錦織圭とフェデラーが振り返る、16歳の練習相手から11度の対戦まで
oricon有明コロシアムで行われた『UNIQLO LifeWear Day Tokyo 2026 with Kei Nishikori』のトークセッションでは、錦織圭がプロ転向から現在までを時系列で振り返り、子どもの頃から憧れてきたロジャー・フェデラーが随所で自身の見方を語った。話題は、錦織がフェデラーの練習相手を務めた16歳の記憶、トップ選手同士として戦った経験、そしてファンの歓声へと移っていった。
プロになっても変わらなかった「テニスを楽しむ」感覚
錦織は17歳でプロに転向した。ただ、プロになると決めたのはもっと早く、12歳頃に全国大会で優勝したあたりから「自分もプロになるんだ」という思いがなんとなくあったという。プロ転向の頃にプレーしたのは、ちょうどこの会場だった。
プロになったとき、これで生活していかなければならない、テニスが仕事になるという意識は少しだけあった。しかし錦織によれば、テニスコートで遊ぶように好きだからプレーすること、試合の勝ち負けを楽しむことは常に心のどこかにあった。そのため、仕事ではあっても今も「趣味の延長線上」にいるような気持ちだと語った。
会場には多くのジュニア選手も来ていた。ジュニア時代とプロの違いについて問われると、錦織は気持ちの面で変化はあったと認めた。プロになるには覚悟が必要で、多くの人からサポートを受け、自分一人でプレーしているわけではないため、責任も増える。それでもコート上でやることは同じであり、ジュニアの頃もプロになってからも、テニスを楽しむことは常に意識していたと振り返った。
16歳で務めたフェデラーの練習相手
錦織は16歳頃、ある大会の前の1週間ほど、フェデラーの練習相手を務めたことがある。本人は「めちゃくちゃ覚えてます」と話し、世界1位のボールを体感できたこと、そしてフェデラーがひたむきに練習する姿が当時の自分にとって非常に刺激的だったことを挙げた。セッションの直前にも舞台裏でこの話をしていたといい、その場には錦織の父もいたらしい。
フェデラーもこの練習をよく覚えていると話した。キャリアの中で練習相手をすべて覚えているわけではないが、錦織のことは鮮明に記憶しているという。16歳の錦織が打つボールとエネルギーに強い印象を受け、最初から普通の選手ではないと分かった。周囲からも将来のスーパースターになると言われており、これが新しい世代の選手なのだと感じたと語った。
さらにフェデラーは、その後の会話で「いつか自分が負ける日が来るかもしれない」と話したことがあり、実際にその通りになったと明かした。のちに錦織がトップまで上り詰めたことを考えると、当時の16歳は本当にすごかったと振り返った。
錦織が驚いた「練習中のフェデラー」
これに対して錦織は、自分が練習中に驚いたことを語った。観客は試合中のフェデラーしか見ていないが、練習中のフェデラーはとてもリラックスしていたという。錦織の表現では、フットワークも力の入れ具合も5割ほどで、ポイント練習でもその調子のまま行う。練習では感覚をつかみにきているように見えた。
錦織は、そういう選手はフェデラーしか見たことがないと話した。裏で努力していることはもちろん知っているとしたうえで、「天才ってこういう人なんだ」と感じ、その感覚のすごさを強く覚えているという。
「大好きな人」と戦う難しさ
16歳のとき、将来フェデラーと対戦することを想像していたかと聞かれると、錦織は「全くなかった」と答えた。
初めて対戦したときには、別の難しさがあった。錦織にとって一番好きな選手はフェデラーであり、夢に描く理想の姿も彼だった。そのため、大好きな相手と試合をして勝たなければならないことがとても難しく、最初は非常に苦労したという。
世界4位と、トップ3の壁
2015年、錦織は自己最高となる世界ランキング4位に到達した。当時大切にしていたことやプレッシャーを問われると、錦織は、フェデラー、ジョコビッチ、ナダルがいなくなってくれればと、ほんの一瞬だけ思ったことがあると冗談まじりに話した。
錦織によれば、この3人にマレーを加えた選手たちは強すぎた。その中にどうにか入っていかなければならないという思いは、自分だけでなく、その後ろにいた10人ほどの選手全員が持っていたはずだという。それが自分たちの一番のモチベーションであり、当時はそのことを最も強く意識していたと振り返った。
