霊媒師・飯塚唯を通じて亡き両親の言葉を聞いた恭平──父の後悔、母の気がかり、幼なじみヒカルの証言

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概要

ヒカルの幼なじみである恭平は、中学2年で母を病気で、高校1年で父を事故で亡くしている。どちらとも最後の言葉を交わせなかった。今回、恭平はヒカルチャンネルにたびたび登場する「ギャル霊媒師」飯塚唯(ゆい先生)に、両親が今どんな思いでいるのかを見てもらった。恭平自身は「そういうのを信じるタイプではない」と前置きしている。そのうえで、ゆい先生が語る両親の言葉は、恭平とヒカルが知る過去の出来事や恭平の性格と照らし合わされていく。後半は、二人の学生時代の関係や恭平の夫婦関係にまで話が広がった。

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恭平が両親に聞きたかったこと

依頼の動機について、恭平はこう説明した。母親は病気で入院し、そのとき父親は医師から「3か月」と告げられていた。しかし子どもたちはまだ中学2年だったため、父親の判断で余命は伝えられなかった。恭平にとって母の死は突然で、病院から連絡を受けたときにはすでに息を引き取っていた。死に目には会えず、「もっとこんなことを話したかった」という思いが残っている。その2年後、父親も事故で亡くなった。

二人ともほとんど何も言えないまま別れたことが心残りだという。天国の両親とわずかでもつながれるなら、どんな思いでいるのかを聞いてみたい。それが今回の依頼だった。恭平は、当たるかどうかは分からないし、霊媒師に何かを相談したこともこれまで一度もないと話す。それでも、ヒカルチャンネルで何度も見かけた人物であり、その縁もあって気になっていたという。

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ヒカルの見方と、事前に渡した情報

ヒカルによると、これまでチャンネルでゆい先生に頼んできたのは主に除霊だった。不調が続く人を見てもらい、そこから人生が好転していくという企画が中心で、死者とつながる企画は以前に一度、亡くなった犬について話した回があった程度だという。

ヒカルも霊的なものを信じるタイプではないと言う。ただ、ゆい先生の撮影を何度も重ねるうちに「この人は能力を持っているのかもしれない」と思う場面が何度もあったと語る。原因不明の体調不良が除霊後に回復した例や、部屋の特定の場所に何かがあると指摘された例を挙げ、そういう世界はあるのかもしれないと少しずつ思うようになったという。ヒカルは「何も見えない人がオファーを受けて来ても嘘をつくしかない」とも述べ、この状況で来るなら本物でないと来られないのではないか、という見方を示した。事前にゆい先生へ伝えたのは「写真と形見を持ってきてほしい」ということだけで、それ以外の情報は一切渡していないとヒカルは強調している。

「死者との対話」という仕事と、先生が持参した料理

ゆい先生は、死者の思いを伝えることを仕事として行っていると説明した。方法は二通りある。自分に乗り移らせて泣いたり体感したりしながら伝える場合と、普通に対話する場合だ。依頼の割合は除霊7割に対して対話が3割ほどだという。YouTubeでほとんど見られないのは、一般の依頼者の話はプライバシーに踏み込む内容が多く、伏せてほしいと頼まれることが多いからだという。また、霊が見える状態のオンとオフを切り替えることを修行で最初に身につけるとも話した。それができないと精神を病んでしまうからだという。

ゆい先生はこの日、料理を持参していた。母親からは漬物と煮物が食べたい、父親からは野菜炒めかレバニラが食べたいという声が聞こえたという。ただ、ちょうどいいものがなかったので野菜の入った肉料理として回鍋肉を選び、二人分の水も用意した。ゆい先生によれば、事前に恭平の自宅の仏壇が一瞬映る動画が送られてきており、それを見た瞬間に胸のあたりが「ざわざわ」と激しく動く感覚があり、これらの声が流れてきたという。母親の気配の方が強かったとも言う。恭平は「母親の方が俺にいろいろ思っているんだろうなという気はしていた」と応じた。

