朝倉海の通訳「さえちゃん」が語った、空手15年からトロント大学、そして帰国後の挑戦
oricon朝倉海が出場したUFC大会で通訳を務めた女性が、ネット上で「謎の美女」として話題になった。朝倉海のYouTubeにもたびたび登場している「さえちゃん」である。本動画では、インタビュアーが彼女に生い立ち、格闘技との関わり、カナダのトロント大学での学生生活、朝倉海との出会い、今後の活動についてを聞いている。終盤には、別室で聞いていた朝倉海本人も加わり、彼女への評価を語った。
プロレスとPRIDE好きの父が日本に来た理由
さえちゃんは東京生まれで、母が日本人、父がカナダ人である。両親が出会ったきっかけは、父の日本のプロレス好きだったという。父はカナダにいた頃から日本のプロレスが大好きで、格闘技ではPRIDEに強く惹かれていた。何度も日本へ観戦に来ていたが、当時はインターネットも今ほど普及しておらず、彼女の言葉では「25年前とか」の話である。そこで父は日本で仕事を探し、働きながらプロレスやPRIDEを観に行く生活を始めた。その中で母と出会って結婚し、彼女が生まれたという。
一方、母は格闘技に興味がなかった。観戦に行くのは父と彼女たちだった。家族には3歳下の妹もいる。父は娘たちにプロレスを熱心に勧め、「かっこいいよ」と見せていたが、さえちゃん自身はそのノリに乗れなかったと振り返る。プロレスラーの運動神経がすごいことは分かっても、見ているだけではよく分からない。自分でやらないと分からない、という感覚だったという。
3歳から空手を15年、中学3年で柔術を始める
見るより「やる」側だった彼女は、自分の身を守るために何か格闘技をやった方がいいという家族の話から、3歳ごろに空手を始めた。空手は18歳まで続け、期間は15年に及ぶ。ただし黒帯は取っていない。最後の2年間はコロナ禍であまり道場に通えなかった。コロナがなければその時期に取れていたかもしれない、と本人は話している。
ほかの習い事として、ランニングを3か月ほどやったこともある。しかし走るだけというのが嫌だったうえ、喘息があって走るのがきつかったため、すぐにやめたという。ピアノやバレエのような習い事には子どもの頃は興味がなかった。最近はピアノに関心があり、楽器を何も弾けないので何かやってみたいとは思っている、と話す。
柔術は中学3年生の時に始めた。一緒に空手をやっていた友人に誘われたのがきっかけである。本当はその前から柔道をやりたかったが、親に危ないと反対された。柔術ならいいのではないかという話になり、通うことになったという。空手も柔術も妹と一緒に続けていた。学校の友人たちは特に部活をしていなかったため、遊び相手は空手仲間が多かったそうだ。
インターナショナルスクールで英語と日本語が混ざる日常
学校はインターナショナルスクールに通っていた。日本の学校に通ったことがないので違いはよく分からないと前置きしたうえで、彼女は「教育が全部英語で行われること」がいちばん大きな違いだろうと説明する。日本人の生徒は少なかった。親が2年ほど海外で働くため、その間だけ子どもを通わせる駐在員(エクスパット)家庭の子が多く、さまざまな国の生徒がいたという。
家庭内の言語も変わっていった。インターに入る前はずっと日本語だったが、通い始めてからは英語になった。家族全員が両方の言語を話せるため、文章の途中から英語になったり日本語になったりと、言葉によって混ざってしまうという。母も英語を話せる。
女子格闘技クラスとプロファイターへの夢
柔術を習っていたのは、現在のJTTの前身にあたるトライフォースだった。最初はキッズクラスだけに出ていたが、同い年の女子が3〜4人いたことから、指導していた先生の提案で女子向けの格闘技クラスが始まった。その後、事情でそのクラスがなくなったため、トライフォースの別の支部で総合格闘技をやればいいという話になった。そこで朝倉海と出会うことになる。
当時の彼女は、本気で格闘家を目指していた。空手も柔術もやってきたのだから、この機会に挑戦したいと考えたという。父もプロファイターになれるかもしれないと喜び、楽しみにしていた。RIZINの初期にはRENAや浅倉カンナが活躍していた。彼女はその姿を見て、5年ほどあれば自分も行けるのではないかと思っていたと話す。アマチュアの試合などにも出たが、「ちょっと難しかった」と振り返る。最終的には怪我が多かったことから、その夢を断念した。
