錦織圭が振り返るキャリアの節目と「ビッグ3がいなくなれと思った」世界4位の頃

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概要

有明コロシアムで開かれた「UNIQLO LifeWear Day Tokyo 2026 with Kei Nishikori」には、錦織圭、ロジャー・フェデラー、国枝慎吾、ゴードン・リードが登壇した。このセッションでは、司会が錦織のキャリアの節目を年代順に紹介し、錦織本人がそれぞれの時期の心境を語った。共演者が錦織の人柄について話す場面もあった。最後に錦織は、自己最高の世界4位にいた頃について「フェデラー、ジョコビッチ、ナダルがいなくなればいいと一瞬思った」と打ち明けた。

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2008年デルレイビーチ:自分もやれると思えた最初の優勝

最初の節目は2008年である。錦織は18歳のとき、デルレイビーチの大会でツアー初優勝を果たした。予選から勝ち上がり、トップ選手を破って手にしたタイトルだった。司会はこれを、日本では歴史的な瞬間だったと紹介した。

錦織によれば、これはプロになって最初の大きなタイトルだった。当時はまだランキングが低く、ツアーで優勝できるレベルにはいないと自分では思っていた。そのため優勝には強い驚きがあった。同時にこの勝利から大きな自信を得て、トップ選手とも戦えると思えるようになった。錦織はこの大会を、そう考えるようになった最初のきっかけだったと振り返った。

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国枝慎吾が語る「テニス以外でも普通じゃない」錦織

大きなタイトルを取ると人のあり方は変わるのか。司会からこう問われた国枝慎吾は、錦織の人柄について話した。その前にフェデラーが、錦織を「普通じゃない」と表現していたという。国枝はこれを受けて、錦織はテニスでももちろん普通ではないが、テニス以外のところでも普通ではないといつも感じていると語った。

国枝がまず挙げたのはユーモアのある人柄である。続けて、あの年齢でデルレイビーチを制すれば、普通の人ならもう少し調子に乗るのではないかと思うが、錦織は調子に乗らなかったと話した。長年トップで戦い、多くの成績を残してきたのに、まったく偉そうにしない謙虚な人だという。国枝は自分より年下の錦織のそうした姿から多くの影響を受けてきたと述べた。テニス選手としての錦織のファンであり、人間としての錦織のファンでもあるので、引退後もずっと好きだと締めくくった。これを聞いた司会からは「始まったばかりなのにもう泣かせる」という声が上がった。

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ゴードン・リードの回想:2014年ユニクロのイベントで初めて同じコートに

続いて、英語で話した登壇者が通訳を介して錦織との出会いを語った。文脈からゴードン・リードとみられる。この登壇者は子どもの頃からテニスが好きで、テレビで錦織の活躍をよく見ていた。特にメジャー大会ではテレビに釘付けだったという。

初めて会ったのは2014年、ユニクロが車いすテニスのイベントを開いたときだった。そこでは国枝慎吾と錦織が同じコートにいて、自分も一緒に打ってもらった。登壇者は、スーパースターと同じコートに立っていると感激したことを覚えていると話した。錦織はおそらく覚えていないだろうとも付け加えた。

司会に「覚えていますか」と聞かれた錦織は「はい」と答えた。しかし周りからは「今の言い方は絶対覚えていない」と突っ込まれ、本人が「いや、覚えています」と返して笑いを誘った。司会はこのやりとりを、憧れの選手と一緒に打つ経験が成長につながっていくという話にまとめた。

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2012年全豪ベスト8と楽天ジャパンオープン優勝:有明で勝つ意味

次は2012年である。錦織は全豪オープンで、日本人男子として80年ぶりにベスト8へ進出した。さらにこの有明で開かれた楽天ジャパンオープンで優勝した。

日本のファンの前で勝つのは違うものかと聞かれ、錦織は「違いますね」と答えた。選手にはグランドスラムという大きな目標がある。それでも自分にとってこの場所は、昔からプレーすることを夢見てきた場所だったという。8歳か9歳の頃に父親とジャパンオープンを観に来た思い出があり、ここへの憧れをずっと持っていた。だから初めて優勝したときはものすごく嬉しかったと語った。

錦織はプロとして初めてこの大会に出た17歳のときのことも振り返った。ひどく緊張して周りが見えず、足も動かず、ガチガチになったことを覚えているという。そうした経験があったからこそ、この優勝はとても良い経験になったと話した。

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2014年マドリード決勝とトップ10入り:トップ選手と戦えた楽しい時期

2014年、錦織はマドリードの大会で決勝に進み、ナダルを追い詰めた。この年には世界ランキング9位となり、初めてトップ10に入った。

トップ10入りしたときの気持ちについて、錦織は正直あまり思い出せないと述べた。ただ、マドリードの決勝はよく覚えているという。ナダル相手にとても良い試合をしていたが、怪我のため途中で試合を終えることになった。その頃から、目の前にいるフェデラーやナダルなど、自分が見てきたトップ選手たちと次々に試合ができるようになった。錦織はこの時期を、テニス人生で一番楽しかった時期かもしれないと振り返った。

トップ10の手前にいた時期にプレッシャーはあったのかとも聞かれた。錦織は、なかなかトップ10に入れずに悩んだ時期があったと認めた。コーチのマイケル(・チャン)とこれからどうするかを話し合い、自分らしいテニスをもっと磨くしかないという結論に至った。そこでクレーコートでもアグレッシブに前へ入ってプレーすると決め、取り組みを重ねていった。トップ10入りはその時期のことだったという。

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2014年全米オープン準優勝:決勝に行ける実力があると自分で分かった

司会が「会場の皆さんも忘れられないでしょう」と紹介したのが、2014年の全米オープンである。錦織はジョコビッチを破って決勝に進んだ。

錦織はこの大会を、自分のテニス人生で一番思い出に残っている大会だと語った。初めてグランドスラムの決勝に進めたことに加え、ジョコビッチやワウリンカら、好きな選手でありライバルでもある相手と戦って決勝にたどり着いたことが、とても良い思い出になっているという。

この経験が自信になったかと聞かれると、「めちゃくちゃ自信になりましたね」と答えた。決勝では敗れたが、負けたことでかえってモチベーションが高まった。グランドスラムの決勝に行ける実力があると自分で分かったことが、その後につながったと錦織は振り返った。

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2015年世界4位:「ビッグ3がいなくなれ」と思った一瞬

最後は2015年である。錦織はこの年、自己最高となる世界ランキング4位に到達した。当時大切にしていたことや、トップで戦い続けるプレッシャーについて問われ、錦織は本音を口にした。この頃は本当に一瞬だけ、フェデラー、ジョコビッチ、ナダルがいなくなればいいと思っていたという。

錦織は「一瞬です」と念を押したうえで理由を説明した。マレーも含めた上位の選手たちが強すぎて、どうにか自分もその中に割って入らなければならないと考えていた。そう思っていたのは自分だけではない、と錦織は推し量る。その後ろにいた10人ほどの選手全員が、同じ思いを持っていたはずだという。その輪に入っていくことが自分たちの一番のモチベーションであり、当時はその思いが何より強かったのだと思う、と錦織は語った。