本題に入る前には、ゆい先生の近況にも触れられた。ゆい先生は最近Instagramのアカウントを2度凍結されるなど大変な時期を過ごしていたが、炎上との向き合い方についてヒカルから助言を受け、元気を取り戻したと話した。また、セットに焚かれたお香やキャンドルの匂いについて、恭平は苦手だと打ち明けた。通夜の悲しい記憶がよみがえるからだという。

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中高生だったヒカルが見た恭平の喪失

ヒカルは当時のことを振り返った。同じ35歳でも、ヒカルは両親も健在で、身内の死はほとんど経験していない。一方の恭平は、祖父母も含めてすでに全員を亡くしている。父親が亡くなる直前、ヒカルは恭平の家の車庫で食事をごちそうになっており、知らせが村に入ってきたときは「さすがにそれはないやろ」と信じられなかったという。

ただヒカルは、高校1年当時、恭平がどれだけ辛かったのかは正直分かっていなかったとも認める。親の世代は「かわいそうに」と気遣っていたが、思春期の同級生たちはむしろ無邪気だった。それが現実だったとヒカルは語った。

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父の言葉──最後の記憶と「プライドを捨てろ」

ゆい先生は恭平に、手のひらを合わせて親指と小指だけをつける形で写真を持たせ、胸元に構えて目を閉じ、深呼吸をするよう指示した。両親の名前を聞いたあと、数分間の沈黙が続いた。

ゆい先生が最初に伝えたのは父親の最期の感覚だった。右足の膝から下が痛み、しびれ、苦しさが強かった。痛みのあまり麻痺したようになり、痛みが消えていく感覚の中で「自分はもうダメなんだろう」と一瞬思った。それが最後の記憶だったという。

続いて伝えられたのは息子へのメッセージだった。ゆい先生によれば、父親は「男の子だから、くどくど言って教えるものではない」と考えるタイプだった。息子は自分に似て頑固なので、口を挟めば逆効果になる。だから背中を見て男として成長してくれればいい。それが自分の愛情であり教え方だった、という。そのうえで父親は、素直に生きろ、変な意地とプライドは捨てておけ、と伝えてきたという。自分はプライドを高く持ちすぎて後悔したことや失敗したことがある。とっさに啖呵を切ってはすぐに後悔するのに、「俺はいいんだ」と言うしかない性格だった。その真似はするな、大事なものを失うぞ、と。父親は妻からの信頼を一度なくしかけたとも語ったという。

恭平はここで「ありました、そういう時が」と涙ぐみながら認めた。ゆい先生は、普段はくどくど話すタイプではないと照れくさそうにしていた父親が、せっかくの機会だから「親としてではなく男同士として」話したいと言っていた、と説明した。また、死者が夢に出てきても喋らないことが多いのは、悪い意味だけではなく「言うことがない」場合や、本人の心の準備ができていない場合もあり、逆によく話すときは注意を促しているときだ、とも述べた。

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「まあまあまあ」とはぐらかす父

ゆい先生が描いた父親像は、恭平とヒカルの記憶とよく一致したようだ。ゆい先生によると、父親は「言わなくても分かるだろう」という気持ちが強く、真面目な話になると笑ってはぐらかす人だった。最初は「まあまあまあ、いいですよ」と断られ、「せっかくなので」と頼むと笑いながら応じた。恥ずかしいのだろうと感じたという。恭平が質問を受けて最初に見せた反応がその父親によく似ていた、とも指摘した。

ヒカルも、恭平の父親は多くを語らず、真面目な話を嫌い、冗談で逃げる「昭和の男」だったと振り返る。一方で背が高くすらりとしていて、野球がうまく、子どもたちに好かれる父親で、同級生の間でも人気があった。厳しい人だったが恭平は憧れており、父親がピッチャーだったから自分もピッチャーをしたという。恭平は、先生に言われてみると自分は父の背中を追いかけていたのかもしれないと話した。ゆい先生はその背中を、恭平にとって尊敬しているが超えられない「大人の壁」のようなものだったと表現した。