フェデラーが語る「頂点に居続ける」ためのマインドセット
話を受けて、司会はフェデラーに、トップに上り詰めることとその地位を維持することの違いを尋ねた。
フェデラーは、上に上がっていくことと頂点に居続けることでは、必要なマインドセットが違うと答えた。トップに立つと、自分がどこにいるのか分からなくなり、同じことを繰り返しがちになる。しかし選手としても人間としても成長するには変化が必要である。うまくいくか分からなくても何かを試し、一歩下がってから二歩前に進むようなことをしなければならない。上っていくときとは違う種類の努力が必要だという。
フェデラーは、ケガからの復帰にも別のマインドセットが必要だと述べた。ケガを乗り越えてさらに成長し、高みを目指すには、常に自分を前へと押し出していかなければならない。チームに支えられながら、自分のメンタリティをしっかり持ち、キャリアの中でそれを繰り返してきたと語った。
11度の対戦で、フェデラーは錦織をどう見ていたか
2人は公式戦で11回対戦しており、最後の対戦は2019年のウィンブルドンだった。対戦を重ねる中で錦織がどう変わったのか、何を警戒していたのかを問われ、フェデラーは錦織の特徴を具体的に挙げた。
まず挙げたのは、錦織がすごいチャレンジ精神で向かってくる選手だったことだ。特別な強みとしてはコートカバーの広さを挙げ、バックハンドは当時の選手の中で間違いなくトップクラスだったと評価した。フォアハンドも非常に強かった。サーブはそれほど突出していなかったとしながらも、プレースメントやバリエーションは優れていたという。
フェデラーによれば、錦織は次第にアグレッシブなプレースタイルに変わっていき、危険で予測しにくい選手になった。自分との試合では、バックハンドのダウン・ザ・ラインを何度も打ち込まれた。それが戦術だったのかは分からないとしつつ、警戒しながらも尊敬の念を持って見ていたと話した。その理由として、錦織がマイケル・チャンとどれほど練習していたかを知っていたことを挙げた。
テニスを見る立場からも、アグレッシブでショットが素晴らしい錦織の試合はよくテレビで見ていたという。フェデラーは、スピード感を含めたそのプレースタイルこそが錦織を特別な存在にし、最大の違いになっていたと述べた。
スーパーショットを打たれて「ちょっと嬉しい」
フェデラーの評価を聞いた錦織は、嬉しいと言いながら、どれくらいがお世辞なのか聞いてほしいと冗談で返した。
錦織から見ても、フェデラーは完璧で弱点がほとんどない選手だった。錦織自身もツアーの中ではアグレッシブにプレーする方だが、フェデラーはそれをさらに上回り、非常に速い展開でボールを返してきたという。
錦織は、自分が変わっているのかもしれないと前置きしたうえで、フェデラーはスーパーショットをよく打ち、それを打たれたときには悔しいと思う一方で、少し嬉しくもあったと明かした。真剣勝負の最中でも、好きな選手が「こんなショットを打てるのか」と感じさせてくれることが嬉しかったという。そうしたショットを打てる特別な選手がフェデラーだったと錦織は話した。
フェデラーはこれに、素晴らしいキャリアを終えて引退すると、こうして多くの人に褒めてもらう場面が増えるものだと答え、錦織の褒め言葉に感謝した。そのうえで、錦織が特別な選手であることは間違いなく、心からそう思って話したと強調した。錦織の引退を祝う場に参加できることほど嬉しいことはないとも述べた。
歓声は「次につながる経験」
セッションの最後に、ファンの歓声について質問が出た。テニスではプレー中に会場が静まり返り、ポイントが決まると一気に歓声が上がる。その静けさと歓声は、錦織にとってどんな存在だったのか。
錦織は、先日この会場でジャパンオープン決勝の際にセレモニーを行ってもらったときのことを挙げた。多くの歓声を受けてとても良い気持ちになったが、これが歓声を受ける最後なのだと思うと寂しさもあった。それでも、観客の前でプレーできる幸せはずっと感じてきたもので、あのときは本当に幸せだったと噛みしめていたという。
その歓声がなくなることには寂しさもあると認めつつ、錦織は、それを経験できたことは人生の次の段階につながる非常に良い経験になったとし、感謝を口にした。
錦織選手がプロに転向した頃からのお話です。17歳でプロの世界に飛び込んだ当時、どのような気持ちでその最初の一歩を、錦織選手、踏み出したんでしょうか?
