元自衛官・30歳の橋本幹彦議員が語る、国民民主党代表選への出馬と「国会のアップデート」

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概要

日本テレビの番組「岸谷蘭丸の政治ゼミ」に、国民民主党の衆院議員・橋本幹彦氏がゲストとして出演した。橋本氏は1995年生まれで、本人いわく「Z世代の始まりの頃」にあたる。聞き手は教育事業家で番組MCの岸谷蘭丸氏(25歳)と、日本テレビ解説委員の竹内真氏だ。

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話題は、選挙区に縁のない「落下傘候補」として28歳で小選挙区に勝った経緯、政治家を志した原体験、玉木雄一郎代表に挑んだ代表選の狙い、新人議員の日常、そして国会をどう変えるべきかに及んだ。橋本氏が一貫して述べたのは、自民党に代わる選択肢がなければ民主主義は腐敗するという考えと、国会を「結論が決まった後の儀式」から実質的な議論の場に戻したいという問題意識である。

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「闇鍋」のような選挙区で、28歳で小選挙区を制した

橋本氏の初当選は2024年10月の衆院選だ。岸田政権から石破政権に替わった直後で、裏金問題で自民党が強い批判を浴びていた。この選挙で自民党は単独過半数どころか、公明党と合わせても過半数を失い、久しぶりの少数与党となった。

ただし橋本氏によると、自民党が落ち目だから野党が勝てるという状況ではなかった。選挙区(埼玉県北東部)には6人が立候補していた。れいわ新選組の候補がいて、山本太郎氏が何度も応援に入った。共産党や日本維新の会の候補もいた。さらに、同じ「橋本」姓の無所属候補まで出馬した。そのため有権者には「橋本だけではだめなので、下の名前の幹彦まで書いてください」と訴えたという。当時の国民民主党の支持率は0.何%で、客観的には維新のほうが政党支持率は高かった。岸谷氏はこの顔ぶれを「闇鍋みたいな選挙」と評している。

勝因について、橋本氏は地域の政治史を挙げた。その地域には、自民党ではないが志を持って政治に取り組んできた人々がいる。その人たちの心をどう結集させるかを考えたという。「党は嫌いかもしれないけれども応援してくれないか」と頼んで回り、そこまで声をかけるのかというほど多くの人と会った。選挙区には農地も工業団地も住宅地もあり、多様な地域だった。その中で地域の「インフルエンサー」を見つけ、信頼関係を築くことを重視した。地元に知り合いがいない状態からのスタートで、昔から政治に関わってきた人たちが「橋本なら託していい」と言ってくれたことがありがたかったと振り返る。

組織票がほとんど出ない地域だったため、無党派層への接触が中心になった。始発から終電まで、1日20時間ほど駅前に立ち続けたこともあるという。朝は忙しい人がほとんどで「はいはい」と通り過ぎていくが、帰りにもう一度会うと「ちょっと話してみようか」となり、会話が生まれる。そうして支持がじわじわ広がったと橋本氏は語る。本人は「タイパの悪いインフルエンスのやり方」と認めつつ、そうしなければ政治の世界はなかなか変わらないとも述べた。

竹内氏は、祖父の代から続く世襲議員なら20代での当選も珍しくないが、選挙に縁のない落下傘候補が20代で小選挙区に勝つ例は「ほとんどいないのではないか」と評価した。岸谷氏も、25歳で当選した大空氏(自民党)が比例での当選であり、石破政権下の逆風の中、前評判が高くても選挙区では勝てなかったことを引き合いに出し、小選挙区での勝利を「かっこいい」と話した。

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高校3年で政治家を志した原体験:無償化と非常勤講師の父

橋本氏が政治家になろうと決めたのは、高校3年の6月、夏休み前だという。それまでは大学を出て外務省に入り、外交の仕事に就きたいと考えていた。杉原千畝や新渡戸稲造の伝記を読み、世界で活躍し、世界と日本のために働ける人物に憧れていた。しかし、高校の先輩で官僚になった人の話を聞くうちに「思っていたのと違う」と感じた。年功序列のような環境では裁量がなかなか得られない。その中で、自分がどうやって社会にインパクトを与えられるかを考えるようになった。

