。高校で習う「国学の四大人」は、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤の順に学問がバトンタッチされた関係だと思えばよいという。荷田春満は国学の学校をつくろうと提案した人物として紹介された。
死後の世界は「パラレルワールド」
石橋さんが平田の主張でもっとも重要だと考えるのは、死後の世界がどこにあるかという議論である。日本の思想史上、死後の世界について理論立てた議論を組み立てた、数少ない人物の一人だという。
平田の答えを今の言葉で言えば、死後の世界はこの世界とまったく同時に重なり合う「パラレルワールド」である。だから生きている者から死者は見えないが、死者からは生者が見えている。
石橋さんは、平田がよく使った明かりのたとえを、現代風に「夜の窓ガラス」に置き換えて説明した。夜、明るい部屋から暗い外は見えないが、暗い外から明るい部屋は見える。明るい側が生者の世界、暗い側が死者の世界で、両者の関係はこれと同じだというのである。
これは平田が自分の考えとして言い出したものなのか。司会からこう問われ、石橋さんは方法の違いを説明した。平田は『古事記』や『日本書紀』の記述を大量に引用し、「これはこういうことだろう」と読み解いた。それに加えて、民俗学の先駆者らしく各地の伝承も集め、「全部合わせるとこういうことになる」と論じた。それまでの世代が少ない古典を頑張って読んでいたのに対し、平田はサンプルが少ないから聞きに行こうと言い出した。こうしてまとめた結論を先行世代の本居宣長の著作にぶつけ、「宣長先生はここを勘違いしている」と突っ込む著作を書いたという。
現代の物語に残る平田的世界観
この前提は今の日本にも生きているのか。石橋さんは、民俗的な世界を映画などで描くと、必ずと言ってよいほどこの考え方が使われると答えた。例に挙げたのは映画『サイレントヒル』である。その世界に入ると、向こうからはこちらが見えて触れられるかもしれないのに、こちらからは見えないという状況になる。ほかに宮崎駿作品、たとえば『千と千尋の神隠し』も挙げ、民俗的なものを使い始めると平田的な世界観に回帰するのだろうと述べた。新海誠作品については、直接参照してはいないだろうが、元になっている考え方だという。
司会の一人は、漫画『青野くんに触りたいから死にたい』を挙げた。死んだ青野くんには触れることができず、主人公の少女にだけ見えている。石橋さんは、まさにそれだと応じた。この作品で青野くんがだんだん悪い霊になっていく状況も、平田篤胤の神学から読み解くことができるという。
欧米にこうした考え方はないのかという質問には、ないわけではないと答えた。死後も霊が存在し、それと交渉できるとする近代のスピリチュアリズムがそれにあたり、平田的な考え方は近代になってスピリチュアリズムと混ざり合いながら理解されていった文脈もある。ただし、カトリック的なものとはまったく違い、やはり日本の民俗社会にあるものではないかというのが石橋さんの見方だった。
儒教全盛の時代に現れた「やばいやつ」
平田は、儒教や仏教が入る前の日本古来の純粋な信仰や世界観を取り戻そうとした人物と紹介される。石橋さんはその背景として、江戸時代は儒教がとにかく強く、学者はみな儒学者だったことを挙げた。現代にたとえると、アメリカの政治理論を模範にして「日本もこうすべきだ」と言う政治学者ばかりのところへ、海外文献を一切拒否し、古典を引用しまくって「君たちの言うことはこの国に合っていない」と突っ込む学者が現れたような感覚だという。
当時の評価も分かれていて、平田は「山師」とも言われた。本居宣長への入門の仕方がその一例である。平田が宣長を知ったとき、宣長はすでに亡くなっていた。それでも弟子になりたかった平田は、夢の中で宣長に会い、入門を許されたと主張した。品川あたりで会ったという話に、スーツさんは「新幹線止まるから」と冗談を返している。平田はこの話を宣長の家に送り、入門が認められた。スーツさんの言うように、本人が自分の本で言っているだけの話だが、ほかの弟子が眉をひそめるほどの熱量を持った人物だったと石橋さんは語った。
「考えるべきではない」宣長と「調べれば分かる」平田
宣長は小林秀雄の大著『本居宣長』もあって王道のイメージがある。それに対し、平田は触れると危ない人物と見られがちだ。両者はどこが違うのか。
石橋さんによれば、宣長は語りすぎないようにした人である。死んだらどこへ行くのかといった問いは考えても分からない。だから神のことは考えるべきではなく、神を信頼すればよいという立場をとった。対して平田は、神のことなのだから全部分かるはずだ、調べればどこかに書いてあるはずだと考えた。中国の古典を探り、キリスト教の本も読み、聞き書きもして、すべてを書いていった。一見すると変なことを言っているが、当時の常識と照らし合わせて読むと面白いのだという。スーツさんは、何でもやってみて叩かれもするあたりがYouTuberのようだと評した。
明治政府のスタートを考えたのは平田の弟子たち
単なる変わり者にも見える平田だが、大日本帝国の設計には重要な役割を果たした。石橋さんは、「大日本帝国」と言うと第二次世界大戦を連想させるので注意が必要だと断ったうえで、明治政府の最初のスタートを考えたのは平田の弟子たちだと述べた。
王政復古の大号令にある「神武創業の始に原き」という文言を考えたのは、国学者の玉松操で、平田系の人物だった。神武天皇が国を始めた時点に立ち返り、新しく国家を形成しようという理念から、近代国家日本は始まったというのである。
ただ、平田系の神道家たちはその後不遇になる。近代国家は政教分離が前提なので、神道を前面に出すと話がおかしくなる。各方面からストップがかかり、平田系は中央から外れていった。スーツさんはこれを、ジョブズが自分のつくったAppleをクビになるようなものだとたとえた。
なぜ最初はそんな思想が国家の骨格に組み込まれたのか。石橋さんの説明はこうだ。当時の思想家たちは西洋の知識を取り入れ、西洋的な国家にしたかった。一方で、国の連続性を失うわけにはいかなかった。制度が一変するのは明らかだったが、歴史の一貫性は保ちたい。そこで「神武創業に帰る」と掲げた。神武創業の政治がどんなものかは誰にも分からない。だからこそ、西洋のシステムを全部入れながら、連続性を保って新しい国家を始めることができた。石橋さんはこれをイデオロギーと呼んだ。
スーツさんは、江戸幕府を外し、近代西洋をそのまま入れるのは気まずいので、天皇を担ぎ出して上に置き、その下に近代や西洋がつく形にすれば皆が納得しやすかった、ということだろうとまとめた。石橋さんもこれに同意した。さらに、「神武創業に帰る」という考えは失効していないとも述べた。天皇は今も存在し、それは我々の常識になっている。スーツさんが、愛子さまが天皇になれるかどうかの議論もこの流れの先にあると言うと、石橋さんはその通りだと応じた。