現在は柔術も空手もやっていない。大学時代は忙しく、柔術のクラスに通えなかった。4年間のブランクが長いため、また始めるのは難しいと感じているという。その代わり、大学在学中にウェイトトレーニングを始め、今はそちらに集中している。
トロント大学を選んだ理由と「63点」の壁
子どもの頃の夢は弁護士だった。弁護士には頭がいいイメージがあり、頭のいい人になりたかったからだという。進学先にはカナダのトロント大学を選んだ。インターでは授業がすべて英語だったため、日本語で勉強し直すのは難しいと考え、日本の大学はあまり検討しなかった。父の家族がいる場所なら安心だという思いもあった。
進学を決めたのは高校3年生のコロナ禍の時期である。当時は怪我も多く、格闘家としては生きていけないと考えていた。では何をしたいのかと考え、とりあえず大学に行こう、行くならいい大学に行かなければ、と思ってトロント大学を選んだという。インタビュアーは、世界大学ランキングでトップ10に入るかどうかという水準で、東京大学よりも上だと話している。
入学について、彼女は日本の大学のような入試はなく、高校までの成績で入れると説明する。受験勉強のようなものは全然なかったという。一方で、入ってからが大変だった。専攻は経済学で、1年目にミクロ経済とマクロ経済の授業を受け、そこで63点を取らないと経済学部に進めない。数字だけ聞くと低く思えるが、実際にはその点数を取るのが難しく、ここで落ちて目指す学部に入れない人が多い。最初の1年で学部を変える人も多かったという。日本にいる頃に特別な準備はしていなかったが、トロントにいる間はとにかく勉強していたと振り返る。
雪と寒さ、多国籍の友人たち
トロントでの楽しい思い出として、彼女はまず雪を挙げた。東京ではあまり雪を見たことがなく、スキーにもあまり行かなかったため、最初の1か月ほどは雪で遊んだり、歩いたり、写真を撮ったりするのが楽しかった。しかし、しばらくすると「もういいや」と思うようになったという。
楽しかったもう一つの点は、多様な国の人と出会えたことである。トロントにはさまざまな国の人がいて、食べ物や人との交流の機会が多かった。友人にはポーランドやモロッコ出身の人もいたという。
苦労したことを聞かれると、勉強と寒さが同じくらいつらかったと答えた。寒さで図書館に行くだけでも疲れてしまう。雪を初めて見た友人も多く、「つらいね」「もういいよね」という話を毎日していたそうだ。経済学部の友人たちは、卒業後はほとんどが銀行や不動産などの仕事に就いた。多くはトロントに残っており、彼女の友人グループの中で自分の国に帰ったのはおそらく自分だけだという。
朝倉海、朝倉未来との出会い
女子格闘技クラスから移った先で朝倉海と出会ったのは、本人の記憶では、彼がRIZINで1戦目を終えた頃だったという。RIZINは見ていたので存在は知っていたが、それ以前の試合は見ていなかった。RIZINのファイターがいるなら自分にとっていい練習になると思った一方で、女子がいなかったため少し怖さもあった。それでも、女子クラスで一緒だった子も一緒に移ったため頑張れたという。
その格闘技クラスでは、参加者がスパーリングをする形式だった。朝倉海から技を個別に教わるようなことはなかったが、一緒にスパーリングをさせてもらったことは覚えているという。強かったかと聞かれると、「強かったです」と答えた。第一印象については、会ったことのない男性格闘家には怖いイメージがあり、しかも当時の自分は中学生の女子だったので怖いと思っていた。しかし実際に話してみると優しく、そんなに怖くないと感じたという。
兄の朝倉未来とも、格闘技クラスで何度かスパーリングをしたことがある。優しく、技も教えてくれたという。ただ、彼女はラスベガス行きの後すぐにジムをやめ、その後の4年間はあまり会う機会がなかった。そのため、クラス以外の話はほとんどしたことがないそうだ。
ラスベガス行きの通訳に自ら名乗り出る
朝倉海との関係が深まったきっかけは、彼の海外ジムでの練習に通訳として同行したことだった。ジムで、朝倉海がラスベガスに行くので通訳が要るらしい、という話を耳にした。そこで本人たちに通訳はついているのか聞いてみると、最初は「3人で大丈夫」「通訳は要らない」と言われたという。