父が最も悔いていたのは妻との関係

恭平は、父親に「母が先に亡くなった分、自分が長く生きて子どもたちに背中を見せたかった」という後悔はないのかと尋ねた。ゆい先生の答えは、いちばん大きな後悔は妻に対するものだ、というものだった。自分の死そのものよりも、妻の信頼を一瞬で失ったこと、要らぬ心配をかけたこと、そこから妻の自分への向き合い方が明らかに変わったことを悔いているという。「俺なりに愛情は注いでいたが、妻が望むものと違った。どこで食い違ったのか分からない」「女性の扱いは苦手だ」と語っていたとゆい先生は伝えた。父親自身の身体の苦しさを聞いたときよりも、母親の話を聞いたときの方が涙が出たとも言う。

ゆい先生の説明では、父親は息子なら自分が怒っても真意を分かってくれるし嫌われることもないと安心していた。しかし妻には、本音を本気でぶつけると傷つき、溝ができてしまった。相手によって伝え方を変えなければいけなかったと悔いている、という。

ヒカルは、恭平が昔から「母親が亡くなってから父親が人が変わったようになった」と言っていたことを思い出した。恭平自身も、仏壇に手を合わせるような人ではなかった父親が、母の死後は泣きながら仏壇に向かってぶつぶつと話し続けていたと明かした。「あの時もっと優しくしていればよかった」と後悔しているのだろうと思いながら、その背中を見ていたという。ゆい先生は、父親が「もうあとはない」とはっきり言い切る人だったとも伝え、恭平は「まさにそう」と応じた。兄弟げんかをしても注意はせず、悪い方を叩いて終わり。男同士のけんかは勝手にしていればいい、という人だったと恭平とヒカルは振り返っている。

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母の言葉──家族を大事に、話は先に聞け

恭平とヒカルが父親の話をしている途中、母親が笑っていたとゆい先生は言う。「もっと苦労したのよ」「不器用だから」と言っていたそうだ。言いたいことをはっきり言わず、言い方も下手で素直に伝えてくれないので、自分も頭に来てしまった、という。

ゆい先生が伝えた母親からのメッセージの中心は「家族だけは大事にしなさい」だった。何があっても助けて守ってくれるのは家族だから。夫と噛み合わないと感じる日々があっても、恭平や子どもたちがいたから頑張れた。そして、恭平は父親に似て頑固なところがあり、父親はけんかになると相手が言い切る前に言い返していたので、まず先に話を聞いてから伝えるようにしなさい、とも言っていたという。

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「お腹が弱いのは母方の家系」という指摘

ゆい先生は、母親の最期の痛みを体感したと話した。吐き気が押し上げてくるような感覚と、下腹部の痛みだったという。そこから恭平の体質に話が移った。ゆい先生によれば、母方の家系は食べたものをうまく分解・消化しにくく、栄養が届かないまま出てしまうため、食べても太りにくい。恭平は、すぐお腹を下すことや、いくら食べても太らないことを認め、母方の兄弟もみな線が細いと話した。ヒカルも、昔は自分の方が細かったのに今は恭平の方が細いと付け加えた。

ゆい先生は、性格や考え方は父親譲りだが、内臓など体の面は母方に似ており、母親が今いちばん心配しているのは恭平の体だと述べた。ストレスは心にも体にもすぐには出ず、時間が経ってから弱い胃腸に来るタイプだという。腰痛が多いのも胃腸の痛みが響いているためだと説明し、腎臓の数値を含めて血液検査を受けるよう勧めた。恭平は腰が痛くなることが実際によくあると答えている。ヒカルは「体ボロボロじゃないか」と冗談めかしつつ、恭平は普通の人が気にしないところで変に繊細になると昔から感じていた、と話した。

母親は母方の祖父と一緒にいるので安心して、とも言っていたという。ゆい先生はこれを、成仏しているという意味だと説明した。

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急に「エンジンが切れる」恭平と、ヒカルの証言

ゆい先生によれば、母親は恭平について、人前では元気に振る舞うが実はネガティブで考えすぎるところがあり、子どもの頃から急に「エンジンが切れる」ことがあった、と語っていたという。ヒカルはこれに強くうなずき、学生時代の恭平の人間関係の特徴を詳しく語った。