あの世を誰が治めるのか――弟子たちの内紛
ベテランちさんは、死者が見えない世界に行くという考えと明治国家の設計がどうつながるのかを尋ねた。石橋さんは、まさにそこで平田の弟子たちが大いに揉めたと答えた。
天皇が中心だというなら、死者のことも天皇が司るべきではないか。「あの世」という別の領域をつくれば、天皇の権力から逃れる場所ができてしまう。こう突っ込む者がいた。これに対し、平田先生はあの世を大国主神という神が治める国と定めたのだから、そこの権力は大国主が持ち、天皇とは別だと反論する者もいた。こうして激しい神学論争が起こり、内輪で揉めたために平田系は強い指導力を失っていった。他の宗教からも、教義でこれほど揉めている者がなぜ上にいるのかと突っ込まれたという。スーツさんは、天皇が偉いという部分は明治維新で組み込まれて皆で信じることになったが、幽霊をどうするかという分かりにくい部分の扱いで揉めた、とまとめた。
右翼思想か、革新思想か
平田は右翼思想なのか。石橋さんは、何が右翼で何が左翼かは時代とともに変わると指摘した。江戸時代の右翼といえば、幕府と将軍を絶対視する人たちである。その時代に天皇万歳と言っていれば、とんでもない左翼だった。マルクス主義はまだ入ってきていない。だから平田の思想は、当時の文脈では左派的な革新思想、あるいは右派的な革新思想とでも言うべきものだった。明治政府の思想になったために右翼思想に見えるが、元をたどれば革新思想であり、扱い方次第だというのが石橋さんの整理である。
スーツさんは、石橋さんの研究を保守思想の擁護とも全否定とも違うものと受け止めた。平田思想が生まれたときのわくわく感や、オルタナティブとしてのポテンシャルを引き出そうとしているのではないか、と。石橋さんはこれを認めた。
勉強したうえでのスピリチュアル
石橋さんは、現代は思想がなくなった時代だと見ている。大きな理由はSNSの普及で、人々がとりあえず感情でものを言うようになり、良くない方向にも進んでいる。そこに平田の思想を持ち込めば、人々が良い方向に進めるのではないかと考えている。ただし、「正しい思想」と言っていた人はみなやばかったので、自分の立場からそうは言わない、とも付け加えた。
スーツさんは、今はスピリチュアルなことを言うときも、常識的なことを言うときも、勉強せずに言いたがる人が多いと指摘した。平田は研究したうえでスピリチュアルなことを言っていた点が大事だという。石橋さんによれば、平田は中国の文献、当時ぎりぎり入ってきていたキリスト教文献、科学の文献まで、当時の日本でこれ以上理解していた人はいないのではと言われるほど理解していた。そのうえで面白いことを言っている人なので、入るならそこからだと述べた。
では、勉強したスピリチュアルと勉強しないスピリチュアルは何が違うのか。石橋さんは、両者は質的に違うと答えた。ふわっとしたスピリチュアルは土台がないので、感情的になったり、そのときどきの問題に合わせて変なことを言い始めたりする。それを利用して大儲けする怪しいビジネスも出てくる。勉強していれば根が変わらず、軸がしっかりしているので、変な方向には行かないという。
石橋さんは、スピリチュアルそのものは悪いことではないとも述べた。この国で普通の人がスピリチュアルでなかった時代はおそらくなく、仏壇もそうだ。一揆のように、仏や神が歴史の中で強い政治的な力を持ったこともあった。今はそのエネルギーが分散し、怪しいビジネスのような方向に流れている。だからしっかりした柱をつくり、そこから考えるべきだという。スーツさんはこれを受けて、時代によって陰謀論の対象がマイクロチップや5Gに変わっても、ベースがあれば迷わずに済むと応じた。
三日三晩書き続けた男と、江戸城の堀に響いた音読
勉強は難しそうだと感じる人のために、平田の何が面白かったのかを尋ねられ、石橋さんは「エピソードが強すぎる」と答えた。
一つ目は執筆の逸話だ。銀座あたりで講義を続けて疲れ切った平田を、弟子が静岡旅行に連れ出した。現地で読者たちから次々と質問され、答えているうちに何かを掴んだらしい。平田は親しかった現地の出版関係の有力者の家に転がり込み、特定の本だけを持ってこさせて、30日間こもって執筆した。三日三晩寝ずに書き続け、一説では肘が擦り切れて血が出たという。石橋さんはこの一説を「ちょっと怪しい説」と断っている。家の主人が無理に寝かせると、平田は2日ほど大いびきで起きてこない。起こすと「なぜ起こしてくれなかった」と激怒し、また書き続けた。分からなくなると神に祈って書き進め、何十巻にも及ぶ『古史伝』をその場で書き上げたと石橋さんは紹介した。
二つ目は若い頃の話である。当時の平田はいわばフリーターで、歌舞伎役者の家庭教師や火消しなどをしていた。商人の家で住み込みのバイトをしたのは、大きな商家は夜も明かりがついていて本が読めたからだという。平田は黙読ではなく、しかも爆音で音読した。その声が江戸城の堀の向こうまで届き、ある藩士が不審に思って調べさせると、勉強熱心な若者がいるとのことだった。参勤交代で国元に戻り、1年後に同じ場所へ来ると、まだ大声が聞こえる。そこで「お前は何者だ」と呼び出した、というところまでが語られている。この先の経緯は字幕では途切れている。
死者の平等と、「生き延びる」だけの現代
字幕の終盤は断片的だが、石橋さんは平田について、近代日本思想の土台をつくった人物だと述べている。死者がみなあの世という平行世界に行くという考えは、死んだら皆平等だという平等思想であり、近代の基礎となる部分をすべて用意したと言ってよいという。
これと対比して、石橋さんは現代日本を支配しているのは「生き延びる思想」だと見る。とにかく長生きしたいと皆が言うが、それは無思想だという。悪いことではないが、実は危うい。健康や健康食品にヒステリックに反応するのもその表れだと指摘した。司会の一人は、どう生きるかを先延ばししているだけのように感じると応じている。
これに関連してスーツさんは、自分にもあまり生きがいがないと話した。趣味はイギリスの運河を撮影してYouTubeで紹介することで、その理由は天皇陛下の趣味がどうやら運河らしいからだという。陛下は公務があって見に行けない。だから陛下が楽しめる動画をYouTubeに出すことが、自分にできる最高のことだ、という話である。字幕はこの話の途中で途切れており、石橋さんがこれにどう応じたかは分からない。
僕も生きがいみたいなのがあんまなくて、僕、趣味がイギリスの運河を撮影してYouTubeで紹介することなんですけれども、それは天皇陛下の趣味がどうやらそれらしいんですよ。ところが天皇陛下はお仕事があるから、それを見に行けないじゃないですか。なので僕がYouTubeにそれを出して、本人が、天皇陛下が楽しんでくれるYouTubeを出すのが、自分にできることが。最高じゃないですか。
海外、そういう目線ってめっちゃ意識しません? 日本人とは何かとかって、やっぱ考えちゃいますよね。