彼女は「それはないでしょ」と思った。ちょうど何もしていない時期だったこともあり、一緒についていく、格闘技のことも分かるのでジムでも対応できる、と自分を売り込んだ。本人の言葉では「アピールしちゃって」同行が決まったという。
その様子が朝倉海の動画で紹介されると、再生数が大きく伸びた。ラスベガスにいる間は、みんなで1日の動画を撮っていることは分かっていたものの、周囲に日本人が少なかったため反響の大きさには気づいていなかった。日本に帰ってくると、駅の中などで「さえちゃんですよね」と声をかけられるようになり、そんなに見られているのかと驚いたという。恥ずかしさもあったが、暇な時間に自分の動画を見てくれているのだと思い、とても嬉しかったと話している。
身近で見る朝倉海は「イメージ通り」
カメラの外での意外な一面を聞かれると、彼女はしばらく考えたうえで、イメージ通り優しいと答えた。自分が緊張している時に「大丈夫だよ」と安心させてくれることもあり、本当にいい人だという。ファンが動画で見ている姿がそのまま本人の姿だ、というのが彼女の見方である。年齢は10歳ほど離れており、本当にお兄ちゃんのような感覚だと話した。
弁護士志望から、日本で格闘技に関わる仕事へ
トロント大学では、4月に最後の試験を終え、6月に卒業した。進路について、1年目の終わりまでは弁護士を目指していた。しかし文章を読むのが苦手で、数字の方が好きだと気づき、これでは弁護士は続けられないと考えたという。さらに寒さが身にこたえ、カナダでは生きていけないと感じたことも重なった。
ずっと格闘技に触れてきたことから、格闘技や朝倉海に関わる仕事をしたいと考えるようになった。そこで、それに役立つスポーツ経済などの授業を履修したという。2年目の冬にはトロントは「もういい」と思い、残り2年を頑張って日本に戻ろうと決めた。父には早く戻りたいと電話したという。父から特定の仕事を勧められたことはないが、父自身も寒さが嫌いな人で、「寒いって言ったでしょ」と言われたそうだ。家族は彼女の帰国を歓迎しているという。入れ替わるように、今は妹がカナダの大学に通っている。
帰国後の活動と今後やりたいこと
卒業から3〜4か月が経った現在の活動について、彼女は次のように説明する。大学の4年間でさまざまなスポーツをやり、筋トレも始めたので、帰国後もフィットネス関連の活動を続けたいと強く思っていた。現在は収録で筋トレをしたり、海外のスポーツを観たりしている。それとは別にSNS関連の仕事もしている。裏方の仕事も勉強しており、UFCでの通訳もその一つとして、さまざまなことに挑戦しているという。
今後については、フィットネス、筋トレ、スポーツに加え、まだ具体的には言えないとしたうえで、アパレルやファッションにも関心があると話した。化粧など「女子力アップ」に関することも考えており、いろいろな分野に手を広げたいという。さらに、英語を話せることを生かし、海外のブランドを日本に持ってきたり、日本のブランドを海外に持っていったりする仕事もしたいと語った。そうした仕事には英語と日本語の両方を話せる人が向いているはずだ、というのが彼女の考えである。インタビュアーはモデルやビジネスの分野での活躍にも期待を示し、芸能やアパレル関係者に向けて呼びかけた。
身長は168センチだという。体づくりについては、これからまた筋肉をつけていきたいと話す。女性でも強いイメージ、つまり自分の身を守れるイメージがいいと思っているからだ。細い体型も人それぞれで、細くてもいいと前置きしたうえで、自分としては筋肉がついている方がいいと考えており、できるだけ鍛えたいと語った。
朝倉海の評価は「超頭いい」
インタビューの最後に、別室にいた朝倉海が登場した。自分がいると話しづらいと思い、上の階に移っていたという。さえちゃんのポテンシャルを聞かれると、彼はまず「頭いいですね、めちゃくちゃ」「超頭いい」と答えた。
現在、さえちゃんは朝倉海の英語の先生も務めている。UFCで戦うにあたり英語を教わっているという。朝倉海は、彼女が会社にいてくれることで裏方として助かっていると話した。同時に、モデルとしてのポテンシャルも高いと見ており、裏方とモデルの「両軸」で頑張ってほしいと述べた。インタビュアーが、いずれ彼女が有名になって「実は朝倉海の会社にいた」と言われるくらいになってほしいと話を向けると、朝倉海はそのポテンシャルは「ありますね」と応じ、インタビューは締めくくられた。
