小児がんを経験した小児科医・盛田大介さんと、詩「命」を残した宮越由貴奈さん

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概要

長野県の小児科医・盛田大介さんは、中学生のときに血液のがんを経験した。医師を志した背景には、同じ病院で治療を受け、詩「命」を残して亡くなった少女・宮越由貴奈さんの存在があった。番組は、盛田さんが仲間から受け取ったものを、医療の現場と若い世代への語りかけにどうつなげているかを追っている。

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小学4年生が書いた詩「命」

「命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。でも電池はいつか切れる。命もいつかはなくなる」。この詩は今から28年前、諏訪郡富士見町の宮越由貴奈さんが小学4年生のときに書いたものだ。理科で電池の仕組みを習った後に書かれ、現在は小学校の道徳の教科書にも載っている。

由貴奈さんは5歳で小児がんの一種である神経芽細胞腫を発症し、小学5年生だった1998年6月、11歳で亡くなった。看護師になりたいという夢を持っていたという。番組では、一緒に治療を受けていた子どもたちにもそれぞれ夢があり、それをかなえて医師になった人もいれば、専門学校まで進みながら亡くなった人もいたことが語られている。母親の洋子さんは今も講演を頼まれ、命の大切さを伝え続けている。

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「なぜ自分だけが」から前向きへ

盛田さんは中学1年生のとき、リンパ性白血病を発症した。由貴奈さんとは県立こども病院でともに治療を受けた仲間である。病気になった当初は両親や看護師に当たり散らした時期もあったという。盛田さんは当時を「なんでこんな病気に自分だけがなっちゃって」と思っていたと振り返る。そこから変わるきっかけになったのが、同じ病院に仲間がいたことと、彼らの強さだった。仲間からさまざまなことを教わり、前向きになっていったと盛田さんは話す。1年余りの入院を乗り越え、中学校生活に戻った。

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詩の結びと、生き残った者の問い

由貴奈さんの詩は次のように締めくくられている。「命なんかいらないと言って命を無駄にする人もいる。まだたくさんの命が使えるのにそんな人を見ると悲しくなる。命は休むことなく働いているのに。だから私は命が疲れたと言うまで精一杯生きよう」。

盛田さんがこの詩に出会ったのは、由貴奈さんの霊前に手を合わせに行ったときだった。「命が疲れたと言うまで精一杯生きよう」と純粋に書いていた子が亡くなり、一方で腐っていた自分が生きて、この詩を読んでいる。盛田さんはそのとき、純粋で明るく自分を助けてくれた子どもたちが亡くなり、なぜ自分は生き残っているのだろうと思ったと語っている。

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松本で小児救急を担う

現在、盛田さんは松本市のまつもと医療センターで小児科医として働いている。治療の研究のためアメリカに留学した経験もあり、小児科の専門医として、松本広域の小児救急の要となる病院に勤める。診察室には発熱、けいれん、アレルギー、発達の相談など、さまざまな症状の子どもたちが訪れる。聴診をしながら「もうちょっとで帰れるからね」と声をかけ、家族には周囲で手足口病がはやっていないかを確かめる。ときには夜間の当直もこなす。

盛田さんは、病気をしても自分の体と心のバランスを取りながら病気の子どものために働けることは本当にありがたく、むしろそれで気持ちが支えられている面があると話す。

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医学部を目指す高校生へ

7月、盛田さんは信州大学のキャンパスで、医学部進学を目指す高校生向けの進学セミナーの講師を務めた。講演のタイトルは「到達点のその向こうに」。到達点とは医学部進学、あるいは医師になることだと盛田さんは説明し、その先に何があるかを語った。

講演では由貴奈さんとの出会いにも触れた。思春期の自分を救ってくれたのは闘病中の仲間だった。スライドに写る4歳年下の女の子は、盛田さんを「お兄ちゃん」と呼び、「大丈夫だよ、プラス思考で行こうね」と励ましてくれたという。当時を振り返ると、当たり前にある生活や命を本当に当たり前だと思っていたが、そうではないことを彼らから教わった、と盛田さんは話した。

受講した高校生の一人は、不条理に抗って生きてきた人の話を聞けて良い経験になったと語った。別の生徒は、自分の入院経験を周囲に話すと場が静まってしまうことがあるが、盛田さんのように経験を誰かに伝え、聞いた人に少しでも勇気を与えられる存在になりたいと感想を述べた。

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由貴奈さんの両親の思い

由貴奈さんが生きていれば39歳になる。両親は、病気を経験して医師になった盛田さんのことをずっと気にかけている。一緒に闘病した仲間が頑張って元気でいてくれることが本当にうれしいと話し、体調の悪いときもあるだろうがそれでも仕事に励む姿を見ると、やはり使命感があるのだろうかと語った。

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若い成人のがん患者をつなぐ「ハブ」に

盛田さんが今後取り組みたいと考えているのは、がんの治療を受けながら社会で生活している若い成人世代への支援だ。盛田さんによると、こうした人たちが困りごとを抱えたとき、どこに相談窓口があるのかが現実にはなかなか見えない。県内にはさまざまな支援者がいるため、患者とそうしたサポーターをつなぐハブのような役割を果たせればいい、と盛田さんは話している。