平田篤胤という日本の国学者、思想家、その人について研究したりとかしています。平田が言ったこととして非常に重要なこととしては、死後の世界はどこにあるかって話なんですよ。今の我々に分かりやすい言葉で言うと、パラレルワールドなんだ。この世界と全く同時に重なり合ってる世界なんだ。だから我々からは死者は見えない。だけども死者からは見えるんだ。なぜならパラレルワールドなんですよ。
ちょっと、じゃあやばいやつみたいな感じだったんですか? 平田、結構評価分かれるんですよ。山師とか言われたりとかして。ところが大日本帝国の国家を設計するのに結構重要だったんですよね。明治政府の一番最初のスタートを考えたのは、平田の弟子たちなんですよね。
西洋的な国家にしたい一方で、しかし国の連続性も失っちゃいけない。そうなった時に「神武創業の初めに帰り」、つまり天皇が始めたその時期に帰って、新しく国家形成していきましょうよっていう。だから江戸幕府が近代化しないとってなった時に、江戸幕府をアウト、近代西洋をインにしちゃうと気まずいから、天皇制とかを担ぎ出してきて、これを上に置いて、その下に近代がつくんだ、西洋がつくんだっていう手にしたら、みんな納得しやすいよねみたいな。
ちょっとね、やっぱ右翼っぽい。これはだから右翼思想かっていうふうに言った時に。
R29。
はい、始まりました。この番組は人生の大きな転機でもあり、大きく飛躍する年代でもある29歳前後の人々と、仕事や人生について色々聞いていこうという番組でございます。というわけで、MC、私28歳のベテランちと、28歳のスーツです。お願いします。お願いします。なんで29歳なんすかね。
一応前回も話したんですけど、手抜きでね、台本が全く一緒になってるんで、一応もう一回説明しますと、今の時代ね、みんな長生きするようになって、改めて大人になる年齢と言いますか、30ぐらいからみんな結婚し出したりとか、子供のこと考え出したり、仕事もこれやるんだっていう。今なかなかね、新卒で入ったとこ一生いる人いないですけど、このジャンルでやっていくんだみたいなことが徐々に決まり始める年齢ということで、29歳ということですね。30代からはお前の人生は固まるぞみたいなね、あります。
前回と全く一緒の。同じこと言ったらあれかなと。死の恐怖克服してるからな、やっぱスーツ君が。はい。ということで、完全自覚者のスーツ君。そう、これ、この先も一応言っときますか? 参考。そうですね。前回と一緒になるんですけども、29歳で活躍した有名人が、ミケランジェロ、ダビデ像完成。
ダビデ像って、あの人が29歳で作ったんですね。さすがにすごいか。代表作中の代表作ですもんね。はい。吉田松陰、安政の大獄で死。へえ。吉田松陰って、もっとおじいちゃんみたいなのかと思ったんですけど。そんなに若くして。坂本龍馬も29歳で最後死んじゃったんですね。いや、亀山社中を結成。龍馬はもうちょい生きてたんじゃない? だって結婚してたでしょ、あん時。そっか、そっか。中岡慎太郎が坂本龍馬と一緒に。そう考えたら、じゃあ龍馬もそんな変わんないでしょうね。そっか、そっか。
ということで、ちょっと江戸と比べるとね、江戸の29と今の29、違いますか? 僕まだ大学いるんでね、何してんだっていう。人生が長くなりましたからね。そうです。すいませんということなんですけども。早速今回もですね、ゲストの方、来ていただいております。今回のゲストは、国学の研究をされております石橋直樹さんです。
石橋直樹です。よろしくお願いします。お願いします。よろしくお願いします。ちょっと心配なんですけれども、29歳って伺ってたんですけど、僕今25なんですけれど、若いんですよね。これ入りますか? この。全然大丈夫です。ちょっとまだ29ってなんだろうぐらいの感じ、テンション感なんですけど。
適当なんで、ReHacQって。決まったのもめっちゃ近かったです。そうですね。3日ほど前とかに呼ばれて、こんな感じなんだなって。むちゃくちゃなんすよ。ほんまビジネス系名乗ってますけど、ほんま普通のYouTuberですよ。ちゃんとした媒体みたいになってますけど、僕らでも2週間、1ヶ月空けてゲスト呼びますけど、僕らのとこ台本来たの前日ですから。そう、基本直前に来るんですよね。そうなんですよ。そういう感じなんですね。良かったです。でも、この規模回していくの大変だと思います。わざわざありがとうございます。ありがとうございます。お呼びいただき、本当にありがとうございます。
普段はですね、今、東京大学の大学院の宗教学・宗教史学ってところで、日本の神道、国学を勉強しております。合わせてですね、をいたりとか、とでちょっと国学について喋らせていただいたりとかしてるんですけれども、全体としては、大体、平田篤胤という日本の国学者、思想家の人がいるんですけれど、その人について色々喋ったり、研究したりとかしています。
平田って、右翼的な文脈で出てくるイメージありますね。篤胤っていう字あるじゃないですか。これ書くのが難しそうな。それのイメージがあることぐらいしか、僕は知らないんですけど。どうでしょうか?
でも、結構、いわゆる明治以後の近代の右翼の人たちは、平田さんに影響受けてる人は多いですね。だから本当に、それは間違いじゃないと思います。間違いじゃないと思うんだけど、逆に今、篤胤をやるのは結構深いんじゃないかと。そういったようなテンション感で、今、篤胤をやらせていただいてますね。
すごい。なんか年上みたい。すごいしっかりしてる。見た目もかっこいいし、見習うところが多そうな感じありましたね。ダンディな方がまたいらっしゃって。嬉しいです。本当にありがとうございます。
このプロフィールに書いてある、論文「ザシキワラシ考」で2020年度佐々木喜善賞受賞って書いてるんですけど、これ僕調べたんですけど、高校卒業する時に書いたみたい。そうです、そうです。高校卒業、高校中に書いたものをとりあえず出してみたんですよ。出してみたら賞いただいて、そのまま『現代思想』っていう、青土社がやってる雑誌があるんですけども、そこに声かかりまして、もしよかったら書かないかということでデビュー。19とか20ですね、確か。そうですか。させていただきました。
その文章全部は見つからなかったんですけど、その一ページ目かな、ネット調べたら出てきて読んだんですけど、僕も普段仕事で文章書いたりしてるんですけど、すごいうまい文章が。その国学のこと僕あんま分かんないんで、文章として見た時に、これ高校卒業で書いたら、もうすごいことなっちゃうよと思うんで。ありがとうございます。本当に嬉しいです。本当に。すごかったです。
今回ですね、もちろん研究をなされてる方ということで色々聞いていきたいんですけど、そもそも僕らも視聴者さんも、国学と言われてもそもそもが多分あんまり分かんないよっていう方がいっぱいいらっしゃると思うので、まず国学って何ですかっていうところから伺ってもいいでしょうか?