先日のUFC、上海大会ですか。で、通訳をされている謎の美女がすごくネットで話題になっててですね。色々と調べさせていただいたら、海さんのYouTubeによく出られているさえさんということが話題になってまして、これはスターの原石なんじゃないかということで、早めに取材させていただいて。
生まれた場所っていうのはどちら? 東京です。ご家族構成はどういう? お母さんが日本人で、お父さんがカナダの方で。お父さんがプロレス好きで、日本に来て。プロレスがすごい好きで、見たい見たいみたいなことを言って、日本で仕事を探して、プロレスを見つつ仕事をして、そこでお母さんと出会って結婚して、私が生まれたっていう状況なんですけど。
そのカナダに住んでた時に日本のプロレスが好きだった? そう、大好きっていうことで。プロレスもそうだし、格闘技はPRIDEがすごい好きで。もう毎回毎回、日本に見に来てて。すごい。そのまま日本に住んじゃおうっていうこと? そうですね。最初は見に行きたいけどどうすればいいか分かんない。その時もインターネットも、25年前とかの話、なかったので、最初仕事を探して、探してから、やっぱ見に行こうっていうことになって。プロレス見て、PRIDEとか見に行って、そんな家庭環境で私が。
妹さんもいらっしゃる? そうです。3つ下の妹がいます。じゃあ2人、プロレスとか格闘技っていうのは見て? プロレスをすごい推されて、「見てみ、かっこいいよ」って。私はなかなかそのノリに乗れなくて、プロレスの。でも、自分の身を守るために何かの格闘技をやった方がいいっていう話になって、じゃあ空手をやろうっていうことになって、3歳ぐらいの時に空手を。
そんな小さい頃。自分はどっちかというと見るよりやる方? そう、見てても分かんないんですよね。プロレスも特にすごい運動神経あるのは分かるんですけど、なんか違うなと思って。やらないと分かんないなっていう気分だったので、やりましょうって。
お母さんもプロレス、格闘技好きですか? 興味なかったです、お父さんと会うまでは。お父さんと出会って、じゃあ見に行こうみたいな話になった? そうです。で、ちょっとはお母さんも見る? そうです。
さえさんは、小さい頃、学校っていうのは? インターに通ってました。インターっていうのは聞いたことあるけれど、普通の人はあんまりどういう学校なのかってイメージもつかない人もいると思うけどね。日本の学校に行ったことがなかったので、違いがよく分からないですけど、教育が全部英語で教えられるのかな、一番大きな違い。あんまり日本人の人もいなかった気がします。エクスパットの子供たちとかの方が多かった気がします。
エクスパット? 親が2年間海外で仕事するから、子供の学校をそこにするとか、海外で仕事、出張するから、そういう子たちがいっぱいいた気がします。いろんな国の人がいました。学校では基本英語で? 英語です。
家の中でも小さい頃は? 最初のインター入る前はずっと日本語でした。インターに通い始めて英語になりました。混ざっちゃったんですよね。英語と日本語、みんなが喋れるので、文章の途中から英語になったり日本語だったり、言葉によって変わっちゃうので。お母さんも英語は? 英語も喋れます。なるほどね。そういう感じで、英語中心だったり日本語だったり。そうです。
学生時代に習い事とか、そういうことってやってましたか? 3ヶ月ぐらいランニングやってたんですけど、疲れすぎて、これは嫌だなって思って、走るだけは。あと喘息があるので、走るのがきついんですよ。苦しくなっちゃうので。なので、これは無理だって言ってすぐやめて。
空手は結構続けたんですか? 結構、18歳までずっとやってました。15年間やってました。じゃあ、いわゆる黒帯? 黒帯は取らなかった。15年やってたらね、普通はそういう。そうです。多分最後の2年間コロナになっちゃって、あんまり行かなかったので。多分その時だったら取れたんですけど、コロナになっちゃったので。なるほどね。
