和田アキ子が語る股関節と膝の手術、そして55周年ツアーまでの1年

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概要

都内で開かれた「歩く人生に、つづきを。展」のメディア発表会に、和田アキ子と井上咲楽が登壇した。イベントのテーマは、膝や股関節、腰の痛みを一人で抱え込まず、信頼できる医師に相談して、自分の足で歩き続けようというものだ。和田は膝と股関節の両方を手術しており、「本当に私にぴったりのテーマ」と語った。司会者と一緒に、痛みが始まってから手術とリハビリを経てステージに戻るまでの経緯を振り返った。

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登壇者と司会者の関係

井上咲楽は和田の事務所の後輩として出席した。井上自身は今のところ元気に暮らしているが、両親は50代で、母は今年還暦を迎えたという。これからも元気に歩いて生活を楽しんでほしいと思っており、この日は一緒に学びたいと話した。

司会者は和田とラジオで30年近く共演している。ニッポン放送で土曜11時から放送されている生放送番組は36年続いており、和田の痛みが最初に始まった時期から近くで見てきたという。その立場から、司会者が時系列に沿って質問していった。和田は途中で「いい司会者ですね」「全て把握してくれて」と笑った。司会者は手術日が9月11日であることまで覚えていた。

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きっかけは2022年9月のピラティス

痛みが始まったのは2022年9月だ。和田は毎年暮れにブルーノート東京でライブを行っており、体幹作りにはピラティスがよいと教わって始めた。ゴムで脚を引っ張って広げる運動をしたときに痛みが出たが、トレーナーには筋肉痛だと言われた。和田は「年を取ると筋肉痛は後から来ると思っていたのに、こんなに早く来るんだ」と喜んでいたという。ところがその帰りには車に乗れなくなった。

1日空けて再びジムに行き、同じ運動をすると、脚を広げるのも難しいほど痛んだ。その日はトレーニングを中止し、病院で診察を受けた。最初に告げられたのは、司会者の言葉でいう股関節の肉離れにあたる診断名だった。和田は股関節も肉離れするのかと思いながら過ごしたが、最終的には杖をつかなければ歩けなくなった。

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痛みを隠したブルーノート東京のステージ

それでも暮れのライブだけは乗り切りたいと考えた。ステージには杖を置いておき、必死で歌ったという。司会者がとくに驚いたのは、ラジオのスタジオでは痛がっていた和田が、ブルーノート東京のステージでは別人だったことだ。痛みをまったく感じさせず、ステップを踏んで踊っており、周囲も驚いていたという。司会者はこれをアドレナリンで乗り越えたものだと見ている。

ライブが終わって年が明けると、和田は動けなくなった。両手に杖を持たなければならない状態になり、再び病院に行くと、今度は変形性関節症だと言われた。

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手術をためらった理由と、右膝への波及

医師からは手術を勧められたが、和田には迷いがあった。手術後の回復期間や入院期間を考えると、声を出せるのか、歌えるのかと悩んだ。

その間、左脚をかばって生活していたところ、右膝にも痛みが出た。司会者によれば、右の痛みは突然来たという。左右両方が痛むと、座るのも立つのも大変になる。和田は自分の足でステージに立って歌いたいと考えていたが、まず立つことができなくなっていた。

2023年は痛みがどんどん強くなった。この時期はステロイド注射を打ち、湿布や飲み薬も使って耐えていたという。

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55周年ツアーから逆算した決断

和田は二つ目の決断を迫られる。55周年の大きなコンサートツアーが控えていたからだ。司会者はこの局面を、ステロイドで痛みをごまかしながら続けるのか、ツアーから逆算して今手術をするのかの選択だったと整理した。

ツアーは10月に始まり、手術は9月11日だった。リハビリに使える期間は1か月しかなかった。医師は、1か月あるのだから、このまま悩んで痛い思いを続けるなら手術したほうがよいと勧めた。それでも和田は術後どうなるかわからない不安から、薬で済ませたほうがよいのではとも考えた。そこで別の医師にセカンドオピニオンを求め、スポーツ指導に関わる整形外科医にも相談した。いずれの医師にも、薬だけでは駄目で手術すべきだと言われたという。