確かに。ありがとうございます。まず国学というのはですね、皆さん多分、中学校とかでは一応出てきますかね、名前としては。教科書の太字でね、宣長って書いてあります。でもそれ以上のことは、正直あんまりしない。そうですよね。しかも多分、それこそ山川の日本史なんかだと、ざっと名前が出てくるところに国学っていうふうに出てくると思うんです。でも国学って結構、実はすごい重要で、日本の近代、近代日本を設計する際に、参照元となった、本当にどういった思想で近代日本やっていくのかって時に、参照される先となった思想なんですね。
国学と言って、その字の通りですね、国について学ぶ学問なんですね。これがどういった意義があったのかと言いますと、近代社会、近代国際社会において、どういった形でこの日本ってものを売り出していくかっていう、そういったような基盤となる思想みたいなものの元になった思想なんですね。だから教科書にも出てくるし、みんなとりあえず本居宣長だけ学びなさいよっていう、そういったような話になるわけですね。
もしかして、だからこそ教科書にはあんまり深く書いてないってこともありますか? 多分そうですね。てか逆に、書くと変になるんで。だから、すごいよく分かんないんですよ。つまり当時の状況が分かってないと、結構、国学がなんで深かったのかとかは分かりにくい。逆に言うと、今から見ると、それこそ天皇中心の国家を作りましょうとか、結構右翼が言ってるっぽいことがメインイシューになっちゃってるんで、そういった意味で言うと結構分かりづらいんですけれども、その意味では、現代においてはもう結構浸透してる考え方みたいなのもある。浸透しすぎちゃってて、教科書に書いたら、あれ、この時発明されたやつなんか、これってなっちゃうみたいな気まずさがある。そうです。そうですね。
最近、その宗教詳しい方に伺った話で、戦後、寺と神社が分かれていく時に、岩倉使節団とか海外に行きましたと。近代的な国家を江戸時代から明治時代になるにあたって作ろうってなった時に、その寺とか神社とか、すごいぐちゃってなって各地に点在してたと、日本のざっくりした宗教みたいなのが。そっから寺を神社から分けて、神社を宗教じゃないということにして、一応政教分離というのを成り立たせた状態で、この天皇とか国の仕組みに神道みたいなのをくっつけて、それで明治後の日本の天皇制なり、政治ができていったみたいな話聞いたんすけど、この神道の部分と密接に繋がっているという認識で良いですか? そうですね、そうですね。なるほど。
ちょっとね、やっぱ右翼っぽい。右翼は別に悪いことじゃないんでね。そうですね。僕のイメージは、僕、普段短歌書いたり文章書いたりしてるんで、いわゆる詩批評と呼ばれるようなものを趣味で読んでるんですけど、その親玉である小林秀雄っていうやつが、じいさんになって書いた『本居宣長』っていう、とんでもないでかい本があって。その小林秀雄、頑張って読んで、その初期の短いやつはね、『様々なる意匠』とか、青春してるだけなんでね、簡単に読めるんですけどね。『本居宣長』だけちょっと、今度でええかと思って手つけてないみたいなところで、読書好きの人でも結構そういう人多いんじゃないかな。どうやって国学に行ったんですか?
これ結構色々あるんですけれども、スタートは僕、民俗学だったんで、さっき言った通り、座敷わらしから研究が始まってるんですね。遠野の、これ座敷わらしって皆さんご存じか分かんないんですけれども、岩手県の遠野市っていうところに出る妖怪なんですけれども、その研究から始まってるんです。そっから始まって、民俗学者の折口信夫っていう人の研究に行ったりとかしたんですけれども。
『遠野物語』ってやつですか? そうですね。民俗、民衆っていうんですかね、があるんですけれども、そこから民俗学者の研究に行きまして。民俗学者を研究してますと、民俗学者、後期になるとみんな国学とか言い始めるんですね。へえ。なるほど。面白い。ある種、スピった、雑な言い方しちゃうとね、そのルーツに帰っていくみたいなことなんですかね。
そもそもあれですよね。座敷わらしとかは、例えば家に妖怪が住むとお金持ちになるとか、そもそもそういう話じゃないですか。そうですね。でも、そういうのを研究してたはずなのに、最後は日本古来の文化とは、みたいなふうになるんですか?
だからやっぱり、多様なそういった昔話が出てきた時に、これをどうやって一つの論理でまとめたりとか、一つの国の、どういったものとしてまとめていくのかって、そういった意識が出てくると、やっぱり国学みたいなものにぶち当たるんですよね、結局。神道とは何かとか、固有の信仰とは何かとか、そういう話にぶち当たっていくっていう、そういったことがみんなあるんですね。
確かに、日本各地で伝承されてるやつを調べていって、包括的な理論出したいってなった時に、西洋の哲学の理論とか持ってきたって、江戸時代にはそんなもんなかったわけだから。江戸時代当時、日本に一応あった学問つったら国学なんだから、そこやるしかないよねっていうふうになっていくってことですよね。なるほど。
だから実際、平田っていう人は民俗学の先駆者と言われる人で、先駆者っていうのは、つまり民俗学始まる前に、もうすでに民俗学やってたよっていうふうに言われる人で。それ例えばどういうことやったかっていうと、都市で、自分は生まれ変わったあの人なんだとか言ってる人が現れたりとか、あとは実は天狗に連れてかれて、天狗に山に連れてかれて、戻ってきたんだと。そのあの世のこと色々見てきたんだよって言ってるような子供が来たりとか。そういった人に熱心に聞き書きをするんです。話聞かせてくれと。こういう人たちが現れた時に、ぱっと情報収集しに行く仕草みたいなのが、その後の民俗学に繋がったんじゃないかみたいな、そういったことは言われるんですね。
なるほど。なので、そこに戻っていくことによって、その民俗を問い直すみたいな動きが、民俗学者みんなやるんですよ。なので、そこから僕はまず国学ってものに出会ったというところかなっていうふうに思います。
今のミクロからマクロになっていって、国学にぶち当たるわけですけど、民俗学の方が比較的みんな多分なんとなく知ってるというか、いろんなところでお話聞いて、なんか信じてますとか、分かんないけどこういう言い伝えありますとか。その国学っていうのは具体的に、思想家いっぱいいると思うんすけど、ざっくり、じゃあ平田だったらどんなこと言ってる人ですか?
