朝倉海の通訳「さえちゃん」が語った、空手15年からトロント大学、そして帰国後の挑戦

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概要

朝倉海が出場したUFC大会で通訳を務めた女性が、ネット上で「謎の美女」として話題になった。朝倉海のYouTubeにもたびたび登場している「さえちゃん」である。本動画では、インタビュアーが彼女に生い立ち、格闘技との関わり、カナダのトロント大学での学生生活、朝倉海との出会い、今後の活動についてを聞いている。終盤には、別室で聞いていた朝倉海本人も加わり、彼女への評価を語った。

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プロレスとPRIDE好きの父が日本に来た理由

さえちゃんは東京生まれで、母が日本人、父がカナダ人である。両親が出会ったきっかけは、父の日本のプロレス好きだったという。父はカナダにいた頃から日本のプロレスが大好きで、格闘技ではPRIDEに強く惹かれていた。何度も日本へ観戦に来ていたが、当時はインターネットも今ほど普及しておらず、彼女の言葉では「25年前とか」の話である。そこで父は日本で仕事を探し、働きながらプロレスやPRIDEを観に行く生活を始めた。その中で母と出会って結婚し、彼女が生まれたという。

一方、母は格闘技に興味がなかった。観戦に行くのは父と彼女たちだった。家族には3歳下の妹もいる。父は娘たちにプロレスを熱心に勧め、「かっこいいよ」と見せていたが、さえちゃん自身はそのノリに乗れなかったと振り返る。プロレスラーの運動神経がすごいことは分かっても、見ているだけではよく分からない。自分でやらないと分からない、という感覚だったという。

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3歳から空手を15年、中学3年で柔術を始める

見るより「やる」側だった彼女は、自分の身を守るために何か格闘技をやった方がいいという家族の話から、3歳ごろに空手を始めた。空手は18歳まで続け、期間は15年に及ぶ。ただし黒帯は取っていない。最後の2年間はコロナ禍であまり道場に通えなかった。コロナがなければその時期に取れていたかもしれない、と本人は話している。

ほかの習い事として、ランニングを3か月ほどやったこともある。しかし走るだけというのが嫌だったうえ、喘息があって走るのがきつかったため、すぐにやめたという。ピアノやバレエのような習い事には子どもの頃は興味がなかった。最近はピアノに関心があり、楽器を何も弾けないので何かやってみたいとは思っている、と話す。

柔術は中学3年生の時に始めた。一緒に空手をやっていた友人に誘われたのがきっかけである。本当はその前から柔道をやりたかったが、親に危ないと反対された。柔術ならいいのではないかという話になり、通うことになったという。空手も柔術も妹と一緒に続けていた。学校の友人たちは特に部活をしていなかったため、遊び相手は空手仲間が多かったそうだ。

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インターナショナルスクールで英語と日本語が混ざる日常

学校はインターナショナルスクールに通っていた。日本の学校に通ったことがないので違いはよく分からないと前置きしたうえで、彼女は「教育が全部英語で行われること」がいちばん大きな違いだろうと説明する。日本人の生徒は少なかった。親が2年ほど海外で働くため、その間だけ子どもを通わせる駐在員(エクスパット)家庭の子が多く、さまざまな国の生徒がいたという。

家庭内の言語も変わっていった。インターに入る前はずっと日本語だったが、通い始めてからは英語になった。家族全員が両方の言語を話せるため、文章の途中から英語になったり日本語になったりと、言葉によって混ざってしまうという。母も英語を話せる。

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女子格闘技クラスとプロファイターへの夢

柔術を習っていたのは、現在のJTTの前身にあたるトライフォースだった。最初はキッズクラスだけに出ていたが、同い年の女子が3〜4人いたことから、指導していた先生の提案で女子向けの格闘技クラスが始まった。その後、事情でそのクラスがなくなったため、トライフォースの別の支部で総合格闘技をやればいいという話になった。そこで朝倉海と出会うことになる。

当時の彼女は、本気で格闘家を目指していた。空手も柔術もやってきたのだから、この機会に挑戦したいと考えたという。父もプロファイターになれるかもしれないと喜び、楽しみにしていた。RIZINの初期にはRENAや浅倉カンナが活躍していた。彼女はその姿を見て、5年ほどあれば自分も行けるのではないかと思っていたと話す。アマチュアの試合などにも出たが、「ちょっと難しかった」と振り返る。最終的には怪我が多かったことから、その夢を断念した。