和田は手術を決めた理由を、自分の足でステージに立って歌いたかったからだと語った。足が不自由で車椅子に乗って歌っていたR&B歌手エタ・ジェームスを例に出し、車椅子で歌うことも考えたという。それでも、ドレスを着てビシッと立って歌いたかったと話した。

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術後2日目から始まったリハビリ

会場では、術後2日目ごろのリハビリの写真が紹介された。マネージャーが撮ったもので、和田は写真に映るとは思っていなかったため「口紅を塗っておいてよかった、眉毛も描いておけばよかった」と笑わせた。

司会者がラジオで聞いていて印象に残っているのは、手術後に初めて足を地面につけるのが怖かったという話だ。ギプスで固められた状態で「歩きましょう」と言われ、立つのが怖かったという。リハビリは術後2日目に始まった。廊下のような場所で手すりの棒を使って行き来し、3日後には階段を10段ほど上り下りすると言われた。和田は階段恐怖症になりそうだったと振り返り、つらかったというより情けなくて泣きながらやったと語った。

一方で、夜に眠れないときは、看護師が巡回していない時間に一人で廊下を歩いていたという。怖がりだが杖があるから大丈夫だと思ったそうで、本人は「何考えてんねんってことやけどね」と笑った。司会者は、それだけ一日も早く治したかったのだと受け止めた。医師からは、自分の患者でこれほど治りが早い人は初めてだと褒められたという。

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東京公演とNHKホールのステージ

司会者は、9月の手術を経て臨んだ55周年の東京公演と、11月のNHKホール公演の写真を紹介した。井上は怪我をしているようには見えないと驚いた。司会者によれば、見に来た竹山らが泣いていたという。和田も、今見ても胸に来ると語った。

ただしこの公演のときも、何かあったときのために医師が楽屋で待機していた。井上が、それほどの状態だったのかと確認すると、和田はそうだと答えた。

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井上尚弥とのリーチ比べ

司会者は明るい話題として、ボクシング世界王者の井上尚弥がラジオにゲスト出演したときのエピソードを紹介した。膝が痛かった時期にもかかわらず、和田は井上とリーチを比べていたという。和田によれば、自分のほうが井上尚弥よりリーチが長かったそうだ。司会者は「膝が痛いくらいがちょうどいいのか」と冗談を言った。和田は、元気だからそういう冗談も言えるのだと応じた。

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最近の骨折と、痛みを我慢する性格

和田は話の流れで、最近左手も骨折していたことを明かした。メディアにはほとんど話しておらず、ラジオで触れた程度だという。全治3か月と言われ、あと2週間ほどで治る見込みだ。骨が弱いこともあるが、とにかく痛みを我慢してしまう性格だと本人は語った。司会者も和田は我慢強いと話した。

和田によれば、膝や股関節の痛みは外からは見えない。杖をついて仕事場に行くと、スタッフはそこで怪我をされたら大変だと身構え、何度も「大丈夫ですか」と聞いてくる。それも嫌で、早く膝と股関節を治したかったという。

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「年だから」で片づけないでほしい

和田がこの日いちばん強調したのは、痛みを自分で抱え込まないことだった。自分が年を取っているから言えることだとしたうえで、「年だから」という理由で何事も諦めるのはやめてほしいと何度も繰り返した。司会者がこれを、痛みを感じても年のせいだと納得せず、必ず良くするんだという気持ちが大事だということかとまとめると、和田は「絶対そうです」と答えた。

和田は、膝にも股関節にも人工のものが入っており、身体障害者手帳の4級を持っていると明かした。タクシーや電車の割引も受けられるが、まだ一度も使っていないという。司会者が「使ってください」と返したところで、トークは終わり、フォトセッションに移った。