ヒカルによると、恭平は付き合う友達のグループが「ブーム」のように移り変わる。あるグループと深く付き合っていたかと思うと、数か月後には別のグループに移っている。原付の免許を取ってバイクにはまっていた時期はバイク仲間とばかりいたが、それも途絶えた。ある友人は、親友のように一緒にいた恭平に急に構われなくなり、「何かしたのか」とヒカルに相談してきたという。ヒカルは「あいつはそういうやつだから深く考えていないと思う」とフォローしたそうだ。連絡の返事が急に遅くなる時期もあり、友人の間では「今はそっとしておくしかない」と共有されていたという。

ヒカルは恭平を「人たらし」と表現した。夢中になった相手を面白くしてしまうので、相手はみな恭平を一番の友人だと思う。しかし恭平にとっての一番が誰なのかは分からず、ヒカルは自分は「7番手ぐらい」だろうと冗談を言った。恭平の側は、仲良くなると相手の心に入り込み、相手の気持ちになって話してしまうので疲れるのかもしれないと話す。ゆい先生は、無意識に人に合わせる側に回っているので、急に人疲れが起きるのではないかと述べた。そして、母親は恭平がもともと一人が好きな子だと分かっていて、何かに夢中になっているときはそっとしておき、友達との関わりが盛んな時期を見計らって話しかけていた、と伝えた。恭平は「母親には全部見抜かれていると思っていた」と応じた。母親は、父親に似て外ではかっこつけてしまう「うちの男」を心配していたという。恭平自身も、両親を亡くしたあと暗くなるのが嫌で、学校では落ち込んだ姿を見せなかったと振り返る。家に帰ると疲れていたという。

ヒカルは、当時は恭平への接し方が分からなかったと打ち明けた。普段は何でもいじり合う関係で、人の死さえネタにしていた。それが当事者になると、どこまでいじっていいのか、同情すべきか、変わらず笑いを取りに行くべきか分からず、高1の頃は距離が近くならなかったという。

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「一番の友人」と、一度の失踪

話の流れで恭平は、妻に「結局一番の友達は誰なのか」と聞かれたとき、出した答えはヒカルだったと明かした。人に言えないような経験も含め、深い相談ができたのはヒカルだけだったという。普通の相手は気を遣って言葉を選ぶが、ヒカルはずばずば言う。その通りにすると全部うまくいくからだ、と恭平は説明した。

ヒカルはこれに対して、昔は言う通りにしてもらえなかったと返した。ヒカルがビジネスを始めた頃、恭平に「お前が日本で一番面白い」「俺の中のスターはお前しかいない」とLINEで褒め続けたところ、恭平は詐欺に利用されるのではないかと疑い、連絡を絶って「失踪」したという。恭平は、ずっと一緒にいた相手が急に今まで言わなかったことを言い出したので怖くなったと説明した。ゆい先生は、友情にお金が絡みそうになった途端に身構えてしまう人なのではないか、と見立てた。

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ヒカルが抱えていたコンプレックス

ここでヒカルは、学生時代の自分について率直に語った。恭平は自分にとって圧倒的なスターで、みんなに好かれる存在だった。自分はそうなりたかったがなれず、恭平と仲良くすることで疑似的に人気者でいただけだ、という。

ヒカルによれば、自分は昔から気にしいでビビりだった。クラスメイトだけでなく他学年の生徒の名前や出席番号まで頭に入れ、誰と誰が仲が良いか、誰が誰を好きかといった情報を組織的に覚えていた。何かあったときに弱みを握られたらどうしようと考えていたからだという。その情報を恭平に流し、恭平が笑いを取る。その隣にいることで、自分も面白いやつというポジションを確保していた。恭平はヒカルを「歩く週刊誌」と呼び、ヒカルは自分の役割を「プロデューサー」のようなものだったと説明した。ゆい先生は、幼少期にそうやって考えて立ち回った子は必ず出世し、暗記力や記憶力が発達した可能性がある、と述べた。

