錦織圭、引退会見で語った「解放感」と「悔い」:日本のテニスに何が必要か

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概要

ユニクロ主催のイベント「UNIQLO LifeWear Day Tokyo 2026 with Kei Nishikori」の終盤、引退を発表した錦織圭が会見に臨んだ。引退発表から1週間。錦織はすでに多くの場で話してきたと前置きしたうえで、引退後の生活の変化、恩人やコーチへの思い、日本から次のトップ選手を出すための課題、そして自分のキャリアへの評価を語った。会見で目立ったのは、テニスに没頭した時間を「幸せだった」と肯定する言葉と、グランドスラムやマスターズを獲れなかったことへの悔いが同時に語られた点である。

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引退を実感した1週間の心境

冒頭の挨拶で錦織は、ユニクロがこうしたイベントを開いてくれたことで、引退することをより実感したと話した。イベントには同じく選手だったロジャー・フェデラーや国枝慎吾も出席し、言葉をかけてもらったという。そのおかげで、今は晴れ晴れとした気持ちで迎えられていると述べた。

一方で、心境は単純ではないとも語った。日が経つにつれて、もう真剣勝負の試合ができなくなることを日に日に感じ、寂しさがある。同時に、これから何ができるのか、何が起こるのかというワクワク感もある。錦織はいろいろな気持ちが「ぐるぐる回って」いて難しい日々を過ごしていると表現し、この期間を経てまた自分なりに成長していけたらいいと話した。

5:36

引退後にやりたいこと:「プランは全くない」

代表質問として日本テレビは、テニスに限らず今挑戦したいことを尋ねた。錦織の答えは、現時点ではプランが全くないというものだった。これまでは24時間を自分のために過ごしてきたが、それが少しずつ変わっていくだろうと考えており、何をするかはこれから探していく段階だという。

具体例として錦織が挙げたのは、引退して2日目ぐらいにしたことだ。ランチを頼み、その後にデザートを2つ頼んだ。現役中にはできなかった小さな幸せを、自分の中で見つけている最中だという。加えて「日本で免許を取りたい」とも話し、記事になりにくいことで申し訳ないと笑わせた。

11:08

体の痛みと薬の制限から解放された

別の記者は、20年以上にわたって次の大会、体のケア、トレーニング、ドーピング規定といったことを常に考えてきた生活が終わったことについて、解放感があるかを尋ねた。錦織は、その点では「めちゃくちゃ解放された」と即答した。

現役中は、生活の中のちょっとした痛みも明日の試合に影響するのではないかと気になり、また痛みが出てきたという小さなストレスになっていた。ジャパンオープンが終わった今も痛みはまだ残っているが、この先に試合の予定がないので「痛くても全然いい」と思えるようになった。それがとても楽だという。

もう一つ挙げたのが薬の問題だ。現役中は薬局でほとんど何も買えず、風邪を引いても必ず病院に行き、服用できる薬を処方してもらうのが常だった。今はドラッグストアで何でも買えるようになり、生活は少し楽になったと話した。

7:04

「第2の錦織」が生まれにくい理由:拠点が欧州にあること

日本テレビは、第2、第3の錦織が出てくるために何が必要かも尋ねた。錦織は、それを解き明かすことは自分の中でも課題であり、日本の選手たちと話しながら探している最中だと前置きした。

そのうえで錦織が指摘したのは、テニスの主戦場がヨーロッパやアメリカ、特にヨーロッパにあるという点である。日本からヨーロッパへ遠征し、ヨーロッパや海外の選手と練習し、メンタルを鍛えるためにも海外の選手と試合をしなければならない。そう考えると、アジアにいること自体が非常に不利だという。アジアにも大会はあるが、同じ賞金額の大会でもヨーロッパやアメリカと比べるとレベルが低く、そこで成長できるかと問われると今は難しいと錦織は見ている。

最も手っ取り早く成長するには、自分がしたように海外に出ることだと錦織は言う。ただし、それは大変でお金もかかり、全員ができることではないことも分かっている。そこを自分が手助けできるのか、何かできたらいいと話しつつ、現状では日本で育ってプロとしてやっていくのは、特に男子の場合は難しいと考えていると述べた。