転機になったのは家庭の事情だった。橋本氏が県立高校に入る前年、民主党政権のもとで公立高校の授業料が無償化された。4人兄弟の6人家族だった橋本家は、これにかなり助けられたという。父は出版社勤めから学校教員に転じたが、教育予算が絞られていた時期で、非常勤講師を10年ほど続けていた。非常勤講師は時間給のため、夏休み直前の7月には教員としての月収が3万円という月もあった。父は塾講師もかけ持ちし、母も働いて家計を支えたが、6人家族が暮らせる水準ではなかった。橋本氏は10歳下の弟の面倒も見ていたという。

天然資源のない日本は人を育てることで豊かになったはずなのに、なぜこれほど人を大事にしないのか。高校生の橋本氏はそれが悔しかった。社会に貢献したいという幼い頃からの思いと、この状況を変えたいという思いが重なり、政治家を目指すことにしたと語る。

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「普通の政治家にはならない」ための人生設計:20代は自衛官

ただ、橋本氏は既存の政治家と同じ道を歩むことに疑問を持った。問題意識を持った政治家がこれだけいるのに、社会はこうなっている。だから自分はそういう政治家にならないよう生き方を決めた、という。政治家への典型的なルートとしては議員秘書や官僚を経る道があり、橋本氏も「正当な道」と認める。しかし自分は別の生き方を選び、20代は自衛官、30代は民間で稼ぎ、40代から政治に取り組むと計画していた。自衛官としての職務には真剣に取り組んだが、最終目標は政治家だったという。

岸谷氏はここで、「問題意識を持った優秀な人が政界に入っても、政界の構造のせいで問題意識を失うのか。それとも、そもそも優秀な人が政界に行かない構造なのか」と尋ねた。橋本氏は「まさに今自分が直面している課題」と前置きし、政界にも優秀な人は大勢いると感じると答えた。問題は国会の力の弱さだという。議院内閣制のもとで長く政権を担ってきたのは自民党で、党内の論理で物事を決める期間が長すぎた。国会に法案が出る時点で結論は決まっており、多数で通ることもほぼ保証されている。その結果、委員会や本会議の議論は形だけのものになりがちだと指摘した。

そうした状況が続いた結果、国民の間には「国会議員は仕事をしていないのでは」「定数削減や歳費カットをすればいい」という感覚すら広がっている、と橋本氏は見る。本来、民主主義は国民一人ひとりが考えるものだが、全員がそれに専念できるわけではないので、代表者を通じて行動する。その代表者への不満や不信がここまで募っていることも問題だと述べた。永田町に「染まる」ことについては、自分は染まらないよう努めており、染まったかどうかは有権者が判断することだと答えた。竹内氏は、組織に染まりすぎてはいけないが、全く染まらないアウトローでは影響力を持てず世界を変えられないとし、その間で志を持ち続けることが最も難しいと補った。

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なぜ国民民主党だったのか:F-2部隊の「張り子の虎」

岸谷氏は、野党から出ても何もできない、自民党の中で上がらなければ国は変えられないと考える人もいる中で、なぜ国民民主党を選んだのかと問うた。橋本氏の答えは、「もう一つの選択肢を用意しなければ民主主義は腐敗していく」というものだった。その緊張関係の形が二大政党制か多党制かについては議論があるとしつつも、自民党に代わる選択肢をつくる必要があると強調した。

この考えの背景として橋本氏が挙げたのが、航空自衛隊での経験である。短い期間ではあるが、福岡の築城基地で青いF-2戦闘機の部隊に所属し、整備の現場にいた。部品も人手も足りず、当時は弾薬も不足していたという。橋本氏が「張り子の虎のようだ」と言うと、先輩から「張り子の虎どころじゃない。顔も欠けているし、片足もないかもしれない」と叱られた。それでも「ちゃんと守れる」とアピールしなければならないため、現場では部品を別の機体から付け替える「共食い整備」で機体を維持していた。