他にも習い事、柔術とかも? 柔術は中学3年生の時に始めました。一緒に空手やってる友達が「やってみなよ」って誘ってくれて。その前から柔道をすごいやりたかったんですけど、親が危ない危ないって言って。柔術だったらいいんじゃないっていう話になって、じゃあ行くわっていうことになりました。
空手、柔術やってて、もうすごいですね、武道。普通の日本人の女の子だとピアノとかバレエとか、こういうのも多いんですけど、あんまりそういうことに興味が? 最近ピアノに興味あるんですけど、何のインストゥルメンツ、ギターも何も弾けないので、なんかやりたいなとは思うんですけど。ちっちゃい頃は全然なかったですね。
じゃあ、学校のお友達とかとはどういう遊びをされてた? みんなは特に何の部活もやってなかったので、友達は空手の友達とかが多かったので。あと妹と一緒にずっとやってたので。空手もそうだし、柔術も妹やってたので。
その柔術を習っていたのが、今のJTTの前身の? トライフォースです。最初はキッズのクラスしか出てなくて、そこにいた先生が、私の他に同い年の子が女子で3人ぐらい、4人ぐらいいたので、じゃあ格闘技のクラスをやろうっていう話になって。そこにいた先生がそこで教えてくれて、ちょっと事情でクラスがキャンセルになって。だったら他のトライフォースの支部で総合格闘技やればっていう話になって、そこで海さんと出会うことになりました。
キッズのいわゆる柔術だけじゃなくて、MMAみたいな格闘技の? そう、女子格のクラスだったので。それに通うっていうことは、さえさんも格闘家、ファイターになりたい? なりたかったんですよ。せっかく空手もやってたので、柔術やってたので、せっかくこのチャンスがあるからやりたいなと思ったんですけど、怪我があって結局やめたんですけど、その夢は。
お父さんも応援してくれてたんですか? お父さんもすごい嬉しくて、プロファイターになれて、楽しみだみたいな。RIZINの初期の頃、RENAとか浅倉カンナ選手とか活躍したから。そう。それを見て、5年ぐらい年が離れてたので、5年間ぐらいあれば行けるかなと思っていたんですけど。アマチュアの試合とかも出て、プロの試合とかも出て、ちょっと難しかったですね。
今、柔術とか空手っていうのはどうなんですか? 今は全然やってないです。大学の時には忙しくてクラスに行けなかったので、柔術のクラスが。その4年間ずっとやってない期間が長かったので、そこからまた入るのがちょっと難しいっていうところなので。でも大学の間はウェイトトレーニングを始めたので、今そこを集中してやってます。
じゃあ体がどんどんムキムキになっていく? 頑張ってます。
他にもこういうお仕事やってみたいなとか、小さい頃に言って? 弁護士の方。何かドラマ見たりとかなのか、誰か? いや、弁護士ってすごい頭がいいイメージがあるので、頭がいい人になりたいっていうのがありました。
カナダのトロント大学に通われていらっしゃったんですよね。お父さんがカナダ出身っていうことで、いつかカナダの大学に行ってみたいっていうことを思ってたんですか? そうですね。インターだと教育が全部英語なので、そこからまた日本語で勉強するのはちょっと難しいなと思っていたので、日本の大学はあんまり考えてなかったので。だったらお父さんの家族がいるところにいた方がちょっと安心かなと思って、トロント大学に行きました。
そこで世界大学ランキングとか調べたら、すごい、トップ10に入るかっていうぐらい、難しいみたい。東大よりも上だっていうぐらいのところで、そんなところを目指すっていうのもなかなかすごい。そうです。最初は格闘家になりたかったんですけど、その夢をやめて、ちょうどコロナだったんですよ。高校生? そうです。高3の時がコロナで、卒業する時に。でも怪我もその時多かったので、格闘家じゃ生きていけないって思ってたので、じゃあ何がしたいのと思って、とりあえず大学行こうっていう話になって。行くんだったらいい大学行かないとと思って、トロント大学に行きました。
海外の大学って、入るのも大変? 日本の大学っていうのは最初の入る時の試験が大変。試験はないので、学歴だけで入れるので、入るのは、なんて言うんですか。日本の大学みたいにすごい受験勉強が必要? そういうのはないです。全然ないです。出るのが大変だって聞きます。実際言われてますけど、どうですか、トロント大学は?