そうですね。プロになるって決めたのは、なんとなく12歳ぐらいの時に、日本の全国大会を優勝して、そっから自分もプロになるんだっていうのがなんとなくあって。プロになった時は、ちょうどここでプレイしたんですけど、やっぱりそっから、これで生活していかなきゃいけないとか、これが仕事になるんだっていう思いはちょっとだけあったけど、やっぱりこのテニスコートで遊ぶだったり、好きだからやってるとか、試合のこの勝ち負けを楽しむっていうところが、やっぱり常にどこかにあったので。仕事ではあるんですけど、やっぱり趣味の延長線上にずっと今もあるような気持ちでいますね。
錦織選手、今日たくさんのジュニアも見に来てるんですけど、やはりこのジュニアの時とプロになって。
やはりありましたので、気持ち的にはちょっとありました。やっぱり覚悟が必要だし、プロになるっていうことは、たくさんのいろんな方からのサポートを受けて、自分一人でプレイしてるわけではないので、責任とかは増えるんですけど。やっぱりこのコート上ですることは同じなので、ジュニアの頃と、プロになったといえど、テニスを楽しむっていうことは常に思ってたと思います。
当時はフェデラー選手の練習相手を務められたことがあるそうで、その時のこと覚えてらっしゃいますか?
いや、めちゃくちゃ覚えてますね。僕は16歳ぐらいの時だったと思うんですけど、ちょうどさっきその話を後ろでしてて、僕のお父さんもいたらしいんですけど、マイアミで、彼のその大会の前、一週間ぐらいですかね、一緒に練習させてもらって、すごく勉強になりましたね。これはやっぱり世界一の打つボールなんだっていうのを味わえたっていうことと、彼のこの練習する姿っていうのは、その当時はすごく刺激的だったので、めちゃくちゃいい経験になりました。
この辺り、その時のことをちょっと選手に聞いてみたいんですけど。
キャリアの中での練習をすべて覚えているわけではありませんが、この練習はかなり鮮明に覚えています。彼の素晴らしいボールの打ち方と、そのエネルギーに驚いたからです。
テニスの未来を担う選手が出てくるのを見て、感銘を受けました。彼には感銘を受けましたし、その後、少し話をした時にも、いつか自分が負けるだろうと周りの人に話しました。
非常によく覚えてますよ。すべてのこのような練習相手のことを覚えているわけではないんですけれども、錦織選手に関しては本当に鮮明に覚えています。当時の16歳の彼の打つボール、それからエネルギー、本当に私の中で鮮明な記憶になっています。もう最初から普通の人じゃないというふうには分かっていました。そして周りからも、錦織選手は将来のスーパースターになる人だというふうに言われてましたので、その16歳の少年が打つボール、すごかったなと。そしてこれが新しい時代の選手たちなんだということで、大変感銘を受けました。
その後で話をした時にも、いつか自分が負ける日が来るかもしれないという話をしまして、それは実際その通りで、負けたということもありました。そしてその後、彼がトップに上り詰め、ここまで来たというのは、当時を振り返るとすごい16歳だったなと、このように思えています。
とおっしゃいますが、錦織選手、いかがですか?
半分ぐらいはお世辞でしょう。
いや、でもやっぱり練習中にびっくりしたのは、皆さんやっぱり試合中しか見てないと思うんで、彼は練習中めちゃくちゃリラックスしてやってるんですよ。もう5割ぐらいのフットワーク、力の脱力感みたいな。それでポイントとかも、ポイント練習とかもそのノリでやるので、本当に感覚を練習ではつかみに来てて。そういう人も彼しか見たことないんですけど、天才ってこういう人なんだ。もちろん努力してるのは、裏でやってるのは知ってるんですけど、感覚がすごいなっていうのはめちゃくちゃ覚えてます、その頃。
ただ、その時16歳の錦織選手、フェデラーと対決する、そういったものは頭の中にあったんですか?