国学はですね、まず四大人っていう四人の人、これはおそらく高校ぐらいだったらやるんちゃいますかな。まず荷田春満という、荷物の荷に田んぼの田に、春って言ってるですね、次に賀茂っていう人がいます。一応これはもう、学問上のバトンタッチだと思ってもらって大丈夫です。つまり先行世代から次の世代にバトンタッチされたっていう、その四人ですね。次に本居宣長が現れて、最後に平田が現れると、こういうバトンタッチなんですね。
ごめんなさい。僕全然、そのメンバーのうち本居宣長と平田は聞いたことあるんですけど、序盤の人たちは聞いたことがなくて。出発点はいつぐらいの時代からあるんですか? でももう江戸時代が始まって、50年ぐらいで大体動き始めてますね、プロジェクト自体。江戸時代ぐらいから、この論理を得ようとしてきたんですね。そうですね。
一応スタートはやっぱり私塾なんですね。荷田春満って人は、塾を作りましょうみたいな話をしたりとかして、学問がバトンタッチされていくんですね。平田さんが言ったこととして非常に重要なこととしては、死後の世界はどこにあるかって話なんです。急に来ましたねみたいな。いいですね。今まで普通の話だったのに、急に死後の話とか、ちょっと大丈夫かみたいな。皆さん大丈夫かどうか、僕も分かってないんですけれども。
大丈夫と思いますよ。YouTubeは今、一大スピリチュアルブームですから。皆さん、やっぱ的にいかないと。もう変なスピリチュアルはまるよりはね、やっぱり死後の世界を考えようぜみたいな。そう。しっかり平田では、やっぱ死後の世界っていうのを、おそらく日本の思想史上で唯一、唯一じゃないけれども、しっかりと、人物の一人です。明らかにしたんですか? やった。明らかにしたと言っていい。やった。教えてもらおう、今日。
明らかにしたというよりかは、しっかりと理論立てて作ったってことですね。これはどこにあるか、平田が死後の世界はどこにあるかと言うと、これはすごい簡単で、今の我々に分かりやすい言葉で言うと、パラレルワールドなんだと。つまりこの世界と全く同時に、パラレルに重なり合ってる世界なんだというふうに言うんですね。
すごい。だから我々からは死者は見えない。見えないじゃないですか。見えたらすいません。見えないじゃないですか。見えないわ。だけども死者からは見えるんだ。なぜならパラレルワールドなんだと。すごい、新海誠とかの感じをもう先取ってたんですね。そうです。てか新海誠とかも多分、直接は参照してないですけれども、やっぱり元になる考え方ですよね。
よく使われるのが、明かりの例え、ライトの例えなんですけれども、これ現代風に例えを言い換えると、窓ガラスの例えっていうふうに考えてもらった方がいい。つまり夜の窓ガラスを考えてみてください。夜の窓ガラスって、明るいところから暗いところって見えないですよね。逆に暗いところから明るいところって見えますよね。これが死者の世界と生者の世界の違いなんだと。いいですね。つまり明るいところっていうのが生者の世界で、暗いところが死者の世界。だから暗いところ、死者の世界から明るい世界は見えてるけれども、我々から暗いところである死者の世界は見えないよねっていう。こういう比喩と同じなんだと。
平田さんが、俺はこう思ってるぜって言ったわけではなく、日本古来の伝承とかを分析したら、そういう前提で日本は伝統的にやってきたっていう話ですか? うん、っていうことね。元々は『古事記』『日本書紀』とかのああいった記述をみんなばーって引用して、これはこういうことやろっていうのを言ったわけですね。これに合わせて、平田が民俗学の先駆者って言われてますから、それこそいろんな地方の伝承とかも使って、全部合わせたらこういうことやろみたいなことを言ったっていう人なんですね。今までの世代は過去の古典を頑張って読んで、それサンプル数少ないから聞きに行こうぜって言い出したのが平田っていうこと。そう。賢い。
なるほど。つまり昔の有名なやつだけじゃなくて、ローカルなやつを聞いて、それもまとめていった結果、みんなこんな考えだったよみたいな。そうです、そうです。それと合わせると、もうこうしか言いようがないよねみたいな。それを先行世代の宣長とかにぶつけて、宣長も亡くなってるんですけど、宣長の著作の文章とかに、いや、これはね、宣長先生勘違いしててみたいな、よく調べるとちょっとちゃうねんみたいな形で突っ込むと。そういったような著作を書いた人ですね。
今の日本にも、その前提が生きている可能性はありそうですか? やっぱりそれこそ、さっきおっしゃってた新海誠とか、いわゆる民俗的な世界を映画とかで描く時に、絶対そういうの使われますよね。例えば僕、すごい印象的なのが、『サイレントヒル』の映画って見たことあります? なんか『サイレントヒル』の映画ある。元々のゲームのやつです。あれもその『サイレントヒル』のワールドに入るとパラレルワールドに入っちゃって、あっちからは見える、触れられる可能性があるんだけれども、こっちから見えないみたいな世界に入っちゃうとか。あれ日本の元々あれですから。あとはそれこそ宮崎駿とか、ああいった世界も結局、『千と千尋』とかもまさにそういう世界を使ったりとか、民俗的なもの使い始めると、やっぱりそういう平田さん的世界観に回帰するんだと思いますよ。
最近読んだやつだと、幽霊も全部そうすけど、『青野くんに触りたいから死にたい』みたいな漫画で、青野くんは触れなくって、こっちに、でも見えて。その見えてる主人公の女の子だけ、この青野くんは死んでるんですけど、青野くんの霊見えてて、他の人は見えてないみたいな。その幽霊が生きてる人のことを見てるけど、こっちから見えないとかは、まさにそう。まさにそうだと思います。あれ、面白いですよ。だんだん青野が霊化していくというか、悪い霊になっていくっていうのがある。どんどんグロくなる。そうそうそう。あれもちゃんと、平田篤胤神学からどういう状況なのかを説くことはできるんですけど。なるほど。面白い。面白いですね。
そうすると、欧米とかだとそういう死後の世界っていうのを、例えば、ごめんなさい、うまく言えないけど、ここに例えば幽霊がいるかもしれないって言ったら、ここに幽霊がいて、こいつはこっちを見てるけど我々からは見えないみたいなの。確かに日本ってそうじゃないですか。欧米とかだと、そういうものじゃないんですか? ゴーストとか。
一応ですね、やっぱりこれが欧米っぽさもあるんですよ。だから近代、すっげえ流行るんですね。つまり何かっていうと、例えばスピリチュアリズムですよね。スピリチュアリズムって、いわゆるスピリットが死後もあるっていう考え方。そうですよね。だからそのスピリットと交渉するっていう考え方になるんで、つまりこういった考え方は近代になって、スピリチュアリズムとうまく混ざって、スピリチュアリズムとして理解されていくっていう文脈は一応あります。だから欧米にもそういった考えはないわけじゃないんですけれども、とは言っても、やっぱり当然カトリック的なものとは全然違いますし、ある種、日本の民俗社会にあるものなのかなっていうふうに思いますね。面白いな。
ここに書いてあるのを見ると、そこにですね、儒教や仏教が入る前の日本古来の純粋な信仰や世界観を取り戻そうとしたのが平田篤胤だと、ここに書いてあるんです。やっぱそんな感じですか?