結構難しかったです。経済を勉強したんですけど、1年目に経済の、例えばミクロ、マクロの経済の授業を受けるんですけど、そこで63点取らないと経済学部に入れないんですよ。すごい低い数字だと思うんですけど、意外と難しいんですよ、63を取るの。結構そこで落ちる人が多くて、目指してた学部に入れない人が多いことがあるので、そこがすごい難しかったっていう。
それも最初の方ですよね? そうです。最初の1年で、例えば学部を変えたり、落ちる人が多い。日本にいる頃からトロント大学の経済学部に行くっていう勉強の準備とかも? 特にはしてなかったんですけど、トロントにいる間はすごい勉強してたのは。
思い出のことで、楽しかったことって? 最初の1年は雪が降る時がすごい楽しくて。東京、あんまり雪を見たことなかったんですよ。スキーもあんまり行かなかったので。最初の1ヶ月ぐらいはすごい雪で遊んだり、歩いたり写真撮ったりするのは楽しかったんですけど、4年目からもういいやって思いました。あとはトロントはいろんな国の人がいるので、食べ物だったり、国の人と触れ合う機会があったので、それはすごい楽しかったなと思います。選んでよかった? 寒かったですけど。
結構、友達もいろんな国の方とお友達? そうですね。ポーランドとかモロッコとか、いろんな国の人と会うことがあります。苦労したのは勉強? 勉強と寒さ、同じぐらいですけど。寒さに耐えながら勉強、本当つらかったですね。図書館に行くだけですごい疲れて、寒いので。雪を初めて見た友達も多かったので、その友達とはつらいねみたいな話を、雪もういいよねみたいな話を毎日してて。
ちなみに大学の友達とかっていうのは、卒業後どういうお仕事されてたりとか、どういう進路とか? 経済学部の友達はほぼみんな銀行とか、不動産とかそういう仕事をしてまして。トロントに残る人もいたり、自分の国に帰る人もいたりとか? 結構みんなトロントに残ってる人が多かった。多分私の友達のグループの中で、私だけです、自分の国に帰った人は。結構みんな残ってた人が多かったです。銀行とかで? そうです。
先ほども少し話してた朝倉海さんとの出会いとかについても伺いたいんですけど、先ほどお話ありましたけども、キッズの格闘技クラスをやるっていうことで行ったジムが、今のJTT、当時のトライフォース赤坂っていうところで。そこで、もうRIZINで活躍されてた時の海さん? そうです。多分1戦目が終わって、私がジムに行った気がします。
その頃は朝倉海というファイターのことは? その時はRIZINを見てたので、存じてはあったんですけど、RIZINの前の試合とかは全然見てなかったので。アウトサイダー時代とか見てなかったので。でもRIZINファイターがいるから、自分にとっていい練習になるかなと思って。女子がいなかったのでちょっと怖いなっていう気もあったんですけど、一緒にやってた格闘技、女子のクラスにいた子も一緒に行ったので、頑張れました。
当時は海さんはファイターなんで、接点っていうのはあったんですか? 教えてもらうとか。格闘技クラスみたいなのがあって、そこでみんなスパーリングをやる感じで。技を教えるとかはなかったんですけど、一緒にスパーリングさせていただいたのは覚えています。海さんとスパーリングをやられてたんですね。はい。強かったですか? 強かったです。
第一印象とか、実際に話してみて最初ってどう感じられました? 会ったことない男性の格闘家って怖いイメージあるじゃないですか。別に顔以外には、格闘家っていうことで怖いっていうイメージが。あと中学生の女子だったので、怖いっていうイメージがあったんですけど、実際話してみて、優しいな、そんなに怖くないなっていうのがありました。
