エビフライ専門店、尾瀬の歩荷、手書き看板職人——3人の「ニッチな仕事人」はなぜその道を選んだのか

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概要

日本にある職業の数は1万8000以上あるとされ、その中には珍しい「ニッチな仕事」がある。日本テレビ「news every.」の特集は、エビフライだけを出す専門店の店主、尾瀬の山小屋へ重い荷物を背負って運ぶ歩荷(ぼっか)、昭和レトロな看板を手書きで作り続ける職人の3人を訪ね、それぞれの仕事の中身と、その道に進んだきっかけを紹介している。

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エビフライしかない店「TOKYOエビフライ」

1人目の仕事人がいるのは、新宿の隣の代々木駅近くにある「TOKYOエビフライ」だ。去年オープンしたこの店にはエビフライしかない。店内のあちこちにエビフライの飾りがあり、店主のエビフライへの熱の入れようがうかがえる。

店では世界中から厳選したという10種類のエビフライを出しており、味の違いを食べ比べられる。ランチの名物は「4種盛り」(2270円)で、旨味が強い天然の赤エビ、ぷりっとしたタイガー、切り身とむき身を詰めたエビカツ、そして生エビフライが並ぶ。

生エビフライには、広島県呉市で養殖されたバナメイエビを使う。200度の高温の油で10秒ほど揚げるため、表面だけに火が通り、中はレアに仕上がる。自家製のエビ塩をつけて食べたリポーターは、衣が軽く刺身を食べているような感覚で、エビ塩の香ばしさとエビの香りや甘さが際立つと話した。

頭付きのブラックタイガーは衣がサクサクで、エビはぷりぷりだという。赤エビは頭の食べ方にも楽しみがある。頭と足を持ってパカッと外し、殻を取ってエビ味噌と足の部分を味わう。足はパリパリとして香ばしく、リポーターは「世界最高のおつまみかもしれない」と評した。

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子どもの頃の大きなエビフライの記憶

店主がエビフライ専門店を開いた原点は子どもの頃の体験にある。父親が作る大きなエビフライが、ステーキやハンバーグよりも強く印象に残ったのだという。

店主は調理師学校を経て、ホテルなどの飲食店で20年以上働いた。その間もエビフライへの愛は深まるばかりで、ついに専門店で勝負に出た。当初は妻をはじめ周囲から基本的に反対されたと笑いながら振り返るが、今では家族も応援してくれているという。

こだわりは、エビの種類ごとにパン粉と油の温度を変えることだ。油は中温・低温・高温の3種類を使い分けている。頭付きの大きなブラックタイガーには粗挽きの生パン粉をまとわせ、足を優しく広げてから170度の中温で揚げる。こうすることで見た目と食感に違いが出るという。

超特大のエビは155度の低温で9分ほどかけてじっくり揚げる希少な一品で、皿からはみ出すほどの長さがある。一口大に切って食べたリポーターは、ぷりぷりを通り越して「ブリンブリン」しており、甘味とほんのりとした味噌の味わいを長く楽しめると話した。店主は、日本中のエビフライ好きが「エビフライといえばここに食べに行きたい」と思うような店にしたいと語っている。

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尾瀬の山小屋へ荷物を運ぶ歩荷

2人目の舞台は尾瀬国立公園だ。群馬・新潟・福島・栃木の4県にまたがり、面積は東京ドームおよそ7900個分。人気のハイキングスポットで、毎年秋には湿原が黄金色に染まる。

ここで働くのが歩荷である。萩原雅人さんは歩荷歴12年のプロで、自分の仕事がニッチだと言われることについて、調べてみたら確かにそうで、自分でもニッチだと思うと話す。尾瀬には山小屋が20軒ほどあり、車が通れない場所へは歩荷が歩いて荷物を届けている。尾瀬には歩荷を専門とするプロが7人おり、萩原さんを含め全員が同じ会社に所属している。歩荷はいくつかの山小屋と提携し、それぞれから頼まれた荷物を運ぶ。

取材当日は朝7時、群馬県の出発地点に集合した。雨が降っていたが、萩原さんは「雨でも関係ない」と言う。

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重心は頭の後ろに——77キロを背負って9.3キロ

荷物を積むときのポイントは、全体の重心を頭の後ろに置くことだ。そうすると体全体で荷物を背負えるという。この日は醤油、30キロの米を肩の後ろに、11キロのスープを頭の後ろに積み、ここを重心とした。3段目には5キロの箱を2つ、いちばん上には野菜など軽いものを載せる。この日の総重量は77キロで、多いときは100キロ以上になる。歩荷の収入は、荷物を多く、遠くまで運ぶほど増える仕組みだという。