そうですね。だから江戸時代がどういった時代だったのかと言うと、やっぱりもうとにかく儒教が強いんですよ、みんな学者で。今で言ったら、アメリカのいわゆる政治理論みたいなものを持ってきて、アメリカだったらこう三権なんとか、こういうような政治システムでやってて、日本もそうせなあかんやろみたいな政治学者がいた時に、いやいやみたいな、ちゃんとみんな古典読んでないでしょみたいな感じで、古典を引用しまくる学者が。政治学者みたいな、海外文献一切拒絶するやばい学者が現れて、君たちが言ってることはこの国に合ってないんだよみたいなこと言って突っ込むみたいな、そういうテンション感ですよね。
ちょっと、じゃあやばいやつみたいな感じだったんですか、その時代は。だから篤胤、結構評価分かれるんですよ。山師とか言われたりとかして。だってどうやって本居宣長に入門したかって言うと、本居宣長と夢の中で入門するんですよ。いいですね。つまり本居宣長もう死んじゃって、しかし入門はしたいし、めっちゃ勉強になるみたいな。だから弟子になりたいみたいな。だけどこのままだと本居宣長の直接の弟子にはなれないみたいな感じになって。夢で会いますみたいな感じになって、品川の辺りで会って。新幹線止まるから。そうそう。すいませんけど、弟子にさせてください、よかろうみたいなこと言われて。それを本居の、確か息子かなんかに、会ったんつって送って、そしたらじゃあ入門許そうって話になって入門した。
それだって篤胤が勝手に本人の本で言ってるだけすもんね、多分。そうそうそう。それ相当面白い。だからでも、そういうの聞いて他の弟子は、あんなんやばいやろみたいに言うんだけれども、結構そういったような熱量がある人ですね。なるほど。
その宣長は、それこそ結構王道のイメージというか、それこそ小林秀雄とか。結構その篤胤って、さっきも言ったようにちょっと避けられてるというか、ここに触れると危ないぞみたいなイメージあるんですけど、具体的にどういうところが宣長と篤胤で違ってるんでしょうか?
これ結構、いろんな言い方ができると思うんですけれども、宣長はやっぱりなるべく語らないようにする。つまりこういう難しいこと、例えば死んだらどこに行くのかとか、そういったようなことって、よく考えてもよく分かんないじゃないですか。そういうことはもう神様のことだから考えるべきじゃないよねみたいな。だからもうとにかく神を信頼して、そんなこと考えちゃあかんやろっていう、そういう言い方をするのが本居宣長なんですよ。
だけどもこれ、篤胤は、いやいや神のことなんだから全部分かるっしょみたいな、調べりゃどっか書いてあるっしょみたいな感じで、例えば中国とかの古典を探ってみたりとか、それこそキリスト教の本読んでみたりとか、そういったところの古い文献みたいなのとか、あとそれこそ聞き書きしてみたりとか。そういうことやって、分かんなくても調べりゃどっか書いてあるやろっていう精神で全部書いていくっていう。だから確かに一見すると、すごい変なこと言ってたりするんですよ。なんだけれども、それはやっぱり当時の常識と合わせて考えなきゃいけなくて、そういった意味で結構面白いのかなっていうふうに思います。
なるほどな。YouTuberみたいでいいすけどね。何でもやってみようというね。ちょっと叩かれたりもしてるって考えたら、そこは面白いですけどね。でもここまで聞いてる限りだと、ただの変な人っていう印象があるじゃないですか。ところが大日本帝国の国家を設計するのに結構重要だったんですよね。
大日本帝国って言っちゃうと、多分皆さん、それこそ第二次大戦のこと思い出しちゃうと思うんで、これは多分非常に、ちゃんと注をつけておかないといけないと思うんですけれども、おそらく明治政府の一番最初のスタートを考えたのは平田の弟子たちなんですよね。つまり多分、歴史の教科書でやったと思うんですけれども、「神武創業の初めに帰り」っていう、王政復古の号令で出たと思うんですね。
つまり「神武創業の初めに帰り」って、これ言ったのは玉松操っていう国学者なんですけれども、これ平田系なんですよ。これ理念、つまりだから、その古典の状況に、神武天皇が始めたその時に帰って、新しく国家形成していきましょうよっていうので始まったのが近代国家日本なんです。しかしここから、実は神道一派、つまり平田篤胤系の結構不遇になるんですね。当然そうですよね。一応近代国家って政教分離ですから、神道とか言ってると、なんやそれって話になるんですけれども。そこから、一応例えばいろんなところからストップがかかって、中央から外れていくんですけれども、一応そういった形で、近代国家日本のスタートを担当したのが平田篤胤系なんですよ。
ジョブズがAppleクビになるみたいなこと。生み出しちゃったけど、作って、やばいやつやからちょっとしまおう、しまおうみたいになっていうことです。そういうことですね。なんでそこで引用できたんですか? その平田篤胤とかの思想を、国の骨格に最初から組み込む時点で、ええ、みたいなことはならなかったんですね。
これは結構難しくて、つまりその当時の思想家たちは西洋知識入れたいんですよ。西洋的な国家にしたい一方で、しかし国の連続性も失っちゃいけない。そうなった時に国の制度自体はがらっと変わってしまうことはもう明らかなんだけれども、とは言ってもやっぱり歴史の一貫性を取りたいから、「神武創業の初めに帰り」って言うじゃない。しかし創業の政治なんか誰が分かんねんと言った時に。面白い。「神武創業の初めに帰り」っていうことによって、もう西洋システム全部入れて、うまく国を始めることができた。連続性を保ちながら新しい国家を作ることができたっていう、そういうイデオロギーなんですよね。
江戸幕府がもう立ち行かへん、近代化しないとってなった時に、江戸幕府をアウト、近代西洋をインにしちゃうと気まずいから、君がなんかいいの言ってるからっていうので、この天皇制とかを担ぎ出してきて、これを上に置いて、その下に近代がつくんだ、西洋がつくんだっていう手にしたら、みんな納得しやすいよねみたいな感じ。そう。なるほど。上についたやつはすっと外してしまったってこと。そうですね、そうですね。なるほど。
でも天皇制とかその神道っていうものは、結局俺らのところに染みついてて、結局今の、生前退位してとか、そういう天皇制の問題に繋がっていく。だから結局、「神武創業の初めに帰る」って、別に全然失効してないわけじゃないですか。だってまだ天皇っていうのはいるわけですから、それはまだ全然変わらずあるわけですから、やっぱりそこはまだある意味で我々の常識にもなっているってことなんですね。