より関係が仲良くなったきっかけっていうのは、海さんが海外のジムに練習に行く時に、さえさんが通訳として一緒に同行されたっていうところが? そうですね。ジムで「海さんが海外に行くよ。だから通訳に行きなよ」っていう声を聞いてたので。1回聞いたんですよ、いらないの、通訳いらないの、みたいな。ラスベガス行くって聞いたけど、通訳ついてるの、みたいな話をして。多分私たちで大丈夫だなって言ってたんですよ、最初は。私行けますよって。3人で大丈夫みたいなことを海さんたちが言ってて、通訳いらないよって言ってたんですよ、最初。
それはないでしょと思って、ちょうど何もやってなかった期間だったので。コロナがあった期間だったので。大学入る前の? そうです。なので、もしよかったら一緒についていくよ、通訳としてついていくよ、格闘技のことも分かるからジムで対応できるよっていう、自分のことを売って。アピールしちゃって。行けますよっていうアピールをしました。
それで海さんが紹介されて、そこでボーンと一気に動画もすごい再生されて、バズったじゃないですか。どうです、さえさん自身にも色々と反響があったかと思うんですけど。ラスベガスにいた時は、みんなの1日の動画撮ったりしたのは分かったんですけど、あんまり日本人がいなかったので分かってなかったんですよ、どれぐらい盛り上がってたのか。日本に帰ってきて、駅の中とかで「あれ、さえちゃんですよね」みたいなこと言われて、そんなに人が見てるの、みたいな。それが結構ありました。
じゃあ、行って帰ってきたぐらいでも、別人じゃないですけども。そうです。こんなに人が見てたんだ、見てくれたんだな、みたいなのは感じました。ちょっと嬉しかったですか? また恥ずかしかったですか? 恥ずかしいのもあったんですけど、暇の時に私の動画見てくれてるんだなって思って、すごい嬉しい気持ちでした。
せっかくなんで海さんについて、さえさんだから知ってる朝倉海の意外な一面とか、カメラには見たことない、朝倉海ってこんな人、みたいなのでちょっともらいたいなと思うんですけど。なんだろう。でもイメージ通り優しいし、あんまり。これ、いない方がいいですね、多分。でも本当にイメージ通り優しいし、緊張してる時があっても「大丈夫だよ」みたいな、ちゃんと安心させてくれる時もあるので、本当にいい人だなって。みんな見てると分かると思うんですけど。
本当に我々ファンが知ってるみたいな、いつもイメージ通りの。カメラに映ってるのはそのままの海さんっていう感じ? そうです。お兄ちゃんみたいな感じですか? そうです。9年ぐらい離れてるので、年が。本当にお兄ちゃんって感じです。
さらにお兄さんの未来さんとは接点はあるんですか? 格闘技のクラスで何回か一緒にスパーリングさせていただいたんですけど。海さんよりちょっとこう。優しいですし、教えてくれるのももちろんなんですけど、その後触れる機会がなかったので。ラスベガス行って、その後すぐやめちゃったので、その4年間あんまり会う機会がなかったので。あんまり格闘技以外の、クラス以外の話をしたことないので。でも、優しく技を教えてくれた? 優しいです。
改めてさえさんのことをお伺いしたいんですけども、トロント大学を卒業され、今年の? 4月に最後の試験が終わって、6月に卒業。卒業後はどんな仕事をやりたいな、みたいなことを考えて? 最初の1年の終わりまでは弁護士になりたかったんですけど、読むのが苦手で数字の方が好きだったので、これじゃ弁護士やっていけないなって思ってて。あと寒さのことなんですけど、寒さを感じて、もうここで生きていけないっていうのがあったので。
じゃあ日本に戻ろうってなりまして。格闘技にずっと触れてたので、格闘技とか海さんとかに関する仕事をしたかったので、そこに通用するスポーツ経済とか、そういう授業を受けたりしましたね。大学中からある程度日本に戻って、海さんに関わるじゃないですけど、格闘技であったり、スポーツで経済に関する仕事をやりたいな? そうです。2年目の冬でもういいなと思って、もうトロントはいいなと思って。あと2年間頑張ろうって思って、じゃあ戻ろうって。お父さんに早く戻りたいって電話かけました。