防衛の現場がそうであり、教育の現場でも、自分が高校時代に見たように先生方が教員の仕事だけでは生活できない環境が多くある。こうした社会をつくってきたのは間違いなくこれまでの自民党政治であり、だからこそオルタナティブをつくらなければ変わらない、と橋本氏は語った。

国民民主党を知ったのは、新しい国民民主党の結党から1年ほど経った頃の候補者公募がきっかけだった。「自分の国は自分で守る」「給料が上がる経済の実現」「人づくりこそ国づくり」という主張を見て、「まさにこれだ」と感じたという。自分が経験してきたことを正面から訴える集団があり、それを支えなければ一生後悔すると思った。竹内氏が「当時は立憲民主党のほうが強く、確率論でいえば立憲から出たほうが当選しやすかったのでは」と尋ねると、橋本氏は、ただ議員になることだけを目指すなら大きな党から出ただろうと認めた。そのうえで、戦後の大半で政権を担ってきた自民党に対するアンチをどうつくるかを考えたとき、国民民主党のスタンスが良いと思ったと答えた。実は立憲からも自民からも声がかかり、さまざまな働きかけがあったという。公認を受けた後でも、活動が目立つと声がかかることは人によってはあると述べた。

維新やれいわなど他の改革系政党ではなく国民民主党を選んだ理由として、橋本氏は「新しい政治」の感触を挙げた。岸谷氏が国民民主党のスローガン「対決より解決」に触れると、橋本氏は政策の考え方や文章、動画を見て「一番落ち着いて見ていられた」と答え、政策的な居心地の良さがあったと語った。岸谷氏は、自分が子どもの頃に見てきた立憲・自民以外の野党は、突拍子もないことで注目を集めたり、実現できないキャッチーなことを言ったりする印象だったと述べ、その違いには納得できると応じた。岸谷氏はまた、野党第一党が弱すぎることは憂慮すべき問題だと話した。橋本氏も、この状況では驕りが生まれるとし、最近の農水大臣の発言にも触れた。議員は投票しなかった人も含めた国民の代表者であり、その点を自民党を含む政治家全体で変えていく必要があるという。

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代表選への出馬:「国会議員中心の党になっていないか」

岸谷氏は、共感して入った党の代表に挑むことは「反旗を翻す」ようにも見えると率直に尋ねた。橋本氏は、国民民主党は良い集団だと思っているが、自民党に代わる選択肢になるにはまだ足りない部分があると答えた。

根拠として挙げたのは、選挙区での日常的な経験だ。困りごとを尋ねて回ると、2人に1人は「どこの党か」と聞いてくる。国民民主党だと答えると、「玉木さんの党ね」「玉木さんは嫌いだから」と言う人もいる。橋本氏は「玉木さんが嫌いでも関係なく応援してほしい」と頼むが、まだ広く国民の支持を集めていないと感じるという。日本で二大政党制は難しいと考えているが、小選挙区で戦う以上は1位を取らなければならない。有権者にとって「自民党か国民民主党か」という二択にならなければ、特に新人は勝ちにくい。自分に投票した人の中には国民民主党を支持していない人もいるので、そうした声も党内に届けたい。そうして脱皮しなければ、日本の政治で責任ある立場には立てないのではないか、と述べた。

玉木代表や榛葉幹事長の発信力は素晴らしく、103万円の壁やガソリン減税で「30年ぶり、50年ぶりの革命的なこと」を実現したこと自体もすごいと橋本氏は認める。そのうえで、「国会議員が中心の党になっていないか」と問題を提起した。政治家は有権者から委任された代弁者で、議員一人ひとりが代弁者である。それなのに国民民主党の中にも、他党と同じように年功序列や当選回数による影響力の差がある。期数が長い議員には確かに知恵があり、感心させられることも多い。しかし「上の人がすごいから従えばいい」という雰囲気にはしたくないという。自分たちで政策も党もつくっていく感覚がなければ、今の政治のどんよりした空気はひっくり返せない、と橋本氏は語った。

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「票数では負けたが、意図としては勝った」

岸谷氏は自らを「勝てない勝負をする気持ちがあまり分からないタイプ」と称し、知名度で圧倒的に勝る玉木氏に勝てる見込みはどれほどあったのかと尋ねた。橋本氏によると、結果は党員・サポーター、地方議員、国会議員のそれぞれで約2割の票を得た。知名度では「アリと象の戦い」だったが、2割を得られたことはありがたいと述べた。