僕ら、愛子様が天皇なれるかなれへんかでわあわあ言ってるのも、その篤胤とその明治維新のタイミングの、これがここまで来てる。そうそうそう。
だからこれは右翼思想っていうふうに言った時に、皆さん多分、思想やってる方は、これ非常に難しい問題。つまり何が右翼で何が左翼かって、これ実は時代とともに変わるんですよ。つまり江戸時代って右翼って何なのかって言ったら、もう佐幕ですよ。幕府最高みたいな。幕府と将軍様絶対視みたいなやつらが右翼ですよね。確かに。江戸で天皇制万歳って言ってたら、とんでもない左翼ですよ。だからつまり当時の左翼は、もうマジで天皇主義みたいな人たちだって。それはそうですよ。だってまだマルクス主義とか入ってきてないですから。だからそういった意味で、左派的な革新思想、右派的革新思想、これは難しいんですけれども。
その右端と左端が一体化するみたいなのね。そうですね。そこからやっぱり明治政府の思想になったからこそ、右翼思想に見えるんですよ。なんだけれども、元をたどるとやっぱり革新思想なんで、これ扱い方によるっていう、そういう話になるのかなっていうふうに思いますね。
そしたら日本の古来の考えでは、人間が死ぬと見えない暗い世界に行くみたいな、そのこととその明治の設計とって、どうやって繋がっていったんですか? 実はこれもすごい重要なポイント。面白い質問。そうなんです。実はそこ超揉めるんです。
超揉めるのはなぜかって言うと、これ国学者の中でも、つまり篤胤の弟子たちですよね。弟子たちの中でも、そこら辺の見解がやっぱり若干一致してなくて。つまり天皇が中心だったら、死者も天皇が司らなきゃだめやないのっていう、そういうツッコミはあるわけですよね。つまり神武創業の初めに帰りであったら、全部天皇が死者のこともやんなきゃいけないと。なのに、あの世っていう新しいフィールドを作っちゃったら、天皇権力から逃げちゃうところできちゃうでしょみたいな。いやいや、篤胤先生は、そのあの世の国を大国主命っていう神様に託したんだと。なるほど。だからそこの権力は大国主が持ってるはずで、これは天皇とは別やろという話で、ここで超神学論争が起こるんですよね。
面白い。これ神学論争が起こったから、ちょっと脱落していくんですよ。つまり中央で揉め始める、内輪で揉め始めちゃって、内ゲバしちゃうから、それでやっぱりすごい強い指導力を持たなくなっちゃうって、そういう出来事が起こるんですね。なるほどな。面白い。
だから篤胤がいろんなわけ分からんこと言いすぎてたから、天皇が偉いよみたいなことは明治維新でビルトインされたから、ここはみんなで信じましょうってなったけど、その幽霊どうこうみたいなわけ分からんとこはどうするってなってね、揉めた。そうです。そうですね。そしたら他の宗教とかから、いやいや、あんな揉めてるやろみたいな、あんな教義論争してるやつなんで上におんねんみたいな、そういうので突っ込まれるっていう。面白いな。
だからここまでのイメージだけだと、石橋さんが平田さんやってるって言うと、保守思想を擁護しようとしてるみたいに見えるかもしんないけど、別に擁護しているというわけでもなく、かと言って完全に否定しているというわけでもなく、その篤胤誕生時のこのワクワク感というか、オルタナティブというか、生みのあれを、もう一回ポテンシャルを引き出したいみたいなことをしてると思っていいですか。そうですね、そうですね。
これはやっぱり現代的には、非常に重要なアクチュアリティがあると思うんです。これ、やっぱり現代って、すごい思想がなくなっちゃった時代だと思うんですね。これはいろんなところで、SNSの普及っていうのが大きな理由だと思うんですけれども、みんなとりあえず感情でいろんなことつくじゃないですか。そうしたらやっぱり非常に良くない方向にも進んでいくと思うんです。しかしここで、この篤胤の思想をボンと持ってくることによって、いろんな人を、なんて言ったらいいんでしょう。僕の立場から正しい思想なんだけど、正しい思想って言ってたやつみんなやばいですから、いい方向に人々が進むことができるんじゃないのかなっていう、そういうふうに考えていますね。
そうですね。今やっぱみんな、そのスピる時も勉強せずにスピりたいし。そうなんですよ。常識的なこと言う時も勉強せずに常識的なこと言いたいみたいに、どうしてもなっちゃってるから、どっちにしてもね、平田はちゃんと研究した上でスピリチュアルなことを言ってたってことが大事ですね。
だから平田さん、よく言われるのが、中国文献でも、それこそ当時のギリギリ入ってきたキリスト教文献でも、あと科学の文献でも全部、とにかく当時の日本人でそれ以上に理解してる人がいないんじゃないかってぐらい、ちゃんと理解してたっていう。そういうふうに言われてるぐらい、本当にちゃんと全てを理解した上で面白いこと言ってるっていう、マジでちゃんと勉強してる人なんですね。だからやっぱりそこから入るべきでしょっていうふうには、僕は思いますね。
素晴らしい。いいですね。すいません、自分の考えをこう、わーって。でもチャンネル、前回も研究者の方出ていただきましたけど、やっぱそのもう一回、ちゃんと勉強して、もう日本人減っていってんだから真面目にやろうぜっていうことを、少なくとも僕はちょっと伝えていきたいんで、完全にありがたい。
そしたら、じゃあ勉強して、ちゃんと勉強してスピリチュアルなことを言うのと、勉強しないでスピリチュアルなこと言うのって、どう違うんですかね? でもそれはやっぱり全然質的に違うと思いますね。なんて言ったらいいんでしょう。すごいふわっとしたスピリチュアルっていうのは、やっぱり感情的になったりとか、あとはベースがないから、それぞれの時事問題に対応して、すごい変なこと言い始めたりするじゃないですか。あとはやっぱり変なビジネスとかがそういうのを使って、大儲けしたりとか、そういうことするじゃないですか。でもやっぱりこれは、ちゃんと勉強してると結局根が変わんないんですよ。
だから、ここから発した考え方になってるでしょ。そこがあると、何があっても、とにかくこの軸がしっかりしているので、やっぱりそこは変な方向に行かないと思うんですね。スピリチュアル自体は別に僕は悪いことではないと思うんですよ。だってこの国において、普通の人がスピリチュアルじゃなかった時代なんて、おそらくないと思うんです。みんななんだかんだ。