お父さんはどういう仕事をやってほしいみたいなことはあったんですか? 特にはないですけど。お父さんも寒さ嫌いで、出身なのに? そうです。「言ったでしょ、寒いって言ったでしょ」みたいなことを言われました。お父さんもみんな日本に戻ってくるのはウェルカムというか? そうですね。ちょうど妹が今カナダにいるので、妹だけもう行っちゃったんですけど。妹さんがカナダの大学に行ってると。
今、6月から日本に戻って3、4ヶ月経ちますけども、どういうことをやっていきたいとかっていうのは何か考えは? この4年間、いろんなスポーツをやって筋トレも始めたので、そういうフィットネス系を、いろんなことをやって。帰ってきて、それを続けたいってすごい思ってたので。今は週6とかで筋トレをして、海外のスポーツを見たりして、いろんなことやってるんですけど。それと別にSNSとかの仕事をしたりしてますね、今は。
いろんなこと紹介するインフルエンサーみたいな? そうです。いろんな裏のこととかも勉強して、UFCの通訳のこともあったので、いろんなことに挑戦してます。
今後いろんなことをやられたいっていうことですけども、もっと具体的に、例えば芸能活動みたいなこともやってみたいみたいな意欲っていうのは今どう? そうですね。今はフィットネス、筋トレだったりスポーツだったり。あとは、まだ言えないですけど、アパレル、ファッションとかも色々興味があるので。あとは化粧とか女子力アップとか、そういうことを考えてるので、いろんなところに手を出したいっていうことを思ってて。その上に、せっかく英語喋れるので、海外のブランドとかを日本に持ってきたり、日本のブランドとかを海外に持ってったりするのは、多分英語と日本語を喋る人がいいと思いますので、そういう仕事もやっていきたいなと。
モデルであるとか、そういう部分でも見てみたいですし、ビジネスの分野でも色々と活躍するところを見てみたいなと思うので。このインタビューを見て興味を持った芸能関係者、アパレル関係の方がいましたら、ぜひ。お願いします。
身長何センチ? 168です。でも今の人はみんな背が高いじゃないですか。ここからムキムキにもっとなっていくんですか? そうです。もうちょっと強いっていうイメージがすごいいいと思うので、私的には。女性でも自分の身を守れるっていう。細いのも人それぞれなので、別に細くてもいいんですけど、私、自分的には筋肉がついてる方がいいと思うので。なので、できるだけ「鍛えてますよ」みたいな筋肉をつけたいです。
ニュースでも今後もさえさんの活躍を追いかけさせていただいて。よろしくお願いいたします。
インタビューも終わりなので、裏で聞いていたはずの海さんから聞いてみましょうか。怖い怖い。終わったんですか、もう? 今インタビュー終わりました。聞こえてました? ちょっと聞こえたんですけど、僕いると話しづらいかなと思って上行きました。
結構色々さえさんのことをお伺いしたんですけどね。緊張してた? 緊張しました。海さんから見ても、さえさんってすごいポテンシャルが? 頭いいですね、めちゃくちゃ。もう超頭いいですね。
英語の面とかでも海さんをサポートしてくれてる部分? はい。今の先生です。やっぱUFCだとね。今教えてもらってるってことですね。英会話も? そうです。教えてらっしゃると。やっぱり海さんとしても、いろんな分野で活躍してほしいっていう?
そうですね。会社にいてくれて、裏方としても助かるし、もちろん頭がいいんでね。モデルとしてもポテンシャル高いと思うんで、そっちの方向でも頑張ってもらいたいなっていう。両軸で頑張ってもらいたいなっていうふうに思ってますね。
さえさんが有名になって、実は朝倉海さんの会社にいたっていうので。それより有名になってもらわないといけないんで。それぐらいポテンシャルがある? ありますね。分かりました。
記事公開 · 更新
