「ガンかもしれない」と考えた3週間で気づいた、日常にある幸せ

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概要

元プロダンサーで筋トレを10年続けてきた話者が、ハワイの滞在先から撮った動画である。前回の動画の後編にあたる。新しい家に引っ越してからわずか3週間で、怪我、家族の問題、渡航手続きのトラブル、原因不明の体の異変が続いた。自分がガンかもしれないと本気で考えたことで「幸せとは何か」を考え直した、というのが中心の話だ。話者自身、まだ結論は出ておらず、状況は現在進行形だと強調している。

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撮影直前に届いたホテルのキャンセル

動画は、前回の撮影中にまた不運が続いたという報告から始まる。話者はハワイでホテルのような宿に滞在しており、翌日にチェックアウトして別の場所へ移る予定だった。ところが半年ほど前から予約していた次のホテルから、チェックイン前日にキャンセルの連絡が届いた。理由は、部屋のコンディションが悪く改善できず、他の部屋もないためだという。話者は「宿がない」状態になった。

話者は「キャンセルされただけでしょう」と思う人もいるだろうと前置きしたうえで、自分の身に起きていることは「映画にできるぐらい」だと語る。最近は精神的に参るようなことが急に重なり、まともでいられて笑えていることが不思議なくらいだという。

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引っ越し後の3週間に起きたこと

話者は前回の動画の内容を簡単に振り返る。ある家への引っ越しが決まってから前十字靭帯を断裂した。実際に引っ越して1週間ほどで再び怪我をし、順調に回復していた足をまた悪くした。仕事で大阪に出張した際には家族の問題が発覚し、自分が頑張らなければならない状況に置かれた。

その後のオーストラリア行きも、膝の悪化で行けるかどうか分からなくなった。入国に必要なETAは出発直前まで申請できず、これにもかなり苦労したという。

さらに、それまで健康だった体に急に異変が現れた。クリニックでは原因が分からず、CTやエコーで確認しても分からなかったため、大学病院を紹介された。その受診日がオーストラリアへの出発当日だった。もし病気であれば渡航できない状況で、朝一番に病院へ行き、6時間ほどかかったが原因は分からなかった。「とりあえず行ってみたら」と言われ、そのままオーストラリアへ向かい、その後ハワイに来たという。

話者によれば、普段の人生では起こらないような出来事が3週間のうちに一気に起き、そのすべてが引っ越し後のことだった。動画では語りきれないほど他にも出来事があったとも言う。

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「健康バカ」だった自分

初めて見る人に向けて、話者は自己紹介をする。20年ほどプロとしてダンスをしてきて、当時はそれなりに活躍できたという。大きな病気をしたことはなく、怪我らしい怪我は練習中に小指の付け根を折ったジョーンズ骨折くらいだ。トレーニングを本格的に始めて10年ほどになり、体に害のあるものは食べないようにしている。自分のことを「健康バカ」と呼ぶ。

そんな自分の身に、この家に住んでから信じられないことが日々起きた。ハワイへ来た背景には、この家から離れないと自分の身に良くないという強い感覚があったという。当時はそれしか考えられず、精神状態は「普通じゃなかった」と振り返る。

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調べるほど当てはまる症状と、病は気から

医者には大丈夫だと言われた。しかし自分の症状が、ガンだった場合に現れる症状にかなり当てはまると話者は感じた。調べてみると当てはまることが多く、自分がガンになるとは考えたこともなかっただけに衝撃を受けた。家族にもガンになった人はいないという。

大学病院では、本来なら血液検査や尿検査などを追加して状態を確認する話もあった。しかし結果が出るまで1週間ほどかかる。話者は「早く離れたい」と追い詰められており、出発を優先した。海外で倒れたときにパニックにならないよう、助けの呼び方などを携帯にメモする準備までしたという。

話者は「病は気から」を実感したと語る。おそらく実際に体調が悪かったわけではないのに、調べるほど当てはまる点が多く、体調が悪くなっていった。到着して1、2日目には外の椅子に座っていてめまいがし、倒れそうになった。普段はめまいなどほとんどない人間だという。携帯を見ないようにして耐える時間が続き、そうしたことが起きるたびに「やっぱり体調が悪いんだ」と考え、マイナス思考が膨らんでいった。一度でも自分にガンがあると考えると、精神的にとても大変なことになると話者は言う。