ヒカルは、自分が人気者になれるとは思っていなかったので、YouTubeも最初は顔を出さずゲームで人気を得ようとしたと話す。手応えを感じた段階で恭平を誘ったが、恭平は続かずにやめた。その後ヒカルが人気になってから再び誘ったときには、恭平にはすでに家庭があって来られなかった。それでもヒカルは今も、いろいろな人と出会ってきたうえで、恭平は面白さで負けていない、本気になればすごいのではないかと思っているという。ゆい先生は、スターになる人は女性的な面と男性的な面を併せ持っていると述べ、二人はその両方を持っている、相性もよく、恭平はヒカルにとって時に盾にもなる存在だと語った。これに対しヒカルは、高校時代にけんかの場面で恭平が「後で行く」と言ったまま来なかったことがあると持ち出した。詳細はメンバーシップで話すことになった。

妻との向き合い方と、村の慣習

終盤、話は恭平の現在の夫婦関係に移った。ヒカルは、父親のメッセージの要点は「妻に対して意地を張りすぎるな」ということだとまとめ、ゆい先生もそれに同意した。母親も、妻の話をちゃんと聞いてから意見しなさい、漠然とした悩み、特にお金のことを考えすぎないように、と言っていたという。ヒカルは恭平には昔から金運があると感じていると言い、ゆい先生も、お金や人の巡りは勝手に来る人なので心配はないと述べた。ただ、考え込むと動きが止まり、人の話が耳に入らなくなって妻とのすれ違いが増える。だからお金の心配はやめて妻との関係を気にかけなさい、という意味だと解釈した。母親は「あんた、気づかないところが多いのはお父さんとそっくり」と言っていたという。

恭平は妻と大きなけんかをしたことはないと話す。ただ、妻が自分をうまくコントロールしてくれているからで、我慢させている可能性もあると認めた。ゆい先生は、妻は普段言わずけんかもしないタイプだが、限界に来ると「ご飯用意してないから自分で作って食べといて」といった素っ気ない言い回しになるなど、家の中での距離感が変わるだろうと注意を促した。

ここで恭平は、自分の経験を明かした。結婚後、妻と祖母の間でいろいろあったとき、祖母に世話になった「おばあちゃん子」だったにもかかわらず、恭平は妻の側に立ったという。父親が同じような場面で母親の側に立たず、それで母親の信頼を一度失ったのを見ていたからだ。「同じことは絶対に繰り返したらあかん」と迷わず決めたという。ゆい先生はこれを聞いて、母親も村のしきたりや古い慣習が嫌だったと言っている、と伝えた。地元には女性が一歩下がるべきだという男尊の文化があり、恭平の父親は村の面子を気にする人だった。母親は他所から嫁いできたため、相談すれば悪い方に変換されて広まりかねず、父親も「指をさされて笑われる家」になることをひどく嫌った。だから誰にも相談できず、笑顔で自分の中で消化するしかなかったという。

ゆい先生は、恭平の妻も同じように言えないストレスを自分で消化している状態であり、母親はそれに気づいてほしいと伝えたかったのだろう、と述べた。母親は、恭平が自分と似た女性を妻にすると思っていたとも言う。恭平は、村の人から妻と母親が「そっくり」だと言われていると明かした。

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「すっきりした」恭平と、背中に置かれた手

ゆい先生は「話すことがなくなった」と言い、恭平も、もやもやしていたものが晴れたと話した。両親が成仏していることを改めて確認すると、恭平は「全然信じてなかった。ほんまにすいませんでした」と笑い、昔のエピソードまで出てくるとは思わなかったと驚きを語った。ヒカルは、恭平は地元に帰ったら今日のことを全員に話すだろうと予想した。

撮影後、ヒカルは、ゆい先生が話し始めるまでの沈黙がいつもより長く、5分ほど続いていたと指摘した。恭平は、その間ゆい先生に背中へ手を当てられた瞬間、頭を押さえられるような「ドン」という感覚があったと話す。ゆい先生によれば、そのとき父親が前に来ていた。男同士で話すなら面と向かって話さなければ、という父親自身のポリシーから来たのだと思い、自分を通じて父親が恭平に触れ、重さや温かさを感じられるよう背中に触れたのだという。恭平は「親父が来とったんや」と受け止めた。

最後にヒカルが自分の父親についても尋ねると、ゆい先生は以前に会ったときの印象として、我が道を行く覇気の強い人で「大丈夫そうだ」と答えた。ヒカルは「死んだ時はお願いします」と冗談めかして締めくくった。