9:05

若い選手へ:ジュニアの強さを大人になってからも生かすには

最後の代表質問は、世界に挑戦する日本の若い選手へのメッセージだった。錦織は、日本には幸運なことに強いジュニア選手、才能のある選手がたくさんいると考えている。ジュニア時代は、体格ももちろん大事だが、テニスの技術でなんとか戦える部分もある。しかし成長するにつれて心技体、とりわけメンタルが必要になってくる。日本のジュニアの強さをどうにか生かさなければならないと錦織は話した。

そのうえで強調したのが練習量だ。錦織は、若い頃は特に、質も大事だが本当にたくさん練習しないと強くはなれないと考えている。その努力は小さい頃から積み重ねないと厳しい。自分に鞭打って、できる限りの努力を一日一日続けていくことが、どのスポーツでも大切なのではないかと語った。

12:49

盛田正明への感謝と、見せられなかったトロフィー

フリーランスの記者は、ラストマッチや引退セレモニーを見届けた盛田正明について質問した。錦織に大きなチャンスを与えた人物である。

錦織は、キャリアを終えるにあたって本当に多くの人に世話になったが、その中でも最も影響を与えてくれた4、5人を挙げるなら、そこに盛田会長は必ず入ると答えた。錦織は島根で生まれ、13歳まで島根で育った。テニスが強くなるには島根を出なければならないと、親も含めて思っていた。その中でアメリカに行くチャンスをくれたのが盛田会長であり、そのおかげで大きく成長できたという。会長は厳しいことも言ってくれる人で、その言葉に勇気づけられながら頑張れたとも話した。

一つ悔いが残るとすれば、グランドスラム優勝のトロフィーのような大きなトロフィーを会長に見せてあげたかったことだという。錦織はその思いを今回の挨拶の際に本人へ伝えた。盛田会長からは、それ以上にやってくれたことは大きいから、そんなことは思わなくていいと言われ、晴れやかな気持ちになったと明かした。

15:12

テニスが与えてくれたもの:「長い青春を全部注げた」

テニスJPの記者は、テニスとともに生きてきたからこそ得られたものは何かと尋ねた。錦織は、良い意味でも悪い意味でもテニスしかやってこなかったと振り返った。そのテニスを通じていろいろな人に出会い、いろいろな人と対戦して成長できたという。

テニスとは何だったのかと考えると、自分の「めちゃくちゃ長い」青春時代をテニスに全部注げたと強く思う、と錦織は語った。地球上の誰もができることではなく、一つのことに人生を注ぎ込めた。辛いことも楽しいこともあったが、それも含めて没頭できた時間は本当に幸せだったと改めて感じているという。

錦織が特に挙げたのは怪我の経験である。何度も怪我をし、復帰のために地味な生活を続け、また強くなるために頑張った時間が、自分を大きく成長させてくれたと考えている。怪我がなければそれはそれで良かったが、怪我をしたからこそ得たものもたくさんあった。そうした気持ちや経験を、特に若い世代と共有できたらいいと話した。

17:30

日本テニス史の中での位置づけと、アジアのテニスへの希望

英語で質問した記者は、熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎といった歴史的な日本人選手の名前を挙げたうえで、錦織を最も成功した日本のテニス選手だと評し、どう記憶されたいかを尋ねた。通訳を介した回答で錦織は、アジアでナンバーワンの選手になれたことを誇りに思うと述べた。そして松岡修造をはじめ、尊敬すべき日本の選手が多くいることにも触れた。

若い世代には自分のことを覚えていてほしく、自分の後に続いてほしいという。錦織の希望は、アジアのテニスがもっと発展することだ。ただし簡単ではないとも認めた。トップ選手の数が少なく、世界のトップ10に入ったのは自分だけだったからだ。それでも何らかの形で役に立ち、より多くの選手をトップ50、トップ30に送り込みたい。それが自分の目指すところだと語った。

19:21

セレモニーで再会したコーチたち:マイケル・チャンとダンテ

引退セレモニーには、歴代のコーチやチャン・ファミリーなども駆けつけた。懐かしい顔を見て思い出したことを問われると、錦織はまず、コーチを比べるのは申し訳なく、みんなの少しずつの力添えがあって今の自分があると断った。そのうえで、マイケル(・チャン)の存在は大きかったと話した。最も刺激を与えてくれ、テニスを変え、人間としても成長させてくれたのが彼だったという。その彼がわざわざセレモニーに来て同じ時間を過ごせたことが、とても嬉しかったと述べた。