そうそう。仏壇って。そういうのがやっぱり政治的な力になってきたわけじゃないですか。歴史で言ったら、一向一揆とか、そういうのもすごい歴史の中ではね、仏像であったりとか、神様であったりとか、そういうのが非常に強い力を持っていたと思うんですね。そういうのをやっぱり、みんな分散して、力、エネルギーが、わかんない、なんかエスジネスであったりとか、けかんとこに行っちゃってると。
だから、そういうのをやっぱりしっかりと柱を作って、そこから考えていくべきでしょっていうふうに思う。あ、そうか。ブレると毎回毎回、外がバラバラになっちゃいます。そうです。そうです。
そうじゃなくて、この方向でスピリチュアルになるんだ、昔からそうだったでしょってなると、スピリチュアルなことが他に出てきても別に壊れないですね。そうですね。そうですね。なるほど。
時代とともにそれがマイクロチップになり、5Gになりしても、ここにベースがあるんだよっていう。なるほど。迷わないスピリチュアルがあると嬉しいですね。そうですね。
でも多分、僕、東で東で、多分勉強って言っちゃうと、むずいよってなっちゃう人もいっぱいいると思うんですけど。一番キャッチのところで、最初に平田の本でとか言ってることで、こいつおもれえなってなったのって、どういう内容でしたか。
僕、でもやっぱエピソードがちょっと強すぎて。やっぱりエピソードが好きなんですよ。例えば、ずっとですね、っていうのを講義してるんですよ。これ、銀座あたりでね。銀座あたりで講義してて、当時は銀座とは呼ばれてるのかな。わかんない。何町かなんか言われて、あそこら辺で講義してるんですよ。
講義してて、ずっと講義してて、もう先生、超疲れてるじゃないですか、みたいな。静岡旅行行きましょうよっつって、弟子が静岡連れてくるんですよ。そしたら静岡で、いろんな人に質問されるんですよ。平田をもう知ってる人から、読者ですよね。リスナーと言ったらいいのか、あさん来たぞっつって。いや、これどういうことですか、みたいな感じで聞かれてて。そしたら質問に答えてるうちに、気づきがあったらしくて、お、これいける、みたいなことが頭の中にポンって入ってきたらしいんですよ。
それで、一番仲良かった現地の出版社の社長と言ったらいいのか、そういったようなお金持ちの家に転がり込んで、いや、これとこれとこれとこの本だけ持ってきてくれって言って、その家にこもるんですよね。はい。家にこもって、そこから30日間、執筆をすると。旅行先で。
すごいのが、その時はもう三日三晩起き続けて、ずっと書き続けて。肘が、一説によると、これはちょっと怪しい説なんですけど、一説によると、肘がこう破けて、ちょっと血が出るぐらい、ずっとこうやって書いてるんだと。もうやばすぎるから、主人が、ちょっと寝たらどうかと。寝たらどうかって言ったら、いや、寝ない。書かしてくれ、みたいな。
いや、でも寝た方がいいですって言って寝かしたら、そしたらまた二日ぐらい起きてこない。ずっとすごいわけわかんないいびきをかいて寝てるから、起きてください、みたいな。起きてくださいって言ったら、なんで起こしてくれなかったんだっつってぶち切れて、またずっと三日三晩書き続けると。これでできたのが平田の『古史伝』という、ものすごい量の、もう何十巻もあるものを、もうこの場で書き上げてるんですよね。へえ。
だから、なんかわかんなくなると神に祈って書くので、ものすごい勢いで書いてると。はい。すごいです。こういうようなエピソードで惹かれたりとかします。おもろすぎますね。
あとやっぱり、それこそ29ぐらいのエピソードですけど、29、もうちょっと若いかな。江戸の堀があるじゃないですか。でも当時の篤胤はフリーターです。仕事、歌舞伎役者の家庭教師とか、それか消防士をやったりです。はい。本でまだいけてないんですか。
まだいけてない。例えば、商人の家で、その時はバイトしてまして。その時に、なんで商人の家でバイトしたかっていうと、夜でも明かりついてるんですよ。つまり大きな商家っていうのは、夜でも明かりついてるっていう。そういうところがあったから、そこで住み込みでバイトしてたんですよね。
それで夜になって、勉強しなきゃいけないから、その明かりのもとで本読むんですよ。本読むんですけど、篤胤は音読するんですよ。だから普通に黙読じゃなくて音読ね。音読なんだけれども、しかも爆音でやるんですよ。なんとかで、なんとかで、みたいな感じ。大きいの。
そしたら江戸城の堀の向こうまで聞こえて。そしたら、ある種がそれ聞いて、あれ、なんかずっと大きい声でやってるやついる、なんか不審者がいる、みたいな。それ調べてこいって言ったら、どうも勉強熱心な若者がいるらしいですって言って、あ、そうか、みたいな話して。その時、参勤交代システムですから、一回国元に戻って、また戻ってきて、一年後、ちょうど一年後にまた同じ藩のその場所に戻ってきたら、まだ聞こえてると。まだ叫んでるやつがいると。お前何者なんやってなって呼び出して、それで。へえ。
まさに近代思想、日本の土台を作ってるんですよ。死者がみんなあの世で平行世界に行くって、これ平等思想ですよね。死んだらみんな平等ですよね。これ平等思想なんですよ。近代の本当に基礎となる部分を全て用意したっていうことは、言っていいと思いますね。
現実の日本ってどうなってるかといって、生き延びることが思想だと思います。とにかく長く生きたいってみんな言うじゃないですか。これは無思想なんですよ。もっと言うと、悪いことはないと思うんだけれども、結構危ういんですよね、実は。先延ばししてるだけって感じありますよね。どう生きるか、みたいな。
そうですね。そうですね。健康のことであったりとか、健康食品とか、ものすごいヒステリックに反応するじゃないですか。つまり、僕、趣味がイギリスの運河を撮影してYouTubeで紹介することなんですけれども、それは陛下の趣味がどうやらそれらしいんですよ。ところが天皇陛下はお仕事があるから、それを見に行けないじゃないですか。天皇陛下のためにYouTubeを撮って出そうと。
今、天皇陛下のためにYouTube。見たことないぐらいの、なんか、みたいな。
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