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治療を想像して最初に浮かんだのは筋トレだった

ガンになったらどうなるのかも調べた。話者の理解では、治療法は昔からほとんど変わらず、手術、放射線、抗がん剤が中心になる。それを受けることになれば、今の人生にあることがほぼ全部できなくなると考えた。

話者は撮影中、テンションが上がっていないことを何度も詫びている。前回の動画を出した以上、このことを伝えたくて撮っているが、どうなるか分からない状態で話すのは気が重いという。

特に話者が挙げたのは筋トレだ。普通の筋トレではなく、食事を1日4〜5回、栄養を考えて摂り、ジムには週5〜6回、1回1時間半から2時間通っている。治療が始まればその気力もなくなり、食事もまともに取れなくなる。10年かけて作ってきた体は確実に失われ、仕事などもできなくなる。たとえ病気を克服できても、生きているだけでしんどい時期が何か月、長ければ年単位で続く。普段病気をしない話者には、それが想像できなかったという。

話者にとって筋トレは歯磨きのように当たり前で、特別な思いはなかった。それでも「本当に自分ができなくなったら」と考えたとき、最初に落ち込んだのは筋トレのことだった。人にはそれぞれ人生で失いたくないものがあり、自分にとってはそこに筋トレが入るのだと自然に気づいたと話す。調べた話者の理解では、抗がん剤や放射線は髪が抜け、吐き気が出て、生きる気力がなくなるほど体を弱らせる。日常を普通に生きること自体がつらくなるなら、筋トレどころではないだろうと考えた。

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幸せは「ありふれた平凡な日々」にある

この動画を撮った理由として、話者は一つの気づきを挙げる。幸せとは日常のありふれた平凡な日々なのだ、ということだ。健康な人には分かりにくいだろうが、自分もその一人だったと言う。今の年齢でガンかもしれないという状況に置かれ、人生とは何か、何のために生きているのかを本気で考えた。大きな事故や病気を経験した人なら一度は考えたことがあるだろう、とも述べる。

そこで気づいたのは、自分は「一時の幸せ」を幸せと呼んで追いかけてきたということだった。プレゼントをもらう、行きたい場所へ行く、誰かの愛を感じる。映画やドラマのワンシーンのような、何かが実った瞬間は確かにキラキラしている。しかしそれは長続きしない。人は慣れ、それが日常になるからだ。話者は、人は幸せをずっと幸せだと感じられない生き物だと言う。筋トレも当たり前にできていたから感謝していなかった。しかし、できなくなるかもしれないと本気で考えたとき、筋トレができていたこと自体が幸せだったと思えたという。

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仕事、お金、慣れ

話者は仕事が大好きで、とても頑張る。なぜ頑張るのかと聞かれれば、今なら「幸せになりたくて」だったのだと思うという。働いてお金を稼ぐのも、結局は幸せになりたいからだ。しかし、多くのお金持ちが言うように、お金を持つこと自体は幸せではない。一時は幸せでも慣れてしまい、欲しいものが手に入る状態になれば欲しいものはなくなる。いい家に住むことも当たり前になる、と話者は説明する。

話者はさらに例を挙げる。一般のサラリーマンの生活も、貧しい国の人から見ればお金持ちの生活だ。一方で、家がボロボロでベッドがなくても幸せに生きている人はいる。話者は、人は豊かになるほど幸せの感覚が鈍くなり、貧しければ小さなことに幸せを感じられるので、気持ちの面で満たされている人はむしろ多いのかもしれないと推測する。ただし、それは考え方次第だとも付け加える。話者自身はいつでも海外へ行き、好きなことができる状態にある。それでも、日常の中でそれを幸せだと感じていたかと聞かれれば、考えればそう思えるという程度だったと振り返る。

話者は、人が何かを頑張る先には結局「幸せになりたい」という思いがあると考える。そうでなければ、つらい思いをしてまで頑張る人は少ないだろうという。対価のない人助けやボランティアも、人を助けられたという幸せな気持ちにつながる。叶わないと分かっていても仕事や恋愛で頑張ってしまうのも同じで、話者はこれは「結構断言できる」と述べる。そのうえで、人は幸せになるために犠牲にしているものが多いと指摘する。

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人生の最後に残る後悔

調べものをする中で、話者はある話に行き着いた。老人ホームで働いた女性の話だったと記憶しているという。人生の最期を迎える人たちが残す言葉は似ており、それは後悔だった。もっと本音で話せばよかった。大切な人と過ごせばよかった。自分らしく生きればよかった。感謝を伝えればよかった。一方で、もっとお金を稼げばよかった、もっと大きな家に住みたかったといった、お金に関わる後悔は一つも出てこなかったという。