現在は柔術も空手もやっていない。大学時代は忙しく、柔術のクラスに通えなかった。4年間のブランクが長いため、また始めるのは難しいと感じているという。その代わり、大学在学中にウェイトトレーニングを始め、今はそちらに集中している。

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トロント大学を選んだ理由と「63点」の壁

子どもの頃の夢は弁護士だった。弁護士には頭がいいイメージがあり、頭のいい人になりたかったからだという。進学先にはカナダのトロント大学を選んだ。インターでは授業がすべて英語だったため、日本語で勉強し直すのは難しいと考え、日本の大学はあまり検討しなかった。父の家族がいる場所なら安心だという思いもあった。

進学を決めたのは高校3年生のコロナ禍の時期である。当時は怪我も多く、格闘家としては生きていけないと考えていた。では何をしたいのかと考え、とりあえず大学に行こう、行くならいい大学に行かなければ、と思ってトロント大学を選んだという。インタビュアーは、世界大学ランキングでトップ10に入るかどうかという水準で、東京大学よりも上だと話している。

入学について、彼女は日本の大学のような入試はなく、高校までの成績で入れると説明する。受験勉強のようなものは全然なかったという。一方で、入ってからが大変だった。専攻は経済学で、1年目にミクロ経済とマクロ経済の授業を受け、そこで63点を取らないと経済学部に進めない。数字だけ聞くと低く思えるが、実際にはその点数を取るのが難しく、ここで落ちて目指す学部に入れない人が多い。最初の1年で学部を変える人も多かったという。日本にいる頃に特別な準備はしていなかったが、トロントにいる間はとにかく勉強していたと振り返る。

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雪と寒さ、多国籍の友人たち

トロントでの楽しい思い出として、彼女はまず雪を挙げた。東京ではあまり雪を見たことがなく、スキーにもあまり行かなかったため、最初の1か月ほどは雪で遊んだり、歩いたり、写真を撮ったりするのが楽しかった。しかし、しばらくすると「もういいや」と思うようになったという。

楽しかったもう一つの点は、多様な国の人と出会えたことである。トロントにはさまざまな国の人がいて、食べ物や人との交流の機会が多かった。友人にはポーランドやモロッコ出身の人もいたという。

苦労したことを聞かれると、勉強と寒さが同じくらいつらかったと答えた。寒さで図書館に行くだけでも疲れてしまう。雪を初めて見た友人も多く、「つらいね」「もういいよね」という話を毎日していたそうだ。経済学部の友人たちは、卒業後はほとんどが銀行や不動産などの仕事に就いた。多くはトロントに残っており、彼女の友人グループの中で自分の国に帰ったのはおそらく自分だけだという。

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朝倉海、朝倉未来との出会い

女子格闘技クラスから移った先で朝倉海と出会ったのは、本人の記憶では、彼がRIZINで1戦目を終えた頃だったという。RIZINは見ていたので存在は知っていたが、それ以前の試合は見ていなかった。RIZINのファイターがいるなら自分にとっていい練習になると思った一方で、女子がいなかったため少し怖さもあった。それでも、女子クラスで一緒だった子も一緒に移ったため頑張れたという。

その格闘技クラスでは、参加者がスパーリングをする形式だった。朝倉海から技を個別に教わるようなことはなかったが、一緒にスパーリングをさせてもらったことは覚えているという。強かったかと聞かれると、「強かったです」と答えた。第一印象については、会ったことのない男性格闘家には怖いイメージがあり、しかも当時の自分は中学生の女子だったので怖いと思っていた。しかし実際に話してみると優しく、そんなに怖くないと感じたという。

兄の朝倉未来とも、格闘技クラスで何度かスパーリングをしたことがある。優しく、技も教えてくれたという。ただ、彼女はラスベガス行きの後すぐにジムをやめ、その後の4年間はあまり会う機会がなかった。そのため、クラス以外の話はほとんどしたことがないそうだ。

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ラスベガス行きの通訳に自ら名乗り出る

朝倉海との関係が深まったきっかけは、彼の海外ジムでの練習に通訳として同行したことだった。ジムで、朝倉海がラスベガスに行くので通訳が要るらしい、という話を耳にした。そこで本人たちに通訳はついているのか聞いてみると、最初は「3人で大丈夫」「通訳は要らない」と言われたという。