いや、その頃は全くなかったですね。なかったけど、最初に対戦した時は、よく言ってますけど、一番大好きな選手がフェデラーで、やっぱり自分が夢に描く、一番理想の姿っていうのも彼だったので。最初に対戦した時は、本当に大好きな人と試合をして勝たないといけないっていうのがすごく難しくて、最初はものすごく苦労しました。
そして2015年です。最高となる世界ランキング4位に到達します。テニス界のトップと肩を並べ、世界の頂点で戦い続けていました。当時大切にしていたこととか、あとは戦い方に、戦い続けるプレッシャー、そういったものっていうのはあったんでしょうか?
いや、この当時は本当一瞬ですけど、フェデラー、ジョコビッチ、ナダル、いなくなれって思ってて、ちょっとだけ。一瞬です。
もうこの3人が、マレーも含めて強すぎたんで、どうにか自分もここに入っていかないといけないっていう思いが、僕だけじゃなく、多分この後ろの10人ぐらいまで、ラオニッチとか、なんかティームとか、全員持ってたと思うんですけど。どうにかそこに入っていかないといけないっていうのが、多分僕らの一番のモチベーションだったので、そこだけを一番、多分強く思ってたのかなと思います。
今、錦織選手がフェデラーの話が出たんで、聞いてみたいと思うんですけども、長く世界のトップで戦うことと、そこを維持する違いというのを、ご本人にちょっと聞いてみたいと思うんですけど。
世界のトップに上がることと、トップであり続けることの違いは?
トップであり続けるには、違う種類のマインドセットが必要です。それは難しいこともあります。同じことを何度も繰り返していると、時々自分を見失ってしまうからです。でも、選手としても人としても成長するには、変化が必要だと思います。
取り組み、後ろに下がり、また前に進む。トップに上がることは、それとは違う挑戦だと感じています。それぞれ違う種類の挑戦があります。例えば、けがから復帰することも、何度も何度も経験しましたが、そのたびに違うマインドセットが必要になります。
新しい状況に何度も適応し、決して完全には満足せず、前に進み続ける。自分たちのプレイや、新しい方法を探していくのです。
そうですね。やはり上に上がっていくということと、それから頂点に君臨し続けるということには、やはりマインドセットとして違うものがあるというふうに考えています。特に上に上り詰めると、自分が今どこにいるんだろうと。そうして分からなくなると、やってきたことを繰り返しがちです。
しかし自分が成長していくために、プレイヤーとしても人間としても常に変化が必要です。ですから何かをトライして、うまくいくかどうか分からないけれども、自分で何かをやってみると。一歩下がって、そしてまた二歩前に行くと、こういうようなことをしなければいけません。上っていく時とはまた違う努力が必要だと思います。特にけがから復活してくるような時には、ここも違うマインドセットが必要だというふうに思っています。
そして我々プレイヤーとしては、誰でも乗り越えてきたことですけども、けがを超えてさらに成長して、そして高みを目指すというためには、常に前に前に自分を押していかなければいけないと思います。チームのメンバーにも助けられ、ゲームに向かいつつ、自分のメンタリティをしっかり持って、キャリアの中でこれを繰り返してきたんだと思います。
そして続いては、錦織選手とフェデラー選手の対戦についてです。お二人が最後に戦ったのが2019年のウィンブルドンとなりました。ここまで公式戦全体では11回の対戦をしています。まずフェデラー選手から見て、錦織選手は戦うたびにどう変化していったのか、もしくは何か錦織選手に対して警戒することが、どんなに警戒していたか、そんなことについてお話を聞かせてください。
ランキング、ランキング。コートのカバー、非常にアグレッシブ。とてもよくできていました。サーブはそうではなかったかもしれませんが。
より危険で、より予測できないスタイルになりました。私に対しては、戦術だったのかどうか分かりませんが、バックハンドのダウンザラインを何度も打ち、あのショットで私を苦しめようとしていました。彼と対戦する時はいつも危険があると分かっていました。彼は私が尊敬する選手の一人でした。
全体的にとても強い選手でした。対戦するには素晴らしい選手でした。私たちは二人とも非常にアグレッシブにプレイしようとしていて、素晴らしいショットを打っていたからです。また、彼のプレイは見ていても美しかった。彼が調子のいい時に、私はプレイを見る機会がありました。
そうですね。私が当時感じていたのは、錦織選手はやっぱりまず一点目として、すごいチャレンジ精神でやってくるなというふうに思っていました。また彼の特別な属性として、やはりコートのカバレッジ、コートカバーがすごいです。またバックハンドも、当時プレイヤーの中で間違いなくトップクラスだったと思ってますし、またフォアハンドも非常に強い。と言ってみれば、サーブっていう点においては、それほどそこまでではなかったと思ってますが、しかしそのプレースメントやバリエーションもすごかったと。
それからだんだんアグレッシブなプレイスタイルになってきましたので、非常に危険で予測不能なプレイヤーとして私は警戒していました。そしてバックハンドで、ダウンザラインに何度も打ち込まれました。ますます危険だと思いつつ、非常に素晴らしいという、私は尊敬の念を持って見ていました。なぜかと言うと、マイケル・チャンとどれだけハードな練習をしてるかをよく知っていたからです。また戦術的にもどんどん長けていったというふうに思ってますから、彼のようなプレイヤーというのは、見ていてもアグレッシブで、またショットも素晴らしいので、テニスを見る立場から見ても素晴らしい選手だと思って、私はよくテレビで見ていました。そしてこのスピード感、これも含めて、そういったプレイスタイルが彼を特別な存在にしたんだというふうに思ってますし、ここが最大の差別化なんじゃないかというふうに思います。
錦織選手、今の話を聞いていかがでしたか?