この話を聞いて話者は、幸せとは身近にあるものだと改めて感じた。今この動画を見ている人の隣にいる人、自分を囲んでいる人たちが最も大切な人で、その人たちがいるから幸せがある。自分の家や環境、仕事もすでに幸せなのに、人はないものねだりをして、もっと欲しくなる。話者は人間の本質を「欲深い」と表現する。自分たちのことしか見えなくなる政治家や、本来起こすべきではない戦争を例に挙げ、それをしてしまうのが人間だと語る。

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心配事がないことが幸せ

話者がたどり着いたもう一つの考えは、心配事がないこと自体が幸せだということだ。病気も怪我もせず、欲しいものは買え、どこへでも行け、親も友達も元気で、お金の問題もない。そうした心配の要素がなければ、それ以上望む幸せはないほどの幸せだと話者は言う。

逆に、心配が多いほど幸せから遠ざかる。今回は自分の体のことに加えて家族のこともあった。自分が健康でも周りが健康でなければ、気が気でなく、幸せとは言えない。たとえ自分がお金も健康も含めて100%の幸せを手にしていても、周りがそうでなければ心配で幸せにはなれないだろうと述べる。

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現在進行形の不安と、調べるのをやめた理由

話者は、この動画に「落ち」はないと断る。状況は解決しておらず、異変がどうなっているかも分からない。正直、疑いは高いと考えているという。話者によれば、疑っているガンは10万人に1人程度のもので、それを担当した経験が数回以上ある医師でないと判断できず、すぐには分からないらしい。部位にもよるだろうとも話す。

疑わしい症状は、調べるほど当てはまって怖くなった。話者は、調べている自分が自分を病人扱いし、それで病気になりそうだったため、調べるのをやめたという。代わりに今の環境を楽しむことにした。人生は遅かれ早かれ終わるので、どう楽しむかが大事だと考えている。

話者は、高みを目指してつらい思いをしながら、絶対にお金持ちになると頑張っている人について問いかける。その状態で亡くなってしまえば、幸せではない人生のまま終わるのではないか、と。そう頑張らなければならない人もいると認めたうえで、大抵の場合は今の状態が幸せなのだと話す。ここまで精神的にどん底へ落とされ、自分の身について考えたことはあまりなかったという。今は健康な人も、年齢を重ねればいつか体が弱り、同じことを考えるだろうとも話す。すべては運命だと思っているので、この動画が今の人生に幸せを感じるきっかけになるだけでも意味がある、と語る。

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ハワイで感じた「飽き」と、金曜日の高揚感

慣れの話は、ハワイでの実体験にもつながる。暖かいハワイでビーチの横に寝転んだり泳いだりできたが、「めっちゃ幸せだ」と感じたのは最初の1、2日だけだったという。オーストラリアでも同じで、ずっとビーチにいると飽きてしまう。のんびり暮らすのが幸せだという人はそれでいいが、話者は働きたい人間で、ビーチでぼーっとするのは1日2時間ほどで十分だ。それが2日続けば「もういい」と感じるという。

そこで仕事をしようとするが、仕事は切羽詰まっていて、その最中は幸せではない。それが終わった瞬間にリラックスでき、幸せに近い感覚になる。話者はこれを、金曜日を迎えた会社員や学生の高揚感にたとえる。あの瞬間は幸せだが、それは平日に頑張っているからこそだ。毎日が金曜日になったら、それを幸せと言えるのか分からない、と話者は言う。

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結論:今の自分の状態に幸せを感じてほしい

話者は、人生の目的や目標は人それぞれだとしたうえで、言いたかったことは「今の自分の状態を見て、幸せを感じられるようになってください」だとまとめる。今目指している場所に到達し、仕事でたくさんお金を稼いだとしても、「別にそれは」という感覚になるだろうと話者は考えている。暮らしが1、2段階良くなっても、それ以外は何も変わらないという。

精神的にまともでいられない状態まで、たった3週間で追い込まれたことを話者は「嘘みたいな話」と表現する。これから現地でどうなるかは分からないとし、怪我も含めて何もないこと、自分が健康であることを祈ってほしいと視聴者に頼んで動画を締めくくった。