彼女は「それはないでしょ」と思った。ちょうど何もしていない時期だったこともあり、一緒についていく、格闘技のことも分かるのでジムでも対応できる、と自分を売り込んだ。本人の言葉では「アピールしちゃって」同行が決まったという。

その様子が朝倉海の動画で紹介されると、再生数が大きく伸びた。ラスベガスにいる間は、みんなで1日の動画を撮っていることは分かっていたものの、周囲に日本人が少なかったため反響の大きさには気づいていなかった。日本に帰ってくると、駅の中などで「さえちゃんですよね」と声をかけられるようになり、そんなに見られているのかと驚いたという。恥ずかしさもあったが、暇な時間に自分の動画を見てくれているのだと思い、とても嬉しかったと話している。

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身近で見る朝倉海は「イメージ通り」

カメラの外での意外な一面を聞かれると、彼女はしばらく考えたうえで、イメージ通り優しいと答えた。自分が緊張している時に「大丈夫だよ」と安心させてくれることもあり、本当にいい人だという。ファンが動画で見ている姿がそのまま本人の姿だ、というのが彼女の見方である。年齢は10歳ほど離れており、本当にお兄ちゃんのような感覚だと話した。

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弁護士志望から、日本で格闘技に関わる仕事へ

トロント大学では、4月に最後の試験を終え、6月に卒業した。進路について、1年目の終わりまでは弁護士を目指していた。しかし文章を読むのが苦手で、数字の方が好きだと気づき、これでは弁護士は続けられないと考えたという。さらに寒さが身にこたえ、カナダでは生きていけないと感じたことも重なった。

ずっと格闘技に触れてきたことから、格闘技や朝倉海に関わる仕事をしたいと考えるようになった。そこで、それに役立つスポーツ経済などの授業を履修したという。2年目の冬にはトロントは「もういい」と思い、残り2年を頑張って日本に戻ろうと決めた。父には早く戻りたいと電話したという。父から特定の仕事を勧められたことはないが、父自身も寒さが嫌いな人で、「寒いって言ったでしょ」と言われたそうだ。家族は彼女の帰国を歓迎しているという。入れ替わるように、今は妹がカナダの大学に通っている。

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帰国後の活動と今後やりたいこと

卒業から3〜4か月が経った現在の活動について、彼女は次のように説明する。大学の4年間でさまざまなスポーツをやり、筋トレも始めたので、帰国後もフィットネス関連の活動を続けたいと強く思っていた。現在は収録で筋トレをしたり、海外のスポーツを観たりしている。それとは別にSNS関連の仕事もしている。裏方の仕事も勉強しており、UFCでの通訳もその一つとして、さまざまなことに挑戦しているという。

今後については、フィットネス、筋トレ、スポーツに加え、まだ具体的には言えないとしたうえで、アパレルやファッションにも関心があると話した。化粧など「女子力アップ」に関することも考えており、いろいろな分野に手を広げたいという。さらに、英語を話せることを生かし、海外のブランドを日本に持ってきたり、日本のブランドを海外に持っていったりする仕事もしたいと語った。そうした仕事には英語と日本語の両方を話せる人が向いているはずだ、というのが彼女の考えである。インタビュアーはモデルやビジネスの分野での活躍にも期待を示し、芸能やアパレル関係者に向けて呼びかけた。

身長は168センチだという。体づくりについては、これからまた筋肉をつけていきたいと話す。女性でも強いイメージ、つまり自分の身を守れるイメージがいいと思っているからだ。細い体型も人それぞれで、細くてもいいと前置きしたうえで、自分としては筋肉がついている方がいいと考えており、できるだけ鍛えたいと語った。

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朝倉海の評価は「超頭いい」

インタビューの最後に、別室にいた朝倉海が登場した。自分がいると話しづらいと思い、上の階に移っていたという。さえちゃんのポテンシャルを聞かれると、彼はまず「頭いいですね、めちゃくちゃ」「超頭いい」と答えた。

現在、さえちゃんは朝倉海の英語の先生も務めている。UFCで戦うにあたり英語を教わっているという。朝倉海は、彼女が会社にいてくれることで裏方として助かっていると話した。同時に、モデルとしてのポテンシャルも高いと見ており、裏方とモデルの「両軸」で頑張ってほしいと述べた。インタビュアーが、いずれ彼女が有名になって「実は朝倉海の会社にいた」と言われるくらいになってほしいと話を向けると、朝倉海はそのポテンシャルは「ありますね」と応じ、インタビューは締めくくられた。