嬉しいですけど、どれぐらいお世辞だったか聞いてもらいます。やっぱりフェデラー、僕から見ても、みんなから見てもそうでしょうけど、やっぱり完璧で、なかなか弱点がない選手。
スピードも、僕自身も結構ツアーの中だったらアグレッシブにプレイする方ですけど、それをさらに上回って、めちゃくちゃ速い展開でボールが返ってきたり。ちょっとこれは僕が変わってるのかもしれないですけど、スーパーショットを結構よく打つんですけど、彼は。スーパーショットを打たれた時に、クソって思うのと同時に、ちょっと嬉しかったりするんですよね。やっぱり自分が好きな選手で、真剣勝負してる最中ですけど、こんなショット打てんのか、みたいなのが。やっぱり彼、特別それが打てる選手なので、ちょっと変わってんのかな、ちょっと、うわ、嬉しい、みたいなのもありますね。
いや、今、錦織選手らしいです。皆さんも今笑ってましたけど、フェデラー選手もどう思われますか? 今の、ちょっと嬉しいという気持ちもあるっていうのは、錦織選手の。
多くの人からの言葉を楽しんでください。選手として、それに値します。素晴らしい選手です。彼がここで私を褒める必要はないと思いますが、そう言ってくれるのはとても親切ですね。特別なことですし、おめでとうございます。
先ほどですね、どれぐらいお世辞なのか聞いてほしいみたいなことを言いましたけれども、まさにですね、素晴らしいキャリアの後に引退をすると、こういうようなことをやっていかなくちゃいけないんです。多くの人がいっぱい褒めてくださるんです。そして錦織選手からも、私のことをすごいと言ってくれましたけれども、こういった褒め言葉もありがとうございます。ただ、錦織選手が本当に特別なプレイヤーであるということは間違いないですし、私も心からそう思って申し上げました。ですからこのような形で、引退のお祝いの席に参加できること、これほど嬉しいことはありません。
本当にね、想像を超える練習、努力があったからこそのですね、今ね。
すみません。ちょっとイチャイチャしちゃって、すみません。
というわけで、ここまで錦織選手の歩みを時系列で振り返ってきました。そしてこれまで錦織選手の歩みや、ずっと応援してきた、その活躍を応援してきたファンが、今日ここに集まってくださっています。テニスではプレイ中に会場が静まり、ポイントが決まると一気にわーっと歓声が起きるわけですが、この声援とか歓声っていうのは、錦織選手にとってどういった存在でしたか?
いや、先日ここで、ジャパンの決勝の時にセレモニーをしてもらって、たくさん歓声を受けながら、すごいいい気持ちになっちゃって。これが最後、歓声を浴びる最後なんだっていうのは、寂しさももちろんあったし、やっぱりこのお客さんの中でプレイができるっていう、この幸せな気持ちはずっとあって、本当に幸せだったなっていうのをすごいかみしめて、あの時は歓声を感じてたので。それがもうなくなるっていうのは、ちょっと寂しい部分もありますけど、それを経験できたっていうことは、僕の人生の次につながる、ものすごいいい経験ができたなっていうので、すごく感謝しています。
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