橋本氏は、今回の代表選は党内だけの話ではなく、日本社会全体が政治にどう向き合うかという議論だったと位置づける。その意味で国民民主党を支持していない人々にも届き、そこで発した言葉が今後、さまざまな人を結集させる力になる第一歩になればいい。だから「票数では負けたかもしれないけれども、意図としては勝ったと思う」と語った。

岸谷氏は、自民党の一強が驕りや組織の腐敗を生むのと同じことが、玉木氏が強すぎる国民民主党内にも起こりうると指摘し、2割を取ったなら党内で一つの勢力になれるのではないかと今後の動きを尋ねた。橋本氏は、党の支持率が5%なら、その2割で1%分の支持をもらったと考えているとし、投票してくれた人や、投票できなかったが共鳴してくれた人と一緒に発信や提言をしていきたいと答えた。岸谷氏が「玉木さんをピリつかせるぐらいの存在に」と言うと、橋本氏は党内の緊張感がより良い党にする原動力の一つになると認めつつ、誰かを追い落とす意図ではないと強調した。また代表選は手を挙げれば出られるものではなく、推薦人を集める必要がある。思いを推薦人と共有できたことがありがたかったとも述べた。

31:33

新人議員は何をしているのか:最小限の仕事と「調整」の重さ

岸谷氏は、一般的な25歳よりは議員と接する機会が多いが、議員が具体的に何をしているのかは分からないと話す。ピカピカの車でいつもどこかへ移動しているイメージがあり、スケジュールは埋まっているが何も生み出していない人もいるのではないか、と率直に語った。

橋本氏はまず、自分は電車移動が多いと答えた。選挙区が埼玉県北東部なので、東北線で行くほうが早いという。議員の最小限の仕事は、本会議に出席して法案の賛否を示すことだ。衆議院では起立・着席で賛否を表す。その前段として委員会で法案の是非が議論されるので、委員会に出席する。法案に限らず、予算や一般的な事柄について政府に質問することもあり、こうした質問時間は野党に多く配分されている。

さらに、上がってきた提案に賛否を示すだけでなく、自ら提案することもできる。橋本氏は最近、インテリジェンスや安全保障をテーマにペーパーを書いて考えを示しているという。ただ、ペーパーを一人で書くだけなら簡単だが、民主主義は数である。党として、あるいは他党も含めて提案するとなると、その調整が非常に大変だと語った。国政のテーマは教育、年金、安全保障と幅広く、全員がすべての分野に精通しているわけではない。詳しい人から意見をもらって修正することもあれば、詳しくない人に基礎知識から説明して理解を求めることもある。こうした過程は表に出しにくいという。

岸谷氏が「法案を出しただけでドヤ顔される時があるが、受かっていれば誰でも出せる。調整こそが仕事では」と述べると、橋本氏は、法案を出すこと自体にも議論を起こす意味はあるとしつつ、最終的には法案が成立しなければ意味がない、と応じた。

36:39

地元に帰りすぎ問題:半分は反論、半分は同意

岸谷氏は、衆院議員が週末のたびに地元へ帰ることについても疑問を投げかけた。地域のニーズを吸い上げる意味はあるが、「投票してね」という売り込みの比重が大きく、永田町での本来の仕事の比重が小さくなっているのではないか、という問いだ。

橋本氏はこれを「本質的な指摘」と認め、「半分反論したいが、半分はそうだと思う」と答えた。反論したい半分は、代表者として投票してくれた人のところに常に顔を出すことの重要性だ。地域の悩みは「事務所に連絡ください」と言って届くものではない。地元の祭りで出てくる「そういえばさ」という話に良い声が詰まっていることがあり、そこから行政につないだり、提案につなげたりすることも実際に多いという。官僚ではなく国民の代弁者として議員バッジをつけている以上、こうした活動は欠かせないと述べた。