同時に名前を挙げたのがダンテである。IMGでずっと一緒に練習し、大事な時間をともに過ごしてきた。セレモニーの夜、パーティーのような形でみんなで集まった際、ダンテは号泣して話せなくなってしまったという。錦織は、それほどの気持ちでずっと一緒に過ごしてくれていたのだと、深く感じ入ったと語った。

21:18

引退後のロールモデル:人に会うことと、ジュニア支援の形

日経の記者は、フェデラーがイベントで「いろんな新しい人に会って知見を深めてほしい」と話していたことに触れた。そのうえで、世界を回ってテニスを伝えるフェデラー、アカデミーを作ったナダル、引退後にトップ選手を育てたフアン・カルロス・フェレーロのように、ロールモデルになる元選手はいるかと尋ねた。

錦織は、フェデラーの言葉はすごく刺さったと答えた。引退後、自分もそうした思いを持っていたという。これまではテニスばかりで多くの人と出会う機会がなく、人と会うことも得意ではなかった。基本的には家で過ごしていた。それでも、これから何をするにしても、いろいろな人に会って話を聞き、意見を聞くことは大事だと考えており、得意ではないがやっていきたいと話した。

フェレーロについては、引退後すぐにジュニアの遠征に同行し、小さな国にもわざわざ行って教えていたと聞いているという。錦織は、今はそれを100%できるわけではないと認めた。ただ、アジアの選手にトップへ行ってほしい、テニスに関わりたいという思いは少なからずある。その形として、日本でアカデミーやテニスクラブを運営するのか、それとも自分が盛田会長から海外に行く機会をもらったように、自分のファンドなどでジュニアに貢献できる仕組みを作るのか、いくつかの可能性を挙げた。

将来的にやりたいことはたくさんあるが、今すぐではなく、何が正解なのか、何が日本のジュニアを最も早くトップ選手に近づけられるのかを、いろいろな人に相談しながらじっくり考えたいという。話を聞いてみたい人を改めて問われると、錦織は「高市総理かな」と冗談めかして答え、会場の笑いを誘った。

24:48

自己評価は「50ぐらい」:残る悔いと劣等感

エスクァイアの記者は、フェデラーが錦織について「見えない天井を押し上げてきた」と評したことを紹介し、自身の達成度を100点満点で表すとどのくらいか、残りを埋めるには何が必要だったかを尋ねた。

錦織は「あまり言いたくないですけど」と前置きし、「50ぐらい」と答えた。理由として、自分は幸いにも海外で戦い、世界のトップ選手を見ながら育ったことを挙げた。そのため、日本ナンバーワンやアジアナンバーワンになることはあまり嬉しくなく、そこを意識したこともほとんどなかった。目指していたのはあくまで世界のトップだったという。

フェデラーに言われて、目標とするアジアの選手がいない中で天井を押し上げられたこと、この体格でそれを成し遂げたことは、自分でも頑張ったと思えたし評価できる部分だと認めた。しかし、目標にしていた世界1位やグランドスラム優勝、せめてマスターズの優勝は取りたかったと述べ、そこには非常に悔いが残っていると語った。

錦織は、マイケル・チャンをはじめいろいろな選手にこの話をすると、みんな「そんなことないよ」と言ってくれるという。それでも自分の中では、他の選手に比べて劣っている部分だという劣等感があり、悔いは残っていると率直に語った。

27:36

ファンへのメッセージ:日本でスポーツの価値を上げたい

質疑の最後に、ファンへのメッセージを求められた錦織は、これまでの応援への感謝を述べた。日本人としてテニスを話題にでき、多くの人がテニスを好きになって応援してくれたからこそ、ここまで頑張れたという。

最近では大坂なおみも日本を背負って一緒に戦ってきた。錦織は、日本でテニスをもう少し大きくしたかったという思いがあると明かした。一方で、坂本(怜)のような新しい選手も出てきており、そのサポートにも触れた。さらに視野をスポーツ全体に広げ、ヨーロッパやアメリカではスポーツが非常に大きな価値を持っているのに対し、日本ではまだそうなっていないと指摘した。日本でもスポーツの価値を上げていけるような働きができたらいい、と語って会見を締めくくった。