午前7時50分、雨の中を出発した。配達先は9.3キロ先の山小屋で、最初の約3キロは下りが続く。雨で滑りやすい岩肌や木道を歩くコツについて、萩原さんは頭から肩、腰、膝、足元までが一直線になるよう常に意識していると説明する。森を抜けると標高1400メートルほどの湿原に出て、そこからは平坦な道になる。

ところが途中で、運んでいた米が落ちるというハプニングが起きた。米を入れていた袋の紐が雨で緩んだようだ。中身はこぼれなかったものの、荷物をすべてばらして積み直さなければならなかった。バランスが崩れると体への負担が大きくなるためだ。

スタートから4時間40分、予定より少し遅れて届け先の山小屋に到着した。荷物を納めた後は、山小屋の厚意で大盛りのステーキ丼を昼食にいただいた。

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祖父の背中と、人間にしかできない役割

萩原さんがこの仕事を始めたのは祖父の影響だ。祖父は70歳まで40年間、歩荷として働いていた。萩原さん自身は22歳のとき、歩荷の先輩に誘われて始めたところ、その魅力にはまったという。運んでいる最中はつらいが、終わった後の達成感と気持ちよさは格別だと語る。

歩荷の仕事は荷物を運ぶだけではない。道中では、つらそうな登山客に「木道に座って休憩していていい」などと声をかけていた。萩原さんは、こうした声かけも大きな役割の一つだと言う。

一方で、荷物をドローンで運ぶ新たな試みも始まっている。萩原さんは、ふらふらしている人に「大丈夫ですか」と声をかけるような臨機応変な対応ができるのは人間だと考えている。番組冒頭では、萩原さんの「俺たちの代わりになれるもんならなってみろ」という発言も紹介された。番組は、歩荷が自然と登山客を守る役目も背負っていると伝えている。

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昭和レトロの手書き看板を作る職人

3人目の舞台は、ブームが続く昭和レトロだ。懐かしいデザインやアイテムが若者には新鮮に映るという。東急百貨店たまプラーザ店で開かれた、バス会社12社が集まるイベントでは、限定グッズや中古部品が販売されていた。その会場で人だかりができていたのが、レトロな看板を手書きで制作する金沢さんのブースだ。

金沢さんはこの道41年。大きな看板から小さなものまで、自営業で制作・販売している。最近はミニチュアのバス停や駅名看板が人気で、この日はレトロなバス停を1つ3000円ほどで実演販売していた。バス好きで休みを取って来たという客や、買うつもりはなかったのについ買ってしまったという客もいた。金沢さんは、昭和の時代に育っていない人でも何かを感じるのだろうと話す。

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下書きなしのフリーハンドと「錆」の仕上げ

ミニチュアのバス停は、厚さ0.5ミリの鉄板をハサミで丸く切り出して作る。文字は下書きをせずフリーハンドで、丸みのある独特の書体で書いていく。2段目には漢字の多い9文字を書き、最後に乗り場を書き入れる。リポーターは見ていると息をするのを忘れそうだと話した。

仕上げは「錆」だ。昭和のバス停には錆がついていたので、そのほうが自然だという。スポンジで茶色い塗料をトントンと載せて錆を表現すると、レトロな風合いが出る。最後にコンクリートの土台をつけて完成となる。

リポーターも駅名看板づくりを体験したが、下書きなしでバランスよく書くのは難しく、出来栄えは本人いわく「まあまあ」だった。

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動物園の就職から看板の道へ

金沢さんはもともと動物が好きで、動物園に就職するつもりだった。1979年、群馬サファリパークの開業に合わせて運営スタッフとして就職したが、案内板などの看板が開業に間に合わなかった。そこで自分たちで看板を作ることになり、それを手伝ったのがきっかけで、次第に手書き看板のとりこになった。その後、東京の看板会社で技術を学び、29歳で独立した。現在は、イベントでの実演販売が収入の大半を占めているという。

手書き看板とは何かと問われた金沢さんは、手作業の跡が残っているところに温かみを感じるのだと思う、と答えた。番組は、珍しいが需要のあるニッチな分野で、それぞれの個性が光る仕事人たちだったと締めくくっている。