同意する半分は、それが選挙対策になっているという点だ。顔を見せることで「自分たちの代議士だ」と思ってもらえる面はあり、日本の政治家全体として選挙対策に時間を割きすぎている傾向はあると認めた。ただしこれは「ラットレース」で、自分がやらなければ相手候補がやる。岸谷氏も「僕だって勝ったら絶対やる」と同調した。橋本氏は、候補者個人の努力に頼るだけでなく、政党の看板によって「この党はこういう考え」と分かるようにすべきだと述べた。自民党については何でもありの状態なので、派閥ごとくらいに分かれてもらいたいと付け加えた。

これを受けて竹内氏は、自民党は権力を持って安定している時は割れにくく、今は高市氏が強いのでまとまっていられると分析した。高市氏の強さに陰りが出れば、自民党が割れる可能性はあるという見立てである。

岸谷氏は、地元へ帰る話を「フルリモートにしてみたが、やっぱり出社したい」という感覚に近いと受け止めた。自分も従業員とオンラインで1時間ミーティングするより、会いに行って話すことが大事だと感じるという。橋本氏は、特に衆院はいつ解散があるか分からないため、今の制度に適応する限り地元に頻繁に戻ることは大事だとしつつ、制度面にも言及した。他国には首相の解散権を制限している例があり、小選挙区以外の選挙制度も多様にある。議員が本来の職務に専念できるような選挙制度や政治制度のあり方はありうるとし、地元回りを「100%是としてはいけない」と結んだ。

42:18

臨時国会の代表質問は「伝統芸能」か

最後のテーマは国会の「アップデート」だった。収録時点では、その週の月曜日に臨時国会が始まったところだった。最初の期間は首相が所信を表明し、各党の代表者が代表質問を行う。前日は国民民主党の岡本氏、自民党や維新の代表者が質問に立ったという。全議員がいる場で、10人ほどの代表者の演説と質問を半日聞くことになる。

岸谷氏は「後でサマリーをもらったほうが早い」「ガチで眠くないか」と反応し、竹内氏は「国会の伝統芸能のようなところ」と表現した。橋本氏自身も、2年間やってきて「これは意味がないのでは」と考えながら聞いていたことを明かした。

それでも橋本氏は一定の意味を見いだしている。国のトピックは混沌としており、教育、安全保障、生活と優先順位は人によって異なる。代表者の議論を聞くと、何がよく議論されているのかが見えてくる。委員会になると同じ日に会議が次々と開かれ、通常国会では法案や条約、予算を合わせて100本近くが審議される。そのすべての議事録を読むのは不可能で、AIに読ませてまとめることはできるかもしれないが、一つひとつたどるのは難しい。だから議員が分担するのだが、全員がバラバラに議論しすぎると全体の方向性が見えなくなる。

さらに代表質問では、一方的に聞くだけでなくヤジも飛ぶ。ヤジには批判もあり、橋本氏も「それもそうだ」と認める。そのうえで、一方的な話を聞くだけでなく議場の中からも議論があるべきだという伝統があり、じっと聞いていると「他党でもいいことを言う」と思う時がある、と語った。自分の党の中に縮こまっていては対話の可能性もないため、みんなの場で言葉を使って考えを表明することは議論が進むきっかけになると述べた。

46:44

最大のアップデートは「委員会質疑の充実」

国会で最もアップデートしたい点を問われ、橋本氏は「委員会質疑の充実」を挙げた。現状では、与党内で議論し、内閣が決定したものが国会に出てくるため、出てきた時点で「どうせ通るんでしょ」というものになっている。そうではなく、国会で修正を加えたり、議員立法を議論したりすることを国会の常識にしたいという。橋本氏によれば、ドイツなどでは国会に出てから法案がさらに変わることが結構あるが、日本ではそうした慣習が積み重なっていない。

もう一つの問題として、委員会質疑がすべてフルオープンで行われるため、政策アピールの場になってしまう点を挙げた。「私はこう考えている」と言い合って終わってしまう。実際の議論では「ぶっちゃけどう思っているのか」「後ろに支援者がいるのは分かるが、ここはこう考えるべきでは」というやり取りが必要で、それは全面公開の場ではやりにくい。だから議員は会食や飯屋で話したがり、結果として実質的なことが裏で決まっているように見える。岸谷氏が「もう少しクローズドで距離が近く、アピールっぽくない場が必要ということか」と整理すると、橋本氏は同意した。そうすれば会食も減り、「お茶ぐらいでいい」ということになる、というやり取りもあった。

48:49

少数与党の1年が示したもの:民主主義のコスト

竹内氏は、橋本氏の指摘は本質を突いていると述べた。日本の選挙制度で自民党が圧倒的多数になると、党内の決定がほぼそのまま政府の決定になり、国会の議論は形骸化する。自民党議員からすれば、時間さえ経てば自分たちの考えが採決される。しかし1年ほど前まで、自民党は少数与党だった。自党だけでは法案が通らないため、国民民主党や立憲民主党の考えを聞き、政党間で調整しなければならなかった。竹内氏は、自民党の政治家にとっては思い通りにならず手間がかかって嫌だったかもしれないが、国会の議論のあり方としては悪くないと思っていた、と語った。

竹内氏は103万円の壁を最もよい例として挙げた。あれは自民党の党内議論だけからは出てこなかった政策で、過半数のない自民党が国民民主党の主張を聞かざるを得なかったから実現したという。岸谷氏は、少数与党と強い野党でいろいろなことが変わり良かったのに、なぜか急に自民党に投票が集まったのが謎だと述べた。竹内氏はその理由として、初の女性首相である高市氏への強い求心力と、野党への配慮に手間がかかりすぎることに苛立ち、一つの党に多くの議席を与えてスピーディーに進めてほしいと考える人が出てきたことを挙げた。

橋本氏は、2月の選挙後、高市政権のもとで「議論に時間をかけすぎ」「スピードが足りない」という論調が出ていると指摘した。首相を国会に釘付けにしすぎている点は他国と比べて改善すればよいが、それと議論を尽くす姿勢とが混同されていると感じるという。民主主義は時間がかかるもので、それは仕方がない。最も早いのは独裁だが、日本人はそうではない政治形態を選んでいる。だから時間を民主主義のコストとして甘受すべきだ、と橋本氏は述べた。自分と違う意見の人に腹が立ち、議論が激しくなることもあるが、それも民主主義だというイメージを、特に期数の長い議員にこそ持ってほしいとも語った。タイパで語れば民主主義はコストに合わないが、自分の声が届いていると思うからこそ人は投票する。そこを軽んじればあらゆるものが崩れる、というのが橋本氏の立場であり、今回の臨時国会はその正念場だと位置づけた。

さらに橋本氏は、自民党内だけで結論が出たように見えても、自民党議員自身が納得していないこともあるはずだと述べた。今の日本ではガチガチの党議拘束をある程度柔軟にし、委員会の中で専門領域を持つ議員が超党派で政策を生み出すやり方も大事だと提案した。

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岸谷氏の受け止めと、残された問い

締めくくりに岸谷氏は、自身が子どもの頃の教科書では中国が支援の必要な発展途上国とされていたのに、今では「勝ち筋がない」ほどの大国になったことに触れた。近代の歴史を見ると、トップダウンで一党独裁に近い体制のもと、トップの優秀さに賭けるほうが国の発展は早いように見えてしまう。ここ10〜20年で民主主義の脆弱さが見えてきた気がする、と語った。意思決定の速さや投資の効率は見習うべきで、相手の強さは認めるべきだと考えている。一方で、自分たちは民主主義を選んでいる以上、その民主的なプロセスを否定してはいけない。改善は必要だが、根幹にまで文句を言えば民主主義にするかどうかという議論になってしまう。今の制度設計を前提として尊重し、そのうえで動くべきだと感じた。そのジレンマを学べた、と岸谷氏は振り返った。

橋本氏は最後に、国会議員だけでなくみんなで政治をつくっていかなければ民主主義はあっという間に崩れてしまうと述べ、「みんなで作っていく新しい政治」をやっていきたいと語った。民主主義の時間とコストをどう引き受けつつ、国会の議論を実質的なものに変えていくのか。党内2割の支持を足がかりにそれをどう実現するかは、30歳の議員にとってこれからの課題として残された。